給与外労働
俺はホルスターからCz75を抜き、しかし構えずに歩き出した。
安全装置は最初からかけていない。
「マーキュリーさーん、いらっしゃいますかー」
仲間たちが軽率な行動をとる前に、俺がフライングしてやった。
まだ早朝なので、近隣の住宅からベニヤ板をドンと叩く音が聞こえ、ダンボールハウスからは「誰だようるせーな」と苦情の声があがった。
まあいい。実力行使で来るなら感染者ということにして自衛するだけだ。なにせこっちは銃を握ってるんだ。いくらでも偉そうにさせていただく。
すると、あるドアから、ぬっと迷彩服の男が出てきた。無精髭を生やした虚ろな表情。ギョロリとこちらを捉える眼球は、だいぶ濁っていた。
「あなたがマーキュリーさん?」
俺が尋ねると、彼はコクとうなずいた。
こちらが銃を手にしているのに、まったく動じていない。恐怖という感情がないのだろうか。いや、そもそも状況を理解していないように見える。
ともあれ、かすかに波を発しているから、感染者であることは間違いない。
俺は少しだけ振り返り、こう告げた。
「キャンセラーの用意を」
白坂太一はハッと身構え、キャンセラーのレベル調整ダイヤルに手をかけた。
俺は構わず前へ進む。
「とある人物からの依頼でお邪魔しました。ま、結論から言うとですね、盗んだブツを返却して欲しいってハナシでして」
すると唐突に波が来た。逃避の映像。脳の外側から染み込んできて、感情を書き換えようとしてくる。こんなことしてる場合じゃない、という気分になる。
しかしたいした強制力じゃない。波ならこっちだって使える。この程度で上書きできるとは思わないことだ。
俺はトリガーを引き、男の膝を撃ち抜いた。血液が散り、貫通した弾丸はどこかへ行った。
マーキュリーはガクリと崩れ落ち、今度は激痛の映像を放ってきた。おかげで周囲の人間が巻き込まれ、うめき声をあげ始めた。白坂太一のキャンセラーは間に合わなかったようだ。俺は敵の頭を撃ち抜いて絶命させ、波を停止させた。
マーキュリー、水星、惑星軌道――。
この死体が何者で、そしてなぜマーキュリーを名乗っていたのか、映像から理解できた。
彼は、少し前に派遣された自衛隊員の生き残りらしい。しかし作戦に失敗し、帰還不能となってここに住むことになった。フェストに感染したのだ。それも、ただの感染ではない。「クイーン」と呼ばれる特殊な個体と、人格の一部を共有していた。あまり深くは辿れなかったが。
マーキュリーというのは、クイーンから与えられた名前のようだ。彼は「強欲」の感情を助長され、その影響でなんでもかんでも盗むようになったと考えられる。
クイーンの意図は不明。
「盗品の回収は俺がやっとくよ。白坂さんは、いまのうち本部に電話しといて」
彼は返事をしなかったが、何度かうなずいてくれた。波の直撃を受けた影響で、かなり苦しいらしい。まあ実際に撃たれたわけではないし、そのうち正気に戻るはずだ。
俺は遺体をまたぎ、住居内へ踏み込んだ。
あまり詳細に分析したくないが、不衛生なにおいがした。ダンボールを敷いただけの寝床も黒ずんでおり、もはや朽ちかけているといっても過言ではない。家具もナシ。その代わり、部屋の奥に盗品と思われるガラクタが山と積まれていた。
半分しかない洗濯バサミだの、半透明なカラ容器だの、キーボードから抜け落ちたキーだの、使いみちもないのに「とりあえず盗んだ」としか思えないコレクションだった。
ここから少年のオモチャをさがすのは骨が折れそうだ。
ガタガタ音を立ててさがしていると「静かにしろ」などと怒鳴る住民もいたが、刀の柄に手をかけた鐘捲雛子がひと睨みすると、すぐに顔を引っ込めた。
まあ逆の立場だったら俺だってムカついて仕方ないとは思うが。こちらも仕事なので諦めて欲しい。あきらかに余計な仕事ではあるが。
そして無事、オモチャが見つかった。足だけでなく、腕も失っているように見えるが……。まあ見つかっただけよしとしよう。
オタマも見つかったから、婆さんへの恩返しもできそうだ。すでに新しいオタマを手に入れていた様子ではあったが。せっかく見つけたのだから持ち主に返しておきたい。
通路へ引き返すと、白坂太一もすぐに戻ってきた。が、表情が冴えない。まさか要請を断られたか。
「どうだった?」
「ええ、まあ、手配してくれるみたいです」
「それはよかった」
「……」
浮かない顔というか、モノ言いたげな顔というか、いわく言いがたい表情をしている。
せっかく応援が来てくれるというのに、なにが不満なのだろうか。まさか到着まで二週間かかるとか言うんじゃないだろうな。労働環境を改善してくれないなら、労基に訴えるぞ。生きて帰れたらだけど。
「ホントのこと言ってよ。どうせ『善処します』みたいなテキトーな返事だったんでしょ?」
「いえ、来ます。来ますよ。ただ、それが……シスターズを送ると……」
「……」
シスターズというのは、政府が研究所で作り出した「進化した人類」だ。進化というか、人間以外に変貌したなにか、というべきか。全員が能動的にサイキック・ウェーブを扱える。この仕事には向いているかもしれない。
とはいえ、まだ少女たちだ。労働基準法を満たしているかも怪しい。なにより、姉妹なのにチームワークに問題がある。
白坂太一はこう続けた。
「キャンセラーを用意できなかったみたいで、シスターズに頼るしかないんだとか」
「えっ? なんで? キャンセラーなんてワゴンセールで投げ売りするほどあったでしょ?」
「政府が出し渋ってるそうなんです。なんでも、危険な技術だから、あまり民間に開放したくないんだとか」
「だったらこの業務も民間に回すなっつーの……」
とはいえ、装置を悪用すれば人格や感情を書き換えることができるのは事実。政府が出し渋るのも分からなくはない。
しかし思い出して欲しい。この仕事は、政府の依頼でやっているのだ。キャンセラーのひとつやふたつ、ポンと出してくれてもいいと思うのだが。
まあいい。質問を変えよう。
「いつ来るって?」
「明日にでも」
では明日の早朝、一階まで戻って出迎えたほうがよさそうだ。
俺は白坂太一へオモチャを押し付けた。
「ほら、ロボット。肩が尖ってるヤツ。渡しに行こう」
「あれ? 腕は?」
「名誉の負傷だよ」
「きっと哀しむと思うなぁ……」
「いや、見てよ、あのガラクタの山。あそこから探したのに。俺の母親だったらきっと褒めてくれるぜ」
「僕はあなたの母親ではないので」
「知ってるよ」
俺は哀しいですよ。給与外労働に付き合ってやった同僚に対して、あまりにも冷たいじゃないの。
*
三階に戻ると、廊下を走り回っていた少年がこちらへ猛ダッシュしてきた。
「あ、おじさん! 見つかった?」
「おじ……」
固まる白坂太一。
まあ気にするな。子供から見れば、二十過ぎた男なんてみんなおじさんだ。
「見つかったよ。これだよね? でもごめん、腕がなくなっちゃってて」
「あっ……」
ほら見ろ。せっかく見つけてやったのに、被害を受けたようなツラをしているぞ。ガキなんてのはこんなもんだ。いっそオモチャを返さずに、永遠に夢を見せてやったほうがよかったくらいだ。あるいはガラクタの山から自分で探させるとかな。
しかし少年は、少し哀しげな表情ながらも、まっすぐに白坂太一を見た。
「あの、ありがとう。これ、見つけてくれたお返し」
ポケットからビー玉のようなものを取り出した。
いや、ただのビー玉ではない。俺たちはこれがなんなのか知っている。キャンセラーの中央についている透明な球体の小型版だ。内部に、紫色の放電のようなものが見える。
白坂太一は球体を指でつまみ、まじまじと見つめた。
「これ、どこで手に入れたの?」
「たまに落ちてるよ」
「落ちてる?」
「遊んでると見つけるんだ。でも集めてる人がいて、みんな持ってっちゃうから、あんまりないかも」
回収してる業者までいるってことか。
しかし落ちてるってのはどういうことだ? 誰かがバラ撒いてるのか? あるいは誤って散乱させてしまったか、だな。
そもそも俺たちは、この物質がなんなのかを把握していない。出どころだって不明だ。自然物か工業製品なのかさえ知らない。それがビルの床に転がっているとは。
*
少年と別れ、調査のため五階へ向かう途上、俺は白坂太一に尋ねた。
「それ、結局なんだと思う?」
「サッパリ分かりませんね」
彼はまだビー玉を見つめている。このサイズでもきちんとサイキック・ウェーブに反応するから、探知機としては役に立ちそうだが。もちろん機材のほうが正確だ。
もしこれが鉱石なのだとしたら、どこかで採掘されているのだろう。あるいは工業製品なのだとしたら、工場で製造されているはずだ。
例の研究にたずさわっていた博士なら、正体を知っているかもしれない。聞いたところで俺が理解できるかは別だが。
「ここに落ちてるってことは、落としたヤツがいるってことだぜ。下から上には落ちないんだから、たぶん上から……」
自分で言っておきながら、俺はイヤな予感をおぼえていた。
上。
もちろんヤバいのがいる。クイーンだ。まさか真珠みたいにそいつの体から出てくるのだろうか。あるいはそいつの体を加工して、誰かが製造しているか。
逆も考えられる。加工業者が上でなにかをやらかしたせいで、そこからクイーンが誕生してしまった、と。
いずれにせよ無関係ではなかろう。
*
五階の調査は順調だった。マーキュリーをぶっ殺したおかげで、住民たちもずいぶん協力的だった。感謝されているわけではなく、恐怖されているだけだが。
射殺する前に、少しは弁明を聞いてやってもよかったかもしれない。しかし彼はサイキック・ウェーブを放ってきたのだ。アレを放っておくと、鐘捲雛子が通路に朝食を戻してしまう。仲間の精神衛生のためにも、銃の使用は適切だった。
その後、八階まで調査を終えたところで、俺たちは作業を切り上げた。どんなに頑張っても一日四フロアが限界だ。地形を完全に把握していればもっとスムーズに進むのかもしれないが、道が入り組んでいるせいで、あちこち行ったり来たりしてしまう。
もともと大型商業施設にでもするつもりだったのか、やたらと広い。
五階へ戻り、婆さんにオタマを返却した。
「おや、そいつはあたしのオタマじゃないか。探し出してくれたのかい? わざわざ悪いね。奥で休みな。席が空いたら呼ぶよ」
まだカウンターに客がいるから、俺たちの食事は少しおあずけだ。
客はみんな死んだような目で、味も分からないといった様子で食事をとっている。男、女、大人、子供、老人、いろいろだ。
いちおう金はとっているようだが、払わない客にも食わせているらしい。政府が援助しているだけのことはある。
ここから分かることは、政府も、本気で彼らを排除するつもりがないということだ。むしろ滞在をアシストしている。住民を生かしたまま、ビルの秩序を保存しようとしているのだ。
理由は分からない。分からないが、想像でよければいくらか思いつく。
キーとなるのはクイーン。おそらく彼女を回収して、研究しようとでも思っているのだろう。あるいはアメリカが欲しがっているか。ともかくアレに死なれては困るのだ。クイーンを生かしている環境ごと保全しなければならない。
俺たちの任務が「排除」ではなく「調査」なのもそのためだ。ま、殺すなとは言われていないから、ピンチになったら弾丸をぶち込ませてもらうが。
クソ狭いベニヤ板の部屋に腰をおろし、俺たちはコップの水を飲み干した。
早くも二日目が終わろうとしている。予定ではもう帰宅できるはずだった。なんなら日帰りのつもりだった。見通しがアマかった。
明日はシスターズが来る。しかし彼女たちがこの地味な調査を飽きずに実行できるだろうか。最悪の場合、調査を分担できず、一緒に行動することになるだろう。作業日数は短縮できない。
はたして本部は、俺たちの要求を正しく理解しているのだろうか。
せめてまともなメンバーを送り込んで欲しかった。まともというか、まあ最低限の作業をこなせる人員だ。キャンセラーさえあればこんなことには……。
(続く)