ミュー丼
カウンター席が空いたというので、俺たちは婆さんに呼ばれてメシを食うことにした。
「聞いたよ。ここを調査するんだって? 大変だろう?」
今日だけで十名以上を死体にした。こんな無法地帯で生活が成り立ってるんだから驚愕する。
俺は肩をすくめた。
「生きてメシにありつけるだけマシですよ」
「そうだよ。メシは貴重だからね。あんたらには特別に大盛りにしといてやるよ。その代わり、帰ったらおエライさんによく言っとくんだよ。食堂のお姉さんに世話になったってね。ブハハ」
このババア、長生きしそうだな。
よく見るとカウンターの奥にボンベがある。そのガスを使って調理しているのだろう。これも政府からせしめたものだろうか。
まあここの婆さんが政府と癒着していたとして、住民たちの食糧事情も改善されているわけだから、苦情も出ないんだろう。
婆さんは中華鍋をガシガシ動かして、謎の肉とキノコを炒めている。どこかで見た光景だ。いや、調味料が揃っているだけありがたい。前に俺がサバイバルしたときは塩と油しかなかった。
「ご婦人、この辺にマーキュリーとかいう泥棒がいるって聞いたんだけど」
俺が「ご婦人」と言った瞬間、隣で水を飲んでいた鐘捲雛子がむせた。まあ俺もおかしいとは思うが、初対面の女性を婆さんと呼ぶわけにはいかない。
するとその「ご婦人」は、しわだらけの顔をしかめてこう応じた。
「あいつかい? 北側の端の方にいるよ。ずいぶん手癖が悪くってね。うちからもオタマだけ持っていきやがって。どうしようもない男だよ。いったいなんに使うんだか」
「オタマ……」
「そうだよ、オタマだよ。あんたもとられないよう気をつけなよ。大事なのふたつぶらさげてんだろうからね! ブハハ!」
この婆さん、息をするようにセクハラを……。
鐘捲雛子がまたむせてしまった。水まみれになって鬼の形相を浮かべている。
ふと、白坂太一がメガネを反射させた。
「妙ですね。なぜオタマを?」
「知らないよ! あいつは欲しいと思ったらなんでも持ってっちまうんだ。ずいぶん溜め込んでるようだけど、それだけだね。たぶんだけど……まあそういうアレなんだろ」
強迫観念ってヤツか。精神を病んで万引きするのもいるらしいから、自称マーキュリー容疑者もその手の症状なのかもしれない。特に理由もなく盗んでしまう。ロボットを盗まれた少年にしてみればいい迷惑だ。
俺はコップの水を飲み干し、こう尋ねた。
「みんな、なんで怒らないんです? 強いの?」
「そういうわけじゃないけど……。なんだかみんな、あいつを見ると許しちまうんだ。不思議だよねぇ」
サイキック・ウェーブによる感情の上書き、か。
きっと厄介な相手なんだろう。対抗手段がなければ。しかし俺たちにはある。
ドン、と、どんぶりが置かれた。
「ほら、ミュー丼だよ。大盛りにしといたからね」
白飯の上に、醤油で炒められた肉とキノコがわんさとのせられている。
嫌な予感がした。
「ミュー丼?」
「知らないのかい? 変異体の肉を使った、ここらの名物料理だよ。大丈夫。みんな食ってるから。死にやしないよ。安全な部位しか使ってないし」
「いや、俺らも食ってたけどさ……」
少しは商品名に気を使ってくれ。
とはいえ、とんでもなく食欲をそそる。強火で焼かれた醤油の香ばしさが立ちのぼってくる。
俺は「いただきます」と手を合わせ、箸で口へ運んだ。
悔しいが、うまい。
あのクソマズ食材をこれほど上手に調理するとは、婆さん、もしや天才シェフか?
見た目なんぞより時短を優先した雑な火加減が、じつに効果的に働いていた。油ののった薄切り肉はすっかり醤油に焦げ付いてしまっているが、これが「いいから胃袋に詰め込め」と言わんばかりの暴力的なメッセージとなり、俺たちの飢餓感をぐいぐい引き出してくる。そして濃すぎる味付け。山盛りの米。完璧。
一日の疲労がふっ飛ぶようだ。
この名店がミシュランガイドに載っていないのはおかしい。
俺は食事を終え、ふたたび手を合わせた。
「ごちそうさま」
「ふん。いい食いっぷりだね」
それはそうだろう。一日中働いていたのだ。さっきここでモソモソ食っていた連中は、どう見ても働いているようには見えなかったが。彼らとは消費カロリーが違う。
本当はIT系企業に再就職したかったのに。どこも雇ってくれないから、このザマだ。まあITはITで疲れるんだけども。
*
クソ狭いベニヤ板の部屋へ戻り、俺たちはふたたびミーティングを始めた。
「いやホント、電気どうしようか。応援要請するなら、早めのほうがいいと思うんだよね。ピンチになってからじゃ、助けに入るほうも大変だしさ」
鐘捲雛子もうなずいた。
「応援要請には私も賛成。さっきの計算だと、一日あたり四フロアって話だったけど、仮にずっと同じペースで作業できたらの話だし。電力も物資も消耗していくんだから、効率は落ちていくと考えたほうがいい」
満腹なのか、彼女は腹をさすっていた。小柄な体にあのメシの量は多すぎたようだ。
白坂太一は静かに考えている。
「分かりました。僕も同意します。せっかくだから予備のバッテリーもいくつか持ってきてもらいましょう。ただ、連絡は明日まで待ってください。できれば窓際で通話したいので」
「オーケー」
この任務をこなせそうなのは、本部にも何人かいる。ある二点の問題さえクリアできれば、だが。
まず、本人にやる気があるかどうかという点。
そして次に、仲間と仲良くできるかという点。
社会人にとっての最低ラインを割っているかのような問題だが。綺麗事はいい。子供が嫌がることは、大人だって嫌がる。大人といったって、歳を食っただけの子供とほとんど変わらない。
俺は寝転んだ。
「じゃ、続きは明日ということで」
「寝る前に歯磨きしないの?」
鐘捲雛子が軽蔑するような眼差しを向けてきた。
「今日はもう眠い」
「子供みたい」
「……」
もういい。メシを食ったら急に眠くなったのだ。ここのところよく眠れていないせいもある。目をつむればいつでも眠れそうだ。
*
また夢を見た。
抜けるような青空、穏やかな海原、色とりどりの花々、ほほえむ少女たち。
心安らぐ光景。
なのだが、俺は知っている。すぐさま大地が裂けて黒いものが這い出し、彼女たちを虐殺する。花は血を浴びて毒草となり、空は曇り、海は汚れる。
俺は誰ひとり救うことができない。
その黒いヤツはなにかに怒っている。ずっと怒っている。他の感情が見当たらない。切り裂くことでしか自己を表現できない一個の獣だ。
今日もまた大地から身をもたげ、破壊を行使しようとする。
*
俺は肺に空気を吸い込みながら目を覚ました。
部屋が明るい。
鐘捲雛子が、こちらを覗き込んでいた。
「大丈夫? うなされてたけど……」
髪をほどいていたせいで、一瞬、誰だか分からなかった。
白坂太一も起きている。
俺はまぶたをもみほぐしながら、何度か呼吸を繰り返した。
「ごめん。うるさかった?」
「それはいいの。ただ、ちょっと異常だったから……」
「なんて言ってた?」
「やめろって……」
「うん……」
そうだ。俺は「やめろ」と懇願することしかできなかった。少女たちが首を刎ねられ、内蔵をえぐり出され、逃げ出そうとした足首を切断され、泣き叫んでいるのに、なにもできなかった。
俺は身を起こした。
「ちょっと水飲んでくる」
「ひとりで平気?」
「いちおう銃持ってくよ」
*
廊下はずっと電気がつけっぱなしで、明るいままだ。ところどころバチバチいっているのも一緒。ただし、昼間に比べてひっそりしている。通行人の姿はないし、喧騒もない。靴音がやけに響く。
冬にしてはあまり寒いほうではないが、それでも夜は冷気が増した。おかげで霧が弱めなのはいいことだが。
いまごろ空には月が出ているだろうか。
だいたいの現代人は、それが仲秋の名月であったり、月蝕であったり、特別なときにしか月を見上げない。俺もそうだ。なのに、こうして空が見えない状態になると、無性に見たくなる。ワガママなものだ。
*
水を飲んで戻ると、ふたりが待っていた。
なんだか深刻そうな顔をしている。
「どうしたの?」
そう尋ねると、白坂太一が声をひそめて応じた。
「じつは二宮さんがうなされてから、計測器が反応して」
「ああ、出てたの……」
「僕が見たときには、レベルが3まであがってました。無意識ですよね? 心配ですし、一回、博士に診てもらったほうがいいんじゃないですか?」
「そうするよ」
心にもない返事をした。
あきらかに普通の人間ではなくなっている。俺もいずれ波に負けて、自我を失うのかもしれない。研究者はそれを「進化」だと言ったっけ。人間をぶっ壊しておいて進化などと、あまりにふざけた言い草であるが。しかし正直、この件について怒るのはもう疲れていた。
俺は電気を消した。
「寝よう。今度はもう騒がないようにするから」
「……」
あれはただの夢ではない。誰かが送ってきた映像だ。なぜ睡眠時にしか見えないのかは分からないが。眠っている間は心のバリアがとれて、同調しやすくなるせいかもしれない。
*
そう。
あれは夢ではないから、眠りに落ちると同時、陰惨な光景の続きを見せられた。ただし今度は飛び起きるようなことはなかった。怒っている誰かがいて、そいつは俺に死と破壊を見せつけている。
そしてようやく気づいた。
その侵入者は、少女たちを殺したくて現れるのではないということを。
俺個人に用があるのだ。
しかし言葉を交わすには至らなかった。夢の中の俺は、声を発することができなかった。そして相手も無言のまま。どこを向いているかも分からない不定形の黒い塊。俺の前に存在をさらし、ただ怒りを表明し続けている。
あるいは、言葉を知らないのかもしれない。なにも伝えられなくて、それで自分自身に怒っているのだ。
*
朝、婆さんの用意してくれた朝食をとり、俺たちは調査を再開した。
朝食はチャーハンだった。具材は昨日のミュー丼と同じ。肉とキノコと米だ。贅沢は言えないが、ほかに食材はないのだろうか。
調査を始める前に、本部へ応援要請するため、窓を探すことになった。いくら衛星電話とはいえ、分厚いコンクリートに囲まれていては通話が安定しない可能性がある。
白坂太一がGPSを確認しつつ、俺たちをナビゲートした。
到達したのはフロア北端。
すると、彼はすっとメガネを押し上げた。
「たしか、このあたりはマーキュリーの棲家でしたっけ。せっかくですから、例の件、片付けませんか?」
こいつ……。
だが鐘捲雛子はやる気だった。刀に手をかけ、前へ進み出る。
「分かった。片付けよう」
いや、あくまで交渉だけのはずだろう。なぜ戦闘態勢に入る?
こんな交渉なら、相手も間違いなく応じるとは思うけど……。
(続く)