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祝祭の塔 ~サイキストの邂逅~  作者: 不覚たん
払暁編

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26/27

帰路

 部屋に踏み込んだ瞬間、俺は確信を得た。

 この交渉は、俺たちの優位に進むだろう。

 しかし同時に、素直に喜べる結果になるとも思えなかった。


 波は感じられない。

 無音の世界。

 部屋を覆う白い肉は、まだ正常に見えるが、おそらく瀕死だった。いずれ死に絶え、腐敗して剥がれ落ちるのだろう。

 床一面には黒い花々。

 中央には、かつてクイーンだった少女が、四肢のない餅を抱えて座っていた。哀しげな目をしている。


 黒い花弁の絡んだチューリップのような花々は、風もないのに蠢いている。

 仲間たちは不気味がって足を止めたが、俺は構わず中へ踏み込んだ。もう彼女には力が残されていない。どんなに俺たちを殺したくても、それができない状態だ。


「戻ったよ」

 俺がそう告げると、彼女は力なく笑った。

「これがあなたのやり方なの?」

「ほかに手段がなかった」

「殺されるより酷い。人格を上書きするなんて」

「いまの君は誰なんだ?」

「知らない。いろんなのが混ざり合って、自分でも誰なのか分からないんだから。誰からも愛されないことが分かっているのに、愛されたいだけの、哀れな誰か」

 誰でもない。

 それが正直な感想なのだろう。

 本来、誰しも自己なんぞ定義できない。それでも分かったつもりになっている。揶揄したいわけじゃない。「つもり」になる以上のことはなく、なれるだけマシなのだ。彼女は、その「つもり」にさえなれていない。

 彼女に抱えられた餅は、人形のように無表情だった。目をつむり、死んでいるようにさえ見える。波も感じられない。

 俺は溜め息をついた。

「なにが起きたのか説明してくれ」

「奇跡を待ってた」

「衛星との通信が途絶えてから、どうなったんだ?」

「グランドクロスを起こせば、特別なことが起こるはずだった。私は地球だから。まわりに惑星を置いて……」

 会話になっていない。

 いっそこのまま喋らせたほうがよさそうだ。

「特別なことをすれば、特別なことが起こるはずでしょ? 私は奇跡を起こして、全部を変えたかったの。愛されない私が、愛されるように。だから人間に力を与えて、儀式をしようとしたの。だけど、失敗しちゃった。みんな私を嫌ってしまう」

 奇跡を起こすために、儀式を思いつき、それで惑星プラネットにサイキック・ウェーブを与えたというわけか。

 なにかが起こるはずだったのに、なにも起きなかった。

 得られたものは、喪失感だけ。

 俺はホルスターから銃を抜き、彼女へ向けた。

「君の負けだ。その子を返してくれ」

 すると彼女は、眼球を動かしてこちらを見た。生気のない目だ。

「いいわ。あげる。けれど、きっとあなたのものにはならないわ」

「どういう意味だ?」

「すぐに分かる」

 飽きた玩具でも捨てるように、彼女は餅を投げつけてきた。花々が無残にも押しつぶされる。

 俺は銃口を彼女へ向けたまま、慎重にしゃがみ込み、餅を引き寄せた。

 死んではいない。なのだが、サイキック・ウェーブがまったく感じられなかった。オメガ種なのだから、その機能がバグとして排除されることはないはずなのに。あるいは情報を上書きされたか。

「餅。大丈夫か?」

 少し揺すると、彼女は苦しげに目を開いた。ぼんやりとした表情。

 じっとこちらを見ている。

「助けに来たぞ。もう大丈夫だ」

「や……」

「ん?」

「やだ、来ないで……」

「どうした……」

 彼女はしかし恐怖に目を見開き、短い手足をぶんぶん振り回しながら、「やだ」と「来ないで」を交互に繰り返し始めた。まるでプログラムされたロボットみたいに。

 まさか、俺のことが分からなくなっているのだろうか。

 クイーンが愉快そうにくすくす笑った。

「あなたのこと、嫌いだって」

「なにをした?」

「さあ、なにかしら。あなたが私たちにしたこと、思い出してみて?」

「したこと?」

 心がぐちゃぐちゃで、過去を思い出している余裕などなかった。

 俺たちは対話に来た。だが彼女が対話に応じなかった。それだけだ。

 クイーンは溜め息をついた。

「ほら、もう忘れてる。誰かさんの首を絞めて、殺してしまったじゃない」

「それは……」

「だからその子にも、同じことを経験してもらったの。体を傷つけながら、何度も何度も。だからね、あなたの顔を見たら、こうなってしまうの」

 俺は、このときほど自分を愚かだと思ったことはない。

 そして愚かさを否定したくて、さらに愚かな行為を重ねてしまう。

 思わずトリガーを引いた。

 パァンと音がして、手首に反動が来て、弾丸が彼女の肩口を貫いた。黒い血液が、花々へと浴びせられる。

 クイーンは笑っていた。

「そう。気に食わない相手は殺してしまえばいいの。だって、死んでしまえば、もう二度と口をきかないんだから。聞きたくない言葉は、聞かなくてよくなる」

「お前は……」

「あーあ、誰かが私を愛してくれたら、こんなことにはならなかったのになぁ」

「だったらなぜ対話に応じなかった?」

「だったらなぜ私だけを愛さなかったの? そんな出来損ないの失敗作に執着して。ただのゴミでしょ? そんな子、必要だった? 殺さないであげただけ感謝して欲しいわ。それで、えーと……」

 彼女はにわかに困惑した表情を見せた。

 視線は俺の後ろ。

 振り返ると、鐘捲雛子が近づいていた。

 加勢してくれるのかと思いきや、そうではなかった。彼女は抜刀し、こちらへ切っ先を突きつけてきたのだ。

「どういうつもりだ?」

「それはこっちのセリフ。いつまでお喋りしてるつもり?」

「事情を聞いておきたいんだ」

「聞いてどうするの? あなたの中途半端な態度が、いまこの事態を引き起こしてるってこと、まだ分からないの? 優しくしても憎悪を募らせるだけでしょ? 助ける力もないくせに。早く殺してよ。あなたが殺らないなら私が殺る」

 なるべく感情的にならないよう、この部屋に入ったときからずっと感情を殺して来た。それはクイーンに対してはうまくいった。なのだが、このとき俺は、鐘捲雛子に対し、言いようのない衝動をおぼえていた。

 もちろん、手は出さない。ここで冷静さを欠けば、すべてが台無しになる。

「なんでもかんでも俺のせいにするな」

「そんな話ししてないでしょ。早く終わらせてって言ってるの」

 さっきからずっと餅がぐすぐす泣いている。

 俺という存在が、彼女に恐怖を与え続けているためだ。

 鐘捲雛子は、一秒でも早くその状況を終わらせたいと思っている。

 気持ちは分かる。分かるのだが、俺は、目の前ですべてを諦めたような顔をしているクイーンを、ただ殺すことはできなかった。言いたいことがあるはずだ。言わせておいて、どうせ銃で撃つことになるとは思うが……。

 そうだ。

 俺は状況を引き伸ばして、ただ彼女を苦しめているだけだ。

 だからイラついている。


 クイーンが愉快そうに目を細め、鐘捲雛子を見た。

「じゃあ、あなたでもいいわ。いまからでもいいから、私を愛して? あなたの鞠ちゃんになってあげる」

 安易な挑発だ。

 だが、こんな稚拙な手段でも、鐘捲雛子には有効だった。

「気安くその名前を出さないで」

「なんで? あの出来損ないでも代用品になれたんだもの。私でもいいじゃない? ね、お姉ちゃん、私を愛して? お姉ちゃんのしたいこと、なんでもしてあげる。いまから私が鞠ちゃんだよ」

「……」

 眼球が血走り、鼻の奥から獣のような音が鳴っている。

 おそらく、もう殺すことは決めたのだろう。あとはどう殺すかが問題だ。

「あぎひっ」

 クイーンの肩口に、ズブリと刀が突き刺さった。さっき俺が撃ち抜いた場所だ。切っ先は床の肉へも突き刺さり、クイーンは身動きがとれなくなった。

 鐘捲雛子は、その刃を少しねじる。

「私の妹は死んだ。もういないの。誰も鞠ちゃんじゃない」

「痛いよ、お姉ちゃん。もうやめて」

「……」


 *


 凄惨な殺人の現場になった。

 かつてクイーンだった少女は、刃が折れるほどズタズタにされ、ただの黒い液体にされてしまった。荒らされた花々と混ざり合って、もはや見分けがつかない。唯一確認できるのは、強引に叩き割られた頭部から飛び出している眼球だけ。


 鐘捲雛子は刀を捨て、代わりに餅を抱き上げた。俺から遠ざけるように。

 いまはそれでもいい。

 目的は達成できた。

 たぶん。

 余計なことは考えないようにしよう。なにも手につかなくなる。

 作戦は終了だ。

「撤収しよう」

 俺は誰にともなくそう告げ、現場をあとにした。


 *


 三十二階では、四名と再開できた。みんな無事だ。

 俺や鐘捲雛子の姿を見て、あの青村放哉でさえ状況を察したのだろう。今回はジョークを飛ばしてこなかった。

「まだ少しいる。だからってわけじゃねーが、この階段は迂回したほうがよさそうだ。足の踏み場もねーからな」

 そう言いながら、死体を乗り越えようとした変異種ミュータントの頭部を撃ち抜いた。

「白田、マガジンくれ」

「はい」

 白坂太一は空になったマガジンに、手動で弾を込めて渡していたようだ。

 あまり大規模な武装ができない以上、こういう作戦になるのは仕方がない。


 *


 帰路はほとんど戦闘がなかった。

 見かけるのは死体ばかり。

 十階でサターンらを保護し、エントランスまで出た。


 霧まみれ。

 しかも日が暮れている。

 俺は高湿な鬱陶しい空気で深呼吸し、ホルスターへ銃を戻した。

 あとは各車両に分乗し、本部へ帰還することになる。鐘捲雛子は餅を抱えているから、電源車の荷台に乗せるわけにはいかない。

「こっちは俺ひとりで行くから、みんなはバンで帰ってくれ」

 きっと荒い運転になる。

 みんなジョン・グッドマンの運転するバンに乗ったほうがいい。


 *


 だが、俺の車には白坂太一が乗った。

 バンには全員乗り切れないなどと、誰にでも分かるようなウソを言うのだ。そんなことはないのに。心配して一緒に来てくれたのは明白だった。

 ヘッドライトをつけ、重たい車両をゆっくりと加速させた。

 動画配信者はミニクーパーで帰ったし、青村放哉はバイクでの移動だ。サターンは、みんなと一緒のバンに乗せた。


 幸い、ビルの周囲は瓦礫も少なかった。

 それでもスピードは出さないよう、俺は安全運転に心がけた。同乗者がいなければ、少し飛ばしていたかもしれない。

「今日は大変でしたね」

「うん」

 日帰りで済んでよかった。

 もっとも、アメリカの衛星に手を出したのだから、このあと各所からいろいろ言われることになるとは思うが。

 ひとまずやりたいことはやったし、成功も収めた。

「帰ったらまた大変ですよ。各務さんが対応してくれるとは思いますけど」

「うん」

「おなか空いてません? チョコバーありますけど」

「いや、いいよ。運転中だし」

「そうですよね」

 余計な気を使いやがって。

 だけど、こんなのでも気は紛れる。

 ひとりでじっと運転していたら、俺はきっと余計なことを考えていたはずだ。どこかに車を停めて、ひとりでめそめそ泣いていたかもしれない。

 なんだかずっと哀しかった。


 俺は大統領のような博愛主義者ではないから、会話の通じない住民たちを、まるで障害物のように殺したことについては後悔していない。救いようがなかったし、ほかに手もなかった。

 それが俺という人間の限界だというのなら、おそらくはそうなんだろう。

 餅というひとりの少女を救うため、その他の命を奪えるだけ奪った。


 結局は、会話の成立する相手にしか共感できないのだ。

 そして、それだけに、言葉を交わしたクイーンを救えなかったことだけはひどく後悔していた。

 自分で発砲しておきながら、生き延びた俺がそんなことを思うのだから、ずいぶん勝手だとは思うが。


 彼女は歪んでいた。

 しかし歪めたのは、もっと別のなにかだ。直接的には、人体実験をしていた研究所であり、あるいはその研究を主導した官僚たち。

 その官僚のひとりはすでに始末した。

 だが悪人を殺したところで、苦しめられた少女たちの傷が癒えたわけではなかった。

 結局、その少女たちをも殺して、すべてを終わらせるしかなかった。

 みんな死んだ。

 それをもって問題が解決したと思い込むしかない。


 俺がもっと賢い人間だったらよかった。

 もし大統領が生きていたら、どうしただろうか……。


(続く)

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