トレードオフ
食堂の奥で、俺たちは串焼きを食った。酒はないから、飲んでいるのはコップの水だ。
特に会話はなかった。
待っていると、仲間たちがぞろぞろ戻ってきた。いないのは、サターン宅に住み込んでいる円陣チームのみ。
「え、青村さん?」
白坂太一が目をパチクリさせた。
本部からはなんの連絡もないのに、いきなり来ていたから驚いたのだろう。俺も同じ気持ちだった。そもそも彼は援軍ではない。ただの民間人だ。
「お、白田じゃねーか。その他大勢も久しぶりだな」
まだ名前を覚えていないのか。きっと俺のことも宮川だと思ってるんだろう。
鐘捲雛子は、しかし彼には興味を示さず、餅の姿がないことを不審がった。
「ひとり足りないみたいだけど」
「ちょっと事情があって……」
「どんな事情?」
すでに姉妹ごっこはやめたはずだが、それでも一応は気になるようだ。
なるべく口にしたくなかったが、俺はやむをえず告げた。
「じつは四十五階に行ったんだ。それで、上にいたクイーンと接触して……」
「それで?」
尋ねる言葉は冷静だが、呼吸が荒くなっているのが分かる。
「置いてきた」
「……」
「ただ、命の保証はしてもらった。条件を飲めば助けてくれるって……」
「それで自分だけ逃げたの?」
「そう」
言い訳はしない。俺は、餅を置き去りにして逃げた。それは事実だ。
青村放哉が串を捨てた。
「おいおい、辛気臭ぇのはナシだぜ。その条件とやら……おっと」
茶化そうとしたわけではないのだろうが、彼が軽口を叩くと、鐘捲雛子は目にも見えない速さで抜刀し、ベニヤ板へ刀を突き込んだ。
「どんな条件なのか教えて」
有無を言わせぬ態度だ。
いまにでも四十五階へ乗り込みそうだ。
「アメリカの衛星から、救い出して欲しいと……」
「誰を?」
「クイーンだよ。例の研究所で、水槽の中にいた子。ここではガイアとも呼ばれてる。彼女の精神が、いま衛星に格納されてて……」
すると彼女は、刀を握る手に力を込めた。
「待って。そういうことなの? 本当に? じゃあ……そこまで分かってたなら、なんで私たちに言わなかったの?」
「今回の調査には関係のない話だから」
「関係ない? 自分だけその事実を掴んでて、勝手に四十五階に行って、勝手に失敗して、あの子を置き去りにしておいて、そんな言葉しか出てこないの?」
「……」
そうだ。
俺は慢心していた。自分だけがサイキック・ウェーブを使えるから、もしガイアに関する問題を解決できるなら、それは俺だけだと思っていた。ガイアも俺と対話したがっていたし、俺が出向けば済む話だと決めつけていた。
自分を特別な存在だと勘違いして、スタンドプレーに出て、結局は取り返しのつかない事態を招いてしまった。
鐘捲雛子は刀を鞘へ戻し、白坂太一へ告げた。
「衛星電話を貸して」
「なにを言うつもり?」
「本部に協力を頼むの。アメリカの衛星なんて、私たちでどうにかできる問題じゃないでしょ?」
その通りだ。
個人の手に負えない問題は、もっと大きな組織に対処してもらう必要がある。それが大人の対応というものだ。
白坂太一が衛星電話を渡すと、鐘捲雛子は向こうへ行ってしまった。
青村放哉がふっと笑った。
「ずいぶん険悪なムードだな。なあなあの馴れ合いだけがオメーの唯一の長所かと思ったが、うまくいってねーみてーじゃねーか」
ほかにも長所はあると信じたいが。
俺はうなずいただけで、反論もできなかった。
代わりに、白坂太一がフォローに入ってくれた。
「僕も事前に相談して欲しかったとは思いますが、起こってしまったことは仕方がありません。今後の対処を考えましょう」
ぜひノーベル平和賞を受け取ってくれ。
「キャンセラーも壊されちゃった」
「それは作り直せばいい話です。それより、手を怪我してるじゃないですか。消毒はしました?」
「まだ」
「じゃあ早くしたほうがいいですよ。グローブとってください。手伝いますから」
もう血液がこびりついてグローブと一体化しているから、そっとしておいて欲しい気もするが。このまま放っておけば化膿するかもしれない。彼の言う通り、消毒したほうがいいだろう。
ただし、見た目ほど傷は深くなかった。
俺がツタをつかんだ瞬間、棘が引っ込んだのだ。ガイアは、俺を傷つけるつもりはなかったのだろう。まだ優しさが残っている。人格が消滅する前に救い出さないと。
傷の手当てが終わると、鐘捲雛子も戻ってきた。
深刻そうな顔をしている。
白坂太一が「どうですか?」と尋ねると、彼女は静かにこう告げた。
「撤収しろって」
「……」
聞き間違えか? 急過ぎるだろう……。
だが、彼女はジョークを言うようなタイプじゃない。きっと本当に、本部から撤収命令が出されたのだ。
青村放哉がケタケタ笑った。
「おいおい、もうお開きかよ。こっちは参加したばっかだってのによ。全然エンジョイできてねーんだが?」
「あなたは勝手にすれば? 民間人なんだし。私は命令に従うから……」
悔しそうな顔をしているから、いちおうは不服なのだろう。
俺はこう尋ねた。
「理由を教えてくれるか?」
「アメリカが衛星を撃ち落とすらしいの。そしたらデータも取り直しになるから、後日、イチからやり直しだって……」
「俺は残る」
「正気? 残ってどうするの? あなたになにができるの?」
「分からないが、このまま帰るのはごめんだ」
「命令違反は許さない」
「知るかよ。とにかく俺は帰らない。帰るなら君たちだけで勝手にしてくれ」
たぶん冷静な判断じゃない。
それでも抵抗したかった。
どうしてもここを離れたくない。今日から毎晩、餅は体を斬り刻まれる。俺だけが日常に戻り、平和な生活を送る気にはなれない。調査や計測なんて知ったことじゃない。
すると、白坂太一がこちらを見た。表情はいつも通りだが、すっとメガネを押しあげ、冷たい口調でこう言い放った。
「一緒に帰ったほうがいいと思いますよ。もし帰らなかったら、次に来たとき、僕たちは敵同士になるかもしれませんから」
感情的に怒鳴りつけてくるならまだしも、こんなに非情に現実を突きつけてくるとは……。
ぐうの音も出ない。
彼の言う通りだ。
認めないといけない。俺は普段からバカなのかもしれないが、いまは輪をかけてバカになっている。
ワガママで四十五階へ行ったのに、またワガママで残ろうとしている。
もちろん完全には納得できない。だが、俺よりもみんなのほうが納得していないはず。
「もしそうだとして、あの子は家族なんだ。置いて行くのは……」
「餅さんの命が保証されているということは、人質という扱いなんでしょう? 殺したいだけならとっくにそうしているはずです。しかも今回、相手側の要求も明示されています。アメリカの衛星をどうにかするなら、政府も巻き込まないとムリですよ。時間を有効に使うためにも、いまは引き返すべきでしょう。ほかになにかいい案でもあるならともかく」
「案はない」
「じゃあ決まりですね」
完敗だ。
鐘捲雛子は腕時計を確認した。
「二十時過ぎには迎えのヘリが来るから。みんなは下に行ってて。私、円陣さんたち呼んでくる」
一時間以内に撤収か。展開が早すぎる。
まるで、誰かがクイーンに接触したら即撤退すると以前から決まっていたかのようだ。さすがに考えすぎかもしれないが。
青村放哉は仰向けになった。
「じゃあ帰るのか? 各務ちゃんによろしくな。ま、どうせすぐ会うことになると思うけどな」
ここに住むつもりだろうか?
環境に適応しそうではあるけれど。
彼の言う通り、また会うことになると思う。衛星の問題がどうにかなりそうなら、俺はすぐにでもここへ戻ってくる。民間人としてでもいい。とにかく戻る。
餅だけでなく、ガイアのことも放ってはおけない。
*
大型のヘリコプターに、七名で乗り込んだ。
揺れるハシゴに難儀しながら乗り込み、ベンチに腰をおろした俺たちは、もう脱力して雑談さえできなくなっていた。
ふわりと機体が上昇し、霧を抜け、サーチライトはもやに包まれたビルなどを照らした。
機体に搭載されたキャンセラーが稼働しているものの、上階へ近づいたときには独特の圧力を感じた。
そんな景色も、すぐに夜の闇に飲まれてしまう。
外部から電気が来ていないから、光を漏らしているのはビルだけで、それ以外は真っ暗だ。眼下に宇宙が広がっているような錯覚さえおぼえる。
*
ヘリが到着したのは本部ではなく、政府の研究所であった。広さはそこそこだが、二階建ての建造物。
俺たちは消毒用のガスを吹き付けられ、それから中へ案内された。
といっても応接室なんかじゃない。倉庫のような機材搬入口で、立ち話だ。
出迎えたのは政府側の「主任」。
これといった特徴のない中年男性だ。白衣ではなくスーツ姿。
前に研究所でハメられたときには、ずいぶん世話になった。もちろん悪い意味で。
「ずいぶん大所帯ですね。たしか三名だったはずでは」
彼は開口一番、そんな皮肉を飛ばしてきた。
分かってて言っているとしか思えない。俺も相応の返事をした。
「事前の想定よりマンパワーが必要だったので、増員しました」
「そうですか。計測器を回収しますので、そちらのカゴへ返却願います。ところで、クイーンと接触したようですね。所見を報告してください」
俺たちのことを、データを運ぶ装置かなにかだと思っているような態度だ。
「所見? デカい肉でしたよ。ほかに説明のしようがない」
「対話はしましたか?」
「世間話くらいは」
「内容は?」
「本体はアメリカの衛星に入ってます。クイーンはその操り人形で。衛星から出たがってましたよ。人道的見地からも、彼女の要求を飲むべきかと思いますが」
すると彼は少し不快そうな表情を見せた。
この程度の情報は、おそらく最初から把握していたはずだ。
「ほかになにか気づいた点は?」
「さあ」
「まあいいでしょう。詳細なレポートは後日提出してください。フォーマットはこちらで用意しておきます」
*
バスで本部まで運んでもらった。
表向きは「進化ダイバーシティ研究センター」なる第三セクターだが、俺たちはそこをサイキストの本部として使っている。
定時はとっくに過ぎているが、センター長の各務珠璃はまだ残っていた。
ふわふわした印象の若い女性だ。もとは俺たちをハメたツアーガイドだったが、いろいろあった結果、いまは俺たちのボスをやっている。
いつもは柔和な笑みを浮かべている彼女も、今回ばかりは浮かない表情だった。
「お帰りなさい。疲れたでしょう。報告などは明日で結構です。今日はこちらに宿泊してください」
社会で暮らせないシスターズのために、生活スペースが用意されている。大人数でも寝泊まりすることが可能だ。
俺たちが生活スペースへ向かうと、シスターズも受け入れてくれた。とはいえ、みんな状況を把握しているらしく、浮かない表情だったが。
「お帰り。あの……」
ショートカットで活発な印象のアッシュがこちらへ駆け寄ってきた。しかし言葉が続かない。
俺は「ただいま」と応じ、頭をなでた。
先に彼女が対応に困ってくれて助かった。もしそうでなければ、俺のほうがしどろもどろになっていたはずだ。
シャワールームで思う存分身を清めたあと、患者着のような浴衣に着替えた。あとは雑魚寝して、明日になればレポートとやらを書くことになるだろう。
いや、その前に――夢の中で、餅の傷つけられる様子を見せられることになる。
できれば眠りたくない。
特に食欲もなかったが、俺は携行食をひとつ手にとった。栄養のあるチョコレートバーだ。齧ると想定通りの味がする。
壁際に座り込んでひとりでメシを食っていると、体からケーブルを生やした少女が近づいてきた。機械の姉妹だ。俺たちと同じ浴衣姿で、髪は上で団子状にまとめている。
「なにか手伝えることはありますか?」
表情は乏しいし、口調も平坦だが、俺たちのことを心配してくれている。
「君の力で、アメリカの衛星をなんとかできないか?」
「残念ながら、ただでさえセキュリティも厳しい上に、現在制御不能ですので。オンラインでの制御は不可能と思ったほうがいいでしょう」
「かといってオフラインって言っても……」
アメリカはミサイルをぶつけるつもりでいる。もしそうなればガイアは死ぬだろう。クイーンは制御不能となり、怒りを抑えきれなくなった彼女は躊躇なく餅を殺害する。
つまり俺たちは、アメリカがミサイルを撃ち込む前に、なんらかの方法で宇宙へ出向き、衛星をキャッチして地上まで運ばなければならないわけだ。
チョコレートバーをボロボロこぼしながら食っていると、自分が無力なガキのような気がしてくる。
機械の姉妹はさすがに苦笑した。
「相当頭がやられているようですね」
「もっと優しく言ってくれ」
「いつものあなたなら、もっといろいろアイデアが出てくると思うのですが」
「俺もそう信じてたよ。けど、ダメだった。俺は自分で思ってるほどマシじゃない。二三回うまくいっただけの、ただのバカだった」
これは自虐じゃない。正当な評価だ。
機械の姉妹は「ちなみに、さっきからこぼれてますよ」と指摘してきたが、俺は構わず食事を進めた。
「やる気まで失ったのですか?」
「そう言わないでくれ。今日はいろいろありすぎた」
「私の知っている二宮渋壱は、もっとクレバーな人物だったと思うのですが。まあいいでしょう。ひとつヒントを進呈します。衛星を直接制御しようと思うから詰まるのです。他の方法をもってすれば、制御も不可能ではないはず」
なにを言っているのやら。
そんなヒントではなにも分からない。
直接じゃないとしたら、間接だ。俺たちも衛星を打ち上げて、それで回収するという方法しかあるまい。そしてそんな金も時間もないし、政府もたぶん乗ってこない。ゆえに不可能。先にミサイルが直撃する。
彼女はこう続けた。
「分かりませんか? 私たちが制御するんじゃありません。『13-NN』に制御させるんです」
それは水槽の少女、ガイアの個体番号だ。
やはり無茶を言っている。ガイアが制御しているからこそ制御不能だというのに。
「なにも思いつかない」
「では模範解答です。地上からサイキック・ウェーブを送り、衛星内部の生体部品を書き換えるのです。私たちの命令を聞くようにね。『13-NN』は消滅しますが、代わりに別の人格が誕生します。餅は助かりますよ」
「……」
あまりの感動にチョコレートバーを落としそうになった。
餅を救出できるだけでなく、衛星とクイーンを自由自在にコントロールできるようになる。
おそらくは完璧な提案だ。
俺がガイアも助けたいと思っていなければ、だが。
全員救おうというのはエゴなのだろうか。あるいは力も知恵も不足している俺には、分不相応な望みなのだろうか。
(続く)




