自称マーキュリー容疑者
休憩を終え、調査の再開。
俺は先頭を歩き、ダンボールの壁に銃弾を二発撃ち込んだ。標的が見えずともサイキック・ウェーブで分かる。変異体がいた。誰かのペットだったのか、野良だったのかは不明だが。
鐘捲雛子が眉をひそめた。
「いるなら撃つ前に言って」
「次からそうする。それより、定点についたぜ。計測しよう」
とはいえ、わざわざ「計測しよう」などと呼びかける必要はなかった。後続の白坂太一はずっと計測器を手にしていた。
「ポイントD、レベル1です」
ごく微量だ。
さっきの変異体を生かしておいたら、その影響でレベル2くらいにはなったかもしれないが。まあ誤差の範囲だ。今後も0から2の間で推移していくことになるだろう。俺がフルパワーを出したら5まであがるかもしれないが、ただの作業妨害になるのでやらない。
「あの、食べ物を……」
痩せこけた老人が申し訳無さそうに近づいてきた。
銃を向けたりはしないが、俺は強めに拒否することにした。
「悪いけど、よそ当たってくれ」
俺のような人間でも、困ってる人を見たら助けるよう親から教育されている。しかしここで全員にモノを分け与えていたら、三秒で素っ裸になる。それに、俺は自分の用事で来たわけじゃない。金をもらって仕事で来ている。予定外のことをするわけにはいかない。
老人は心底落胆した表情で立ち去った。
鐘捲雛子も白坂太一も困った顔をしている。
しかし政府は、過去に何度も退去を促してきた。住民たちは、好きでここに住んでいるのだ。その選択の結果を引き受けるべきだろう。
*
計測ポイントはフロアごとにAからGまで存在する。
三階の調査を終えた段階で、レベルはどこも1を超えなかった。まだまだ地獄の一丁目というわけだ。
政府の用意した計測器はレベル10までしか測れないので、ぜひともこのビルの支配者には10以下でやっていただきたいと思う。あんまりヤバいとキャンセラーでも防ぎきれなくなる。電池だってもたない。
さて、そろそろ三階を切り上げて、四階を目指すか、となったとき、ひとりの子供が近づいてきた。見た目は小学生かどうかといったところ。ボサボサ髪は親に切ってもらったのかずいぶん不揃いで、服も薄汚れてボロボロだった。
彼はもっとも歳が近いと思ったのか、あるいは女性のほうが安心だと思ったのか、鐘捲雛子へ近づいていった。
「オモチャ、とられちゃった」
「オモチャ?」
鐘捲雛子は刀の柄に手をかけながら、一部の隙もなく聞き返した。
本当に隙がなさすぎる。
動揺した子供は、すると俺を見てまた不安そうな表情を浮かべ、それから白坂太一へ近づいていった。
「あの、オモチャ、とられちゃって……」
「どんなの?」
白坂太一は少し身をかがめ、目線を合わせた。じつに面倒見のいいことだ。
少年はようやく話が通じると思ったのか、興奮して鼻をふくらませた。
「えっと、ロボットのね、でも足が片っぽなくって、肩が尖ってて、それで……」
「誰にとられたの?」
「マーキュリー」
「そういう名前なの?」
「うん。泥棒なんだ。みんな言ってる。絶対あいつがとったって思う」
ただの被害妄想でなければいいが。
いや、もし実害があったのだとして、これは俺たちのビジネスじゃない。
なのだが、白坂太一は会話を切り上げなかった。
「その人がどこにいるか分かる?」
「うん。五階にいるよ」
住所までバレてるとは、ずいぶん堂々とした泥棒だな。もっとも、ここには警察などいないのだから、問題が起きても個人間でカタをつけるしかない。そしてまだカタがついていないところを見ると、そこそこヤバいヤツなんだろう。
白坂太一は笑みを浮かべた。
「じゃあ、もし見つけたら返すよう言っておくよ。それでいいかな?」
「うん」
子供は今度こそ安心したらしく、気の緩んだ顔を見せた。
だがこっちにも聞きたいことがある。
俺は銃をホルスターへおさめ、こう尋ねた。
「少年、君は迷子じゃないよな?」
「えっ?」
「父親は? ちゃんと居場所は分かるか?」
「居場所? お父さんなら家にいるけど……」
となると、この子供はあの女の行ってたのとは別人のようだ。
俺は「ならいい」と会話を切り上げた。
*
子供と別れ、俺たちは階段で四階へあがった。
ただでさえダンボールが積まれていて狭いのに、階段に座り込んでいる人間までいて、ずいぶん移動に難儀した。
四階も雑然としている。
不法占拠者が勝手に仕切りを設置し、自宅にしている。おかげで道が狭くて仕方がない。ゴミも散乱している。風通しは悪くないのに、ずっと人間の体臭がする。
「けど白坂さん、あんなこと言っちゃってよかったの? もし仮に泥棒見つけたとして、そのあと三階まで戻って子供見つけるの大変じゃない?」
俺が世間話がてら話しかけると、彼はやや気分を害したのか、勢いよくメガネを押し上げた。
「二宮さん、冷たすぎますよ」
「俺もそう思うけど、全員の話聞いてたら、いつまで経っても終わらないからさ」
「みんな事情を抱えながらも、必死に生きてるんです。できる範囲で人助けをしたっていいでしょう?」
「いや、まあ、今回のはいいけどさ……」
例のオモチャを持ち帰ると約束したわけじゃない。ただ交渉してみると言っただけだ。交渉決裂したら「やっぱりムリでした」と報告すればいい。
鐘捲雛子まで無言のまま渋い顔をしていたので、俺は話題を変えた。
「しかしマーキュリーだってさ。フレディのほうかな? それともセーラームーンだったりして」
「……」
首をかしげている。
せめてどっちかは分かれよ。分からなくても返事くらいしてくれ。
「えーと、じゃあまたポイントAからね。つーか道どうなってんだよこれ……」
あちこち壁だらけで迷路のようだ。
外部からの送電は止められているが、水道管は引き込んである。水道局がここまで来るわけもないし、仮にバルブを締めたところでまた開けられてしまうから、使い放題なのであろう。
トイレもある。トイレというか、排水管の上に容器を設置しただけのモノだが。
食料さえ手に入れば、なんとか暮らせるようになっているのだ。そしてその食料は、しばしば遭遇する変異体が担っていると思われる。
つまりは共食いのようなものだ。
通常、プリオンがどうとか言われて問題視されるが、かつて同じことをしていた俺たちが平気なのだから、きっと大丈夫なのだろう。食べる部位にもよるのかもしれないが。ある地域のチンパンジーはアカコロブスというサルを食って生きている。当たらなければどうということはない。
病名がカーニバルでなくフェストでよかったと心底思う。
四階の計測も地味なものだった。
基本的には指定のポイントを巡り、数値を計測するだけだ。
計測の邪魔になった民家を一軒破壊し、ついでに頭のアレな住民を三名ほど他界させたが、これもコラテラル・ダメージというものであろう。行政上のやむをえない被害だ。
なにせ彼らは計測ポイントをまるまる占拠していた。だから中に入れてもらおうと交渉したのに、言葉ではなく刃物で返事してきた。それでCz75が火を噴いたというわけだ。
俺は腕利きのガンマンというわけではない。しかし最近、見なくてもターゲットの位置を補足できるようになっていた。これは便利なことばかりじゃない。後ろに誰かいれば、ずっとその感覚を意識し続けることになる。人混みは地獄だ。頭がどうにかなる。
計測器には、GPSの座標と波の強さが記録される。だから記録ボタンを押せば勝手にメモリーされる。操作は白坂太一が完璧にやるから、俺たちは危なそうなヤツを始末していればいい。
このところ、他者の命を奪うということへの躊躇がなくなっていた。
銃を撃つと、そいつの精神の波が一時的に強くなる。おそらくは激痛、怒り、恐怖などの感覚。そして血液が抜けると同時に波も弱まっていき、最後はふっと消え去る。
これが波の満ち引きのように、ある種のリズムとなって伝わってくる。音のない音楽だ。その流れに心を同調させながら、俺は銃を撃つ。波が立つ。人が死ぬ。繰り返し。
過去に強烈な波を受けた影響で、俺もサイキック・ウェーブに関する能力に目覚めた。
そのときに、きっと人格も影響を受けたのだろう。
過剰な波を受けたものは、基本的に人格への影響を受ける。あるいは人格が破壊される。俺はたまたま人格を破壊されなかったが、きっと無傷ではなかったのだ。徐々に蝕まれている。
*
四階での調査を終え、五階へ入った。
このフロアには協力者がいる。もちろんただの善人ではないし、ボランティア団体でもない。政府が事前に金品を掴ませ、協力するよう要請してある人物だ。
通称「食堂の婆さん」。
食堂とはいうが、寝る場所も提供してくれる。ここへ来る前は、五階で寝ることは絶対にないと思っていたのだが。ヘトヘトになった俺たちは、まっさきに食堂を目指した。
場所はGPSで示されている。まっすぐ行けるわけではないのだが、ひたすら家々を迂回していればいつかは到達できる。
やがて指定のポイントに到着。黒ペンキで、ベニヤ板の壁に「飯」となぐり書きされている。たぶんここだろう。ここじゃなかったら、もう探せる気がしない。
ノックすると「あんだい? 入りな!」と威勢のいい声が帰ってきた。
ドアはない。暖簾をくぐると、男どもがカウンター席でメシを食っていた。米がある。麺もある。きっと政府から送られた物資だろう。
入った瞬間、ブルドッグのような婆さんが「ははん」と笑った。
「なるほど、あんたらが政府から来たガキどもだね。奥に行きな。部屋用意してあるよ」
声がデカい。のみならず、「政府」という言葉が出た瞬間、客がぎょっとした。まあ黒の防護服に腕章という時点で、そもそも怪しいんだが。武器も携行している。
俺たちはそそくさと客の後ろを抜け、ベニヤ板で囲まれただけの狭苦しい部屋へ入った。
照明はLED電球がひとつ。
打ちっぱなしのコンクリートに、ダンボールが三つ敷かれただけの簡易宿泊所だ。風呂もトイレもナシ。
鐘捲雛子は文句も言わず、刀を壁に立て掛けて腰をおろした。
俺たちも腰を落ち着け、ほっと息を吐く。
「いま何時? 十九時? はぁー、ずいぶんかかったな。こりゃ二三日じゃムリだぜ」
すると白坂太一も苦い笑みだ。
「一週間あってもムリですよ」
「そんな気がする」
ここには水道があるから、最低限のことはなんとかなる。白坂太一のバックパックにも数日分の携行食がある。あるいはこの食堂で食ってもいい。生活だけはできる。しかし、それ以外はなにもできそうになかった。
婆さんが顔を覗かせた。
「疲れたろ。ほら、水飲みな。電気は勝手に使うんじゃないよ。ブレーカー落ちるからね」
「ありがとう……」
充電ができないのは問題だ。そのうちキャンセラーが使用不能になる。それに、いざというときの衛星電話も使えなくなってしまう。どちらも消費電力が尋常じゃない。
床に置かれたガラスコップには、キラキラとした水が満ちていた。濁りはない。一気に飲み干すと、貯水槽独特の臭みが感じられたものの、まあまあ悪くはなかった。なにより、体が水を欲していた。
俺は寄りかかっても平気かを確認してから、ベニヤ板に背をあずけた。
「充電できないってさ。ちょっと作業ペースあげたほうがいいかな?」
白坂太一は思案顔だ。
「今日ここに到着したのが午前十一時ころですよね? そこから四フロア調査するのに約八時間。つまり一フロアあたり約二時間かかる計算です。このビルが全四十五フロアですから、単純計算で十一日強かかることになります。もっと効率化しないと厳しいですね」
よくできました。
こっちは疲れていて計算どころではない。十一日。その残酷な数字を突きつけられて、完全にやる気をなくした。住民の頼みごとなんて聞いてる場合じゃない。自称マーキュリー容疑者は無視すべきだ。
鐘捲雛子は発言をしない。ただ目を閉じ、姿勢よく瞑想している。いや寝ているのかもしれない。というより、彼女はこういうとき、さも神妙そうな顔をして他人に判断をぶん投げる癖がある。
俺は思わず溜め息をついた。
「本部に連絡して、もう一チーム出してもらおうよ。俺、ヤだぜ、こんなとこに十一日もいるの」
すると薄い壁の向こうから「こんなとこで悪かったね!」と婆さんの返事が来た。
とんだ地獄耳だ。
もう帰りたい。
(続く)