サイキストの休日
自称ウラヌスがなかなか用件を言わないので、俺はあらゆる感情を抑制し、こう応じた。
「二宮です。なにかご用でも?」
彼は神経質そうな眉をひそめた。
「ご用? まあそうだ。用がある。そうでなければ、カロリーを消費してわざわざ君に会いに来たりなどしない。私は忠告に来たんだ。ガイアには近づくべきではないとね」
「そうですか。ご用件は確かにたまわりました。内部で検討してみます」
内部で検討というのは、つまり「帰ったら忘れる」ということだ。こんなのを真に受けていたら、仕事が進まなくなる。
立ち去ろうとすると、俺は肩をつかまれた。
「待ちたまえ。たまわりました? 内部で検討? いかにも政府のイヌが言いそうなことだな。どうせ私の忠告を無視するつもりだろう?」
「正解です。手を離してください。公務執行妨害ですよ」
「公務? なんのつもりだ? ここに政府などない」
「いや、その辺は俺も勝手にしてもらったらいいとは思うんですが、そもそも話に興味がないんで……」
「生意気だな。権力を笠に着て思い上がっているのか?」
「権力もなにも、普通に通行妨害でしょう」
なんなんだ。俺だって政府のゴリ押しには頭に来てるけど、こういうヤツが相手ならダブルスタンダードも辞さないぞ。
彼は不快そうに目を細めた。
「ほう。では暴力に訴えるか? その銃で撃ち抜けば、たしかに私を黙らせることはできるだろう。もちろん知性ある人間の行動ではなかろうがね」
「いいから手を離してください」
「なぜガイアに近づくべきでないのか、知ろうともしないのか」
「なぜなんです?」
銃で撃ったあと下へ落とせば、完全犯罪の成立という気もするが。
彼はやや満足そうに笑みを浮かべた。
「ああ、ガイア……。高貴なる慈愛の聖母にして、無垢なる少女。薄氷のごとき危うさ。交合にも似た濃密な対話。すべてが神秘的。人はロジックを放棄してもいい。いや、積極的に放棄せねばならない。これはアガペーとエロスの両立だよ。もちろん君も啓蒙されたいだろう?」
「日本語でお願いします」
「異物なのだよ、君は。穢れている。ガイアに近づくべきではない」
こいつもカルトか。
コートの下に例のローブを着てたりして。
「それ本当なんですか? 前に似たようなこと言ってたヤツがいて、結局ガイアの手下にぶっ殺されてましたけど」
「彼はガイアの慈愛に背いたのだろう。罰を受けて当然だ。しかし、私は決して背かない。愛! 愛を受け入れる! 私は、私のちっぽけな精神を、すべて彼女に捧げる」
こんな狂信者がいるんだから、ガイアさんもさぞご満悦だろう。なのに、なぜシスターズの花園を攻撃するのだろうか。人はどれだけ愛を得ても、なお欲しがるものなのだろうか。いい加減にしろと言いたい。
「つまり、ここを出ていけってこと? 俺はそのガイアさんに呼ばれてるんですが」
以前も同じような会話をしたなぁ。
彼はふんと鼻を鳴らした。
「知っているとも。ガイアは君と交わりたがっている。だからこそ許せんのだ。こんな醜い精神の持ち主が、私を差し置いてガイアと交わるなど」
「もう行っても?」
「待ちたまえ。まだ話は終わっていない。そう。終わっていないのだ。なぜなら、私は君に提案をしたい」
「じゃあしてくださいよ」
もったいぶりやがって。結論から言ってくれ。そろそろ昼飯にしたいのに。
彼はぐいと顔を近づけてきた。
「グランドクロスだ」
「は?」
「ガイアを囲む四つの星。彼女を祝福するための饗宴だ。私はそれを実現したい。残念ながら、いくつかの惑星は消滅してしまったが。しかし、まだ私がいる。サターンがいる。ヴィーナスがいる。そして君がいる。本来なら君になど頼みたくないのだが、選り好みしていられる状況でもないのでな」
「ヴィーナスさんならさっき死にましたけど」
「……」
彼はきょとんとした顔で、まずは外を見て、またこちらを見た。
「死んだ? なぜ?」
「他のメンバーと同じですよ。木っ端微塵に。パァンって」
「じゃ、じゃあどうやって四人揃えるんだ?」
「知りませんよ。俺もう行きますから」
「ああっ」
手を振り払うと、体勢を崩して彼はその場に崩れ落ちた。
じつに迷惑きわまりない男だ。
そもそも、なんなんだグランドクロスって。みんなで囲んだらガイアは成仏してくれるのか? そしたら調査はやりやすくなるが……。
ここでなにが起きたかはほぼ把握できている。
かつて研究所の水槽に少女がいた。それが事故で下から突き上げられて、精神だけが衛星の生体部品に入り込んだ。そして衛星は波を送り、ビルの屋上にクイーンを生み出した。クイーンは人間を争わせるためフェストを蔓延させた。
以上。
俺たちの仕事は、あくまで全フロア計測することだから、謎が解けたところで帰れないわけだけど。こういうのをお役所仕事というんだろうか。まあ必要なことなのかもしれないが。
*
食堂でミュー丼をかっくらっていると、忍者と中二が入ってきた。
「おお、二宮どの。奇遇でござるな」
忍者はどんと椅子に腰をおろした。
椅子というか、ひっくり返したビールケースだけど。
中二もその向こうへ腰をおろした。
「ここヤバいね。感染者ばっかじゃん」
どちらも返り血を浴びているところを見るに、上で戦闘でもしてきたのかもしれない。せっかくの休日だってのに。
「何階まで行ったの?」
「二十階。なんかカツオ節売ってた」
すると食堂の婆さんがブハハと豪快に笑った。
「ありゃカツオ節じゃないよ! ミュータント節さ! 高級品だから、うちじゃ使ってないけどね!」
どんな味なんだろう。まあ味ってよりは、結局はうまみ成分なんだろうけども。
このふたりは、研究所にいたときから遊びのように変異種を狩っていた。ここでも似たようなことをするつもりなのであろう。
俺は中二に尋ねた。
「受験勉強はいいの?」
「は? 俺まだ高一なんだけど。全然ヨユーだし」
まだ冬休みでもないのにこの作戦に参加したということは、きっと不登校を続けているのだろう。勉強は忍者が教えているのだったか。
*
先に食事を終えた俺は、なんとなくひとりで下へおりた。ジャンク屋の前を通過し、エントランスへ。
住民たちが家もつくらず寝転がっている。
体は冷えないんだろうか。
などと歩いていると、迷い込んだと思しき若者たちに遭遇した。着ている服は小綺麗だし、手にはカメラまで持っている。動画の配信者だろうか。
「いやー、さっそくヤバい雰囲気っすね。人が寝てます。てか死んでるかも。死体とか映したらまずいんだっけ? あとでモザかけまーす」
男女のコンビだ。女のほうは無言で後ろからついてくる。
どこかで見た顔。
たしか、例の研究所にも入り込んできた若者たちだ。
彼はカメラを動かし、こちらを捉えた。
「あ、住人いましたね。ちょっと話聞いてみ……あっ」
慌ててカメラを隠した。
向こうも俺が誰だか分かったようだ。前になにが起きたのかも。
俺が近づくと、彼は「いや、撮ってないんで」などと言い出した。
「また来たの? ここは危ないから……」
「いや、待ってくださいよ。すぐ帰りますから。カメラだけは」
「壊さないよ。前はちょっと気が立ってたし、軽率なことして悪かったとも思ってる。ただ、ホント危ないからさ」
すると彼は信じられないようなことを言った。
「フェストですか? でも普通の感染症じゃないんでしょ?」
「なぜそれを……」
「みんな言ってますよ。だいたい、お巡りさんだってマスクしてないじゃないすか。騙されてんの情弱だけですよ」
「でも危ないのは事実だから」
「スタンガン持ってきたんで」
腰ベルトにぶらさげているバリカンのようなもののことか。食らったら痛そうではあるが。
俺は思わず笑ってしまった。
「いや、危ないってのは感染症のことで……」
「感染するんですか?」
「保護する装置持ってないと、感染する可能性あるから」
「いやー、大丈夫と思いますよ。俺、けっこう運いいほうなんで。ここらで寝てる人も大丈夫じゃないですか」
「……」
「あんま奥まで行きませんから。すぐ帰りますし」
「人を撮るときは、ちゃんと許可をとってからにしてくれるなら」
「大丈夫ですよ。またカメラ壊されたくないし。あれ六万くらいしたのに」
さらっと反撃してきやがる。
まあ六万をオシャカにされたら誰だって根に持つだろうけど。
「分かった。じゃあくれぐれも気をつけて」
「はーい」
言ってもムダだろう。彼の言う通り、必ず感染するわけでもない。上階はもろもろ危険だが、下のほうはまだ治安もいい。
外へ出た。
街はいつものように霧に包まれている。見えるのはほんの少し先まで。
俺はガードパイプに寄りかかり、霧深い景色をぼんやりと眺めた。
少し離れた位置には、彼らが乗ってきたと思しきバイクもある。もともとこの付近の住人なのかもしれない。
本当なら富士山も見えるはずだし、高所からは駿河湾も見渡せるはずなのだが。
大量の水で発電機を冷やしているせいで、水蒸気はおさまることがない。冬だからいいものの、夏場はきっと地獄だろう。
これでエレベーターが稼働していれば少しは移動も楽なのだが、ビル内にはスペースだけあって箱が存在しない。建設途中だし、まだエレベーター会社さえ入っていないのだろう。
体が冷えてきたので、俺はエントランスへ引き返した。
バイクに妙な違和感をおぼえたが。しかし違和感の正体は分からない。そもそも俺はバイクに詳しくない。気のせいだろう。
せっかくの休日だというのに、無為に過ごしてしまった。休日というのは、そもそもそういうものかもしれないが。
時刻は二時になる。なにをするにも半端な時間。あとは部屋で仰向けになって、夕飯の時間を待つしかない。
どこかに本屋でもあればいいのだが。
*
部屋へ戻ると、サターンが暇そうに寝転がっていた。
「あ、やっと帰ってきた。置き去りとかひどくない? あたしが襲われたらどうするつもりだったの?」
もし襲われていたら、こんなにうるさく言わずに済んでいただろうな。
俺はなにも答えず、逆に質問を投げた。
「ふたりは?」
「知るわけないでしょ」
「さっき下行ったら白坂さんがキャンセラー作ってたから、あとで受け取れると思うよ」
「マジで? でもさ、そしたらあたしのことポイするんしょ? イヤだって。殺されちゃうもん」
かといって現地採用はしていないのだが。
俺は溜め息を噛み殺した。ヴィーナスが死んだことは教えないほうがよさそうだ。
「大丈夫だよ。これまでずっとひとりでやってきたんでしょ?」
「やー、でもこうしてみんなといると、安心感? そういうのあるっしょ?」
「こっちも仕事だからさ」
キャンセラーさえあれば、プルートのサイキック・ウェーブは緩和できる。彼女が死ぬことはないだろう。出力にもよるが。
すると彼女は、ずずいと近づいてきた。
「見捨てないでよ!」
「俺に決定権はないんだ」
なにせリーダーではないので。
彼女はさらに近づいてきた。ツナギを着ているから肌は露出していないのだが、顔が近すぎる。
「え? あんたいつも偉そうにしてるのに、こんなことも決められないの?」
「俺は偉そうなだけで、なんの権限もないんだよ」
「は? ださ。じゃあ誰が権限持ってんの? そいつに言ってよ」
「どいつだよ」
「誰でもいいから言ってよ! 言って言って言って! 言ってくんなきゃヤダから! あたし死んじゃうもん!」
ギャーギャー騒ぎ出した。なんなのだこのクソガキムーブは。
するとドアが開き、ふたりが戻ってきた。
正直、俺は助けを求めようと思った。が、鐘捲雛子は鬼の形相になっていた。
「もしかして邪魔だった?」
右手でドアを開き、左手で刀の鞘をつかんでいる。返答次第ではドアごと叩き切られそうだ。
が、彼女の後ろから餅が抱きついた。
「お姉ちゃん、落ち着いて」
「でも鞠ちゃん、このふたり、私たちの部屋で変なことしようとしてる」
「うん……」
いや待て。距離は近すぎるが、まったくそんな雰囲気ではなかったぞ。むしろ俺は彼女を追っ払おうとしていたのだ。彼女も俺に好意などなく、ただ死にたくないだけだ。
鐘捲雛子はようやく入室すると、すっと武士のように正座をし、まっすぐこちらを見つめてきた。
「二宮さん、悪いんだけど、出ていってもらえる?」
「え?」
「その人がいると、鞠ちゃんの教育によくないから」
「いや、彼女はもう追い出すよ」
「でも居座るって言ってたよね?」
ちゃんと聞こえてたんじゃないか。
「だからって、なんで俺まで追い出そうとするの?」
「ひとりじゃ出ていかないんでしょ? 二宮さんが責任をもって対応してよ。私には鞠ちゃんを守るという使命があるんだから」
こいつ、勝手なことを……。
さすがの餅も困惑気味だ。
サターンと同じ部屋で二人きりになったら、絶対アレなことが起こる。いや、相手はそのつもりがないかもしれないが。
やむをえず、俺はこう返した。
「俺たちはチームだ。ワガママは許容できない」
「ワガママ?」
「君は妹のことばかり構って、チームメイトとしての責任を果たすつもりはあるのか?」
「私から鞠ちゃんを奪うつもり?」
「彼女は俺の家族でもあるんだ。自分の所有物みたいに言わないで欲しい」
「所有物……。よくもそんな……」
眼球がぷるぷる動いている。刀に手をかけていないが、それだけに動揺が伝わってきた。
かと思うと、彼女は餅にすがりついた。
「鞠ちゃん! 鞠ちゃんはどう思うの? お姉ちゃんと一緒にいたいよね? ね?」
今日も揃いのおさげ髪にして、ずっと連れ回していたのだろう。失われた日々を取り戻すように。同情はする。しかしたまには譲歩して欲しい。
すると餅はこう応じた。とんでもなく醒めた目だ。
「くだらないわね、下等な人間たち。こんなことでケンカして。ボディーガードなら私が引き受けるから、いつまでも二人で言い合ってなさいよ」
全員、沈黙。
内心キレていたのか。あるいは演技か。その辺は分からないが。
「ま、鞠ちゃん? 鞠ちゃんはそんなこと言わないよね?」
「離れて。いまは鞠ちゃんじゃなくて餅よ」
「ウソだよ……」
「ほら、サターン。行くわよ。あなたがいると、自称姉がうるさいから。二宮さん、あとでキャンセラー持ってきてね。そして用が済んだらすぐ帰って」
そしてサターンの腕をつかんでムリヤリ立たせ、部屋を出ていってしまった。
残された俺たちは、ただその場に居続けるしかなかった。
ドアはすでに閉じられている。足音は遠ざかった。
まあ俺はいい。いいんだが、鐘捲雛子が再起不能だった。崩れ落ちたまま、涙も流さず、目を見開いている。すべてを失ったときの顔だ。
このあと斬られるかもしれない。
いや、斬られないとしても問題だ。メシのときに気まずくなる。
つらい……。
(続く)




