家族
七日目、俺と餅は先行して上階を目指していた。援軍も来る予定になっているが、その出迎えはみんなに任せた。
目的地は三十階、ということになっている。
なのだが、俺は一気に四十五階へ行こうと思っている。
彼女と話をつける必要があるからだ。
二十五階のフロアを移動しながら、俺は餅に話しかけた。
「最近、どうだ?」
「えっ?」
「なんか困ってることとか、言いたいこととかないか?」
「……」
彼女はおさげを両手でつまみ、首をかしげ、「よく分からない」という顔。
俺は仕切り直した。
「いまから四十五階へ行こうと思ってる。もしかすると死ぬかもしれないから、互いに悔いのないようにしておこうと思って」
すると彼女は、「ははーん」と笑みを浮かべた。
「要するに、あなたは愛の告白がしたいのね! いいわ! 好きにして!」
「そうじゃない。まあ君のことは好きだけど……」
計測器によれば、だいたいどこもレベル4程度。
住民もいることはいるのだが、不気味なほど静まり返っている。ほとんどが感染者なのだろう。なぜかいまのところ襲われていないが。
餅はふんと鼻で笑い飛ばした。
「あなたってダメダメね。好きって言ったって、どうせペットかなにかとしか思ってないんでしょ?」
「……」
図星だ。なにせ初対面がバブルスライムだったからな。恋愛対象にするのは難しい。でも好きなのは本当だ。一緒にいたいとも思う。
俺は気まずくなって話題を変えた。
「そういや、メシの量減ったんじゃないか? ダイエット?」
「あー、話そらした! 私、傷ついちゃうから!」
「ごめんごめん。でも、最後になるかもしれないからさ、答えの出ない話は避けようと思って」
「ふーん、そうなの。ぜんぜん納得できないけどいいわ。なんで私の食事量が減ったのか知りたいのね? じゃあおしえてあげる。それはね、代謝が減ったからよ。言わなくても分かってくれてると思ってたのに」
「よく考えたらそうだな」
むかしは変異体の肉を山ほど喰らっていた。なのにいまは人並み。あるいは少食と言っていい。食事量と代謝の関係については考えもしなかった。
彼女は少しうつむいてしまった。
「あなた、あんまり私に興味ないのね……」
「そんなことないよ」
「どうせいまだって、考えてるのは五代まゆのことなんでしょ?」
「たしかに考えてるけど。これから対処しなくちゃいけない相手だし」
正しくは五代まゆ本人ではなく、クローンの実験体だが。とはいえ、四十五階にいるのが傀儡に過ぎないことは知っている。もし本気で彼女を殺そうと思うなら、アメリカの衛星を堕とさねばならない。あるいはサイキック・ウェーブを送りつけて身体を破壊させるか。
餅は溜め息をつき、責めるような目でこちらを見た。
「ペットならいいの?」
「えっ?」
「どろどろに溶けた姿に戻ったら、飼ってくれる?」
「なにを言ってるんだ。あの姿じゃ、寿命が縮むんだろう?」
「それでも相手にされないよりいいもの」
「相手にしてるよ」
「してない」
少し声が大きくなったせいか、通路に座り込んでいる感染者たちがこちらを見た。が、それでも手を出してはこない。敵だと思われていないのだろうか。
俺はむくれる餅の頬をつついた。
「そんなに怒らないでくれ」
「怒ってない」
「君の寿命が縮んだら哀しいよ」
「じゃあこの姿でも愛して」
「いや、そうしたいのは山々だけど……」
手を出すにはあまりに幼すぎる。成長しないのだろうか。急激に代謝していたのに容姿が一定ということは、死ぬまでこの姿なのかもしれない。
「私の家族になってよ」
「家族……。養子ってこと? それとも結婚?」
「なんでもいいから」
なんでもいい、か。
娘でもなく、嫁でもなく、妹でもなく、ただ家族となる。それは不可能ではないのかもしれない。法律のことは分からないが。ペットだって家族の一員になれるのだ。続柄にこだわらずとも、家族にはなれるはずだ。
「分かった。じゃあ家族になろう」
「ちゃんと考えた?」
「考えたよ。この仕事が終わったら一緒に住もう。君の部屋も用意するから」
「……」
黙り込んでしまった。
思いつきで喋ったと思われたか。
彼女はまっすぐにこちらを見つめてきた。ジャージでおさげだから、部活中の学生にしか見えない。
「私、お姉ちゃんがいるの」
「シスターズのこと? 鐘捲さんのこと?」
「鐘捲さん。私、もうお姉ちゃんとも家族だけど、それでもいい?」
「二つの家族の掛け持ちか。まあ俺はいいけど……」
だいぶ自由だな。
俺は鐘捲雛子とは家族にならないし、互いになりたいとも思っていないはず。だから、その二つを一つにすることはできない。
よくよく考えたら、すでにシスターズもいるのだから、これは彼女にとって三つ目の家族ということになるだろう。そう考えると、節操がなさすぎる気もしてしまうが。
「じゃあ決まりね! 私たち、いまから家族よ!」
「分かった。でもシスターズとも仲良くするんだぜ」
「イヤよ!」
全力で拒否されてしまった。
握り拳まで作っている。
「なんでイヤなんだ?」
「アッシュよ! あの分からず屋! 私、絶対謝らないんだから」
「ケンカしたんだっけ?」
「あなたの娘になりたいとか言うから」
そういえばアッシュも家族を欲しがっていたっけ。パパが欲しいと。ただ、彼女の言うパパやママの姿は、だいぶ歪んでいる。担当の研究者から過剰な愛を注がれつつも、一方で虐待を受けて育ったのだ。彼女はそういうものを親だと思っている。
餅は興奮気味に続けた。
「私、言ったの。もし私が二宮さんと結婚したら、あなた私の娘になるのよって。そしたらそんなのバカげてるって言うから。なんでなのよって」
「……」
大変申し訳無いのだが、本当にしょうもない言い合いのようにも聞こえる。いや、本人にとっては真剣なんだろうけど。
「ちゃんと聞いて! あの子、結婚なんてできっこないって言うのよ! 私だって分かってるけど……。でも、なんとかして家族になりたかったから! だって、あんな姿の私に優しくしてくれたの、あなただけだったし……」
たしかに、みんなは彼女を避けていた。会話もできないモンスターだと思われていたせいだ。どろどろの姿で、地面を這い回っていた。ドアの隙間から入ってきたりもする。それでも俺は、機械を使って対話に応じた。なぜか放っておけなかった。
はじめは同情のような気持ちだったかもしれない。しかし相手を続けていたのは、それだけが理由ではない。彼女との対話は、少し楽しくもあったのだ。俺の持っていないものを持っていた。彼女は研究の「失敗作」だったかもしれないが、完全に開き直り、不幸を謳歌していた。その生命力は、見ていて眩しくもあった。
「大統領は? 優しくしてくれたんじゃないの?」
「うん。あの人もみんなと同じく接してくれた。でも、なに考えてるか分からなくて、ちょっと怖かったわ」
同じ遺伝子を持つ姉妹なのに、そんなふうに感じていたとは。
大統領を自称していたテオは特別な存在だった。研究における唯一の「完成品」だ。しかし代謝が早すぎたため、すでに寿命を迎えてしまった。代謝を遅らせる方法もあったのだが、間に合わなかった。
彼女は、研究所のツアーに翻弄されていた俺たちを保護してくれた。
なのに、こちらは彼女を守れなかった。彼女が守りたかった変異種たちも。のみならず、出くわせば即座に射殺するようなありさまだ。恩を仇で返している。
しかし大統領は、決して俺たちを責めたりしない。夢の中で再会する彼女は、いつも冷静で、そしてただ静観している。あきらめているのかもしれない。
彼女は強制的に進化させられた人類だ。俺たちより知能が高い。なにが見えているのかは、俺には分からない。ただ、俺たちだってチンパンジーにはなにも期待しない。だから彼女も、俺たちには期待していないのかもしれない。
階段をあがり、二十六階へ入った。
クイーンの放つサイキック・ウェーブは、さほど脳へ浸透してこない。神経を研ぎ澄ましてもイメージは不明瞭。ただでさえ距離が離れている上に、もともとぼんやりとした内容なのだろう。なにも読み取れない。
このくらいならキャンセラーなしで行動できる。
そう。
俺たちは三つしかないキャンセラーの一つを所持していた。それも、小型の正規品だ。性能がいい。少なくともレベル10まで対処できる。
「なあ、餅よ。戦いは得意なんだよな?」
心配になってそう尋ねると、彼女は「ふふん」と得意顔になった。
「なに言ってるの? ジュピターを倒したのはこの私よ? もちろん強いわ。あなたよりもね」
「痛がってたみたいだけど、平気なのか?」
すると餅は、下から覗き込むように煽ってきた。
「なに? 心配してくれてるの?」
「いちおうね」
「ありがと。まあ痛かったけど、ぜんぜん平気。回復力が高いの。腕がちぎれてもくっつければ治るし」
「分裂できるんだっけ?」
「見たい? ちょっと血が出るけど」
「いや、いい」
そこらの人間よりはるかにタフということか。もし戦闘になっても、あまり気にせず戦えそうだ。むしろ俺のほうが危ない。いざとなったら彼女を盾にして戦わせてもらおう。悪意があって言ってるんじゃない。適材適所だ。もし俺のほうがタフなら、俺が盾になる。
「ちぎれても治るのは、腕だけなのか?」
「脳と内臓以外なら大丈夫だと思う。でも変なこと求めないでね。アブノーマルなのは引いちゃうんだから」
「そんなこと考えてないよ」
まあ、世界のどこかにはそういうのが趣味のヤツもいるかもしれないが。そんなヤツは近づかせないから安心して欲しい。
*
そして二十九階。
次第に波が強まってきた。うっすらと脳への浸透が始まっている気がする。集中すれば映像も見えそうだ。ほぼ気にならない程度だが。
上に発電所があるため、湿度も高い。ときおり水滴が落ちてくるし、天井からは小さな鍾乳石のようなものが伸びている。
ふと、猛スピードで駆け寄ってくるものがあった。
感染者だろうか。それともオメガ種か。
俺はとっさに銃を構えた。
「いやいや、ちょっと待って! ステイ、ステイ! 撃たないで! てか助けて!」
えーと、このギャルのような女は……たしかサターンだったか。血まみれのツナギを着ている。サイキウム集めの最中だろうか。
彼女は神妙な表情で言った。
「いやマジで」
「なにがマジなんだ」
「助けてよ」
「分かったから。具体的にどうすればいいのか教えてくれ」
「えーと、だから、なんでか知らないけど、サイキック・ウェーブが安定しなくなってるっぽいの。前は四十階くらいまでヨユーだったのに。なんで? あたし死ぬの?」
自発的に死ぬ可能性は低いが、殺される可能性はあるな。
俺は溜め息を噛み殺し、できるだけ冷静にこう尋ねた。
「完全に消えた?」
「ううん。少し出る。でも三十六階が限界。それ以上はミリ」
ミリか。なら仕方がない。
ここは手を貸してやるべきか。
ひとつよくない取引を思いついてしまったが……。また仲間たちに白い目で見られるかもしれないな。
「マーズとネプチューンが死んだのは知ってるかい?」
「し、知ってるけど……」
目を泳がせてあきらかな動揺。
ということは、その理由も薄々察しているようだな。だからこそ俺たちに助けを求めた、ということか。
「じゃあ話が早い。あの二人は、プルートって少女に殺された。サイキック・ウェーブでね」
「やべーじゃん……」
「やべーんですよ。ただ、俺たちは対抗手段を持ってる」
「対抗手段? マジで? 教えてよ! あたし、なんでもするから!」
ほう、なんでも?
俺はこう続けた。
「波を打ち消すキャンセラーってのがあってね。サイキウムさえあれば自作できるんだ。ま、提供してくれるってんなら作ってやれないこともないけど……」
「するする! 提供する!」
「あと、できれば彼女の服と、サングラスも返して欲しいな」
「返す返す! 秒で返すから!」
命がかかっているだけあって聞き分けがいい。
俺はさらにふっかけた。
「あー、あとは、ジャンク屋のオヤジが材料を気前よく提供してくれるか怪しいから、交換できるようなモノがあれば提供して欲しいんだけど」
「なんでも出すから! お願いだから見捨てないで!」
「交渉成立だ」
しかしそうなると、今回は下へ戻らざるを得なくなる。ぼやぼやしている間に彼女の機能が失われたとあっては……。いや、特に困らないが。まあ服を返してくれるというのだから、助けてやってもいいだろう。
彼女だけじゃない。ほかの惑星だって狙われる可能性がある。とはいえ、あとはヴィーナスくらいしか出会っていないが。把握しきれていない惑星については、いまはどうしようもない。
サターンが地団駄を踏み始めた。
「早く行こ? ね? 早く! 死んじゃうから!」
「分かった分かった」
誰だって木っ端微塵になるのはイヤだろうしな。俺だって目の前で破裂されるのはゴメンだ。冷たいシャワーで流すのにえらく苦労した。ヘタすると風邪を引く。
ふと見ると、なぜか餅がニヤニヤしていた。服を取り戻せて嬉しいのかもしれない。
俺は曖昧な笑みで返して、進行方向を変えた。
さて、また我らのメカニックに一仕事してもらわないとな。人助けだと思えば、彼も手間を惜しむまい。
(続く)




