祝祭の喪失
五日目の朝を迎えた。
もし要領のいい人間ならば、仲間を出迎える前に、キリのいいところまで調査を進めるのかもしれない。しかし俺たちは怠惰なので、メンバーのやってくる午前は作業をしなかった。上の空で作業をして、怪我などしたら本末転倒だ。
俺たちは外へ出て、深い霧の中、メンバーの到着を待った。
霧というか、正しくは湯気なのだが。
やがて、やや離れたアスファルトの道路へ、ヘリコプターが降下した。
波の感じからすると、シスターズではないようだ。普通の人間がやってきただけでは、それが誰なのか目視するまで分からない。分かるのは、ただ「いる」という気配だけ。
到着したのは二名。
かすかに浮かび上がるシルエットから察するに、女性のようだ。なにやら言い合う声がする。
「なにも見えないね」
「あんた、そのサングラスとったら?」
「とったら見えるの?」
「見えないけど」
次第に姿がハッキリしてきた。
黒の防護服に緑の腕章をしているから、増援であることは間違いない。
ひとりは見知った顔。円陣薫子。研究所を巡るツアーで一緒だった女だ。戦闘力は高くないが、しかし堅実に仕事をする。なるべく地味に生きることを趣味にしている変わった女だ。友人の借金について悩んでいるという話だったが、その後どうなったことやら。
もうひとりは……見知らぬ顔だ。スラリとしたモデル体型の女。彫りの深い顔立ちに、大きなサングラスがよく似合っている。ウチに入った新人だろうか。
その見知らぬ女が、ヒュウと口笛を鳴らした。
「薫子、いたよ」
「見れば分かる」
円陣薫子は言いながら、こちらへ駆け寄ってきた。
「ずいぶんケムい場所ね。だいたいの話は聞いてるけど、具体的になにをすればいいのか教えて」
サクッと本題に入ってくれるのは嬉しいが、もう少し前置きがあってもよかろう。
俺はつい笑い出しそうになり、こう尋ねた。
「そちらの女性は?」
すると円陣薫子ではなく、本人が応じた。
「これは失礼。新人アルバイトの坂上アイシャよ。薫子に誘われて、今回だけ参加させてもらうことになったの。よろしくね」
新人というには、あまりに堂々としている。
そして手を伸ばしてきた。
握手したほうがいいのだろうか。などと困惑していると、彼女はなかば強引に握ってきた。さらに他のメンバーとも「よろしく」と握手していった。
彼女はフッとシャープな笑みを浮かべ、こう続けた。
「五歳になるまで紛争地域にいたの。銃の扱いは任せて」
その歳で銃の扱いに自信があるとは。現地でだいぶ訓練されたようだ。
円陣薫子が補足した。
「先に言っておくけど、こいつが前に言ってた借金女ね。また借金増やしてさ。少しでも働いて返して欲しいわけ。とにかく、こいつの面倒は私が見るから、みんなは気にしないで。エサも与えないで」
この話を、坂上アイシャはにこにこしながら聞いていた。まるで他人事だ。
地味さを極めんとする女と、そんなのお構いなしに目立ってしまう女。凸凹コンビといったところか。まあ死なずに仕事をしてくれるならなんだっていい。
円陣薫子はレッグバッグからバッテリーを取り出した。
「これ、予備のバッテリー。充電できないんでしょ? 早く終わらせましょ」
「ありがとう。助かるよ」
手ぶらで参加したどこかの餅とは違い、じつに有能だ。
俺はバッテリーを白坂太一へ渡し、こう続けた。
「調査はまだ十階までしか終わってない。だから二人には、作業を分担して欲しいんだ。俺たちはポイントAから計測するから、君たちはポイントGから計測してくれないか」
「分かった。で、キャンセラーもらえるって聞いたんだけど……」
すると白坂太一が肩からかけていた箱を差し出した。
「これです」
「これ? なに? 中に入ってるの?」
「いえ、これがキャンセラーです」
「……」
紐をつけて肩にかけられるようにしたのはいいが、やはりデカい。ちょっとしたバッグほどもある。
円陣薫子は眉にしわを作っている。
「あの……えーと、動くの?」
「動きますよ! ちゃんと試験もしました!」
「えー、でもこれ……デカくない?」
「僕の技術じゃ、小型化に限界があって……」
「どう操作するの?」
「あのぅ……じゃあ分かりましたよ。そんなに言うならこっち使ってください」
気分を害したのか、白坂太一は小型機のほうを渡してしまった。
いや、いいんだ。自信作をそんなふうに言われたら、誰だって気分がよくないだろう。俺は君の作ったキャンセラーを信じるよ。
円陣薫子は露骨にほっとした顔だ。
「悪いわね。じゃあ遠慮なく」
生死を分ける可能性があるから、信頼できる道具を欲しがるのは悪いことではない。もう少し仲間を信用して欲しかったところではあるが。
さて、作業再開だ。
などとエントランスへ引き返すと、謎の白ローブ集団に道をふさがれていた。十数名はいるだろうか。
「止まれ! 止まるがいい、愚かなる不信心者どもよ!」
彼らの目は、あきらかにこちらへ向けられている。
こんなところにもカルトが……。
いや、こんなところだからこそ、か。
近所のホームセンターからパクってきたものだろうか。信者たちは短い草刈り鎌で武装している。
ローブの中央に描かれた五つの円形は、おそらくグランドクロス。
教祖とおぼしき中年男性だけは武装しておらず、大きく両腕を広げている。サイキック・ウェーブがまったく感じられないところを見ると、あえて抑え込んでいるのだろう。並の人間なら少しは出てしまうものだ。完全に消せるのは、ただの人間ではない。
坂上アイシャがフッと笑った。
「えーと、こういう人がいたら、撃っていいんだっけ?」
円陣薫子が顔をしかめた。
「やめて。笑えないから」
まったくだ。撃つのは話を聞き出してからにして欲しい。いや、できれば撃たないのが望ましいが。
なんでもかんでも暴力で解決していては、社会復帰できなくなる。俺はIT企業に再就職したいのだ。銃に頼ってはいられない。
仲間たちが押しつけ合うふうだったので、やむをえず俺が代表してカルトに尋ねた。
「おっしゃる通り、愚かな不信心者のサイキスト、二宮渋壱です。あなたがたは?」
すると男は不快そうに顔をしかめた。
「ガイアを讃えよ! ガイアを讃えし我を讃えよ! 我は祝祭の塔の守護者にして、ガイアの声を聞きしもの。名をばマーズと言う」
どちらも讃えたくない場合はどうすれば。
彼は恍惚の表情で天を仰いでいたかと思うと、ふと我に返り、興奮気味にツバを飛ばしながらこう続けた。
「愚かもの! 頭が高いぞ! 塔に住まう民は、等しくガイアの子なり! その子らを殺めし汝らの罪、決して軽くはないぞ!」
「こちらも仕事なので」
「なにが仕事か! カネなどという不浄なもののために、命を奪って回るのか! 恥を知るがいい!」
「恥? それを知ったら通してもらえます?」
「黙れ黙れ! ガイアが哀しんでおられるのが分からぬか! 即刻、我らの神聖なる塔から出ていくがよい!」
でも仕事を放棄したら違約金を払うことになるから、俺だって哀しいんだよなぁ。
いや、それ以前に、彼の言うガイアとやらは、俺と会いたがっていたような気がするのだが。考えを改めたのだろうか。あるいは自称マーズが思いつきでフカしているだけか。
意見を求めんとして、俺は仲間たちへ振り返った。
なのだが、白坂太一はまっさきに目をそらし、鐘捲雛子はハナから目を閉じていた。餅はキョトンとしている。円陣薫子は早くカタをつけろとばかりの目つきだし、坂上アイシャは第三者のように状況を楽しんでいる。
みんなもっと自分のことだと思って問題に取り組んで欲しいな。
まあ、勝手にリーダー面してる俺も俺だけど。
とはいえ、なぜリーダー面をするのか、俺なりに理由がある。
金がもらえるとか、パワハラし放題とかいうのでない限り、たいていの人間はリーダーを引き受けない。余計な仕事が増えるだけだからだ。しかし互いに譲り合っていては、重要なポジションが空白のままとなる。だから俺は、一円にもならないのにこういう役を引き受ける。誰かがやらないと余計なマイナスが出る。
仲間にしてみれば、もっと有望なリーダーのほうがいいのかもしれない。もしそう思うならば、思った人間が立候補して欲しい。誰かが行動してくれるなら、俺はいつでも身を引く。
べつに自己犠牲を気取りたいわけじゃない。そうしたいと思える仲間たちだからそうしているだけだ。どうでもいい集まりなら、俺だって後ろでじっとしている。
俺は、自称マーズのように両手を広げた。相撲やレスリングで決着をつけたいわけではない。武器をとらないというジェスチャーだ。いわばホールドアップだな。
「仕事なんです。帰るわけにはいかない」
「死の制裁があるぞ」
「その前に交渉がしたい」
「話す価値があるとは思えないが」
好き放題言ってくれる。
俺は思わず笑った。
「確認したいんですが、あなたさっきなんて言いました? ガイアは哀しんでる? だから消えて欲しい? ガイアってのは、上にいる女性ですよね? じつは俺、彼女に呼ばれてるんです。帰って欲しいなんて言われてないんですよ」
すると予想外なことに、信者たちがざわめいた。
俺の発言を、素直に受け入れてくれたのだろうか。まあこちらもウソは言っていないが。
自称マーズは「し、静まれい! 静まらんか!」と見るからに狼狽。
「この男はウソをついておる! ガイアが呼んでいるだと? バカバカしい! 汝のような下賤に、ガイアが御言葉をくださるはずがない!」
「俺を信用できないなら、それでも構いませんよ。ただ、九階のヴィーナスさんがそう言ってたんだ。ウソだと思うなら彼女に聞いてみてくださいよ」
またざわめいた。
この男、あまり信用がないのかもしれない。
自称マーズは地団駄を踏んでの大激怒だ。
「ええい! 静まれ静まれ! 静まらんかーっ! し、しず、静まれーいっ! 静まれ静まれーいっ! カーッ!」
こんな教祖で大丈夫か?
信者のひとりが、おずおずと前に出た。
「あの、先生。お言葉ですが、やはり他の惑星と連携したほうが……」
「なんだと? 我を信用できんのか!? ガイアは哀しんでおられるぞ! ガイアを讃えよ! ガイアを讃えし我を讃えよ!」
「いえ、でもですね……」
「カーッ!」
ダメだこいつ。
追い詰められるとすぐ怒鳴る。信者たちも困惑しているぞ。
さては、このところ信者たちの評判がよくなくて、それを払拭しようと俺たちを悪者に仕立てているのでは。
哀しいことに、人間というのは、外部に敵を作ればひとまず結束する。
俺は思わず溜め息をついた。
「分かりました。じゃあ一回だけでいいですから、ヴィーナスさんに確認とってきてください。もし彼女が違うことを言ったら、おとなしく退去しますよ。ただ、もし彼女が俺と同じことを言ったら、そのときは自由にさせてもらいます。これでどうですか?」
信者たちも同意するようにうなずいている。
が、自称マーズは首肯しない。
「ならぬ……。ならぬぞ! あのような女の口から出るものなど、穢れているに決まっておる! 不信心者の言葉に耳を傾けるでないぞ!」
露骨に怪しい。
同じ惑星仲間だろうに。なぜ聞かない? 聞きたくない理由でもあるのか?
「じゃあサターンでもネプチューンでもいいんで、とにかく誰かに確認してみてくださいよ。俺の話がウソかどうかすぐ分かるから」
「黙れ黙れ黙れーっ! こ、この男は我らを惑わそうとしておるぞ! おお、ガイアよ! なぜかような試練をお与えなさるのか!」
「こっちからもひとつ確認してもいいですか?」
「ダメだ! よくない! 黙れ! 口を開くな!」
「あなた、もしかして能力失ってるんじゃ……」
「ああっ……」
態度に出やすいなこいつ。
さっきからずっと興奮しまくっているわりに、まったく波に変動がなかった。頑張って抑制しているようにも見えない。これらを総合すれば、彼が波の機能を失っていると推測できる。
まあ図星なんだろう。自称マーズは白目になっている。
信者たちも「やっぱりか」だとか「怪しいと思ったぜ」だとかぶつぶつ言い出す始末。おそらく普段から怪しまれていたのだろう。
信者の一人が自称マーズへ詰め寄った。
「先生、ホントのことを言ってくださいよ。きちんとガイアさまと対話できているんですか? もしできるのなら、いまなんとおっしゃってるんです?」
「えっ? お、愚かものーっ! 神聖なるガイアの御言葉を気安く欲しがるでない! 無礼であろう!」
「それでも、なにか証拠を示してくださいよ」
「ガイアを讃えよ! ガイアを讃えし我を讃えよ! カーッ!」
会話になっていない。
信者たちもうんざり顔だ。
「なんだこいつ、イカサマのペテン野郎かよ」
「バカらしい。やってらんねーな」
「解散! ヴィーナスさまンとこ行くぞ」
かくして鎌を持ったローブ集団は、ぞろぞろとエントランスから立ち去ってしまった。
残されたのは自称マーズのみ。
がっくりとうなだれて、この数秒でひとまわり縮んだようにさえ見えた。あまりに寂しい後ろ姿だ。
「じゃ、俺たちも行っていいですかね?」
「待てぇい……」
粘つくような声が出た。
まだなにか用なのか?
ゲッソリ顔の自称マーズは、恨みがましい目を向けてきた。
「あったのだ……本当に、最初は力があったのだ……なのに、急になにも感じられなくなって……」
「お気の毒に」
「信者たちも、我を慕って、先生、先生と……」
「転職したらどうです? じつは俺も次の仕事探してるところで」
「……」
しかしどういうことだろう。
彼は一時的にせよ、感染者だったのであろう。しかし、いつしかサイキック・ウェーブを操ることができなくなってしまった。
フェストから治ったのだろうか?
いや、治ったにしては波がショボすぎる。並の人間よりも。あまりに存在感がない。
そのとき俺は、ふと、似たような存在を思い出した。
自称ネプチューンだ。
あの女も急に物陰から急に出てくる。俺が油断しているせいで気配を感じられないのだと思い込んでいたが、たぶん違うのだ。彼女も機能を失っている。だから存在に気づけなかった。
彼らの体内でなにかが起きている。
フェストに感染したのに、もとの人間に戻っているのだ。
治療法があるというのなら、俺も興味はある……。もし治れば、眠っている間に余計な介入を受けずに済むのだから。
(続く)




