ハロー、サイキスト!
祝祭、祝祭、祝祭、祝祭、祝祭……。
そんなことにいったいなんの意味があるんだ。エピキュリアンじゃあるまいし。ウソでもいいから快楽が欲しいのか。
俺はCz75を構え、仲間たちとともにフロアを移動した。
建設途中のまま放棄された超高層マンションだ。まるでスラム街のように、ここにはおびただしい数の不法占拠者が住んでいる。まともなのもいるが、しかし半分くらいは正気を失っている。
住民はダンボールや板を持ち込んで、好き勝手に自分の部屋を作っていた。おかげで視界が遮られ、不意打ちを食らうことがある。
いまも鐘捲雛子が抜刀し、鋭い一閃を見せた。「あぎゃあ」と野太い声があがり、床に腕が転げ落ちる。「ヴィクティム」と呼ばれる感染者だ。彼女は返す刀で逆袈裟に斬り、そいつを絶命させた。フロアに赤い血液が広がってゆく。
このところ「フェスト」なる奇病が、静岡を中心に蔓延していた。
感染したものは自我を失い、他者を攻撃し始める。あるいは同じくフェストに感染させ、仲間にしてしまう。ウイルスや細菌で感染させるのではない。精神の発する波「サイキック・ウェーブ」を浴びせて変異させる。
この「サイキック」は単に「精神の」という意味であり、超能力ではない。
政府によれば、フェストはこのビルを中心に広がっているという。つまりは発生源がどこかにいる。
そこで調査のため派遣されたのが、俺たち「サイキスト」だ。
役人じゃない。民間企業だ。サイキック・ウェーブへの対抗策を有しているから、それで政府に雇われた。
目的はあくまで調査なので、発生源を殺す必要はない。ヴィクティムを皆殺しにする必要もない。しかし無事に帰ろうと思うなら、おそらく彼女らを死体にすることになるだろう。
エレベーターは機能していないから、階段での移動となる。しかしその階段も住民に塞がれていたりするから、あっちこっち迂回しなければならない。
店もある。
なんだか分からない食材を売っている店や、床屋、歯医者、整骨院。どれも法令に則っているとは思えないものばかりだ。
なにに使うつもりなのか、白骨を回収して回る老婆もいる。
襲ってこない限り、こちらから住民を殺害することはない。弾がムダになる。
俺たちは黒の防護服を着込み、腕章をつけている。俺は銃撃担当。鐘捲雛子は刀による接近戦担当。そして白坂太一はメカニック兼荷物持ち。
この三名が調査隊のフルメンバーだ。ほかは本部でサポートという名の留守番をしている。
あくまで調査が目的だから、俺たちは各フロアでサイキック・ウェーブの強度を計測しなければならない。計測する場所はGPSで座標が指定されている。位置情報などもすべて機材に記録されるから、ゴマカシがきかない。
作戦開始からすでに三時間が経過している。
四十五階まであるというのに、まだ三階までしか到達できていない。日帰りできるとは思っていなかったが、予想外に長引きそうだ。
「ちょっと休憩しようぜ」
俺は壁際に置かれたベンチへ向かった。
いろんなヤツが勝手に改造しているから、そこが通路か部屋かは分からない。ともかく壁があり、ベンチがある。腰をおろして一息つくには十分だ。
ふと天井を見上げると、むき出しの配線がバチバチと火花を散らしていた。
*
ここへはヘリで来た。
出発が九時。到着がだいたい九時半ころだったように思う。
ヘリの窓から眺めた眼下の景色は、もうもうたる冬霞に覆われていた。
なぜかビルを中心に湿度が高くなっているらしい。富士山もそう遠くない位置にあるし、誰かが温泉でも掘り当てたのかもしれない。
ともあれ、濃霧が静岡一帯を覆っており、そのもやの中に例の超高層ビルが浮かび上がって見えた。
未完成のまま放置され、完成の目処も立っていないのだという。先日、謎の変異体が街にあふれたせいで、工事どころではなくなってしまったのだ。
のみならず、警察がなかば機能不全なのをいいことに、そこに住み着いたものたちがいた。はじめは変異体から逃れるためのシェルターとして使っていたのだろう。やがてコミュニティが形成されると、さらに人が集まり、ちょっとした街のようになった。
俺は景色にうんざりし、機内へ向き直った。
すると鐘捲雛子と目が合った。肩まである髪をおさげにした女だ。小柄なせいもあり、かなり幼く見える。が、これでも成人している。
「二宮さん、大丈夫なの?」
「えっ?」
いきなりダメ出しされてしまった。
まあ理由は分かっているが。
俺がとぼけていると、彼女は眉をひそめた。
「ちゃんと眠れてる?」
「たぶんね。ちゃんとってのがどの程度なのか思い出せないけど」
このところよく眠れていなかった。
悪い夢を見る。
楽園が破壊される夢だ。安らかな花園に遊ぶ少女たちを、大地から這い出した黒いものが八つ裂きにする。そいつは大地を割り、空を汚し、海を泥沼に変え、すべてを台無しにしてなお怒っている。なにがそんなに不満なのかは分からないが。
俺はなにもできず、ただ眺めているだけ。
ヘリのプロペラ音が変わり、ゆっくりと下降を始めた。
かと思うと、強烈なサイキック・ウェーブが伝わってきた。脳の外側から感覚が浸透してくるような不快さだ。ただし逆位相で波を打ち消すメッセージ・キャンセラーという装置を使っているから、強い影響を受けることはない。
もちろん完全に打ち消せるわけではないから、映像が脳へ入り込んでくる。チラチラと頭を過るのは、どれも陰惨な光景。少ない富を暴力で奪い、奪われ、貧しさを加速させてゆく。こんな危ないビルなど出ていけばいいのに、誰もそうしようとはしない。なにかに引きつけられている。
ビルは未完成だから、屋上に着陸することはできない。
やや広めのエリアにホバリングし、そこからハシゴで降りることとなった。
しかし俺たちは特殊部隊じゃない。こんなブラブラしたハシゴを降りるなんて、スムーズにできるわけがないのだ。
結果、ギャーギャー言いながらやっとの思いで地上へ到達。操縦士はさぞかしうんざりしたことだろう。そのヘリも、ハシゴを回収するや即飛び立った。
冷たい霧の立ち込めるまっしろな世界だった。
晩冬とはいえ、こんなに霧が出るのは異常だ。
まるで視界が効かなかったが、そこはおそらく街である。
近隣の建造物が崩落しかけ、アスファルト上にコンクリート片が転がっていた。電気も来ていないから、信号だって点灯していない。
近くに人の気配はなく、あれだけ強かったサイキック・ウェーブもだいぶ弱まっていた。つまり、波の発生源はビルの上階と推測された。
もしビルが完成していれば屋上から乗り込めたものを、建設が終わっていないばかりに遠回りするハメになってしまった。
*
かくして俺たちは、ビルへ突入した。
エントランスは誰もが出入りするらしく、意外とすんなり通れた。しかし歩いているとジロジロ見られた。奥へ進むにつれ、不穏さが増した。
そいつがヴィクティムなのかただの神経症なのかは分からなかったが、ひとりの男が割れたビール瓶を振り回してきたため、俺が射殺した。死体が転がった。
周囲の連中は、俺たちがどんな存在なのかを理解したらしく、道を開けてくれた。
じつはひとつ、弾をムダにしない方法がある。
サイキック・ウェーブを使うことだ。
機械に頼る必要はない。俺は生身でコントロールできる。頑張って身につけた才能ではなく、いつの間にか植え付けられていたものだが。ともかく、サイキック・ウェーブを飛ばせば、感情を上書きして周囲の戦意を失わせることができる。敵味方を選ばないから、仲間たちも巻き込むことになるが。
ま、そんな能力を使わずとも、言葉で説得すれば通じることもある。通じなければ銃を見せる。それでだいたいおさまる。ヴィクティムでなければ。
チーム名が「サイキスト」なのもこの能力による。
サイキストというのは、英語で「心霊学者」という意味だ。いまや科学的に証明されたサイキック・ウェーブを霊とは首をかしげるが。もっとも、この「霊」というのも、もとは精神という意味らしい。
霧は室内へも入り込んでいるが、視界を阻害するほどではない。
いや、室内だなんだというには、ここはあまりに開放的だった。ときおり壁面のない部分がある。雨風も入り放題というわけだ。
俺はベンチに腰をおろしたまま、周囲を見渡した。
どこから盗んできたのか、天井には電球が吊り下げられている。白熱灯ではない。LEDだ。電力の供給が安定していないらしく、ときおり明滅している。実際、火花が散っているくらいだ。まともな配線じゃないんだろう。
電力会社からの送電はストップしているはずだから、どこかに発電機がある。燃料は不明。ここの仕組みはなにもかもが不明だ。きっと全体を把握しているヤツはひとりもいない。それぞれがそれぞれの思う通り活動し、なんとか噛み合ってこうなっている。
じつは変異体も見かけた。体毛のない白い人間のような外見だ。手足を切り落とされてペットにされていた。いったいどんな扱いを受けているものやら。
もちろん俺たちは人権団体じゃないから、そういうのをいちいち咎めたりはしない。金にならない仕事を増やしても疲弊するだけだ。
白坂太一がメガネの曇りを拭い、溜め息をついた。
彼は今回の仕事に乗り気じゃなかった。そもそもあまり好戦的な性格ではない。これがあくまで「調査」であることと、ほかにメカニックがいなかったことから、なかば強制的に参加させてしまった。
そう。調査だ。
もしここの不法占拠者をただ排除したいなら、空からなにか重たいものでも落とせばいい。このビルはみずからの重さで崩落するだろう。
ただし、そのときはフェストの発生源も圧死する。
政府は捕まえてこいとまでは言わなかった。その代わり、データを取ることになっている。外観の映像や、サイキック・ウェーブの計測値などだ。
ヘリで下降するとき、とんでもない量のサイキック・ウェーブを検知した。あのクラスの個体はそうそういない。俺が過去に遭遇したのもいちどきり。
彼女は「五代まゆ」を名乗っていた。が、本名ではない。
彼女は水槽の中で生まれ、そして成長した。こちらを見て微笑していた。
強大な力を有していたが、偶発的な事故で破裂し、死亡した。そのとき彼女の砕けた骨が、俺の体に突き刺さったのをおぼえている。
俺はただ、彼女の死を傍観するしかなかった。
ふと、鐘捲雛子が柄に手をかけた。
彼女の眼光の先、ごみごみした通路の奥には、白い服の女が立っていた。髪をばさと伸ばした、亡霊のような女だ。サイキック・ウェーブは検出されていないが、安心はできない。あえて抑え込んでいるだけで、接近してからカマしてくることもある。
白坂太一がキャンセラーのレベルをあげた。
脳をふんわり抑え込まれるような、不快な空気感になる。
虚ろな目をしたその女は、はるかかなたを見つめていた。
「子供……」
近づいてきて、いきなりそう切り出した。
「子供を……さがしています……小さいの……見ていませんか……?」
裸足だった。
彼女はギョロリとこちらを見た。
「子供……どこにもいなくて……」
「悪いんだけど、俺ら警察じゃないんですよ」
やつれているせいで少し老けて見えるが、まだ若いのかもしれない。
すると彼女はふっと優しい笑みを見せた。
「子供……さがしてください……あなたの子供ですよ……」
「……」
寒気がした。恐怖ではなく、嫌悪感だ。占い師みたいに、証明しようのないことを事実のように言いやがって。
ここへ来たのは初めてだし、この女とも面識はない。俺の子供はどこにもいない。実在しないものはさがしようがない。
「すみませんがね、いま俺ら準公務員という扱いでして、公務中なんですよ。邪魔したら公務執行妨害ですよ」
言葉だけでなく、手に握っている銃を少し持ち上げる。撃つつもりはない。撃たないで済むよう、消え去って欲しいだけだ。
「子供……かわいそう……親に捨てられて……」
女は恨みがましい目でぶつぶつ呪詛をつぶやきながら、ようやくどこかへ行った。
そこら中に人がいるのに、なぜ俺にだけ言うのだ。本当に俺の子供なのか? ハニートラップにかかって何度かそういうことをしたおぼえはあるが、妊娠したという話は聞いていない。
仲間たちがつめたい視線を向けてきたので、俺は目をそらした。
「いやー、困るよね、ああいうの。せめて子供ができるようなことしてから言ってくんなきゃさ」
すると鐘捲雛子から咳払いが来た。
彼女はこの手のジョークを好まない。もっと気を使うべきだった。
会話が途絶すると、今度は火花の爆ぜる音だけが虚しく響いた。
(続く)