ヨグンゼルト三世の憂鬱
「……ではつまるところ、イスカ卿らを止める法は無いとそなたらは申すのだな?」
「真に残念ながら……申し訳ありません」
「よい。すでに魔族の領域に飲みこまれた土地でのことだ。国内での騒乱罪で裁ければよかったのだが、それが無理ならば別の法を適用できるか探るしかあるまい」
「は、次こそは御心に沿えるように……」
「うむ、では次は明後日の午後からだ。各自、それまでにイスカ卿ら私軍の暴走を止める方法を持ち寄るように。以上だ」
私は目の前で礼を取った法務官僚たちにそう告げると、私室へ通じる唯一の扉から出て玉座の間を後にした。
私室への通路には誰もいない。この時間にこの通路を使えるのは私一人だけ。
実際は私の視界に入らない箇所に召使いや護衛の騎士が控えているのだが、それを意識してはならないと子供の頃から厳しくしつけられた。
言葉一つかけてはならないし、もっと言えばその姿を見てもならない。
もしそのような事態が起きれば故意か過失かに関わらず、その者の首が飛ぶと言われている。
比喩ではなく、物理的にだ。
その決まりを骨の髄まで叩き込まれたせいで、毎日この通路を通るたびに私は微かな恐怖に駆られる。すでにいい大人だというのにだ。
おそらく、この気持ちは誰にも理解されまい。世間では死霊や死神といった黄泉の国の者共を畏れる風潮があると言うが、私に言わせればそのようなごく少数の存在に出会う可能性など、人族の生において限りなく無に等しい。
私が最も畏れているのは、人族だ。
この世界で最も多く、最も多様性にあふれ、最も繁栄し、最も力を持ち、最も他の種族を蹂躙し、そして最も同族を害する種族。これを畏れずに何を畏れるというのか。
そんな私が人族の王、サーヴェンデルト王国第十二代国王ヨグンゲルト三世を名乗っているなど、これ以上の皮肉はあるまいがな。
「陛下、お疲れ様でございました」
「うむ、その後新たな知らせは入っているか、爺や」
通路の先、城の最奥にある王の私室で私を待ち受けていたのは、私が生まれる前からこの城に奉公している老人。私の教育係を務め、即位後は侍従長として仕えてくれている忠臣だ。
本来ならとっくに引退して余生を過ごしてもおかしくない年齢なのだが、ほとんどの実務を副侍従長に任せて、私の身の回りの世話を今もしてくれている。
いつものように恭しい態度で私の上着を脱がせ、丁寧に折り畳んでいく姿は、まさに好々爺そのものだ。
「残念ながら未だ。ですが、やはり騎士派と魔導派の双方が『森』の周辺で暗躍していることは間違いないと思われます」
と言っても、さすがにそれだけの役目で侍従長の役職に留まり続けられるほど、王の側近というものは容易くはない。
王の身の回りの世話は表向きの仕事、その裏では、王国全土に散らばる密偵を駆使して王の影の耳目としての役目も担う、王国の黒幕の一人だ。
「念を押しておくが、今回はあくまで監視に留めよ。決して手出しは許さぬ」
「承知しております。すでに末端に至るまで、指令は徹底させておりますので」
必要とあらば、人、物問わず「障害」の排除も厭わぬ、侍従長が擁する影の組織だが、その主な役目の一つを禁じる考えを改めて伝えた。
「特に騎士派の一部は、武具の供給が思うようにいかずに焦っておる。その後れを取り戻そうとして、いついかなる暴発をするか読めぬ内は、余計な刺激をこちらからは与えられぬ」
「魔導派も陛下と同じ考えのようですな。だからこそ、『森』での主導権争いという、回りくどいやり方で騎士派の出方をうかがっておるのでしょう」
騎士派と魔導派。
普通権力闘争と言えば王宮派と貴族派で相争いそうなものだが、このサーヴェンデルト王国に限って言えば王宮の力は限りなく小さく、その代わりに、騎士道を起源とする騎士派と、魔導を起源とする魔導派の二大派閥が王国の実権を握っている。
その原因を一言で説明するのは極めて難しい。
数代ほど暗君が続いた、王国が魔族の領域を駆逐するにつれて地方の権限が強くなった、王宮の中核を担うはずの官僚機構が腐敗しきった時代が前王の代に大貴族たちによって一掃されたなど、国王の責を問える理由がいくらでも見つかるからだ。
かくして、王の力が著しく弱体化したサーヴェンデルト王国なのだが、その代わりに、本来些細な違いでしかなかったはずの騎士派と魔導派の争いが時を経るごとに激化し、近年ではどちらかが滅ぶまで血を血で洗うような暗闘が終わりを告げることはないという噂が、王宮内でまことしやかに囁かれている。
このままでは王国の更なる弱体化は避けられぬと思われた頃だった、リートノルド子爵の魔族の領域における快進撃が始まったのは。
「リートノルド子爵?確か領地が魔族の領域に接した、辺境の貴族の一人だったと記憶しているが。魔族との戦いも可もなく不可もなく、特筆すべきことは何もなかったはずだ」
爺やから初めてリートノルド子爵の名前を聞いた私の印象はそんなものだったが、情報を得ることにかけては王宮で右に出る者はいない侍従長はゆっくりと首を横に振った。
「その陛下の御記憶は先代の御世のことでしょうな。当代のリートノルド子爵は二年前に先代の跡を継いで以降、めまぐるしい変化を自領にもたらしております」
「ほう、それは?」
「これまでのリートノルド家は、大半の貴族と同様に騎士派にも魔導派にも属さぬ日和見を決め込んでいたのですが、魔族の領域に接していることの利を騎士派の重鎮に説いて回ったのです」
「魔族の領域に利だと?魔族の脅威にさらされておることがなぜ利になるのだ?普通は逆であろう」
「もちろん、大半の例はそうでありましょう。しかし、リートノルド子爵の領地に接する魔族の領域は恵み豊かな森林地帯。魔族だけでなく多くの魔物も闊歩する土地なれば、そこを人族のために利用できれば王国に多大な発展をもたらすことができると、リートノルド子爵は騎士派の重鎮たちを説き伏せ、その支援を取り付けることに成功したのです」
「……ふむ、確かに一考に値する話ではある。しかも、リートノルド子爵の領地の付近には魔王の支配は及んでいなかったな」
「その通りでございます。すでにリートノルドの街には冒険者ギルドの支部が立ち、王国中の冒険者が続々と集まっているそうにございます。その動きに連動して多くの物資と金も流れ込んでおり、憚りながら王都を上回る活況を呈しているそうにございます」
爺やはやや上目遣い気にそう話す。
おそらくは、近頃活気のない王都の景気を私が気にすると考えて、気遣っているのだろう。
「良いことではないか。どこの土地であれ、王国の景気が良くなるということは、すなわち私の民が活気づくということ。それよりも爺や、これで騎士派が優勢に立つ流れが出来つつあるということだな?」
「左様にございます。このままリートノルド子爵が力をつけるということは、王国の対魔族戦線においても騎士派が力をつけるということに他なりませぬ。ただ、このまま魔導派が黙って見過ごすとも思えぬのが気がかりではございます」
「せっかく王国として良い流れが出来つつあるのだ。これを魔導派が邪魔するようなことがあれば、それは私に弓引くことと同義である。爺や、即刻魔導派の監視網を強化せよ。リートノルド子爵への妨害の動きがあれば断固として阻止せねばならん」
「は、仰せのままに」
こうして私は、陰ながらリートノルド子爵を支援して二大派閥の争いの終結を促すために動き出した。
その甲斐あってか、リートノルド子爵の快進撃は順調に続き、このまま行けば騎士派の優勢は揺るぎないものとなり、王国の体制の安定化が現実のものとなるのは確実と思われた。
そんな空気を一変させたのもまた、爺やの知らせからだった。
「へ、陛下!陛下!はあ、はあ、……一大事にございます!」
「慌ててどうしたのだ爺や。いつも王宮内では平静を保つようにと厳しく私を躾けたのは爺やではないか」
「も、申し訳なく……し、しかしそうも言ってられぬ事態にございます!」
「う、うむ。そこまで爺やが言うとは、何か恐ろしいものを感じるな。……まあよい、申してみよ」
「リ、リートノルドの街が陥落、リートノルド子爵も討ち死にしたとの一報が入ってまいりました!」
急転直下、私の目論見が音を立てて崩れ始めた瞬間だった。




