ガーノラッハ王国 後編
火と鉄を使って武具を作ることを拠り所とするドワーフ族だが、一見相反する要素である水もまた、彼らにとっては必要不可欠だ。
これはなにも水分補給の観点で言っているのではない。
もちろんそういう意味でもなくてはならないものだが、ここで指摘しているのは鍛冶師の目線だ。
冷却、焼き入れ、研磨など複数の行程で、一本の剣を完成させるだけでも、大量の、しかも清浄な水が必要なのだ。
そして、近隣ではドワーフ族最大にして唯一の国であるガーノラッハ王国は、豊富な鉱脈、清浄な水脈などの厳しい条件をクリアした、まさしく鍛冶の聖地でもある。
当然資源の管理は厳重に行われており、特に様々な意味で生命線である水資源は細かい水質チェックと水源の警備が常時行われており、正に蟻の這い出る隙もないほどだった。
その水が枯れた。
代々現王の名を国名として冠する風習のあるドワーフの国に、未曽有の危機が訪れていた。
ここはガーノラッハ王の執務室。
ひとまず事態への対処の手を打てるだけ打って、しばらく人を遠ざけるように命じた後ガーノラッハと二人きりになったことを確かめたギルムンドだったが、その眼は明確な不安と気遣いの感情で揺れていた。、
「……王よ、ご命令通りには致しましたが、本当によろしかったのですか?」
「くどいぞギルムンド。これが今採れる最善の策と、ワシが決めたことだ」
ガーノラッハ王国軍元帥ギルムンドの報告の主旨は軍が出発できなくなったというものだったが、当然その影響――悪影響は王国全土に及んでいるらしいことが分かり始めていた。
ガーノラッハが直接支配する鉱山都市だけでなく、王国中の集落から同様の内容の伝書鳩が届き始めたからである。
「それに、まさか原因不明で調査中だと馬鹿正直に民に告げるつもりだったのか?指針を示せぬ王など、愚者以外の何者でもなかろう」
「それはそうなのですが……」
解決策を見いだせない中、ガーノラッハの動きは素早かった。
『現在王国軍は強大な魔族との戦いの真っ最中で、水脈が枯れたのは魔族による狡猾で卑劣な罠である。どうか軍と戦士団がその魔族を倒すまで耐えてほしい』という王の言葉を、王国全土に様々な手段で一斉に放ったのだ。
もちろんそんな事実はどこにも存在しない。
確かに王国軍は、魔族の領域の森に向けて今日にも進軍を開始しようとしていたが、仮に森の攻略が上手くいったからといって水脈が復活する保証はどこにもない。有体に言ってしまえばガーノラッハのこじつけ、つまり嘘なのだ。
だがガーノラッハの目論見通り、王国の混乱はひとまず収まった。偉大な王の言葉で原因と解決の手段を国民が知ったからである。
「しかし王よ、もし事が上手く運ばなかった場合……いえ、うまく運んだとしても、王の言葉が嘘であったと後に露見すれば、王の威信は地に堕ちます。せめてワシかフギンに全てお任せいただければ……」
「事が軍の問題だけで済んでいれば、そのような非情の命もあり得たかもしれぬな。だが、民が待っておったのは他の誰でもない、力強い王の言葉だ。お主らでは格が足りぬわ」
危機の中にあってもどこか楽し気に笑いながら話すガーノラッハに、ギルムンドは敬服して自然と頭を垂れることしかできなかった。
「それに、一番厳しい役どころは、間違いなくフギンであるからな。弁舌一つで済むワシの苦労など、吹けば飛ぶほどの軽さしか無いであろうが」
「……せっかちな奴のことです。今頃は国境にまで達していましょう」
軍に関する決定は、王、元帥、戦士団長の三人が揃うことが不文律となっていたが、その戦士団長のフギンは今、軍を率いて全速力で魔族の領域の森へ向かっていた。
本来軍を率いるのは元帥たるギルムンドの役目だったのだが、さらなる不測の事態の可能性を考慮して、王国最強戦力である戦士団の団長であるフギンが、元帥代理として指揮を執ることになったのだ。
「ひとまず民は落ち着かせたが、喉の渇きを癒すのに水が必要だという事実は変わらぬ。まずは水源を確保せねば」
国内に活路を見いだせない以上は、外に希望を見出すしかない。
だが、人族から全ての国民の喉を潤すほどの大量の水を購入すればガーノラッハ王国の危機が露呈し、足元を見られるどころの話では済まなくなる。
そこで、ガーノラッハとギルムンドは人族からの水の購入と同時並行で、フギン率いる軍に国境の外での新たな水源の確保を命じたのだ。
そしてその行先は言うまでもなく、ガラントが行方を断った魔族の領域の森だった。
「あれだけの森が広がっているのだ、どこかにそれに見合うだけの川か湖、あるいは地下水脈があるのは確実です。それさえ見つかれば、あとはフギンが何とかしてくれることでしょう」
「ワシらがドワーフの戦士であったことに、今ほど感謝したことはないな……」
優秀なドワーフの戦士とは、鍛冶や戦いだけが得意なわけではない。
自ら鉱石を求める鉱夫として鉱脈や水脈を探し当てる能力も併せ持っていなければ、一人前の戦士とは言えないのだ。
「フギンならば、水脈を探し当てて井戸を造り上げるのに七日とかかりますまい。とりあえず人族から購入する水は、多く見積もって十日分もあれば十分かと」
「人族の王国に気取られぬためにも、できる限り目立たぬ方法で、それだけの量の水をかき集めねばな」
「はっ、心得ております」
この時、ガーノラッハとギルムンドの会話に、『漆黒の針』の件は一切出てこなかった。
これは別に、二人が失念していたとか放置していたとかいうわけではない。
事実はその逆、ドワーフ王と元帥は議論する必要を感じないほど『漆黒の針』に絶対の信頼を置いていたのだ。すでに一度失敗したにもかかわらず、である。
だからといって、この場で『漆黒の針』の使い道について改めて議論していたとしても、結果が変わっていたとは限らないが。
コンコンコン
ガーノラッハとギルムンドが今後の予定の詳細な詰めをしていた時に、そのノック音がドアから鳴った。
もちろん、人払いは未だ継続中だ。そんな最中にあえて王と元帥の会話に割って入ろうとする知らせに、ガーノラッハは不快と不安を同時に味わった。
「なんだ、今は誰も通すなと言ってあったはずだ」
「ですが、そ、その、戦士団長からの緊急の知らせでして……」
「なんだと?どんな知らせだ?」
「そっ、それが……王かギルムンド様にしか開封できない最高機密の証の封蝋でして……」
「っ!?……わかった、ご苦労だった。返書の要があれば呼び出す。とりあえずさがれ」
終始怯えっぱなしだった官僚を退室させたギルムンドが、ガーノラッハにその封筒を差し出す。
建前上はギルムンドにも開封する資格があるが、王がこの場にいる以上は元帥が差し出がましい真似をするわけにもいかない――どれだけ官僚から受け取ったその場で封筒を開封したい衝動に襲われたとしても。
そして封筒を受け取ったガーノラッハが素早く封を切り、中の手紙をざっと一読する。
「王よ、フギンは何と言ってきたのですか……?」
そう問いかけるギルムンドの声は震えていた。
なぜなら、手紙を読んだ後のガーノラッハの手もまた震え、目は血走っていたからだ。
「フギン率いる軍は未だ国境を越えていない」
「なんですと!?……そうか、その封筒が偽書なのか!」
「バカを申すな!これは三人の間にしかわからぬ目印を付けた、極秘中の極秘文書だぞ!この知らせを疑うというのなら、ワシらはいったい何を信じればいいというのだ!」
「ならば王よ!当然その手紙にはフギンが足止めを食らっている理由が書かれているのでしょうな!」
白熱する王と元帥の言葉の応酬。
それだけお互いのことしか目に入っていなかった上に、今は執務室から警護を含めた人を遠ざけている状況だ。
「多分ですけど、木が邪魔して通れないとか書いてるんじゃないですかね?」
だから、ガーノラッハもギルムンドもその声を聞くまで、執務室の石畳の床が静かに破壊されたことに、さらにそこから這い出してきた冴えない人族の男の姿をした、土まみれの朴人に気づくことができなかった。
「どうもこんにちは。『永眠の魔王』朴人です」




