双頭の蛇 後編
ちょっと長くなりました。
ペース配分!!
森で一番出くわしたくない種族と言えば?
異論はあるかもしれないが、俺なら即答で妖精族と答える。
もちろん、他にもっと戦闘力の高い亜人魔族の類いはいるし、昨日戦ったトレントなんかも冒険者の間ではある意味で評判が悪い種族だったりする。
だが、冒険者にとって最悪の事態っていうのは、依頼の失敗とか強敵に出くわしたとかそういう次元の問題じゃないと、俺は思っている。
俺が思う最悪の事態ってのは、ずばり「帰れない」ことだ。
例え依頼達成が困難でも、敵わない敵が目の前に現れても、生きて帰ることさえできればいくらでもやり直しがきく。
俺達は兵士でもなければ騎士でもない。死んでも誰も褒めてくれない。
生き残ることこそが冒険者の勲章なんだ。
その点、妖精族、とりわけ奴らの特技の幻惑魔法は最悪だ。
幻惑魔法の一番恐ろしいところは、なんと言っても目的を見失わせる点にあると思う。
目的を見失わせる、つまり目的地にも行けなければ帰り道も分からなくなるのだ。冒険者にとっては、何が何でも避けたい事態だと断言できる。
だからこそ、俺は俺自身だけじゃなく、『双頭の蛇』の仲間達に対しても万全の対策を要求している。
対妖精族戦術の研究や、幻惑魔法への耐性を持つアミュレットの装備は当然のこととして、万が一のために、一定期間内に『双頭の蛇』がホームに戻らなかった場合に救出部隊を出すように冒険者ギルドと契約している。
もちろん、妖精族と出くわす危険のある依頼限定の措置だが、たとえ臆病者と陰口をたたかれても、仲間から気にしすぎだと言われても、俺はこの考えを曲げるつもりは毛頭ない。
だからだろうか、俺は心のどこかで高を括ってしまっていた。
これだけの万全の対策を取っているから、幻惑魔法対策は完璧だろうと。
一定範囲の妖精族を探知する機能もあるアミュレットが無反応だから今は安全だと。
そして、この世には妖精族以上の幻惑魔法の使い手などどこにも存在しないと。
それがそもそもの間違いだったと気づいた時には、すでに俺達『双頭の蛇』の運命は決まっていたんだから、やっぱりどうしようもなかったのかもしれないが。
森の朝は朝露がそこかしこに見られるほどに湿気が多く、濃霧で視界不良になることも多い。
このため、普通なら霧が晴れるまで野営地から動かずにじっと待つのが冒険者の鉄則なのだが、視覚以外の感知手段を持つ俺達『双頭の蛇』にとっては、精々よく注意して進めば問題ない、くらいの危険度でしかなかった。
その大事な先導役であるマルガが異常を察知したのは、野営地を出発して間もない頃だった。
「止まって!!」
自慢の嗅覚を生かして先頭を歩いていたマルガが、小さくも鋭い声を出して注意を促した時には、俺もサティもその異変に気付いていた。
「森の匂いが、変わった?」
「この甘い感じ……バラの香りね」
「スンスン……特に危険な感じはしないけど……おかしいな」
「なにがだ?どんなことでもいいから言ってみろ、マルガ」
鼻をあちこちに向けて周囲を確かめていたマルガの顔に困惑の色が見える。
こと匂いに関してこいつがそんな表情を見たのは初めてだったので、マルガの集中力を乱すことになるのは承知の上で訊いてみた。
「バルカン達の位置が掴めなくなった」
「なんだと?あいつらが何か危険な状況に陥ったってことか?」
「いや、そうじゃないんだ。三人の匂い自体は嗅げてるし、特に危険な目に遭ってるってわけでもなさそうなんだけど、僕の鼻が利く範囲にいるってこと以外は分からなくなっちゃったんだ」
「原因は……言うまでもなく、このバラの香りだよな」
「多分ね。だけど、普通の花の香りならどんなに複雑に混ざっていたとしても、僕なら完璧に嗅ぎ分けられる自信はある。それができないってことは、何か魔力的な要素が僕の鼻を利かなくしてるとしか……」
「そうとも限らないんじゃない?」
想定外の事態に苦い顔をする俺達に、そう声をかけてきたのはサティだ。
「ここがただの森じゃないことは分かってるんだから、私達も知らないような効果を持った種類のバラが自生していてもおかしくないわ。それこそ、魔物に匹敵するような魔力を持った個体とか、ね」
「……確かに、これだけ急拡大した森なら、そういった突然変異種が出てきてもおかしくはないな」
「それに、既存の植物と新種の両方が相乗効果を発揮して、たまたま今の状況を作り出しているって可能性もあるわ。マルガ、もう一度聞くけど、バルカン達の方に危険が差し迫っているってわけじゃないのよね?」
「うん、それは確かだよ。僕達と同じようにちょっと戸惑ってるだけで、特にケガしたとかおかしな行動をとってるとかじゃない。多分、僕達の位置を確認しようとしてるんじゃないかな?」
「パーティを二つに分けた時のマニュアルとして、そう決めてあるからな、間違いないだろう。この状況が敵の攻撃だって可能性を考えると、今はバルカン達との合流が最優先だ。俺達も動くぞ」
「そうね、賛成だわ」
「鼻だけが僕の取り柄じゃないところを見せてあげるよ」
これまで以上に注意深く森の中を歩き始めてしばらく経ったころ、白一色に辺りを染める霧の向こうに黒い三つの影を見つけた時には、あれだけ言っていたにもかかわらず思わずホッと胸を撫で下ろしていたのは俺だけじゃなかったはずだ。
その安堵した空気が一変したのは、三つの黒い影の背後にさらに三つの影、具体的に言えばびっしりと苔に覆われた地面に倒れ伏している三人を発見した瞬間だった。
「バルカン!!ダイン!!ヤリャーシャ!!」
「魔族!!罠だったの!?」
「ヤリャーシャアアア!!……ちくしょう、殺してやる!!」
三人の仲間の無残な姿に衝撃を受けつつも、冒険者として染みついた動きと思考が俺達に臨戦態勢を取らせる。
「ちょ、ちょっとリーダー、あんな魔族、私見たことないわよ……」
それでもまだまだ冷静な自分に戻れていなかったことを、サティの言葉で改めて敵を見た俺は悟った。
「なんだ、ありゃ……」
最初は視界一杯に広がる霧のせいかと思っていたがそうじゃない。
正体不明。
これ以上に形容する言葉が見つからないくらい、目の前で対峙する魔族は得体が知れなかった。
一言で言うなら、黒い霧の人型。それ以外に表現のしようがない。もちろんそんな魔族は見たことも聞いたこともない。
ひょっとしたら妖精族の幻惑魔法にかかってしまっているのかと疑ってみるが、装備しているアミュレットには相変わらず何の反応もないから、その可能性は無い。
だが、そんな考察を問答無用でぶった切るような光景が、俺の目に映っていた。
「あいつら……!!」
「落ち着いてマルガ。どう見ても挑発よ」
どこに目と口がついているのかすらもはっきりしない相手だったが、一つだけ鮮明に見えるモノがあった。
一人目にはハンドアックスとガントレット。
二人目にはボウガン。
三人目は獣人族のものと思える鋭い爪。
バルカン達から奪ったとしか思えない装備が、奴らの手にあった。
「くそっ!!僕達をバカにしてやがる!!」
「焦っちゃ駄目よマルガ。まだバルカン達が死んだと決まったわけじゃないんだから」
「サティの言う通りだ。まずは目の前の敵を片付けることが先だ。バルカン達の救出はその後だ」
「……大丈夫だよリーダー。これでも『双頭の蛇』のメンバーなんだ、何を先にやらなきゃいけないかくらい分かってるさ。まずはあのふざけた魔族を八つ裂きにしてやる」
「その意気だ。いいか、相手は未知の敵だ。絶対にお互いの距離を保って、すぐにフォローに入れるように陣形を維持しろ、行くぞ!!」
最後にサティとマルガに注意を促した後、俺は溜まりに溜まっていた怒りと悲しみを敵にぶつけるべく、両の手にある双剣を強く握りしめながらハンドアックスとガントレットを装備する影に突撃していった。
勘が当たったというか、悪い意味で予想通りだったというか、正体不明の影との戦いは長引いた。
濃霧のせいではっきりとした時間は分からなかったが、少なくとも太陽が俺達の真上を通り過ぎたのは間違いない。それほどこの敵は手強かった。
魔族の中には人族のように武器の扱いに精通した種族も多くいるが、俺達とこれほど打ち合える敵と遭遇したことは滅多になかった。
それどころか、バルカン達から奪った武器をまるで熟練者のように使いこなすその手際に、何度死を予感させられたか正直覚えてないほどだ。
そんな俺、サティ、マルガの連携に勝るとも劣らない戦いぶりを見せた黒い影達だったが、その破綻は本当に小さな綻び、ボウガンを持った影がちょっとした地面のくぼみに足を引っかけたところから始まった。
そのわずかな隙を強引にこじ開け、背中を爪を持った影に切り裂かれつつも、ボウガンの影の喉笛を首がもげかけるほど深く抉ったマルガ。
さらに背中を向けた瞬間を見逃さずに、サティの撃った魔法の風の弾が爪の影の心臓を貫通した。
こうなればもう勝負はついたようなものだったが、残るハンドアックスとガントレットを持つ影が突如狂ったように暴れ出した上に、背中を負傷したマルガの傷が思ったより深かったせいで、戦闘時間は俺の予想をはるかに超えることになった。
結局、全ての決着がついて最後の影が倒れたのは、未だに遠くを見通せないほどの白い霧が夕焼け色に染まり始めた頃だった。
「はあ、はあ、サティ、無事か?」
「フー、フー、……私は大丈夫。それよりマルガは?」
「な、何とか無事、って感じかな。でも、早めに傷の手当てをしてくれると助かるよ」
最後の影に手こずったこともあって、マルガだけでなく俺とサティも満身創痍だった。
とりあえず、周囲を警戒しながらサティの魔法と薬である程度回復した後、俺達は改めて正体不明の敵と、仲間の骸に近づいた。
「この!よくもヤリャーシャを!」
「そこくらいにしておけマルガ。それでサティ、バルカン達は……」
爪の影を蹴り続けるマルガに注意した後でバルカン達三人の方を確認しに行ったサティに声をかけるが、悲痛な面持ちで首を横に振る彼女を見て、仲間の死という現実を否が応でも突き付けられる。
…………だがなんだ?何か大事なことを忘れているような……
「それでリーダー、これからどうするの?」
「どうするって、決まってるじゃないか。ヤリャーシャたちをこんなにした報いを、この森にいる魔族全員に受けさせてやるのさ」
「……別にマルガの意見に反対するわけじゃないけど、今は無理よ。バルカン達を失ったこともあるけど、依頼達成のための行程から致命的に遅れちゃったし、何より今の戦いでほとんどの物資を使いきっちゃったわ。バルカン達の分を使わせてもらうにしても、三人だけじゃ帰れるかどうかも怪しいわよ」
「っ……くそっ!!」
はっきりと俺達が置かれた現状を突き付けるサティに対して悪態をつくマルガだが、それ以上の言葉が出てきていないということは、厳しい現実を受け入れているという証拠でもあった。
「サティの言う通りだ。この状況じゃ、バルカンたちの遺品も含めてできる限りの荷物を回収して、ギルドが設置しているベースキャンプに戻るしか道は無い。いいな、マルガ」
「……それしかないわね」
「……リーダーに従うよ」
「それは困りますね」
サティが頷く。
マルガが不満げに、それでも了承する。
そして、いるはずのない、いてはならない四人目による否定の言葉。
俺達がハッと振り向いたその先にそれはいた。
「せっかく捕まえやすいように良い感じに減らしたのに、今更逃げ帰られるとボクト様に会わせる顔がないじゃないですか」
新緑の中でも鮮やかに映える緑のドレス、夕日のオレンジの輝きよりなお輝くエメラルドののロングヘア―、高貴な者の証明と言わんばかりに彩る数々の装飾品。
そして、それら全てが霞むほどの存在感を見せる、人型の美の結晶が俺達の目の前に居た。
「初めまして、蛮勇を振りかざす人族の冒険者さん方。私の名前は庭園のフランチェスカ、ボクト様より公爵の位を授かった魔族です」
令嬢の仕草と共にそう名乗った魔族に、俺達は言葉も出ない。
どう考えても味方じゃないと頭では分かっていても、体が敵対することを全力で拒否している感じだ。
なぜここまで接近されたとかそれ以前にここまでのプレッシャーを今まで感じなかったのかとか、どうでもいい考えばかりが頭の中を駆け巡っていく。
「うーん、もうちょっといいリアクションがあると期待していたんですけど、思った以上に驚いていませんね……ああ、そうでしたそうでした、まだ解除してなかったですね。じゃあみなさん、こちらをご覧ください」
そう言った魔族が指差した先、俺達が倒した三つの黒い影の死体をを、なぜか何の反感も見せることなく俺も含めた全員が見つめる。
「いいですか、よく見ておいてくださいね。かなりショッキングだと思いますけど、間違っても死なないでくださいね。では行きます、はい!!」
まるで子供の悪戯を親に披露するような明るい調子で何度も念押しした魔族が、指差していた指をパチンと鳴らした。
その瞬間
黒い影で覆われていた憎き敵の姿が
無数の傷を負って赤い血に塗れた
バルカンと
ダインと
ヤリャーシャの
絶命した無残な姿に変わった。
「わああああああああああああ!!」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
それぞれがそれぞれに壊れた絶叫を発しながら、それでも俺は現実を受け入れられなかった。
だがその元凶と言うべきフランチェスカと名乗った魔族は、そんな俺達の感情には何の興味も見せずに自分勝手に説明を続ける。
俺達にそれを止める余裕はない。
「御覧の通り、皆さんが一生懸命戦って倒したのは魔族じゃありません。皆さんが誰よりも信頼して一緒に戦ってきたお仲間さん達です。ああ、勘違いしないでくださいね。お仲間さん達にも私が同じ魔法にかけていたんです。もちろん戦った相手があなた達だなんて疑いもせずに一生懸命だっただけですよ。あなた達が生き残ったのは、ただの実力と運の差です」
「……だが、俺達は幻惑魔法の対策をしていた」
何の作為も敵意もなく、ただ不思議に思ったことを口にした俺に、訳知り顔で魔族は答える。
「あんな出来損ない魔法と一緒にしてもらったら困りますよ。私が貴方達に使ったのは幻想魔法、相手の精神そのものに魔法をかけて、その人の感じるもの全てを書き換える高位魔法です。幻惑魔法対策なんか、役に立つわけがないじゃないですか」
「…………お前がヤリャーシャを殺したのか?」
それまで黙っていたマルガがぼそりと呟く。
その言葉の感情の無さが、逆にどうしようもない激情を含んでいるようで、俺の背筋が冷たくなる。
「あなた、何を聞いてたんですか?私がやったのは幻想魔法をかけるところまで、そこのゴミクズを爪で切り裂いて殺して死体を何度も蹴りつけたのは、すべてあなたの意思ですよ」
「ガアアアアア!!」
まるで獣そのもののような雄たけびを上げて魔族に突っ込んでいったマルガ。
サティも俺も反応できなかったのは、果たして一瞬の出来事に驚いただけだったのか、それとも……
その答えを自分で導き出す前に事は終わってしまったので、それを知る機会は二度と訪れなかったが。
「もう、これだから野蛮な獣人は嫌いです」
目にも留まらないマルガの突撃に対して、傲岸不遜にも公爵を名乗った魔族が行ったのは、ただそのなめらかな指先をつい、と軽く振っただけだった。
その効果は絶大だったが。
ゴグワシャ!!
音にすればそんな感じだっただろうか。
まるでまだ幻覚の中にいるように、一瞬のうちに地面から無数の棘を持つ大木の幹ほどの太さの巨大なツルが生えたかと思うと、魔族の元へ突撃していたマルガの体を次の一瞬で押し潰した。
シャアアアアアアアア
「ちょっと、トイレに行きたいならそうと言ってくださいよ。はしたないと思わないんですか?」
サティの方から聞こえる放水音と独特の匂いに、魔族は鼻をつまんで嫌味を言う。
だが、ひょっとしたらあの魔族は俺を含めた二人に言ったのかもしれない。
なぜなら、俺自身も全身の感覚が分からないほどに恐怖を感じているからだ。
「うーん、襲ってきたから思わず殺しちゃいましたけど、ボクト様からの命令もありますし、これ以上人数を減らしたくないですね。じゃあ、本題に入りましょう。いいですか、一度しか言いませんからよく聞いてくださいね」
魔族の話に俺は無心で耳を傾ける。
敵対する意思はもう無い。そんなものが残っていたなら、マルガと一緒に突撃してとっくの昔に同じ目に遭っているだろうからだ。
「私の眷属になりなさい。私の主、ボクト様は人族を御所望です」
そこで初めて俺は考える。冒険者として最も優先すべきことは何なのかを。
依頼達成?ギルドからの評価?人々からの称賛?貴族の専属?立身出世?
どれも違う。俺が優先すべきは自分の命だ。それに比べたら他のものなんて何の価値もない。
そこまで考えた後、俺が何を言ってどう動いたのか、全くと言っていいほど記憶に残っていない。
ただし、「いいでしょう」と答える今のご主人様の御言葉と、まだ死んでいないという何よりの証拠がある以上、俺が取った道は明らかだろう。
そして、俺の横には魂が抜け落ちたような顔をしているサティの姿がある。
いや、きっと俺も同じような顔をしてるんだろう。
こうして、俺は生き残った。
ただし、ここにいるのは冒険者でもなければ、もはや人族と呼ぶこともできない別の何かだがな。




