7.リリィ
夜。
廃車両の長椅子に、俺はひとり座っている。
色々あった挙げ句、今日、俺とフジノは廃車両で一泊することになってしまった。
「~♪」
機嫌が良さそうな鼻歌と、微かな水音。
背後――廃車両のすぐ外から、それは聞こえてくる。
「お風呂はいいわね。お風呂は心を潤してくれる。人類が生み出した文化の極みだわ。そう感じない?留美」
「……なんでカヲル君なんだよ?」
意味不明な引用だった。
それだけ上機嫌ということか。
フジノは今、風呂に入っていた。
廃車両の前には、拾ってきて綺麗に清掃したドラム缶に湯を張ったもの――ドラム缶風呂と言うだけでも理解できるだろうか――そのような装置が、いつの間にか設置されていて、本日初使用と相成ったわけである。
……フジノが以前ドラム缶を見つけた時に妙に興奮していたのは、これをやってみたかったからだったわけだ。
で、結果的にそれは完成し、使用感も上々ということでフジノの機嫌は良かった。
単純に風呂が好きってのもあるのかもしれないが。
ドラム缶風呂は当然一人用なので、俺は今待機中の状態だ。
廃車両内の椅子に腰掛け、フジノの胡乱な発言に受け答えしながら、時間を潰している。
……けど、壁一枚挟んだすぐ向こう側で、女の子が風呂に入っている状況というのは……その、なんとも居心地が悪いというかなんというか……。
「……」
俺は何気なく、上着のポケットに手を入れる。
そこには、土塊のようでありながら、照明の光を浴びてきらりと光る物体があった。
黄鉄鉱の欠片。金色に輝く、無価値な結晶体。
洞窟の奥で大量に見つけたそれらの中から、大ぶりで形の良いものをひとつを俺は持ってきてしまっていた。
――なんでこんなん拾ってきちゃったんかな……?
何気なく取った自分の行動に、首をひねる。
俺はこの鉱物に関して、ちょっとした思い出がある。
だからって、特別こだわっていたわけでもないし、今日見るまで忘れていたような話なのだが、気付いたら手に取っていたわけだ。
――これ自体に価値なんて、ないのにな。
価値はない。
付随する俺の記憶にだって。
「今日の留美は随分と静かね。ひょっとしてご機嫌ななめ?」
「おまえこそ風呂に入るなり機嫌が良くなりすぎだよ」
再度フジノに話しかけられ、俺は反射的に持っていたパイライトをポケットにしまう。
別に見られて困るもんでもないが、追及されたらされたで、話すのが面倒だ。
「だってお風呂が気持ちいいんだもの。ほら、留美もこっちにおいでなさいな。もっと近くでお話したいわ」
「ばっ、なに言ってんだよ!そんな近くになんて、行けるわけねぇだろ……!」
当たり前だが、フジノは風呂に入っているわけで、服なんて着てないのだ。
話しているだけでも色々考えてしまって落ち着かないのに、同じ空間になんて居られるか。
「もう留美ったら、人と話す時は相手の目を見て話さないと駄目よ」
「おまえわざとやってんだろ!?」
で、フジノには俺のそういう反応は全て読まれているらしかった。
訂正だ。こいつが上機嫌なのは風呂だけじゃなくて、俺をからかって楽しいからってのもあるに違いない。
7.リリィ
フジノと廃車両に泊まることになった。
洞窟探検をしていたら廃車両に戻るのが思ったより遅くなってしまったからだ。
確かに真っ暗な穴の中を歩くのは精神的にも肉体的にも疲れたし、服も体も泥だらけだ。
フジノが泊まっていこうと言い出したことも、帰ってくるなり風呂の準備を始めたことも、わからなくはない。
けど、高校生の男女がこんな場所で外泊なんてさ……いや、まぁ、フジノに限ってそういう間違いは起こらないと思うけど。
と、そこで入り口の方から物音がした。
ようやくフジノが風呂からあがってきたのだろう。
「おまたせ、留美。お風呂、入っていいわよ」
「あぁ、サンキュ。それにしてもおまえ、結構長風呂――っておおい!?」
言いながら振り向くとちょうど入り口から入ってくるところのフジノ。
だが、なんのつもりなのか、フジノは服も着ずに、バスタオル一枚を身体に巻いただけの状態だった。
湯上がりでやや上気した肌の色と、濡れた黒髪の艶やかさ。
「どうしたの?大きな声を出して」
「これが出さずにいられるか!?なんでそのまま出てくんだよ!?」
「お約束でしょう?」
「そんな約束はしていない!」
フジノはそんなことを言いながら、いつもの調子でポーズなど取ったりしている。
その状態でそんなことされても直視できないからやめて欲しい。
「嫌だわ怒鳴ったりして。本当に機嫌が悪いのね」
「だとしたらおまえのせいだろ!」
「はいはい、そういうことにしておいてあげるわ。ともかくそこをどいて頂戴」
「その前に服を着ろよ!」
「その服があなたの真下にしまわれているのよ」
「え?」
言われて、俺は飛び退くようにしてその場から移動する。
俺が座っていた位置の椅子をフジノが開くと、そこにはフジノの服が何着かしまわれていた。
――こいつ、いつのまにこんな所に服しまってやがったんだ……?
というか、よく見ると椅子の下の空間は服以外にもフジノの私物だらけだった。
前はちょっとした食料とかその程度だったはずなのに。
「湯冷めするところだったわ。生まれたままの姿の私を僅かでも長く見ていたいという留美の気持ちは汲んでおいてあげるけれど」
「そんな心遣いはいらねぇ!ってか、なんでわざわざここから取り出すんだよ?」
「あんな泥だらけになった服をもう一度着ろというの?」
「う、それは確かに……、いや、だったら風呂入る前にここから一着持っていけばよかっただろ!?」
「仕方ないわ。入っている最中に思い出したのだから」
「ウソくさい!」
絶対にバスタオル姿で俺の前に登場して、あたふたさせてやろうという魂胆だったに違いないぞ!
「いいからあなたも早くお風呂に入っていらっしゃいな。それとも何?裸を見るだけでは飽きたらず、留美は私の着替えまで見たいというの?」
「ち、ちがっ!このバーカ!言われなくても入るよ!」
「今日の留美は言葉遣いも悪いわ。困ったものね」
楽しそうなフジノの発言を背に、俺は廃車両から飛び出していく。
フジノのように着替えを置いたりはしていないので、タオルだけを手に持って。
○-○
ドラム缶風呂は、水を張ったドラム缶の真下で火を焚き、沸かした湯でもって風呂とする仕組みだ。
直接火にかけるわけなので金属製のドラム缶は大変熱くなる。すなわち、そのまま入ったら当然やけどをしてしまう。
なので入る時には円形のすのこを用意し、それをまず湯に入れる。
すのこは木製なので水に浮いてしまう。だから入る人間がそれの上に乗るようにして底に沈めるというわけだ。
水位は一般的な風呂より深いので、立つもしくは中腰で入るような体勢になる。
底以外の部分は、そこまで熱くならないので、縁に手をかけたりすることは別に問題ないらしい。
いわゆる五右衛門風呂と同じシステム。
風呂に入りたい人類の工夫が凝らされた装置と言えるのだそうだ。
……と、ここまでが俺がフジノに言われた解説である。
実際の俺は、五右衛門風呂もドラム缶風呂も今まで入ったことなんてないので、入るのに少し苦労させられる。
事前に説明は受けたものの、高さがあって入りづらいのと、やっぱりやけどしそうで恐い、という意識は拭えなかった。
「っ……!」
意気込んで足から湯に入り、そのままざぶーん、とつかった。
立ったままという点を除けば別に普通の風呂だった。
恐れていたやけどもせずに済んだ。
というか、フジノが入った後なので、既にちょっとぬるい。
「寒っ……!」
まぁ、実際冬だし。夜だし。山の中だし。
――こんな気温に全裸で出てくるなんてあいつホントにバカか……?
気になるところといえばその辺りだった。
この寒さを押してまで俺をからかおうとするあいつの行動力には相変わらず呆れてしまう。
――女の子の湯上りなんて初めて見た……。
自分で考えてさっきの光景を思い出してちょっと恥ずかしくなり、俺は湯にぶくぶくとつかった。
――にしても着替えまで置いてるとか、いよいよフジノの別荘みたいになってきたな、ここ。
気づかないうちに色々増えてる。
廃車両内の照明も以前より明るくなっていたし、風呂沸かすのに使った薪も用意されたものだ。
このドラム缶風呂だってそうだ。
泊まるって決まって意気揚々と使い始めたけど、こんなのいつの間に作ったんだか。
――俺の知らないところでフジノのヤツ、色々準備してるんだなぁ……。
……いいけどさ。別に。
物を用意するのにしたって冒険そのものにしたって、フジノが好きだから勝手にやってることだ。
俺は、ただ巻き込まれてるだけみたいなもんなんだから……。
「……」
いや、準備ぐらいは俺も手伝うべきなんだろうか……?
ピンチになると何にもできないことが、今日嫌っていうほどわかってしまったし。
――というか、いつの頃からか常々感じていたことではあるんだけど……、
なんか、フジノにこうやって全部先回りされて色々やられてると、至れり尽くせりで嬉しいっていうより……、
「俺、役立ってないって感じ……するよなぁ、やっぱ」
俺はフジノにとことん付き合うと決めた。
フジノと共に冒険して、すぐ無茶をするあいつを側で支えたいと思った。
……それはいい。
それはいいのだが、
――俺は、まだ全然、あいつの力になれていない気がする。
口にすることで確信できることはある。
ぼんやり感じていたことは、言葉にされて急に実感を伴ってくる。
だとすれば、今の俺がするべきことというと、なんなのか……?
○-○
「あれ?」
風呂から上がって廃車両に戻ると、フジノの姿はそこになかった。
もう夜だし、そんなあちこち行くような場所でもないはずだが。
俺は廃車両を出て、裏へ回った。
ドラム缶風呂があるのとは反対側――工場の建物側の空間は、まだ整頓しきれていなくて、ここに初めて来た時ままだ。
瓦礫やガラクタでごちゃごちゃしたスペース。
フジノはそこにいた。
月明かりに照らされて、装いも新たなその姿は、どこか幻想的ですらある。
彼女は遠くを眺めるようにして、連なって群がる廃工場の建物を見つめている。
「フジノ」
「……留美?どうかしたの?」
呼ばれて気づいたフジノが、俺の方へ振り返る。
「あ、いや……、何、してたんだ?」
「何、してたんだ?」
「見ていたの。私たちの冒険の、最果てにある塔を」
「塔……この前言ってた?」
「そう、私は“創世神の塔”と呼んでいるわ。六つの封印が施された、私たちの最終目的地」
フジノは遠くを指差す。
工場の建物が連なっていて直接は見えないが、その方向にソレがあるのだと理解できる。
「封印……か」
何気なくその言葉を復唱すると、フジノの手には以前見つけた鍵束が握られていることに気が付いた。
「その鍵、この間見つけたヤツだよな?」
「ええ、そうよ」
「その鍵で、その……六つの鍵が開くのか?」
「少し前に試してみたのだけれど、この鍵束の中には創世神の塔の封印を解くものはなかったわ」
「……そっか」
せっかく見つけた鍵がハズレだった、というより、俺はこいつがまた一人でそんなことをしていることしていることに引っかかりを覚える。
「まだまだ先は長そうね。けれど、こうして冒険を続けていれば、いつかは本物の鍵が見つかるはずよ」
フジノは手近なU字ブロックに腰を下ろして言う。
声の調子はいつもどおりで、特に鍵がハズレたこともあまり気にしていなさそうだ。
「……でも探す手がかりぐらいあるんだろ?」
「残念ながら」
「え?ないのかよ」
「色々調べてはいるのだけれど」
ということは、このだだっ広い工場をあてもなく虱潰しに探すしかないということだ。
「なんか途方もないな……ホントに鍵なんて見つかるのかよ?」
「ええ、必ず見つけてみせるわ」
フジノの声と表情には強い決意があって、必ずなんとかしてみせようという気概が感じられる。
だが、先行きはなにもない。
この広大すぎる工場から小さな鍵を見つけ出すなんて、そんなことできるのか……?
「どうかした?留美」
「……ん?」
「今の留美、難しい顔をしているから」
言って、フジノは少し左にずれた。
隣に座って、と俺に促すように。
俺はそれに従って、フジノの右隣に座った。いつも廃車両でそうしているように、並び合って座る俺たち。
「留美は冒険の道筋が定まらないことに憤っているの?」
「いや……だってさ、こんな調子じゃ全部の鍵揃えるのに何年かかるか……」
「何年かかったって、いいじゃない」
「え?」
「留美と一緒なら、私は何年だって冒険し続けていたいわ。それとも留美は、私が相手では不服かしら?」
フジノは言いながら、俺を覗き込むようにして身を寄せてくる。
肩が触れ合い、すぐ近くにフジノの視線を感じる。
「い、いや、そういう話してんじゃないだろ……!」
その状態が落ち着かなくて、俺は一度立ち上がった。
うろたえてばかりで、話が妙な方向に進んでしまいそうだったからだ。
「お、おまえだって、何か目的があって、鍵開けようとしてんだろ?」
「ええ。大切な目的があるわ。でも、だからってそんな焦っても仕方がないもの」
「でも、今日だって何の成果もなかったし、結局無駄足――」
「――無駄なことなんて、何一つないわ」
言って、フジノはポケットから何かを取り出す。
それは綺麗な立方体をした、金色に輝く結晶――パイライトだった。
「え?おまえもそれ、持って来ちゃったのか?」
自分も持っていている俺はギクリとしつつ、上着のポケットをさする。
そこには確かに自分の拾ってきたパイライトの感触。
つまりフジノはフジノでパイライトを拾ってきていた、ということだ。
「綺麗でしょう?一番形が良い物を選んできたのよ」
「でも、それ、オリハルコンじゃなくてパイライト……、価値なんてないクズ石だぞ?」
俺の発言にフジノは少し驚いたような顔をした。知ってるんだ、とばかりに。
そこで俺は余計なことを言ったのだと察する。
しかし、フジノはすぐに余裕ありげにため息なんかついてみせる。
「知っているわ。そんなこと」
「へ?」
俺はちょっと呆気にとられた。
普段ゲームみたいなことばっかり言ってるフジノが、俺の現実的なツッコミ発言を肯定したから。
無粋なことを言うな、と怒ったり、嗜めたりされると思ったのに。
……俺が知っていようと構わないと、そういう意味なのか。
「ねえ留美。今日一日一緒に冒険をして、あなたはどう思った?」
「え?俺?」
フジノもまた立ち上がって、そんな質問を投げかけてきた。
「洞窟を歩くのって意外に疲れたと思わない?」
「まぁ……」
「服も髪も土で随分汚れてしまったわ」
「確かにな」
ゆっくり歩きながら、言葉を向けてくる。
どこかに行くためではなく、感触を確かめるような歩調だ。
「暗闇に閉じ込められた時は本当に怖かった。その所為で留美には情けないところを見られてしまったし」
「いや、そんなことは……」
それを言われて俺はなんとなく言葉に詰まる。
弱点なんかないと強がっていたフジノだけに、その件は触れられたくない話なのかと思っていたからだ。
「それでも無事に帰ってこられたのは、留美がいてくれたおかげよ」
「……え?」
「ええ。今日の留美、本当に頼もしかった。留美は私が弱みを見せても、決して笑ったりせずに、優しく励ましてくれたわ。その後だって怖がる私の手をずっと握りしめていてくれたもの」
改めて言葉にされると、今更ながら俺の羞恥心が爆発しかける。
頭をかきながら、そっぽを向くしかない。
「い、いや、あれは暗闇ではぐれたりしないように……」
「あれがどれだけ心強かったかわかる?留美は本当に、いつだって私を助けてくれるわ」
「そんな、俺なんて、全然……」
「謙遜しないで。前にブラックパレードが占拠された時も、捕まった私を救出するために一人飛び込んできてくれたし、この間だって崩れた階段から落ちそうになった私にすぐ手をさしのべてくれたわ」
「……」
「留美に弱点を知られた時は、本当に恥ずかしくて情けなかったけれど、あれもいつかは知っておいてもらわないといけないことだったのよ。今後私が危機に陥っても、留美が助けてくれるんだと思うと嬉しくて、安心できるの」
朗々と歌うみたいにして言うフジノの言葉は、やっぱりちょっと、大げさだ。
その言い方だと俺は頼もしすぎる。
実際の俺は、そんなヒーローじゃない。
……フジノの役に立てていない、支える力も足りないヤツなのに。
「ありがとう、留美。あなたは私の最高の仲間よ」
でも、そう言ってもらえるのは、素直に、嬉しい。
実際とどう違っていようと、そうして評価してくれるのは。
けどそんな風に正面から言われるのに慣れていなくて、俺はとにかく恥ずかしくなる。
頭をガリガリとかきながら、視線を合わせられずに斜め下の方ばかり見ている。
そうしていれば落ち着いてくるはずの心も、全然落ち着かない。
……それは、きっと、買いかぶりだって自覚しているから。
自虐でも卑下でもなく、その言葉を受け止められるだけのものが、自分の中にないとわかっているからだ。
「……と、いうわけで今日という日を、私は色々苦労もあったけれど、とても有意義な一日だったと感じているわ」
「……」
「この石を拾ったことも、今こうして二人でこんな風に話していることも、もしかしたら留美は楽しくなんてなくて、全部無意味だって思っているのかもしれないけれど……でも、私は留美と冒険をして、こうして何気なく話をしていることが凄く素敵なことだと思っているの。
だって私にとっては、あなたと過ごす全ての時間が尊いんだもの」
「……」
「暗闇に怯える中、留美に助けられて、その結果として手に入れた宝物が無価値であるはずなんてないわ」
フジノが見つめる先にある、金色の結晶。
石に価値はない。
でも、それに付随する思い出は、無価値とは、限らない。
……そう思うことは、恥ずかしくないのだろうか。
「ところで留美、おなかはすいていない?」
「え?」
また俺が思考している間に話は移り変わっていく。
「これから夕食を作ろうと思っていて、準備していたところだったのよ」
フジノが指差した先には先程座っていたU字ブロック。
その内側には、よく見たら薪やライターが置かれていた。
「外は寒いから、留美はブラックパレードの中で待っていて。すぐに用意するわ」
「あ……」
そう言って、俺に背を向け、支度に取り掛かろうとするフジノ。
フジノがまた、俺をおいて一人で何かしようとしてくれている。
その瞬間、俺は、さっきまで抱いていた違和感を思い出す。
そして今、すべきことを。
今、言わなきゃいけないことを――、
「フジノっ、その……お、俺も……、一緒にやらせてくれよ」
呼び止めて、言ったそんな言葉。
「え?」
フジノは俺が突然妙な勢いでそんなことを言い出したものだから、ちょっと戸惑ったような顔をする。
「いや、だっておまえ、いつも一人で勝手にやっちゃうし……なんか手伝えることないかなって……」
しかし俺があせあせと弁明するみたいに付け加えると、フジノは納得したように薄く笑んだ。
「ありがとう」
その言葉で、俺は、俺の申し出が受け入れられたことを理解する。
任せっきりじゃない。
わけもわからずやらされるでもない。
自分から、何かをするというのは、気力が要ることではあるけれど。
「それじゃあ焚き火の作り方を教えてあげるわ。こっちへいらっしゃい、留美」
そうあれること自体が嬉しいっていうことを、俺は最近ようやく理解できたような気がする。
○-○
俺の親父はアウトドアがそこそこ好きなようだが、俺はキャンプだって学校行事で一度行ったきりだ。
その時は料理のために火を起こしたりなんてしなかった。
先生たちはやってたのかもしれないけど、興味もなかった俺は知ろうともしていない。
「と、いうわけで、これから留美に炎の魔術を覚えてもらうことになったわ」
「違う違う」
というか誰に宣言してんだおまえは。
「留美は焚き火をするにあたって、まず最初に何をしなければいけないと思う?」
「最初に?」
俺は考える。U字ブロックの周辺に置かれた物を眺めつつ。
よく燃えそうな薪、小枝、新聞紙、ライター、うちわ。
どれも使うのだろうが、何を最初に使うのか。
「……この薪に火を付けてそれで終わりってことじゃないってことはわかる」
「当たらずとも遠からずね」
こいつがそんな単純な解答を望んでいるはずがないからな。
フジノに付き合わされて学んだことの一つだ。
「留美が予想したとおり、この小さなライターの火で太い薪が燃えたなら誰も苦労はしないわ」
「だよな」
「もし留美が最初に薪に火をつけようだなんて愚かなことを言い出したら、私は罰として留美に翌朝までその挑戦を続けさせるつもりでいたの」
「……とんでもないこと考えてやがるなおまえ」
火の一つも起こせず迎える夜明け、そして俺のそんな有様を嘲笑うフジノ。
嫌すぎる……。
「ってことは、最初はその小枝とか新聞紙を使うんだな」
「そのとおり。まずはこうやって、このライターの火力でも燃やせそうな小枝を使って組むのよ」
言いながら、フジノはテキパキと新聞紙と小枝を使って準備を始めた。
U字ブロックの内側にボール状に丸めた新聞紙を置き、その上に小枝を立てかけて、三角錐を組み立てていく。
なるほど、これならライターでも着火できそうだ。
「このU字ブロックは、かまどの代わりってことか」
「そう。ブロックを並べて作ってみてもよかったけれど、丁度良さそうなものがあったから」
そうしてフジノはいよいよライターを手に取る。
「もう火付けるのか?」
「ええ」
「こっちの太い薪はいつ入れるんだ?」
「火の勢いがある程度強くなってからでいいわ。小枝や紙はすぐに燃え尽きてしまうから、徐々に薪を継ぎ足して火力を維持していくの」
「なるほどね……」
解説を受けながら火を付けていく。
最初に小枝が燃え始めた時にはちょっとだけ感動があったが、驚いている暇はなかった。
「これを使いなさい留美。松は脂を多く含んでいて、少しの火でも良く燃えてくれるわ」
「煙がすごいなこれ……! 風向きにも注意しないとな」
せっかく付けた火が消えないように、俺とフジノは協力して、枝を足したり薪を組んだりを慌ただしく繰り返す。
「空気が流れなければ火は上手くつかないわ。もっと枝の隙間を空けて、空気の通り道を作るのよ」
「わ、わかった」
俺は初めての作業に戸惑いながらも、フジノについていくために必死に手を動かす。
「木ってボーボー燃えるのかと思ってたけど案外燃えないもんだな」
「見た目では解らないけれど、内側には水分を含んでいるものだから。意外と耐熱性があるのよ」
知らないことばかりで、意外と楽しいかもしれない。
自転車もそうだったけれど、アウトドアもハマる人がいるのも理解できる。
本当は、俺が当然だと思っていることなんて全然間違いだらけで、くだらないと思っていることこそが本質だなんてことだらけなんだ。
こいつと一緒にいて、俺はそういうことに少しずつ気付くことができ始めている。
「そろそろね。留美、これで精一杯あおいで」
「うちわ? 風なんか送って大丈夫なのか?」
フジノの言うことは基本的に間違いはない。
言われたとおりにブンブンあおぐと、火は風に煽られて一瞬弱まったが、その後みるみる勢いづいて燃えだした。
「そうか、空気……」
「理解したかしら?火は酸素を使って燃えるの」
「なら、それを送り込めばいいってことだな」
「ええ。冴えているわね留美。覚えが良くて教えがいがあるわ」
即席のかまどの中で、メラメラと燃える炎。
初めて見る、強く、熱くなる火の有様に、俺は驚きつつも達成感を覚える。
火種をつつくと火は生きているかのようにゆらめく。
一時も同じ形ではない。最初のちろちろと燃える小さな火。風に煽られて立ち上がる炎。全てが違う。
そうして変化していくたびに、顔や身体にかかる光の具合もゆらゆらと揺れて。
……なんだろう、すごく、ワクワクする。
「解ったかしら、留美。これが“プロメテウスの炎”よ」
「はい?」
「人類は火を得たことにより発展したということを、このイベントを経て留美も理解できたのではなくて?」
「俺はそんな高尚なテーマに挑まされていたのか……」
確かにちょっと感動はしていたが、そこまでのことはさすがに思っていません。
「せっかく火を付けたのだから、手に入れたアイテムも使ってしまう?」
「アイテム……?って花火か!?待て待て、まずは先にメシを作ってからだ……!」
火を起こすのは大変な作業で、疲れも汚れもしたが、フジノは終始楽しげだった。
そんなこいつの側にいて、俺もまた自然と楽しいと思っている。
○-○
気付けば随分夜も更けている。
あの後、色々と二人で会話を繰り広げながら若干ぐだぐだとしつつも無事夕食を作り終え、廃車両の中で食べた。
自分たちで作るということは、当然片付けも自分たちでやらなければならず、俺とフジノは食休みも程々に、後片付けに勤しんだ。
汲んできた水で食器や容器を洗い、ゴミを集めてまとめる。
普段なら出されたものをただ食べるだけ、片付けだって言われてちょっとしたことをやるだけだ。
……これが、フジノが今まで一人で背負ってきた苦労の重さだ。
初めて知るそれは予想以上に重く、俺は今までの自分の非協力を改めて恥じた。
「ほら、留美」
「ん?」
そうしてあっという間にやって来た寝る時間。
俺が廃車両の椅子にシーツをかけてをベッド代わりのものを作っていると、フジノは二人分のコーヒーカップを手に現れた。
差し出されるままに受け取ったカップ。
いつの間に温めたのか、コーヒーが湯気を立てている。
「今日も力を合わせて苦難を乗り越えた二人に」
カップを差し出してくるフジノ。
中身はコーヒーだが、乾杯をしようということなのだろう。
「……乾杯」
そうされることがさっきまでより少しだけ誇らしく思えて、俺は素直に杯を差し出す
口を付けると、コーヒーは微かに甘く、砂糖とミルクが少し入っているのだとわかった。
労をねぎらうような温かさが、身体の奥底へ染み渡っていく。
そのまま、静かに会話をする俺たち。
「留美。今日私は、あなたに秘められた新たな力を覚醒させたわ」
「……、焚き火の起こし方のことか?」
「そう。どうかしら?これで火の起こし方は完璧?」
「いや、どうかな……、手順は覚えたけど、まだ一人だと正直不安……」
「弱音を吐いている暇はないわよ。あなたにはもっともっと色んなことを覚えてもらうわ」
「あ、あぁ……その、また色々、教えて、くれるか?」
「勿論。留美は私と同じかそれ以上に、強くなってもらうわ」
「そ、そんなにかよ……?」
「大丈夫。留美ならできるわ。したいことはまだまだあるのよ」
「例えばどんな?」
「そうね……」
会話をしながら、俺たちは横になる。廃車両の左右の長椅子をそれぞれベッド代わりにして。
明かりを消し、毛布にくるまっても、まだ喋り続けている。
「次からは水や薪の補充も、手伝ってもらいたいし。焚き火はやっぱり手間だから、手軽な固形燃料も用意したいわね」
「なら、また買い物か?」
「もちろんそれだけじゃないわ。冬休みが始まったら、廃工場の探検だって、もっと本格的にやりたいもの。テントで野宿しながら探検をするというのはどう?その時には設置の仕方も覚えてもらうわ」
「そりゃ、ちょっとハードな冒険だな」
「ええ。……これから楽しくなるわね、留美」
「……あぁ。そうだな」
俺は、噛みしめるように、返事をした。
フジノの語った言葉に、正面から応えられたことが、今はただ誇らしく……。
○-○
翌朝、身体の痛みで目が冷めた。
死ぬ思いで洞窟探検をした後に廃車両でキャンプの真似事をしたのは俺にとって予想以上に過酷な労働だったらしい。
結局あのままフジノと何かを喋りながら眠ってしまっていた。
俺が目を覚ますとフジノは既に身支度まで終えていて、俺は慌てて帰り支度を始める。
さすがにまたこのまま冒険に出かけるほどの元気はフジノにもないらしく、今日はとりあえず帰ろうという流れになった。
「留美、昨日寄ったお店に寄り道してもいいかしら?」
「え?なんで?」
「すぐにわかるわ」
廃車両を出て歩き出したところで、フジノがそんなことを言い出した。
あそこに用事があるとするなら買い物だが、今日は帰るんじゃなかったのか?
家帰って食う分のお菓子をフジノが買って帰る、とは思えず、俺は理由が思い当たらない。
そうして訪れた雑貨屋では、レジにはおばさんが立って店番をしていた。
あのばあさんもすぐ脇に腰掛けていて二人で何やら雑談をしている。
「こんにちは」
フジノが挨拶をすると、二人は来客に気が付いて会話を止めた。
「あらま、昨日のべっぴんさんやないの。今日はどうかしたん?」
ばあさんはお気に入りのフジノがまた来てくれて嬉しそうだ。
本来の店主のおばさんの方は、俺たちが昨日と同じ服装で、更にどことなくボロっちい身なりになっていることにちょっと怪訝そうだった。
「ふふふ、おばあさん。今日はおばあさんに見せたいものがあるのよ」
「おや、なんやろね?」
そこでフジノはポケットに手を入れ、中の物を取り出した。
「ほら見て。おばあさん。私たち約束通り、宝物を見つけてきたのよ」
フジノがばあさんに手渡したのは、あのパイライトだった。
こいつが何故か拾ってきていた金色の石ころ。
――あぁそうか、こいつはこのために……。
ばあさんはそれを受け取ると、首に下げていたルーペを使ってしげしげと観察し始める。
「おやまあ、こりゃ綺麗な石だねぇ」
「昨日の冒険で見つけた中で、一番綺麗なひとつを拾ってきたわ。どうかしら?」
「うんうん、こりゃあ大層な値打ちもんよぉ」
「本当に?」
「ああ、そうだよぅ。こんだけおっきけりゃあ、お城が建ってまうくらいやねぇ」
「凄いわ。留美、聞いた?私たちの宝物で、お城ですって」
「え?あぁ……うん」
フジノに話を振られて俺は反応に困った。
ばあさんもどこまで本気なのか、鑑定士みたいなことを言ってるけど……。
「大変だったやろ?大した子たちやねぇ。よっしゃ、おばあちゃんも約束守らんとね」
そう言ってばあさんは立ち上がろうとするが、足腰が悪いのだろう、「よおぃ……しょっ!っとと……」とよろけてしまう。
見かねたおばさんに肩を貸されてどうにか立ち上がると、カウンターの脇に置かれたダンボール箱を指差した。
促されて俺が箱を開くと、中にはお菓子がいっぱい詰まっている。
「ほれ、お菓子。こん中から好きなだけ持ってき」
「そんな。いくら希少な宝物だからって、さすがにこんなにはいただけないわおばあさん」
「ええんっちゃ。気にせんで持ってき。なごぉ前からそういう約束だったんよ」
俺はそんなこと言われてもちょっと気が引けてしまったが、横にいるおばさんも何も言わないので、とりあえずひとつだけもらうことにする。
フジノは口では遠慮しつつも図々しくいっぱい持っていこうとするので、俺はとりあえず止めた。
「嬉しいねぇ……。淳平が遊びに来てくれたみたいや。昔に戻ったみたいで。嬉しいねぇ」
ばあさんはお菓子を選ぶ俺たちを眺めて、嬉しそうに笑っていた。
淳平――ばあさんの本当の孫。
誰だかは知らない。
けど、その人がたまにでいいから顔見せてやったら、ばあさんも喜ぶのに、と俺はぼんやり思ったりした。
俺たちはお菓子を頂いて、店を出ていく。
歩きながら俺はやっぱりちょっとだけ気が引けて、店の方を見てしまった。
おばさんとばあさんが何か雑談をしている姿が見えただけだった。
「ね?無価値なんかじゃなかったでしょう?」
店が見えなくなった辺りで、フジノはそんなことを言った。
――無価値なんかじゃない。
昨日あいつが口にしていた言葉だったが……。
「おまえ、もしかして最初からこのつもりで……」
「ええ。お孫さんの宝物を見せてくれた時から、こうするって決めていたの。思い出に浸っているだけなんて、さみしいもの」
「……」
「だから今回は鍵なんかより、おばあさんが喜んでくれる宝物を探していたのよ。その成否は、語るまでもないわね」
「……」
「手伝ってくれてありがとう、留美。あなたがいなかったら、あの石は見つからなかったわ」
「いや……、まぁ、良かったな。ばあさん喜んでて」
「ええ。本当に良かった」
目的を果たしたフジノは満足げだ。
苦労したかいがあった。そんな表情をしている。
――こいつ、あの暗闇で恐がりながら、ずっとばあさんに何あげるか考えてたのか……。
どうりで帰りたがらなかったわけだ。
冒険の舞台に洞窟を選んだのも、ばあさんが喜びそうなめぼしいお宝がありそうな予想があったのだろう。
――俺なんか、どうしたらいいのかすら、わかんなかったのに……。
「ほら、留美。こっちよ」
俺が考え事をしていると、細い脇道に入ってこうとしながらフジノが言う。
「え?どこ行こうとしてんだおまえ?」
「ついこの間見つけたの。今日はこっちの道を通って帰りましょ」
「なんだよこの狭い道?どこに続いてんだ?」
そこは人通りのなさそうな、未舗装の竹林だった。
砂利道ではあるが、全く使われていないわけでもなさそうだ。けれど茂みに隠れて全然目立たないし、なんとも入って行きにくい雰囲気があった。
「ふふ、実はね、この道をまっすぐ進むと、留美がいつも使っている道に出るのよ?」
「え?そうなの?」
「私たち帰り道が逆方向だから、今まではブラックパレードを出たらすぐにお別れだったでしょう? 実はずっと前から、一緒に帰れる道がないか探していたの」
「……」
「ここを通れば、途中までだけれど留美と一緒にいられるわ」
フジノの言葉に、また俺は何かが引っかかる。
この感覚、昨日も何度も味わった。
言わなければならない言葉、言ったほうがいい言葉があることに、気づく。
「――な、なぁ。フジノ」
「なぁに?」
「あ……いや、これからは毎日この道を通って帰らないか?」
フジノの反応を気にしながら、精一杯の勇気でそれを言う。
対するフジノは、俺の方からそんなふうに言われてちょっと意外そうだったが、すぐに嬉しそうな表情を見せた。
「本当?私もそう言おうとしていたところだったの」
「そ、そっか。なら、そうしようぜ」
「ええ。そうしましょう」
肯定してもらえた嬉しさと、僅かの気恥ずかしさで頬をかく。
フジノは俺の反応を見て楽しそうに微笑んだ。
そうして俺たちは竹林の道を歩き出した。
葉が風に吹かれてさらさらと鳴る音と、土を踏みしめて歩く俺たちの足音が響く。
「あのさ、」
そんな中、俺はフジノに話しかけた。
言ったほうがいい言葉を、ちゃんと言いたかったから。
「また……なんか、思いついたことあったら、今度からは、俺にもちゃんと、手伝わせてくれよ」
フジノは、俺と一緒にいる全てが、無価値なんかじゃないと言ってくれた。
俺だって、そう思ってる。
フジノと一緒にいる時間は俺にとって有意義で、無価値なんかじゃ絶対ない。
俺だって、こいつとの冒険を楽しいって感じてるんだ。
とことん付き合うって決めたのも、こいつが友達になりたいって、そう言ってくれたからじゃないか。
「昨日の夕食作り以外だけじゃなくて……その、例えば、昨日風呂入ったろ? その水汲みとか、重労働なんだから、頼まれりゃ俺だって手伝うしさ。そもそもあのドラム缶風呂だって、呼んでくれりゃ二人で組み立てられたじゃん」
でも、だとしたら俺はもっといろんなことをすべきなんじゃないか?
今回の洞窟探検の時みたいに、俺がやらなきゃいけない時だって、これから先もきっとある。
「ばあさんに何のみやげ持ってくとか、次はどこのダンジョン行くとかも、その……相談、できるだろ」
仮にそうならなかったとしても、今後なんでもフジノに任せきりっていうのは……申し訳ない気がする。
「……俺だってさ、フジノと一緒に帰れる道とかないかなって、思って、たんだぜ?」
っていうか、それ以前に――、
「だから、なんつーか……その……、
俺、役に立たないのかもしんないけど……もっと色々、助けさせてくれよ」
こいつにここまで言わせておいて、少しもそれに報えない。
……そんなの、なんか、格好悪いじゃないか。
「……、それは、難しいわね」
俺の言葉を聞いたフジノは少し黙ってからそんなことを言って、俺は思わずビクッとなりかける。
割と一世一代の発言くらいのつもりで勇気を出して色々言ったのに。
「――だって留美、携帯電話を持っていないじゃない」
だというのにこいつがそんなことを言うので、俺はズルっとなってしまった。
「携帯電話がないと、直ぐに連絡を取り合えないから、必要な時に助けを呼ぶことは難しいわ」
「いやいや、そりゃそうかもしんないけど……」
「でも、そうね。だったら二人で居る間に、ちゃんと今後の予定についても、二人で話して決めていくべきよね」
「フジノ……」
「ごめんなさい、留美。今度からは、ちゃんとあなたを頼るようにするわ」
「……あ、あぁ。よろしくな」
フジノのその言葉で、勇気を出したのが報われた気がした。
返事も思わず力がこもってしまう。
――危なかった。
逃げ出しそうになるのを、踏みとどまれて良かった。
面倒臭がらず、ちゃんと口にできて良かった。
フジノと出会う前の俺だったら、きっと、最後まで言葉に出来なかった。
何も言わずに、全部放棄して謝ったりして適当に誤魔化して。
自分の言葉でフジノが喜んでくれるかわからなくて、怖くて何も言えなくなっていたはずだ。
だって俺は、何の役にも立ってないから。
フジノと比べて、あまりに何もできない自分がいるから。
こいつと出会ってそれを思い知ったから。
だから自分に自信が持てなくて、フジノの言葉がこんなにも重い。
正しくて強いフジノと比べて、俺は、本当に……ずるくて弱いと思うから。
フジノと友達になったあの時から、そんな俺が……ずっと嫌だったんだ。
……だからさ、フジノ。
俺なりに、だけど、言ったつもりなんだ。
「もっとフジノの役に立ちたい」って。
おまえと一緒にいられるような、正しさと強さを身に着けたいんだ。
……本当は、もっと色々言いたいことがあるんだ。
フジノ一人に今まで頑張らせていたことや、俺との冒険を楽しいと言ってくれていることに、
「ありがとう」とか、
「楽しかった」とか、
「こんな俺だけどこれからもよろしく」とか。
でも、そんな簡単な言葉が、まだどうにも上手く出てこないんだ。
……でも、いつかはちゃんと言えるようになりたい。
だからせめて、こう言わなきゃって、そう思うよ。
「あのさ、フジノ、
――――俺たち、友達だよな」
言いながら、俺はさぞや変な顔になっているんだろうなと思った。
自分が遂にそんなことを口にするようになったなんて信じられない。
随分と俺らしくない、暑苦しくて恥ずかしいことを言っている。
一体いつから、そんな風に思うようになったんだ?
それはきっと……多分、最初から。
こいつと出会って、友達になって欲しいって言われたあの時から――。
こんな俺でも心の底では、そんな熱量を発していたはずで。
それを呼び覚ましてくれたのが、――フジノなんだ。
心して、フジノの反応を待つ。
俺がまたしても突然変なことを言うので、フジノはなかなか応じてくれない。
俺は気まずくなって、うつむいて、目を逸らしてしまう。
顔が熱い。きっと馬鹿みたいに赤くなってる。
だから、
「ええ。
――――これからも、ずっと一緒よ」
そう言って彼女が俺の手を握ってくれた時は、嬉しかった。
嫌いだった自分を、今この瞬間、少し許してあげられたような。
そんな、大きな変化だったように思えて、
――あぁ、良かった。
と、俺は胸をなでおろす。
俺たちは、しばらく手を繋いで歩いた。
こうしてフジノが手を引いてくれていたら、俺はもっと成長できるような、そんな気がした。
○-○
その日――、
ここ最近では珍しく、全くの無人となった廃車両に、一人の人間が訪れた。
小柄な女。少女と言って差し支えないほどに。
一見して派手な風体の女と言えた。
奇抜な色に染められた長髪。その髪を結ぶのも、これまた奇抜な髑髏型の髪飾りだ。
服装は上下とも目立つ色合いの派手な柄で、群衆の中ではさぞ目を引くことだろう。
全身に溢れた明色は混ざり合って混沌とし、暴力的な色彩を繰り広げる。
――現実感の薄い、極彩色の女だった。
「あのー、もしもしー?」
女は手にした携帯電話で、通話をしている。
「いや、酷いもんですよー。昨日は泊まり込みでなんかしてるなとは思ってたら、焚き火とかしてたみたいで、……火の始末はちゃんとしてあったからよかったものの……」
電話をしながら、彼女の視線はせわしなく動いている。
廃車両の状況をつぶさに見ては、余さず報告しようとしている様子だ。
「……いやいや、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないですって。山火事とかって119番入れられちゃったら、大変なことになりますよー? え?」
どこか楽しげな調子も混ざるが、女の眼差しは真剣だ。
観察力の全てを駆使して、廃車両の様子を検分し続ける。
「あ、その辺りはだいじょぶそーですよ、先生。気づかれた様子はありません。まだまだ先は長いんですし、じっくりいきましょーね。じっくり。……え?新展開が欲しい? またそんな……あたし一人じゃ手ぇ回りませんってー、要相談。要相談案件ですよそれはー」
得体の知れない会話が続く。
余人が聞いても、意味を理解しかねる内容だろう。
「そいじゃ、切りますよー。今日は買い物してから帰るんでー」
そうして廃車両をあらかた見終えた女は、携帯電話を閉じて通話を切った。
その後、何事かを考えあぐねるようにして、しばし廃車両の前庭にて佇立する。
「んー、一人じゃそろそろしんどいなー。ツテ使って、人手、探すかァ……」
女は最後にそうつぶやき、すたすたとその場を立ち去った。
訪れた時と全く同じ。一切の痕跡すら残さずに消える。
そして後には、無人の廃車両だけが残った。
誰かの語った冒険があった。
それは語り手自身も与り知らぬ思惑により、歪に彩られていく――。