6.バトルクライ
キーンコーンカーンコーン……、
愛すべき解放感をもって本日の授業が終わり、放課後となる。
今日は土曜日。
俺の通う高校は、月の半部くらいは土曜日も授業がある日があって、そういう週は休みは日曜日だけなのだが、土曜の授業は午前中だけで終わりだ。
いわゆる半ドン。
連休を潰されて学校に来させられている倦怠感はありつつも、昼前に帰れるというのはなんとも言えない清々しさがある。
しかも明日は日曜日。休日だ。
生徒たちはみんなどこか浮足立った様子で荷物をまとめて各々教室を出ていく。
「河野、今日はどうするの?用事ないんだったら――」
「悪い篠原、今日は先帰るわ」
俺もまた、そんなやりとりをしながら教室を出て、急ぎ足で駐輪場へ向かう。
自転車通学が認められているうちの高校。
バスや電車と違って、一人で自転車を漕いで帰るのは、気楽でいい。
俺は帰宅して私服に着替えた後、再び自転車にまたがって、学校とは逆方向へ走り出していく。
山間に眠るようにして佇む廃工場。
その袂に位置する、俺たちの秘密基地へ今日も――、
6.バトルクライ
「フジノ」
俺がいつものように廃車両に踏み入ると、フジノはいつものようにそこにいた。
椅子に腰掛け、本を読んでいる。
「あら。こんにちは留美。随分遅かったわね」
「遅くねぇよ。ホームルーム終わってから、自転車飛ばして全速力で駆けつけたっての。これ以上早かったら問題だろ」
自分でも最速の到達スピードだと思う。これを更新するには四時間目はサボらなければならなくなる。
だが俺の返答に、フジノは優雅に足を組み直しながら、見下すように鼻で笑う。
「私は三十時間以上も前から待っていたのよ?」
「だからそれは問題だろ!」
前日朝から学校サボってることになるぞ。
――やはりというかなんというか、こいつやっぱり学校とかまともに通ってないんじゃないのか……?
フジノの言うことなので、冗談の可能性も大いにあるが……。
「で?そんなに前から何やってたんだよ?」
「何って、もちろん冒険の準備よ。留美が来たのだから今すぐにでも出発するわ」
「……聞いてないんですけど」
こいつが唐突なのは今日に始まった話じゃないが、こっちの準備も少しはさせて欲しい。主に心の準備とかを。
「伝えていないもの」
「伝えろよ!伝えない理由がどこにあるんだよ!」
「だって留美ったら、携帯電話を持っていないんだもの。現代を生きるには不便すぎるわね」
「う……」
しれっと言われて激する俺に、フジノはそんなことを言い出す。
漫画のキャラみたいなキャラしてる癖に、時々妙に現実的なことを言いやがる。
確かに俺は携帯電話を持っていない。
家に忘れたとかでなく、そもそも持っていない。
俺たちぐらいの年齢になるとケータイのひとつぐらい普通に持ってるものかもしれないし、なんなら俺より若い世代だって防犯目的で親から持たされてる子だっているぐらいなのだろうが……俺は持ってない。
クラスの連中は大体持ってる。大賀も川村も、篠原も持ってる。社会性とかとかけ離れてるみたいなフジノだって持ってる。
「持たないの?携帯電話」
「いや……」
俺は親からケータイ持つことを禁じられてるとかではない。言えば普通に買い与えてくれるんじゃないかとも思う。
それなのに持たない理由は、……特にない。
強いていうなら、持つ理由がないから。
同年代の高校生たちは、お守りみたいに片時も離さず持ち歩いて、事ある毎に眺めたりしているが、俺にはそれほどまでにケータイを使って何かをしたい欲求がない。
電話をかける相手も、メールを送り合う相手もいないし。色々ある便利なアプリだって、見つけ出したり使いこなしたりするのが面倒に思えてしまうのだ。
「残念。留美の連絡先さえわかれば、あなたが来ない日も退屈しないで済むのに」
「…………」
ケータイを持ちたい理由がない。
それはケータイで何かをしたい欲がない、ということなのだが……、俺は今――
「それじゃあ冒険に行くわよ留美」
「んなカジュアルに冒険言うなよ」
フジノはそのようにして半ば強引に話題を戻してしまう。
こいつの言い方だと近所に買い物に行くような気軽さだ。
「煮え切らないわね。何かしたい予定でもあるのかしら?」
「いや、別にねぇけどさ……」
「留美はいつも予定がないのね」
「悪かったな暇人で!」
「それじゃあ、――繰り出すわよ」
そんなわけで、俺はフジノと、今日も冒険に出かけることになった。
○-○
「見てくれんね、ほれ」
「まあ、どれも綺麗ね、おばあさん」
ばあさんが差し出した和菓子の箱には、色とりどりの綺麗な石や、貝殻などが詰め込まれている。
「うちの淳平ったら、いろんなとこ探検してきよってね、毎日こんなん持ってきてから」
「それでこんなにたくさん。凄いわ」
俺たちぐらいの年齢になれば、それらに価値はないとわかってはいても、きらきら光るその有様は宝石箱みたいだ。
フジノの反応に、ばあさんも上機嫌。
「……」
対する俺は、上手く会話に混ざれず、部屋の隅で大人しくしている。
冒険に繰り出すはずだった俺たちは、今、廃工場近くの住宅地にあった古い雑貨屋の奥に通され、店番をしていたばあさんから孫の話などを聞かされていた。
「宝物を売りに来た、って。お金はあげられんから、お店のお菓子を持ってかせてねぇ……」
「それは素敵な報酬だわ。お孫さんも喜んだでしょうね」
「そうなんよ。喜んでくれる淳平が可愛くってねぇ」
“淳平”というのがこのばあさんの孫らしいのだが、俺は会ったこともなければ名前も今日初めて聞いた。
要するに全く知らない人だ。
その全く知らない孫の話なんかを延々とされて俺は戸惑うばかりだが、ばあさんは嬉しそうにずっとその話をしている。
そんな様子に微笑み返すフジノ。
よくわからない流れで始まった話にあれだけ相槌を打てるなんてな。
自分から喋ってばかりの印象が強いフジノも、年寄り相手にはとても聞き上手になれるようだった。
「ちょっとおばあちゃん、まーた勝手にレジ立っちょったでしょ!」
と、そこで部屋の襖が開け放たれ、エプロン姿のおばさんが入ってくる。
この家の人なのだろうが、俺は当然初めて会う。
「もう、家で大人しくしとき……って、誰ねあんたら!?」
だが、それは向こうにしても同じことで、堂々とあがりこんで話をしている見知らぬ俺たちを見て、おばさんはビックリする。
対するフジノとばあさんはキョトンとして見返すばかりだ。
「おじゃましてます……」
当然のような顔をしている二人に俺は辟易としつつ、仕方なく俺がそう挨拶する。
意気揚々と廃車両を出たところで、フジノは買い物に行きたいと言い出した。
冒険に必要なアイテムを買い揃える……とかなんとか。
また北区まで出るのかと思ったがフジノは近場で済ませたかったそうなので、俺が記憶を頼りにこの近くにあった気がする古い商店までフジノを案内することになった。
しかし俺の記憶が曖昧だったせいで道に迷い、随分と時間をかけた後にようやっと目的の雑貨屋に辿りついた。
あるのは知りつつ初めて入った雑貨屋はなんとも客を不安にさせる雰囲気で、レジにはゲームの妖術師みたいなこのばあさんがいて、ああだこうだ話しているうちにフジノとばあさんが妙に仲良くなり、俺たちは奥に招かれてお茶とせんべいなんかをいただくことになってしまう。
で、二人の話が盛り上がってきたところで、ばあさんの家族が登場した。
知らない間に見知らぬ子供が二人もあがりこんでいて、おばさんはさぞや驚いたことだろう。
……で、現在に至る。
「まさかお客さんとは思わなかったわ。ごめんねー、うちのおばあちゃん、昔のクセで勝手に店番しちゃうのよ」
「いいえ。こちらこそお話させていただいて、楽しかったです」
苦笑するおばさんに、フジノが丁寧にお辞儀をする。
「どうせ無理言って上がってもらったんでしょうに……、お母さん!まーた勝手にレジ立っとぉ! 足悪くしとんやけ中でじっとしとってって言うちょったろうが!」
「店番ぐらいできるわ!あの子たちもちゃんとここで買い物しとろうが」
慣れた感じで言い合いする二人。このおばさんはフジノと話し込んでいたばあさんの娘で、本来はこの人が店を切り盛りしているらしい。
ばあさんはもう隠居している感じなんだけど、時々昔のクセみたいな感じで店番をしてしまうのだそうだ。
「お客様にお茶ぐらいお出し!」
「あら大変、そうやったわ!」
「いえ、お茶もうもらってますから……」
ばあさんに言われてバタバタと立ち上がるおばさん。
俺の弱々しいツッコミなど届かない。
「おばあさん、実は私たちもこれから冒険に行くのよ」
「あらま、淳平とおんなじやないの」
おばさんが消えたタイミングを見計らったように、フジノとばあさんはまたそんなやりとりを再開する。
「お孫さんみたいに宝物を見つけたら、持ってきてもいいかしら?」
「もちろんええよぅ。したらおばあちゃんがおんなじように買い取っちゃるけね」
「聞いた?留美、これは手を抜けないわよ?」
「……」
フジノはどこまで本気なのか、ばあさんの調子に上手く合わせている。
だが、俺は何と言ったらいいのかわからず沈黙で返すだけだ。
「楽しみに待っていてね、おばあさん」
「ほんにかわいい子やねぇ。べっぴんさんやないの。大事にせにゃいけんよお」
すると、そこでばあさんは急に俺の方を向いて、そんなことを言ってくるものだから俺はたじろぐ。
「え……?いや、俺とこいつは別に恋人同士ってわけじゃ……!」
「……大事にせぇゆうただけやないの。何勘違いしとるんこの子」
「すみません。この子、少し早とちりなところがあって」
慌てた俺は案の定言わなくてもいいことを言ってしまい、ばあさんとフジノに揃って白けた態度を取られてしまう。
「ごめんねー、お客さん。口悪いでしょーこの人」
「ほっときね!」
おばさんがひょっこり顔を出して横槍を入れてきて、ばあさん不貞腐れたように追い払う。
おばさんが再度ひっこむと、再度俺にばあさんの視線が向く。
「君、よくこの辺自転車で走っとった子よね?」
「へ?なんで俺のこと?」
「とーきどきこの道通るのみかけちょったんよ。この辺田舎やし、若い子もよおおらんけえのぉ」
そう言われて、俺はちょっと驚く。
俺はこの店に入ったこともなければ、ここに建っていることすらうろ覚えだったというのに、よく覚えているものだ。
「こっちのべっぴんさんは知らん顔やね。普段この辺こんやろ?」
「ええ。今日が初めてです」
「お名前聞いてもええ?」
「フジノと言います。こっちの早とちりの子は留美」
「そおかそおか、今時珍しいえぇ子たちやねえ」
……そのような感じで、フジノのおかげなのかなんなのか、俺も“良い子たち”の括りに入れてもらえたようだった。
その後、俺たちは食材やお菓子などの欲しいものを適当に買い、お暇することにする。
ばあさんは終始上機嫌で、店を出る時には「おばあちゃんからオマケ」とか言って花火セットをタダで俺たちにくれた。
俺はちょっと悪いような気がしたのだが、フジノが遠慮なく受け取るとばあさんはまた喜んでくれたので、まぁ、良かったということなのだろうか。
――それにしても、花火……。
真夏ならまだしも、今はもう11月なのだが……。
ばあさんに見送られながら店から出ていく俺とフジノ。
フジノは愛想の良い笑顔で手を振っていたが、俺はげんなりと肩を落とす。
なんだか、疲れた。
年寄りの相手って苦手だ。
「思わぬボーナスアイテムを手に入れてしまったわ。楽しかったわね」
「いきなりあんなばあさんの相手させられて落ち着かなかったよ」
ただ買い物に来ただけのつもりが、あんな気疲れする展開になるとは。
「留美って意外に人と話すの苦手なのね」
「……意外か?」
「ええ。私と話す時はとてもおしゃべりなのに」
「それはおまえがよく喋るからだよ」
「そう。留美は私がいないとまともにおしゃべりもできないのね」
「その言い方だと俺すっげぇダメなヤツだな!」
――いや、まぁ、事実なんだけどな……。
こいつと比べて、俺なんて苦手なことだらけだし。
前に不良が来た時も大して役に立たなかった気がするし、この間はこの間で、フジノについていくのにやっとだったし……。
……こいつって、なんでこんななんでもできるんだろう?
あの高さから落ちかけても平然としてるし、知らないばあさん相手にも物怖じしないし……、
「……ホント、おまえって怖いものなしだよなぁ」
「何?」
「いや、フジノって、なんか弱点とかないのか?」
「どういう意味かしら。弱点だらけの留美に比べれば、それはもう私は完璧超人に見えることでしょうけど」
「おまえとは一度決着を付ける必要があるらしいな……」
「私の圧倒的勝利ね。ほら、跪いて足をお嘗めなさいな」
「戦う前から勝ち誇り過ぎだ!」
「それで?留美は私の弱点を聞き出して寝首をかこうというのかしら?」
「別に、そんなんじゃねぇよ。ただ、苦手なもんっておまえあんまないじゃん。なんかないのかって気になっただけだよ」
「究極のヒロインたる私に弱点などないわ」
「……いやまぁ、お話のヒロインだって、超格好良くても、大体一つや二つは弱みがあったりするじゃん」
「そうかしら? まあ、一理あるかもしれないわね」
そんな調子で、いつも通りの何気ない会話を交わす俺たち。
フジノは無敵で、弱点なんか一つもない。
……俺は尋ねながらもそう思っていたし、フジノのふざけたような返答にもツッコミを入れはしたが、そこまで深く気に留めていなかった。
納得させられていたのだ。
こいつの言うことは大言壮語でもなく、単なる事実なんだろうな、と。
そう、この時は、まだ――。
○-○
準備を整えた俺とフジノは、今度こそ冒険に出発する。
廃車両を出て、前に行った廃工場中央部をぐるりと迂回するようにして進んだ先には、山沿いを進む細い道があった。
木々や雑草が生い茂ったそこは、何年も人が通っていないのであろうことを示している。
「留美、今日の冒険の舞台はここよ」
と、少し開けた場所まで辿り着いたところでフジノが言った。
山と接するその場所には、人工の石垣のようなものが構築されていて、その中央部には洞窟の入り口が黒々と口を開いている。
「私たちの前に立ちはだかる六つの魔城。ここはそのうちの一つ――“ヘル坑道”よ」
……それはフジノが勝手に付けた名前で、本当の名前がなんなのかは知らないし、そもそも名前があるかもわからないのだが。
でも坑道というのは多分そのとおりなのだろう。
周囲を石垣で固められ、洞窟の入り口も木枠で囲われ、鉄柵が蓋をしている。
おまけにその鉄柵は南京錠がついた針金で閉じられていて、脇には「立入禁止」の札まで掲げられている。
これが天然の洞窟ではなく、人が掘った人工の地下道であることは間違いなさそうだ。
「本格的な冒険の序章は、この坑道から始まっていくわ」
言いながら、フジノはどこかから用意したニッパーで、鉄柵を閉じている針金をプチプチ切断していく。
廃車両近くの金網を破ったりした不良たちと同程度の犯罪行為だが、まるで気にした様子はない。
「地下への潜行、題して“ディープ・スロー”。どう?単純明快でしょ?」
「ホントに単純だな今回」
要するに、ただ潜っていくだけだ。
……いやまぁ、前回もただ登っていっただけだが。
「ところで、なんで最初がここなんだ? 廃車両からなら、もっと近い場所がいくつかあったはずだろ?」
「冒険の序盤といえば、洞窟探索以外にないわ」
「……さいですか」
わけがわからないようでいて、微妙に納得してしまう俺なのだった。
こういう、俺が勝手に理解するポイントをフジノに完全に掴まれてる感じがして、なんだかなぁ、と思う。
洞窟の入口に俺たちは踏み込む。
覗き込めば、まさしく一寸先は闇。入り口付近までしか見通すことはできない。
「うわ、中はやっぱ真っ暗だな……」
「…………」
「ん……フジノ?」
「……、安心なさい。対策は完璧よ」
なんか今、変な間があったように思えたが気のせいだろうか。
フジノは、俺に背を向けさせ、俺が背負ってきたナップザックを開く。
今日の俺はフジノが選んだ荷物を詰め込まれたこれを、背負わされていた。
「あったわ」
と、フジノは大ぶりの懐中電灯を取り出す。
「随分高機能そうな懐中電灯だな」
単に明かりを出すだけでなく、時計とかラジオとかもついてる。アウトドア用というより、防災用のライトっぽい。
「何を言っているの?これをただの懐中電灯だなんて、安く買ってくれたものだわ」
「いや、懐中電灯じゃん」
「違うわ。よくお聞きなさい」
俺の言葉尻を捉えてわけのわからないことを言い出すフジノ。
この状況で取り出したソレが、懐中電灯じゃなかったら何だと言うのか。
「これこそ、秘密の七つ道具の一つ。
薔薇の棺に太陽は在らず――その名も“破邪の光剣”」
フジノはそう言って手にした懐中電灯を天へと掲げてスイッチを入れる。
すると、煌々とした明かりが灯り、暗闇を一気に消し飛ばした。
ただ明かりを点けただけだが、大仰なポーズと共にやられると、フジノが魔法でも使ったみたいに見えた……かもしれない。
「この剣の実体なき刃は聖なる光となって魔を払うわ。消耗した魔力は陽光の下であれば精霊の力を借りて回復することができるの」
「……要するに、ソーラー式のLEDライトね」
見た目は確かにライトセイバーっぽいが。
子供の頃、似たようなことやって遊んでたような覚えがある俺は、生暖かい気分になる。
――ってか、それなら俺も自分のライト持ってくればよかった。
だいぶ前に用意したのに、色々あって全然使っていないマグライトがあるが、せっかく役に立ちそうな今回も使わずじまいになってしまうようだ。
洞窟探検するなら事前にそう言ってくれればいいのに、毎回いきなりすぎるんだよ……。
「それで今日は……えっと、前に言ってた鍵を探すんだよな?」
「ええ、まあ。それもあるわね」
「? それも?」
俺はフジノの発言の意味を測りかねた。
鍵以外にも、何か探すものがあっただろうか。
ライトを手にしたフジノが先頭に立ち、洞窟内部へ潜行する。
「洞窟の中って、思った以上に暗いな……」
「転ばないように気をつけて、留美」
明かりを頼りに進んでいくと、壊れたランタンやカンテラ、採掘用の道具――シャベルやツルハシ、木箱や台車がそこら辺に落ちっぱなしになってたりする。
長い年月を洞窟の中で放置されて、どれもこれもボロボロに朽ちてはいたが。
「結構いろんなモノが落ちてるんだな」
「ここが廃坑になる前の名残でしょうね」
所々に木造の柱や通り道があったりして、いかにもゲームに出てくる鉱山のような趣だ。
暗闇の中という緊張感を抱きつつも、前回のように落ちたり潰されたりのような、差し迫った死の危険は感じられず、俺の心にも随分余裕があった。
「それにしても、不思議ね」
「……?なにが?」
暗闇を進みながら、フジノがふとつぶやく。
「留美、この前見た太いパイプを覚えている?」
「え? あ、あぁ。俺たちが中を通ったアレのことか?」
「そう。あれは樹脂のようなものを加工していた形跡があったわ。鉱石を加工する類の施設ではなかった」
「……そうなのか?」
「あの建物はセメントの製造を行う装置なのよ」
「へぇ、セメントってああいうところで作ってんのか……」
「ええ。だというのに、どうしてこんな鉱山らしい鉱山があるのかしら?」
「……?その、樹脂みたいなのの原料がここで採れるからじゃないのか?」
「違うわ。セメントの原料は発破で土砂を崩すことによって、山を直接削って採取するの。穴を掘ったりはしないわ」
「そういう、もんなのか?」
「事実、工場の北側には山が崩されて平坦になっている場所があるのよ。セメントの原料はそちらで採取されていたのでしょうね」
「……ふぅん」
「わざわざ坑道を作る必要なんてないはずなのに。あるいは時期が違うのかしら?ずっと昔はここで出土する鉱石を使って金属加工業が行われていて、セメント事業が中心になるに従い縮小していった……とか」
「……」
「冒険していると色々発見があって楽しいわね。留美」
「…………」
俺はフジノの説明に、普通に聞き入ってしまっていた。
――よく見てる……というか、色々知ってるよなぁ、こいつ……。
普段はオリハルコンとかゲームみたいなことばっか言ってるくせに、こういうまともな知識もちゃんとあるんだもんな……。
その博識ぶりが、色々な想像を膨らませて、冒険をより楽しくさせるのだろうか。
だとしたら、無知な俺はこいつと比べて、ちょっと損をしていることになるな。
洞窟内を進むと簡素な駅のホームのような場所に到着した。
そこには車輪がついた木箱のような乗り物――トロッコが備え付けられている。
「留美、トロッコよ」
「ホントだ。へぇ、実際に見るのは初めてだなぁ」
「その様子では乗るのも初めてでしょうね」
「……おまえだって初めてだろ?」
「さて、それはどうかしら?」
「なんで意味ありげにしらばっくれんだよ……?」
トロッコの車輪の下には、レールが敷かれていて、そのまま奥へと続いてる。
ということは、ここから先はこれに乗って進んでいくべき場所ってことになるのか?
「これ動かせるのかな?」
「電動ではなさそうだし、部品が壊れていなければ、ね」
フジノがライトを照らして、トロッコの構造を観察する。
人が乗るための木箱の中には、シーソーのような形をしたレバーがあるのが確認できた。
「このレバーの上下運動を回転運動に変えて進む構造のようね」
「……上下運動が回転運動? どういう意味だ?」
「レバーを上と下に動かせば、その動力が伝わって車輪が回る、ということよ」
「はぁ……」
物理の授業で似たようなことを習ったような気もする。
フジノは颯爽とトロッコに乗り込んだ。前方に立ち、ライトで先を照らし始める。
俺も続いて乗り込む。
中は狭くて、快適な乗り心地とは言えないが、元々作業のための乗り物だし、そんなものだろう。
「それじゃあ、動かしましょう」
「わ、わかった……」
俺たちはお互い、シーソー状のレバーを掴む。
「まずは、既に上がっている俺の方のレバーを下ろす、でいいんだよな?」
「ええ」
「よし!」
俺は力を込めて、レバーを下ろそうと試みる。
……が、どういうわけかレバーはいくら力を入れてもびくともしない。
「うぐぐ……!」
「どうしたの留美?壊れているのかしら?」
「錆び付いてて動かねぇ……のか?」
「手伝うわ」
「いいよ、こんなの俺一人で……」
と、そこでレバーの反対側にいたはずのフジノがトロッコを一旦降り、俺の方に乗り込んできていることに気が付いた。
「って、おい!どこ入ってきてんだよ!?」
「留美、もう少し近くに寄って。力を入れづらいわ」
「っ……!」
ぐいぐいと身を寄せてくるフジノ。暗かったので、近くに来るまで全然気が付かなかった……。
だが、二人で力を合わせても、レバーはギギギ……と音を立てはするものの、動き出す気配は見られない。
「ぜぇ……はぁ……どうなってんだ……?」
「……、なるほど」
息を切らす俺とは対照的に、フジノは何かに気付いたようだった。
トロッコを降りて後方に回り込み、車輪の下などを覗き込んでいる。
「私としたことが迂闊だったわ。留美、このトロッコは最初は車輪の方を回して動くのよ。レバーで運転するのは勢いをつけてからでないと駄目みたい」
「……そうなのか?」
「そうなのよ」
「……」
「…………」
一瞬の沈黙。
トロッコの仕組みを把握した上で、どうすれば動かせるのかを俺が理解するまでに要した間だった。
「……走り出しは、俺が後ろから押さないとダメってこと?」
「女の子の細腕に重労働をさせるつもり?いけずね」
「前回もそうだったけど、ホント都合の良い時だけ女子アピールするよなおまえって……」
仕方なく(というかもう慣れてる)俺は、トロッコを降りて後方に回る。
レバーを力一杯動かそうとした直後に、今度はトロッコ自体を動かさないといけないなんて……インドア系にさせる労働じゃない……。
「ぐぎぎ……!」
「頑張って、留美」
歯を食いしばって力を込める俺を、フジノはトロッコの上から呑気に応援している。
こいつもまぁ、トロッコを早く動かしたくてワクワクしてるんだろうな、という感じ。
俺だって、同じ気持ちではあるけどな。
努力の甲斐あって、俺の力でもどうにかトロッコの車輪は回りだした。
ゆるゆると動き始めたところでフジノがレバーを動かすと、徐々に加速をし始める。
「――留美、今よ」
「あ、あぁ!」
呼びかけるフジノ。俺はすかさずトロッコに飛び乗り、レバーを掴む。
俺たち二人によってレバーがシーソー運動を始めると、あれほど動かなかったトロッコはガタゴトと音を鳴らしながらも軽快に加速し始める。
「あは!やったぞ、動いた!」
「ええ。感動的だわ」
喜び合いながら、レバーを動かす俺たち。
錆び付いた木箱は新たな乗り手を得て、暗闇の奥へと進んでいく。
「留美、凄いわ。私たち、風になってる」
「地下だけどな」
レールの敷かれた洞窟は奥へと続いていて、終わる気配はまだ見えない。
「もっとスピードを出してみましょう?」
「やってみるか……!」
面白くなってきてどんどん漕ぐ俺たち。
車輪の回転が勢いづくにつれ、レバーは軽くなり、トロッコはぐんぐん速度を上げていく。
ギィギィと耳障りな音を立てながら、奥へ奥へと進んでいく。
不意に、ガシャン、と車輪が何かを踏む音がした。
「ん?」
同時に、間近にあった洞窟の壁が、少し途切れているようにも見えた。
「今、分かれ道みたいになってなかったか?」
「ええ。速すぎて通り過ぎるしかなかったけれど……」
トロッコのスピードが出ている上に暗くてわかりにくかったが、道は二股に分かれていた。
「今、勝手に左に曲がったよな?右にはどうやって行くんだ?」
「レールの脇にレバーがあったように見えたわ。あれを切り替えることで、反対側に進めるみたい」
「ああ、あの線路が動くヤツか」
「そう。よく知っているわね」
「まぁな。とりあえず……こっちの道で、いいのかな?」
「ひとまずは、こちらからでいいんじゃないかしら? 一度で全て探索できるほど、生易しいダンジョンではないわ」
「なるほど、ゲームのようにはいかないか」
「ふふふ……」
不意に笑うフジノ。
俺の発言に、というよりは状況を楽しんでいるような気配だ。
「なんで楽しそうなんだよ?」
「留美だって。随分と快調に飛ばしているじゃない」
「そんなことねぇって」
スピーディに坑道を駆け抜けていくトロッコ。
この間、工場の高台に登った時もそうだが、こんなの普通に生活してたって絶対に経験できないイベントだ。
その興奮と優越感が、俺を気分良くさせる。
フジノもきっと、そうなんだろう。
「風の感じが変わったわ」またしばらく走行していくと、フジノがそんなことを言った。「少し広い空間に出たみたい」
「そうなのか?暗くてよく見えないけど……」
確かに、すぐ近くに見えていた壁が遠のいたようにも思える。
フジノのライトは明るいが、照らしきれない程の広さ、ということか。
「そろそろ、スピードを緩めておいた方がいいかしら……?」
「そうか?……ところで、このトロッコ、どこにブレーキついてんだろ?」
「え?」
フジノが虚を突かれたような、らしくない反応を示す。
……ブレーキが見つからない。
というか、そもそもそんな機能自体がついてないようだ。
俺たちが調子こいて漕ぎまくったトロッコは、レバーから手を離してもそのままグイグイ進んでいってしまう。
「自然に止まるのを待つしかないのか……?」
「そうみたい……」
原理はわかるが、それだと目的の場所に止まりたい時ってどうするんだろう?
……というか、これってもしかして、こんなスピード出して走るような乗り物じゃないのか?
頬を通り抜けていく風と、ギィギィとせわしなく鳴る車体の音が、なんとも不安を煽る。
――俺たちって、かなり危ないことやってるんじゃ……?
すると直後、トロッコに大きな衝撃が走った。
下から何かがぶつかったような感じだ。
石か何かを車輪が踏んだのか、急ブレーキがかかったような感覚があって、車体がぐらりと前方に傾く。
「うわああぁっ!?」
前方へひっくり返るトロッコ。
何の準備もしていなかった俺とフジノは、そのままトロッコから放り出されてしまう。
「がっ、いだっ!」
俺はボールのように吹っ飛んだ後に、受け身も取れずに地面にぶつかった。
ゴロゴロ転がった先にあった岩にぶつかって、なんとか停止する。
「……い、生きてる?」
無様にひっくり返った状態で、転がりすぎて目が回ってはいるが、死んではいなかった。
――いてて……思いっきり背中打った……、なにがあったってんだ……?
記憶を辿る。
驚きと恐怖のあまり、一瞬記憶が飛んだような気分がしたが、すぐに思い出せた。
トロッコが脱線したのだ。
スピードの出しすぎか、線路上に何かあったのか、よくわからなかったけれど、とにかくトロッコはひっくり返り、シートベルトもしてない俺たちは投石機のように放り投げられた。
俺はよたよたと立ち上がりながら、全身の調子を確認する。
痛い。痛いが、打ちどころが良かったのか、大きな怪我はしていないようだ。
歩くにも手を使うにも、支障はなさそうだった。
骨折ぐらいはしたかと思ってたが、ホッとする。
「って、フジノは……!?」
そうして自分の状況を把握した後、フジノのことを思い出した。
「フジノッ!」
カチ、カチ。
呼びかけるも、返事はない。
姿も見えない。
……というか、何も見えない。
「――?」
カチ、カチ。
周囲があまりにも暗い。
自分の真下の地面すら、ろくに見えなかった。
――ライトが、消えてる?
ライトはフジノが持っていたため、彼女と一緒にどこかにいってしまった。
カチ、カチ。
――ってか、さっきから、なんだこの音?
「フジノーッ、どこだ!?」
俺は手探りで、音のする方へと向かってみる。
ぼんやりとすら見えない暗闇の中。
転ばないように自然とすり足になり、ゆっくり進む。
カチ、カチ。
そうして、すぐ前から音が聞こえてくる場所まで来た。
「フジノ……?」
「……、留美……?」
声をかけると、フジノらしからぬか細い声が呼び返してくる。
カチ、カチ。
まさか、怪我でもしたのでは、と俺は慌てて近寄った。
「だ、大丈夫か!? どこか、怪我を!?」
「平気……。留美、そこにいるの?」
カチ、カチ。
「いるよ!よかった、おまえもすぐそこにいるよな……ああ、暗くてよくわかんねぇよ!フジノ、ライトはどうしたんだ?」
「持っているわ、けれど……」
カチ、カチ。
「なら、早くつけてくれよ。顔も見えなくちゃ話しづらいぜ」
「つかないの」
「へ?」
カチ、カチ。
「ライトが、つかないの」
「……うそだろ?」
カチ、カチ。
怯えたようなフジノの声の裏で、カチカチという音は鳴り続けている。
それがフジノが必死にライトのスイッチを入れてようとしている音だと俺はやっと気づく。
……何も見えない暗闇の底で、唯一の光源が、壊れた。
「ね、ねえ、留美、どこにいるの?」
「どこって……おまえのすぐ近くだよ。たぶん」
暗くて見えないが、とりあえずしゃがみこむ。
フジノの声が下から聞こえてきているようだったからだ。
「どこ?もっと近くに来て」
「は?近くって……いてっ」
少しだけ声の方向に身を乗り出してみると、顔をはたかれる。
「あ、今、触ったわ。留美、そこにいるのね?」
「だからいるって……、いてっ、痛ぇって、叩くなよ……!」
そのまま上半身をくまなくぽんぽんやられる。
身体検査でもされているかのような気分になる。
「あぁ……、よかった。留美、そこにいるのね」
「いるよ。さっきから喋ってんだろ。ってか、どうしたんだおまえ、さっきから、なんかヘンだぞ?」
「留美、その……言いにくいことなのだけれど……」
「な、なんだよ。ライトが壊れた以外にまだなにかあるのか?」
「その……」
「もしかして、やっぱおまえどっかケガして……!」
「――――恐いの」
「……は?」
「私、実は……こういう暗闇がとても苦手で……不安で、恐くて、立てなくなってしまうの……」
「……」
顔も見えない状況で突如告げられた言葉を、理解するのに俺はしばらくかかった。
「はぁあ!? なんで今更!? 今までも暗い所に行くことなんて、いくらでもあったじゃん!?」
「っ、それは……少しでも明かりがあれば平気なのだけれど、こんな手元さえ見えない真っ暗闇だと……」
「……ダメなのか?」
「何も見えないと……なんだか自分が分からなくなってしまいそうで」
「……」
フジノの声は、弱々しい。
暗くて見えないから表情まではわからないが、普段のこいつならこんな風に息を飲んだり、歯切れの悪い喋り方をしたりしない。
「ねぇ、留美。本当よ。信じて、留美……、」
「……信じろって、言われたって」
あのフジノに、こんな単純な弱点があるなんて……信じられない。
――ほんのついさっき、弱点なんかないって言ってたじゃねぇか、おまえ。
確かに、ここまで真っ暗だと、怖い……けどさ……。
「ごめんなさい、留美。こんな情けない私を、留美にだけは知られたくなくて……。さっきもつい、弱点なんかないなんて……強がってしまって……、ごめんなさい、留美」
言葉と共に、しゃがみこんだ俺の膝に触れるものがある。
それはフジノの手で、彼女が俺に寄り添ってきているのだと理解した。
「そんな、謝られても……、とりあえず、その、立てるか?」
「……ごめんなさい、足が、震えて……」
「どう、すりゃいいんだ?」
「……お願い。手を、握っていてくれないかしら?」
「……」
「留美がそばにいるってわかれば、不安もおさまるかもしれないから……」
手探りに手を伸ばすとフジノの身体があった。
おそらく肩辺りに触れる。するとすぐさまそれを握ってくるフジノ。
「よかった。留美がいてくれて、よかった……」
心底安堵するような言葉。
触れたフジノは震えていた。
本当に、暗闇が恐いのか……。
俺は、どうしたらいいかもよくわからなくて、ひとまず怯える彼女を励ますみたいに、手をぎゅっと強く握り返した。
○-○
とりあえず、怯えるフジノをなんとか落ち着かせようと思った。
今は暗闇の中、二人で手を繋いでいる。
「とりあえず、さっき何が起こったんだ? 俺たち、なんでトロッコから吹き飛ばされたんだろ?」
「レールの上に、石でもあったんじゃないかしら。あんなにスピードが出ていたもの……」
「なるほど、調子にのってスピード出しすぎたな……、悪ぃ」
「留美の所為じゃないわ」
俺がなんとなくそうじゃないかと思っていた原因で、間違いないようだった。
初めてのトロッコに浮かれすぎていた、ということか。
フジノの言葉を借りるなら、随分と迂闊な話だ。
俺に関してはいつものことのようで情けないが、フジノまでも、か。
「これからどうしよう? ちょっと周りの様子、見てきていいか?」
「私を置いていくつもりなの?」
少しだけ腰を浮かせかけると、びっくりするほどの強さで引っ張られた。
「だって、おまえ動こうとしねぇし……、だったら俺一人で行くしかねぇじゃん」
「嫌よ……、そんな、意地悪しないで……」
「おいおい……」
――キャラ変わりすぎだろこいつ……、マジで暗いのダメなんだな……。
しばらくは動けそうにない。
仕方ないので俺はとりあえず、その場から動かずに目を凝らす。
真っ暗な中でもこうしてれば徐々に目が慣れてきて、なんとなくどこに何があるのかわかってくる……。
……かと思ったけど、やっぱ全然見えない。
……どうしよう?
――何か少しでも明かりがあれば……ああくそっ。今日に限ってマグライト持ってねぇとか、俺役立たずすぎだろ……。
いつも無意味に持ってきて使わないのに、今日に限って持っていない。
何か明かり、明かりになるもの……。
――……そうだ。携帯電話! 液晶の明かりで照らせるかも!?
「フジノ、おまえケータイ持ってるよな?」
「え?えぇ……」
「貸してくれ」
フジノはおずおずとケータイを取り出し、俺に手渡す。
これスマートフォン――iPhoneっていうんだっけ?
初めて触るが、おおまかな仕組みは知識として知ってる。
真ん中のボタンを押すと、液晶画面が光り、待受が表示された。
「あ……」
「よし。少しだけど、これでなんとか周りが見えるな」
「ええ、本当。よく気がついたわね、留美。さすがだわ」
「前に友達がこうやってライトがわりにしてんの見たことあんだよ」
ちょっと得意げになる俺だったが、普段のフジノなら別にこのぐらいの機転利かせられそうな気がした。
iPhoneを向けながら、周囲の状況を確認する。
転がっているトロッコ。レール上の石。
やっぱり、あの石にぶつかってひっくり返ったのか。
レール自体は更に奥へと続いている。しかしトロッコを元に戻すのは難しそうだった。
――どうしよう、このままレールづたいに歩いていけば帰れそうだけど……。
左右を見る。レールはどちらにも続いている。
どちらも同じような景色の洞窟。
トロッコから吹っ飛ばされた所為で、どっちから来たのかもよくわからない。
「……フジノ、どっちに進めば入り口に戻れるか、わかるか?」
「ごめんなさい……」
「だよな……来た道を進めば、帰れるんだろうけど……」
「留美は、今日はもう帰りたいの?」
「帰りたいっつーか……え?まさかおまえ、まだ奥行くつもりなのか!?」
「……おかしい?」
「いやいや!こんな状況だぞ?ライトもないし、おまえもそんな状態で、先進んでどうすんだよ!?」
「ご、ごめんなさい、でも……まだ目的を果たしていないから……」
「目的って……」
……カギのことか? そんなにまでして、おまえは……。
「何の成果もないなんて、留美にも申し訳ないわ」
「そんなの、俺は別に……」
「だから、お願い……、留美」
手を握ってくる力が強まる。
そこに彼女の固い決意を感じ、俺はちょっとの間ぐるぐると思い悩んだが、結局は諦めたように納得するしかなかった。
「あぁ、もう!」
――こいつ、こんなになっても俺の話聞きやしねぇ。
いつもの強気はどこへやら、謝ってばかりで調子は狂うが、根本的なところでフジノはフジノだった。
「よし!こっちに進もう。もしこの方向が入り口に向かってても、奥に潜ることになっても恨みっこなしだ」」
「ありがとう。留美、迷惑かけて、ごめんなさい……」
顔を見ると、フジノは随分くたびれた様子で、らしくない。
進行方向を確認。フジノの手を引いて、レールの上に立つ。
「ケータイ、つけっぱなしにしとかない方がいいな」
「そうね……、電池がいつまで持つかもわからないし……」
「その、平気か?消しても」
「えぇ、留美が手を握っていてくれれば……」
「じゃ、じゃあ、消すからな……」
なんとなく緊張しながらホールドボタンに手をかけ、押す。
唯一の明かりが消え、辺りは再び真っ暗闇。
「っ……」
フジノが息を呑む声。ぎゅっとしがみついてくる。
俺は驚きつつも、本気で怖がっている彼女の手前、頼もしくあらねばと自制した。
「だ、大丈夫か?」
「ごめんなさい……、覚悟はしたのだけれど」
「たまにつけながら行くから。真っ暗じゃ道もわかんねぇからさ」
「えぇ、ありがとう、留美。優しいのね」
「べ、別にそんなんじゃ……」
歩き始める俺たち。
俺は右手で壁を触って、壁づたいに進む。こうすれば遠回りになっても、あらぬ方向に進んだりはしないだろう。
靴にレールの感触を感じながら、ゆっくり暗闇を進んでいく。
少し歩くと開けた空間はまた狭苦しい穴に戻り、定期的に明かりを灯しても周囲は一本道のまま。
何度か曲がりくねりつつも、ひたすら前進を続けながら、時間が経過していく。
「ねぇ、留美、どこ?ちゃんとそこにいる?」
「いるよ。手、つないでるだろ」
「で、でも……姿、見えないから」
「そりゃ見えないだろうけどさ……ケータイの電池切れたらマジで終わりだし、無駄使いできないんだよ」
「……」
「……ごめんな」
「いいえ……留美が、正しいと思うわ」
喋りながらも、手探りに進む。
前方に差し出した手が壁に触れた。
――また、曲がるのか……? えっと、さっきは左に折れたから……。
ただ、トロッコに乗っている間はこんなに曲がり角は多くなかったはずだ。
つまり俺たちは奥へと進んでいる。
――大丈夫か?本当にこれで良かったのか?
真っ暗だと方向もわからない。
自分がどっち向いて歩いてんのか、もうメチャクチャだ。
――こんなんじゃ、カギを探すったってどうしようもないんじゃないのか?
「この洞窟、どこまで続いてんだろ?」
「わからないわ」
「そんな深くは潜ってないよな?だったら、山の反対側に抜けられるかな?」
「ごめんなさい、それもわからないわ」
「……」
フジノの頼りない反応に、反射的にイラッとしかけるのをぐっとこらえた。
――くそ、何イライラしてんだ!馬鹿か!
いつもと立場が逆だ。
俺が先に立って、フジノが後をついてきている。
喋っているのも俺ばかりだ。普段のフジノなら、わからないなりにもっと色々言ってくれるのに。
恐くてそれどころじゃないんだろう。
何か考えている余裕なんて、今の彼女にはないのだ。
俺はもっとしっかりしないと駄目だと自分に言い聞かせる。
いつもはフジノが先導しているのだから、こういう時くらい俺一人でなんとかしないといけないんだ、と。
――俺一人で、なんとかしなきゃいけないのか……?
…………なんとか?
なんとかってなんだ?
この状況下で、俺に何ができるんだ?
代わりのライトだって持ってきていないし、こんな場面で役立つ知識も持っていない。
どうしようもない。何も見えず、わからないまま、ただやみくもに歩くしかない。
不意に、びくっ、と身体が震えた。
フジノを頼ることができない。自分の力で切り抜けなければならない。
そう思った瞬間、心臓が締め付けられるような感覚があった。
それは不安だと、すぐにわかった。
洞窟の奥底。こんな非日常の中ではどんな危険があるかなんてわからない。
いつ訪れるかわからない危機を、フジノを守って乗り越えなければならない。
そのとてつもない重圧に、身体が、足が重くなる。
たまたま立場が逆転して、初めて知った。理解した。
俺を冒険に連れ出した彼女が、どれほどの不安に晒されていたのかを。
信じられない。こんな孤独と緊張感の中で、あんな平然としていたなんて。
それに比べて普段の俺は、ビビりながら手を引いてもらっているだけだ。
そう思ったら、暗闇に怯える彼女を笑い飛ばすなんて、とてもじゃないができなかった。
「留美、もう少しよ。もう少し、頑張りましょう?」
「あぁ……、おまえも、無理すんなよ」
フジノは怖がっていても、こんなにも毅然だ。
生理的な恐怖心すら、打ち倒そうとする使命感。
本質的な強さの格差を、見せつけられるようだった。
フジノはいつだって俺の一歩前を進んで、
俺のすべきことを決めてくれたり、
危険な状況を乗り越えてみせたり、
いろんなことを俺に教えてくれていた。
なのに俺は……っ!
せめて、もっと……こんな状況でも挫けないぐらいの、能力や知識が俺にもあったら――、
「あ……あぁ!」
前方に見えたものに、俺は声を上げていた。
それを見つけられたことが嬉しかったのもある。
だがそれ以上に、声を出さなければ弱い自分に塗りつぶされてしまいそうだったから。
「明かりだ! フジノ、明かりが見えたぞ!」
「本当だわ」
「外と繋がってるのかも、行ってみようぜ」
「えぇ」
だから、弱くても彼女を導くことができるこの機会を、
……俺は絶対に逃したりしたくなかった。
○-○
フジノの手を引いて、前方に見えた光を目指して歩いて行く。
近づくにつれ、その光の強さに気づき、それが太陽光だと確信していく。
そして、徐々に異様な光景が目に入ってくる。
天井に穴が空いていて、空が見えた。
洞窟内に光が差し込んで、明るく照らし出している。
「これは……」
「素敵……」
……そして壁の一面に金色の光が広がっている。
「見て、“輝彩鉄”よ。それもこんなにたくさん」
「え?」
つないでいた手を振りほどいて壁に駆け寄っていくフジノ。
触れた先――陽光を受けてきらきらと光るそれらは、一面を埋め尽くす、金色に輝く結晶。
「綺麗……、苦難を乗り越えたに相応しい財宝だわ」
形の良い一つを手に取りながら、満足げなフジノ。
その表情に最早恐怖はない。
――もう元に戻ってら……、変わり身早いなーこいつ……。
思いながら、俺も手近な石に触れてみる。
夕日を浴びて金色に輝くそれ。
しかしオリハルコンでもなければ金でもなく……。
「なんだ、これパイライトじゃんか……」
黄鉄鉱はこの手の鉱山なんかでよく見つかる石だ。
金色の鉱石だから金と間違われやすくて、「愚者の金」なんて呼ばれてる。
その名が示す通り、こいつ自体の価値はほとんどない。
ただのキレイな石ころだ。当然ながら、オリハルコンでもない。
……なんで俺がそんなこと知ってるのかは、今は関係ないので省く。
無価値なものと理解しつつ、金色の結晶がこんな風に壁一面に広がってるとなると壮観だ。
手にした石ころをほうり捨て、視線を移すと、崩れた岩が折り重なるようになっている。
よじ登れば外へと出られそうだ。
――外に続いてる……落盤でもあったのかな……?
「フジノー、ここから登れば出られそうだぞ?」
「そう。なら、帰りは外を通って帰りましょう?暗い洞窟はもう嫌だわ」
「はは……」
苦笑しつつ、岩に足をかける。フジノもあとからついてくる。
――まぁ、なんとか外には出られそうだし、それだけでもめっけもんだよな。
お互い傷だらけの泥だらけになりながらも、大きな怪我もせずにすんだ。
財宝こそ見つけられなかったが、俺はそのように納得することにした。
岩を上って洞窟から出ると、そこは森が広がっていた。
洞窟を抜けたら今度は森かよ、と思ったが、木々を抜けていくと程なくして古びた神社の境内に出た。
がらんとした本堂と、社務所のような建物があるが、人は誰もいない。
苔むしたお稲荷さんの石像が、じっとこちらを見つめている。
「こんなところに神社がある……」
「なるほど、ここに繋がっていたのね」
「知ってるのか?」
「ええ。そこの石段を下りて、左にずぅっと進んでいけばブラックパレードに戻れるわ」
「へぇ、さすがによく知ってるなぁ」
「そうとわかれば暗くなる前に帰りましょう」
「そうだな」
俺たちは、人気のない神社の境内を抜けて、石段を下っていく。
神社は誰もいないし、古びてはいたが、廃工場のようにボロボロではなかった。
定期的に掃除とかして管理してる人でもいるのだろうか……?
こんな誰も来なそうな神社なのに?
「ま、今日は大変だったけど、なんとか戻れそうだな」
「留美のおかげよ。本当にありがとう。今日のあなた、素敵だったわ」
「……」
面と向かって褒められるが、嬉しさよりも先に感じたのは情けなさだった。
今日の自分は、全然役に立っていなかった。素敵だったわけがない。
いや、役に立ってないのは、今日に始まった話じゃ……。
「……それにしても、さすがに少し疲れてしまったわ」
「確かにな」
歩きづめだったし、精神的にも来るものがあった。
窮地を抜けてホッとしたところで、疲労が押し寄せてきた感がある。
「なんだか、今日はもう帰りたくないわ」
「確かに……、えっ?」
思わず同意してしまってから、フジノが何かおかしなことを言ったことに気付く。
「ねぇ留美。
今日は一緒に、ブラックパレードに泊まっていきましょうよ」
「ん、なぁっ――――!?」
高校一年、冬。
俺は、初めて女の子と、無断外泊することになった。