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ブラパ THE BLACK PARADE [SCENARIO Ver.]  作者: 藤原キリヲ
THE BLACK PARADE
2/21

1.The Black Parade




 高校一年、秋。

 俺は、初めて女の子に押し倒された。



 それは、とても激しく。まるで投げ飛ばされたかのように。

 ……いや、実際そのような感じだった。

 押し倒される、という言葉は適切であって不適切だ。

 俺は、押し倒されているのは間違いないが、より正確に言うならば“組み伏せられている”。

 突然襲いかかられ、乱暴に倒され、関節を()められている。


「動かないで。喋らないで。なんにも考えたりしないで」


 歌うような声でそんなことを言われ、戸惑う。


 うつ伏せに倒れ込んだ俺の視界に映るのは埃っぽい板張りの床。おかしな方向に曲げられている右腕に鈍い痛み。脇腹にかかる、人間一人分くらいの重たさ。

 勢いよく倒された時の衝撃に俺の身体は驚いているのか、うまく動かせない。

 ……いや、体が動かせないのはこの声の主に、ガッチリ関節を極められ、そのうえ膝で脇腹を、片手で首根っこを押さえられているからだ。

 完璧な制圧状態。

 まるで状況が理解できずに混乱している俺の思考はようやくそのあたりまでを理解した。


 置かれた状況は理解した。けど、今度は何故?という疑問が湧いてくる。

 俺は、どうして“こんな場所”で、こんな目に遭わされているのか。


「まず、あなたの名前を教えてくれる?」

 何故か名前を尋ねられた。

「こ、こう、の……、るみ」

 答えた自分の声は、情けないくらい苦しげで無様だった。


河野留美(こうの るみ)。そう」

 納得するように俺の名前を復唱して、声の主は俺の関節をガッチリ極めていた手を離した。同時に脇腹に感じられていた重みも失せる。

 解放されたことに気がついた俺は慌てて腰を浮かせ、じたばたと転がるようにしてその場から離れた。

 関節極められて制圧……なんてされたことあるわけないから当然といえばそうだが、なんとも無様な感じで身体を起こして振り向いた俺を待ち受けていたのは、――女の子だった。


 自分と同じぐらいの年齢だろうか。

 腰に届きそうなほど長い黒髪と、学生服とも正装ともつかない衣装のような服装が目を引く。

 そして――、


「初めまして、留美。

 私はフジノ。よろしくね」


 そう名乗った彼女の目に、俺はドキリとした。

 瞳に宿る、まるで星のような輝き(ナニカ)


「ねぇ、留美。私、あなたに決闘を申し込もうと思うの」

 彼女の言った、よくわからない言葉さえも耳に入ってこない。


「受けて、くれるかしら?」

 初めて目にした、吸い込まれてしまいそうな(ソレ)に、目を奪われて……。




     ★ ★




 ――古来より、人類は星を追ったという。

 遠く空の彼方に見える、闇の中にあってなお輝く星。

 その光が人の目に届く時、その星は既に失われているかもしれない。

 だが、光は人の心に残り、その光に人は何かを託した。

 それは、見果てぬ夢か、なくした希望か、それとも……、



挿絵(By みてみん)

1.The Black Parade




 一日前。

 俺こと河野留美は、自分でもどうかと思うぐらいどんよりとした心持ちで、バスに乗っていた。

 高校への通学に毎日利用しているバスの車窓からの景色は、入学から半年過ぎた現在、既に見飽きた景色に成り果てている。

 ……いや、俺のテンションが低い理由はそこではなく、単に嫌なことがあっただけだ。


 少し前に中間試験があった。

 そして、採点された答案の返却があった。

 そしてそして、俺の試験結果は、割と惨憺たる感じだった。


 ……言ってしまえば、まあ、それだけのこと。


「ね、河野」と、俺の背後――バスのひとつ後ろの席に座っていた篠原雛(しのはら ひな)が声をかけてきた。「テスト、どうだった?」

 なにが嬉しいのか、少しだけはずんだ声。

 対する俺はといえば、そんな篠原に対する不快感が表情全面に出てしまっていたんじゃないかと思う。

 ――俺のローテンションを見て、聞くか?普通。

 そんな意識が隠せていなかった。隠すつもりもなかったけど。


「……数学。赤点」

 だから、ぶっきらぼうにそう返す。

 しかし篠原は、俺が不機嫌であることに気付いていないかのように意に介さず、いつもどおりだ。

「え?赤点ひとつでも取ったら補修と追試、両方だよ? 大丈夫?」

「そなんだよなぁ……、気ぃ重……」

 だから俺も、ふてくされるのが馬鹿馬鹿しくなって、会話に応じた。

 篠原はげんなりする俺を見て、小さく笑った。後ろに座っているから顔は見えないのだが、そんな気配がした。

「でも、こんな点数悪いのなんて初めてだよね?」

「んー、まあ、そうかも」

「普段は、私よりずっといいのに」

「……」

 ――篠原より成績良くても、なんの自慢にもなんないけどな。

 俺は内心そう思ったが、言っても負け惜しみにしか聞こえないだろうと思って、黙った。


 篠原雛は、俺の幼馴染だ。

 幼稚園だったか小学校だったか、そのぐらいからの付き合い。

 家が近所だったからかなんなのか、もう覚えてないけど何かのきっかけで交流が生まれて、気付けばよく一緒にいる間柄だ。

 篠原は昔から勉強も運動も全然できない、馬鹿でどんくさい感じの女子で、今の高校も俺が一緒に勉強してやった結果奇跡的に合格した程度に学力が低いヤツ。

 中学の頃からかニョキニョキ背が伸びて、今や俺より高い170越えのデカ女になった。

 いつの間にか運動は割と得意になってて、中学生の頃などはその高身長を生かしてバレー部などに入って頑張ってたらしいけど、勉強が得意になったなんて話は聞き及んでないので、多分苦手なまんまだ。


 小学生の頃は、男子女子で話してただけでも、すぐ「あいつらつきあってるー」とか言ってからかうバカがいっぱいいた。

 だから俺も女子と仲良くしてるなんて恥ずかしくて、昔はちょっと嫌だったのだが、篠原の方は全然気にしてないみたいで、周りの目とか構わず俺に話しかけたり一緒に遊ぼうとしてきたりしていた。

 今も昔も空気が読めないのだ。

 最近だと俺の方も、そういうことはもうあんまり考えず、適当にやってる。

 というか、俺にわざわざ絡んでくるような物好きが今やもう篠原ぐらいしかいないから、コソコソする意味があんまなかった。


 漫画とかラノベとかを読んで想像していた高校生活って、もっとキラキラしてて、毎日騒がしくて楽しいもんであるかのように思っていたが、現実は違った。

 そういう青春が送れるのは能力があって社交性のある一部の人間だけで、俺のような地味でつまんないヤツは、大勢いるクラスメイトの中で埋没していって、バラ色どころか灰色の日常を送るしかなかった。

 かといって、それを理解しつつも打破するほどの活力は自分の中から湧いてこなくて、俺はといえば自分と同じぐらい地味でパッとしない感じのヤツらとつるんでいるほか、未だにしつこく俺と交流しようとしてくる篠原の相手をするだけだった。

 本当は相手をしてもらっているのは俺の方なのかもしれないのだが……。


「試験勉強、あんまりやってなかったの?」

 俺はこの話はもうやめにしたいのに、篠原が追及をやめない。

「やーまぁ、最近始めたネトゲが面白くてさ……」

「なんていうやつ?」

 だから適当にそんなことを言ってみるのだが、これはこれでめんどくさい感じに話が転がってしまう。

「んー……、秘密」

「え?」

「他のみんなが一緒に始めるとメンドクサイから、秘密」

「……、?」

 篠原は俺の言葉に、なにか引っかかりを感じるような反応を示した。「またそんなこと言う……」と独り言のように小声でつぶやく。

 その声音に、俺もなんとなく引っかかるものを覚えて、すこしだけまずいかな、と思った。

「ネトゲは一人(ソロ)プレイこそ熱くなれる!それが俺のジャスティス!」

「うわぁーネガティブだぁー……」

 腕組みをして、勢いよくキメてみたが、なんか滑ってる空気を自分でも察した。

 篠原が苦笑いしつつも相槌を打ってくれて、なんとか間が持った感じ。


「あ、じゃあさ」と、そんな空気を払おうと気を使ったのか。「今度、いっしょに勉強会とか、しない?」

 そんなことを言って笑いかけてくる篠原。

 俺は――、


「……そういうのは、いいよ、別に」

 結構迷いつつも、そんな言葉を返していた。




     ★ ★




 高校に入学してすぐの頃、俺は、それなりに面倒くさかった高校受験の勢いでちょっとした勉強好きになっていて、

 ――これからはこの調子で勉強して高校三年の頃にはもっと頭良くなってやる!

 なんてことを、割と本気で思っていた。

 けどまぁ、そんな思いも日々の生活で程々に薄れ、成績は中の下で落ち着き、その事実に特に焦りも感じなくなった。


 そして、そんな風にすっかりだらしなくなった俺は、明くる休日、自室で目覚めた。

 ゲームをしたまま寝落ちしてしまったようで、枕元に置かれたノートパソコンは付けっぱなしで、画面にはゲームの画面が映し出されている。

 下の階から鳴り響いてくるのは、うちの母親がかけている掃除機の駆動音だ。俺が子供の頃から家にあるそれはガーガーとうるさくて、徹夜でネトゲに興じていた俺の安眠を妨害するのに十分な効果を発揮していた。

「……うるさい」

 ぼやく声はガラついていて、不健康に耳朶を打つ。

 脱ぎ捨てられた制服、床に転がった空のジュース、お菓子の袋……、散らかった部屋の中央に敷かれた布団と、枕元のパソコン。画面には(プレイヤー)が寝落ちした所為で自由を奪われたキャラクターが、魔物に為す術もなく喰い荒らされて横たわっている姿がさらされていた。

 哀愁漂うその姿に、だらしのない自分が重なるような――その感じに嫌気がさして、俺はもぞもぞと起き上がり、パソコンの画面を切った。



 篠原の誘いを断ったのは、女子と二人で勉強するのが恥ずかしいからとか、そういうことじゃない。

 高校生になった俺は、そんな小学生男子みたいなことは思わない。

 俺のそんな有様をからかう周囲も、もういない。


 恥ずかしいのは、もっと漠然とした別の何かだ。

 けれども、それが何かは自分にもわからず、その状況を変えようと努力する意思どころか、ゲームはやめてみようとか、一人で勉強してみようとかそんなことさえ思えない。

 こんな小さな、何がどう悪いのかもわからない苛立ちに、誰も、何も、答えを出したりしてはくれないと思っていた。


 だから、その日は、……どこか遠いところへ行きたくなったんだ。



 家の前。親父の車が置かれた車庫の一部を間借りさせてもらうかたちで停めさせてもらっている、愛用の自転車を出してきた。

 スタンドをあげ、サドルに跨ってペダルを漕ぎ出せば、それは軽快な初速でもって走り出す。

 高校入学を期に、親父が俺に買い与えたロードバイク。なかなか悪くないメーカーのモデルだという話だったが、そんなものの良し悪しは俺にはわからない。

 ただ、もらって放置ってのも親に悪いと思い、こうしてたまに乗り回している。

 趣味ってほどのものでもないが、自転車に乗っている時間は嫌いじゃなかった。


 友達とか、クラスメイトとか、友達の友達とか、成績とか、将来のこととか、そういうことを考えて生きているのがめんどくさくなる瞬間がある。

 今日はたまたまそんな気分で、そんな日のストレス解消には、まぁいろいろ方法があるのだけれど、今日はたまたま、自転車に乗って少し遠出をすることにした。

 ――今日は、山の方に行ってみよう。

 それだけの話。


 俺の住んでいる地域は、まぁ、有り体に言えば田舎で。

 家の近所は、家が“建ち並ぶ”というよりは“点在する”みたいな感じで、遠くを望めば家々の後ろには緑色の木々に覆われた山が普通に見えてしまうような、そんなレベルだ。

 俺や篠原がバス通学を強いられているのも、歩いて通える範囲内に高校がないからで、その辺りからもどういう環境で生きているのかを察してもらえるのではないかと思う。


 家と畑が混在する家の近所を走り抜け、山沿いを走る高速道路の高架をくぐり抜けた先にあるのは、人も住んでいない緑ばかりの山ん中だ。

 俺はそんな人気のない田舎道を、自転車にまたがって進んでいく。

 自分以外の誰もいない道ってのは気分が良い。なんでと言われるとよくわからないけど、実際こうして気分が良いのだから仕方ない。

 現に、昨日の夜とか、明け方に感じていた、微妙に鬱屈とした気分なんて、もうどこかにいってしまっている。

 このまま、現実の嫌なこととか、何もかも忘れ去って、見たこともない楽しい刺激がいっぱいの大冒険にでも出られればいいのに……、


 そんなことを思っている間に、景色はどんどん移り変わり、車すら通らなくなっていく。

 目の前に現れたのは、古びたトンネルだった。

 人が住まない家がすぐ朽ちると言われるように、通行がなくなったトンネルもまた寂れて、汚れた姿に成り果てている。

 けれど、その見慣れない有様になんとなく気を引かれて、俺はトンネルの向こうまで行ってみようと思った。


「トンネルを抜けたら……どっか別の世界に、とか……なんつってな」

 思わずそんな言葉が口をつく。

 そんなことありえないと思いながら口にした言葉は、存外楽しげな味をさせて舌先で踊った。


 そして、暗くて長い、トンネルを抜けた先には――、



「……マジで別の世界みたいだ」

 本当に見たことのない景色が広がっていた。

「――これ、もしかして 廃工場ってやつ?」

 聞いたことがあった。

 昔――高度経済成長、だかの時代、このあたりには大規模なセメント工場群があって、かつて可動していたが、景気や情勢の移り変わりでいつしか使われなくなり、そのままに放置されている、だとかなんとか……。

 人間、耳にするのと目にするのとでは、抱く印象がぜんぜん違うもので、“廃工場”という俺の中でなんでもなかった言葉が、現実に居並ぶその姿を目にした瞬間、急に楽しそうな色を帯びたように感じられた。

 無骨で不格好な機械を積み上げられるだけ積み上げたような巨大な建物、そこから伸びる無数のパイプ、それに連なる機械、別の建物、機械、建物……、

 打ち捨てられ、錆び付いたそれらは、かつて煙を上げ可動していた時の姿ともまた違っているように感じられ、その物寂しくも力強い気配に、俺は言いようのない魅力を感じた。

 ――非日常、異世界。

 そんな言葉がぴったりじゃないか。


 廃工場の敷地は俺の背丈よりも高い金網で囲われていて、入り口らしき箇所は見当たらない。

 俺は適当な場所に乗ってきた自転車を停め、金網を見上げた。なんとか登れそう。そんな印象。

 気付いたらガシャガシャとよじのぼっていた。風化して錆び付いた金網は俺の体重にさえギシギシたわむような気配があったが、崩れたりすることもなかった。

 俺はそのまま金網を乗り越え、反対側に飛び降りる。

 着地の時、少しだけ足に衝撃があった。

「いってぇ……」

 僅かな痛み。それが思わず口に出る。

 そして、歩き出した。

 遠くそびえている異様な建物が、徐々に迫りくるような気分。

 非日常だ。得も言われぬ興奮があって、自然と笑みが浮かんでしまう。

「は、はは、何やってんだろ、俺……、こんなとこ見つかったら、大変だ」

 何が?

 口をついて出た常識が、脳内で即座に否定される。

 こんな楽しそうな場所、誰に何を言われようが、踏み入らずしてどうするっていうんだ。


 ――すごい。こりゃすごいぞ。

 辺りに落ちてるゴミも、明らかにずっと昔のものだ。長い間、ここに誰も来てない……ってことか。

 ふと、来た方向を振り返る。既に遠くなった金網の足元に、自分の自転車が立てかけて停めてあるのが見えた。

 あの自転車は、一種のマーキングだ。あんな風に、明らかに人が中にいることが予想されるものが置いてあったら、怒られると思って誰も入ってこられない。

 あれは、旗だ。南極大陸に一番乗りした……えぇっと、あれは、どこの人なんだっけ?とにかく、そう、あの時に立てられた旗。それと同じ。冒険家が未知の場所を踏破した証なのだ。

 ……なんつって。


 そんなことを感じながら、雑草が伸び切った砂利道を歩いていくと、工場群の手前に開けた広場のような場所に、変わったものを見つけた。

 ――なんだあれ? 電車?

 工場の敷地全体から見れば端の方――空き地のような広場の片隅に電車が一両だけ、放置されている。

 当然使われている形跡はない。廃車両ってヤツだ。

 廃工場という場所とは一見無関係なようにも思えるソレは、遺棄された場所に紛れるようにして、ひっそりとそこにあった。


 ボロボロに錆び付いた工場の中で、これだけは結構綺麗な印象があった。とはいえ、現役で使用されているモノと比べれば見る影もないのだが。

 入り口に立ち、戸を押すと、ギイィと音を立てて戸が開いた。何故かそれだけで、ちょっとした感動がある。

「よっと」

 やたらと高い段差に、古い時代のものであることを感じつつ、俺は廃車両の中へ踏み込んだ。

 無人の車内は当然だがガランとしていて、しかしそれでいてどこかホッとする狭苦しさがある。

 そしてなにより、普段何気なく利用している電車、というものが、走らず、家のようにしてそこにあって、そこに自分が入り込んでいる、という状態が、とんでもなく非日常的で、特別な感じがした。


 ――誰も知らない秘密基地。

 そんな子どもっぽい言葉が浮かぶ。

 ドキドキしながら歩いてみる。自分の発想やら反応やらがおかしくて、自然と笑ってしまう。

 車両の状態は良すぎるぐらい良い。きょろきょろと、中の様子を調べていく。

 ――これ、傍から見たら絶対不審者だよなぁ。でも……。

 内心抱いた、そんな言葉が、自然と溶けて消えていった。

 窓の外に見えた景色――、風を受けてなびく木々の葉と、自然と一体化するまでに風化した廃工場の姿が見えて、それがなんとも良い眺めで、神秘的ですらあったからだ。

 時間差で、廃車両の中にも、山の中特有の爽やかな風が吹き込んでくる。

 俺は、感じ慣れたそれにすら心地よいものを覚えてか、ガラにもなく目を閉じて、それを精一杯感じ取ろうとしてみて――、


「――楽しそうね」


「へ?」

 自分の背後、すぐ近くに、気づかないうちにいつの間にか何者かが立っていて、そんな言葉を口にしたことにすら反応が遅れた俺は……、

「痛ぅッ……!って、がっ!?」

 手を捕られ、痛みを感じたかと思った次の瞬間には、勢いよく床に押し倒されていた。

 ――え…?

 わけもわからず床に這い蹲った状態にさせられたかと思いきや、その理解すら許さぬとばかりに、突如腕に走る激痛。

「へっ……?あ、が、ぎっいたっいたたた!!」

 痛みと驚きに、思わず叫ぶ。倒れた時に打ったのか、俺の反応に合わせて鼻血が床にぽたりと滴った。

 は?何? いたっ、痛いっ!?

 なんだよ、これ。床? それに、動けない……!

 んで、え……


 振り返ろうとしたら、首根っこを掴まれていてうまく振り返れなかった。

 それでも、視界の片隅に、その顔を捉えた。

 自分を押し倒した相手を目の端で見る。無表情に、それでいて口元にだけ笑みを浮かべて、輝くように爛々とした瞳をした、


 ――女の子……?




     ★ ★




 現実逃避にも似た回想が頭の中で駆け抜けて、終わる。

 そう、俺は休日に自転車で遠出をして、偶然見つけた廃工場にテンションが上って侵入してみたら、その中に比較的綺麗な廃車両を見つけて更にテンションが上って、そのままいい気分に浸っていたら、いつからそこにいたのか、そのフジノとかいう女の子にいきなり押し倒されて組み伏せられたのだ。

 そんでもって……、


「……決闘?」

「そう、決闘」

 制圧状態から解放されて、床に座り込んだまま、事態が飲み込めずにぼんやりしている俺に対し、フジノは、そんな聞き慣れない言葉をのたまったのだ。

 決闘? 決闘って、あの、西部劇の映画とかでやってる、銃の早撃ちとかそんな?

 油断すると垂れてくる鼻血をハンカチで拭って、俺は混乱しかける意識を保つ。

「は……な、なんで、突然決闘って」

「なんでって、あなたもここを自分の城にするつもりだったのでしょう?」 

 ……城?

 自分の声が若干上ずっていることよりも、フジノの言葉に引っかかりを覚えてしまう俺。

「なら、私とあなたはこの廃車両の所有権を賭けて、雌雄を決する必要があるわ」

 腕を組み、目を閉じてクールな調子で話していたフジノは、カッと目を見開いてそう告げた。

 ついさっき初めて見たときもそうだが、その眼光?とでも言うのだろうか、瞳の力強さがすごくて圧倒される。

 よく漫画とかアニメとかで、感動したり、希望に満ちてたりするような状態が、目に星でも入ってるかのようにキラキラさせて表現されることがあるけど、こいつの目には、それと同じか、より度を超したような感じのギラギラとした輝きがある。

 要するに、

 ――頭の、残念な人?

 綺麗さを通り越して、ヤバさを感じさせる目をしていた。


「……い、いや、あんたがそのつもりなら、俺はその、別にいいから、……すぐ出ていくよ」

 空気に飲まれそうになるのを踏みとどまるようにして、かろうじて言葉を返した。

「そ、そりゃ……秘密基地みたいで面白いとは思うけどさ、毎日学校でそれどころじゃねぇし」

 秘密基地。

 自分で言いながら、その言葉が持つ言いしれぬ魅力のようなものを感じる。

 それは、憧れに近いだろうか。そういう場所を得て、そこで、なんでもいい、何かをして過ごすことの楽しそうな気配。

 例えば、そう、ここで篠原と一緒に勉強とかしてみたりとか。

 家でやったってなんにも面白くないけど、ここでやったらそれだけで、なんとも面白そうな雰囲気がしてくるじゃないか。

「友達呼んでダラダラするとか、くだらないことしか、使い道も思いつかな――ふがっ」

 俺の言葉は、俺自身の間抜けな声に遮られた。

 違う。俺が喋ってたら、フジノがいきなり俺の頬を両手で掴んでぐいっと引っ張ってきたのだ。

「“くだらない”だなんて思ってもいないことをぺらぺらと喋るのは、この口かしら?」

 そのままむにむにと引き伸ばされる。痛みはないが、女子にいきなりそんなことをされて、俺はびっくりして硬直したみたいになる。

「こんな素敵な場所で友達と一緒に過ごす幸福が、くだらない? お馬鹿さん」

 目の前に近接した表情は、初めて見たときからあまり変化がない。今は口元だけ嘲るように笑っているが、その眼力ある目は、あんまり笑っていないような感じ。表情が変わりにくいのだろうか。

「70万」

「は?」

「これではない、とある廃車両がネットオークションに出たときの、落札開始価格よ」

「それを見た当時の私は、貯金をしようか本気で考えたわ」

「……したのか?」

「する必要がなくなったもの」

 それはこの廃車両を見つけたから、か?

 ……っていうか、なんだその知識?そしてそれを両頬をつねられた状態で聞かされる俺!


「よく聞きなさい、留美」

 フジノは、弄んでいた俺の頬からパッと手を離し、立ち上がった。

 そして、腕を組み、静かに、けれども妙に熱っぽく語りだす。

 出会って数分で、何やら語り始めたこいつに、俺はリアクションというものを失っていた。

「自転車なら町からでも数分でたどり着ける絶妙な立地。その先に広がる巨大な廃工場群。そこには絶対素敵な大冒険が私たちを待っているのでしょうね。

 だったらこの廃車両は、冒険者たちのベースキャンプよ。毎日、好きにアイテムを持ち込んで、自分たちだけの秘密基地を作るの。そんな、素敵な異世界がこれまで手付かずで残っていて、私たちが一番乗りなのよ?

 それが、どれだけの奇跡なのか、どれほどに出来過ぎたことなのか、私には解る。

 ……だからこそ、優しい私は無知なあなたを素通りさせたりなんてしないわ。

 十年後、二十年後……虫のようなつまらない大人になった留美は、きっと幾度となく今日のことを思い返すのでしょうね。そのたびに、あなたはここで私に抗っておけばよかったと後悔するのよ。かわいそうに」

 そこまで語ったところで、フジノは一呼吸置く。

 そうして右手を胸に当てるようなポーズを取って、またあのギラギラした目で俺をまっすぐに見据えて言うのだ。


「だから、留美。

 一生に一度のこの奇跡を、せめて、闘いの中で失いなさい」


 その、姿に俺は気圧されるというよりは、もはやドン引いていて、反射的にひくっと片頬が釣り上がる。

 ――っていうか、初対面で名前呼び捨てですか?

 そして挙げ句、そんなどうでもいいことを考えている。

 フジノの演説に心打たれたわけでも、決闘に応じる熱意が湧いたわけでもない。

 こいつには、何を言っても仕方がない、と、そう諦めにも似たことを思ってしまったのだ。


「それじゃあ、行きましょう留美。あなたに相応しい死に場所を、用意してあげる」

 手が差し伸べられる。

 フジノは、俺の反応など何一つ気にしていない調子で、どんどん話を進めていってしまっていた。

 俺はまだ、決闘に応じるなんて一言も言ってないにもかかわらず、である。


 でも、なんだろう?

 フジノがクソ真面目に語った話の内容はよく理解できなかったけれど、

 呆然としながらも、あいつから視線がそらせなかったのは、事実だ。




     ★ ★




「ねぇ留美、そんなことより、きっと目的地までは長いでしょうから、自己紹介でもしましょう」

「……え?あ、あぁ」

 廃車両に居合わせた俺にいきなり暴力を振るって屈服させた挙げ句、俺に決闘を持ちかけて廃車両から連れ出したフジノが(意訳)、そんなことを言い出した。

 バイパス沿いまで徒歩でやって来た俺たちは、やってきたバスに乗車し、そのままどこかに向けて運ばれている。

 ――いったいどこに向かおうっていうんだか……?

「ゲーム形式で」

「は?」

「一回ずつ質問をして、相手はその質問に答える。答え終わったら今度は答えた側が質問。それを繰り返すの」

「……」

「された質問は必ず答えなければ駄目よ。どちらかが三回パスした時点で終わり。簡単でしょう?」

「まさかそれが決闘の内容ってんじゃないよな?」

「違うわ。留美ったらせっかちなのね。まだ勝負は始まっていないのに」

「ん……まぁいいけど」

「それじゃあ私からね」

 口車に乗せられるようにして、妙な質問ゲームが始まった。

 無口そうな外見に反して、びっくりするぐらいよく喋る女子だ、こいつは。

「好きなゲーム、教えてくれない?」

「は?」

 どんな質問が来るか緊張していたら……。

 最初は当たり障りのないところからってことか。

 ――それにしても、ゲームって……。

「……最近やってるのは、モンハンとかだけど……そんだけ?」

「それだけよ」

 答えに満足したのかしてないのか、フジノの反応は薄い。

 最初から感じていた印象として、フジノはペラペラ喋る割に口調は平坦で、表情もあまり動かないように思える。それでいて別につまらなそうな感じではないし、本気じゃないとも思えないのだが。

 無感情ではないが、基本はクール。元々、そんな気質なのだろう。

「それじゃあ答えたから、次は私の質問ね」

「っておぉぃ!それいくらなんでも卑怯だろ!!」

「以後、無意味な質問には気をつけなさい」

 ……揚げ足取りでターンを消費させられるとは。

「質問。漫画は何が好き?」

 またそんな質問かよ……。

「……最近終わっちまったけど、ハガレンとか? 読み切り描いてた頃から好きだったんだよなぁ」

「今は違う漫画を連載中らしいわね」

「あーあっちは見てないな、そういや。どうも週刊誌って追いにくい」

「広く浅く読む人間の意見ね」

「ま、そりゃ週刊誌一冊しか読まないなら追うのがキツいってこともない……って、今度は俺の質問だぞ」

「えぇ、分かっているわ。どうぞ」

「ん……と」

 考える。

 あれ? 意外と悩むなこれ。何聞いたら良いんだ?

「あー……」

 駄目だ、とっさに思いつかん。

「じゃあ、おまえは何が好きなんだ? 漫画とかゲーム」

「ゲームなら、最近特に面白かったのはペルソナかしら。伝説とか伝承とか、そういうものには興味があるの」

「あぁ、わかるような気がする。設定凝ってて、勉強になるもんな。あれ」

「それと……留美が言った『鋼の錬金術師』は、私も揃えているわ」

「そうなのか」

 意外だ。ゲームやるってのも意外だが、漫画を揃えて持ってるなんてもっと意外だ。

 そういうの、興味ないのかと思ってたけど……、いや、どうだろ?

「グリード様の生き様が素敵よね。名作だと思うわ」

「いやいや、名作認定にはもっといいシーンがいくらでもあんだろ……、ってかあの展開、生き様って言って良いのか……? 他人の体に乗り移ってんぞ」

「それじゃ、次は留美の質問よ」

「えぇ、そこで切るのかよ……、んー、んじゃその、動物園ひかるって、誰だよ?」

 表情はそのままに、少しだけ微笑むフジノ。

 聞かれて嬉しい、ってことなのかな。

「私の一番好きな作家よ。様々な少年誌に二年ほどの期間、漫画を描いていて……そのどれもが名作だと言われているわ」

「そうなのか。全然知らなかった」

「今はもう、描いていないけれどね」

「……ふぅん」

 なんだろう。

 少しだけ興味を引かれた。

 これだけ漫画やゲームで溢れかえっている今どき、聞いたこともない作家の一人ぐらいいても不思議はない。

 だけど、それなりに漫画は読んでいる自覚があったので、全くの無知という状態にちょっとした悔しさがあった。

「それじゃ今度はこっちの質問」

「おう」

「留美は、このバスがどこに向かうか気にならないの?」

「今さら言うなよ!! 気になるよ!」

 思わず声を荒げてしまった。

 急に現実に引き戻されたような感覚に脱力する。

「……このバス、どこに向かうんだ? さては行き先も知らずに乗り込んだんだろ」

「そんなことはないわ。この私がそんな浅はかな行動を取るわけがないでしょう」

「いや、知らねぇよ。さっき会ったばっかりなんだから」

 窓の外を眺める。見慣れない景色が流れていく。

 ――なーんか、帰れなくなりそうで不安なんだよなぁ……知らないバスとか電車って。

「大丈夫よ。私たちは、どこに行ったって、必ず帰って来られるわ」

 そんな俺の不安を察したかのように、フジノは言った。

「世界は、どこにだって続いているもの」

「……はあ そっすか」

 そのやりとりで、質問ゲームはなんとなく終了してしまう。



「で?」俺は改めて、後ろの席に座った女子に対して、つっけんどんな感じで尋ねる。「このバス、どこに向かうんだ?」

「“北区”の方よ。大きな街だから、あの廃車両に持ち込むアイテムも手に入れやすいと思って」

 ――アイテム?

 フジノの発言は、時々引っかかる表現が混じる。ツッコミを入れると百倍にして返されそうなので、いちいち指摘しないが。

 いや、そんなことより。

「……、一生に一度の奇跡をかけた闘いは?」

「そんなのついでよ。私が負けるはずないもの」

「あんたつくづくふざけてますね」

 相変わらず表情は変わらないまま、自信たっぷりの発言に、俺はげんなりする。

「はーっ……」

 いろいろと理不尽に思えてしまって、抗議めいたため息もわざとらしくなってしまう。

 いったい、何でこんなことに……。


 通称“北区”は、俺が普段通学に使うのとは逆方向で、この地域一帯では最も栄えてる地区だ。

 お察しのとおり、休みの日は家でゲームしてるか、山でチャリ漕いでるだけの俺にとっては、普段あまり用事のある方面ではなく、向かう足であるこのバスも乗り慣れない。

 流れる景色も、車内の雰囲気もなんとなく真新しい。

 それは、後ろに座っているのがいつもの篠原ではなく、このヘンな女だからってだけではないはずだった。


「さて、そろそろ目的地も近いし、街につくまでにルールを説明しておきましょうか」

「ルール?」

 言いながら、フジノは俺にテレホンカードと十円玉を投げ渡す。

「留美、知ってる? あなたを攫う悪魔は電話の向こうからでもやってくるのよ?」

「……いきなり何の話だ?」

 おそらくルールの説明ではないだろう謎のフレーズに俺が首をかしげていると、フジノはスマートフォンを取り出して、椅子に座ったまま妙なポーズをキメた。

「題して、“絶体絶命!テレフォンマーダー”」

 突然飛び出した謎のタイトルに、周りに乗っていた他のお客さんがこっちを見ている気がしたが、気にしてはいけない。


「制限時間は一時間。あなたは(わたし)から逃げ、街の公衆電話からテレホンカードで(わたし)の携帯電話に電話をかける。

 留美が時間内にカードの度数を使い切れなければ私の勝ち。使い切ればあなたの勝ちよ。

 カードを使い切ったその時は、その十円玉で私に電話をかけて、勝利宣言をして頂戴」

 いきなりだだーっと説明されて、俺はまた混乱するかと思いきや、フジノの説明は自分でも意外なほどスッと理解が及ぶ。

「どう? 単純明快でしょ?」

 そうして説明は、そんな言葉で締めくくられた。

 ……単純明快かどうかは、人によるだろうけれど。


「……つまり、電話を使った鬼ごっこの一種ってことか?」

「そういうことね。捕まっただけでは負けにはならないけれど。その代わり、私は時間切れまで、あなたの行動を全力で妨害するわ。せいぜい、カードを奪われないようにすることね」

「……奪う?」

 フジノが気になることを言ったが、それに対する復唱は運転手のアナウンスにかき消された。

 バス停が近づき、車が音を立てて停まる。

「時間よ。留美、ここで降りて頂戴」

「え?あ、あぁ……」

 俺は促されるままに席を立ち、降車口のステップを降りていく。

「留美」

 バスを降りたところで、背後から声をかけられた。まだバスの中にいるフジノが出口の手すりに掴まって話している。

「ゲームスタートよ。このバスが行ってしまうまで待ってあげるから、その間に逃げなさい」

「あ、あのなぁ、俺はまだやるとは言って……」

 何もかもこいつの言うがままに事態が進んでいることが面白くなくて口をついた俺の言葉を、フジノはまるで聞いていないかのように遮って、言った。


「留美が負けたら、私の奴隷になってもらうから」

「……は? ドレイ?」

 またまた飛び出した妙な言葉に、俺は虚を突かれたように固まる。

 そんな俺に差し出される、フジノのスマートフォン。

 画面には、“1:00:00”の表示。タイマー画面。


「あなたの力、見せてもらうわ」

 フジノはそんなことを言って、“開始”のボタンをタップする。

 スマートフォンの画面を見ることもなく行われたその動作は、あまりにも自然で、決まっていて、まるで何度も練習を重ねられた演劇を見ているかのようだった。

 ……そしてタイマーが、動き出す。




     ★ ★




 00:51:32



 フジノを乗せたバスは、呆けたような俺の見送りを受けながら、颯爽と走り去っていった。

 そして俺は、わけがわからないまま言われた通り、とりあえずその場から逃げ出していた。


「はぁ、はぁ、はぁ……、」

 息を切らして、足を止めた。インドア系には、数分のダッシュさえ吐き気がするほどキツい。

 駅前のペデストリアンデッキ。いくつか設置された植え込みの一つに腰を下ろし、俺はふと冷静になった。

 ――……何で素直に逃げてんだ、俺?

 疑問はそこに尽きた。

 気付けば相手のペースにまんまと乗せられ、最後まで乗り気じゃなかったというのに結局猛ダッシュしてしまっている。

 ――いきなり出会って、いきなり決闘って、しかもこれ、決闘ったってほとんどゲームだし。俺は別にあんな場所いらないっつーのに……変なヤツに会っちゃったなぁ、くそぉ……。

 いや、いらないと言うのも嘘か。正しくは“あんな変な女の子と、変なゲームで対決してまで欲しくはない”と言うのが正しい。

 モヤモヤしながらうつむいた先にはたかだか少しの駆け足で震える自分の足と、手に握られたテレホンカードがある。

「はーっ……、付き合ってやるか……」

 だからどうしたという話ではあるが、諦めやら悔しさやらが入り混じったため息とともに、俺はやっとのことで挑まれた決闘に応じる覚悟を決めた。


 ――となると、どこで電話するかだ。

 ここに来るまでの間、電話ボックスはいくつかあった。携帯電話が普及した昨今、電話ボックスなんてとうに絶滅したんじゃないかと思っていたが、意識して見てみると意外とまだあることに気付かされる。

 さっき降りたバス停前にもあったが、それはフジノも見ているだろう。自分から見つかりに行くなんて馬鹿な真似はしない。

 すぐ近くの駅にもありそうだけど、そこもすぐに見つかりそうだ。

 そういえばここ来る途中、バスに乗ってる時にも見かけたな……、公衆電話……。



 00:45:12



 駅から少し離れた町中に置かれた電話ボックス。俺はその中で、指定されたテレホンカードを使って電話をかけていた。

 ……ぷるるるるる。

 少し懐かしい感じのするコール音のあとに、通話がつながる。

「もしもし、あー……、おまえか?」

『おまえじゃ解らないわ。私はあなたのお嫁さんなのかしら』

 少しだけ通話状態が悪い。

 タタタタタ、と走る音が隙間から聞こえてくる。

「……フジノか?」

『ちゃんと名前を覚えていてくれてありがとう留美。ゲームにも乗ってくれたようで嬉しいわ』

 改めて名前を言わされるというのは、予想以上に恥ずかしさがあって戸惑う。

 そしてもはや決闘と言う気はないらしかった。

『でも、あまり賢い行動とは言えないわね』

「え?」

 フジノのそんな言葉に、俺はゾッとした何かを感じる。

『開始から十五分足らずで最初の通話が出来るような場所に、公衆電話なんていくつもないわよ?』

 そう、決闘を提案したのも、ルールを提示してきたのも全部フジノだ。

『駅前か、バス停前か』

 だったら、この付近の公衆電話がどこにどれだけ設置してあるかなんて、予め調べ尽くしてあったって、何ら不思議はない。

『……それと、バスの移動中に一つ、見かけたわね、公衆電話』

 言われてはっと気づく。

 読まれている。こっちの思考なんて、あまりにやすやすと。

 それにしたって、その言い方……まるでその公衆電話に俺がいるって既に知っているかのような――、

「――!」

 嫌な予感がした。

 その予感に従って、自分が来た道を振り返ると、


 ちょうどフジノが、陸橋から、飛んで来るところだった。


「……は?」

 思わず、持っていた受話器を取り落としそうになる。

 休日の昼時だ。周囲を歩いていた通行人も、いきなり女の子が陸橋から飛び降りていく様子を見て、指を差して慌てている。

 だぁんっ、と大きな音。

 フジノは俺のいる電話ボックスの間近にあったバス停の屋根に着地していた。

『言ったでしょう、ベッドの下や、クローゼットの中だけじゃないわ』

 バス停の上でポーズをキメながら、俺と通話をしているフジノを、道行く大勢の人々が呆気にとられて見ていた。


『ぼんやりしていると、電話越しの子取り鬼(ブギーマン)が追いついてしまうわよ?』

 イヤホンマイクをつなぎ、ハンズフリー状態にしたスマートフォン。マイク部分を持つ動作すらしなやかに。

 俺を攫う悪魔が、電話の向こうからやってきた!


 ガシャン!と、乱暴に受話器を置いて電話を切った。

 テレホンカードが出てくるまでの間が煩わしい。早く、早く出てこい!

 ビーッビーッと音を鳴らしながら出てくるテレホンカードを慌てて引っ掴み、俺は走り出す。

 ――ヤバいヤバいヤバいヤバい!! あんな女の奴隷って、命いくつあっても足りねー!!

 必死だった。

 背後で、フジノがバス停の屋根から飛び降りたのだろう、通行人のざわめきが聞こえる。場をわきまえるとか、そういう感覚知らないのか、あいつは……!?



 00:32:02



 ――ど、どうしよ……公衆電話ったって……。

 俺は、走りながら懸命に思考を巡らせていた。

 あの瞬間に危機感を覚えたのは、あの女のエキセントリックっぷりだけじゃない。このゲームの厄介な部分についてだ。

 このゲーム、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 鬼が近くにいるかも、なんて状態じゃあ、とてもじゃないけど呑気に電話なんて出来っこない!

 ――クソッ、無駄にゲームバランス良いなぁおい!!

 それでいて、微妙に俺に不利な調整のような感じがするのがまた腹が立つ。かと言って、覆せないのなら、それは俺の弱さだとでも言わんばかりで……。

 でも、どうする……?

 そうだ、人ごみに紛れれば撒けるかも……駅だ!

 それに駅にも公衆電話がいくつかある!



 00:20:15



 ――駅前の公衆電話は……ここか!

 と、念の為と思って後ろを振り返って見ると、既にフジノが俺の姿を捉えていて、走ってくるところだった。

 ――って、こんな状況で使えるわけねー!

 考え直す。ここの駅は規模が大きい。改札の中にも公衆電話はあった……ような気がする。

 駅を通りすぎると、見せかけて……、俺は進路を変えて改札に向かい、すばやく取り出したICカードで改札を抜けた。

 ぴっ。

 いきなり改札通れば、少なくともICカード取り出すまでに数秒の予備動作がある!これで少しは時間稼ぎを……!

 ぴっ。

 と、思ったら、フジノは予めそうだとわかっていたかのように追いかけてきた。俺が期待したカードを取り出す動作も、俺がさっきそうしたのよりもよどみのない動作で行われる……!


「って、タイムラグゼロかい!!」

「悪いけど私には、留美の行動パターンなんて手に取るように解るのよ」

 逃げながら、追いかけながら言い合いをする俺たち。

「気持ち悪いよ!おまえは俺のなんなんだよ!」

「お嫁さんでないことだけは確かね」

 あんな動きにくそうな服装をしているくせに、フジノの足は速かった。基礎体力の差かもしれないが、それにしたってぐんぐん差を詰められる。

 くだらない発言に気を取られていた俺の油断が突かれる。

 だんっ、と地面を蹴るような音が聞こえた。

 次いで、背後から加わる衝撃。

「え?」

 追いついたフジノが、俺に背後からタックルを決めていた。

 後ろから腰のあたりに手を回され、体重をかけられれる。女子に勢いよく抱きつかれたような感じになり、俺は一瞬ドキッとしたりするが、そんな感触を楽しむ余裕さえなく、そのまま重心を崩され、前方に倒れこんでしまった。

 って、またかよ!

 こんな技術、どこで訓練したのか。フジノの動作は実にスムーズだ。

 うつ伏せに倒れた俺はすかさず横向きにされ、フジノは自分が下になるような体勢に移ったかと思いきや、そのまま極め技に持ち込まれる。

 背後から両足で俺の下半身を固定し、両腕で頭部をガッチリと固めて絞め上げるサブミッション――チョークスリーパー!

 俺がフジノをおんぶするような体勢で、俺はまったく動けなくなる。しかもすぐさま首にグイグイ加わる圧迫に「げほっ」っと大きくむせるしかなかった。

「このまま絞め上げてあげようかしら?」

「くのっ……このシチュエーション、街中でやるかよ普通……!?」

「悲鳴を上げる余裕はあるのね?」

 女子に羽交い締めにされている状況が、というよりそれを多数の利用客が行き交う駅構内でやられている環境に、俺は思わずくじけそうになる。

「でも私だって、このままあなたを苦しめるほど非情ではないわ」顔を寄せて、耳元でそっと囁かれる。まるで俺の弱い心がそれで折れると知っているみたいに。「降参してカードを差し出せば、楽になれるかもしれないわよ」

「!!」

 それが見透かされているようで悔しくて、俺は抵抗の意思を芽生えさせた。

 手に持ったカードを放り投げる。フジノが拾いに行く時間を少しでも稼ごうと、遠く目掛けて、力いっぱい。

 俺の取った行動に、フジノはとっさに反応してしまったのか、俺の拘束を緩め、回収に向かった。

 その間に立ち上がり、俺は逃げる!呼吸が荒く、動くたびに身体がギシギシいったが、かまうものか、と。


「……楽しませてくれるわ」

 人混みを逃げながらちらっと振り返ると、フジノがそう言ったように聞こえた。

 俺が投げ、フジノが拾ったのは、テレホンカードではなく、さっき改札に入る時に使ったnimocaだ。

 あの状況でカードを放り投げたら、それが何か確認する前に飛びつくんじゃないかと狙っての作戦だったが、成功、といっていいのか?


 ……ちょっと冷静に考え直せば、フジノは俺をあそこで絞め落としてしまえば、勝ちが確定していたようなもんなんだよな。

 気絶した俺を適当なところに運び込んで、タイムリミットまで寝かせてればいいだけなのだから。

 だから、ここで俺を解放してカードの回収に向かったフジノは、俺の抵抗に興味を示して応じてやった、みたいなところがあったのかもしれない。

 俺を負かして奴隷にすることが目的ではなく、この決闘という名のゲームで俺と必死になって遊んでみたかったのが本心?

 ……わかんねぇけど。そんなの。



 00:05:12



「はっ……はぁっ……はぁ……っ!! 電話……っあった!」

 どうにかフジノの追跡を撒いて、当初の目的地からずいぶん離れたところに、公衆電話をようやく見つけた。

「はー……ははは、うまく、いった……ケッサク!! あはは、あはははは!」

 作戦の成功が確信できたからか、公衆電話に抱きつくようにして思わず大笑いしてしまう俺。

 通りすがりのカップルが、「なんだあれ?」と怪訝そうに俺を指さしていたが、気にしてられない。


「はは……なんだよ俺、結構楽しんでんじゃん。体動かして遊ぶのが楽しいなんて、どれくらいぶりだろ……、頭いてーっ!」

 息も絶え絶え、全身からダラダラ汗を流しながら、公衆電話にもたれかかる。

 コンディションは最悪なのに、自然と笑いが止まらない。

 そりゃそうだ。本当は、最初からずっとワクワクしてた。

 家でネトゲしてるくらいなら、あのメチャクチャな女の子に付き合ってたほうが、マシに決まってる。

 そう思ったからこそ、今だって、ここにいるんだ。


 俺は、こういう楽しくて仕方がない刺激を、ずっと求めていたんだろうから。



 00:03:52



「はは……、まぁいいや、電話、電話……残り20度数くらいか……」

 フジノに電話を掛ける。

 ……ぷるるるるる。コール音はすぐに途切れて、フジノが電話に出た。

「……どうだよ、騙されてくれたか?」

 口をついて出た強がりは、自分でも聞いたことがないくらい晴れがましい声音だった。

『そうね。咄嗟の判断にしては良い出来だったわ。素敵よ、留美』

 対するフジノの声は、出会った時と全く変わらない冷静なトーンだ。

 表情だけでなく、声にも起伏が少ない。やはり感情が表に出にくいタイプらしい。

『でも、残念だったわね』

「え?」

『あと二分では、残りの度数は使い切れないでしょう。使用量に換算すると8度数というところね。あなたは既に、私の奴隷になることが確定しているのよ』

「は……? マジで?」

 驚いた。

 事実上の負けを宣告されたことに、じゃない。

 こいつの異常なまでに手が込んだ計算と策略に、だ。

 この調子だ。こいつはテレホンカードが何分の通話で何度数消費されるか知っているのだろう。そんなの、普段携帯電話を常用していて公衆電話がとっくに消え失せたと思っているような俺たち世代が知り得ている情報じゃない。

 フジノは、この周辺の公衆電話の位置だけじゃなく、テレホンカードの消費スピードとか、それに見合う制限時間だとか、このゲームに必要なすべての情報を予め調査し、精査し、その上で実践しているのだ。

 ……なんだよ、その力の入れようは?

 たかだかプレイヤーが、ゲーム内容の全てを知ってるGM(ゲームマスター)に勝てる道理があるか?

 いや、そうじゃなくて、こいつはそのゲームを一体いつから考えて始めていたんだ?

 俺と会ってから考え始めたわけじゃない。そんな短時間で設定できるような情報量じゃない。


 ……フジノは、待ってたんじゃないのか。

 自分と決闘してくれる相手――ゲームで遊んでくれる相手が現れるのを。

 現れるかもわからない、現れたって応じるかどうかなんてわからないのに。

 色んなことを緻密に調べて、計算づくでルールを決めて、いつかきっと、そのゲームが自分と、まだ見ぬ相手を楽しませてくれるだろうと信じて。

 あの人気のない廃車両で、ずっと。

 待っていた。


 そして、ようやく現れた。自分のゲームを披露し、挑戦を受けて立つ対戦相手(こうのるみ)が。

 だとすれば、俺は――、



 00:00:54



『今のうちに奴隷になった留美の呼び名を決めておこうかしら? メガネザル、というのはどう?』

「ただの悪口だろそれ!! メガネつけてるからってだけじゃん!」

『ごめんなさい、奴隷にきちんとした呼び名なんて、勿体無いかと思って』

「……あのなぁ」

 電話越しに言い合いをしているうちに、何かに気が付いた俺の思考はどこかに行ってしまっていた。

 ――くそっ、さっきまでいい気分だったのに。こいつにどうにか一泡ふかしてやれないもんかな……! ドレイ云々もマジで言ってそうだしな、こいつ……。

 ……待てよ?

 ……。

「……まだわかんねぇぞ。時間内に度数、使い切るかもしんないだろ」

『神に祈るようなものね』

「ふんっ」



 00:00:11



 目の端で、ちらりと受話器置き場を見る。そっと手を触れる。

 そうして、タイミングを見て……、ガチャン。受話器置き場のレバーを下げて、通話を終了した。

 その後、十円投下。


 ……ぷるるるるる。


「……フジノ、悪いな。俺の勝ちだ」

『留美……?』

「もらった十円、使ったぞ」

『…………、え?』

 その時の、虚を突かれたような彼女の声は、出会ってから数時間、一度もブレずにクールでありつづけていた声音のそれとは、少し違って聞こえて来た。

「疲れちゃったから、ゆっくりもどる。のんびりそこで待っててくれよ」

 そうして俺は、ガチャンと電話を切る。浅はかな何かを誤魔化すように。

 ふーっとため息。


 思いついたのは、簡単なズルだ。

 適当なところでカードでの通話を打ち切り、十円玉を使って(フジノ)にウソの勝利宣言をしておくだけ。

 テレホンカードの残り度数なんて、ゆっくり、適当な相手にでも電話して使いきればいい。

「もしもし、篠原?」

『もしもし……突然どうしたの? 河野』

 ……ちょっとした、イタズラのつもりだった。

「や、まぁ……少し電話したいんだけど。今、暇か?」

 あの女の子は、一緒に遊ぶには楽しかったけれど、

 どうにもやることなすことメチャクチャで、

 だから、ここで俺が勝ってやったら、少しはしおらしくなってくれるだろうかと、


 そんな


 くだらないことを


 考えていて……、



 使い切ったテレホンカードを片手に、フジノのところへ戻った俺は、その考えが本当にくだらないものだったことを知る。

 待っていたフジノ。


 俺が誇らしげにひらひらさせるテレホンカードに度数ゼロを示す穴が空いているのを見た彼女は、

 あの、一瞬だって崩れなかった冷静さがもうなくって、

 信じられない、といった表情のまま、ぽろり、と、



 ……涙を流した。



「え……え?」

 その時、俺は、


「な、なんで泣くんだよ……」

 彼女がなぜ泣いたのか、わからなかった。



 ――これが、どれだけの奇跡なのか、どれほどに出来過ぎたことなのか、私には解る。



 ――なら、私とあなたはこの廃車両の所有権を賭けて、雌雄を決する必要があるわ。



 あの時、語っていた言葉が、まさか、涙を流すほどに本気だったなんて。

 本当に、わからなかったんだ。


 いや、本当は、わかっていたんだと思う。

 途中で気付いた、ような気がする。

 けれど、それを差し置いて首をもたげた、負けて悔しいとか、勝ち誇りたいとか、そんなつまらない虚栄心のような心が水を差した。


 ――彼女との決闘を、俺は汚した。


 両手で顔を押さえて、嗚咽を漏らして、ふらふらとへたりこんでしまったフジノ。


 あの、まっすぐ見つめられたらびっくりするような、眩しいくらい強くあった、星のようにキラキラ輝く光が、その時の彼女の瞳からは失われていることに気が付いてしまう……。

 その姿を俺は、見ているのが、つらい。

 光が失われた彼女を見ているのが――、


「フジノ……」




 高校一年、秋。


 俺は、初めて、……女の子を泣かせた。




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