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ブラパ THE BLACK PARADE [SCENARIO Ver.]  作者: 藤原キリヲ
SWEET REVENGE
13/21

11.Electric Head, Pt. 2 (The Ecstasy)




 ……異質すぎて本質的には誰からも理解されなかったあたしの半生。


 父はひねくれ者で皮肉屋だが現実的で強く頼もしい。

 母は潔癖で真面目過ぎる反面とても愛情深く美しい。

 弟は素直で優しく、誰よりも自分を慕ってくれていて愛おしい。

 祖父は態度は弱腰に見えるが知識は多く尊敬できる。

 祖母は病を患っており老衰もしているが女性らしく可愛らしい。


 平穏で幸福な愛すべき家族。

 そんな家庭にあたしは生まれた。

 家族のことは総じて好きだ。彼らの幸福は願ってやまない。


 だが、あたしと彼らは違うモノ。

 人と人。

 人は皆全て異なるように、例え血の繋がる家族でさえ、決してあたしと相容れるものではない。




11.Electric Head, Pt. 2 (The Ecstasy)




 廃工場の居住区。

 微かに生活感が残るその空間。だが既に人が失せて久しい、捨て置かれた無人の街。

 壁や床はあちこちが壊れ、コンクリートや鉄骨が露出し、崩れ落ちたそれらがあちこちに瓦礫の小山を作っている。

「はっ、はっ!」

 そんな廃墟の街におかれた巨大な集合住宅跡の内部を、俺は走って逃げている。

 崩れた壁の残骸などが散らばる廊下を、足がもつれそうになりながら必死で走っている。

 何故って?


 ガン、ガン、と、けたたましい破壊音を響かせて、

 俺の背後から、鉄パイプを振り回しながら、あいつが――中村亜美香が追ってきているからだ。


 吹き飛ぶ柵。飛び散る壁。ひしゃげる金網。

 それらが地面に落ちる音が反響して加わり、俺の思考を更に焦らせる。

「うわああ!」

 恐怖から、思わず悲鳴のような声を上げた。

 ……ホラー映画を見た時に、怪人に襲われる被害者の立場を想像して感じていた恐怖。

 実際に自分がその立場に置かれてわかる、最早比べ物にならないぐらい圧倒的な、吐き気をもよおす威圧感。

 こんな気持ちになるのなんて初めてだ。

 ここはホラー映画の中じゃない、現実なのに、しかも相手は未知の怪人なんかじゃなくて、俺と歳も変わらない女の子なのに、そんな感覚に陥るなんておかしいにも程がある。

 だから余計に俺の頭は混乱して、自分の状況が曖昧になって、思考が鈍る。

 追跡者――中村亜美香は人間だ。

 でも今まさにこいつの暴力に晒されている俺からすれば、とてもそうとは思えない。

 人間の姿をしているだけで、見たこともない怪物と同じ印象でしかなかった。


「雑魚が!もうゲームは始まってんだぜ!」

 必死な俺とは対照的に、亜美香はあくまで楽しそうだ。

 笑いすら混じるその声だけを聞けば、本当に何かのゲームで遊んでいるかのよう。

 でも、それだけでは決して済まない、強い暴力的な意思のようなものを背中からひしひし感じる。

 ひしひし?ビリビリ。肌がひりつくほどの強さ。


 そう。言われるまで忘れかけていた。

 “決闘”と名のついただけの、これは単なるゲームだ。

 フジノが考えただけあって、ちょっとの無茶はあるけれど、それでも所詮は遊びの勝負。

 ……わかってる。亜美香だってわかってるはずだ。

 あいつの態度は別にふざけてるわけでも、俺を過剰に怯えさせようとしているわけでもなく、きっと、このゲームを普通に楽しんでるに過ぎないのだ。

 だってのに、この威圧感……!

 わかるんだ。あいつが言ってることも、やろうとしてることも全部本気だって。

 あいつは本気で俺をあの鉄パイプで立ち上がれなくなるまでぶん殴るつもりだ。

 冗談じゃないぞ……!

 頭がいかれてるとしか思えない。

 ただのゲームで、相手を再起不能にするぐらいの暴力を持ち出してくる意味が俺には全然わからない。

 遊びの勝負と本気の戦いの境界線は、こんな簡単に踏み越えられるもんじゃないはずだ。

 なのにあいつの中では、きっと暴力そこは地続きで、簡単に手を付けてしまえる領域なんだ。

 普通の人間が躊躇してとてもできないような野蛮な行為も、亜美香にとっては息をするような自然な動作でしかきっとない。


「ホントっ、おまえなんなんだよっ!?」

「あァ?」

「触れないからって武器を持ちだしてくるなんて、どっからそんな発想出てくんだよ!どうかしてるだろ!」

「は――!」

 逃げながら文句を言う俺。

 しかし亜美香は怪訝そうな反応を示した後、鼻で笑う。

「バカかオマエ?武器使っちゃダメなんて誰も言ってねえだろうが」

「っ……子供かよ!屁理屈にも程があんだろ!」

「――むしろ、触ったら負けってルールにしたら、あたしがおとなしくなるとでも思ってたのかよ?」

「っ……!」

「あたしもずいぶんナメられたもんだよ。フジノのヤツ、頭は回るみたいだけどやっぱ全然ケンカ慣れしてねえな。血生臭い雰囲気してんのにかわいいんだからー」

 俺はぞっとした。

 あのフジノを「ケンカ慣れしていない」と評価するこいつの根深さに。

 それを「かわいい」と並列して感じられるこいつの思考展開の意味不明さに。


「あたしを抑えるルールなんざ、暴力で!更なる暴力で!いくらでもぶっ壊してやる! その場しのぎのチャチな論理であたしを縛れると思うなよ!」

 言葉とともに振り下ろされる鉄パイプが甲高い金属音で俺を威嚇する。

 俺は為す術もなく、迫り来る恐怖から、逃げるしかない。


 廊下の境を通過した俺は咄嗟に開いたままになっていた扉をすり抜けざまに後ろ手で閉めた。すこしでも亜美香との距離を稼ごうと思ったからだ。

 だが俺が閉めた扉を、亜美香はすぐさま破壊してノンストップで追ってくる。

 タイムラグはゼロ。俺の作戦なんてものともしないのもいつかのフジノと同じ。

 その轟音を聞きながら、俺は諦めにも似た気分を覚え始める。

 ――ダメだ。こいつが何言ってんだか全然わからないし、こっちが何言ったって通じない。

 こいつは本気で、世の中の全てを暴力で解決できると思ってるんだ!

 イカれてる。そんな考え小さい子供か、漫画の中の悪役の発想じゃないか。

 でも絶対に本気だ!アレは冗談を言ってるヤツの目じゃない!

 こいつに捕まったらホントに酷い目に遭わされる!

 怖い。怖い怖い怖い……!


 その時、逃げ惑う俺のポケットから携帯電話の着信音が鳴り響いた。

 画面を見ると、相手はフジノ。俺は助けを求めるような気持ちも相まって、背後を気にしながら電話に出る。

「フジノか!?」

『留美。亜美香に追われているのね?』

「そ、そうだよっ! あいつ、タッチされたら負けってルールだからって武器持って俺のこと追いかけて来やがった!」

『やっぱり……、私の見通しが甘かったわ。ごめんなさい、留美』

「あ、謝られたって!今そんな場合と違――!」

『――留美、あなたの携帯電話を亜美香に渡してしまいなさい』

「え――?」

 フジノが妙なことを言い出して、俺は思考が追いつかない。

『あの子の目的は、確かに留美を痛めつけること。そうすればあなたは戦力にならなくなるから。けれど、それでは半分。亜美香の本当の狙いは、あなたの持つ携帯電話よ』

「け、ケータイ?なんで?」

『亜美香はあなたの携帯電話を奪って、そこから私に電話をかけるつもりよ。そうすれば、一度の通話で両方のバッテリーを消耗させることができる』

「な、なるほど……!」

『だから、今すぐ携帯電話を捨てなさい。そうすれば亜美香は、留美への攻撃よりも留美が放り投げた携帯電話の回収を優先するはずよ』

 俺の脳裏に、かつてフジノと決闘した時のことが蘇る。

 テレホンカードと見せかけた投げた別のカード。飛びつくフジノ。逃げおおせる俺。

 そして俺は、人混みに紛れて逃げ、……色々あった後、フジノを負かした。

 ……フジノが、負ける?


「それは……っ、嫌だ」

『留美……』

「だってそうしたら、負けちゃうだろ!」

『……』

「負けたらおまえはあいつの奴隷だ!おまえ、あんなヤツの奴隷ってどんだけヤバイかわかってんのか!前におまえが俺に冗談で言った“奴隷”とはワケが違うんだよ!」

 それは紛れもない本心。

 今自分が感じている恐怖が、威圧が、暴力が、フジノに向かうことになった、と想像して抱いた最初の感覚。

 それは、嫌だと。

 仮に自分が助かったとしても、そんなの見たくないと、俺は思ったんだ。

『そんなことはどうでもいいでしょう。私が奴隷になるならない以前に、このままではあなたの身の危険が――』

「うるさい!とにかく俺は嫌なんだ!」

 あくまで食い下がるフジノだったが、俺はそう言い捨てて電話を切ってしまう。

 かといって現状を打開する術などなく。

 振り向けば背後からは相変わらず亜美香が追いかけてくる。しかも、徐々に距離を詰められている。


「この、くっそぉ!」

 俺は悪あがき的に当たりにある物ぽいぽい投げてみるけど全然通じてない。

「ナメてんのか」

 亜美香は俺の攻撃をことごとく弾き落とし、遂には俺自身に対して攻撃を仕掛けてくる間合いに入ってくる。

「そらそら!」

「うわっ!」

 耳元を通過する暴風みたいな音。振り抜かれた鉄パイプが、俺のすぐ横を過ぎ去っていく。

 無我夢中の動きだったが、咄嗟に俺は回避に成功していた。

 ――避けれた!!俺すげぇ!?

 心の中で自分に大絶賛する。

「あ、あぶねえ、なんとかよけれた……って」

 と思いつつ壁に手をつこうとする俺。

 しかし、あると思っていたはずのものがそこにはなく……、


「あ、れ……?」

 俺が手を伸ばした先は壁から床から全て崩れ落ちていて、そこはなにもない空間――ぽっかり開いた穴だった。

 冷静に見ていればわかったはずだが、逃げ回るのに夢中になっていた俺の視野は狭まっていて、そんな間近の状況すら見落としていた。

「おつかれさん」

 そうしてバランスを崩した俺の背中に、亜美香は容赦なくケンカキックがぶちこまれる。

「うわ、うわあああ!」

 それがとどめとなり、俺はそのまま、穴に転がり落ちていった。

 ごろごろと、瓦礫の坂を落下していく。


「い、いたたた……!」

 蹴落とされ、折り重なった瓦礫の隙間のような穴に放り込まれた俺は、どうにか身を起こした。

 なんか最近吹っ飛ばされたり落ちたりが多い。

 そんな、くだらない思考はさっきまで手に持っていた物――携帯電話がないことに気が付いて吹き飛んだ。

 ――しまった……!

 穴の底から見上げる亜美香は、俺が落ちていく時に手放してしまったのだろう――俺の携帯電話を拾い上げているところだった。

 携帯電話が奪われた。

 それが意味するところはゲーム的には圧倒的不利ではあるが、フジノが言うには俺の当座の安全の確保となるはず――だったのだが……、

 こちらを見下ろしてくる亜美香の浮かべた残虐な笑みに、俺はこいつが俺を見逃してくれるなんて感覚を到底抱けない。

 あの現実離れした恐怖が再びぶり返してくる。

「……は? おいおい、ちょっと待て」

 俺の心情を察して嘲笑うように、亜美香は両腕で抱えるようにして岩みたいなコンクリートの塊を運んできていて――、

「それは……いくらなんでも死ぬって。――――おい!!」

「グンナイベイビー、フォーエヴァー」

 訴えも虚しく、亜美香は抱えて運んできた瓦礫でもって俺が落ちた穴を塞いでしまう。

 折り重なる瓦礫の底に俺は放り込まれ、唯一あった出口も重たいコンクリートで蓋をされてしまった。

 失われる光源。暗闇の中、瓦礫の中で取り残される俺。

 ……これは、いわゆる生き埋めだ。


 あいつ、本気で俺を殺す気か。冗談じゃないぞ。

 って……ああそうか。あいつの中では、それも思考の範疇なんだった。

 対戦相手がうっかり死んでも、あいつの中では致し方なしぐらいのレベルの話なんだろう。

 …………。

 ――俺、このまま死ぬのかな。


 浮かべた思考は相変わらず馬鹿みたいで、でもやけに現実感があって笑えなかった。




     ▼▲▼




「うし、これで出られねえだろ」

 逃げ回る河野留美をどうにか行き止まりに追い詰め、よそ見をしていて無様に穴に転がり落ちた彼を容赦なく生き埋めにし終えたところで、中村亜美香はひと仕事終えたとばかりに息をついた。

 幾重にも重ねて置いたコンクリート。これを撤去するには一つ一つ除去していく以外に方法はなく、穴の下の留美が自力で脱出するのは物理的に不可能な状況だ。

「フジノに勝って、気が向いたら助けてやらあ。あたしは優しいからな」

 徹底的で抜け目のない措置と、しかも相手に怪我をさせないまま無力化したという結果に、亜美香は「やればできるじゃん」といった具合に満足げだった。

 運良く奪い取ることもできた留美の携帯電話を手に持って、亜美香は居住区の出口へ向かう。


「さて、あとはテキトーなポイントに行ってフジノに電話すっか」

 留美の携帯電話からフジノへ電話をかければ、2台の電池残量を同時に消耗させることができる。

 よって、双方のどちらか――亜美香は弱そうな留美を選択した――から携帯電話を奪取することが亜美香が勝利に大きく近づく一歩となるだろう。

 ゲーム開始当初から亜美香はそのように認識して、その直感に従って実行し、まんまとやって来た留美から携帯電話を奪うことに成功した。

 だが予想以上に容易くそれを達成した亜美香が思い抱くのは、勝利を確信した喜びや安堵ではなく、勝負がこれで決着してしまうという歯ごたえのなさだった。

「……ま、仕方ねえか」

 ――結局のところ、あいつもあたしとは程遠い普通のヤツだったってことだろ。

 嘆息する。

 噂を聞いて、実際に相対して……せっかく特別な人間なのかと思ったのに。またしても違ったようだ。

 気持ちが苛立ってきて、思わず煙草に火を付けた。



 中村亜美香は、自分の同類を探している。

 何もかも異質で、本質的に誰からも理解されなかった自分について、亜美香はよく自覚している。

 自分が特殊であり、異常であり、破綻していることを誰よりもよく知っている。

 だからといって、理解を求めることを諦めたわけではなかった。


 北区の不良たちにも最初は期待をかけていた。

 自分と同じ暴力の側に身を置く者たち。

 自分と同じく、世の中に対する理解不能者。納得がいかず、自分を抑えられない者たち。

 そういうはみ出し者同士、理解し合って仲間になっていけたら楽しそうだった。

 ……だが、違った。

 不良たちはただ悪いことがしたいだけだった。

 自分が何故そうしたいのか。自分が何故そうなってしまったのか。そういうことは考えておらず、自分について何もわかっていない。

 現実逃避の、単なる悪党ごっこ遊び。あまりにも女々しい烏合の衆。

 徐々に露呈する彼等のそんな期待はずれな有様に、亜美香は思わずキレてしまった。

 故に、殲滅した。

 手にかけた不良たちの中に、自分を唸らせるほど手強い相手は一人もいなかった。威嚇するような派手な髪型をした男も、ゴリラのように屈強なバイク乗りも、頭目として威張り散らしていた男も、いずれも大したことがなかった。

 最初は威勢のいい事を言っていた誰もが、最後には恐怖に慄き、泣いて亜美香に許しを請うた。その豹変ぶりが腹立たしく、亜美香は彼等を残らず再起不能にした。

 彼等は皆、半端者だから弱いのだ。

 きっと世の中に対する反骨心とて、大したものではなかったのだろう。

 散々不満を口にして、暴れまわって、悪事を働き、弱い者いじめをしておきながら、自分が窮地に立たされては助けてくれ許してくれ二度としないと口にする。

 つまらないし、くだらなすぎて、笑わせる。

 いきがりたいだけなら、もっと普通にしていて欲しかった。

 中途半端に悪者ぶられると、自分みたいなのが期待してしまうから。


 どうせなら、もっと純粋な悪党と知り合いたい。

 あんな連中とは違う、悪意と我欲がドス黒く塗り込められたような人間がもしいたら。

 そこまでの存在だったなら、自分とわかりあうことが、できるかもしれない。

 否、よく考えれば、悪党である必要性はない。

 ただ単に、強く、純粋で、自分と向き合うことを恐れない気概さえあれば、あたしは――、


 亜美香はくわえていた煙草をぺっと吐き捨てた。

 踏み潰すとくすぶる煙が消えて、それでスイッチが切れたように、彼女の心も静かになる。



 内心を荒立てていた激情が過ぎ去り、冷静を取り戻した亜美香は、歩みを再開した。

 廃墟の出口。崩れ落ちて開けた空間。

 そんな彼女を待ち受けるように、黒い影が佇立している。


「よお戦闘狂バーサーカー、不機嫌そうな顔してどうした?」

 派手さのない地味な黒髪と、異様に鋭い目をした少年――上山裕哉がそこにいた。

 不意に現れたその姿に、亜美香は驚きも不審感もない、ただただ白けた表情を見せた。

「……こないだのヤツか。なんであんたがここにいんだよ?」

「反応薄いな。ここぞってところで出てきたんだ、もっと驚いてくれりゃあいいのによ。俺は、待ち伏せっつーか、なんつーか。時間稼ぎみてえなもんだよ」

 裕哉は気だるげな仕草で亜美香と向き合う。

 彼女が今まで相対してきた多くの者たちが見せた、気後れのようなものがそこにはない。

 つい先日会った時もそうだった。軽薄そうだが、臆する様子のない豪胆さのある気骨。

 亜美香は微かに興味を抱いた。

「ここから先は通さねえってこと?」

「そういうこと。ちょっくら俺と遊んでいけよ」

 言って、ファイティングポーズを取る裕哉。

 歩幅を広く取り、両腕で上段を守る、蹴り技主体の格闘技特有の構え。

 射抜くような双眸。不遜な態度は変わることなく。

 その様子に、落ち着きかけた亜美香の精神がまたざらついていく。

「あたしとまたやろうっての? ついこないだ遊んでやったばっかじゃん」

「あん時のは挨拶みてえなもんだ。今度はちょっとばかし本気で行くぜ」

 荒事は決して嫌いではない亜美香だが、彼女にとっての暴力は手段ではあるが目的ではない。

 だから、こうして好戦的に迫られすぎると逆に冷める。

 裕哉の争いに対する態度はなんだかカジュアルすぎて、彼女が嫌悪する不良たちよりも更に安っぽい姿勢に映った。

「あたしの方が強いと思うのに。命知らずなヤツだな。殺してやろうか」

「いいじゃん。やってみれば? 言っとくけど俺ってば不死身だから。殺されたって死なねえけど?」

「……口の減らねえ野郎だ」

 突如現れた思わぬ障害に対しても、亜美香は余裕だった。

 こうして凄んでみても怯みもしない態度は大したものだが、そういう輩は過去にもいた。

 故に、期待し過ぎは良くない。その威勢とてそのうち崩れて、泣いて許しを請うだろうから。

 ――まあいいか。別に仲間呼んじゃいけねえってルールもなかったしな。

 亜美香は、突然現れた裕哉のことをフジノが用意した援軍か何かだと認識した。

 ……実際、彼女にフジノの存在を教えたのも、他ならぬこの男なのだから。


 亜美香が北区の不良たちを残らず撃退し、暇に任せてぶらぶらしている時にこの男は突然現れた。

 その時はもうひとり――チャラチャラした雰囲気の女を連れていたが、今日は姿が見えない。

 そして、現れるなりこう言ったのだ。

 ――南の廃工場に、“フジノ”って名前の楽しい女がいる。あんたの退屈を紛らわす良い相手になるだろうぜ。

 突然現れた不審な二人組が、何故そんな情報を自分に提供したのかについて、亜美香は深く追及しなかった。

 意図などどうでも良かったし、あまりにも退屈していて無目的に彷徨っているのにもそろそろ飽きてきたので都合が良かった。

 弱いくせに挑みかかってくる連中を蹴散らすのにも飽きた頃合い。

 新たな出会いを求めて新天地に赴くのも悪くない。そう思った。


 そうして出張ってきてみれば、見知った顔と遭遇し、なんとなくボコボコにしてしまったりという出来事もあったのだが。

 塚本淳平以下四名。北区にいた頃の顔見知り。

 先んじて廃工場に来ていた辺り、フジノの息がかかっていても不思議ではないと思っていたが、その辺りの関係性については亜美香はよくわからなかったし興味もなかったので特に確認していない。

 ――援軍っていやあ、あいつらがボロボロになりながら出てくんのかと思ったけど、あんだけ痛めつけりゃ立ち上がる気力もねえか。

 殴りかかってきた塚本ともう一人は骨の二、三本折れる程度の攻撃を加えた。

 しばらくはベッドから動けないだろう。


 ――んで、今度はこの優男か。

 見た目はあまり荒くれ者風ではないが、目付きといい気配といい、どこかマトモじゃなさそうだ。

 ……あれだけの啖呵を切っておいて、あの連中ぐらい弱かったら、絶対ただじゃおかない。

 心の中でそう決めて、亜美香は拳を強く握った。




     ▼▲▼




 じわじわと苛む腕の痛みに耐えながら、フジノは廃墟の街に辿り着く。

 “要塞都市ヘイムダル”と彼女が呼ぶ一帯。

 ダンジョンと認定しただけのことはあり、その敷地面積は非常に広大だ。

 ――留美、どこにいるの……?

 中村亜美香と遭遇し、予想の斜め上を行く反攻に転じられた彼を、フジノは救出にやって来たのだ。

 亜美香が電話をかけてきたポイントからはそう離れていないはず。

 そう予想をつけてやって来たものの、この居住区の広さを前に、闇雲に探すのは相当骨が折れそうだ、と彼女は思った。

 先程戯れに登録した位置情報アプリも、留美が仕組みを理解したかは怪しく、そもそも亜美香に携帯電話を奪取されていたとしたら、無意味に終わる可能性が高い。

 GPS機能は電池消耗が激しい。そのリスクを犯してまで取る手段としては、リターンが薄そうな印象が強かった。

 ――通話の途中で扉を開けるような音が聞こえたけれど、どこかの部屋に入ったのかしら?

 あてもなく巨大な集合住宅跡を捜索するしかないフジノ。

 焦燥感と不安感が、強靭な彼女の精神にも徐々に去来しはじめる。


「……?」

 居住区内を進む最中、ふと妙な音がすることにフジノは気が付いた。

 ピッ……、ピッ……、ピッ……、

 電子音のような断続的な音。

 何かの通知音のようにも聞こえるが、彼女の携帯電話に着信はない。


 ――呼んでいるのかしら。私を。

 さしたる根拠もなく、彼女はそう思った。

 廃工場という無人の領域において起こる出来事が、自分たちと無関係なものであるとは思えなかったからともいえる。

 ひょっとしたら、留美を見つける手がかりにもなるかも知れない。

 そんな淡い期待を胸に、フジノは音の発信源を探り始める。



 不審な音に導かれるままに、フジノは居住区のとある一室に辿り着いた。

 かつて工場で働く労働者が暮らしていたと思しき部屋には生活感の残滓のようなものはあまりない。

 部屋の片隅に衣装用らしきロッカーが一つだけ残されているだけで、他の場所に見られた古びた家具や朽ちた生活用品の類は殆どなかった。何者かが清掃でもしたのか、異様なほど綺麗に撤収されている。

 代わりに、部屋の中央に設置された、周囲と不釣り合いなソレが目を引いた。

 パソコンのような、小型のディスプレイとスピーカー。

 用途不明の機材と接続されたそれらの末端は壁のコンセントに繋がっているが、人の失せた廃墟に電源を差し込んでも意味がない。

 そう思ったフジノだったが、ディスプレイの電源ボタン脇に点灯する待機中を示すランプの光を見つけて、自身の目を疑った。

「まさか……、通電しているの?」

 どういうわけか、この部屋には電気が通っているようだった。

 恐る恐る壁のスイッチを押してみる。天井に付けっぱなしにされていた蛍光灯が、バチバチと音を立てながらも明かりを灯した。

 そもそもからして、先程から鳴り続けている電子音自体が、この機械から発せられている。

 廃工場の居住区――遥か昔から無人になっているはずの場所なのに、一体何故電気が? それにこの謎の機械は一体何か?

 その謎を怪しむよりも前に、フジノは単純に興味を引かれていた。

 待機中ランプの隣にある電源を入れた時、この画面は何を映し出すのか。

 この、不可解極まる場所について知りたい意欲が、警戒心を押しのけてフジノ身体を突き動かしていた。


 電源ボタンに手を伸ばす。

 フジノは、彼女にしては珍しく一瞬だけ躊躇したものの、結局そのままボタンを押下した。

 何の不調もなく、スムーズに入る電源。

 待ちわびるようにディスプレイの画面を凝視していると、数刻を置いて画面が点灯する。

 だが、そこに映っているのはアナログテレビが見せるような無意味な砂嵐(スノーノイズ)だけだった。画面の点灯に合わせて、スピーカーも起動し、ザーザーとノイズ音を響かせる。

「…………」

 その、明らかに正常ではない有様に、フジノは意味を測りかねた。

 意味ありげに設置されておきながら、起動しても何も起こらない機械。

 それともまだこれは設置途中で、全ての設営はまだ完了していないのだろうか。

 この機械を設置された目的や、自分たち以外の何者かがここに出入りしている事実自体は気にはなったが、この無意味な画面と音を発するだけの機械から情報を得ることは期待できない。

 湧きかけた興味が徐々に失われ、フジノが踵を返そうとしたその時――、


 ザーザーと吐かれ続けていたノイズが途切れ始め、何か異なる音が聞こえ始める。


『……、……、……、ヨウコソ。貴方ナラバ、辿リ着クト信ジテイマシタ』

 それが音声だと理解するのに、そう時間はかからなかった。


『私ノ音声ガ聞コエテイマスカ? 聞コエタナラバ応答シテ欲シイ』

 加えて、音声は無意味な内容ではなく、会話を試みている。

 画面は砂嵐のままだが、スピーカー越しに聞こえる音声は彼女に呼びかけていた。

「……聞こえているわ」

『ソレハ重畳。不躾ナ誘導ニ応ジテ頂キ感謝シテイマス、フジノ』

 少しの逡巡の末に意を決して応ずると、声が名前を呼んできたことにフジノは更に戸惑った。

 変声機を使っているような、人工的で不気味な音声。

 その声の主は、やはり明らかにこちらを認識して、話し掛けている。

「私のことを知っているのね?」

『エエ。本日ハ、貴方ニ要件ガアッテ、ココニ来テモライマシタ。ドウカ、私ノ話ヲ聞イテ欲シイ』

「……話?」

『貴方ト、貴方ノ今後ニ関シテ、トテモ重要ナ内容ト言ッテオキマショウ。ソレヲ知レバ、貴方ハ新タナル能力ニ覚醒シ、現在ノ苦境ナド容易ク突破スルコトトナルデショウ』

「……」

『如何デス?』

「あなたは、私が今置かれている状況も知っているのね」

『無論。愛スル仲間ヲ危険ニ晒シタ後悔ト焦燥、心中オ察シシマス』

 見てきたようなことを言う。

 否、実際に見ていなければとても言えないような発言だ。

 不愉快な話だが、フジノはこの声の主に対し、包み隠して話すことに意味はないと判断する。

「そう。だったらあまり時間がないことも理解してくれると嬉しいわ。留美が危険なの。あなたのような得体の知れない相手とおしゃべりしている暇はないのだけれど」

『ゴ安心ヲ。貴方ノ大切ナ河野留美ハ、既ニ私ノ仲間ガ救出シテイマス』

「え……?」

『間モナク彼ハ、コノ部屋ニヤッテ来ルコトデショウ。デスガ、ソレデハ遅イ。私ガ貴方ニ伝エル話ハ、彼ニハ内密ナノデスカラ』

「留美には内密……?」

 “仲間”とやらが留美を窮地から救出済みであることもそうだが、“内密の話”という言葉にますます困惑するフジノ。

 この会ったこともない、誰かも解らない相手が、河野留美に何を秘密にするというのか。

 その意図について推し量るフジノの思考を遮るようにして――、


『――私ガ話シタイノハ、貴方ノ、“存在性”ニツイテ』

 謎の声の告げたこの言葉に、フジノは我知らず、緊張した。

 この相手は、フジノに関する何か重要な事項について、知っている。

 ……内容はともかく、何を知っているのかについて、問いただす必要がある。

 強迫観念めいたその思いが、フジノを動かした。

 まるで、余人に知られてはならぬ事柄でもあるかのように。


「いいわ。あなたの話を聞きましょう」

『感謝シマス』

「その前にひとつ聞いておきたい事があるわ」

『ドウゾ?』


「あなたの名前を教えて欲しいわ。なんて呼べばいいのかわからないもの」

『名前……デスカ』

 それまで機械じみて流暢に話していた音声は、思案するように少しだけ沈黙した後、


『ソレデハ私ノコトハ、“誰でもない女(ミズ・ノーバディ)”ト、オ呼ビ下サイ。フフ』

 と、どこかおかしげな調子で名乗った。

 それは名乗ったことになるのだろうかと思いつつ、呼べれば別になんでもいいかとフジノは思った。




     ▼▲▼




 微かな光が差し込むだけの穴底で、俺はがっくりしていた。

 生き埋めにされた上に、ケータイを奪われた――フジノの足を引っ張ることになってしまったことが、我ながらあまりに不甲斐なかったのだから。

 フジノの役に立つために頑張ろう、と意気込みながらも結果的には実に情けないこの展開に、自分が自分で嫌になる。

 ちょっと今回は相手が悪すぎたようにも思うが。というか、あんなトンデモエネミーが初っ端から出てくる事態そのものに憤りを感じなくもない。

 これがゲームならゲームバランスがおかしすぎる。

 まぁ、勝負は結果が全てだろうし、それは負け惜しみの言い訳でしかない。

「はぁ……」

 そんな感じで、俺は瓦礫の下で脱出する気力も湧かないまま、うなだれているばかりだった。

 というか、この状況、脱出したくてもできるわけがないのだが。

 亜美香は俺が落ちた穴にコンクリートの塊で蓋をしてから、その上に更にいくつも同じようなコンクリートを積み重ねていったようだった。

 そのように積み重ねられた複数の大きな岩の塊を、下から持ち上げてまとめてどかすなんて不可能だ。俺が非力だからではなく、亜美香でもフジノでもそんなことはできない。人間の力でどうにかなるレベルの話じゃない。

 不用意に下から動かしたりしたら、下手をすればバランスを崩した岩がなだれ込んで来てしまい、そうなると俺は潰れて死ぬしかないだろう。

 俺がここから抜け出すには、亜美香がそうしたのと逆の工程――誰かに岩を上から一個ずつ持ち上げてどけてもらうしかない。

 ――フジノが勝って、その後でもいいから助けに来てくれればいいけど……。

 内心で祈りながら、それが随分と都合の良い話のように思えて、ますます自分が情けなくなった。


 と、そこで上の方から差し込んでくる光が少し大きくなったような気がした。

 同時に、瓦礫の上で、ガラガラと石を転がすような音……。

「え……? まさか、ホントにフジノが……?」

 空気を読んだような状況に、思わずつぶやく。

 そうして見上げていると、覗いていた隙間はどんどん大きくなり、ひときわ大きなコンクリートの塊がどけられて、外が見えるまでになった。

 パラパラと降ってくる欠片のような石が顔に当たるのを感じて、俺は自分が今まさに助けられているのだと理解する。

「フジノ――!」

 俺は自分がここにいると主張するかのように、その名前を呼んで――、


「あ、ホントにここにいた。すげーなあのブー子とかいう女、どっから見てたんだろ?」

 開いた隙間から全然違う女の子が中を覗き込んできて、思考が停止した。

 染められた長い髪と、ギャルっぽい派手めな私服姿の女子。

 どこからどう見てもフジノじゃない……、……誰?

「ねえ、あんたが河野留美?」

「え?」

「違うのー? 違うんなら用ないから助けないけど」

「ち、違わない!俺が河野留美!あってる!」

 助けない、と言われて慌てた俺は、じたばたと人違いでないことを主張した。

 そしたら彼女は「ふーん」と俺を値踏みするみたいに眺めてから、「じゃあちょっと待っててよ。助けるから」と言った。

「……??」

 見たこともない女の子が俺の名前をなんで知ってて、なんで俺を助ける?

 それに、こんな廃工場とか絶対来なさそうな感じの子が、こんなとこでなにしてんだ?


 頭の中が疑問符だらけになる俺を放置して、女の子は「よいしょ」と瓦礫を動かし始める。

 肉体労働なんか絶対しなさそうな第一印象してるが、女の子は「あーあ」とか「重いなー」とかぶつくさ言いながらも、瓦礫を丁寧にどかしてくれていた。

 そうして、ようやく俺が一人通れるぐらいの広さを得た穴に、彼女はロープを放り込む。

「それつかんで上がってこれそうー?」

「あ、あぁ……」

「じゃあ持っててあげるから。さっさとあがっといで」

 俺がロープを掴むと、女の子は上からそれを引っ張り、よじ登る手助けをしてくれる。

 瓦礫が崩れないか心配でビクビクさせられたが、結果的にはどうにか無事に脱出することができた。

 地上に上がって、安心感からどっと息をつくと、女の子は「はい、おつかれさまー」と微妙にやる気なさげに俺をねぎらった。

 結構重労働だったと思われるが、彼女は汗ひとつかいておらず、服についたホコリを払ったりしている。

「あ、あの……」

「なに?」

「……、えっと」

 色々言いたいことがあって上手く言い出せずにいると、女の子は「はぁ……」とため息をついた。

「助けてもらっといて、お礼もなんもなし?」

「あ、いや、その……ありがとう」

「んー、まあ、大変だったね」

 ちょっと同情的な言い方をされる。

 ――ってことは、俺が亜美香に追い回されてたことも知ってる?

「えーと……」

「ん?」

「あんた、名前は?」

「はい?」

 聞きたいことがありすぎて、一番どうでも良さそうな質問をしてしまっていた。

 ――名前なんて、どうでもよく……はないけど、もっと聞くべきことあんじゃねぇの?

 女の子は俺の投げた質問の意味を図るような感じで眉をひそめたが、「名前……大森しのぶ。よろしく」とすげない感じで名乗った。

「あ、あぁ、よろしく……大森さん」

「呼び捨てでいいよ。かゆいから」

「じゃあ、大森」

「ん。あんたは河野留美だね」

「あぁ、そうだけど……」

「女の子みたいな名前してるね」

「……いいだろ、別に」

 たまに言われることを言われて、俺は思わずムッとしかけたが、それについてああだこうだ言うのはさすがに脱線しすぎだと思えたのでそこまでにする。


 大森しのぶ。

 気だるげな態度。チャラチャラした服飾。不躾な物言い。

 こういう相手は……ちょっと、いやかなり苦手だ。


「大森は、こんなところで、なにしてんの?」

「なにしてるって……まあ、手伝いみたいなもんかな」

「手伝い?」

「あ、んーと、その質問パス。答えづらいから」

「……?」

 ひとまず会話を試みようとするも、なんだか上手くいかない。

 こういうスレた感じのヤツは俺の周りにはあまりいなかったタイプで、同じクラスにいる似たような連中とも俺は口を利いたことすらない。

 だから、ちょっとどういう風に応対すべきかわからなくて、要するにとてもやりづらい。

「なんで俺のこと知ってんだ?」

「聞いたから」

「誰に?」

「知り合い」

「……」

 大森は俺とあんま会話する気がないのか、対応が非常にそっけなくて、ケータイを取り出してメールを見たりしている。

 完全に眼中にない感じだ。清々しいほどに。

 ……助けてくれたことには感謝するけど、こんな興味ゼロな態度取られるのは面白くない……以前に、単純に「じゃあなんで助けた?」という疑問が湧く。


 俺は大森とは完全に初対面で、顔も名前も一切記憶にない。

 知り合いって……誰のことだ?

 パッと思い浮かぶ顔の中で、この大森と交流がありそうな人間はいない。

 強いていうならフジノなら……って感じはするが、それはフジノなら何でもあり得るって類の話で、フジノと大森が自然な感じで喋ってる姿は、やっぱりちょっとイメージが湧かない。

 ――って、フジノ……そうだ!

 俺は自分が置かれた状況について思い出した。

 今は亜美香との勝負の真っ最中なんだった。

 死にそうな状況から助かったからって油断しすぎだ俺。

 俺のケータイは奪われてしまったけれど、フジノはまだ亜美香と戦ってる。

 今となっては俺なんかが役に立つかは正直微妙だけど、こんなところでよく知らないヤツとくっちゃべってる場合じゃない。

 そう思って、俺はその場を離れようとして――、


「ちょっと、いきなりどこ行くの」

 走り出そうとしていたところを大森に後ろから引き止められて、俺は転びそうになった。

 腕を抱えるようにして引っ張られ、その場に制止させられる。

「なにすんだよ!?危ねぇだろ!」

「だっていきなり走り出すから」

「い、急いでんだよ。早く行かねぇと」

「駄目。ここにいて」

「なんで!?」

「まだ終わってないんだって。もう行っていいよってなったら連絡来るから」

 そう言って、携帯電話をちゃらちゃらさせる大森。

 連絡?

 ……意味がわからない。

 もしかして、こいつは亜美香の仲間で、俺たちを邪魔しにきてる?

 と一瞬思ったが、そしたら俺を助ける意味がわからない。

「ちょっと待っててよ。その方があんたたちのためなんだって」

「どういう意味だよ?」

「内緒。いいじゃん。どうせ行く当てとかないんでしょ?」

「う……それは、そうだけど……」

「暇ならあたしが話し相手ぐらいしてあげるから」

「……いや、話って、そんな場合じゃ……」

「河野って彼女いんの?」

「は?」

「って、いるわけないか。甲斐性なしっぽいもんね、あんた」

「ちょ、いきなり失礼すぎるだろおまえ!」

「はいはい、ツッコミでごまかさない」

 大森が唐突に始めたわけのわからない雑談を俺は打ち切ろうとするが、腕を掴む力が思ったより強くて振り払えない。

 俺の腕を抱えて行かせまいとする状況から、俺と大森の距離は自然と近くなる。

 そういう距離に置かれ、考えてる場合じゃないような思考が俺の脳裏をかすめ始める。

 割かしかっちりした正装っぽい服装の多いフジノとは全然違う、カジュアルで派手めの服装。足とか腕とか、襟元とかの微妙な肌の露出。化粧っ気のある顔。ちょっと強めの香水の匂い。

 さっき触れたとおり、大森みたいな系統の子とは話したこともなく、こんな至近距離に迫られたこともない俺は無様にどぎまぎし始める。

「好きな女の子はいんの?」

「か、関係ねぇだろ……そんなの」

「わっかりやす……。あのフジノって子でしょ?」

「ばっ、違――!」

「違うの?」

「……、……。そういうおまえはどうなんだよ?」

「質問で返すとか……、いないよ。好きな人ならいるけど」

「そ、そうなの? どんなヤツ?」

「……いきなり聞いちゃうそういうこと?」

「おまえだって一緒だろそれ!」

「んー、あたしはなんつーか、もう、あんたのこと初対面じゃない感じしてるっつーか」

「……?」

「ちょっと、変な誤解しないでよ。別にこれ、ナンパの常套句とかじゃないから」

「い、言ってねぇだろそんなこと」

「河野って地元この辺なんだよね?どこの学校通ってんの?」

「え?そうだけど……って、話変わりすぎだろ」

「話はどんどん変わってくんだよ。せっかくあたしが気合入れて喋ってやってんだからちゃんと乗っかんなよ。んで、ガッコは?」

「え、ええと……」

 結局そのまま、大森は俺を掴んだまま解放してくれず、俺は趣旨のよくわからない雑談を続けさせられることになった。

 大森の提示してくる話題は、学校だとか最近読んだ漫画だとか、そういう当たり障りのない内容ばかりだが、こいつがそれについて興味があるような態度ではない。

 かといって、何か特別な意味があるようにも感じられなかった。

 興味もなければ意味もない。

 ただただ俺をこの場に引き止めるために、無理矢理喋っているような感じがするというだけの会話。

「で?なんで俺はおまえとこんな雑談とかさせられてるわけ?」

「河野しつこいってば。そういうのウザいしムカつくからやめて」

 その目的は相変わらず不明で、俺がそのことを質問しても、こんな調子で黙らされてしまうのだった。


 そうして、話題を点々としながら目的地が不明の雑談を繰り広げ続けて数分後、大森の持っていたケータイが着信音を鳴らす。

「はい、時間きたーっと。もういいよ行って」

 そしたら大森はそれまで抱えたまま離さなかった俺の腕をあっさりと解放し、延々続けていた雑談に関しても唐突に切り上げてしまう。

 引き止めるのはこれでおしまいのようだった。

「……」

「どしたの?急いでたんでしょ?」

「そうだけど……」

「なに?あたしとしゃべってんのそんなに楽しかった? 悪いけどもうネタ切れ。あんたもうちょい自分から女の子に話題提供できるようになんないとモテないよ」

「よ、余計なお世話だよ……!」

 こんな意味不明な状況で話題の提供なんかできるか。

 せっかく解放してくれたんだ。気になることは色々あったけど、俺が何を聞いたってこいつはのらりくらりかわしてしまうだろう。

 ……随分、時間を無駄にした。

 ひとまず、フジノと合流した方がいいよな。


「河野ー」と、走り出そうとした俺を、背後から大森が呼び止める。

「なんだよ!まだなんかあんのか――!?」

「そこの階段から一階まで降りて、左に進んでった先に一個だけ色違うドアの部屋あるから。フジノ、そこらへんにいるみたいよー」

「な……?」

 また突然おかしなことを言われて、俺は固まる。

 こいつは、ホントに、なんでそんなことを知ってて、俺にそれを伝えてくるんだ……?

「ほら、早く行きなよ。急がないと負けちゃうんでしょ?」

「わ、わかったよ!」

 気にはなった。

 だが、聞いてもどうせ答えてくれないのだろうし、こいつの言う通りでもあるので、俺はひとまず言われた通りの方向へ進んでみることにする。

 こいつがウソを言ってるかどうかだって、行けばわかることだ。


「じゃーね河野。またどっかで会うはずだから」

「あぁ……、助けてくれたのは……ありがとな」

「あと、あたしのことフジノに喋ったりしないでよねー。浮気してるって思われても知らないからー」

「う、うるさいなっ!」

 俺はそんなからかいを受けながら、逃げるように階段方向へ駆け出した。

 やっぱり苦手だ、こういうヤツは。

 半ば予想はしてたけど。

 お互い相容れなさばかりが気にかかって、やり取りに全然身が入らなくてどうにも非生産的な感じになってしまう気がする。

 最早相性の良い悪いじゃなく、別世界の住人のような感じというか……。

 じゃあ俺と同じ世界の住人って、一体どういうヤツのこと言うのかって話だけど……。

 ――関係ねぇだろ。そんなこと。

 益体もない思考を振り払って、俺は目前の勝負のことを思い出すことに注力する。




     ▼▲▼




 決め手を欠いたまま何十回かに渡る打ち合いを経て、中村亜美香と上山裕哉は互いに広く間合いを取った。


 連戦続きの亜美香だったが、疲労の色はなく、その気色にはどこか嬉々とした雰囲気すら滲ませている。

 対する裕哉も、未だ余裕が見て取れた。亜美香の戦力を図りつつ、隙あらば決めてみせようという気概が感じられる。

「初めて会った時も思ったけどさ……、あんた、思ってたより全然いいじゃん。北区の雑魚どもよりよっぽど強いよ」

「そりゃどうも。そっちも色々言われてるだけあって、大した強さしてんな」

「まあな。ねえ、その動きってテコンドー?」

「わかる?カポエラとジークンドーもちょっとずつ入ってる我流だけどな。蹴り技が好きなんだよ。俺、脚長えから」

 裕哉の戦法は蹴り技が主体の本格的なスタイルで、素人の適当な喧嘩殺法などではないことは一目で察せられた。

 それでいて、魅せ技のように流麗に過ぎない無骨さがある。

 実戦の中で最適化され、相手を討ち倒すことに主眼を置かれているような、実用的に鍛えられ、研ぎ澄まされた気配が感じられた。

 ――ずいぶん好戦的な野郎だと思ってたけど、想像以上だな。危険で、厄介で、やりづれえタイプ。

 亜美香はそのように分析する。武道を嗜む相手は不良の中にも時折いたが、この男ほど戦いに熱心な者はそういない。

「ずいぶん色々習ってんだな。実家が道場かなんかか?」

「格闘技オタクなんだ。人間ぶちのめす方法調べんのが好きで、覚えたら試したくなって仕方ねえのよ」

「辻斬りみてえな思考だな。歪んでるよ、あんた」

「知ってる。けどお前も一緒だろ?暴力の天才?」

「あたしは……」

 ――あたしは、どうかな?

 裕哉の馴れ馴れしい問いかけに、亜美香は言葉を詰まらせた。

 自分が異常だとは認識している。

 だが、裕哉の持つソレとは、少し違うような気がした。

 ――こいつからは確かに、あたしと似た純粋さみてえなモンを感じる。

 北区にはびこっていた有象無象とは、意識的な格が違う。それはわかる。

 戦って、強いな、と感じる人間というのは、大体心の中に支柱みたいな何かを持っている、と亜美香は感じている。

 北区の連中にはそれがなかった。だから弱い。

 フジノには、ぼんやりとそれを感じられた。だから期待ができたし、まだ捨てきれていない。

 塚本にも、微かだが感じるところがある。中途半端な感じは否めないが、鍛えればどこまでも尖鋭化していきそうな、独特の味を持っている。

 上山裕哉にも、確かにそういう支柱的部分が感じ取れる。

 だが、こいつは――、


「あんた、名前なんつったっけ?」

「上山裕哉。特徴薄くて覚えづらい名前だろ」


「――上山。あんたは、ドス黒い何かがべっとりついた、気色悪いぐらい邪悪なヤツだ。絶対ロクな生き方してねえな」

 亜美香は、酷く感覚的なことを口にした。

「あんたの暴力には悪意がある。相手をぶっ倒すことそのものが目的みてえなな。そういう不純な振り切れ方は、あたしはちょっと好みじゃねえかも」

 根拠はない。見てきた証拠もない。言いがかりにしても乱暴に過ぎる。

 だというのに、


「フ――、ヒハハハハハハ!」

 上山裕哉は、口の端を吊り上げて嗤った。

 それは図星を突かれたようでもあり、我が意を得たりといった風でもあった。


「俺を見抜いたな、中村亜美香! さすがは怪物とか言われるだけのことはあるぜ!」

 それは喜悦だった。

 冷めた態度で軽口を叩く普段の彼が決して見せない、本質的な部分。

 亜美香はそれを、邪悪と評した。

 裕哉の大笑は、それが遠からず的中していることを肯定している。


「……理解されて嬉しいか?」

「ん?まあ一応は。でも別に間に合ってる」

 問いを受けて、裕哉は瞬時に素に戻り、答えた。

 ゲラゲラと笑っていたのが嘘のように、普段のけだるげな態度に切り替わった。

「俺あ確かにロクな生き方してねえ、生まれも育ちも歪み切ってる異常者だが、それに負い目を感じたりなんてしねえよ。そういう俺の邪悪さに、価値を見出してくれる相手もいることだしな」

「ふうん……そりゃ羨ましいね」

 亜美香は本心からそう返した。

 ――こんな悪党でも、受け入れてくれる人間ってのはいるんだな。

 それは彼女にとって福音のようでもあり、人間の底知れなさのようでもあった。


「さて……と、悪いな中村。そろそろ時間が来たみてえだ。俺は帰るよ」

 異様な雰囲気から一変、途端に素に戻った裕哉がそのようなことを言い出し、亜美香は呆れた。

「なんだよ?勝負吹っかけといて逃げんの?まだ全然じゃん」

「暴力バカのくせにつまんねえこと言うんじゃねえよ。喧嘩にルールもクソもねえだろ。やめたくなったらやめんだよ」

「ま、そりゃそっか」

 自分勝手な理屈ではあるが、納得する部分があった亜美香は臨戦態勢を解いた。

「じゃあ消えな。次会ったら今度こそ本気出せよ」

「言ってろ。んじゃな」

 捨て台詞と共に、上山裕哉は廃墟の路地へと立ち去っていく。

 後にはどことなく不燃感を募らせた亜美香が残された。


 上山裕哉と戦うのはこれで二回目。

 最初の一回は、突然現れて「フジノという面白い女がいる」という話をされ、その時に誘われて、応じた。

 その時から、彼の持つ独特な雰囲気に亜美香は関心があった。

 同類の気配。大衆に馴染まぬ異常性。

 そして二度目の戦いを経て、詳細は不明なるも、そうしたいびつな部分が彼の中にあることを確信した。

 ドス黒い、我欲と悪意に満ちた、邪悪さのようなもの。

 いかにして彼がその精神性を得るに至ったかは知らない。だが、その悪の部分が彼の精神的支柱となり、あのなかなかに容赦のない強さを得るに至っているのだと亜美香は納得する。

 なかなか興味深い、面白い相手だった。

 ――ただまあ、やっぱあんま好きではねえよな。

 亜美香は自分が粗暴で、イライラしやすい性格だと思っているが、裕哉ほどの凶悪さは持ち合わせていないと思っている。

 彼は自分の同類に限りなく近い性質だが、贅沢を言うなら生理的な好みに反するというところ。

 ――フジノを見た時ほど、ビビッと来なかったんだよなあ。でもそのフジノも、なんかまだ本気見せてないって感じするし……。

 彼女の本気が見てみたい。

 その上で自分も全力でぶつかって、彼女の本質に触れたい。

 そしてできることなら、自分はフジノと――、



「そうだ。今はフジノとの勝負の最中なんだった」

 裕哉との喧嘩が思いの外白熱して、うっかり忘れていた。

 気を取り直してポケットに手を入れると、河野留美の携帯電話が出てくる。これを使って、フジノに電話をかけなければならない。


「さっきのところに戻ってもいいけど、フジノたちいるかもなあ……。他を当たるとすっかあ……」

 ぼやくようにして言いながら、トコトコ歩き出す。

 少しでも電池を減らそうと留美の携帯電話を適当に弄り回してみるが、さすがにその程度では電池はすぐには減らない。

 すると、タイミングを読んだように、留美の携帯電話に一通のメールが届く。


「あなたの居場所は把握しているわ。どこに向かおうと見付け出してあげるから、首を洗って待っていなさい。 フジノ」


 フジノから送られた文面は妙に強気で、彼女がまだ策を残していることが感じられた。

「へえ……」

 メールを一読し、亜美香はニヤリと笑った。フジノはやっぱり自分を大いに楽しませてくれる。

 この感じにもっと触れていたい。もっと楽しい気分にさせてもらいたい。

 ――そうと決まれば、行動開始だ。

 亜美香は耳を澄ませて歩き出し、手近なポイント――音楽が鳴っている位置をつかもうとする。


 果たして、フジノは自分が求める“本物”だろうか?

 自分の同類――理解者足りうるだろうか。

 今度こそ、心の底から、自分を楽しませてくれるといい。


 そうした期待が高まって、中村亜美香は嬉しげに笑んだ。










     ▼▲▼




 ……時間にして少し前。

 廃工場。居住区の、とある一室。


 部屋に置かれた不審な機械を介して、未知なる相手と対話をすることになったフジノ。



 そこで、フジノは――、



『――以上ノ観点カラ推理スレバ。

 フジノ、貴方ノキャラクターハ、“動物園ひかる”ノ漫画作品『プラネット・プレデター』ニ登場スル、ヒロイン“ブラックローズ”ヲ元ニ形成サレタ、()()()()()デスネ?』


 ――自身の存在性に関する、その真実と、直面する。



 偶然にも未読だった河野留美は、知り得なかった、その真実。

 仮に知り得たとして、愛をもって看過したかもしれない、その真実。



 だがこの相手は、初見から既に看破しており、無慈悲に暴き立てるのみ。



 その闇を直視せよ。そして、己の本質を思い出せ。

 ……機械越しの相手は、そのような意図を持って、告げていた。





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