9.I just wanna kiss you
……唐突に、在りし日の自分が回想された。
俺が通っていた小学校の校庭の隅には木製の遊具とか、乗って遊べそうな岩とかが並べられた、小さなアスレチックのような施設があって、小学生だった俺はよくひとりでそこにいた。
みんなでわいわいやるのが、苦手だったわけじゃない。
ただ、友達と一緒にいて楽しい時はいいけど、ゲームで負け続けになったり、ちょっとした一言に傷付いたりと、時には嫌な思いもするわけで。
そういう時の俺は、誰とも話さず、校庭の隅でこっそり一人遊びをしていることが多かった。
周りからしてみれば「いじけてる」の一言で済まされただろうし、実際その通りだったと思う。
俺がよくやっていた一人遊びが、“金の採掘”だ。
アスレチックの遊具の近くに設置されていた岩には、表面にピカピカした金色の結晶が埋まっているものがあって、俺はそれを道具も使わずに素手で、必死になって集めていた。
幼稚園児じゃあるまいし、小学生が学校でやる遊びとしては正直どうかと思う内容……思い出すだけで胸が痛いが、当時の俺の心境としても似たようなものだった。
俺が岩を掘っている時は、大体が何か嫌なことがあった時だったから。
友達とくだらない喧嘩をした時。
子供だからこそ口にできる心無い悪口を言われた時。
そういうものに向き合うのが億劫で、俺は一人で校庭の隅に逃避していたんだ。
言われた悪口を思い出して、ちょっと泣いていた日もあったような気がする。
“校庭にある岩からは金が取れる”。
小学生の俺にとってそれは大発見で、誰にも言わない最大の秘密だった。
でも本当はその秘密をずっと誰かに話したくて仕方がなかった。
――今はみんなに悪口を言われたり、仲間に入れてもらえなくても、この秘密を知っている俺には価値がある。
だから、誰かこの秘密を聞きに来て、この特別な遊びを一緒にやって、……俺と仲良くして欲しい。
子供ながらに、そんなことを考えていたはずだ。打算的な話だけど、子供なんてそんなものじゃないだろうか。
けれども、傍から見る俺は校庭の隅でいじけて土いじりをしているだけのガキで、誰も興味なんて示してはくれなかった。
それが寂しくて、……それでもいつか誰かが興味を持って話しかけてくれるんじゃないかって、信じていた……。
……ちなみに、小学校高学年になった頃、ふと気になって調べたら、俺が掘り起こしていたのは金ではなく、何の価値もないクズ石――黄鉄鉱だということが明らかになった。
みんなと違う、ちょっと特別な遊びを思いついて悦に浸っていた俺が、夢中になって掘っていたのは、無価値な石ころだったわけだ。
薄っぺらい自尊心を指摘されたようで、俺はまたちょっと泣きそうな気分になった。
● ●
自分の部屋。椅子にひっかけたままにしていた薄汚れた上着のポケットから、何かが転がり落ちたのを見つけたのが回想の始まりだった。
それはパイライト。フジノと洞窟を探検した時に偶然見つけた、金色に輝く、無価値な石ころ。
なんとなく持って帰ってきてしまい、ポケットに入れたまま忘れていたそれを見つけてしまった俺は、そのままぼんやりと思考を巡らせていた。
「……あーあ、アホくさっ!」
幼少期の根暗そのものでしかない日々が思い出されて、俺は声を出して脳裏に浮かんだ色々な物を振り払う。
――懐かしかったからって、何また持って帰って来てんだっつーの俺は。
挙げ句、嫌なことばかり思い出して嫌な気分になって、わけがわからない。
フジノは雑貨屋のばあさんコレをプレゼントして喜んでもらっていたが、俺にはコレを送って喜んでくれる相手がいるわけでもない。
「カッコ悪ぃの、俺」
それがカッコ悪いと思えるだけ、今の自分は成長したということだろうか。
でも、フジノと違って無目的に拾ってきちゃっただけの俺は、あの頃と何ひとつ変わっていないってことでもあるんじゃなかろうか……。
「――っと、なんだ?着信?」
またしてもどんより思考を再開させかけた俺の意識を戻したのは、机の上でブーブー震える携帯電話だった。
……友人の少ない俺は電話なんてろくにかかってこないから、無駄にびっくりしてしまう。悲しい話だ。
画面表示を見ると、そこには“篠原雛”と名前が映っていた。
俺は見られるわけでもないのに、慌ててパイライトを机の引き出しに押し込んで隠す。
「……もしもし?」
『もしもし河野? あけましておめでとう』
「あ、そっか。あけましておめでとう」
『いきなりごめんね。今日忙しい?もし時間あるんだったら、一緒に初詣に行かない?』
「……、初詣?」
今日は、1月3日。
新たな一年を迎えて、三日目の朝のことだった。
9.I just wanna kiss you
私が「初詣に行こう」って電話でいきなり言ったりしてきたことについて、河野はちょっと戸惑ってる雰囲気だった。
無理もないかな、とも思う。
私と河野は、一緒に初詣に行ったりしたことはない。すごく子供の頃とかならあるけど、その時だけ。
お正月だからって、二人で毎年欠かさずそういうことをやっているとかでは全然なかった。
自分でもちょっと意外だけど、中学生の頃、私と河野はちょっとだけ疎遠だった。
顔を合わせれば挨拶はするし、普通に会話はするけど、会う機会自体が今より少なかった。あの頃はクラスも違ったし、私も部活とかを始めて、帰る時間もばらばらだったから。
そういう風にすれ違いがちになると、不意に顔を合わせても何を話したらいいかわからなくなるもので、どんな話をするべきかを考えているうちにお互い距離が遠のいていってしまった感じ。
……まあ、たまにしか一緒に帰らないのは、今も昔も同じようなものではあるんだけど。
でも、クラスも同じになったからよく喋ってるし、たまにかもしれないけれど一緒に帰ることもあるし、そういう時も別にそんなに気まずくないし。
高校生になった今のほうが、中学の頃より距離が近づいた、と少なくとも私は感じている。
私はそれが嬉しくて、居心地が良いと感じていた。
だけど、私がのんびりその空気に浸っているうちに、河野は学校をさぼったり、放課後もすぐにいなくなっちゃったりするようになっていってしまう。
……理由は、本人に聞いたから知ってる。知ってるけど、今はいい。
大事なのは、河野は私にかまうよりも楽しいと感じることを見つけ出して、私から離れていってしまっているということだ。
そしてもっと大事なのは、河野と仲良くしたいなら、私はただ河野が近づいてくるのを待ってるだけじゃなくて、勇気を出して声をかけて、「一緒になにかやろう?」って誘ったりしないと駄目だってことだ。
よく考えたら当たり前のこと。小さい頃に読んでたまんがにだって出てくるような話。
でも、ばかな私はそれを自分に置き換えて考えることができず、「やらなくちゃ!」と思うのに半年以上もかかってしまった。
私は、河野留美と、仲良くしたい。
仲良くして、一緒にいたい。一緒にいて、もっと色んなことをしたい。
なぜ?
――それは私が、河野留美のことが好きだから。
好き。河野のことが。
それをはっきり自覚したのはいつからだろう?
好意自体はきっとずっと昔からあった。でも、本当にこれが「好き」ってことなんだ、と自覚したのは、割と最近のこと。
その気持ちは、気付いたらいつの間にか自分の心の中にあって、それ自体は知ってたしわかってたつもりだったけど、最近そのぼんやりした輪郭がどんどん鮮明になっていっているみたいに、私にはよくわかるようになっていっている。
それはちょっと恥ずかしいけど、でもすごくあったかくて、大事にしたいな、と私に感じさせてくれる。
私は、河野留美が好き。
だから、勇気を出して、彼を初詣に誘う。
これも考えてみたら、ずっと一緒に行ってみたかった。
でも今まで行ったことなんてないし、と諦めかけて、距離が近づいた今年に誘わないと、来年以降も行かない流れがずっと続いてしまう、と私は気付く。
勇気を出してがんばれば、結果はきっとついてくる。
私がちゃんと誘えば、河野はきっと一緒に来てくれる。
……いつだったか、雨の日、一緒に帰ろうと誘ってみた日に私はそれを学んだ。
私みたいな人間にとって、勇気を出して何かする、っていうのはすごく体力がいることで、正直やだなと思わなくもないけど、今年はもうちょっと頑張ろうと思っている。
大晦日とお正月が終わって、新しい年になった。
私の新年の抱負は、河野ともっと一緒にいること。
それに、決めた。
……それにしても、河野のことだから、どうせまたフジノさんに会いに廃車両に行く、とか言ってくるかと思ってたのに、やけにすんなりオーケーしてくれたな、と私は思う。
もっと渋られると思って、いろいろと食い下がる言い方を考えてたのに、ちょっと拍子抜けだった。
でも、調子いいぞ、今年の私。
――嬉しいな。
● ●
行こうと思っている神社は電車を使って行くところにある。
その神社は海沿いに建っていて、景色がとても良い。前に家族で行った時から私は気に入っていて、河野もきっと気にいると思ったからそこにした。
私が「電車で行く」と言ったら河野は「じゃあ駅で待ち合わせな」と言ってきたので、私たちは最寄りの駅前に集合することになった。
最寄り、と言っても、私にとっても河野にとっても、この駅は歩いていける距離ではなく、駅までバスを使わないといけない。
――だったら家近くなんだし、最初から一緒に行けばいいのに。
一人でバスに揺られながら私はそんなことを思ったが、それならそもそも私の方から「バス停で待ち合わせしようね」とか言えば良かったのだと気が付いた。
失敗だったな。
次への反省にしようと思う。
まだ三が日なので、駅前のお店は結構閉まっていて、人通りも多くはない。
だからバスから河野が降りてきたのに、私はすぐに気がつく。
「河野」
呼びかけて手を振ると、彼はちょっと慌てた風にして、小走りで私のところまでやって来た。
「わり、遅れたか?」
「ううん。私もいま来たところだよ」
ホントは三十分くらい前からいるけど。
「じゃ、じゃあ行くか? 電車乗るんだよな」
「うん。そんなに遠くじゃないから」
「そっか」
電車で行くって言ったら面倒くさがり屋の河野は嫌がるかなとちょっと思ったけれど、あまり気にしていないようだった。
私たちは、駅に入り、改札をくぐり、電車が来るまでの間、ホームで立ち話をする。
「そういえばさ」
「ん?」
「今日はフジノさんに会わなくていいの?」
「え……?」
河野はちょっとだけギクッとしたような気がした。
……というか、私もいきなり何聞いてるんだろう。
例えば、「お正月どうだった?」とか、「お年玉いっぱいもらった?」とか……お正月らしい話題なんていくらでもあるのに。
……私が、今更聞いちゃうぐらい、そのことが気になってたってことなのかも。
「ええと、まぁ……気にすんなよ」
そしたら河野は、なんか誤魔化すみたいな微妙な反応をした。
私が何を気にすると思ってるのとか全然わからないけど、よくわからないのに私はそれを聞いてちょっと安心したみたいな気分になる。
――河野、もしかしてフジノさんと比べて、私のこと選んでくれたってこと?
そんな考えがさっと頭の中をよぎる。
「どうかしたの?」
「え?ど、どうもしてねぇけど。今日はおまえと初詣に行くんだからいいんだよ」
私は河野にそう言わせたいのか話題を引っ張ろうとして、今度は露骨に嫌がられた。
そこで、ああ、性格悪いな私は、とまたしても今更理解してしまうのだった。
ちょっとなにかがうまくいくと、欲張りになってしまって良くない。
――でも、河野、ちゃんと来てくれた。嬉しい。
ちょうどそのタイミングで電車が来て、私たちは乗客もまばらなそれに乗った。
おかげでなんとなく話題が変わって、やっと私たちはお正月らしい会話をするようになる。
「河野は、年末はテレビいつもなに見てるの?」
「ん?別に……。親とかが紅白見てるから、横で見てたりはするけど」
「私の家は毎年紅白なんだ」
「確かに。ケーワンって感じじゃねぇよな篠原の家は」
「でも、河野の家だってそうなんでしょ?」
「まぁ、正直俺はなんでもいいんだけど……」
「えー楽しいじゃん紅白。好きな歌手とか出てたりすると嬉しくない?」
「そういや水樹奈々出てたな今回」
「え?誰?」
「あ、知らねぇか。その……声優?歌すげぇ上手い人」
「そうなんだ。誰の声やってる人?」
「え?えーと、おまえが知ってるキャラだと……うーん……」
「バンプも紅白出たらいいのにね」
「出なそーだな。バンプ」
会話は途切れず続いていく。
私と河野はタイプが違うようで実は近いのか、タイプなんか違くても話題は共通したりするのか、よくわからないけれど。
でも、会話って楽しい。
河野とする会話は、楽しい。
中学生の頃の私は、何に気兼ねしてたんだろう。
河野が喜ばないんじゃないかとか、盛り上がるかどうかわからないとか、そんな変な遠慮しなければよかった。
もっと、こうやって、なんでもいいから会話をしてみようって思えてたら、よかったかもしれないのに。
だからこそ、私は河野と楽しくおしゃべりしよう、と今はちゃんと考えている。
● ●
目的の駅に着いて、私たちは電車を降りた。
電車に乗った駅と同じで、周囲はまだまだお正月の空気が続いている。
街は静かで、通行人はあまりいない。
けれど神社に近づくにつれて、自分たちと同じ初詣客らしき人たちをちらほら見かけるようになっていく。
女の子なんかは晴れ着姿の子もいる。
神社が近いからか、お正月だからか、目立つ格好なのに自然な感じがする。
――ああいうのって、可愛くていいなあ。羨ましい。
「そういや、おまえは晴れ着とか着ないの?」
と、口に出したわけでもないのに河野が晴れ着の話を持ち出してきた。
今日の私の服装はお正月全然関係ない普通の私服。ちょっとおしゃれはしてきたつもりだけど、晴れ着にはどうあっても敵わない。
「……私、背高いから……ああいうの、似合わないんだ」
気にしてるのに。
だからちょっとそっけない言い方になってしまう。
私は自分の身長にコンプレックスがある。私みたいな地味で目立たない女の子は、もっと背がちっちゃくてよかったのに、と結構いつも思っている。
「あれ?おまえってもしかして、身長高いの気にしてる?」
そしたら河野は知らないわけないと思うのにそういうことを今更言う。
――してるに決まってるよ!っていうかこの話題何回目だと思ってるの。
絶対に今日が初めてじゃない、と思ったけど、それを言うとぎすぎすすると思ったので、言わない。
あ、もしかしてまた忘れてるフリして意地悪しようとしてるの?
私が怒るの期待してるのかもしれないけど、その手には乗らないんだから。
「俺、おまえぐらい身長があったらいいと思うけどなぁ」
河野はフォローのつもりなのか、独り言みたいな調子でそう言った。
……どっちかって言うと、それって男の子に対して言うべきことじゃないのかな?
私は高いのが嫌だって言ってるのに。
でも、ちょっと考えてみる。
私の身長は178センチある。河野は165センチくらいかな?
ガラスとかに映ってるので見てみると、頭半分くらいの差があるように見える。
せめて逆ならよかったのに。
あ、それだ、と私はひらめいたみたいになる。
180センチ近くあるすらっとした河野と、女の子にしてはちょっと高めだけど、隣り合って見上げるようにしていられる私。
……いいかも。
「私は河野ぐらいの身長だったらよかったな」
で、私はそんなことを返す。
こんなの、言ってもどうにもならないけど。
「そ、そうかな?」
「そうだよ……」
河野は少し戸惑ったような反応をした。
私は河野が背が低いのを気にしてることを私は知っている。
だから、自分の身長を羨ましがられることなんてあるわけないと思っていたのだろう。
私たちって、お互いに自分の身長が好きじゃなくて、羨ましがってる。
それで慰め合うみたいなこと言ったりしてて、へんなの。
でもなんか、ちょっとこの空気は、好きかもしれなかった。
お互いのことを褒め合うって、仲良くないとできないことだし。
まあ、これは褒めるとはちょっと違うかもしれないけど……。
そういうことを自然と言ったりできるくらいには、私と河野は仲が良いみたい。
神社に到着した私たちは鳥居をくぐって中に入る。
境内にはそれなりに人がいて、お正月らしく賑わっている雰囲気があった。
「篠原、こっちこっち」
お参りするために本堂へ向かおうとする私を、河野が呼び止めた。
振り向くと、入り口のすぐ脇にある場所を、河野は指差している。
屋根と四本の柱があって、中央には湧き水みたいに水が流れる台が置かれていた。
「え?あぁ、手洗うんだね」
「トイレみたいな言い方すんなよ。手水って言うんだろ」
「そうなの?」
「ここで手とか口とか清めてから参拝すんのが、神社のマナーだろ」
「よく知ってるね。河野、神社とか行かなそうなのに」
「え?ま、まぁな」
私は河野に連れられて、やり方を教わりながら柄杓を使って手水を済ませる。
そういえば、お父さんにも前に教えてもらってやったような気がする。
私だって河野にとやかく言えるほど神社に来たことがあるわけではないから、うっかり忘れていた。
それだけに、河野がやけに詳しく知っているのがちょっと意外だった。
「んじゃ、参拝すっか」
「そうだね」
「どうやってやるか知ってるか?」
「二礼二拍手一礼、でしょ。さすがにそのぐらいわかるよ」
「そりゃそっか」
神社の境内には街よりは人がいる。
とは言っても、観光地というわけでもないこの神社はさほど混み合ってもいなくて、お参りはさして並ぶこともなくすぐに終わってしまいそうな感じがした。
予想通り、程なくして自分たちの番が回ってきて、私と河野はお賽銭箱の前に並んで立つ。
「河野。お賽銭入れるのは、お辞儀した後?」
「え? どっちだったかな……」
「あれ?知らないの?」
「や、その……先でいいんじゃね?」
「なんかいい加減だね……。これもマナーとかあるんじゃないの?」
「ある……と思うけど忘れた!今度聞いとく」
誰に?と思ったけど、河野は小銭入れから十円玉を取り出して、いそいそとお賽銭箱に放り投げていた。そのままガラガラと鈴を鳴らす。
知らなくて恥ずかしいのはわかるけど、そんな乱暴にすることないのに。
私は神様にお詫びをするような気持ちで、できるだけ丁寧にお参りをすることにした。
「河野、十円入れてたね。五円玉じゃなくてよかったの?」
「“ご縁がありますように”、ってか? 変なのと縁結びされても困るし、俺はいいの。そういうのは」
「なにそれ?河野らしいけど」
「そういうおまえだって、入れてたの十円じゃん。ご縁はなくてもいいのか?」
「私は、まあ、その……」
欲しいご縁だったら既に持ってるし……ね。
ここに新しく違う人とのご縁を当て込まれても嫌だし。
私と河野二人分のお互いのご縁に感謝して、みたいなつもりもちょっとあった。
河野が私との縁を、良いものと思ってくれますように……とか。
改めてそんなこと言うと、私ってすごく恥ずかしいことやってるな、と思ってしまうけど。
「ってか、案外空いてたな。三が日も最後だからか?」
「そうだね。すっごい人混みだったりしなくてよかったけど」
「どうする?もう帰る?」
早々とお参りを終えてしまった私たちは、初詣の目的を終えてしまったことになる。
そうすると、河野の言うことも別におかしくはないけれど。
――帰りたくないな。
私はその思いが強かった。
「河野。おみくじ引こうよ」
「えー?そんなのやってどうすんだよ……」
「いいじゃない。どうせ河野、おみくじなんて引いたりしたことないんでしょ」
「仕方ねぇなあ……」
せっかく来たのにそんなにすぐ帰るなんて嫌だったので、私はわざとはしゃぐみたいにして、神社の色々なところを回ろうとしてみることにした。
河野との時間を少しでも長く引っ張りたかった、っていうのが正直なところではあるんだけれど……。
私はけだるげな河野を連れて、おみくじを置いている授与所に向かう。
河野も面倒くさそうにするだけで、本気で嫌なわけではなさそうで安心した。
おみくじを引くのは別に初めてではないけれど、番号を言って自分のおみくじが出てくる瞬間は毎回ドキドキしてしまう。
札を渡されて、ちょっと丁重な感じに受け取る。
「篠原、どうだった?」
「まだ見てない。一緒に見る?」
「あ、あぁ、いいぜ」
河野もちょっとだけ緊張している感じがした。
せーの、と二人同時に渡された札を開くと、私は“大吉”、河野は“末吉”と書かれていた。
「すご!大吉じゃん!」
「えへへ、新年早々ラッキーだね」
「で、俺は末吉か……なんか中途半端な……」
「凶とかじゃなくてよかったって考えたら?」
「そりゃそうなんだけどさ……」
「そ、それに、大事なのは書いてある内容だから。読んでみよう?」
「そうだな」
私たちは、それぞれおみくじの内容を読み始める。
ええと、恋愛は……“会うにつれ、想いは深まり、幸せな将来へと続く。心を伝える日まで、自らを磨き続けること”か。
あれ?結構……っていうか、すごく良いこと書いてある感じ。
そうだね、努力はしてかないと駄目なんだね。
それで良い未来になるんだったら、言う通りにします神様。
「恋愛……身辺騒がしかろうとも、心を安らかに、一途に交際すべし?」
「浮気するなってことじゃない」
「う……」
それって当たり前のことだし、そんな悪いことが書いてあるわけじゃなくてよかったね、というつもりで言ったら、河野はなんとも複雑そうな表情をして黙ってしまった。
なんとなく空気が重くなりかけたので、私はその他の運勢についてもコメントしてあげることにしてみるが、河野のおみくじは最悪ではないけれどあまり前向きな内容が書かれていなくて、河野はますます考え込んでしまう。
どうやら今年一年は、河野にとってちょっと逆境な一年になるということなのかもしれない。
どうか前向きに捉えて欲しいけど……、ピンチになったらちゃんと助けてあげられるように私もがんばろう……。
境内にはおみくじ以外にも色々な授与所があり、少し離れた隅の方には茶店や屋台のような場所まであった。
せっかくだから何か食べようと、私たちはそちらへ足を運ぶ。
甘酒、おでん、梅ヶ枝餅、焼き鳥……、定番のものから、普通のお祭りと変わらない屋台まであって、あたりはちょっと雑然としていた。
「篠原、腹減ってる?」
「うーん、そんなには。河野はおなか空いた?」
「俺も別にって感じだな。どっちかっていうとなんかあったかいの飲んだりしたい」
そう言われてすぐ思いつくのは甘酒かな、と目で探すと、屋台の列の先に一回り大きいテントのようなものが設営されているところが目に入る。
入り口では巫女さんが何か飲み物のようなものを配っており、お参りに来たおじいちゃんおばあちゃんがそれを受け取っていた。
「ねえ河野、あれ見て。なにか配ってるよ」
「行ってみるか」
私たちは、テントの方へ向かってみると、ほのかに甘い匂いが漂ってくる。
巫女さんがお参りに来た人たちに飴湯を配っているようだった。
そんなのただで飲めるなんて、神社の人って優しいんだなと私は思う。
「飴湯だよ。あったかそうだね」
「ちょうどいいかもな。もらおうぜ」
河野が先んじて列に並び、私もその後に続いた。
しかし列が進んでいくにつれ、私も河野も、巫女さんの手前に置かれた木箱のようなものに気がつく。
最初はただで配っているのかと思ったけど、上蓋のないその木箱の中にはお金が入っており、私たちの前に並んでいた人も、そこにお金を入れている。
……ホントは有料みたい。でも、どこにも金額は書いていない。
「えー?えっと、これ、いくら払えば……」
と気付けば列の先頭になってしまっていた河野が、戸惑いがちに巫女さんに尋ねている。
「あ、大丈夫ですよ。無料です」
「え?でも……」
そう言われつつ、私も河野も視線が自然と木箱の中のお金に向いてしまう。
「これは、お賽銭のようなものと言いますか……払ってくれる方だけ、払って頂ければ」
「あ、そ、そうなんですね。すみません……!」
河野は慌てて小銭入れから百円を取り出して木箱に入れる。
私も同じように百円玉を入れ、二人で飴湯をもらった。
巫女さんがちょっと言いにくそうにしながらも丁寧に説明してくれて、私は物知らずな自分が恥ずかしくなる。
河野も一緒だったみたいで、私たちは二人でそそくさとテントの中に入っていくしかなかった。
椅子に並んで腰掛け、私たちは飴湯をゆっくり飲む。
あったかい……。甘くて、ちょっと懐かしい味が広がって、心がほっとする。
「河野、お賽銭の木箱の中ってちゃんと見た?」
「見た……五円とか十円とかばっかりだったな」
「うん。私、百円も払っちゃった」
「俺もだ。もったいないことしたな」
「そういうこと、ちょっと言いづらいよね」
「まぁ、確かに……お賽銭って、不思議だよな」
私たちは二人で飴湯を飲みながら、そんな会話をした。
周囲には、近所に住んでる感じのおじいちゃんやおばあちゃんが集まって座り、私たちのように飴湯を飲みながら楽しそうにおしゃべりしている。
きっとこの人たちは、ずっと前からこうやって、毎年ここに集まって、楽しく初詣をしているんだな、と私は思った。
また、河野と一緒にこうやって、初詣に来たいな。
できれば毎年。来年も、再来年も。
その先も、叶うなら、ずっと――、
● ●
できればもっとずっと長い時間いられたらよかったけれど、小さな神社でそれをするにも限界が訪れて、私たちは家に帰ることにした。
途中で寄り道しようにも、お正月でどこも開いていないので、そのまま家へ向かうことになる。
駅前のバス停で、私たちはお互いの家がある方向へ向かうバスに乗る。
初詣の帰りなのか、バスはいつも通学で乗る時よりも混んでいた。
いつも私たちが座っている辺りも、既に他のお客さんが座ってしまっている。
「篠原、奥、座れよ」
「え?いいの?」
河野にそう勧められて、後ろからもお客さんが来ていることを察した私は素直に窓際の席に座った。
そしたら河野は私の隣に自然な感じで腰を下ろしてきた。
突然隣り合って座ることになって、私は驚く。だっていつもは席が空いていても、前後に並んで座っていたから……。
「ん?あぁ、悪いな狭くて」
「う、ううん、平気……だけど……」
「だっていつもよりバス混んでるしさ。二人で座れんなら、それでいいじゃん」
「あ、うん……」
私がびっくりしているのと対照的に、河野はあまり気にしていないようだった。
でも、家族とか同性同士ならともかく、男女で並んで座ったりするのって、なんか……、
「なんだよ、そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃん」
私が気にしているのを察したのか、河野は冗談めかしてそんな風に言ってくれた。
――考え過ぎ、かな……私。
「べ、別にそういうわけじゃないよ……」
私は曖昧に笑って、言葉を返す。
河野が、嫌じゃないなら、私としては、別に……。
バスは家の方へと向けて走る。
車内が混み合っていることもあって、普段ほど気軽に会話がしづらく、私たちは無言で椅子に座っていた。
私はぼんやりと景色を眺めながら、肩が触れるほど近くに座っている河野のことを考えている。
今日は楽しかったな、とか、本当はもっと長い時間一緒にいられたらな、とか。
とりとめのない思いが渦巻きながら、風景は流れていき、気付けば私は昔のことを考えていた。
風景と思い出が結びついて、色々な出来事が思い返される。
河野と一緒に歩いた道、遊んだ公園、通った小学校……、
「あっ」
「……ん?」
私が思わず声を発したので、河野が反応した。
二人とも通っていた小学校の近くを通った時、あったはずのものがなくなっていたことに気付いたからだ。
「あのアスレチック、もうなくなっちゃったんだね……」
「えっ?あ、あぁ、小学校の校庭にあったヤツか?」
「覚えてる?」
「ん、えっと、まぁ……、どうだったかな……?」
「……」
「い、今って公園とかの遊具とかも危ねぇからってなくなったりすんじゃん? だから、そういう感じなんじゃねぇの?」
河野はちょっと歯切れが悪い言い方をする。
なんだかまるで、思い出したくないみたいな。
それとも、よく覚えてない?
だとしたら、ちょっと傷付く。
私は、ずっと覚えてるのに。
小学校の校庭に設置されていた、アスレチック。
……そこは、私と河野が、初めて出会った思い出の場所だから――。
● ●
小学生の私にとって、河野留美というクラスメイトに抱いていた印象は、自分とは全然違うタイプの人、ということに尽きた。
今はあまりそういう感じではないけれど、あの頃の河野はサッカーが得意で、クラスでも元気に男の子たちと遊んでいるような様子が目立っていたように思う。
明るくて元気な、普通の男の子。
でもちょっと変わったところもあって、よくおかしなことを口にしては、クラスの他の男の子と喧嘩をしたりしていたような気がする。
詳しいことは覚えていないけれど、河野はきっと昔からちょっと意地悪で、皮肉屋な子供だったんじゃないかな、と思う。
今の私たちぐらいの年齢なら冗談みたいなもので終わる言葉も、小学生にとっては時としてものすごく気に食わない言葉であったりしたのかもしれない。
子供の頃から頭が良くて、だからこそ他のみんなと折り合わない部分がある……みたいな、そんな不器用な男の子。
それが、河野留美。
対する私はといえば、自分で言うのも変だけれど、良く言えば大人しくって優しい子、悪く言えばぼーっとした呑気者で、どんくさい子供だったと思う。
自分でも、小さい頃の記憶はどこかぼんやりしていて、上手く思い出せない。
それはつまり私が何かを深く考えたりせず、ふわふわした感じで過ごしていたからなんだと思う。
毎日をのんびり過ごしていただけで、記憶に残るような頭の使い方をしていなかったってことだろう。
そんな頭の悪い私でも、唯一、はっきりと覚えていて忘れないことがある。
ちょっと違うか、ある時を境にして、そこから先のことは結構はっきり覚えている。
……そのきっかけが、河野留美。
彼と、友達になったことだった。
私はその日、お母さんにおつかいを頼まれて、小学校のすぐ近くの道を歩いていた。
校庭では同じクラスの男の子たちがサッカーをして遊んでいて、おしゃべりをしながらボールを蹴っていた。内容は聞き取れたけどよく理解できなくて、けれど、“誰か”について話していることだけはなんとなくわかった。
幼い私は、それについてはあまり興味を示さなかったのに、その直後、そこから少し離れた場所――校庭の隅のアスレチックに、男の子が一人で屈み込んでいるのを見つけて、それがひどく気になった。
男の子は背丈ぐらいの高さがある岩の前で屈んでいて、動かない。
――なにしてるんだろう?
私は気になって目を凝らして見てみるが、よくわからない。
だから私はもっと近くで見ようと、校庭に入っていき、その男の子のすぐ後ろまで近づいていった。
と、私がすぐ後ろに立ったところで、男の子が突然振り返ってこっちを向いた。
「なんだよ……」
――その男の子が、河野留美だった。
目つきが悪くて、ちょっと恐かったのを覚えている。
けれど、私の関心は、すぐに彼が手に持っていたモノに向けられた。
それは、夕暮れの太陽の光を浴びてぴかぴかと輝く、金色に光る何か。
「わあ、金色……?」
「……そ、そうだろ?金だよ!この石、金が採れるんだ!」
私が興味を示すと、男の子は急に嬉しそうな顔になって、自慢げにそんな風に言った。
その男の子に「欲しいか?」と、試すように言われて、私は彼の雰囲気や考えを察するよりも前に、目の前に差し出された黄金に興奮してしまって、「う、うん」とこくこく頷いていた。
金が高価なものだということぐらいは頭の悪い私でも知っていた。というか、それを知っていたから、それを小学生の自分たちが手にできるということが異常事態すぎて、無駄に舞い上がってしまっていたのかもしれない。
そしたら、男の子は今でもよく覚えているけれど、にやーっと意地悪そうに笑って、私の前からその金色の石をさっと引っ込めてしまう。
「あげない。これは俺の秘密のアイテムなんだ!」
「えーっ! ちょうだい!ちょうだいー!」
「あはは。ダメだって」
意地悪されたことや、独り占めにされていることがやけに悔しくて、私は使い方もわからないソレを分けてもらおうと、しつこく彼にねだった。
結局その日、彼はその金色の石を触らせてもくれなくて、私は半べそをかきながら家に帰った。
その時、私が考えていたのは、おつかいを頼まれたことをすっかり忘れていたことなんかじゃなく、「またあした行ったら、また見せてくれるかな?」ということだった。
そうして私は次の日も、その次の日も……毎日毎日校庭の隅へ向かい、
変わらず一人でそこにいた男の子――河野留美と、友達になったのだった。
幼い頃の私にとって、河野留美は、なんでも知っている物知り博士で、冒険家だった。
その“金が採れる岩”以外にも、楽しい遊び場や秘密の場所を知っていて、私は彼にそうした場所へ連れて行ってもらった。
彼が案内する場所や提案する遊びは、私には見たこともないものばかりで、どれも楽しくて、面白くて、彼と一緒に小学校や近所の公園を冒険することが、私は大好きになった。
あの金色の石みたいな宝物もいくつも見つけて、他の子たちが知らない場所もたくさん見つけた。
私たちは放課後、よく一緒にいるようになり、お互いの家に遊びに行ったりするようになった。
河野は土曜日の午後に小学校の校庭で行われている地元の少年サーカーチームに所属していて、サッカーがとても上手だった。
私はこっそり彼がサッカーをやっているところを見に行ったり、彼にボールの蹴り方を教わったりした。
あんなふうに激しく動いたりはできなかったけれど、楽しかったし、上手にできると「やるじゃん」と褒めてもらえて嬉しかった。
クラスでは一見すると不機嫌そうな表情が多い河野は、私に対してはいつも優しくて、頼りがいがあった。河野としても私という自分の冒険に付き合ってくれる相手ができて、気分が良かったのかもしれない。
私にとって、彼はサッカーが上手くて、自分の知らないことをたくさん知っていて、自分をわくわくするような冒険に連れ出してくれる素敵な存在だった。
今思えば彼のそういう独特なところがクラスの男の子たちと喧嘩の原因になっていたのかもしれないけれど、私はいつだって楽しく、好ましく感じていたし、ずっと憧れていた。
河野留美がいなければ、私はずっとのろまなままで、あのまま何も考えずに大きくなっていたかもしれない。
アスレチックと、金色の石。
それは私たち二人だけの秘密。すごく小さな、冒険の思い出――、
● ●
バスを降りた私たちは、家路につく。
私は、前を歩く河野の背中をなんとなく見た。
なんでか知らないけれど、河野のジャンパーは泥みたいなものでところどころ汚れていた。
今日みたいに外出したって、普通に生活しているだけなら、そんな汚れ方は多分しない。
だから私はそれを見て否応なしに、その汚れの理由――最近彼が足繁く通っている廃車両や、そこにいるというフジノさんという女の子のことを考える。
河野は、こんな泥だらけになるぐらい、夢中になって遊んでいる。
昔は、私と。
今は、フジノさんと。
河野と一緒に遊んでいるのが自分じゃないことに、私はちょっとだけ胸が切なくなるような、一緒に遊んでいるフジノさんを羨ましく思うような、彼が遠く離れて変わっていってしまうような寂しさを覚える。
けれど、真っ先に思ったのは、彼が出会った日から今まで、ずっとそんな風だったということ。
……いつだって彼は、楽しいことを求めて、冒険しているということ。
最近少し元気がなくて、それが突然活動的になりだして、最初は違和感があったけれど、昔を思えば今の彼は、とても彼らしい。
「河野は、さ」
「……ん?」
「昔から、あんまり変わらないんだね」
私は汚れた彼の背中を見て、そんなことを言う。
言いながら私は、自分の心が穏やかで、顔も安心したみたいにちょっと笑っていることに気がつく。
「は?なんだよ、唐突に」
「ううん。なんでもないんだ。ちょっと、昔のこと思い出しちゃって」
「……うーん、変わってない、かぁ」
河野はまたちょっと複雑そうな顔をした。
「ちょっとは、その……これでも昔よりは、マシになったつもりなんだけど……」
なんとも言いづらそうにそんなことを言っている。
きっと彼自身、変わっていないことをどこかで自覚していて、それについて思うところでもあるのだろう。
けれど、それを堂々と言うのも認めるのも、はばかられる。
昔をよく知ってる私に否定されたくも、ないだろうし。
「……そう、かなぁ?」
私としては、河野には変わってほしくない気持ちがある。
ずっと昔のまま、私に楽しさと嬉しさをくれる、河野留美でいて欲しい。
だから、ちょっと意地悪に、冗談っぽくそう言ってみた。
「おいおい、おまえそこはフォローしてくれよっ!」
そしたら河野は、ちょっと慌てたみたいにして言う。
私が珍しく悪ふざけなんかしたから、もしかしてちょっと焦ってる?
「あ、ごめんね。別に悪い意味じゃないんだよ」
「じゃあ……どういう意味なんだよ……?」
ちょっとむくれるみたいにして言う河野。
「ほら、さっき言ったアスレチックのこと覚えてる? 河野、そのアスレチックで金色の石を探してて、素手でずっと掘ってたんだよ。手もボロボロになって、そのまま上着で拭くから、上着まで汚れて……それでも、全然気にしてないみたいだった」
「よ、よく覚えてるな……そんな昔のこと」
「覚えてるよ。私が、河野と初めて会った時のことだもん」
「そ、それで?」
「河野は今も、上着が汚れるまで夢中になって遊んでるんだなぁ、ってそう思っただーけ」言って、私は河野の背中――汚れた部分をぽんぽん、と叩く。「ちゃんと綺麗にしとかないと、おばさんにまた怒られるよ?」
そしたら河野は遂に降参するみたいに、「はぁ……」と力なくため息をついた。
「勘弁してくれよ……」
「河野、ホントは覚えてるんでしょ」
「……わかってんなら言うなよ。おまえもひどいヤツだな」
「だって河野が忘れたフリするみたいにしてるから。傷つくんだよ、そういうの」
「なんつーか、あの頃のこと、思い出すと落ち込むからさぁ……」
「どうして?」
「いや、だって、格好悪いっつーか、わけわかんねぇっつーか……ガキじゃん、あんなの」
年齢を重ねて、わかることもある。考えが至ることもある。
河野が何故、あの場所にずっと一人でいたのか、とか。
どうしてサッカーがあんなに上手なのに、みんなと一緒にやっていなかったのか、とか。
なんで私にしてくれたように、他のみんなと遊ばなかったのか、とか。
上手く輪に入れなかったり、本当はしたくないのにぶつかってしまったりすること。そうなってしまう生き方が下手な自分を嫌悪すること。そういう人間関係のままならなさは、多かれ少なかれ、誰しもきっとあることかもしれない。
河野よりもずっと後のことだけど、……私にもそういう経験が、なくはない。
だから全部、今になってわかること。
でも、だからって――、
「そんなことも、ないんじゃない?」
――私にとって、河野留美が子供時代を一緒に過ごした大切な人だというとに、きっと違いはないんだから。
「私は、河野と遊んでて、毎日楽しかったと思うし。河野が私に色んな話をしてくれて嬉しかったし。そういうことばっかりしてる河野のこと――好きだったよ?」
「え――」
言って、河野がびくんとなったのを見て、私は自分の発言のおかしさに気付く。
「あ、ち、違くて……!いや、違わないんだけど……その」
思わず、好きって言っちゃったけど、それは、フォローをしたのであって、その、告白とかじゃ、なくって……。
ああもう私のばか。今は本当に、そんなつもりで言ったんじゃないのに。
いや、告白、したくないわけでも、ないから……そんなつもりがまったくないとは、言わないんだけれど……。
無言の時間が続いて、
「あ……えー、な、何この雰囲気? 別に、変な意味じゃないから、ね!?」
「い、いや、わかってるってそんなの! おまえこそ何考えてんだよ!」
私たちはお互いに茶化し合って、その場を終わらせた。
別にいい。
今日は、まだ、そんなところでも。
でもね、河野。
私にとっては、本当に、あの頃の河野は、なんでも知ってて、私を色んな冒険に連れ出してくれる人で、私と一緒に遊んでくれる、一番の友達だったんだよ?
私、昔からちょっととろいところあるし、みんなでわいわい遊ぶのって正直苦手だったけど、河野とだけは、色んな話ができたんだよ?
だから……、
あの時から、それに、今だって……、
……。
大好きだよ。
留美。
……。うーん、心の中でとはいえ、やっぱり恥ずかしいなぁ……。
フジノさんのこともあるから、やっぱりなんか、ちょっと惨めだし。
時折こうして心の中で、「留美」って名前で呼んでみると、その度に私の中には愛しさが溢れて恥ずかしくても嬉しさでいっぱいになるのと同時に、どうしてもその人のことが意識されてしまう。
話を聞く限りだと、河野とフジノさんとは、恋人同士というわけでは、別にないみたい。
でも、いずれそうなってしまっても、おかしくはない。
相手は女の子だし。河野も少なからず好意を持ってるようだし。
フジノさんは、どうなんだろう?
河野のこと、どう思ってるのかな?
私は、河野留美が好き。
だとすれば、私は、何をするべき――?
「……実はさ、この間、またでかいパイライト拾ったんだけど」
少し無言で歩いていたところで河野が急にそんなことを言い出して、私は考えを一旦止めた。
「パイライト?」
「あの石だよ。俺が掘ってた、金みたいな石ころのこと」
「ああ、うん。そうなの?」
「あれよりずっとでかくて、綺麗なヤツだったからつい持って来ちゃったんだけど……、なんならこれから見にくるか?」
「え?いいの?」
「あぁ。っていうか、欲しいならやるよ。なんでもない石ころみたいなもんだけどさ、それでもいいなら」
「あ、ううん、ありがとう。うれしいよ、河野」
「ったく、おまえも安上がりだよなぁ。あんな石ころ一つで喜ぶんだから」
冗談めかして、そんな風に言う河野。
河野もまだ、さっきのおかしなやり取りのことを頭の隅で考えているのか、その言い方はちょっと照れ隠しみたいに見えた。
私も、おんなじ。会話をしながらも、結局思考は止めていなくて、さっきのやりとりをずっと繰り返している。
好き。
昔も。今も。
だから私も照れ隠しをするように「あはは」と曖昧に笑った。
「……なぁ、篠原」
「うん?」
「今日は、誘ってくれて……ありがとな」
「うん」
「あと……」
「なに?」
「今年も、よろしく」
うつむいて、斜め下の地面を見ながら、河野は珍しくそんなことを言ってきた。
――ああ、よかった。
河野は、とりあえず今年一年、私と仲良くしてもいいって思ってくれてるんだね。
「うん。また二人で、どっか行こうね」
だから私は確かめるように、そんな言葉を返しておいた。
約束だよ?河野。そういう言い方するんなら、今年も私と、ちゃんと一緒に遊んでね。
ウソついたら針千本のーます。
……なんてね。
大晦日とお正月が終わって、新しい年になった。
私の新年の抱負は、河野ともっと一緒にいること。
いや……、ダメだ、それじゃ足りない。
私が、これから、すべきこと。それをもっと考えて。
目標は高く。そこから勇気をもらうために。
――私の新年の抱負は、留美と恋人同士になること。
うん。
それに、決めた。
決めたからには、ちゃんとやるから。
――――覚悟しててよね。留美。




