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ブラパ THE BLACK PARADE [SCENARIO Ver.]  作者: 藤原キリヲ
SWEET REVENGE
10/21

8.Take Me Somewhere Nice




 学期末も間近に迫る冬のある日のこと。

 昼休みの体育館の舞台袖はせわしない空気に満ちていた。


 狭く薄暗い空間には長机が設置され、その上には沢山の資料が積まれている。

 それらの内容をチェックするべく眺めたり、いそいそと行き来する生徒たちは生徒会役員たちだ。

「生活委員会の書類、まだ来てないんですか!?」「まだです!職員室前のコピー機、列ができてるみたいで!」「おい!環境委員どこだよ!記載漏れだ!空欄作るなって言われてただろ!」「あの、代表質問する生徒の人……まだ来てないみたいなんですけど……」「マジかよ!連絡したの誰だよ!?」「私じゃないです……」「俺もしてない」「誰もしてないんじゃないか。他人任せにするからだ!」

 生徒会役員と、各委員会の面々によって繰り広げられる喧々諤々。


「…………」

 そのような騒々しい空間に、一人の女子生徒が部屋の片隅に一人座っていた。

 シャープなデザインの眼鏡を掛け、肩ぐらいまでの長さの髪には飾り気がない。服装は他の皆と同じ制服だが、着崩したような部分は一切なかった。

 理知的な印象。そのような表現が相応しい。

 彼女は状況を一望するように、ぼんやりと虚空を見つめている。

 手にはカラー刷りの一枚の書類が乗せられているが、特に見ているわけでもなく、視線はあてもなく前方を向いているのみだった。


 本日は、生徒総会が挙行される。

 学校の自治運営上の定例行事であり、全生徒を交えて行われる各委員会との協議。生徒会はこの日に向けて様々な準備を進めてきた。

 だが、所詮は子供の組織運営。直前になり、様々な問題が浮上する。

 提出書類の不備、進行上の問題点、人選の不徹底……。

 午後の開催までもうあまり時間は残されていない。

 誰も彼もが、自分の仕事に翻弄され、他人の不手際を指摘し合う。



「先輩、黒川先輩」


「……ん?」

 部屋の隅に座っていた女子生徒は、声を掛けられる。声の主は生徒会役員の後輩だった。名前を呼ばれて視線を向けると、不安げな視線が向けられていた。

「あ、あの、言いにくいんですけど、問題が、色々……」

「……、はい。そのようですね」

「ど、どうしたんですか?さっきからボーッとしちゃってますけど……」

「少し、考え事を」

「あわわ……そうですよね。す、すみません……。対処を考えないとですよね……」

「そうではなく」

「?」

「今日は、第三金曜日だなと思ったもので」

「……はい?」

「隔週という連載の周期について、労力と品質に関する考察を少々」

「……?」

 問題解決の助けを求めた先輩が漏らした得体の知れない発言に、後輩の生徒会役員は困惑するしかなかった。

 彼女の反応についてなどどうでも良いように、部屋の隅で座っていただけの女子生徒――黒川神奈(くろかわ かんな)は席を立つ。

 ……彼女は、この学校の、生徒会長である。



「静粛に」

 不意に発されたその声は、凛として通った。騒々しく慌てふためいていた生徒たちは、水を打ったように沈黙し、作業の手を止める。

「宜しい。生徒を統率する我々には、一時の狼狽すら許されない」

「え……?」

「えっと、黒川さん……?」

 突然投げかけられた難解な言葉に、生徒たちは混乱する。

 そうした一同を睥睨して、黒川神奈は彼等が完全に思考停止したことを確認した。


「これより指示を出します。

 貴方たちは慌てず、騒がず、ただ私を信じて従えば良い。それだけのことです」

 ……そうして、黒川神奈の仕事が始まった。


「生活委員会の書類が未提出で……」

「すぐに電話を。委員長の新庄には今日最初に登壇して貰わなければなりませんので。遅延の理由を早急に解明し、問題発生の有無を速やかに報告させなさい。必要ならば私が直接対応します。次」

「あ、保険委員の書類に不備があって……」

「貴方が訂正なさい。代筆した旨の連絡は後で私がしておきます。訂正要領?定規で二重線を引いて係印を押印。書類の基本です。次」

「こっちのは書類は空欄が、環境委員のなんですが……」

「重要度の低い欄とはいえ書類の不備は委員会の信用に関わる。今後も不手際が繰り返されるようなら罰則として本来業務に上乗せして仕事を回すと連絡しなさい。不満を口にするなら私の名前を出しても結構です。次」

「代表質問する生徒がまだ集合してなくて……」

「何処の委員会に所属する何年何組の何という名前の生徒ですか?速やかに調べて報告しなさい。対処を考えます。対処の必要がなければ貴方が直接教室まで呼びに行くように。次」

「会長!総務委員から議事進行に関する提言が来てます……!」

「何故今になって言うのです。貴方はその事態をいつから把握していたのですか?……四日前?報告が遅すぎる。対応するので申出者に電話を繋いでください。貴方への処分は後刻検討した後に下しますので解散後も残るように。次」

「あの、先輩……文化部連合の方から予算関係で相談があるので連絡が欲しいと……」

「電話中です。あと、その件は先日既に断りましたので無視して結構です」

「え?で、でも……」

「直前まで食い下がればこちらが折れると思われては困る。その議論はとうに終結しているのです。対応する必要などありません」

「会長、生徒指導室から相談内容の確認をして欲しいと言われてまして……」

「今電話をしているのが見て解らないのですか?貴方の方で相談事項を聴取してまとめておきなさい。後で一括して解答します。恐らくデリケートな案件でしょうから言葉遣いには気をつけるように。……あ、そこの貴方、現在までの進展状況を顧問の小出先生に連絡しておいてください。急いで」

「り、了解ですっ!」

「私は少し席を外します。そこの手一杯そうな貴方、電話番を命じます。他の仕事は一切しなくて結構ですから、電話が鳴ったら通話内容を全てこの用紙にメモすること」

「わ、わかりました!」

「皆、急ぐように」

 書類の訂正、各委員会への連絡、教師への報告、事後処理に向けた根回しまで……。

 転がり込んでくる数多の懸案事項に対し、神奈は的確かつ高速に指示を飛ばす。

 それらの指示を受けて、生徒会役員たちは自分の役割を思い出したかのように活発になり、目に見えて効率的に行動を取り始めた。


 しばらくの時を経て、舞台袖の内線電話が鳴り始める。

 残って雑務をこなしていた役員がそれを取り、報告を受けた。

 受話器を置くと、すぐに次の連絡が入る。それが終われば更に次。電話はひっきりなしに鳴り続け、報告は次から次へと転がり込んでくる。


「す、すごい……本当に全部解決しちゃった……」

 電話番をしていた役員は、最後の通話を終え、放心したように受話器を置いた。

 いつの間にか戻ってきていた神奈は、その様子を最初に座っていた椅子に腰掛け、眺めるともなしに視界に収めている。

「く、黒川先輩! 準備完了です!生徒総会、予定通りやれます!」

「そうですか。それは重畳」

 神奈は既に興味などないかのように、議事進行のプログラムを眺めている。

 彼女が一声発したところから、混迷していた状況は瞬く間に解決した。

 後輩の役員は、その凄まじい手腕と、それを誇ることもしない彼女の冷静さに、憧れにも似た感動を抱く。

「さすがです!あの状況を収めるなんて! 黒川先輩は最強の生徒会長ですね!」

「馬鹿なことを。私如きに可能なことなど、誰にとっても可能なことです」

 ため息を漏らすように、神奈は一言そう返した。

 高校生の組織だ。不出来な面もありはするだろう。知識がなくて非効率なことも、やり方に工夫が足りないことも、理解は示そう。だが、それにしても生徒を代表する生徒会の実情としてはあまりにお粗末な有様と言うよりほかなかった。


「はぁーよかった……、一時はどうなることかと思いましたよ……。今季の仕事も、これで終わったようなもんですね」

「まだ総会は始まっていません。油断しないように」

「それにしても……文化部連合随分しつこかったですね……ってか、先輩、部活動の予算編成が必要経費とか先生の自費負担の点から不平等にせざるを得ないなんて実情、よくご存知ですね」

「知っているのは、生徒会長だからではなく、私が色々な部活に入っては調査し抜ける、という行動を繰り返したからです」

「な、なんでそんなこと?」

「参考資料は多いほど良い」

「は?」

「こちらの話です」


 ……黒川神奈は生徒会長である。

 彼女は、自分が有能であるとは思っていない。日常的に得ている知識があり、立場上使える力があり、それらを必要に応じて振るっているだけだ。

 彼女は、周囲が無能であると思っている。彼等は使える力も使わず、手際が悪く、知恵も回らず、行動力も欠けている。

 自分に頼って怠けてばかりいるから簡単な雑務もできるようにならない。

 手を貸すのは彼等のためにならない。だから彼女は常日頃、部屋の隅で大人しくしているというのに。

「――――衆愚。人員の育成は、遅々として進みませんね」

 彼女の心からの独白は、傍らの生徒たちの耳には入らなかった。


 ――ああ、今日はヤングガンガンの発売日です。帰りに購入しなくては。……それに今日は、重要な連絡があるのでした。あの喫茶店に“彼等”を招集しなくてはいけませんね。下らない生徒総会など早く終わらせて、帰りたい、帰りたい、帰りたい……。


 正直なところ、生徒会長という立場も、役員たちの実情も黒川神奈は興味などない。

 ひと仕事終えて落ち着いた彼女は、早くもそのようなことを考えている。


 彼女は、漫画が好きだった。

 読むのも、書くのも。




8.Take Me Somewhere Nice




 年の瀬も近い冬のある日。

 体育館内は大勢の生徒でざわついている。

「各学級の学級委員は、出席生徒の数を議長団に報告してください」

 壇上の生徒による司会で、その中を行き来する学級委員と役員たち。

「……校則第15条により、過半数以上の参加が認められましたので、本総会の成立が認められました。ただ今より、平成21年度第四回生徒総会を開会致します。

 司会を務めさせていただきます、二年三組神田聡美です。よろしくお願い致します。それでは、生徒会長から開会の挨拶をいただきたいと思います。黒川会長、お願いします」

「はい」

 議長団の女子生徒の司会進行で総会が始まっていく。名を呼ばれ、つかつかと登壇していく生徒会長。

 そんなやり取りが交わされる中、生徒たちは整列状態で床に座り、ぼんやりと話を聴いている。

 中には既に居眠りを始めていたり、小声で雑談をしている者もちらほら。


「河野、河野」

「……なんだよ?」

 そんな中に俺たちもいる。

 前に座っていた川村から小声で話しかけられた。

 見つかると当然怒られるので俺としてはちょっと乗り気じゃない。

「この前、俺ん家でやったゲームあっただろ?」

「あれ、今日持ってきたから後で渡すよ。お前、やりたがってたじゃん」

「……ん?あ、あぁ。今そんなこと言うなよ……」

 本当にどうでもいい、今じゃなくてもいい話題だ。

「んでさ、代わりっつったらなんだけど……来週から、冬休みだろ?」

「……そうだな」

「終業式の日ってクリスマスイブなんだけど……普段忙しいお前も、その日に限っては暇だろ? カラオケ行くから、篠原さんも誘ってくれよ」

「……またそれかよ」

「いいだろ。今年最後くらい付き合えよ」

「っていうか、なんで俺がクリスマスに暇だと確信してるんだよ……。普通逆だろ」

「いやだってお前、彼女いるって面じゃないじゃん」

「おまえには言われたくねーわー……」

 しかしこいつら、俺に何か言ってくる時ってホントにそればっかりだな。

 ――ったく、自分で誘えないからって俺をダシにしやがって……。

 それもまた、いつものことだが……。

 篠原、なんて言うかな……あいつ的にこいつらとカラオケって、楽しいのか?

 考え出すと内心ちょっとモヤモヤしてくる。

 面倒臭い……が、こいつらの誘いを断り続けているのも事実だし、強く出にくいところではあった。


「約束だぞ。絶対だぞ」

「わかったよ。そろそろ前向いてろよ」

 仕方なく応じてやると、ぐだぐだ言い続けていた川村はようやく前に向き直った。

 俺も気分を変える感じで壇上の方を見上げてみる。

「――続きまして、毎回のことになりますが、生徒要望の決議の説明を致します。総会資料の4頁を御覧下さい」

 壇上では、生徒会長の挨拶がまだ続いていた。

 ……生徒会長は眼鏡を掛けた、見るからに頭の良さそうな見た目の人だ。外見的には学生というよりOL――仕事のできるキャリアウーマンのような印象。冗談なんか通じなさそうで、ちょっと恐そうな雰囲気がする。

「本決議、学期中に皆さん学生から生徒会目安箱に寄せられた要望・意見を、各専門委員会に取り上げて頂き、この場で議論を行います。

 決議の結果、皆さんの賛成が多数と認められた要望については、我々生徒会と管轄する委員会で正式に学校に提出する事になります。

 提出された要望は先生方と我々で実現可能か不可能かの会議が行われ、可決、否決について今期の初めと同様、三学期初めの次回生徒総会にて発表致します」

 長々と説明をしているが、難しくて何を言っているのかよくわからない。

 俺はなんとなく手元の資料を見てみると、文面をそのまま読んでいるだけというわけでもなく、この人が考えて喋っているようだった。

 ――てか、生徒会長も話長いんだよなぁ……、こんなんじゃ、誰も聞かないって……。

「仮にこの時否決されたとしても、内容によっては改案として再度提示が可能になる場合もあります。皆さんの学校生活です。全校生徒、積極的に学校生活の改善に参加して下さい」

 俺はあくびをした。

 ――生徒会……か。縁、ないなぁ……。

 縁を持ちたいわけでもないが。

 生徒会役員なんて、何考えてなろうと思うんだろう?

 高校生活を地味に送っているだけの冴えない俺なので、こういう場面も当然興味なんて湧かない。

 別に反対もしていないし意見もないけど、積極的に協力するような気持ちには全然ならなかった。


「はい!はーい!!」

 と、俺の思考を断ち切るようにして、一人だけ大きな返事があがった。

 生徒会長の静かなトーンの演説が響いていただけの体育館内には、その声は異様に大きく反響する。

 誰もが声のした方に注目する。

 その視線の先には、小柄な男子生徒がクラスメイトによじ登るようにしながら両手を振っているところだった。

「一年四組、榊慶次は生徒会長黒川神奈を超絶積極的に応援しまーす!……っておわ!?」

 と思いきや、踏み台にしていた生徒から振り落とされる。

「おいコラ榊!てめえ、何いきなり人の背中に乗っかってきてんだ!」

「だってキムでけーじゃん!俺チビだから、後ろに座ってたら前見えねーんだって!」

「知らねーよ!どういう理屈だこのバカ!」

「ヒュー!生徒会長最高ー!今日も超絶カッコイイぜー!オレ、目安箱にいっぱい紙入れたよー!」

 再度友人の背中によじ登ろうとして抵抗され、もみ合いになりながら騒いでいる。

 全校生徒が、その突然始まった騒ぎに怪訝な目を向けた。

 ――いきなり騒ぎ出して、なんだあいつ?

 俺もまた、その様子を遠くから眺めている。

 わけがわからない。内輪で騒いで、注目されて、意味不明だ。

 ああいうノリは、好きじゃない。ちょっと引いてしまう。

「またなんかやってんよ……」

「誰あれ?」

「四組の榊、有名じゃん。生徒会長の大ファン」

「ふーん」

 俺のすぐ隣、違うクラスの男子二人がそんな会話をしている。

 生徒会長のファンだなんて、また変わった趣味のヤツがいたもんだ。

 ……って、あれ?榊って、どっかで聞いたことある名前のような……。


「……また、要望は毎回相当量がありますので、数の多かったものに限らせて頂きますのでご了承下さい。投書数が僅少な要望、特に個人的な内容については事前の評議で却下されています」

 あの騒ぎを目にしても一瞬硬直しただけで、また何事もなかったかのように演説を再開する生徒会長。

 ものすごい冷静さだった。全然動じてない。

 その調子に全校生徒も生徒総会の調子を思い出したかのように、視線を壇上に戻した。

 一人だけ、あの榊とかいうヤツだけが「そんなー!じゃあ俺の書いた紙はー!」とか言ってまだジタバタしていた。

「おい榊!またお前か!」

「え?うわー!」

 結局、現れた体育教師(見た目ラオウ)に首根っこをふん掴まれて、騒ぎを起こした男子は悲鳴を上げながらつまみ出されていった。

 先生たちも対応が慣れている感じだ。そんなに問題児として有名なヤツなのか。


「以上で、挨拶並びに生徒会執行部の活動報告、意見要望決議の説明を終わります」

 そのような感じで、トラブルが発生したとは思えないような雰囲気で、生徒会長は長い話を終えた。

「黒川会長、ありがとうございました。それでは続きまして、各委員会の活動報告、並びに管轄する意見要望の決議を行います。まず、えーと……生活委員長、新庄環さんお願いします」

「高いところから失礼します。2-4の新庄です。早速ですが今期生活委員に寄せられた意見として最も多かったのは、通学カバンの自由化についてでした。みなさんが毎日使ってるのですね。男子は白いショルダー、女子は黒い手提げカバン。これについては――」

 議事はそのままつつがなく進行していく。

 自分に全く関係ない話題というわけでもないので、俺はぼんやりと話を聞いているが……。

 ――カバンの自由化って、しょーもない議題出すヤツがいるもんだなぁ。

 うちの指定カバンは誰が見たってダサいデザインをしていると俺も思うが、だからって変えようなんて思ったことは一度もなかった。

 俺と違って他のみんなは、学校生活色々変えて楽しくやろうとか、そういう熱意に溢れているらしい。

 ――馴染めないな、そういうの……。

 つくづく俺は、学校って場所が向いてないと思う。

 じゃあどこが向いてるのかって、言われると、それは――


 ぼんやりと窓の方を見る。薄曇りの空と、酷く冷えた体育館。

 ――もうすぐクリスマス、か……。


 そのような時期だった。




     □-□




 この地方で最も活気のある地区――通称「北区」の街は、このところ静かだった。

 詳細不明なるも、街に集まっていた不良グループが次々と解散しているらしい。

 素行の悪い連中が軒並み姿を消し、繁華街は少し人通りがまばらだ。


「あのー、すみません」

 目抜き通りのコンビニエンスストア。

 レジの店員に、一人の少女が話しかけていた。

 派手な色合いの髪を後ろで束ね、だらしなく着崩した制服姿。店員の目にはあまり行儀の良い学生には映らなかった。

「ここに書いてある住所のお店を探してるんですけど、わかりますか?」

「……?」

 店員は少女が差し出した紙切れを受け取り、訝しげに眺める。

 そこには殴り書きで番地のようなものが書かれていた。

「……これだけじゃわからないよ。せめて何町とか、番地の前がわからないとさ」

「そうですか。困ったなー」

「なんて店なんだ?名前は?」

「あ、もう大丈夫です。ありがとうございましたー」

「え?ちょっと……」

 せっかく話に応じてやっていたのに、少女は急にそれを打ち切って、足早に店外へ出ていってしまった。

「なんなんだ……?」

 身なりと同じで失礼な態度に、店員は憮然としかけるが、すぐに次の客がレジカウンター前に立ったので、接客に戻った。

 ……レジ前に陳列されていた商品が一つだけ消え失せていることに、気付いた様子もなく。



「お見事。ルパン三世みてえなお手並みだ」

 店を出て、裏手に回った少女は、そこで待っていた少年に話しかけられた。

 壁に背中を預けて、煙草を吹かしている。

 少女と対照的な目立たない黒髪。だが目つきはやけに鋭く、見る者によってはアンバランスな印象を抱かせる。

 服装は少女と同じ制服姿。こちらもあまり上品な着こなしとは言い難い。

「道に迷ったフリして店員の注意を引いて、すかさず商品ガメる。しかも目の前のモンを、だ。万引きなんかやめて手品師にでもなったらいいんじゃねえの?」

「うっさいな。あんたには関係ないでしょ」

 見てきたかのように言う少年に、少女は忌々しげな表情をした。

 その視線を涼しげに受け流して、少年は紫煙をくゆらせる。

「道に迷ったのはホントだし」

「あ、やっぱ迷子になったんだ」

「そうだよ!そしたらあの店員、あたしの顔見て急に態度変えやがってさ。超ムカつく」

「んで腹いせに万引き? 手癖悪ぃなー。怪盗少女だなー」

「うっさいな!このお菓子あげるから少し黙って」

「いらねえよ。だから黙りもしねえけど」

「ムカつく!」

 相手にしきれないとばかりに、少女はスタスタ歩き出した。

 置き去りにされた少年は、もたれかかっていた壁で煙草をもみ消して、いそいそと後へ続く。


「プンスカすんなよ、シノ」

「だったら静かにして、ユーヤ」

 上山裕哉(かみやま ゆうや)大森(おおもり)しのぶ。

 それがこの二人の名前だった。



 人気の少ない裏路地を二人は歩いていく。

 空はどんよりとした曇り空で、雨が降ってもおかしくなさそうだ。

「この辺も平和になったよなあ。前は制服着て歩いてたらすぐ絡まれてたのに」

「気楽でいいじゃん」

「退屈な街になったもんだ。絡んでくる連中ぶっ飛ばすのが楽しいのに」

「あたしはこんくらい静かな方がいいけど」

 一般の通行も多い目抜き通りならともかく、人気のない裏通りともなると、北区の実情はそのようなものだった。

 不良学生グループが勝手に形成した縄張り争い。

 彼等は身内以外の人間には、敵愾心をむき出しにする。

「いちいち絡まれんのダルいから、着替えに家帰んのもメンドクサイし」

「お前の家、遠いもんな。もっと近くの学校通えば良かったんじゃね?」

「通いたかったけど通えなかったの。仕方ないじゃん、バカですよどうせ」

「んなこと言ってねえじゃん」

 だが、そうした情勢は移り変わった。

 この時間帯、この周辺を行き来していた不良たちの姿はもうない。

 その理由について、この二人は深くは知らない。が、興味もない。

「一時、すげえ荒れてたんだけどな、この辺も。あいつらどこいったんだ」

「病院か留置場じゃない?」

「のされたヤツとのしたヤツでそれぞれか、兵どもが夢の跡……ってね」

「――おいテメエら!」

 と、そこで道行く二人の背後から怒声が浴びせられた。

 両名はさして驚いた様子もなく、振り返る。

「誰の許可取って呑気にぶらぶらしてんだコラ?アァ?」

「や、やめろって張……。ケンカはまずい……」

 振り返った先には、痩せぎすの背高と、柔道家のような大男の二人組が並んでいた。

 裕哉としのぶは知らないことだが、この二人は張修吾と奥井譲という名である。

 元々、この辺りを縄張りとしていた不良グループの一員だったが、色々あった挙げ句今は拠点を他所へ移していた。

「久しぶりにシマ戻ってきてみりゃあ、呆れたぜ!そんなわかりやすすぎる制服着て、堂々と歩き回ってんじゃあねえぞ!」

「ああ、始まっちまった……。塚本に北区では静かにしてろってあれだけ言われてたのに……」

 メンチを切る張と、頭を抱える奥井。

 裕哉としのぶは二人が仲間なのだろうことは察したが、それぞれの温度差に違和感を覚える。

「誰だ?」

「知らない。大したことなさそうね」

「聞こえてんぞコラァ!」張は地獄耳だった。とりわけ自分を貶す発言については。「テメエらどこのグループにいたヤツだ? 図々しくしやがって!」

「どこのグループでもねえよ。普通にここらで学生やってるだけのヤツだ」

「ケッ、シャバ僧が。痛い目見ねえと街の歩き方もわかんねえらしいな」

 張は見くびるような態度で歩み出し、両手の指をポキポキと鳴らす。

 善良な学生が見れば恐ろしげな状況に思えるのかもしれないが、二人は何も感じなかった。

「めんどくさい男。無視して行っちゃおうよ?」

「いや、ぶっ飛ばそうぜ。お前もムカついてんだろ?」

 裕哉は迎え撃つように一歩前に出た。

 幾分冷静なしのぶは諦めたように嘆息するも止めはしない。

「シノ、武器あんだろ?」

「持ってるよ。当然じゃん」

「デカブツ任せるわ」

「ったく」

 言って、しのぶはバッグから伸縮式の警棒を取り出す。勢いよく振るうと、三段式の筒が伸長し、片腕ほどの長さになった。

 まるきりの素人と思い込んでいた二人の少しも変わらない顔色と、やけに場馴れしたその所作に張と奥井は何かを感じ取る。

「お、おい……張、こいつらやべえんじゃ……」

「黙ってろ奥井!いくぞコラァ!」

 威勢良く声を発し、張が裕哉に殴りかかろうと駆け出した。

 裕哉は片足を引くようにして体勢を低く構え、静かに息を吸う。

「あーあ、もうこれで死んだよ。あんた」

 それだけを見てしのぶは嘲笑するように言った。

 次の瞬間、鋭い気合と共に、裕哉の脚が滑るように動き出す――。



 勝負は一瞬で決着した。

 裕哉は得意の上段蹴りで襲いかかってきた張を軽々と迎撃し、相手が体勢を崩したところに蹴りの乱打を容赦なく叩き込んだ。

 最初のうちは反撃に転じようとしていた張だったが、その後も顔面を中心に絶え間なく足蹴にされた挙げ句、鳩尾にトドメの足刀蹴りを浴びせられて吹き飛び、ゴミ捨て場に放り込まれたところで動かなくなった。

 たった数秒の間に車にでも轢かれたかのような無残な有様に成り果てた張は、ぴくぴくと痙攣しつつうわ言のように反骨心むき出しの台詞を吐いており、裕哉はその惨めな姿に笑いをこらえ切れなかった。

 もう一名の相手――奥井は張がボロ雑巾にされていく一部始終を目の当たりにして戦意を完全に喪失したのか、見るに堪えない顔になった相方を引きずって逃げるように去っていった。

 一応警棒を取り出して備えていたしのぶだったが、出番はなかった。相棒ほど好戦的でない彼女は、楽ができたと思うだけだ。その無様な逃げ姿を、口ほどにもないと嗤ってやる。

「あーあ、バカっぽ……男ってどうしてこうなんだろ?」

「女だっていんだろ。お前とか」

 数分後、二人は先ほどと変わらぬ調子で裏路地を歩いていた。

 喧嘩と呼ぶにも凄惨な一方的暴力は誰にも見られておらず、彼等自身も何ら先程のことを気に留めていない様子だった。

「はぁ?あたしそんなバカみたいなケンカしたりしないし」

「ちょっとだけしようとしてたろ。今さっき」

「うっさい!自分からむやみに売ったりしないって意味!」

「ああ、なんだっけ……いたよな。そういうやつ」

 北区にある高校に通う彼等にとって、この手の小競り合いは日常茶飯事だ。

 全員が全員そうではないが、世間一般的には不良というカテゴリに含まれるであろうこの二人には、身を護る術は自然と身についている。

「なんか死ぬほど乱暴な女……族っぽいヤツらと一緒にいた」

「……チビの?」

「そうそう、髪結ってるヤツ。でもあいつ、すんげえ強えの。対立してたグループのゴリラみたいなの一発でぶっ倒しちまったりしたらしいんだよね」

「ホントかなーそれ。話盛られてない?」

「さあな。でもそのゾッキーどもも気付いたらいねえし。真相は闇の中だぜ?」

「へえ、あいつらももういなくなっちゃったんだ」

「多分。案外そいつが潰しちまったのかもな」

「まさか。女子一人でできっこないよ。その子、名前は?」

「なんだっけ? ええと、確か……中村、阿弥陀だかアミバだか」

「絶対ウソ。北斗の拳じゃん」

「阿弥陀は仏教だろ」

「てか、もういいよこんな話。今日はそういうことするためにここ来てんじゃないでしょ」

「おっと、そうだった。んじゃいつもどおり漫画の話でもする?」

 取り留めもない雑談に興じながら歩いていく二人。話題も自然と移ろっていく。


「シノ最近なに面白かった?」

「んー、『ドリフターズ』とか『進撃の巨人』とか……」

「『進撃の巨人』な、絵がちょっと好きじゃねえんだよなあ。話は面白えけど」

「そういうこと言ってると、また“姫”に怒られるよ。「作品の善し悪しを第一印象で語るなー」って」

「ああ、言うわそういうこと。“姉御”厳しいからな……」

 二人は相応に漫画も読む。漫画以外も娯楽作品の類はそれなりに嗜んでいた。

 素行の良くないこの二人にとっても、悪事は手段であって目的ではない。性質であって、生き方そのものではないのだ。

 今は叶うなら、友人同士でこうして創作物などに関する話題に興じていたいと、日頃より考えている。

 そうあれることに感謝している。

 本来そのような心情を抱いている彼等が、並の不良相手に物怖じしないどころか容易く蹴散らして見せる。必要とあらば躊躇なく暴力を振るい、罪悪感なく物も盗む。

 その自然体すぎる有り様は、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような気配すらあった。

「今日もまたなんか話あるって。そのための集合でしょ?」

「久しぶりの創作会議だ。面白いことでも思いついたかね?」

「無神経なこと言って怒らせないでよね」

「お前も、構い過ぎてウザがられるんじゃねえぞ」

 そうして、二人は小ぢんまりした喫茶店の前に辿り着いた。

 気心の知れた共通の友人に、今日ここへ呼び出されたのだ。

 目的は、判然としない。

 ……だがきっと、楽しいものであるだろう。

 彼等はそう確信していた。


 前を歩いていた裕哉がドアを開くと、チリンチリンとドアベルが鳴る。

 店内を見渡すと、彼女が好きそうな奥まった席に見知ったその姿があった。

「二人とも、こちらです」

 呼びかけられ、裕哉としのぶは席へと向かう。

「集まってくれてありがとう。今日は二人に、折り入って話があるのです」

 そう言って、彼等二人共通の友人――黒川神奈は、着席を促した。


 優等生然とした生徒会長と、素行不良の男女二名。

 奇妙な組み合わせのその三人は、深い絆で結ばれた、旧知の間柄であった。




     □-□




 12月24日(クリスマスイブ)

 学期末の消化試合じみた毎日がさっさと終わって、終業式の日がやって来た。

 学校は午前中で終わり、午後は丸々フリーとなる。

 ――こんな日に半ドンなんて、なんか意味深だよな。残り半日有意義に使えよ、みたいな……。

 俺はひがみのような思考をしながら、友人たちに連れられて駅前まで来ていた。

 バス通学の俺にはあまり縁のない最寄り駅は、「北区」のような華やかさはないが、田舎にしては十分栄えている方だ。

 飲食店もあれば本屋もあるし、俺たちは入れないが居酒屋だってある。

 あとカラオケも。

 そう、今日は、カラオケだった。


 主催者である大賀と川村。あと俺と篠原。

 四人で訪れた駅前のカラオケ屋。

 大賀と川村は相変わらずぐだぐだ言いながら受付を済ませ、俺たちは指定されたルームに入る。

「「冬休みだー!」」

 さしたる予定もないだろうに何がそんなに嬉しいのか、大賀と川村の二人は部屋に入るなりマイクを握りしめてから、揃って叫んだ。

 突然の奇行に篠原がビクッと身を震わせる。

 入室したばかりでドリンクも届いてないのになんでこんな超ノリノリなんだこいつらは。

「今日はオールで歌うぞー!」

「よっしゃー!歴代ガンダムの主題歌コンプだー!」

「おい見ろよ!履歴に『星間飛行』とか入ってるぜ!」

「同類じゃーん!」

 二人はわいわいと楽しそうに端末いじってる。

 ちなみに現在の時刻はまだ午後一時半なので、オールをしようと思ったら十八時間近くもの間ここにいなければならなくなる。勘弁してくれ。

「ね、ねえ河野」

「ん?」

 ハイテンションな大賀と川村の様子を微妙に冷めた感じで眺めながら並んで座る俺と篠原。

「今日は河野も、その……オール、してくの?」

「いや、適当なところで帰るつもりだけど」

「あ、そうなんだ……」

「まぁ、ちょっと前に無断外泊して親に怒られたばっかだからちょっとな……」

「……無断外泊?」

 篠原が妙なところに食いつきかけたので、俺は咳払いをして誤魔化した。

 また妙な空気になるところだった。


 ……言うまでもなく、外泊したというのは廃車両で洞窟探検したあの日のことだ。

 フジノと良い感じでわかりあえて、良い気分で家に帰った俺を待ち受けていたのは、見たこともないくらい大激怒している母親だった。

 ものすごい剣幕で俺にビンタを食らわせてから、それに対する俺の受け答えが不満だったらしく、そこからは延々とお説教だった。仕方ないじゃないか。フジノと廃車両で冒険した後、帰りが遅くなったから泊まって帰った、なんて、事情が混み合いすぎてて親になんか説明できない。

 ……ちなみにその後、帰宅した父親も交えて家族会議が開かれた結果、俺が連絡手段を持っていないことが問題なのだということになり、俺は晴れて携帯電話を親から買い与えられた。

 ポケットに手を入れるとそこにある、携帯電話――機種はiPhoneにした。

 別にこだわりがあったわけじゃないが、使い方をよく知ってるヤツが近くにいるわけなので。

 ちなみに、連絡先に登録されてるのは両親と、篠原と、大賀と川村と、フジノだけだ。

 画面に表示されると、改めて交友関係の狭さを思い知る……。

 まぁ、それはそれとして――、


「篠原はどうすんの?あいつら二人は朝まで遊んでくみたいなこと言ってるけど」

「あ、うん。さっきお母さんにメールしたら、遅くならないようにって返信来ちゃったから……」

「ふーん。じゃあカラオケ終わった頃に二人で抜けるか」

「う、うん」

 篠原はホッとしたかのような反応を示した。

 あの二人に付き合わされて夜通し遊び回ることになったらどうしよう、とか考えてたんだろう。

 かく言う俺も、母親から門限を指定されているので遅くならないうちに帰らなきゃならないのは一緒なんだが。

 篠原と一緒の方がこの場を抜けやすいし、まぁ、お互い様だな。

 ホント言えば、遊びたいところも全くないわけではないのだが……うーん。

 ――今日ってクリスマスイブ……なんだよな。実感ねぇなぁ……。クリスマスっぽいこと全然してないもんな。

 男友達二人と篠原の四人でカラオケ。クリスマス感なんてゼロだ。

 ……つーかなんで一発目∀なんだよ。

 曲者好きの川村らしいチョイスといえばそうなんだが、そこは初代じゃねぇのか。

「…………」

 ――フジノ、何してんだろ……。あいつも今日は学校の友達と遊んでるのかな……。


「おい河野、次お前だぞ。早くなんか入れろよ」

「え?俺?いいよ、別に俺は……」

「なんでそういうノリ悪いこと言うの君は!せっかくみんなで来てんだから歌いなさい!」

「今はガンダム縛りだからな!バンプとか入れんなお!」

「……」

 テンションが上りすぎておかしな口調になった二人に端末を渡されて、俺は途方に暮れる。

 ――ったく、なんでこいつらの前で歌わなくちゃいけないんだ?

 歌える曲がないわけじゃないけど、練習なんてしてないし、そんなの聞いて欲しくもない。そもそも人が歌ってんの見てるのも特に面白いと感じない。

 カラオケって、つくづく謎の多い文化だな……。

 俺は適当に端末を操作し、目に入った知っている曲を入力する。

「お、SEEDとはわかっていらっしゃるね河野さん!」

「だって、ガンダム縛りなんだろ?」

 俺は立ち上がって、マイクを握る。

 ……なんか、緊張するな。

 別に構わず歌えばいいのだろうが、人に見られているというのが、やっぱり……。

 ――ってか、この曲ってどういう感じで始まるんだっけ?


 そうして俺は緊張するあまりイントロから盛大に音を外したりしながらも、とりあえずどうにか一曲歌いきった。

「うはは、やっぱあんま上手くないな河野」

「うるせぇな。いいだろ別に」

 つっぱねつつも内心ちょっと落ち込んだ。

 あんな高い声出ねぇっての。

 この歌、前に大賀が余裕で歌ってるから俺もいけると思ったんだが……。

 ――っとに、これだから……カラオケなんて全然行ったことないけど、何が楽しいのかやっぱよくわかんねぇや……。


「じゃあ次、篠原さんの番ねー」

「う、うん……どうしようかな……」

「篠原さんは、別にガンダム関係なくてもいいから」

 は?何その特別ルール。ずるくね?

 二人にあれこれとせっつかれつつ、篠原は空気も読まずに普段よく聞いてるバンドの曲を入れていた。

 んで、歌い始める。

 この歌は俺も知ってるし、何ならさっきの歌より上手く歌えるんじゃないかと思うのだが……。

「篠原さんもあんま歌上手くねーな」

「だな、だがそれがいい。上手い下手とか関係ナッスィン」

「ああ。女子が歌ってるのってそれだけですげーいいな」

 マイクを両手で持って頑張って歌ってる篠原を眺めている男子勢は妙にニヤニヤしていて気色悪かった。

 歌うのに集中していて篠原は全然気付いていないが、こいつらの不穏な空気を感じ取ってまたびっくりしやしないか、俺は微妙に落ち着かない。


「あー、恥ずかしかった。やっぱり自信ないなぁ……みんな上手だねー」

「そんなことないよー。篠原さんも上手だって」

「うんうん、すげー癒されたー」

 照れくさそうにしてる篠原に、男子二人は大絶賛だ。だがなんだか喜ぶポイントがずれている気がする。

 ってか、今の篠原そんな上手かったかな?

 ――いや、俺も下手だったけどさ、でもこいつよりはマシだったんじゃねぇの……?

 正直よくわかんないけど。気にしても仕方のないことかもしれないけど。

 ……あ、そっか。くっそ、これが男女差かよ。理不尽だなぁ……。

 かといって大賀たちに褒められたところで別に嬉しくもなんともないけどな。


「篠原が歌ってんの、俺も何気に初めて見たかもしんない」

「え?ちょっと、だめだよ河野っ、聞いてたらやだって……!」

 カラオケ来てんだから無茶言うなよ、と思ったが、そうやって今更慌てふためくのも、なんか篠原らしかった。




     □-□




 そうして、二時間後。カラオケは終了し、解散となった。

 大賀と川村はまだ歌い足りないのか、二人して二軒目に向かおうとしていた。

 だったらあのままいればよかったんじゃないかと思うのだが、まぁ、あいつらの行動を深く考えても仕方がない。

 俺たちは、駅前から出るバスに乗るために、バス停に向かって歩いていく。

「ふぅ……」

 二人と別れ、帰路についたところで篠原が息をつく。

 ちょっと疲れたような雰囲気だ。

「疲れたか?結構歌ってたもんな」

「う、ううん……そういうわけじゃないんだけど、その……」

 言いよどむ。

 口にするのが悪いと思ってる類の話題なのか。

「カラオケ苦手か?」

「う、うん。でも、せっかく河野が誘ってくれたから……」

 篠原は大賀たちじゃなくて俺なんかに義理立てしてたらしい。

 俺自身がカラオケ苦手だというのにそんな風にされたのがおかしくて、俺は笑ってしまう。

「はは、俺も苦手だ。第一、今回含めてニ、三回くらいしか行ったことねぇし」

「それだったら、何度か行けば上手になるんじゃない?」

「そ、そうかな?」

 少し落ち込んでたのもあって、そう言われるとちょっと嬉しい。

 別に歌上手くなっても仕方ないけど、でも、こういう時上手く歌えたら苦手意識もなくなって楽しくなったりするのかもな。

「篠原は?どのくらいカラオケ行ったことある?」

「私は……中学の時、部活やってたから、その友達と、よく……うん」

「ふぅん……」

 なんとなく歯切れの悪い篠原。

 俺はそこに、深く突っ込まれたくない何かがあることを察して、話題を終わらせた。

 篠原は言いたくないことや思い出したくないことがあると、決まってこういう感じの態度を取る、ような気がする。

 ――それにしても、カラオケ、ね。


 そういやフジノは、カラオケとか好きなのかな。どんな曲歌うんだろ?

 てか、あいつ絶対歌上手いだろ。洋楽とかもスラスラ英語で歌っちゃうんだろうな。

 もしくは普通にアニソンか? マクロスとか唄ったりして。

 ……。

 フジノが歌う、マクロスか。

 ちょっと、聴いてみたいな……。

 ひょっとして、大賀と川村も、こういう気持ちで篠原篠原言ってたのかもしれない。


「でも、中学の時より、楽しいかな」と、話は終わりかと思っていたが篠原はそんなことを言い出した。「一応褒めてくれるから、なんか、居心地良いし」

「あいつらの褒め方、ちょっと変だった気がするけどな」

「……でもいいの。冗談でも、ヘタって言われると、傷つくもん」

「……」

 ってことは、そういうこと言われたことがあんだな篠原は。

 だからカラオケ嫌いなのか。

 ……俺もまぁ、大賀に下手って言われた時は、確かにあんま面白いもんじゃなかったけど。

「……河野は、大丈夫?」

「な、なんだよ。別に落ち込んでねぇよ、こんなんで」

「……、そっか」

 篠原は俺の言葉に、なんとも言えない顔をした。

 俺がそんなに落ち込んでいると思ったのか、平気そうな俺を見て、嬉しそうな、アテが外れたような、不思議な面持ち。

 俺が同じような境遇で苦しんでたとして、だとしてもこいつにとってはプラスになったりするのか?

 そういう関係性を篠原が望んでる……って、なんだそりゃ?

 それじゃまるで傷の舐め合いだ。昔の俺じゃあるまいし、篠原がそんな卑屈なこと考えてるわけあるか。


「今年も、もう終わりだね」

「……そうだな」

 なんでか、気付けば俺たちはそんな話をしていた。

 クリスマス。年末か。

 今年も色々あったんだろうが、なんか後半だけに超濃縮されてた感じだな。

 ……篠原にとっては、どうだったんだろう?


 その後、バス停に到着してバスが来て、俺がいつもの停留所で降りる。

 俺は篠原とそんななんでもない感じで、今日も別れた。




     □-□




 時刻は午後三時半。

 門限前どころか、思った以上に早い時間に帰宅した俺は、ひとまず自室に向かう。

 明日から冬休みなので、しばらく通学カバンは使わない。

 何か余計なものを入れていなかったかな、と思って開くと、川村が渡してきたゲームのディスクが入っていた。

 正直、そんなやりたいと熱望した記憶はないのだが。

 ――暇だし、今日はこれでもやって遊ぶか。

 俺はディスクケースを開き、パソコンを起動した。

 数分後、インストールを終え、ゲームが起動し、冒険が始まっていく。

 川村の家で少しやっているところを見せてもらったから、要領は知ってる。

 ジャンルはシミュレーションRPGだ。

 この手のゲームはいくつかやってきてるが、楽に攻略する方法はない。

 試行錯誤の末の慣れこそが、クリアへの一番の近道だ。

 ストーリーを追いながら、戦闘をこなしていく。


「……。今年も終わり、か」

 小一時間ほどゲームをプレイした辺りで、俺はなんとなくつぶやいていた。

 何を見るでもなく、ふと脳裏をよぎったことだ。

「……フジノ、どうしてんのかなぁ」

 気付けば俺はゲームをしながら、考え事ばかりしていた。画面は見つつも手癖でプレイするばかりで、ストーリーもちゃんと追えていない気がする。

 ――それになんか、今日の俺……フジノのことばっか考えてないか?

 加えて言うなら、こう、物足りないというか、退屈というか……。

 あいつらと遊ぶ時なんていつもあんな感じだし、楽しくないわけじゃないんだけどな……。

 このゲームだって、前からこういうの好きだし、少しはやりたかったって思ってたはずなのに……。

 ゲームは好きだったはずだ。

 大賀や川村と遊ぶのだって、前はもっと自然に楽しめていたような……。

「……」

 ディスプレイのゲームは何らかの編成画面だったが、俺は不意に気づいたようにコントローラを手放す。


「……フジノと遊んでる方が、楽しいってことなのか?」


 そういえば、ここ最近の俺はといえば、暇な時間はいつも廃車両に行って、そこでフジノと遊んでいた。

 だから今日は、久々にそれ以外のことやってて落ち着かないんだ。

 ――それと、ゲームか。

 思えばあいつ、口を開けば冒険だのダンジョンだの、ゲームのキャラみたいなことばっかり言ってんだよな。

 だからゲームやってると、あいつのこと思い出しちゃうんだ。

 ――はは、俺も変わったなぁ。あんな女に振り回されてんのが普通みたいになっちゃうなんて……。


 ……同時に、思ってしまったことがある。

 俺がゲームが好きなのは、その世界を冒険したり、モンスターと戦ったりするのが楽しいからだ。

 現実にない異世界を、仲間たちと冒険するロールプレイが楽しいからだ。

 そして、フジノが連れて行ってくれる廃工場は、俺が全く知らない異世界だし、あいつと一緒の冒険はどんなゲームの攻略よりも楽しくて、リアルで、刺激的だ。

 だって、冒険をしているのは、ゲームの主人公じゃなくて、俺そのものなんだから。


 ――それが、どれだけの奇跡なのか、どれほどに出来過ぎたことなのか、私には解る。

 ――十年後、二十年後……虫のようなつまらない大人になった留美は――、


 確かに、その通りなんだよな。

 ……現実は、つまらなくなんかない。ただ俺は、その奇跡を探すことが億劫で、諦めかけていただけで。

 でも今は、そのことを少しは理解している。

「……、まだこんな時間か」

 時計を見る。

 午後四時四十五分。空はぼんやり暗くなってきたが、まだ夕方だ。


 ――ゲームのイベントなら、今廃車両に行ったら、隠しイベントとかありそうな感じだよな。


 ゲームとか、お話の中なら、きっと。




     □-□




 そうして、俺は――、

 家でゲームなどして過ごしていたはずなのに、気付けば妙な感覚に囚われて、こっそり家を抜け出していた。

 自転車をこぎながら、廃工場まで向かっている。

「寒……っ」

 独り言と共に、白い息が風に流れていく。

 冷気に周囲は静まり返り、キーンと張り詰めたように空気は澄んでいる。

 空も曇ってるし、今日あたり、降ってもおかしくないな。


 時間はまだ午後五時過ぎだ。

 先日朝帰りして親に怒られたばかりで、今からの外出には少しだけ気が引けたが、まだそこまで遅い時間じゃない。

 ……反省してないわけじゃないぞ。そんなに遅くなるつもりはない。携帯電話だってあるんだし……連絡もできる。

 フジノがいたりしないか、ちらっと確認して、すぐ帰るだけだ。

 にしても以前の俺なら、あんな風に言われた直後に言いつけ破って出かけるなんて、そんな後々面倒臭そうなことしなかったはずだけど。

 ――てか、俺何やってんだろ? 今日クリスマスイブだぞ。

 意識せずとも意識してしまう特別な日だ。

 だってのに、あんな廃車両とか、行ってどうするっていうのか。

 でも、こんな日でも……こんな日だからこそ、フジノはあそこにいるかもしれない。

 いて、また何かヘンなこと考えついてて、俺が来るのを漫画とか読みながら待ってるんだ。

「はは……、ありそうありそう」

 フジノなら、いるかもしれない。

 そんな、根拠のない期待のようなものをフジノに対して俺は抱いている。

 いつだって、きっと。


 廃工場は俺の自宅からそこまで遠くない。自転車を使えば数分で行けてしまう。

 いつもどおり山道へ向かい、坂を越えて、トンネルを抜ければ――、

「ん?」

 トンネルの手前に、見慣れない物があった。

 車だ。それもこの辺りじゃあまり見かけない感じのタイプ。

 この周辺で走っている車なんて、土木業社の大型トラックとかダンプカーとか、あとはそこらへんのじいさんばあさんが乗り回してる農作業でもしてそうなダサいワゴン車とか軽自動車ぐらいなもので、

 今目の前にあるみたいな、丸っこくて小さめの、町中とかを走ってそうな類の車はあまり見た覚えがない。

 車に詳しくないから、上手く説明できないけど……。

「……」

 運転席から中を覗き込むとコンソールボックス辺りにぬいぐるみが並んでいた。

 ゲーセンのUFOキャッチャーとかで取れそうな類の小振りなぬいぐるみたち。

 何かのアニメかゲームのキャラクターなのかもしれないが、俺は知らない。

 ……ここから察せるのは、この車の持ち主はこういうのが好きな程度に若い人間ってことだ。

 そこそこ若くて車まで持ってるような人が、こんな日のこんな場所になんでその車停めてんだか。

 クリスマスのデートにしては少々……いや、かなり風情がないな。

 今まさにここに来ている俺に言われたくもないだろうけど……。


「ま、いいか……」

 ひとまず俺はその車を無視してトンネルに侵入した。

 もしかして、俺たち以外の誰かが廃工場にやって来ていたら、と思うと少し恐かったが、その真偽を確かめる意味でも廃車両を覗いておきたいという気持ちのほうが強かった。

 ここで見て見ぬふりして、また廃車両が荒らされてたりなんかしたら、フジノに申し訳ないしな。


 夜に廃工場を訪れるってのは、思えば初めてだ。

 暗いトンネルを抜けても暗いままだったので、俺は今更そのことに気付く。

 真っ暗闇から、真っ暗闇に浮かぶ廃工場の外観を眺める。

 ――この前も思ったけど、夜の工場ってかなり不気味だな……。

 こんなところに泊まったのか、俺たち……。

 ちょっと感慨深かったり、今更怖かったり。

 そして視線は自然と廃車両の方向へ向いている。

 自然に自転車を停め、足も習慣的にそちらへ向く。

 見えてくる廃車両には、小さな灯りがついていた。

 中に入る。

 静かだ。

 危惧していた不審者の気配はない。

 ……車両の椅子に、フジノが一人。


「……フジノ?」

 返事はない。フジノは眠っていた。

 寝息も立てず、体も動かさず、時が流れていないかのように静かに彼女は停止している。

「……おーい、フジノ」

 座っているフジノの正面に立って、呼びかける。無反応。寝ていることを確認。

 ――なんだ、こいつも結局、クリスマスに予定なんてなかったのか。

 ……もしかして、俺のことずっと待ってた?まさかね……。

 そんなことを思いつつ、フジノの様子を眺める。

 うつむき気味の顔を下から覗き込むみたいにしてみたりするが、全然気づかない。

「フジノ、フジノー」

 言いながら、肩をぽんぽんと叩いてみたり。

 こいつのことだから、急に飛び起きてびっくりさせられそうで、ちょっとドキドキする……が、全然起きない。

「……そういや、こいつ、前も一度寝たら中々起きなかったな……」

 前に廃工場の建物に登った時も、頂上でいきなり寝始めて、夜になりかけたのだ。よっぽど眠りが深いのか。

「フジノー、起きろー、いつまで寝てんだー」

 俺は言いながら、フジノの顔を正面から間近で見た。

 ――こうしてみると、綺麗な顔立ちしてるよなぁ……。

 ちょっと童顔といえば童顔だけど、普段はあまりそう感じない。今は眠っていて油断しているからそう思えるのだろうか。

 格好は洋装だけど、髪型とかは日本人形っぽいというか……この長さを維持するのって、結構大変じゃないのかな。

 まじまじ見てると、なんかちょっと良い匂いがしてくる。香水でも付けてるのだろうか。

 良い匂い……なんだけど、近くで嗅いでると、なんだか、くらくらしてくる……、……。

 あぁ、そうだ。こんな、触っても何してもこのまま起きないなら、もういっそのこと――、


「……留美?」

 と、俺が良からぬことを考え始めたのを察したかのように、パッとフジノが目を見開いた。

「うわああぁぁ!!」

 驚きから大声で叫び、俺は慌ててフジノから離れる。自分何もしてませんよ的に両手をあげて、反対側の椅子に座ろうとして失敗して床に尻餅をついた。

「フ、フジノ!? い、いつから起きて……」

「いつからもなにも、今起きたところよ」

 ふぁは、と可愛らしくあくびをしているフジノ。まだちょっととろんとしている。

「留美があんまり遅いから、ついうとうとしてしまっていたわ」

「うとうとっつーか熟睡……いや、そもそも来る約束なんかしてないぞ、俺」

「そんなのいつものことでしょう? 私はほとんど毎日ここに来ているわけだし」

「それはそうだけど……」

 床に転がった俺がおかしかったのか、フジノは「ふふ…‥」と静かに笑った。

「ん?なんで笑ってんだよ」

「いいえ。目が覚めたらそこに留美がいるなんて、なんだか素敵だと思って」

「っ……」

 不意に言われた言葉に、思わず顔が熱くなる。

 こいつは、またそういう、おかしなこと言って……。

「っていうか……今日、クリスマスだろ?なんか、その……予定とかは……」

「クリスマス?」

 俺の言葉に「はて?」と首を傾げるフジノ。おとがいに指を添えてみたりする。

「ああ、そう。もうそんな時期なのね。次の冒険のことばかり考えていたから、そんなことすっかり忘れていたわ」

「……」

 俺は、納得した。

 ――そっか、そりゃそうだ。こいつはこういうヤツだよな……。

 家で普通にクリスマスパーティしてたり、彼氏や友達と遊んだりしてるフジノって、どう考えても想像つかないし……。

 ってか、彼氏って!何をアホな心配をしてたんだろう、俺は……。……心配? 心配ってなんだよ。

 抱きかけた自分のよくわからない意識に釘を指すみたいにそう思っておく。

 いや、上手く想像できなかったけど、フジノが俺以外のヤツと仲良くしているんじゃないかと考えたら、なんか、その、……嫌な感じが、したというか……。

 ……俺が一人でここにきて、フジノがいなかったら、その手の悪い想像はもっと加速していただろうな、とか……。

 あぁ、だからちょっと、ホッとしてんのか、俺。

 ――フジノと一番仲良く出来てるのは、どうやら自分で間違いなさそうだから。


「でもクリスマス。素敵だわ」

 眠気はすっかり過ぎ去ったのか、フジノは立ち上がって腕組みをしだす。

 なかなか起きないだけで、寝起き自体は良いようだ。よくわかんねぇな。

「どう?留美。せっかくの機会だし、私たちの今後を聖夜に祈るというのは? 

 ――題して、“サイレント・ナイト”。このままで、いつもふたりで、聖なる夜を。どう?単純明快でしょ?」

「……。それって、俺たちだけでパーティしようってことか?」

「ええ。七面鳥はないけれど、気分ぐらいは感じたいわ」

「……、……っ。あぁ、そうだな」

 そっけなく言ったつもりが、嬉しさが隠しきれていないそんな返事を俺はして、フジノと一緒に何を食べようか選び始める。

 すぐ作れそうな食べ物と調理器具、それと先日買ったばかりの固形燃料を持って外に出る。

 フジノと過ごすクリスマスイブ。

 いつもどおりのはずなのに、今日はなんだかちょっと特別で、感動的ですらあるその響き。

 ……先日朝帰りなんかして、俺は反省した。でもだからって、そんなスペシャルイベントを目の前にして、さっさと帰ったりなんて俺にはできそうにない。


「見て、留美」

 そこで夜空を見上げて、フジノが言った。


「雪よ」

 ――ああ、やっぱり降り出した。

 俺みたいなヤツがこうして味わえるなんて、ホワイトクリスマスも案外安っぽいもんかもしれない。


 もうすぐ楽しい今年が終わる。

 来年も、どうか、楽しい一年で、ありますように……。










     □-□




 時刻は同日の夕方頃。北区の喫茶店にて。


「で、こちらの派手な女の子は姉御の知り合いか?」

 店内の奥まった席に招かれ、席についた裕哉が言う。

 裕哉としのぶとテーブルを挟んで向かい側には、異様に派手な風体の女が、神奈と隣り合って座っていた。

 目に痛い色彩の髪と服装、奇抜な髑髏の髪飾り。

 ……以前、あの廃車両付近を徘徊していた女である。

「ええ。こちら、とある漫画家のアシスタントをしている方です。私と親交のある作家の一人と捉えてもらって構いません」と神奈は、同席した女の素性を説明する。「名前は……“ブー子”という呼称で宜しいんですね?」

 伺うように尋ねると、女――ブー子は「うん!そだね!」と同意した。

「ブー子……?」

 なんとも奇妙な名前に、裕哉としのぶの二人は顔を見合わせる。

「そう!メス豚のブーに、女の子の子!嗜虐欲そそられるいい名前でしょ」

「……それって、ハンドルネームみたいなものってこと?」

「その認識で間違いありません、しのぶ。ペンネームと言う方が適切でしょうが。私たち三人が、“誰でもない女(ミズ・ノーバディ)”と名乗ってサークル活動をしているのと同様に」

「ふーん……」

 黒川神奈、上山裕哉、大森しのぶの三名の共通の趣味は、漫画だ。

 彼等は世の作品を読むだけでなく、自らも執筆する――創作を活動内容とするサークルを結成していた。

 最も、普段のイメージと違い過ぎるためか、その実態に気付いている者はおらず、彼等自身もまたその活動を表向き秘しており、現実の知り合い相手に口外することもしていない。

 だが、彼等にとって漫画を巡る交流は、人生における代えがたい大切な一部分と言えた。

「んで?その先輩作家さんも交えての大事な話って?」

「次の新作は、この人も一緒にやるってこと?」

「話を急がないように」と、神奈は二人を嗜める。「私たちは、今後の創作活動をより良いものとするため、彼女の活動に協力することになりました。構想中の新作と全くの無関係ではありませんが、事態は少々複雑です。順を追って説明しましょう」

 神奈の決定に、二人は口を挟まず先を促す。

 この二人にとって、神奈は意思を預けるに値するリーダーであり、彼女の判断は絶対的な信頼を置けるものだった。

 その信用は神奈が生徒会において勝ち得ているものと似ていたが、二人が抱くそれはより深く、最早忠誠に近い。

「まず、彼女がアシスタントを努めている漫画家は、“動物園ひかる”と言います」

「へぇ……マジか」

「知ってる。『プラプレ』の人でしょう?」

「その通り、彼の代表作『プラネットプレデター』は多数の重版を達成し、アニメ化までされた人気作ですが、彼はその連載終了後表舞台から姿を消し、現在も活動を休止しています」

「そうなんだ。次回作とか描かないの?」

「その辺りは本人のモチベーションに関わる問題ですので明言はできませんが、かなり意欲が低下した状態にある、と伺っています」

「姉御すげえな。そんな大作家の事情まで把握してんのかよ」

「このブー子から聞いた話を口にしているだけですが。まあ、そうした事情で、彼の活動再開を望む声も大きい中、本人は筆を折った状態であり、アシスタントのブー子もその状況を憂えている当事者の一人でもあるのです」

「なるほど。ブー子も動物園ひかるにまた漫画を描いて欲しいんだ?」

 しのぶが尋ねると、ブー子は「そうなんだよー」と嬉しげに答えた。

「神奈ちゃんのアシスタントってだけあって、理解がはやくて助かるなー。恐そうなヤンキー風が二人も入ってきた時は、どうしようかと思ったけどねー、えはは」

「……」「……」

 ブー子のある意味で至極当然な発言を受けて、二人はわかりやすく不満げな顔をした。誰がどう見ても不良学生の類なのだが、両者ともそうしたカテゴリに含まれることを好んでいない。

「ブー子。この二人は私の同志にして有能な両腕のような存在です。馬の骨のような言い方はやめて欲しい」

「あ、ごめんごめんー、そういうつもりじゃないんだよー。ただ、なかなか個性的なサークル仲間だなー、と思っただけでさー」

 あまり悪びれた様子もなく謝るブー子に二人はあまり納得しなかったが、神奈の取り成しも無碍にできないと考え、渋々矛を収めた。

「……で、そんな先生想いのブー子は俺たちに何させようってんだ?」

「それについては、実際に見てもらった方が早いからね。来て早々悪いんだけど移動しよっかー」

 と、ブー子は席を立ち、神奈もそれに続いた。「支度を」と事務的な口調で促され、裕哉としのぶも慌てて席を立つ。

「ねえ、あたしまだカプチーノ、飲み終わってなかったなー」

「ブー子、支払いはおたく持ちだからな」

「えー、わかったよぅ」

 ここぞとばかりに飲食代を無心する二人の図太さに、ブー子は不平を漏らしつつも頼もしいものを感じる。

 神奈を筆頭とする彼等なら、彼女の助っ人を十分果たしてくれる、と思えたからだ。




     □-□




 ブー子の運転する車で三人が連れてこられた場所は、山沿いに遺棄された廃工場群だった。

 いきなりそのような見知らぬ場所に連れてこられて、神奈以外の二人は少々面食らったが、神奈が至って冷静であったので、大人しくブー子の先導に従う。

 そうして彼等は廃工場群の奥地に位置する、とある建物に到着した。

 多数の鍵で施錠された重厚な扉を開き、連れ立って上階へ向かって進む。


 ――そうして、辿り着いた小部屋。

 崩れかけた天井と壁、散らばる瓦礫の小山。

 そんな廃屋然とした薄汚いその一室は、その反面で真新しいベッドや家具が置かれ、喰い散らかしたゴミが散らかるなど、やけに生活感があった。

 管理も手入れもされていない打ち捨てられた場所でありながら、明らかに現在も人が暮らしている気配を漂わせている。


 そして、部屋の中央には廃墟には到底不釣り合いな液晶ディスプレイが設置されていた。どこから電気を引いているのか、ミニシアターのような大きさをしたそれが映し出しているのは、テレビ番組や映画の類ではない。何処かの風景だった。

 板張りの床、向かい合って伸びた長椅子、機械と計器類――路面電車の内部だ。

 そして、画面内を行き来する、高校生ぐらいの男女の姿がある。

『ほら留美、急いで。冬の花火も楽しいわよ』

『ちょ、ちょっと待てって、フジノ――!』

『これが、私たちのブラックパレードの前途を讃える祝砲よ』

『ったく……意外とこういうの好きだよな、おまえって』

 少しくぐもった音質で、会話が聞こえてくる。

 打ち捨てられた廃車両を遊び場にしている様子を“撮影”していた。


「――と、いうわけで、この二人はこの廃車両を秘密基地にして、こんな風にキャンプみたいなことして遊んだり、工場内をあちこち冒険したりしてる地元の高校生なんだよねー」

 と、画面を指差し棒で指示しながら、ブー子が説明する。

「で、この子たちの繰り広げるRPG風リアル冒険物語に、うちの先生は今とてもご執心なのね。「この子のセンスはいい!」とか「漫画にできる面白さだ!」とか、そりゃもう随分な入れ込みようで、もう毎日ずーっと飽きずに見てるわけよ」

 その口ぶりは、彼等の動向はかなり以前の段階からこのように覗き見られていることを示していた。

「質問あんだけど」と裕哉が挙手をすると、ブー子は「はいどうぞー」と指名した。

「ここに映ってる二人は、自分たちが撮られてること気付いてねえの?」

「もちろん。この画面を映してるカメラは廃車両の運賃箱に隠してあって、二人はそのことはまったく知らないよー。こういう監視カメラは他にも廃工場の色んなところに設置されてるよ。もちろん、見つからないように隠されてね」

「見てよユーヤ。この機械のボタン押すと、画面も好きなように切り替えられるみたいよ?」

「スーパーとかの監視カメラと同じシステムだな」

「そうそう、『プラプレ』の印税とかで、先生お金だけは持ってるからね―。信頼できる口の硬そうな業社見つけてきて付けさせたんだ。もちろん、カメラにも死角はあるから、その時はあたしがこっそり後からついていって、ハンディ使って実況中継したりするよ」

 言って、ブー子が取り出したのは高機能そうなマイク付きハンディカメラだ。

 よく見れば、室内の棚にはDVDが積まれている一角がある。彼女の撮影した動画がそこに収められているのだろう。

「さて、そろそろ本題に入りましょうブー子」

 と、後方に位置していた神奈が口を開いた。


「裕哉、しのぶ、我々が今回ブー子に協力することになった案件とは、

 “彼等の冒険がより刺激的で劇的な物になるように、私たちの手で演出面を中心としたプロデュースをすること”です」

 ……そうして彼女の口から、計画の概要が語られる。


「この二人は、廃工場を舞台に冒険を繰り広げていますが、所詮それは素人の遊戯に過ぎない。従って、我々は彼等の意図を汲み、様々なイベント発生を演出・提供します。彼等がダンジョンと称する物件への探索を実施した際には、その都度、仕掛けや罠、目的物を用意し、冒険内容を意義深いものに仕立て上げることです」

「そゆことだねー。先生が彼等の冒険に新展開とテコ入れをご所望で、あたし一人でそれをやんのは正直かなり無理があるから、君たちに協力をお願いしたいーってことなんだよー」

「我々の協力で冒険の娯楽的部分が増強されることで、閲覧者たる動物園ひかるのモチベーションを復調させたい、というのがブー子の願望というわけです」

「そのとーり!うちの先生と、そのアシスタントであるあたしのため!人助けだと思って、お願いだよ―」

 ブー子はペコペコと頭を下げて懇願するが、裕哉としのぶは、その素っ頓狂極まる提案と、それを平然と受諾するつもりであるらしい神奈の判断に、戸惑いを隠せなかった。

「理解できましたか?」と二人に尋ねる神奈。質問を受け付ける。

「姉御、こんな手の込んだ黒子みてえなことやって、俺らになんかメリットはあんのか?」

「無論です。先日私もログを拝見しましたが、彼等の冒険は確かに刺激的だ。創作意欲の増進という面では非常に効果的で興味深い成果物です。我々はその冒険を間近で観察、また演出面で参画することにより、創作活動に対する更なる意欲の向上と、斬新かつ優れた着想の獲得に期待することができます」

「ふーん、そんなに面白えんだ」

「裕哉も必ず気に入ると保証しましょう。そして貴方もしのぶも、冒険を彩る優れた演者足りうる資質を持ち合わせている」

「演者って、あ、あたしらもあいつらの冒険に混ざんの?」

「必要とあらば、彼等と接触し、冒険に加わってもらうプランもあります」

「へ、へえ……そんなことまで」

「なお、この冒険に着想を得た作品を創作する権利は我々が優先的に行使することが契約の条件となります。言うなれば、彼等の冒険をノンフィクションとして直接漫画制作することが認められているのです。次回作に関係があると先述したのを覚えていますか?」

「ああ、覚えてるよ。こいつらの冒険を漫画にしていいのは、動物園ひかるじゃなくてあたしたちってことだね?」

「その通り。動物園ひかるは失われた創作意欲を取り戻す。我々は次回作への着想と、紛れもない現実ながらも現実離れした冒険の取材を兼ねた追体験をすることができる。相互利益としては、悪くない内容だと私は判断しました」


「で、ど、どうかなー? 神奈ちゃんだけでなく、頼れる仲間のお二人にも、ぜひ一緒にやってもらいたいなー、とあたしは思うんだけど……」

 ブー子が少しだけ遠慮がちに尋ねると、裕哉としのぶはあっさりと頷いた。

「姉御がそう決めたことなら、俺たちゃ従うだけさ」

「姫の判断に、間違いなんて絶対ないからね」

 神奈の解説に、裕哉としのぶの表情からは、最初にあった違和感は拭われていた。

 彼女に強い信頼を抱くこの二人は、ここまでの説明でその意思を概ね察し、尊重するのに十分だった。


「そ、そっかー、よかったー!んじゃ、これからよろしくね!細かい作戦はまた連絡するから、そん時に色々相談しようね。……いやー、助かったー。これで一安心だよ―。先生にも満足してもらえそうだなー、うんうん」

 ホッとしたのか嬉しげな笑みを隠すこともせず、ブー子は腕組みをして頷いた。

 そんな彼女の反応を眺めつつ、神奈は「それでは時間も遅いので、この辺りで失礼させていただきます」と退出を告げる。

「あ、うんうん。ごめんねー、遠くまで連れ出して。適当なところまで車で送るよー?」

「いえ、結構です。実査も兼ねて歩いて帰りますから」

 神奈はブー子の申し出を辞退する。

 ……その微妙によそよそしい態度に、裕哉としのぶの二人は何かを察した。

「そう?暗いから気をつけてねー。あ、あと、あの二人に見つかったらダメだからね。遭遇は、もっとドラマチックにやんないといけないんだからさー!」

 ブー子の関心は計画の遂行に注がれており、神奈の発言を深く勘ぐったりすることはなかった。

 ――無茶な依頼を請け負ったことで一定の信頼を獲得した。

 神奈はそのような印象を得た。


 そうして三人は連れ立って廃屋を後にし、廃工場の敷地内を抜けていく。



「で?姫、あの女に聞かせたくない話って、なに?」

「だな。俺も気になってた」

 工場の外周付近までやって来た辺りで、しのぶが不意に神奈にそのようなことを尋ね、裕哉が追従した。

 前を歩いていた神奈が振り向く。口元に薄っすらと笑みを浮かべて。

「ありがとう。よく察してくれました」

「なんとなくだけどね。姫が秘密の話したい時の声してた気がして」

「てか今も悪い顔になってんぜ、姉御。どうせ悪巧みなんだろ?」

 二人の自分へ対する理解の深さに、神奈は得難いものを感じる。

 そうだ。黒川神奈が友人への頼みを、無償で請け負うはずがない。

 彼女が動くと決めた時、そこには必ず、目的がある――。


「では、二人にだけ教えましょう。

 ――――私が、ブー子……動物園ひかるに協力する真の目的を――」


 黒川神奈。

 冷静沈着。理知的な女。優秀極まる生徒会長。万難を排する鉄の意志。

 だが、彼女を真の意味で表す言葉があるとするならば、より適切なものがある。


 ――曰く、“創作の怪物”。

 其は、漫画作品を愛し、閲読し、創作する事に情熱の全てを捧げる求道者。

 優れた作品を描くためならば、知識を得て、発想を得て、経験を得る努力を惜しまない。作品執筆のためならば、彼女はあらゆる策略を巡らせ、いかなる行為にも挑戦し、あまねく全てを素材と成すだろう。

 それは美しいことなのかも知れない。

 ……だが、黒川神奈――常人離れした思考力、判断力、意志力を持った異常なる彼女が、人生を賭けるほどに傾倒する有様は、果たして美しいままでいられるのか?

 そこには善意も悪意もなく、人としての倫理や感情さえもことごとく排撃する。

 故に――、怪物。

 すべての事象を参考資料として暴食し、アイデアという血肉と成す、冷酷なる魔物である。


 そして今、彼女の眼前には、あまりにも描き甲斐のある素材が横たわっていた。

 廃工場、廃車両、六つの鍵を巡る冒険、少女と少年……。

 目に映るモノが、これから起こるコトが、彼女の脳髄を甘く疼かせて止まない。



挿絵(By みてみん)


「――それでは、始めましょうか。

 此処からは私たちのブラックパレードを」


 神奈は、付き従う二人を前に、嗤った。

 それは普段の怜悧なる彼女からは想像できない、猛禽類の笑みである。


 かくして世界の舞台裏に、魔物の群が現れた。

 物語の主人公たちは、まだこちらに気付いていない――。




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