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一方そのころ帝国では


『……うわ』


 ソフィーとマルコ。この二人が希望種目でブッキングした瞬間、誰かがそんな声を呟いた。それはこの両者の関係を知っているが故だろう。


「……マルコはもう個人二種目出るんでしょ? 私や他の皆はまだ一種目しか決まってないし、譲ってよ」

「……ソフィー」


 普段とは少し違う、ややぶっきらぼうな口調で告げるソフィーの服の裾を、ティオが軽く引く。

 それに込められた意は、「気持ちを抑えて」、だ。それを分かっているが故にソフィーも落ち着こうと深く息を吐いたのだが、それよりも早くマルコが音を立てて立ち上がり、捲し立てる。


「女のお前なんかに任せられるかよ! 勝てなきゃ点数貰えねーんだぞ! そんなことも分からねーなんて、髪の毛だけじゃなくて頭の中まで老けたんじゃないのか、この白髪(しらが)女!」

「ま、また白髪(しらが)って言ったー! 白髪(はくはつ)だって何度も言ってるでしょ!?」


 同じく音を立てて立ち上がり、反論するソフィーにクラスメイトも担任教師も嘆息した。

 有体に言えばこの二人、すこぶる仲が悪いのだ。幼くして妖精や天使にも例えられる美貌を持つソフィーとティオに、拙いながら好意を寄せる男子生徒は少なくはない。彼女たちの周りの大人は皆、二人に好意的だ。

 しかし、大勢の子供が集まる学校内では、中にはそんな彼女たちをよく思わない者も居るのだ。その筆頭がマルコという訳である。


「ただでさえ女なんて邪魔なだけなのに、お前みたいなババアが出たって邪魔なだけなんだよ! 男の俺に任せて大人しく引っ込んでやがれ!」

「わ、私お婆さんじゃないもん! それにマルコ、前に競争で私に負けたじゃない!」


 ソフィーの言い分は実にもっともだ。もう少し年齢を重ねたのならともかく、十歳そこらで身体能力に男女差はそう簡単に現れたりしない。現にソフィーの足の方が、実はマルコより少しだけ早いというのも事実だ。

 

「あ、あれはたまたまだっての! 今やったら絶対に俺が勝つ!」

「その台詞、今まで何回も聞いたんだけど? ソフィーちゃんに負けたらいっつもそう言って、また負けてるよね?」

「男女差別なんてサイテー! 運動会は男子だけの大会じゃないんだからね!」


 そしていつの間にか、ソフィーを擁護する女子生徒の声がそこかしこから上がり始めた。彼女たちからすればマルコの言い分は横暴そのもの。同じ女子として、到底見過ごせるものではないのだろう。


「う、うるせー! 女は引っ込んでろって言ってるだろーが!」

「そーだそーだ! 俺らの方が強いんだから文句言ってんじゃねーよ!」

「強いとかそういう話じゃないでしょ!?」


 しかし子供の喧嘩と言うのは基本的に理屈抜き、感情のぶつけ合いだ。マルコの言い方に非がある以上、女子生徒はまだ理屈で言い返せる者もいるが、それも少数。むしろ理屈攻めをされて感情を逆撫でされた子供は、こうなってしまえは何を言っても納得はしない。


「いいから落ち着け! 静かにしろ!」


 教室内が混沌と化し、中立派の生徒たちが呆れたり狼狽えたりする中、担任教師が出席簿で教卓を何度か叩き、争いを鎮静化させる。


「ソフィーや他の三人はまだ一種目しか決まっていないんだ。マルコ、お前はもう二種目決まってるんだからここは譲れ」

「で、でも……!」


 大人の介入で少し冷静さを取り戻したが、それでもまだ納得しきれない。そんな様子のマルコを尻目に、ティオはソフィーのフォローに回る。


「ソフィーも落ち着いて。今は喧嘩する時間じゃない」

「わ、分かってるけど……」


 基本的に、ソフィーは模範的な優等生だ。男子生徒の友人は居ないが、それでも人当たりも良く、温厚な性格をしている。

 他の生徒にならここまで言われても事を荒げるような言葉を口にしたりはしないのだが、それでもマルコは少々言い過ぎた。


「……ママと同じ髪なのに、会った時からずっと白髪(しらが)って馬鹿にされてるんだもん」

「……ま、気持ちは分かるけどね」


 美貌の母から受け継ぎ、大勢から褒められていた、この雪のように白い髪はソフィーにとってささやかな自慢の一つだ。

 それをこうも単純明快かつ悪く言われれば黙ってはいられない。ティオも手入れには無頓着であるものの、母と同じ髪を貶されてはいい気はしないのである。

 だというのにマルコは懲りもせずに、何度悪く言うのは止めてほしいと言っても、毎度毎度この髪の事をからかってくる。だからソフィーにとってマルコは嫌いまではいかなくても、仲の悪い苦手な相手なのだ


「な、納得いかねー! だったら俺が出る種目一つ代わるから、百メートル走俺に譲れよな!」

「な、何でそんな勝手なこと……!」


 更に言い返そうとしたソフィーに、マルコはビシリと指す。


「それでも納得できねーなら……俺と勝負しろ!」




 帝国に代々伝わる名門、アルグレイ公爵家。かつては貴族たちからの羨望と嫉妬を一身に受けていた彼らは今、然る貴族が主催を務める夜会で、多くの嘲笑に囲まれていた。


『見てくださいよ……今や凋落の名門が、よくこの場に顔を出せたものですね』

『皇妃として輩出されたご息女は石女(うまずめ)……しかも追放した長女は憎き王国についたとか』

『しかもその皇妃殿下もああなっては……ねぇ?』


 聞こえないようしている口振りようで、実はわざと聞こえるような音量で話す貴族たちに、ジェナンもエレナも怒りで喚きそうになるのを必死で我慢し、睨みつけることしかできない。

 公爵夫妻としては実に納得できない現実なのだが、客観的に見れば周囲の言葉に間違いがないのは確かなのである。

 

「くっ……! 言わせておけば好き勝手に……!」

「どうしてアリスや私たちがこうも嘲笑を受けなければならないの……!」


 嘲笑に耐え切れずに二人でバルコニーに出た瞬間、ジェナンとエレナは憎々し気に呟く。

 自慢の娘として愛情をこめて育て上げたアリスが皇妃として召し上げられて十年以上経っても、未だ第一子を授かることすら出来ない。これは先天的な子に恵まれない病故であった。

 帝国における特権階級は完全な世襲制を用いている。そんな国の皇室の妃にとって、子を孕めないのは致命的な欠点だ。周囲の貴族から「皇妃に相応しくない者を召し上げた」と付け込まれることは当たり前で、公爵家もアリスも日々貴族たちの嘲笑や臣下の不安にさらされ続ける羽目になった。

 アリスだけが今でも皇妃の座についていられるのは、ひとえにアルグレイ公爵家の資産と地位を後ろ盾とするアルベルトの意思によるもの。本来ならば側室を娶らなければならない時期を、とっくに過ぎ去っているのである。


「おのれ全くもって忌々しい……! 十まで家に置いてやった恩を忘れて帝国に牙を剥き、結果的に私たちまで貶めるとは……!」


 しかし、アリスの子宝が恵まれないのは、まだ運が悪いだけで済んだ。原因が先天的な病気なので弁解のしようがあるし、子を為さないまま正妃として君臨し続ける者も歴史の中には少数ながら存在していたので、いずれアルベルトを納得させて、アリスの正妃としての座を揺るがせない、身分の低い貴族の娘を宛がって子を産ませればそれで解決していたのだろう。

 アリスに対して盲目的な愛を捧げていたアルベルトはなかなか納得しないし、アリス本人も嫌がるだろうが、それでも皇妃という座が大切な娘ならば納得してくれるという確信があった。

 子を産ませるだけ産ませて、寵愛は変わらずアリスにのみ捧げる。そういう筋書きを描き、それを実現できる準備をしてきたアルグレイ家と、その傘下にある貴族たち。


「シャーリィ……! 私が生んだ娘なのに……帝国から追いやられてもなお私たちを苦しめるだなんて……!」


 しかし、そんな目論見は十年ぶりに帝国の地を踏んだ、忌々しい方の娘によって覆されることとなる。

 始まりは、シャーリィがアルベルトの子を産んで王国で暮らしているという情報を掴んだ時だったか。その事を知ったアルベルトは、その娘を帝国に連れて行き、次の女帝として君臨させようとしていた。

 皇帝に男児が生まれなければ、皇女が次の帝国の頂点に立つことも例外的に認められている。アリスが子を産めない以上、追放したとはいえアルグレイ家の正当な血筋を引くシャーリィの子を次期女帝に据えれば、アルグレイ家の面目は守られ、アリスの正妃としての座も揺らぐことはなかった。


「なのにシャーリィも王国も帝国の邪魔ばかりして……!!」


 思い出すだけで腸が煮えくり返る。そんな感情を現すように、エレナが握るワイングラスに亀裂が入った。

 事もあろうに、王国側は自国民として認められたシャーリィたち母娘を連れ去らせるわけにはいかないと、ソフィーとティオを差し出せという帝国側の要求を拒否。

 最終的に神前試合にまで発展したが、冒険者として力を付けたシャーリィ自らまでもが、謂れのない悪意に晒されて苦しむアリスに救いの手を差し伸べるどころか、笑って崖に追い落とすかのように、手加減抜きで勝利を収めたのだ。

 ……少なくとも、ジェナンとエレナはそう思っている。


「あの娘は妹が可哀想だとは思わないのかしら? 苦しんでいるアリスを見捨てるような真似をするだなんて……」

「あぁ、まったくだ。一体誰に似たのやら……本当に私たちの子とは思えない。取り換えられたとでも考えた方がまだ納得できる」


 自分たちが一体どのような仕打ちをシャーリィにしたのか……それらを棚に上げて言いたい放題言い募る。

 しかし、二人とアリスの不運はそれだけに留まらない。帝国貴族にとっても最悪の出来事である、元騎士団長であるグラン・ヴォルフスの起こした一連の事件は、帝国領土を王国に切り取られるだけではなく、アリスの体に大きな傷痕を残すこととなったのだ。


「あぁ……可哀想なアリス。きっと今頃、ベッドの中で震えて泣いているだろうに……!」


 それが意味するところ……すなわち、アリスが皇帝の寵妃としての価値を損なうということだ。ジェナンとエレナはアルベルトとアリスが不変の愛で繋がっているものと思っているが、現実として文字通り傷物となったアリスへの価値を疑う者も多く存在しているし、アルベルトが心変わりする可能性だってあり得る。


(一体どういう訳か、シャーリィも若い姿のままだしな)


 神前試合の時、約十年ぶりに元婚約者の姿を見た時のアルベルトの様子が、どうにも引っかかる。

 

(もしや……陛下を誑かし、アリスから夫を奪う気か!? くっ……! なんと卑しい娘なんだ!)  


 アリスから夫を奪うなど許されない。そんなことをすれば、アリスがあまりに可哀想ではないかと、ジェナンは親として義憤に駆られる。


「そもそもグラン・ヴォルフスが事件を起こした原因も、シャーリィが姉として妹を立てることをせず、孫の引き渡しを王国を通して拒否したからだという。ただでさえ生まれてきてからその容姿で気苦労が絶えなかったというのに、本当に疫病神でしかない娘だ」

「全くよ! しかもこっちはこっちで大変なことになっているというのに……これからアルグレイ家はどうなってしまうというの?」


 アルグレイ家は今、極めて深刻な事態に直面している。そんなことを知らずに王国でのうのうと暮らしているシャーリィの事を考えれば腸が煮えくり返りそうになるが、神前試合の敗北によって、帝国人が王国へ侵略や犯罪とみなされる行為をした場合、周辺諸国が決して黙っていないと脅しを掛けられれば、もはや手の打ちようもない。


「こうなれば……もはや手段は選んでおられないか」


 追い詰められ、思いつめた表情で呟く公爵の瞳は、これ以上にないくらいに怪しく輝いていた。



  

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