鬼の居ぬ間の娘たち
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城全体が僅かに揺れるような衝撃が響く。だが、廊下ですれ違う兵士や侍女はそれに気づかない。それどころか、服を軽く引っ張ってもソフィーやティオ、ヒルダにすら気付く様子もないのだ。
「駄目っぽい。全然気付いてくれない」
「やっぱり、カイルさんたちが言ってた通り、お城の人は皆私たちの事に気付かなくなっちゃったの?」
「みたいだね。言われたとおり隠れる場所探さないとね」
三日前、母が敵の策略によって城から離され、カナリアすら拘束されている可能性があると知らされて、二人は戸惑い、不安を覚えながらも、魔族の友人の手を握り城内を移動し続けていた。
先ほどから胸がざわつく。以前森の中でグランと対峙した時と同じ、途方もなく嫌な予感が全身を撫でるように、肌がゾワゾワとする。
こういう時、必ず助けに来ていた母が居ないというだけで、こうも不安になるのかと、ソフィーとティオは冒険者たちが常に身を晒す戦いの危機を薄っすらと感じ取っていた。
「三人とも、大丈夫かな」
「ん……今は、信じて待つしかない」
それでも、今は自分たちがヒルダを守る立場だ。震えそうになる手足を叱咤して、両側から姫君の手を握りながら、この広い城内で隠れられる、一番見つかり難そうな場所を探し続ける。
「それに、ベリルとルベウスも助っ人に出したし、いざとなったらすぐに呼び戻せる」
「うん……そうだね。あの子たちなら、きっと助けになってくれるはずだもん」
事前に脳への干渉を防ぐという魔術を施され、三人はどう対応すべきかカイルたちからあらかじめ指示を受けていた。
シャーリィに化けた《怪盗》からは、用事やら何やらを無理矢理作って遠ざかり、できる限り気付いていない風を装ったのが功を奏したのか、先ほどクードからの伝達魔術で弱ったクロウリーと対峙したとの連絡が入ったのだ。
その直後にベリルとルベウスを召喚、カイルたちへの助っ人に向かわせて、こちらが危なくなれば召喚魔術ですぐさま呼び戻す。限られた手札で組んだ作戦だが、運よくうまく事が運んだらしい。
「ソフィーに化ける作戦もうまくいったのかもね」
「う……あまり思い出させないで。相手を騙すためだからって言っても、正直凄く嫌だったんだから」
不審者が母に化けたように、カイルがソフィーに化けたのも役に立ったのかもしれない。……五歳年上の男が自分と同じ姿に化けて、口調の練習にまで付き合わされたのは、正直かなり複雑な気持ちになったが。
「…………」
「? ヒルダ、どうかしたの?」
「な、何でもありませんわっ」
青い顔で俯いていたヒルダはすぐさま何でもないという風にそっぽを向くが、どうにも落ち着かない様子で、握りしめられた手はじっとりと汗ばんでいる。
今思い返せば、《怪盗》が正体を現してからというものの、ヒルダは妙に口数が少なくなっていた。一体どうしたのだろうと考えて、すぐに答えが思い至る。
(変質者に狙われてたら、怖いもんね)
(……わたしたちにも身に覚えがある)
これまでに二度の似たような経験を経たのと、今回自分たちが変質者の対象外であるという認識がソフィーとティオの二人を冷静にさせるが、当の本人であるヒルダからすれば、自分を誘拐しようとしている男が若手冒険者たちと近くで戦っていると考えれば、不安を覚えるのも当然だ。
王女だ何だとは言っても同じ年、同じ十歳児……ヒルダの気持ちがよく理解できた二人は、より一層手を強く握りしめる。
「ふ、二人とも……?」
「不安かもしれないけど、多分大丈夫。わたしもソフィーも似たようなことが何度かあったけど、何とかなった。今回もきっと」
「だから余計なことは考えずに、助かることだけ考えよう? 私とティオがずっと付いてるから……ね?」
稀代の怪人の前ではあまりに儚い守り。それでも、一人でいるよりかはずっと良い。それが初めて気の許せる同年代の少女であるならば尚更だ。
「な、慰めなど不要ですわ! わたくしは怖がってなどおりませんもの! さぁ、二人とも、わたくしについて参りなさい!」
自分でそのようなことを言えば怖がっていることを自白しているも同然だが、ソフィーとティオは互いに顔を見合わせて苦笑し、何も言わずにズンズンと前に進むヒルダに付いて行く。
気を取り直してくれてよかったと、二人は思う。若干危なっかしいが、気落ちされているよりはずっと良い。
「……あれ?」
「どうしたの、ティオ?」
「ん……この部分、何か光ってると思って……」
それは花瓶の下に隠され、闇夜によって浮き出された微かな灯が漏れ出したもの。気になって花瓶をどけて見れば、そこには薄っすらと光る爪ほどの小さな魔法陣が刻み込まれていた。
マリオンとの戦闘が開始されてから更に日を跨いで、二度目の夜になった時、シャーリィの手の震えはより顕著になってきていた。
「そこかぁっ!」
三叉槍に変化した黒槍がシャーリィの脇腹を掠める。それに怯まず、すぐさま反撃の一閃を繰り出すが、全身甲冑とは思えない機敏な動きで躱されてしまい、戦いは再び無数の火花の散る千日手へと移行した。
「どうした!? 貴様の剣椀はその程度ではないはずだ!! さぁ、我に貴様の本領を見せよ!!」
「…………っ」
好き勝手言ってくれるが、いかなる理由があっても手を抜くような輩ではないということをシャーリィは一合一合を通じて理解してしまっている。
ましてや不調の原因が、娘に一日以上も会えなくて寂しいから禁断症状が出たなど、マリオンは予想だにしていないだろうし、それを伝えたとしても何も変わらない。最悪怒り狂ってより一撃の重みが増すだけだ。
そして非常に厄介なことに、これほどの使い手が怒りで手元を狂わせるなどあり得ない。むしろ力と速さを増しながら、より技の繊細さに磨きがかかるだけだろう。
(せめて……せめて写真だけでも眺めることが出来れば……!)
そうすれば、少なくとも手の震えはしばらくは解ける。……これがそこらの魔物ならば、写真を眺めながら片手間に斬ることも可能なのだが、当然そんなことを許してくれる相手ではない。
死闘の最中にそんなことをすれば待っているのは避けられない死……それだけは避けなくてはならないのだ。
「これではただの自然破壊だな……。しかし、我の槍を前にここまで持ち堪える者は実に久しい! さぁ、もっと貴様の力を示せ!!」
「いい加減……本当にしつこい……!」
体の線が細く、膂力が人並みのシャーリィは元々、長期戦に向いているとは言い難い。そのことを踏まえれば、彼女が相手を一撃で絶命させることに拘るようになるのは至極当然だろう。
とは言え、体力自体にはまだまだ余裕があるのだ。向いていないといってもそれはあくまで身体的なもの……シャーリィの超人的な身体運用は、体力の消耗を極限まで減らしながら一週間全力で戦い続けることが可能である。
それでも長期戦が苦手なのは……それほどまでに禁断症状が足を引っ張っているからに他ならない。
(何とかして、写真を拝む時間を稼がなければ……!)
手の震えを剣を握る握力で誤魔化しながら、剛の槍を柔の剣が迎え撃つ。
突きの壁というべき連撃を流れるような剣閃が捌いていく中、不意にシャーリィのシュルシャガナが黒槍に押し負けたように後ろへと弾かれた。
「ぬぅっ!?」
しかし、これに驚愕したのはマリオンだ。今までと同じように槍の穂先が弾かれるかと思いきや、突然剣から力が抜けたのか、逆に弾いてしまい、虚を突かれて僅かな隙を露呈してしまう。
急激な脱力……それによって力に緩急をつけて、相手の体勢を崩す技術があるが、同格同士の死闘の最中、土壇場でそれが出来る者などそうはいない。
ましてや、謎の不調に陥って全身が強張り始めている相手がそれほど高度な技を行うなど不可能に近い……そんな武人としての常識を一応認識していたマリオンの心境は、驚愕の一言だろう。
「…………ぁぁぁああっ!」
蒼と紅の二刀が刹那の内に幾度も迸る。その内の殆どはマリオンの黒槍によって防がれるが、イガリマとシュルシャガナが描く軌跡は、黒い鎧を切り裂いてマリオンの右肩から先を四度にわたって撫で切りにした。
「フ……くははははははははははっ! やるではないか! それでこそこうして会いに来た甲斐があるというもの!」
手甲はバラバラになって地面に落ち、筋肉質の腕からは大量の血が滴り落ちるが、マリオンがあげるのは悲鳴ではなく歓喜の咆哮。己が全霊を賭しても追い詰められる強者の出現に喜び勇む者の出現への叫びだった。
(やはりあの程度の傷では怯みもしない……ですが、動きは幾らか鈍くなったでしょう)
筋肉を締め上げて止血しているが、それだけでも意識や力を持っていかれる。半不死者でもないマリオンの傷が癒えるには時間が掛かるだろう。
魔術を使わせる余裕は与えない。本調子を取り戻すのにどれだけの時間が必要かはともかく、シャーリィはそれまでの時間に仕留めきるために全霊を傾けるのだった。
あと1~2話くらいで戦闘シーンも終わりですかね。
書籍化作品、「最強の魔物になる道を辿る俺、異世界中でざまぁを執行する」もよろしくお願いします。