《北》のジークフリート
仕事中、木の枝を切ってたらノコギリでズバッと指を切ってしまい、中々執筆が出来ませんでした。
そんな間抜けな作者の作品で良ければ、評価や感想、登録のほどをよろしくお願いします
夏の青空を覆い隠す雨雲から、ポツリ、ポツリと雫がしたたり落ち、急速に雨音を強くしていく。
「雨が……」
夏の日差しで熱された地面をシャワーさながらの水が冷やし、不愉快な湿気を撒き散らして、市場まで買い物に来ていたシャーリィは、屋根布が付いた露店の下で、突然の雨に流麗な軌跡を描く眉を顰める。
雨は昔から大嫌いだった。それこそ、かつて帝国で家族から虐げられていた少女時代から。
まだ何の力も無く、目の前の境遇に立ち向かう意思もなかった弱かった自分。妹を筆頭とする親兄弟に虐げられていたシャーリィは、屋敷から締め出されることがままあった。
夏の猛暑日も冬の雪の日も、季節を問わずにソフィーやティオと同じ年齢だった時の彼女は血を分けた実の家族に屋外へと追いやられたのだ。助けてくれる大人など周りには一人もいない。
しかし子供とはいえ環境には適応できるものらしい。夏はまだマシと割り切れたし、冬になれば寒風を遮る場所を探しに行けた。屋敷の傍にいるとまた殴られたりするから、離れた場所にある屋根を求めて。
幸い、雪というのは冷たいだけであんまり濡れたりしない。積もればかまくらを作って寒さをしのぐ文化があるくらいだ。素肌で触れすぎなければ問題にもならなかった。
(……髪や肌が湿気ってきました)
しかし、雨だけは許せない。季節問わず、すぐに服や肌をずぶ濡れにして体を冷やすし、そのせいでよく風邪を引いては自前の免疫力を頼りに治していた苦い記憶が蘇る。
暑くなれば湿気って、ただただ不愉快になるし、寒くなれば冷たいを通り越して指先に痛みが走る。雨が上がったら上がったで、現在の帝国皇妃であり、かつての妹であったアリスや兄弟の純真な悪意によって泥水溜まりに転がされて全身を汚し、それを理不尽に両親から責められる。
今となっては実に忌々しい話だが、帝国皇帝のアルベルトの婚約者にならなければ、そんな日々がもっと長く続いていただろう。
風呂に入りたい。切実に。この服が張り付く湿気った髪や肌を、温かい湯で洗い流したい。雨なんて必要な場所に必要な分だけ降ればいい、わざわざ田畑の無い街に降るなんて、天空の女神の嫌がらせに思えてならない。
(しかしそれ以上に、私の娘たちを濡らし、その服や体を濡らすことが許せない……!)
シャーリィは二色の眼で天を睨む。
始まりを思い返せば、帝国帝都の近くにある森小屋の中で、ソフィーとティオを産み落として王国を目指す旅の途中まで遡るだろうか。
赤子二人を連れて常に準備もままならない旅路の途中、魔物の襲撃に遭ったことがある。その魔物はなんなく討伐したものの、その戦闘の際に傘を壊してしまったのだ。
当時はその傘が唯一の雨具であり、更に間が悪いことに、新しい雨具を調達するより先に雨が降り出したのだ。
必然的に天から降り注ぐ雫は、生まれたばかりのソフィーとティオにも降り注いだ。慌てふためき、咄嗟に自分の体を屋根にして雨で濡れないようにしようとしたが、細身のシャーリィの体で赤子二人を十分に覆い隠せるわけもなく――――
『『くちっ』』
同時に発せられる可愛らしいくしゃみを耳にした時、シャーリィは天空の女神、あるいは雨を司る何者かに本気で殺意が湧いた。
二人が風邪でも引いたらどうするんだ、赤子の風邪は大病と変わらないのだぞ、と。
雨が決定的に嫌いになった瞬間である。しかもその後から現在に至ってもなお、雨はシャーリィの逆鱗を絶妙に逆撫でするタイミングで降り注ぐ時があった。
例えば、少し街の外まで花見に行こうかという時とか。
例えば、愛娘たちが楽しみにしていた遠足の日の朝とか。
いい加減堪忍袋の緒が切れたシャーリィ。そして彼女は愛娘たちを濡らす雨雲を討つべく、幾度も幾度も剣を振り続けた。それはやがて真空波を生み出し、木を斬り、岩を斬り、波を斬り、竜をも切り裂いた。
「……起きろ、紅の神殿城」
シャーリィが愛用する王鳥の紋様が刻まれた紅の直刀、シュルシャガナを《勇者の道具箱》より取り出す。
「ふぁっ!? お、お客さん何を!?」
「あー、大丈夫。その人何時もの事だから」
突然剣を抜いたシャーリィに慌てふためく露店の若い店主を宥める声が発せられたのは、丁度隣の屋根布付き露店。この辺境の街で永く露店を開いている老店主だ。
「…………」
幾度も顔を合わせた事のある老店主の声を耳にしながら、シャーリィは腰を深く落として体を捻る。
今日、宿題を終わらせたであろうソフィーとティオは遊びに出かけた。その時は雨雲らしきものは見当たらず、きっと傘も持たずに行ってしまったことだろう。
(こんな雨如きで体を濡らし、むざむざ風邪を引かせるわけにはいかない……!)
使命感に瞳を燃やす親バカ。その執念を刃に乗せて、シャーリィは赤い刀身を振り上げた。
まるで巨獣の咆哮のような唸り音を上げながら、竜巻の如き螺旋を描く無数の斬撃波が地平線まで続く分厚い雨雲を撒き散らし、真夏の暑い太陽が姿を現した。
「……よし。これで買った物もあの娘たちも濡れずに済みます」
シュルシャガナを異空間へ収めて満足気に鼻を鳴らし、湿った地面を踏み締めながらタオレ荘へと歩みを進めるシャーリィ。
辺境の街に雨は降らない。ここ七年ほどで伝わり始めた話を聞いてのことか、以前、王国辺境の遥か上空に浮かぶ雨雲が何の予兆も無く掻き消える超常現象を調べる為に、王室魔導部隊が大勢押しかけたことがある。
魔力に由来する何らかの現象であると結論付けた故の魔術師たちの派遣だったのだが、彼らがいくら調べ上げたところで何の手掛かりもありはしなかった。
結局何の手掛かりも見つけられず、人に害を与えていないということでこの案件は放置されたのだが、後にその実態が一人の親バカ剣士が引き起こした魔力を用いぬ雨払いの剣技であると聞いて、王室魔導部隊が膝から崩れ落ちたのは余談である。
(さて……あの子たちは今どこにいるのやら)
同じ時間帯に辺境の街に居る時、シャーリィは可能な限りソフィーとティオの現在地を把握しておくようにしている。
シャーリィを転移させる防犯ブザー付きの懐中時計に、彼女たちの異能の守護者である二羽の霊鳥。トラブルへの対策は幾つも施しているが、それら全てが必ず効果を発揮しているとは限らない。
結局のところ、シャーリィが安心できる最後の要素は自分自身の目だけなのだ。
(ふむ……どうやら二人とも、チェルシーさんの孤児院に居るみたいですね)
大まかな位置を魔力の探知で探り、そちらへと視線を向ける。シャーリィの異能の具現である蒼と紅、二色の眼は目に見えぬ力も、壁を隔てた先すらも透視することが出来るのだ。
共にいるのは何時ものメンバー。それに加えて、同じ年頃の貴族風の少女と共に過ごしている。楽しそうに遊んでいることから、多分この街にたまたま訪れた同じ年頃の少女と偶然仲良くなったといったところか。
珍しいことではあるが、あり得ない事象ではない。これ以上覗き見るのは悪いと思って異能を解除しようとした矢先、シャーリィは猛烈な違和感を感じた。
「っ!?」
そして違和感は一瞬で警戒へと変わる。その対象は、貴族風の少女の後ろに控えている執事の青年だ。
一見すれば、やんごとなき身分の令嬢の護衛兼世話役。しかしその正体を隠すかのように、厳重に施された何重もの隠蔽魔術と、その内側にあるものの正体を、シャーリィの異能は見抜いていた。
(あれは紛れも無く人に化けたドラゴン……! それも相当高位の竜が、なぜこのような街中に……!?)
古竜とすら一線を画する魔力に、シャーリィはまるで天空を飛ぶように跳躍し、屋根と屋根の上を駆け抜ける。
むざむざと娘たちにドラゴンを近づけてしまったのは一生の不覚としか言いようがない。すぐさま孤児院の前へ駆けつけると、事前に迫りくる魔力と戦意を察知したのか、燕尾服の青年はさも予定調和とばかりの表情で出迎えた。
「雨雲を蹴散らすとは、随分と派手な事をする。この地に何用だ? 女」
「それはこちらのセリフです。一体どういう意図があってこの街に来たのですか? 竜王」
七つに分けられたドラゴンの階位。目の前の青年が唯一絶対なる龍神に次ぐ第二位、世界に八頭しか席が用意されていない竜王であるということを、シャーリィの瞳に可視化された、今年の春に現れた《西の竜王》ベオウルフと勝るとも劣らない魔力の質が告げていた。
竜王には縄張りである方角の名を冠する。一体目の前のドラゴンがどの方角に住む竜王なのかは分からないが、この街中に現れたのは痛手だ。
(加えてソフィーたちとの距離……この場で戦えば、間違いなく巻き込む)
勝てはする。しかし、愛娘たちに傷一つつけば、それはシャーリィにとって敗北同然だ。戦意を露に、しかし冷静に戦況を有利に持ち込むために思考を張り巡らせ、それを実行する機を伺うが、当の竜王に戦意は無く、今にも飛び掛からんと言わんばかりに腰を落とし、踏み出した足に体重を乗せるシャーリィを押しとどめるように手のひらを向けた。
「我は争いに来たのではない。此度は魔女の誘いによって、友の子を連れてきたまで」
「……魔女?」
嫌な予感が脳裏を廻るのと同時に、何もない空間が歪みながら金色の魔力光を撒き散らし、その中から黒い角を生やした金髪の童女……カナリアが現れた。
「何じゃお主ら。もう会っておったのか?」
「……これはどういうことですか、カナリア?」
シャーリィは低い声と共にカナリアを睨む。
「む? どういう事とは?」
「貴女でしょう? このような街中に竜王を誘い入れたのは」
ドラゴンとしての位が最も低い低竜……冒険者がよく好んで騎乗する騎乗竜こそ受け入れられているものの、それより上の位のドラゴンが入り込んだとなれば、町一つ壊滅してもおかしくはない。
ましてや相手は竜王。ことが詳らかとなれば、この辺境の街は大混乱に陥るだろう。一体どういうつもりでこの街の平和……というか、シャーリィたち母娘の平和をかき乱す要因を招き入れたのか。
事と次第によってはただでは置かない。そういう意思を眼力に込めるシャーリィの視線などどこ吹く風と言わんばかりに、カナリアは面倒臭そうに片手をひらひらと振る。
「お主が気に掛けることなどありはせぬよ。妾が保障しよう。のう? ジークフリートや」
その名前に、シャーリィは僅かに瞠目する。
冠する綽名は《北》。大陸北部、魔国領内を縄張りとする竜の王、ジークフリート。
その圧倒的な強さゆえに気性が荒く、他種族を見下す傾向が強い上位竜の中でも極めて珍しく、他種族と生活圏を共有することを認めた穏やかな竜の内の一頭。
(そして……魔国の主導者である、魔王の盟友と噂される)
今思い返せば、彼は「友の子を連れてきた」と言っていた。恐らく、あの孤児院の壁の向こうでソフィーやティオたちと遊んでいる魔族の少女がそうなのだろう。
穏やかと言えど誇り高い《北》のジークフリートが、一体なぜ人に化けてまでこの地に現れたのか。落ち着きを取り戻し、無言でそう問いかけるシャーリィに、カナリアは不敵な嘲笑を浮かべる。
「こやつは我が血族の末裔の護衛としてここに居る。ではなぜこの街に居るかというと、お主に依頼を持ってきたからじゃ、シャーリィ」
シャーリィは空想錬金術で《勇者の道具箱》内部の剣を二本疑似模造し、臨戦態勢に入った。
「そんなもの受けるわけが無いでしょう? 一体何を企んでいるのですか?」
「……魔女よ。其方は普段からどのような仕打ちをこの女にしているのだ?」
「はて? 皆目見当つかぬのぅ」
実に白々しい表情でとぼけるカナリアに、シャーリィは今にも敵対心を露にした猫のような威嚇をしそうな目で睨む。
カナリアが持ってくる話は揃いも揃って厄介ごとだというのに、今は夏休みだ。学校の無いソフィーやティオに、可能な限り構い倒すことが出来る至福の日々だ。そんな事をカナリアだって知っているであろうに、それを邪魔するというのか?
「そう猫のように威嚇するでない。お主にとっても良い話じゃ」
「そんなのは嘘です。聞きません。耳も貸しません。近づかないでください。今は夏休みなんですから、私の邪魔はせずに大人しく商国にでも引き籠っててください」
「ククククク……この話を聞いてもまだそんな生意気な口が利けるかのぅ?」
邪悪な笑みを浮かべる《黄金の魔女》に、《白の剣鬼》は不退転の覚悟を全身に込める。
こんな魔女の甘言になど乗らない。この夏休みも、愛娘たちと沢山の思い出を作るのだ。カナリアの話になど付き合っている暇はありはしないと。
そんな意思が刃に乗り移ったかのように鈍く光る。さぁ、バッサリと断ってやろう。それでも強制してくるというのなら首と胴体を泣き別れさせてやろう。話さえ聞いてやらないと鋼の意思を真っすぐに――――。
「母娘で夏の思い出作りに興味はないか?」
話だけでも聞いてやろう。シャーリィの鋼の意思が、へにょりと折れ曲がった。
よろしければ、他のざまぁシリーズもどうぞ。
第一章以降から名前しか出てこなかったのも、これからは出していきたいと思います。