嵐の前の静けさ 其の二
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王都に店を構えるターナー宝飾店。腕利きの女ドワーフが工房を仕切るこの店は、完全予約制にしてオーダーメイドが売りの王侯貴族御用達だ。
それでいて、客の予算に合わせた装飾品を作ることも出来るため、一見特権階級にしか手が届かない店に見えるが、実は平民の間でも人気が高い。
どのような横柄な貴族を前にしても一歩も引かず、貴族平民分け隔てなく予約に組み込むため、発注から数年経ってようやく完成品が届くことも多いのだが、それを踏まえてもターナー宝飾店のオーダーメイド品の出来は素晴らしいのだ。
ソフィーとティオへの成人祝いの装飾品を造らせる職人を探していた時、そんな店の評判を聞いたシャーリィは、以前ジュエルザード鉱山で採掘した蒼玉と紅玉の原石を持参し、王国伝統の成人祝いとして双子の娘に送るための品だと説明、作ってあげられるほど手先が器用ではないため、せめて材料だけでも自分の手で集めたいという旨を伝えると、ターナー宝飾店の工房主はすぐさまデザインを起こし始めてくれた。
メインとなる宝玉は持参した原石から作り出す。それに相応しい土台となる貴金属を考えるから少し時間が欲しいと言われ、返事を待ち続けていたのだが、今日ようやくその返事が届いた。
『金銀脈に生息する貴石竜の表皮が必要』
要約するとそのような事が手紙に記されていた。
「貴石竜……何年か前に戦ったことがありますね」
シャーリィがまだCランク冒険者だった時の事を思い出す。金銀宝石を集めるのがドラゴンの習性だが、その中でも貴石竜は金銀宝石を食物とする地竜の一種だ。
竜としての階位は古竜。食べた貴石に応じて体表を覆う鱗や甲殻が変質し、エメラルドが多く眠っている鉱山に住む個体は輝く翡翠の甲殻を、金山に住む個体は眩いばかりの黄金の鱗と甲殻を持つという。
その性質から生きる宝石とも呼ばれ、貴族を中心に手厚く保護をしようという動きすらある魔物だ。事実、貴族から冒険者ギルドに送られる依頼の中には、貴石竜の体表の採取が多い。
しかし相手は古竜。Sランク冒険者がパーティを組んで挑むほど位の高いドラゴンだ。その達成率は決して高くはないのだが、シャーリィからすれば冒険者を始めて二年目で張り倒した敵だ。
「問題は金銀脈に住む貴石竜ですが……確か、辺境のギルドでも依頼が張り出されていましたね。丁度いいので、依頼分とは別に自分用の分も採取できるかどうか伺ってみましょう。報酬も手に入って一石二鳥です」
硬貨の製作に使われるだけあって、金銀銅脈を抑えるのは国の重要な役目だ。必然的に金銀銅脈に住むドラゴンの討伐及び撃退は冒険者ギルドでもそれなりの頻度で取り扱われている。
そういった鉱山に住む貴石竜から採れる鉱石は研磨要らずで、硬貨に加工するための手間が普通の原石から作り出すよりも掛からないので重宝されている。そんな貴石竜を一時的に眠らせてその間に体表を採取する依頼だったはず。
「場所は確か、王都から近い鉱山都市が保有する金銀脈。飛竜を借りれば一日以内に依頼を終わらせて帰ってこれますね。ああいう場所にある鉱石採掘の依頼は、納品が楽なのでいいですね」
通常ならSランク冒険者でも一週間近くの時間をかけてようやく達成できる類の依頼だが、それを一日以内に終わらせて帰ってくることが出来るのが、シャーリィが《白の剣鬼》たる所以だろう。
ちなみに、何故受けてもいない依頼にここまで詳しいのかというと、以前から成人祝いの材料集めに良さそうだとマークしていたからだというのは、完全な余談だ。
「決めました。今度の依頼は貴石竜です」
「そんな今夜の晩飯を決めるみたいなノリでドラゴンと戦いに行く奴があるかい」
タオレ荘の食堂の隅の席で手紙を握り締めたシャーリィが、今にも「今日は魚が安かったから夕食はムニエルにしよう」と聞き間違えてしまいそうなほど主婦じみた口調で古竜と戦いに行くことを決定すると、マーサが半眼でツッコミを入れる。
「それで、材料集めは順調なのかい?」
「ええ。元々、私が用意できるのは鉱石類だけですので」
流石に良質な研磨剤などは工房に取り揃えてあるので用意のしようもない……というか、最初は用意しようとしたのである。研磨剤から道具まで、何もかも。
しかし職人には職人の愛用する道具があるので、用意された道具を使っても十分な完成度には到達できないと言われ、泣く泣く宝玉と土台の材料採取だけに止めたのだ。
「あたしも子供の成人祝いに装飾品を送ったけどねぇ……普通は危険な場所まで材料集めには行かないよ」
「娘の為の贈り物を拵えてあげられないなら、せめて最高の材料を用意せずして何が親ですか」
「真顔で何無茶言ってんだい。誂えてやれれば十分だろ」
その上、職人まで厳選に厳選を重ねていた。そんな事をする母親など、世界広しと言えどシャーリィぐらいなものである。手間を掛けて心を込めるならせめて手作りが妥当なのだが、元貴族なだけあってどうにも価値観がおかしいような気がしてならない。
「ところで、あの子たちにはバレてないのかい? サプライズなんだろ?」
「勿論。今は着替えを取りに行ってる最中なのですが……丁度戻ってきたみたいです」
その時、廊下の方からパタパタと軽い足音が聞こえてきた。
「お待たせ、ママ」
「ん。早くお風呂に行こ?」
「今行きます」
脇に置いてあった寝間着を抱え、食堂から出ていくシャーリィ。その背中を見て、食堂で酒盛りをしていた男冒険者たち三人は互いに顔を見合わせ、その内の一人が代表としてマーサに問いかける。
「なぁ、この宿の風呂って覗けるポイントってあるのか?」
「ある訳ないだろ」
あったとしても実行すれば剣の錆にされるだろう。宿の女将は頭の悪い客の命を守るため、可能性から根絶やしにしていた。
タオレ荘の目玉の一つと言えば、風呂は欠かせない。源泉かけ流し……という訳ではないが、高度な魔導技術によってお湯の循環、ろ過、清浄化、保温を可能とする、甘い菓子につられたカナリア特製の大浴槽には、浸かった者の疲労回復、美肌効果、内臓血管系にまで良い効果を与える。
それが男湯と女湯で二つ。リゾート地に建てられた下手な貴族の別荘よりも立派な浴場が、平民向けの宿屋にあるのだ。初めは大勢で一度に入浴することに戸惑いを感じていたシャーリィだが、同性同士ということもあって割と早い段階で馴れ、今ではささやかな楽しみにしている時間でもある。
「ぷぅ……さて、と」
「ちょっとティオ! また適当に洗って済ませたでしょ!? ほら、洗ってあげるからこっちに座りなさい!」
「むぅ……そんなに丁寧に洗ったって変わらないと思うけど」
最近の暑さで汗ばんだ肌を、香料薫る石鹸と温かい湯が奇麗に洗い流す。長い白髪を泡立つ洗髪剤で丁寧に洗うシャーリィの隣で、男のようにワシャワシャと適当に長い髪を洗い、湯船に浸かろうとしたティオをソフィーが止め、再びシャワーの前に座らせる。
「ダーメ。私たちの髪の毛は長いんだから、ちゃんとお手入れしないと。ほら見て、マーサさんが女のお客さん用に、新しい美容用の洗髪剤を置き始めたの。これと普段使っている洗髪剤を両方使ってね……」
「んー……面倒な。髪の毛なんて汚れが取れればみんな一緒なのに……いっそのことバッサリ切っちゃおうかな?」
「あの、ティオ? 流石にそれは止めておいた方が良いと思います」
ただでさえ飾りっ気が無く、それでいて無関心なのだ。髪の毛まで短くしては今度こそ女っ気が無くなる。それで将来その点を謗られるようなことになれば、シャーリィとしては教育を間違えたと死にたくなるだろう。
「もぅ……私やママが居ない時もちゃんとしないとダメなんだからね? せっかくフワフワの猫っ毛なのに」
「わたしはお母さんやソフィーみたいな髪の毛の方が良い。朝起きたら凄い事になってるって言って、すぐに櫛で梳かれるし」
「私もソフィーも朝起きれば櫛で梳いていますよ。……ティオも、もう少し髪の手入れを覚えてくれればいいのですが」
純白の泡がシャーリィたち三人母娘の白磁の肌の上を滑る。背中に届くティオとソフィーの髪よりもさらに長い、腰まで到達する自分の白髪に付いた泡を洗い流すと、それと同時にティオの髪が洗い終わり、ソフィーが自分の髪を洗い始めた時、ティオは相変わらずの寝ぼけ眼でシャーリィの後ろに立つ。
「お母さん、せっかくだし背中流そっか?」
「……いいのですか?」
「ん。何時も頑張って仕事してるお母さんにちょっとした恩返し」
「……では」
泡の付いた入浴用タオルを手渡し、長い後ろ髪を全て体の前へと持って行く。空気を混ぜるようにタオルをこすり合わせて泡立たせると、ティオは絶妙な力加減でシャーリィの背中を擦り始めた。
「んっしょ……んっしょ……力、このくらいでいい? お母さん」
「ええ。十分です」
「そっか。……んっしょ……んっしょ」
位置的に顔を見せずに済んでいるシャーリィは平然とした口調で答えるが、実際には片手で顔を覆い、今にも泣きだしそうになっていた。
風呂場で親の背中を流す子供という伝説は今まで何度か聞いたことがあるが、それはあくまでも話に聞いたことがあっただけで、体感するのは初めてである。
不意に、昔はシャーリィがソフィーとティオの髪や体を洗っていたのを思い出す。そんな小さかった彼女たちが、今では自分の背中を流していることに対する感慨深さ……なるほど、確かにこれは得難い感動である。
「しょっ……と。ん、奇麗になった」
「ありがとうございます、ティオ」
泣いているのを悟らせないために、顔からシャワーを浴びて涙を流す。その後で背中以外を洗い、ソフィーと共に先に浸かっていたティオが待つ湯船に入ると、一日の疲れが湯に溶け出していくような感覚に囚われた。
「ふぅ……」
この瞬間がシャーリィの楽しみだ。特に少女時代から、胸に大きな重りを二つ付けている彼女は肩こりに悩まされている。それで不調を悟らせずに戦い続けることは出来るのだが、やはり血の巡りが良くなって肩が楽になる感覚は何とも言えない。
「じ~……」
そんな目を細めて湯船を堪能するシャーリィの、プカプカと浮かぶ白く豊満な乳房をじっと見つめるソフィー。そして自身の白く平らな胸に視線を落とし、どこか引き攣った笑みを浮かべる。
「だ、大丈夫。あのママの子供だもん、二年もしたら一気に大きくなるよね……?」
「何が?」
「はぁうっ!? ティ、ティオ!? な、何でもないよ、何でも!」
顎まで湯船に浸かり、すーっと泳ぐように近づいてきたティオは、慌てふためく双子の姉の胸と、入浴中は顔が安らぐシャーリィの胸を交互に見て、どこか憐れみを宿した表情を浮かべながらソフィーの肩に手を置く。
「……前にも言ったと思うけど大丈夫。ソフィーはまだ十歳なんだから、胸が真っ平らなのが普通。むしろリーチが広がる的な意味で、手足が長いソフィーが羨ましいし」
「なーっ!? ちょ、ちょっぴり自分の方が胸が大きいからって同情的な視線をーっ! ティオの胸だって私と殆ど変わらな――――」
改めて認識すると、ソフィーは言葉を失った。女性全体的に見ればまだまだ小さい方だろうが、妹の胸に僅かながらも確かに揺れる二つの山が盛り上がっているのに気付いてしまったのだ。
少し目を離した隙にまた育ったというのか。戦慄しながら再び自分の胸に視線を落とす。小山すらない。あるのは雄大な平原だ。
「うっ……! うぅ~っ……!」
「ど、どうしたのですか、ソフィー? いきなり涙ぐみ始めて……!」
「だって……だってぇ~……!」
一年二年も先の事など知る由もない。しかし、どういうわけか、予想が容易い未来が待ち受けていそうな気がする。身長は順調に伸びているのは嬉しいが、ソフィーが今最も育ってほしい部分の不足と、それに反した妹の成長にただただ恐れ慄くしかなかった。
書いてた部分が、寝落ちして吹き飛びましたが、何とか仕上げました。次辺りで第三章のクライマックスへ移行します。グランは一体どこに現れるのか。
「冤罪を被せられた令嬢の為なら、俺は最強の魔物になれる」もよろしければどうぞ。