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泉の母娘

久々に幼女分が補充できた、タイトル略して元むすです。

お気にいただければ評価や感想のほどをよろしくお願いします。

 

 これは一体全体どういうことなのだろう? カイルは目の前の光景を見ながら自問自答を繰り返す。


「…………というわけで、私の泳ぎ方は独学で参考にならないということで、もう一人泳ぎが達者な人を呼びました」

「えぇ……と」

「……よろしく」


 辺境の街と隣接する森林の中にある、子供たちがよく遊びに訪れる底が浅い澄んだ泉。人除けの結界が張られたその場所で、水着に着替えて入水する彼の正面には、何とも複雑そうな表情を浮かべる、授業用に用意された野暮ったい水着姿のソフィーとティオ、そして黒いビキニ姿のシャーリィが開き直ったかのような赤ら顔で佇んでいた。

 日の光を反射するような、水に濡れる白い肌と髪を持つ母娘は、さながら水精のように神秘的だが、子供たちから送られる視線は複雑でありながら警戒心が宿っており、カイルは素直に見惚れることが出来ない。


(まさか、こんな事になるだなんて)


 どうしてこうなったのか。答えは単純で、シャーリィは短い期間に泳ぎを習得できなかったからだ。海を割って水底を駆け抜けることも、水面を走り抜けることも可能とする体技を持つシャーリィだったが、水に浮かばずそのまま沈んだり、手足を動かしても一向に前へ進まなかったり、こと泳ぐことに至っては呪いか何かが作用しているのではないかというほどに不器用だった。

 その上、クードとレイアの策略によってカイルがシャーリィに泳ぎを教える時も――――


『……ぷはぁっ。はぁ……はぁ……なかなか上手く泳げませんね……ひゃうっ!?』

『わぁああああっ!? ご、ごめんなさいごめんなさい!! これ以上は恥ずかしいですよね!? そろそろ中断しましょうか!?』

『だ、大丈夫です……! 娘の為なら、私の羞恥心など……!』


 泳ぎを教える以上、どうしても体同士が接触してしまう。華奢な細腰やしなやかな肢体、豊かな胸がカイルの素肌にどうしても触れてしまい、カイルの鼻から迸る赤い雫が止まらなかったのだ。

 しかもシャーリィはシャーリィで、愛娘の為ならばと自身の羞恥心を必死に押し殺し、頬を赤く染め、涙目になりながらカイルに接触してくるものだから、出血多量で再び死ぬかと思ったと、彼は後に語る羽目になった。

 

(シャーリィさん、やっぱりもう素直に泳げないことを話した方が良かったんじゃ……?)

(確かに嘘をつくのはどうかと思いますが、これでも私に憧れを抱いてくれている娘が幻滅するようなことだけは避けたいんです……!)


 ソフィーとティオには悟られないよう、耳に口を寄せて囁き合うカイルとシャーリィ。結局、母の威厳を守るためには、『感覚で泳いでいるせいで理屈が説明できないため、他に泳ぎが得意な人を講師として雇う』という最終手段をとるしかなかったのだ。

 それでもシャーリィが、自分にとって恥ずかしい水着を着てまで共に入水しているのは、せめて自分も娘が泳げるための手助けがしたいという親心故だった。


(それで今更ですが、泳ぎを教える方に関しては……)

(そっちは大丈夫だと思います。これでも昔から水場で遊んでいるだけあって泳ぐのは得意ですし、孤児院の下の子にも泳ぎを教えてるんです。今、ソフィーちゃんたちと同学年の子にも教えましたけど、ある程度様になってますし)


 実績があるなら安心だ。満足げに頷くシャーリィ。そんな至近距離で囁き合う二人を眺めながら、ソフィーとティオは複雑極まりない心境を味わっていた。


「……ねぇ、ティオ。どう思う?」

「ん……強敵だと思う」

「だよね……」


 神前試合が終わり、帝国から戻る時から、二人が要注意人物としてマークしているのがカイルである。

 別に性格が悪いなどということは一切ない。それどころか温厚かつ誠実で、大抵の人物からは好感が持たれるであろう好青年だ。帝国から人攫いに現れたルドルフの魔の手から身を挺して守ってくれたし、ソフィーとティオもカイルには高い評価を与えている。

 だが、しかし、彼はどう見ても母に気があるように思えてならない。下手をしなくても普通に兄妹で通る年齢のカイルが義父になる……シャーリィとの年齢差や、母本人の鈍感さなどの障害はあるが、それ以前に、シャーリィにはもう少し二人だけの母で居てほしいのだ。


「マ、ママ! そろそろ始めよう!」

「ん……時間は有限ってよく言うし」

「? そう、ですね。ではそろそろお願いしても?」

「あ、はい。勿論です」


 二人の間に割り込むように予定を促す。尤もな正論だけにカイルもシャーリィも納得した顔で行動に移すために離れる様子を見ながら、ソフィーとティオは心の中で安堵の息を漏らした。


(とりあえず、カイルさんには警戒しなきゃね)

(ん。わたしたちに認められずにお母さんと結婚なんて百年早い)


 いささか考えが突飛すぎるが、あながち冗談にもならなさそうな熱視線をシャーリィに送っているカイルを見て、双子は顔を見合わせながら頷く。

 母が娘に近づく男を警戒するように、娘もまた母に近づく男を警戒する。なんだかんだで似た者母娘の三人であった。




 水と戯れる白髪を見れば、誰もが精霊か何かだと目を疑うだろう。しかし実際は、ただ休日を使って子供に泳ぎを教えるという微笑ましいもの。

 揺れ波打つ水面と森林から除く空に響く楽しげな声を見聞きしながら、シャーリィはカイルに泳ぎの講師として呼んだことは正解であったとほくそ笑んだ。

 孤児院の育ちだけあって年少者の扱いに長けており、泳ぎも達者で教え上手。そして何より、娘に対して邪な感情を一切抱いていない好漢となれば、これほどソフィーとティオの講師役に向いている者はいないだろう。


「…………ぷはぁっ! どう、ママ? 今結構泳げてたんじゃない?」

「えぇ、大体十五メートルほどでしょうか? この短時間ですごい進歩です」


 一通り泳ぎ方をカイルから教わったソフィーとティオは、それぞれシャーリィとカイルが横についた状態で泳ぎ始める。

 肺から空気が抜けて沈み始める体を優しく持ち上げては姿勢を正し、早くも泳ぎを覚えつつあるソフィー。元々学習能力が高く、理屈通りに体を動かすことに長けているのだろう。今では一人である程度泳げるほどに進歩していた。


「……まぁ、ティオほどじゃないんだけどね」

「あの子は少し例外のような気もしますが」


 水柱を上げながら泉を縦横無尽に泳ぎ回るティオを眺めながらソフィーとシャーリィはどこか遠い目を浮かべる。早くも教えることが無くなったのか、カイルもその様子を見ながら余りの吸収力に呆然としているようだ。

 ティオの動物的で天性的な体技のセンスは尋常ではないと、シャーリィは常々思っていた。学校の男子はおろか、下手な冒険者をも上回る運動能力を持つ十歳の少女など、ティオくらいしか居ないだろう。


「……お母さん、泳ぎ覚えた」

「見ていましたよ。貴女は本当に、運動に関しては筋が良いですね」

「ん……」


 頭から頬にかけて、淡い微笑みを浮かべながら優しく撫でる母の手に、ティオは心地よさそうに目を細める。続けてソフィーの方に顔を向けると、ティオは全く他意が無いような無表情で告げた。


「……教えよっか? 背丈が似てる人から教えて貰った方がやりやすいかもだし」

「むむっ」


 この時、普段から姉貴風を吹かせるソフィーのプライドが逆撫でにされた。確かにティオの運動能力は認めるところだが、ここで下手に出るのは姉の立場が廃る。

 ……ただでさえ、最近ティオが大物感出てきている上に、ある一部分の発育が良好なような気がするというのに。隣にいる母の胸を見る限り、自分の将来性は疑いたくはないのだが、体の線が際立つ水着を着ていると、自分の胸とティオの胸のラインに違いが出てきているような気がするから余計にだ。


「だ、大丈夫だもんっ! それにいざとなったら……《流水・制御》」


 詠唱を唱えるや否や、水流など発生しない泉でありながら、手足を動かさずに移動し始めるソフィー。水流を作り出し、操る《ウォーターストリーム》という簡単な魔術だ。

 毎晩浴槽で練習しているのだろう、魔力で生み出された水流は子供一人を運んでいるにしては中々の速さである。魔力の制御も非常に安定しており、一種の才能の片鱗すら窺えるほどだ。


「これなら最悪、泳げなくても大丈夫だしね」

「それ授業で使えないんじゃ、本末転倒になるんじゃない?」

「う……それは確かに」


 元々水泳の授業だ。魔術の力で水中を移動しても、泳ぎが上達しなければ何の意味もありはしない。


「それに、わたしが泳いだ方が速そうだし」

「あ! 言ったね!? じゃあ勝負する?」

「ん、望むところ」

「ママ、どっちが速かったか審判しててね」

「いいですよ」


 そう言いながら岸の方に向かうソフィーとティオ。シャーリィもただ練習するだけでは面白味がないだろうと思い、穏やかな眼差しでそれを見守ることに。


「いやぁ、流石というべきか何というか、凄い呑み込みの速さでしたよ、ティオちゃん。それにソフィーちゃんも……まだ十歳なんですよね? あの年でよくあそこまで安定した魔力制御を……」

「はい……最初はどうなることかと思いましたが、私の要らない部分まで似ていなくて良かったです」


 3カウントと共に岸を蹴って勢いをつけた後、それぞれ魔術と体技を駆使して水面を駆ける。シャーリィはその軌跡を二色の眼で追いかけながら、少し離れた位置にいるカイルとの会話に耳を傾けていた。


「改めて、私からお礼を言わせてください。貴方のおかげで娘に泳ぎを教えることが出来ました」

「いやぁ、そんな。このくらい大したことじゃないですよ」


 カイルとしても、こうしてシャーリィとの接点が生まれたのは嬉しい限りだ。普段は強大な魔物との予期せぬ遭遇(エンカウント)に辟易とするほどの悪運だが、たまにこういう事もあるから始末が悪いと、自分の体質に複雑な思いを抱く。


「それに、明日から少し忙しくなりそうなので、今日中にあの子たちとの約束が果たせてよかったです」

「忙しい? 何かあるんですか?」

「ギルドからの依頼なのですが……近頃、奇妙な魔物の目撃情報が多発しているそうです。詳しいことはまだ何もわかっていないので、その調査をと」

   

 世の中には、信じられないほど広域に毒霧を散布し、疫病へと変える魔物が存在する。もし発見された魔物がそういった類の種なら、それは愛娘たちにとっても危機となる。そう考えて、シャーリィはこの依頼を引き受けたのだ。


「出来る限り早く終わらせるつもりですが、しばらくはこの手の依頼を中心に引き受けそうですね」

「あの……そういう事でしたら僕も――――」


 手伝いましょうか? そう少し勇気を振り絞ろうとした少年の言葉を遮るように、水流に流されてきたソフィーが、既に初心者の領域を逸脱した泳ぎを身に付けたティオが、シャーリィの元へと寄ってくる。


「ママ!」

「今、どっちが速かった?」


 双子の勝負はまさに拮抗している状態だった。常人ならば岸から向こう側の岸まで泳いで手を付けるそのタイミングを同時だと言うだろうが、〝視る〟事に特化した剣鬼の異能は、その勝敗を確かに捉えていた。


「先ほどの勝負、勝ったのは――――」


 珍しく勝負の熱を瞳に宿す二人の頭を撫でながら、シャーリィは何時もの鉄面皮を張り付けたまま結果を告げる。

 一人の少女の歓声と、一人の少女の不満そうな声が、水面を僅かに揺らしていた。


カイル君のエンカウント率はアンラッキーばかりに働くわけではありません。

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