そして事態は動き出す
本当だったら昨日の内に投稿するはずでしたが、執筆中に寝落ちしてしまい、翌日に持ち越しになってしまいました。
そんなタイトル略して元むすですが、お気にいただければ評価や感想のほどをよろしくお願いします。
帝国領、アルグレイ公爵家の館では、使用人たちが平時以上に忙しなく動き回っていた。普段なら公爵家当主と夫人、現公爵に執務を引き継がせている最中の前公爵夫婦、そしてたまに帰ってくる公爵の弟の奉仕をするくらいなのだが、今は二倍以上の働きを強いられている。
「この紅茶は飽きたわ。もっと別の……新しい最高品質の茶葉を用意しなさい」
「で、ですが……以前、皇妃殿下は他の高級茶葉も飽きたと仰られ……我が国にある、それと同じ格の茶葉は全て提供したのですが……」
「なぁに? あなたは私に口答えするというの?」
「ひっ……!?」
冷房魔道具が効いた一室で優雅なティータイムと洒落込んでいた帝国皇妃、アリスの低く唸るような言葉に、紅茶を淹れた侍女は引き攣った表情と共に青ざめる。
「帝国に他の茶葉がないなら、他の国から取り寄せればいいでしょう!? そのくらいも分からないの!?」
「きゃあああっ!?」
怒り任せに投げつけられた熱い紅茶入りのティーカップは侍女に直撃。頭から紅茶にまみれた、自分よりも十歳以上下に歳の離れた少女を慮ることなく、アリスはヒステリックに叫んだ。
「私は誉れ高い帝国皇妃であり、貴女が忠誠を誓うアルグレイ公爵家の娘なのよ!? その私に口答えするなんて、いったいどういうつもり!?」
「も、申し訳ありません! ど、どうかお許しを!」
肌を苛む熱さに耐えながら、侍女は平身低頭になりながら必死に許しを請う。
先に説明しておけば、この少女は一貴族に忠誠を誓う気質の持ち主ではない。身寄りもなく、病気がちな幼い弟と共に暮らす何処にでもいるような平民で、運よく高級な大貴族の侍女として働き口につけただけの存在。
高圧的な主人たちの機嫌を損ねないよう、他との軋轢を生まないよう地道に技術を習得していき、ついには紅茶を淹れることすら許されたのだが、今年の夏に入ってからというもの、貰える給金に見合わないほどの労力を消費させられ続けていた。
「なんて教育のなっていない使用人なのかしら!? これだから家格の低い連中は嫌なのよ!」
その原因は、アリス・ラグドール皇妃に他ならない。帝国でも殆どの者が知らない内にとり行われた神前試合、シャーリィ渾身の一閃により居城を真っ二つにされて住む場所を奪われたアリスと、夫であるアルベルトは、帝国でも城の次に豪奢なアルグレイ公爵家に身を寄せていた。
城を建て直すまでの間は住み慣れた馴染みのある場所が良いだろうという、アルベルトの気遣いによりあれよこれよと引越しを済ませたアリス。そこだけ聞けば悲劇的な事故により住まいを無くした皇妃を気遣う優しい皇帝というふうに見えなくもないが、いざ公爵家に帰ってきたアリスの我儘は留まることを知らない。
何せ国庫を湯水のように使った贅沢極まりない生活を、城仕えの使用人よりも遥かに少ない人数でこなせというのだ。とにかく派手好きで飽きやすい気質のアリスは十年近くにわたる皇妃生活で更に悪化。彼女が子供の頃から仕えている使用人ですら疲労で倒れるほどだ。
庭の花が飽きたから別の高級花を植えろ、公国から高級な茶葉と菓子を取り寄せろなどというのですらまだ可愛い方で、朝から夕食の仕込みをしていた料理人に対し、高級肉として有名な凶暴な親に守られた牛型魔物の子供の肉が食べたいと突然言い放ったり、遥か雲の上まで届く霊山の山頂にのみ咲く、天然の美容液を抽出できる花を大量に摘んでこいなど、命の危険すら高い我儘を振りまくようになっていた。
「こんな愚図で使えない使用人、皇妃の実家に相応しくないわ!! クビよ、クビ! 今すぐ出ていきなさい!」
果てには館の人事を司る公爵夫人の意見も通さず、気に入らない公爵家の使用人の解雇を言い渡すアリスは、床に這い蹲る侍女の頭を乱暴に蹴り上げる。
「あぐぅっ!? ……こ、皇妃殿下! それだけは、それだけはお許しを……!」
ただでさえ税金が右肩上がりに増え続けているせいで生活が圧迫し、弟の治療費すらも危うくなってきているのだ。このまま職を失えば浮浪者になるだけではなく、弟の命が危ない。
「うるさいわね! 私に歯向かうっていうのなら、騎士を呼んで処分させるわよ!?」
「……っ!」
そんな彼女の事情を知ってか知らずか、いきなり最後通達で脅したアリスを信じられないものを見るような視線を向けて、侍女は瞳に涙を湛えながら部屋を出て走り去っていった。
「まったく……誰も彼も役立たずばかりっ!」
ドカッと、淑女らしからぬ仕草でソファに座りなおす。最近の彼女の心境は荒れに荒れていた。
ただでさえ後継者を産めないことに苛立っていたというのに、十一年前に貶めた姉は当時よりも更に美しくなり、天使か妖精と見紛う愛らしい娘二人も生んでいる。
アルベルトとの子供ということで帝国に引き取ろうとすれば、王国君主であるエドワルドや忌々しい義妹に神前試合という形で横やりを入れられた挙句、負けた上に自慢の城まで両断されたのだ。
それら全ての因果を察してはいなくても、誰かに八つ当たりをしたり、より満たされた生活を送らなければ気が済まないアリス。しかし久しぶりに公爵家に戻ってみれば、待っていたのは使用人不足で欲求を満たしきれない不完全燃焼の日々。
「《黄金の魔女》……《白の剣鬼》……! みんなあいつ等のせいよ……! 私の邪魔ばっかりして……!」
ストレスで浪費癖が付いたのと似た心情で、悔しげに親指の爪を噛むアリス。後々知った事だが、自分たちが散々侮っていたシャーリィが冒険者ギルドでも屈指の実力者であり、カナリアに何かと目を掛けられているらしい。
アリスは昔に追いやったはずの嫉妬心に火がついていることから必死に目を背ける。美貌に才覚、そして可愛い子供に恵まれた姉に対し、アリスが彼女に勝るものといえば周囲に対する愛想程度。環境は恵まれているはずなのに、この差は一体何なのか。
「失礼します」
あらかた鬱憤を吐き出し終えたタイミングを見計らったかのように、公爵家の執事長がノックの後に入ってきた。
「皇妃殿下、お客様がお見えになっております」
「……通してちょうだい」
アリスにそう告げると、そそくさと部屋を後にする執事長。今日は自分の取り巻きの男を呼んだのだ。少しでも満たされるためには、美男を侍らせながら愚痴を聞かせ、褒めてもらうしかない。アリスの少女時代からの習慣だ。
「やぁ、アリス。会いたかったよ」
「私も会いたかったわ、グラン」
先ほどの憤怒に満ちた顔はどこへやら、学生時代からの取り巻きであるグランが顔を見せた瞬間、清廉潔白の巨大な猫を被るアリス。取り巻きの美男の間では、〝心優しい可憐な令嬢〟で通っているので、狭量で乱暴な態度は厳禁なのだ。
「ん……グラン」
「愛しているよ……アリス」
扉を閉めて早々、互いに抱きしめ合って口づけを交わす。皇妃と臣下の関係とは思えない、皇帝を差し置いての不倫そのものと言える行為に耽る二人の頭には、快楽を得ることしか考えられていない。
こんなところをアルベルトに見られたり、聞かれたりすれば両者共にただでは済まないが、結婚以前から多数と似た関係を維持し続け、アルベルトはまるで気付いていない。バレないという、根拠のない自信が彼女たちにはあった。
「最近はよく呼んでくれるな。嬉しいよ」
「ううん、私もグランと一緒に居たかったから」
いじらしい恋する乙女を演出する皇妃。二十九という年齢を考慮すれば、年甲斐もないといった感じではあるが、頼られることに快感を見出すグランには効果覿面のようで、幸せそうに頬を染めている。
「最近、陛下は相手をしてくれないと聞いているからね。その分俺が愛してやるさ」
「嬉しいわ。今日は沢山して頂戴ね」
そう言いながら表情は崩さず、ソファに座るグランの膝に乗ったアリスは、内心では再び忌々しい思いが湧き上がってくるのを自覚する。
帝国権威の象徴である城が破壊されたというのは途方もない大事だ。ただでさえ城の主であるという立場を誇りとしていたアルベルトは、躍起になってより豪華な城を立てようとしているが、皇城の立て直しなど国庫をもってしても莫大な資金と時間が必要となる。
ならば城の残骸を地属性魔術で再建しようなどという意見が皇帝の口から飛び出したが、魔術はそこまで万能ではない。建築に使われたのは石だけではないし、仮に城の体を為せたとしても出来上がるのは煌びやかさとは程遠い、山を削り出したかのような武骨な建築物だ。
……例外として、冒険者ギルドに所属する、とあるSランク冒険者と、カナリアの力を借りれば元通りにすることも可能ではあるが、会談の席で散々罵倒したカナリアにアルベルトが頭を下げることなどありえないだろう。
(いくら私の城を建てるためだからって、私の事を放り出すなんて)
権威の象徴の崩壊は、臣民の心境に大きな影響を与える。公務を放り出してまでアリスに構い倒していたことでさえ問題視されていたが、今回の一件で帝国の威光が地に落ちたことにより、後援の貴族や重臣たちに振り回されるかのように対処に追われるアルベルト。
ただでさえ重税によって臣民の心が離れているのだ。慎重かつ迅速に、アルベルトが我儘を言う暇も与えられないだろう。
『いやぁ、何とかして皇妃殿下の姉を手に入れられないものですかな。あれほどの美貌なら、白髪やオッドアイであることを差し置いても、私の愛人にしたいところなのですが……』
『記録された映像を見ましたよ。皇妃殿下も年の割には美しさが残っている方ではありますが……彼女は次元が違いましたね。少なくとも三十は超えているはずですが、まるで少女のように若々しく……』
極めつけは、神前試合の映像が貴族の間に流出し、シャーリィの美貌が帝国貴族たちの間に広まったということだ。
アリスと関係を持っていた男性貴族たちの間でも、アリスとシャーリィを比べる声が多く上がっており、それによって目が肥えた彼らはアリスの誘惑には乗らなくなり、どうにかしてシャーリィを帝国に……ひいては自分が囲えないかと浅ましい獣欲を滾らせている。
その結果として、後継問題の悩みを払拭することが出来るソフィーとティオを帝国に引き寄せようとする動きが活発化したものの、アリスは酷く不満だ。
その動機がアリスの悩みを解消することではなく、次期皇帝の父となり、絶世の美女を囲う事であるということが分かり切っているから余計に。
「さぁ、そろそろ出かけましょう。帝都のカフェテリアに新作のスイーツが作られたらしいわ」
「あぁ、君とならどこへでも。その後は……」
嫌な事を頭から追い払い、気を取り直して気分転換に勤しむ皇妃。そんなアリスの肩に手を置いてエスコートするグランの背中が、怪しく蠢いてくることに彼女が気付くことはなかった。
一方その頃、帝国最東部から近いレグナード領主館では、騎士団にいる自身の思想に賛同した者からの手紙と共に送られた一枚の書類を見ながら、フィリアとルミリアナは互いに眉を顰める。
「姫様、これは……」
「うん……」
それには、この帝国で最近起きた重犯罪から軽犯罪を起こした様々な犯人に関することが記されていた。騎士として捕らえた罪人の罪状や処罰は記録するのだが、これはその要点を箇条書きにしたものだ。
殺人を犯した者は死刑及び終身刑、盗みを働いた者は罰金や投獄、貴族令嬢のスカートを踏んだとして鞭打ちなどと、罪によって罰は様々。これらは帝国では割とありふれた犯罪者の経緯だが、送られてきた手紙にはこう記されていた。
『近頃、騎士団で捕らえた罪人の行方が分からなくなっていることが多発しています。同封した書類は騎士団の兵舎に置かれていた記録を大雑把に写したものですが、これら全て捏造されている可能性があり、いつの間にか衣服のみを残して罪人が居なくなっているのです。裁判所へ運ぶことすらありません。何か不穏な動きを感じるので、姫様も十分にご注意ください』
手紙の内容が事実なら、罪人を逃がすか、法の枠組みを超えて始末している輩が存在していることも否定できない。
国の権威が弱まっている中、これが公になれば統御装置である法すら意味を消失する。いずれは帝国を分解すること、あるいは現在の圧政を敷く者全てを失脚させることを目的としているフィリアだが、それまでの間は治安維持の為に法は無くてはならない。
「このことを陛下には……」
「奏上はしたみたい。でも、秘密裏に解決するように命じるどころか、今はあの女と暮らす城を建て直すのに忙しい、罪人如きに構ってはいられないと」
「そんな……!?」
ルミリアナは信じられないと瞠目し、フィリアの持つ手紙はクシャリと、僅かに歪む。
たとえ罪人であったとしても、消えてしまったのは帝国の民なのだ。経緯はどうあれ、罪を犯すような杜撰な治世の上に生かされた守るべき民なのだ。
罪は戒律として裁かれるべきだ。しかし、それら全てを有耶無耶にして良いはずがない。法の下で罪に応じたしかるべき対処が出来なくて、一体何のための罰なのだ。
「中には情状酌量の余地があったり、軽い罪で十分やり直しができた人も多いのに……!」
「姫様……」
そういった者の殆どが窃盗の罪に問われている。人によるだろうが、なぜそのような事をしたのかは、ある日栄えていたはずの酒場が急に経営が傾いて建物ごと差し押さえられたのと似たようなことが何度も起きていれば、見ていなくても察せられる。
「行こう、ルミリアナ。早くこの事件を解決して、臣民の犠牲を食い止めなきゃ」
「承知いたしました、我が君。それで、まずはどちらに?」
「向かうのは法務省……そして、帝国騎士団兵舎だよ」
何者かが……法の守護を司る何者かでなければ、捕らえた罪人に介入することなど考えられない。そんな確信をもって、フィリアは従者と共に馬車に乗り込むのであった。
第三章もこれで10話。そろそろ物語を動かしていきます。