剣鬼の弱点
タイトル略して元むす更新です。お気にいただければ評価や感想のほどをよろしくお願いします。
急いで泳ぎ寄ってきたクードとレイアに、もう一人と共に無事救助されたカイルは、鼻に紙縒りを詰めながら深々と頭を下げた。
「いや、ホントごめん。色々とご面倒を」
「いや、そっちは良いんだけどさ」
美しく静謐な湖の畔では、鼻血の匂いを嗅ぎつけてやってきた魔物の斬殺死体の山が出来上がっていた。赤く染まった水を魔術で処理しながら元に戻しつつ、寄ってくる魔物の群れを残さず討伐したのは、他の誰でもない岩に腰掛けるシャーリィである。
「…………」
しかしその表情は不機嫌そのもの。人目に付いたせいで、大急ぎで《勇者の道具箱》から取り出したワンピースを濡れた水着の上から着て、更にその上にタオルケットを羽織って、自身の醜態を覆い隠した彼女の顔は赤く染まり、ムスッとしたむくれ顔だ。
普段下着鎧やヘソや太腿が露出している服を見ては顔を顰めるくらい肌の露出を忌避する、貴族女性特有の感性を残しているシャーリィが、真昼間の外で下着同然のビキニ姿を他人に見られたことだけでも恥ずかしさで泣きたくなるというのに、今回は特に間が悪すぎた。
「ところで話を戻すけどさ、シャーリィさんってもしかして――――」
「泳げます」
とんでもない食い気味で答えるシャーリィ。
「いや、俺らまだ何も言ってないんだけど」
「…………っ」
自分の言動に思わず内心で舌打ちをし、相変わらずムスッとした表情で押し黙る。その態度が彼らの推測を裏付ける証拠であることは自覚しているが、素直に認めることができない心境がシャーリィにもある。
「ねぇ、やっぱり泳げないんでしょ? 実は」
「……泳げます」
「無理すんなって。誰だって欠点の一つや二つ――――」
「泳げると言っています。しつこいですよ」
微笑ましいものを見るような慈しみの目を向けてくる十五歳の少年少女の視線に耐え切れず、ひたすら明後日の方向を見ながら汗を流し続けるシャーリィ、白い肌を伝う雫は、決して暑さによるものだけではないだろう。
「へぇ、じゃあ泳いでみてよ。ちょうど水着も着てるし」
そんな態度をとり続ける一回り以上年上の美女に悪戯心が沸いたのか、レイアは意地の悪い笑みを浮かべながら湖を指さす。必然か偶然か、シャーリィの額に流れる汗の量が増えた。
「そこまで言うんなら当然泳げるんだよね? シャーリィさんの優雅な泳ぎ、アタシ見てみたいなぁ」
「と、当然です」
「あ、あの……シャーリィさん? そんな無理しなくても……」
どこをどう見ても退くに退けないといった表情を浮かべるシャーリィを宥めようとするカイル。しかし一度言ったからには前言を撤回しにくいのか、シャーリィはワンピースを脱ごうとしたが、ここに男手がいることを思い出して、顔を赤くしながら裾から手を放す。
「~~~っ!」
「ちょっ!? シャーリィさん!?」
「おいおい、こんなチビの言う事を聞くことは――――!」
そして何を思ったのか、服を着たままザバザバと音を立てながら湖に入水するシャーリィ。男二人が止める暇もなく、彼女はスゥっと息を吸い込んで、全身を水に沈めた。
「「「…………」」」
三人が思わず息を殺して見守る中、水面では絶え間なく気泡が浮かんでは弾ける。そうすることしばらく、気泡の勢いは次第に無くなっていき、やがて小さな泡が一つ弾けた辺りから浮かんでこなくなった。
「……おい、浮かんでこねぇぞ」
「……これやっぱり、溺れてるんじゃ?」
「う、うわあああああっ!? シャ、シャーリィさぁんっ!!」
ゼェゼェと荒い息を吐きながら水浸しで地面に座り込むシャーリィの隣で、同じように水に濡れたカイルたちが先輩冒険者を見下ろす。
「あー……やっぱり泳げなかったんだな」
「なんか、煽っちゃってゴメンね?」
「ていうか、無理に意地を張らなくてもよかったんですよ?」
「……うぅ」
シャーリィの顔全体は熟れたリンゴのように真っ赤だ。もはや言い逃れが聞かない状況になり、シャーリィは迫力のない不機嫌な表情でポツリと告げる。
「わ、私はこれでも生まれだけは生粋の貴族令嬢ですし、娘が生まれてからも泳ぐ機会など一度も無かったんです」
三人の胸中に、なるほど、という文字が浮かんだ。生粋の庶民である三人には理解しきれないことだが、貴族と言われれば湖や川で遊ぶイメージは一切浮かばない。ソフィーとティオが生まれてからは遊ぶ暇など作ってこなかっただろうし、泳いだことが無いと言われれば納得しそうだが――――
「でもシャーリィさんは十年も冒険者やってきてたんだろ? 水の中に入る必要がある依頼の時はどうしてたんだ? 湖の底にある物の採取とか、水棲の魔物の討伐とか」
「そういえば僕、去年シャーリィさんが東南の諸島に生えてる霊草採取の依頼をこなしたって聞いたことあるんですけど……?」
王国の冒険者の間で東南の諸島と言われれば、魔物が蔓延り過ぎて人間が一切住めないと言われている、王国屈指の危険地帯だ。島々自体の危険度も非常に高いが、何より危険なのは大陸から諸島近海までの海域は凶悪極まりない魔物が群をなし、船では決して近づけないことにある。
ならば騎乗竜で飛んで行けばいいのではと、事情を知らない冒険者は口々に言うが、東南の諸島で最も数が多いのは怪鳥の類。ドラゴンとはいっても所詮は一番階位の低い低竜、群れには敵わない。
そんなカイルたちの疑問に、シャーリィは何てことなさそうに答えた。
「そういう時は剣圧で海や川を割って、元に戻る前に水底を駆け抜けていました。水棲の魔物の討伐も、異能を使えば位置が分かりますし」
「やばい……アタシたちの想像を絶する手段で解決してる……!」
「それで結局、泳ぐ理由も無くなっちゃんだね」
「それが出来りゃあ、泳ぐより断然速いしな。……ほんと、出来ればだけどよ」
特に東南の諸島など、大陸から数キロは離れているはずだが。改めて目の前の溺れていた女が《白の剣鬼》と冒険者たちの間で畏怖されているのだと思い知らされる。
「でも何で急に泳ごうとしてたの? それもこんな人気のない場所で」
「…………」
実に……実に言い難そうな表情を浮かべるシャーリィ。ここまできて黙るのは無しだという視線を三方向から受け、《白の剣鬼》と恐れられる女は渋々といった風に口を開いた。
「……む、娘たちが……学校で水泳を習うというので……」
「あ、納得」
全部言わなくても察することができる。大方、水泳の授業が始まる前に、泳ぎを教えてほしいと言われたのだろう。それで泳げもしないシャーリィは、人目につかない場所で必死に練習していたと。
「ていうか、今の民間学校てそんなの教えるんだ」
「僕が在学してるときは無かったけどね」
「カナリアです。あの魔女の謀です」
夏になって川や湖で遊ぶ子供が増えるが、それに伴い水難事故が多発する。それを問題視したカナリアは、なんと学校の敷地内に水泳訓練用の施設を増築したのだ。
冷蔵保存庫に風呂の器具。調理用に掃除用。果てには冷暖房まで、現代となっては日用に欠かせない多くの魔道具の特許を持っているカナリアだが、今回彼女が作り出したのは大量の水を生み出し、設定された動きなら誰にでも操ることができる魔道具。
それを活用することで小規模かつ疑似的な川や海を作り出し、魚人の講師まで雇って水難時の対処を子供たちに伝授しようというのだ。
「でもよ、それだったらどうして泳げないって断らねぇんだ?」
「…………私にだって、親の威厳というものがあるのです……」
親バカには親バカの苦悩……愛する子供には情けない姿は見せたくないという意地があるらしい。正直、泳げない程度でソフィーとティオがシャーリィに対する評価を落とすとは考えにくいのだが、当の本人はそうは思っていないらしい。
「これまで私は立派な母を志してきました……ですが、今更泳げないなどと言ってあの子たちに失望されたら、私生きていく自信がありません……」
どんよりとした雰囲気を発するシャーリィを見て、レイアは一回り以上年上の女性が不思議と可愛らしく見えてきた。三十路の女に対してこう思うのはどうかと思うが、外見年齢相応の精神でありながら背伸びしようとする姿は妹かなにかのそれと重なる。
「まぁ、こんな所で泳ぎの練習してる理由は分かったけど、意外だよね。シャーリィさんがビキニ着るなんて」
「な……っ!? こ、これはその……!」
ワンピースが濡れて体の線がハッキリとした状態のシャーリィは、全身にタオルケットを巻いて両腕で体を抱きしめる。その姿を見て、クードは居た堪れないように目を逸らし、カイルは顔を真っ赤にしながらもチラチラと横目で見る。
「正直、もっと地味な水着着ると思ってた。それこそ、膝上まで隠れてるやつ」
「……実はこの水着、ユミナさん経由で譲られた物なのですが、私はこれ以外の水着を持ち合わせていなくて……」
「あ、新しく買えばよかったんじゃ……?」
「それは出来ませんっ」
シャーリィは至極もっともな意見を断ずる。
「私だって初めは一番露出の少ない水着を買おうとしました。……ですがその、サイズが合う物が無くて……」
タオルケット越しでも分かる大きな胸が、シャーリィの腕で形を変える。自分の胸板に押しつぶされた谷間の感触と光景を思い出し、カイルは再び吹き出そうになった鼻血を抑え、そんなパーティメンバーの心境を理解したのか、クードは慌てて自分が持っているハンカチでアシストする。
「用意しようとすれば特注になるらしく……そんなものを用意しようと手間をかけている内に、その事がカナリアにバレたら……!」
「それは……弄り倒されるだろうね……」
ただでさえシャーリィの最大クラスの弱点だ。それをあの性格の悪い《黄金の魔女》が知れば、その事を延々とネタにし続けるのは分かり切っている。
「でもどうするんだ? 授業まで日数がないんだろ?」
「それは……が、頑張って覚えます」
天は二物も三物も彼女に与えたが、四物五物までは与えていない。息を吸い込んだにも関わらず、そのまま沈んだカナヅチぶりから察するに、とても数日の間に泳ぎを体得できるとは考えにくい。
どうしたものかと、クードとレイアが顔を向き合わせると、普段仲の悪い二人にしては珍しく、まるで示し合わせたかのようにカイルの両肩に手を置く。
「それだったらよ」
「カイルに泳ぎ方教えて貰えばいいんじゃない?」
「「……え?」」
意味ありげな笑みを携える二人に挟まれながら困惑の声を上げるカイル。彼にとっての暑いではなく、熱い夏が始まろうとしていた。
これからも最低週一更新を守りたい、大小判です。現在は二本目の書籍化を目指していますが、この作品にも妥協はしません。印税で食っていくのが僕の夢ですから。
……それはそれとして、最近更新する度にお気に入り件数が減っていく現象をどうにかしたいです。読者の皆様の心を捕まえるにはどうすればいいのか……皆さんの忌憚ないご意見をお待ちしております。




