決戦の幕
本当なら17時に更新したかった……! でも眠気には勝てなかったよ……。
という訳でタイトル略して元むすです。感想、評価などしてくださると幸いです。
更に、一週間が経過した。気の早い蝉が森林で鳴き、太陽の熱気が燦々と降り注ぎ始めた季節となり、決して公にされぬ政治的意思が介入した戦いの舞台を熱する。
神前試合の場に選ばれたのは帝国の帝都、建国以前より存在した岩山を削り、装飾を施した皇帝の城の一望できる空中闘技場だ。
かつて剣闘士たちが血で血を洗う戦いをしていた、貴族たちの賭場であり、現在では重要な文化財としての一面を持つコロシアムには、審判席に中立の枢機卿を置き、国王エドワルドと王妃アリシア、そして文官や王国兵たちが南側に。
北側には皇帝アルベルトと皇妃アリス。その周囲を固める貴族たちとその息がかかった文官や騎士たちが。
「まさか……再びこの地を踏むことになるとは思いませんでした」
南側に位置する闘技場に続く通路の中で、シャーリィは古い石造りの天井を見上げる。
帝国の狙いはソフィーとティオの二人、ならば王国側の代表として選ばれるのは彼女以外に存在しない。
そしてこれは最早シャーリィたち家族の問題ではない。戦争を抑止するために国王自らの依頼……国の安寧を賭けた重責が一人の冒険者の双肩に重くのしかかる。
もしも仮に親善試合で負けた時の帝国の要求が読めない以上……いずれにせよ、碌なものではないことは確かだが……一国を巻き込む可能性が高く、敗北はあり得ないものとなっている。
「しかし、何でわざわざ帝国まで来てやるんだよ? 聞いた話じゃ、国境で戦ったりするもんじゃねぇのか?」
「さぁ? お偉いさんの考えなんてアタシにはサッパリ」
「カナリア殿の話によると、どうも皇帝が何度も移動することを渋ったそうですな。権力者としてはあり得ぬ話ではありませんが」
「ていうか国王陛下のフットワークがおかしいんですよ。護衛付きとはいえ他国に入るなんて」
そんなシャーリィの近くで雑談に興じるのはレイアとクード、アステリオスやカイルといった、シャーリィが最近よくパーティを組む駆け出し冒険者たちと指導役の四人だ。
「でも、まさかソフィーちゃんとティオちゃんが皇帝の血筋だったとはねぇ」
「しかもそうなると、シャーリィさんは元貴族で皇太子の婚約者って事になるんだろ? どこから来たのかとは思ってたが、これは予想外だったぜ」
「アハハ……私も今でも信じられないし」
「ん、人生何があるか分からない」
そして最後に、当事者であるソフィーとティオも舞台に上がる母を見送る為に集まっていた。
当初は慣例に従い国境の平原で雌雄を決するはずだったが、それを無視して長時間の移動を渋り出したアルベルトとアリス。
そこで下手に出たのが意外な事にカナリアとエドワルドだった。カナリア得意の空間転移魔術があるので王国側の人間の移動に時間が掛からない王国側からの配慮という形で帝国に招かれた国王と王妃だが、それでも緊張状態にある国の真ん中に行くことに臣下一同が猛反対。
カナリア自ら国王夫妻の護衛に徹底するという条件で入国の承認を得たのだが、試合中のソフィーとティオの護衛はどうするかという話になった時、真っ先に思い浮かんだのがアステリオス率いるパーティだった。
「シャーリィさん! あんな女の敵なバカ皇帝、捻り殺しちゃえ!」
「レイア、それは流石に……それに戦うのは皇帝陛下じゃないから」
ビシッと拳を突き出して苛立ちを露にするレイアをカイルが一応諫める。
護衛の依頼をする以上、情報開示は避けられないものがある。守りに特化したアステリオスはともかく、能力だけなら他にも優れた者たちが居るが、ソフィーとティオの血筋は伝播させるべきではないと判断し、しがらみも立場も無くそれなりに気心の知れた彼らを選んだのだ。
四人の内三人はまだ子供の殻が付いた新米で、残りは所得権益に関心の薄い僧兵。人となりも申し分ない。
「股間だ! 奴の股間をもぎ取っちまえ!」
「傷口に塩とトウガラシを混ぜたものを擦り込んでやる!」
シャーリィの過去を聞いた彼らの反応を察するに裏切りも無いだろう。言ってることはシャーリィにとっては下品すぎて、何も言えずに赤面するしかないのだが、精々不敬罪に問われないことを願うばかりだ。
「しかし意外ですな。エドワルド陛下はともかく、魔女殿が相手の下手に出るなど……これは吾輩たちも知らぬ企みが?」
その問いにシャーリィは答えなかった。ただ、闘技場を訪れる前にカナリアはシャーリィに向かって、城を親指で指しながら眩いまでの笑顔で告げた言葉を思い出す。
『ついでじゃ。あの低能トークを垂れ流す坊やの鼻を明かしてやれ。お主もこれまでの鬱憤を晴らしたいじゃろ?』
その言葉の意味するところを正しく理解できてしまうあたり、自分もカナリアに毒されているのではと内心鬱になるシャーリィだったが、今はそんな事はどうでもいい。
「……お母さん」
ティオがシャーリィの服の裾を掴む。
「頑張って……!」
ソフィーが戦場に向かう母の手を握る。それぞれ掴む手が震え、瞳には不安が宿っているのが手に取るように分かるが、それを必死に表には出そうとせずに気丈に母を見送る二人の娘の姿は、静かに……それでいてかつてないほどに激しい闘志が内で燃え上がる。
「大丈夫です……私は必ず勝って戻ってきますから」
鉄面皮が常のシャーリィにしては本当に珍しい淡い微笑みを浮かべ、二人と視線を合わせてその頬と髪を慈しむように優しく撫でる。
颯爽と背を向けて光差す舞台に上がる母の背中を見送る視線と、万感の思いを言葉にできずに発せられた短く拙いエール。
理屈などない。単純なものだが、親と言うのはそれだけで無敵になれるのだ。
一方、シャーリィが居る入場通路とは反対側に位置する通路では、帝国を代表する戦士であるルミリアナが赤い髪を紐で纏め上げ、装飾を施された家宝の魔剣の柄を握る。
そんな直属の騎士であり親友である少女の背中を眺めつつ、ここに至るまでの経緯を思い返して歯噛みする。
神前試合の特性上、国一番の使い手が選出されるのが当然なのだが……今回問題に上がったのは、ルミリアナが若くして帝国一の剣技を持つ騎士であるということだ。
自身に心得は無くても、守られる立場として彼女の剣の冴えをフィリアはよく知っている。
故に、シャーリィの実力を疑う訳ではないが、どうしてもルミリアナに勝利するというビジョンが浮かばないのだ。
ならばわざと怪我を負って出場させないか、負けてもらうように頼むこともできるのではないかというと、そういう訳にもいかない。
まず前者の理由として、帝国側を諦めさせるには一番の使い手を倒す……冒険者風に例えるなら魔物の群れのボスを一番に叩く必要があるからだ。
そうしなければ後から幾らでも難癖をつけられるし、逆に言えば帝国の誰よりも強い者が王国に居ると分かれば誰も挑んでこなくなる。帝国側から神前試合を申し込ませないために必要な事だ。
後者の理由は、ルミリアナの生家であるレグナード家が代々血脈に施してきた一種の呪いが原因だ。
レグナード家は古くから騎士を生業とした家系。一切の怠慢や妥協を許さぬその気風は、魔術に依る強制に及ぶほど。
血筋を媒介に物事全てに手加減が出来なくなるという呪術。普段は研鑽や責務に対して恩恵を与えているが、今回はそれが災いとなる。
極めて強固な呪いで解呪が難しく、主君の命でも抗う事が出来ない。もっとも、僧侶が得意とする審議を見分ける魔術、《センスライ》を使われればそれ以前の話だが。
だからこそフィリアはルミリアナが出場しなくてもいいように画策していたのだが、それらを実行に移す前に突如帝国に現れたカナリアが――――
『そこのレグナード家の小娘を出すと良い。そやつさえ討ってしまえば、残りは取るに足らぬ雑魚ばかりじゃからのぅ』
どの面下げて現れたと激昂するアルベルトや騎士たちを躱しながら煽るカナリアの指名と、またしても怒りに思考が支配されたアルベルトの命に抗う事が出来ずにそのまま出場する羽目に。
一応協力者寄りの立場のカナリアだが、その目的が帝国領土に冒険者ギルドを始めとする商いの手を伸ばすことにある事は分かっている。だからと言って、このタイミングでの宣伝はタイミングが悪すぎる。
「こうなってしまったら最早仕方ありません、姫様。後はシャーリィ殿を信じましょう」
「……ごめん、ルミリアナ。本当なら貴女を応援する立場なのに……」
「私の戦歴よりも姫様が大事にしているものの方が重要です」
状況が状況だけに素直に喜べないが、眼をかけていた剣士と切り結ぶ高揚もあるのでルミリアナにとって悪い事ばかりでないのは確か。
ガラではないと自覚しながら、表面上ではおどけてみたが、フィリアの表情は優れない。
尽力してはいるが、皇女はまだ十七歳。経験も力も足りずに、多くの事がままならず流されてしまう事が多い。それが大切な人の娘の将来が懸かっているとなれば尚更だろう。
せめて王国の《白の剣姫》がこの《守護の剣姫》を越えることを祈るばかりだが……後に彼女は、自分が井の中の蛙であるという事を自覚する羽目になる。
「準備は出来たの?」
「恙無く。何分古い仕掛けなので幾つか修理しながらになりましたが、全て動作確認が完了しております」
かしずく文官を見下ろしながらアリスは返ってきた答えに満足げに頷く。
「卑怯……とも思われるかもしれませんね」
「仕方の無い事さ。冒険者如きに負けるとは思わないが、私たちをあれほどコケにされては万が一があってはならないからね」
「何より帝国の未来の為ですもの。何としても、お姉様の御子には帝国に来ていただかないないと」
そのような事は心の片隅程度にしか考えずに、アリスは聖人面を張り付けながらアルベルトに寄り添う。
本来ならば疎ましい姉の子を次期皇位継承者として据える事に思うところがある。しかし子を望めない自分が側妃の存在を気にせず今の立場を貫くには必要な事であることも自覚しているのだ。
ならば我慢するしかない。精々、皇女教育と称して苛めてやろう。自分の支援者の息子……それも贅沢に溺れて醜く脂ぎった男と無理矢理結婚させるのも良い。
「でも私は心配です。子供たちが厳しい王族の世界でやっていけるのか……せめて私が守り導いてあげないと」
「君は変わらないな、アリス。そんな優しい君だから、私は身命を賭してでも守りたいんだ」
内心で胸がすくことを考えながら、それを悟らせないような言動も忘れない。うっとりと目を蕩けさせながら自身を抱き締めるアルベルトの態度に満足し、アリスは舞台の下に隠された仕掛けを眺める。
「それにしても空中闘技場の下にこのような物があったのですね」
「あぁ。腹黒い話ではあるが、貴族たちの出来レースを成立させる為の物だったらしい」
そこにはカラクリ仕掛けの罠や魔術式の地雷などといった、剣闘士を妨害する幾つもの仕掛けが所狭しと並んでいた。
闘技場とは名ばかりで、貴族への接待や気遣いとして望んだ剣闘士を勝たせる為に、正々堂々という言葉の裏で策謀が渦巻いていた歴史は、フィリアですら知らない帝国の闇の一部。
それが今回、子を守らんとする母に襲い掛からんと鈍い発動音を鳴らしていた。
「でもこれでアルベルト様は大陸に名を馳せる偉大な皇帝としての一歩を踏み出せますね」
「あぁ。これからも君が側に居てくれるなら、私は何処までも駆け上がれるよ」
様々な思想が渦巻く闘技場。帝国としては国の未来を、王国としては民の守護と他国への牽制を、一人の母としては子供の未来を掴む為の戦いの幕が上がろうとしていた。
今回は結構な難産でした。