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拷問剣

本当だったら17時に投稿する予定だったのに……


「く、首が……私の首があああああああああああっ!?!?」


 絶え間なく脳に送られる激痛にルドルフは端正な顔を歪めて悲鳴を上げる。

 しかしそれも無理も無い事だろう。首を断ち斬られ床に転がされたにも拘わらず、生きたまま断面から血を噴出する自分の体を見上げる恐怖など、屈強な戦士でも耐えられる者は少ない。

 通常ではこの時点で絶命しているはずだが、どういう訳か今もこうして生命活動を維持し、肺に空気を取り込む気道が断たれているにも拘らず、こうして叫び続けられる理由をルドルフは死の痛覚も相まって考える事すらできない。


「今は……死にませんよ。これはそういう剣ですので」


 首を斬られてまだ殺さない異形の剣。《冥府の神経(エペタム)》と銘を打たれたその正体は言わずもがな魔武器……それも、魔剣と呼ばれる中でも極めて邪悪とされる一振りによる力だった。

 通称、拷問剣。かつては冥府地獄の執行人が持つとされた魂魄を裂く刃は、ルドルフの命を確かに斬り削る。


「あああああああああああっ!! ひっ、ひぃいいっ……! く、首……! 首がぁ……!」

「黙りなさい」

「がああっ!?」


 喧しい悲鳴を上げてばかりのルドルフの頭を、シャーリィは牛皮の頑丈なブーツで踏み躙る。

 別の痛みに加え、頭上から降り注ぐ冷淡な雰囲気と声にルドルフは悲鳴を止め、横眼を向けるように見上げると、そこには長く白い髪を靡かせる鬼神が殺気を宿す二色の眼で自分を見下ろしていた。


(だ、誰だこれは……!? この冷たい眼を向けるのは……!?)


 それは、ルドルフの記憶にある穏やかなシャーリィの眼ではなかった。母として、辺境の街の住民としての顔は鳴りを潜め、愛が裏返り一国を滅ぼす憎悪に取りつかれた復讐鬼の表情である。


「……貴方は私の娘や近況に感謝した方が良い」


 痛みも忘れるほどの静かに研ぎ澄まされた殺気を浴びるルドルフの心境とは裏腹に、穏やかな声色でシャーリィは呟いた。


「私はあの子たちが生まれてから随分と丸くなりました。この街の冒険者とも馴染み始めて余裕のようなものが生まれたようにも思います。それこそ、帝国の事を忘れるほどに」


 ですが、とシャーリィの穏やかだった口調は一気に氷のように冷たいものとなった。


「貴方がたが私にしたこと……私が許すことなどあるはずがないでしょう」


 忙しくとも血煙に塗れようとも、陽だまりのように穏やかな日々。それによって自身が受けた裏切りと拷問を記憶の彼方に追いやられていたが、消えて無くなったわけではない。


「それをさも自分たちが許されたかのようにすり寄り、自分たちの行いを全て棚に上げて何事も無かったかのように帝国に戻れと告げる厚顔無恥……なるほど、私がどれだけ侮られていたかがよく分かります」


 次期皇太子妃として生きていた頃のシャーリィは慈悲深い聖女のようだと例えられていた。多くの貴族令嬢が嫌がるであろう、孤児院に住む畑仕事で泥まみれになった子供の頭を優しく撫で、子供たちにも慕われる姿は次の皇妃として相応しいと国民に期待されてもいた。

 水を吸うかのように公務を覚え、速さと正確さを備えた実行力は文官からも認められ、それでいて貴族であろうと平民であろうと差別しない気質の持ち主。

 しかし、そうであろうと決めた生き方がこのような愚人をかつての従者から生み出したのかと思うと、それも間違いだったのかと思わざるを得ない。

 断罪の場にはルドルフの他にも、嘗て信頼を寄せていた従者が大勢いた。彼らは床に組み伏せられるシャーリィを侮蔑の眼で見降ろし、一様にこんな感じの言葉を口にしたのだ。


 ――――貴女が愚劣極まりない悪女だとは思わなかった。貴女に仕えたことが私の人生最大の汚点です。


 今思い返せば失笑ものだ。愚劣極まりないのは一体どちらなのか。


「ですがそれだけならまだ良かった。適当にあしらって追い返すだけでも良かった。ここ十年、育児生活が充実しすぎていて貴方たちの事など忘れていたくらいです。――――ですが貴方は、私の娘に危害を加えようとしましたね?」


 直接現場を見ていなくても、普段気丈に振舞う娘の涙を見ただけでも分かる。それを流させたのがこの男であるという事を。

 それは一人の母として決して許してはいけないことだ。それは双子の親として決して許してはいけないことだ。 

 ルドルフはシャーリィの背後に鬼子母神が降りるのを錯覚する。遅らばせながら、自分が恐ろしい何かの逆鱗に触れたのではないかと自覚し始めた。


「今、ここで報いを受けなさい……!」


 エペタムを握る手が、ルドルフには消えて見えた。代わりに襲い来るのは、現在頭とは神経が通っていない筈の手足の末端からゆっくりと削られていく激痛。


「ぎ、ぎゃがあああっがあああああああああああああああっ!?!?」


 致命傷からほど遠い末端から胴体にかけてゆっくりと削られていく怪奇現象を見せつけられる視覚情報と、それに伴う痛みに再び悲鳴を上げる。 

 ルドルフには何が起きているのかまるで見えていないが、実際はシャーリィが手足の端から少しずつ、嬲り殺すかのように、まるで鑢で削るかのように細かく切り飛ばしているのだ。

 激痛に加えて精神的なショックが相まって、ルドルフが気絶するのに十分は掛かっただろうか。

 それまでの間に足を、手を、太腿を、腕を、股間を、肩を剣で削られ続け、意識を暗転させる。


「……はっ!?」


 しかし、そんな甘美な逃避は一瞬で終わりを告げる。意識を失った瞬間、約一秒ほどで意識を覚醒するルドルフ。どういう訳か刎ね飛ばされた首も、削り消された手足も元に戻った状態で。


「ど、どういう事だ!? わ、私は確かに……!?」


 さっきのは幻だったのだろうかと思ってしまうほどの光景に目を白黒させる。しかし、受けた痛みは紛れもない本物だった。

 そもそもショックによる気絶が五秒も満たない短時間で覚醒に至るなど尋常ではない。それが理解できるほどの気力が回復(・・)している事実にも気付かないルドルフにシャーリィは告げる。


「今のは警告です。今度はもう二度と元通りにするつもりはありません」

「ひ、ひぃぃっ!?」

「本来ならばこの手で微塵切りにしたいところですが、生死を問わない賞金首でもない貴方を殺すのは法に引っかかって面倒です。誘拐未遂として大人しく投降し、二度と私たちの前に現れないと誓うのなら気絶させて見逃しても構いませんが?」


 シャーリィの境遇を知る者が聞いたなら甘すぎる、人が良過ぎるなどと言いかねない台詞だった。

 人生全てを報復に費やしてもおかしくはない……事実、彼らの裏切りによって半不死者(イモータル)に目覚めたシャーリィの口から告げられるにはあまりにも信じられない言葉だろう。


「どうしますか? 今すぐ(・・・)言う通りにするのなら見逃しても良いと言っているのですよ?」


 しかし正直な話、シャーリィは最早ルドルフやその背後に居るアルベルト達の事など、無関心と言ってもいい位にどうでもいいのだ。

 ただ二度と愛娘たちの行く末に干渉さえしてこないというのなら本当に見逃してもいいし、危害を加えようとした分は先程ルドルフに与えた痛みに加えてもう五周ほど繰り返し、犯罪者として自警団なり騎士団になり身柄を明け渡すくらいで帳消しにしても良い。

 より端的に言えば関わるだけ面倒なのだが、ルドルフなどに何時までも構っておらず、今頃不安がっているであろう娘の元に駆け付けたいというのが最大の理由だ。


「ひぃ……ひゃああああああああああああああっ!!!!」


 しかしそんな慈悲的ともいえる提案は、恐怖に顔を彩るルドルフによって却下される。

 恐怖の余りに涙と鼻水、涎を端正な顔から流し、情けない声をあげながらシャーリィから背を向けて走り出す。

 先ほどまでの紳士然とした態度や無意識に見降ろしていた様子は欠片も無い。全身を剣で削り飛ばされた記憶が、シャーリィを絶対強者であろうと認め、本能が屈服した浅はかな男の姿だった。


「そうですか。それが貴方の答えですね?」


 しかし、剣鬼から背を向けて曲がり角を曲がった先には、何故か同じように立っているシャーリィの姿が。


「ぎゃあっ!? ひ……くぅっ!!」


 突き立てられたイガリマとシュルシャガナも同じ、見える景色まで同じという二度目の怪奇現象に怯えながら再び背を向けて曲がり角を曲がると、そこにも同じようにシャーリィが立っている。


「ど、どういう事だ……!? なぜどこに行っても……!?」


 右に行っても左に行っても、上に行っても下に行っても、そこにあるのは突き立てられたイガリマとシュルシャガナ、最初の時と全く同じ景色、そして悍ましい邪剣を握るシャーリィの姿。


「この世界は私が支配する領域。その中で私から逃げられるとでも思っているのですか?」


 今度は純然たる体技によって瞬時に間合いを詰められる。そして一閃、今度は胴体を横薙ぎに両断されたルドルフは焼けつくような痛みを感じながら再び床に転がった。

 

「はぁっ……が、ぁ……!」

「……ふん」

「ぐぎゃあああああああああああああああっ!!!!」 


 瞬時に残された下半身を微塵切りにされ、惨めったらしい絶叫を上げる。なぜ脳から完全に切り離された箇所の痛みまで認識できるのか、なぜシャーリィが自分を甚振るような真似をするのかも理解できないまま剣を振り上げるシャーリィを涙目で見上げるしかできないルドルフだったが、彼は耳を疑うようなことを呟いた。


「……あ、あの優しいシャーリィ様が……私にこのような事をするはずがない……!」

「……?」


 思わず剣が止まる。


「そうだ……きっと、まだ《黄金の魔女》に操られているとしか……! 最も信頼の置く私に、このような仕打ちをする訳が……!」


 責任転嫁と言えばいいのか、現実逃避と言えばいいのか、ここまでされてまだ思い出の中のシャーリィに縋りついているルドルフ。

 正直、聞いてる本人からすれば怖気が走る台詞だ。もうこのまま口を封じたかったが、その前に一言だけ言っておきたいことがある。


「貴方たちが私にしたこと……それはもうどうでもいい事です」

「! シャ、シャーリィ様……!? 目を覚まされ――――」

「ですが」


 絶望の中の光明を見たかのように喜色を浮かべるルドルフの言葉を遮り、シャーリィは大瀑布を連想させる重圧を放つ。


「どのような理由があったとしても、娘を狙うというのなら問答無用で断ち斬らせてもらいましょう。それが、王や神であったとしても」


 それは言外に、ルドルフなど視界を横切る目障りなハエの如き存在であると告げていた。

 長年見ぬ間に愚物以外の何者でもなくなったこの男に比喩表現が通じるか定かではないが……少なくとも、希望から絶望へと表情を変えたあたり、ニュアンスだけは通じたのだろう。


「ああああああああああああああああああああああああっ!!!!」


 監獄の異界に悲鳴が響く。意識を保ったまま全身を細かく斬り飛ばされるという耐え難い体験を何十時間、何度も何度も繰り返し、ルドルフはその魂魄に凄まじいまでの傷を負う事となった。




「まぁ、実際には五分も満たない時間なのですが」


 目の前で白目を剥いて泡を吹き、更には失禁まで晒して気絶するルドルフを、シャーリィは実に冷めた目で見下ろす。

 あれほど壮絶な斬撃を受け続けたのが嘘であるかのように、ルドルフの体には傷一つ付いていない……否、実際に斬撃で受けた傷は全て嘘だったのだ。

 それこそがシャーリィが持つ魔剣の一振り、エペタムの力。その能力は刃で切りつけた相手の五感の操作にある。

 脳を焼き切るかのような痛みも、断面から血を噴き出す胴体という光景も、血が飛び散る音も、鼻に付く生臭い臭いも、喉奥から漏れる鉄のような味も、その全てがエペタムが見せた幻覚だ。

 そしてどこへ逃げてもシャーリィが先回りしている光景もタネがある。第二世界《迷獄囚鎖》の法則、単純に敵対者をシャーリィの眼前から逃がさず、常に一対一の戦いを強いるということと、敵対者の体感時間を遅くし、味方のは早くするという、高い知性と理性を持つ生物を追い詰めることに特化している。

 本能剥き出しの魔物には効果は薄いが、人間に近しい生物ならば話は別。シャーリィからすれば五分の戦いでも、敵対者からすればその何百倍の時間を戦っていると錯覚させる事が出来るのだ。


「この二つを最大限に使っての精神攻撃……これで私たちの事をトラウマとして認識してくれればいいのですが」


 わだかまりはあった。狂おしいほどの憎悪があった。しかし、相手は誘拐の現行犯とはいえ、生死を問わずに斬ってもいい盗賊や外道魔術師とは違う。

 一国の君主の系譜に位置する人物の従者なら尚の事。ソフィーとティオに余計な重みを背負わせない為にも、妥協に妥協を重ねて精神攻撃で撃退したのだが、最後の様子から察すると、何となく嫌な予感が拭えない。粘着的な意味で。


「ふぅ…………待たせてしまいましたね」

「ううん、大丈夫」

「……ん」


 術を解除し、気絶したルドルフ共々現実世界へ戻ってきたシャーリィの元にソフィーとティオは駆け寄り、スカートの裾を軽く摘まむ。


「カイルさんも、お待たせしてすみません」

「いや、僕の事は本当に大丈夫です。……だけど」


 何やら言い辛そうな表情を浮かべるカイル。


「……お母さん、わたしたちが帝国の姫様だって言われたんだけど、本当……?」

「……一体、どこまで聞きました?」

「ママが帝国の貴族の生まれで、皇帝のお妃さまだったって……」


 恐らく伝えたのはルドルフだろう。自分たちの都合の悪いことを伝えずに説明したためか、色々と認識の違いがあるものの、血筋だけ見れば確かに二人は帝国の姫だというのに相違は無い。


「なんで私たちにパパが居ないんだろう、お爺ちゃんお婆ちゃんが居ないんだろうって本当はずっと気になってた。でも私たち、やっぱりちゃんと知りたい」

「家族でも隠し事はするものだけど……もう関わったら隠し事する意味も無いよね?」


 二人の瞳に宿るものは好奇の眼差しではない。生い立ちを知って未来を選択しようとする前向きな視線だった。

 思えば少し無茶があったのだろう。同年代の子供が多く居る環境で、母一人子二人で暮らしておきながら経緯を説明しないことは。

 余りに聞き分けが良いものだから、シャーリィ自身も甘えていた。しかしここまできて真実を伝えず、選択肢を用意しないのは培ってきた絆を否定することになる。

 シャーリィは深い溜息を吐き、覚悟を決めた。


「分かりました……貴方たちが生まれてきた経緯、その全てを話しましょう」



ルドルフざまぁ第一弾、とりあえず終了! 続きはルドルフざまぁ第二弾をお待ちください。


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[気になる点] シャーリィの思考が理解できない。なんでルドルフを殺さないの?生かしておくメリットは? 殺さないとストーカーになるのは確定だし、帝国に戻って面倒なことになるのは明らかだろ。 シャーリィも…
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