王と皇女の来訪
日付感覚が狂って、昨日の内に投稿しようと思ってたのにかなり遅れてしまいました。時間に追われない小説家業って怖いですね。
そんな訳でタイトル略して元むす更新です。評価してくださると幸いです。
王国某所、街から離れた平野にその男は居た。
唐突な話だが、双眼鏡越しに眺める開拓地を見据える男にはかつて命を救われたことがある恩人がいたが、その恩人を糾弾して牢へ閉じ込める手助けをしたことがある。
今まで生きてきても見たことが無いほどに美しい女性だった。雪のような白い髪も、宝石を嵌め込んだかのような美しい二色の瞳も、幻想じみた容姿も、全てが彼を魅了した。
叶わない想いがあったのだとしても、そんな彼女に仕えることを誇らしく思っていた。
それが何時の頃だっただろうか? そんな恩人をただただ疎ましく感じるようになったのは。
心優しい妹を虐げる悪女のような側面が本性であると勝手に思い込み、勝手に失望して、挙句の果てに見るに堪えない姿に変えてしまった。
後に彼女が脱獄した時、真っ先に探し回ったのは彼だった。もう一度捕らえて目にもの見せてやると、意気込んだのは良いが、結局見つけることは叶わず捜査は打ち切りに。
「後で全てが誤解であったと知った時は、目の前が真っ暗になったものだ」
全ては誤解だった。彼女も彼女の妹も運命に翻弄された哀れな被害者に過ぎない。それにまんまと踊らされた自分に嫌気がさしたが、幸いな事に彼女はまだ生きている。
今の主君の命令通り、主目的さえ果たしてしまえばそれを追って彼女が現れるはず。そうすれば自分は再び彼女の傍に居られるのではないか。
今度こそ誤解が解け、愛する人二人が仲睦まじく暮らせるに違いないと、当の本人からすれば傍迷惑な思惑が男を突き動かす。
「待っていてください、シャーリィ様。今貴女を迎えに行きます」
そんな身勝手な欲望を抱いたまま、男は大勢の子供たちが通う建築物に目敏く目を付けるのだった。
月末。もうじき蝉の鳴き声が響くであろう暑さが春の陽気に取り替わろうとする時期、シャーリィは冴え冴えとした青空を窓から軽く見上げ、冒険者ギルドの応接間で待ち人の到来に備えていた。
カナリアの話によると、シャーリィに会いに来るという貴人は四人。推測通りグラニアからも話を聞いているらしく、ソフィーとティオを狙った術者や黒幕に関して話があるとのことだ。
「…………」
「……シャーリィさん、紅茶いります?」
「結構です」
「そ、そうですか」
やりづらい。その一念がユミナの胸中を埋める。
約束の十五分前に到着した剣鬼が放つ威圧が応接間をゆっくりと満たす。特別機嫌が悪いわけではないが、これから会う相手は権力者で、シャーリィが生い立ち故に深く関わる事を良しとしなかった人種でもある。
それが面識のあるかもしれない相手で、帝国に居た頃のシャーリィを知っている人物かもしれないとなれば尚の事。
対応を任されたユミナからすれば割と災難だが、カナリアが関わっていることも含めれば警戒心を露にするなという方が土台無理な話でもある。
「む? もう来ておったか」
「お婆ちゃん早く来て」と、心の中で泣き言を零すユミナのささやかな願いが届いたのか、カナリアは豊かな金髪を靡かせながら応接間の扉を開いて入ってきた。
「久しぶり……と言うほどでもないか。元気そうじゃな」
「そうですね。貴方はもう少し弱弱しくても良いと思いますが」
「言ってくれる。妾が弱る等この世の損失じゃろう」
芝居がかった挙動と悪ふざけが混じった口調でそんな事を宣うカナリアを、シャーリィとユミナは冷え切った眼で眺める。
((むしろ寝たきりにでもなった方が世の中天国だったりするのでは?))
カナリアの悪逆ぶりは相変わらずだ。二人とも話に聞いただけではあるが、三週間ほど前に聖国のとある枢機卿に侮辱されたといって、その枢機卿の財産全てを保管していた屋敷ごと物理的に吹き飛ばした挙句に、巻き添えに大聖堂に飾られた由緒正しいステンドグラスを木っ端微塵に叩き割ったらしい。
しかもどういう手を使ったのかは定かではないが、聖国側がカナリアを咎める事が出来なかったとか何とか。裏でどんな脅迫……もとい、取引が行われたのか、考えただけでもゾッとする。
「いやいや、余としてはもう少し大人しくしてほしいものではあるがな」
「同感。時々爽快な気持ちになるから、個人的にはカナリアの武勇伝は好きだけれど」
そんなカナリアの後に続いて入ってきたのは、獅子の鬣のような黒い髪と髭を持つ威厳と不思議な親しみやすさを纏う壮年の男と、その影を踏まないように後ろを歩く銀髪の美女。
思わずユミナが居住まいを正し、シャーリィもソファーから立ち上がろうとしたが、男は軽く手で制した。
「よい。今日は休日を使ってお忍びで来ただけの事。ただの客人の立場であるが故にそこまで礼を求めるつもりはない」
「そうね。今は王国の英雄の一人である貴女に会えて嬉しく思うわ」
今はただの一国民であり、あまり騒がれたくはない。そう言外に告げた王国の君主、エドワルド・ペンドラゴと王妃アリシア・ペンドラゴはどこか人好きする笑顔を浮かべて、机をコの字に囲むように並べられたソファーの上座に座る。
「ユミナよ、ここからは少し踏み入った話になる」
「あ……じゃあ、私は席を外しますね」
ユミナが応接間から離れたのを気配で確認したシャーリィは、隣に座るカナリアにそっと耳打ちをした。
「聞かれたくない話でも?」
「まぁ、そんなところじゃな」
王族の登場に遂に真実味を帯びてきた帝国の関与。そうなれば機密性が発生するのは必然であり、ユミナに席を外させたのは政府やユミナ自身に対する配慮なのだろう。
「……さて、久しぶりだな。そなたの武勇は聞いている。竜王の襲来の際は本当に助けられた。王としても一国民としても感謝している」
「私からもお礼を言わせてちょうだい。本当に……まさかもう一度会う機会があるなんて思いもしなかったわ」
「……そう、ですね。私もこういう機会が訪れるとは微塵も思いませんでした」
それに何より、この場に居るのがシャーリィの事情を真に理解する者だけならば話も円滑に進みやすい。
「お久しぶりです。国王陛下、並びに王妃殿下。お二人ともご健壮のようで何よりです」
「貴女も元気そうで良かったわ。半不死者になったとカナリアの土産話で聞いたけれど、十年以上も前と何一つ変わらない……いいえ、あの時よりずっと綺麗になったわね」
生まれ持っての気質か、元々シャーリィは腹芸が得意ではない。思わず警戒を色を露わにして当たり障りのない返答をしたが、国王夫妻は気にした様子もなく彼女の息災を祝っていた。
「思い出すわ。私が帝国に来訪した際は何時も貴女とエリザベート皇妃がお茶会を催してくれたわね」
「ぷっ……くくくく。シャーリィが優雅にお茶会とか笑えはうっ!?」
ゴスッ! という強烈な打撃音がカナリアの首から発生する。
今でこそ戦場で血霧を生み出し、並み居る魔物や盗賊の首を余さず刎ね飛ばす剣鬼と評価されているし、その上すっかり平民の所帯じみてきた為に優雅な茶会など似合わないという事は自覚しているが、こうして笑われるとそれはそれで腹が立つ。
「そう笑うものではないぞ、カナリア。何気ない所作の美しさは変わらぬし、着飾れば令嬢としても通用するのではないか?」
「そうね。良かったら今度私のお茶会に参加しない? 私、今の貴方にも興味があるわ」
「いえ……生活の事があるので遠慮させていただきます」
あら残念、と冗談めかして引き下がるアリシア。シャーリィは内心、この王妃は昔から変わらないとタジタジだった。
思い返せばこの夫婦はやけにフットワークが軽くて、気が付けば自身の懐の内に潜り込んでくる親しみやすさを持っているが故に距離感を保つのに非常に苦労したのを思い出す。
決して苦手な性格という訳ではないのだが、王族的に庶民を気軽に茶会に誘うのはどうなのかと、最後にあった時と変わらないこちらの眼を真っ直ぐ見る眼差しから視線を外して逃れる。
しかもエドワルドは年相応に外見が変化しているが、アリシアだけ時の流れが遅いかのように変化が見えにくいのはどういう訳か。
もうじき四十路を迎える筈だが、外見は二十代を保っている。隣で首を抑えて悶絶するカナリア印の美容品でも使っているのなら不思議と納得もいくが。
「それであとの二人は? まだギルドには来ていないのですか?」
何か居た堪れなくなって強引に話をすり替える。現在午後一時五十五分、もうじき約束の時刻を越えようとしているが、ギルド内に応接間に入って来ようとする気配は感じられない。
「おっと、話し込んでしまったな。カナリア」
「分かっておる……あー、首痛い」
首を擦りながら指を鳴らすと、何も無い空間に歪みが発生する。《黄金の魔女》の十八番、空間魔術だ。
「言っておくが、これから現れる人物を前にしても騒ぎ立てないでもらいたい。色々な意味で危険故な」
金色に輝く魔力を撒き散らしながら現れたのは、美しい二人の少女。シャーリィやカナリアのような外見だけの若さではなく、十代特有のあどけない表情を浮かべる見覚えの無い赤髪の女騎士に、見覚えのある金髪と空色の眼を持つ姫君。
「貴女は……」
「……お久しぶりです。シャーリィ様」
帝国皇女、フィリア・ラグドール。その名を口に出さず、剣を抜かなかったのは自制ではなく思いがけない人物が登場したが為だった。
まるでソフィーとティオを攫おうとしていた動きに加え、王国との不和を抱える国の重要人物が目の前に現れたのだ。不思議に思わない方がおかしい。
「……話を聞きましょう」
否応が無しに甦る帝国での日々に忸怩たる思いが浮かぶが、それを抑えて続きを促すと、フィリアはシャーリィの対面に置かれたソファーに座り、女騎士はその後ろに控えた。
「正直、嫌な予感が的中したようにも思いますが……一体どういう経緯があって私の娘が帝国の魔術師に狙われることに?」
フィリアは心底申し訳なさそうに顔を歪ませると、絞り出すように、しかし毅然とした声を心掛けながら告げた。
「率直に申し上げます。現皇帝、アルベルト・ラグドール陛下がご息女の存在に気付き、皇位継承者に任命するつもりで帝国に連れて行こうとする動きが活発化しています」
「……なぜそのような事をする必要があるのです? 帝国から見れば犯罪者の娘、皇位継承には問題が生じるでしょう?」
自身を犯罪者と皮肉するシャーリィを見て、フィリアは一瞬泣きそうな顔を浮かべたが、瞼をギュッと閉じてから目の前の二色の眼を見据える。
「今現在、皇帝に子供はご息女二人しかいません。あの女……もとい、アリス皇妃が子を産めない先天性の病であるからとか」
「アリス……やはり皇妃になっていましたか」
かつて自身に生き地獄を味合わせた実妹を思い出す。シャーリィがギルドの重要案件を任されるようになった頃には帝国との交易は途絶え、情報も封鎖されていたのだが、アリスがアルベルトと結婚したことは予想できていた。
「それではそこらの貴族の娘を娶れば済む話ではないですか。皇帝に即位したならば側室が居ても問題は無かったはずでは?」
「それが……皇妃に対してそんな不実な真似は出来ない、愛しているのはアリスだけだと、側室を娶るように進言しても耳を貸さないのです」
自身は婚約者の妹と浮気しておきながら、一体どの口で誠実を語るのか。呆れてものが言えないといった表情を浮かべるカナリア以外の面々を前に、フィリアは恥を忍んで続ける。
「そんな時にご息女の存在を知り、アリス皇妃に向けられた非難を消す為に、お二人を帝国へ連れて行こうとしていたようです」
「…………そんな下らない経緯の為に、娘の将来を奪おうと?」
地獄の底から響く様な怨嗟にも似た唸り声に、フィリアは思わず身を竦め、控えていた女騎士は腰に携えた剣に手を掛けるが、エドワルドがそれを手で軽く制する。
「彼女の言葉が真であるという事は、余が保証しよう。実際帝国に潜り込ませている間者からもその様な報告を受けているし、何より一国の姫が緊張状態にある国に乗り込んできたこと自体がその証明にもなるだろう」
「その事に関しても不思議でなりませんが。なぜ彼女たちはここに居られるのか……機密に関わる事なら聞きませんが」
正直、シャーリィからすれば気になるだけで重要ではない。そんな事よりも優先して聞きたいのは、ここに居る面々が帝国の行いに対してどういう行動をとるのかだ。
「わ、私は帝国に戻って陛下に諦めさせるように行動します。手遅れな部分は多々ありますが、それでも本当に被害を出すわけにはいきませんから」
「そなたは余が娘御たちを政略材料にしようとしているのではないかと危惧しているかも知れないが、政治に関わらないただの国民にそのような事を求めるほど余は人材に困ってはいないのでな。そこについては安心するといい」
そうは言うが、エドワルドはともかくフィリアに関しては信用し切れないシャーリィ。わざわざ国王を挟んで言葉の真偽を保証させるあたりはカナリアの策だろうが、帝国の……それも皇室の人間というだけでも疑惑が拭い去れない。
「今、私なんかがこの場で多くを語っても納得できないでしょう。ですのであと一つだけ、忠言します」
疑惑の視線を向けられていることを知ってか知らずか、皇女は視線を変えずにはっきりと告げた。
「身内の恥を晒しますが、兄は類稀に見る暗愚で、皇妃は国に巣食う寄生虫です」
「こやつ、本当にはっきり告げおったわ」
心底楽しそうに嗤うカナリア。六歳当時の幼い少女しか知らなかったシャーリィからすれば、ここまで口汚く血縁を罵る人物に成長したのかと思うと、なんとも言えない不思議な気持ちになった。
「故にどのような手を使ってくるか分かりません。魔術師まで動員したのが証拠です。もしかしたら、直接人を送り込んで誘拐なんて愚の骨頂ともいえる手段を使ってくる可能性もあり得ますので、どうかお気をつけて」