一方その頃の帝国
今回は難産でしたね。でも何とか週一投稿は守れたぞ!
今回のタイトル略して元むす、起きに頂ければ評価してくださると幸いです。
皇帝が座する巨城は今、主の機嫌が著しく損なわれていることで緊張状態となっていた。
「どうなっている!? なぜ一向に娘が暗示にかからないんだっ!?」
苛立ちと共に振られた腕が調度品である壷を叩き落し、ガシャーンッ! という音と共に破片が飛び散り、控えていた侍女は恐怖で肩を跳ね上げる。
かつての婚約者であった悪女との間に娘が二人も儲けられていた事を知ってから早一ヵ月が経過していた。
緊張状態となっている王国に居る皇位継承者二名を帝国へ連れてくるために、これまで四人の魔術師に遠隔暗示の魔術を依頼したが、最初の三名は呪詛が跳ね返ってきたせいか、その身を切り裂かれて絶命。
四人目は死にはしなかったものの、何らかの方法で防がれて失敗に終わっており、アルベルトは先の四人以上の魔術師を探すことに苦心していた。
「くっ……どいつもこいつも使えない魔術師ばかり……十歳の少女を動かすことも出来ないとは……!」
執務室へ入り、髪を掻きむしって荒々しく椅子に腰かけたアルベルトは、脳裏に愛する妻が即位の時に言ってくれた言葉を反芻する。
『アルベルト様なら帝国……いいえ、大陸に名を馳せる名君になれますよ!』
なぜこうも思い通りにいかないのか。自分は大陸最大の国土を誇る帝国の長、歴史に名を轟かす君主となる男の筈なのに。
湧き上がる苛立ちを王国に暮らす母娘に向けるべきか、失敗ばかりする自国の魔術師に向けるべきか、はたまた自分自身に向けるべきなのか、行き場の無いジレンマを無理やり溜息に変えていると、執務室のドアからノックが聞こえてきた。
「入ってくれ」
「失礼します」
入ってきたのは燕尾服に身を包んだ初老の男性。長年皇室に仕えている侍従長だ。
「フィリア殿下が陛下にお会いしたいと仰っておられますが、いかがなさいますか?」
侍従長の言葉にアルベルトは思わず眉を顰める。
妹姫であるフィリアとアルベルトは同腹の兄妹なのだが、十一年前の一件を機に関係は悪化の一途を辿っており、政治知識を身につけ始めてからは皇帝の政策にまで反論するとんでもない跳ねっ返りに成長した。
「……通してくれ」
「畏まりました」
とはいえ、相手は王国に居る娘を除けばただ一人の肉親。あまり無下にする訳にもいかず、結局は通すことにした。
「失礼します」
幼さを残しながらも凛とした声が執務室に響く。窓から差し込む陽光に煌く金髪と、強い意志を宿した空色の瞳を見て、アルベルトは思わず視線を逸らす。
先帝の娘であり現皇帝の妹、フィリア・ラグドール。アルベルトからすれば実に認めがたいことだが、皇帝である自分や暴走を繰り返す帝国政府よりも強い支持を国民から受ける皇女である。
「お久しぶりですね、陛下。こうしてご尊顔を拝謁するのは半年ぶり程でしょうか?」
「あぁ、君は視察と言って帝国各地を巡っているからね」
とても久方ぶりに再会した兄妹とは思えない口調に、アルベルトは嫌気がさした。
昔は可愛い妹だったが、それが時が経つにつれてアルベルトが苦手な自身よりも優れた能力がある女性へと成長し、無意識にコンプレックスの対象となっていた。
……当のアルベルトはその事を自覚してはいないが、それが兄妹の溝を深める大きな要因でもある。
「ところで、私に何の用かな?」
「それでは単刀直入に。噂で十一年前に帝国を出た姉さ……シャーリィ様が王国在住の冒険者になっており、現在ご息女二人と暮らしていると聞きました」
フィリアは目つきをそのままに、皇帝を責めるような光を目に宿す。
「そのご息女が、陛下と血の繋がりを持っているという事も」
こうしてわざわざ会いに来たことと、その冷たい口調が、皇女はアルベルトがしていることを全て知っていると言外に告げていた。
「何を考えているのですか陛下。緊張状態にある王国の民を……それもよりにもよって、私たちが裏切ったあの方から子を奪おうなどと! 十一年前、あの方が得るはずだった全てを奪っておいて今度はご息女まで!」
「私たちが裏切った? いいや、違う! 彼女が私を騙し、アリスを虐げたのではないか!」
喧嘩するほど仲が良いでは済まされない、険悪な雰囲気が執務室に広がる。十一年前、シャーリィが帝国から出国する以前は仲が良い兄妹であったと事情を知らぬ者に教えれば、到底信じてはもらえないような光景だ。
「まだそのような世迷言を……! 当時挙げられた罪状を事実とする確たる証拠も無いのによくその様な事が言えますね!? どうせあの女に唆されただけでしょう!?」
「義理の姉に向かってあの女とは何だ!? それとも彼女の言葉と涙を嘘だと言うつもりか!?」
「当たり前です! 何が涙ですか。そのようなものは何一つ証拠になりません。それに、皇妃という立場にありながら民も政治も顧みずに放蕩の限りを尽くす女性など、〝あの女〟で十分です」
これがアルベルトがフィリアを嫌厭し始めた最大の理由だ。妹姫は何をどう思っての事か、あの心優しく、政務に心身ともに疲れ果てた自分を癒してくれる、まさに皇妃の鑑ともいえるアリスを毛嫌いしている、というのが彼の見解だ。
実際、ことある毎にアリスを排斥するように仕向ける発言を度々口にし、兄妹の溝はただ深まるばかり。
その上、自分を騙した悪女を変わらず慕っているのだから余計にたちが悪い。
「……今はあの女の事などどうでもよいのです。今は皇帝として、王国民に対するこれ以上の魔術干渉を即刻止めてください。たとえ陛下と血が繋がっており、我が国では皇位継承者と扱われようとも、陛下たちがシャーリィ様を勝手に罪人とした以上、彼女たちはもう何の関係も無い一般人です。それにもしこの事がエドワルド陛下の耳に入れば、周辺諸国は帝国を人攫いの国と蔑むことになるでしょう」
それは信頼だけの問題ではない。最悪の場合、公国や聖国といった、まだ帝国と交易がある国との物流が止まってしまうという、物質的な被害を含めての忠言だった。
「父親が娘を迎えるのにどうして悪評が広まる? そもそもたかが国土が狭い弱小国の囀りなど、無視して問題は無いだろう」
「国土の大きさなど関係ありません!」
アルベルトの言葉に頭が痛い思いをしながら、フィリアは必死に言い募る。
「王国は冒険者ギルドの総本山ともいえる国であり、かの《黒獅子王》は大陸史上稀にみる名君。従える軍隊も精強で、公国や聖国も戦争などという発想に至らないほどの強国です。それに対して、帝国は大多数の国民による税で何とか支えられていますが、現在はあの女がやれ夜会だのお洒落だので湯水のように国庫が消費されていて衰退の一途を辿っています。この両国を比べて、まだ王国との関係を悪化させたいのですか? 民を自分自身の体に例える獅子の怒りに触れても良いと?」
「こ、皇室でありながら帝国を侮辱するような発言をするとはどういうつもりだっ!?」
「陛下が現実を見ておられないから事実を告げているのではありませんか!」
的を外した発言を連発する皇帝に、フィリアはついつい口調を荒らげてしまう。かつて尊敬していた女性たちの姿を思い浮かべて、常に落ち着きのある態度を心掛けるようにしていたが、こうも酷いと声も荒らげたくなる。
「とにかく、即刻王国民に対する干渉とこれ以上無駄な散財はお止めください。本当に国と民の事を想うのなら、今は帝国の現状に眼を向けるべきなのです」
「お、王国に居ようと皇位継承権を持つ娘二人だ。アリスも無用な責任に問われているし、諦めるつもりはない。それに君は散財などと言い捨てたが、妃を輝かせて他国の貴賓や国内の貴族に威を知らしめるために必要な事だ」
「お兄様っ!!」
「えぇい、煩い!」
昔の呼び方を口に出して諫めようとするが、アルベルトは乱暴にフィリアの手を払う。
「わ、私は皇帝だ! 大陸の歴史に名を刻む名君となる男だ! その私の判断が間違いな訳ないだろう!?」
その姿はまるで駄々をこねる子供のよう。諫める言葉も見つからず、ただ呆然とするフィリアにアルベルトは興奮と怒りで血走った眼を向けて、執務室の扉を力強く指差した。
「出ていけっ! 当分君の顔は見たくないっ!」
「……失礼しました」
これ以上は火に油を注ぐようなものだと判断し、フィリアは恭しく一礼してから皇帝の部屋を後にした。
「……はぁ」
「姫様、大丈夫ですか?」
重い溜息を吐くフィリアに、扉の前で控えていた赤髪の女騎士、ルミリアナが駆け寄る。
「大丈夫、心配しないで」
「その顔色を見て心配するなと言われても無理があります。城は休まらないでしょうし、馬車で宿へ向かいましょう。品の良い部屋を取れましたので」
未だ妹姫にとって敵の多い城内を背筋を伸ばして進む主君の一歩後ろを歩く。嘲笑か侮蔑か、様々な悪意を込めてくる輩をルミリアナが目で威嚇しながら共に馬車に乗り込むと、フィリアは毅然とした佇まいを崩して、柔らかい背もたれに体を預けた。
「あぁ、もう……! どうして陛下はいつもああなの? ご自身がアリス皇妃の傀儡となっていることにお気付きになっていないのかな」
「……心中、お察しします。正直なところ、あれは扉越しに様子を窺うだけでも情けないですから」
皇帝の醜態にただただ呆れるしかない二人の少女。それはそのまま、国民の皇室に対する感情を表していた。
「だからあの女は皇妃に相応しくないと言っているのに。姉様が皇妃になっていたらどれだけよかったことか」
「シャーリィ・アルグレイ公爵令嬢……十一年前に冤罪を掛けられ、そのまま王国へ亡命した次期皇太子妃だった方ですよね?」
「……うん」
当時まだ六歳だったフィリアだが、今でもはっきりと思い出せる大好きな憧れの人だった。
未来の義姉だと紹介された彼女はその人並外れた美貌もさることながら、その聡明さや妥協の無い姿勢に憧れ、他者には穏やかで優しい性格に姉のいない姫が懐くのは仕方の無い事。
記憶にある限りたった一年程度の付き合いだったが、まるで本物の姉妹のように仲が良かったシャーリィとフィリア。
両親であった前皇帝夫婦との仲も良好で、近い未来に本当の姉になると聞いた時は心底楽しみにしていたのだ。
「白髪とオッドアイであることから実家であるアルグレイ公爵家からは疎まれていたけれど、その分他の人には優しくて。私はいつも膝の上に乗って絵本を読んでもらってたなぁ」
「話を聞くだけでも分かります。本当に素敵なご令嬢だったんですね」
「うん……それが、あんなことになるなんて」
たった二月、両親と共に国外に付いて行っている間に起こった、断罪という茶番劇を知った時には全てが遅かった。
知らせを受けて慌てて戻ってきたが、当のシャーリィは一月に及ぶ激しい拷問を受けた後に姿を消し、兄皇子の隣には外面だけ綺麗な笑顔を浮かべる毒婦が侍っていたのだから、まだ幼かったフィリアが真相を知ったのは一年も経った後の事だ。
それでもまだ当時七歳。毎日のようにシャーリィの行方を尋ねてようやく教えてもらったのは良いものの、その結果幼子の心には深い傷がつけられ、アルベルトとの間には埋めがたい溝が出来上がっていた。
「だから王国で姉様が生きているって聞いた時、本当に嬉しかったの。冒険者になっている事にも驚いたけれど、もう人知れず亡くなってしまったのではないかと思っていたから」
「……お会いにならないのですか? 姫様なら会おうと思えば」
「会えない」
静かに、それでいて即答だった。
「私たち皇室は、あの方に取り返しのつかないことをしてしまった。姉様も私たちとは会いたくないだろうし」
「そんな……陛下が勝手にしたことを姫様まで背負う必要はないのでは」
「たとえ当時の私が幼くたって、皇室の人間として同じ立場にある者を諫められなかった責任から逃れるつもりはないよ」
王族に皇室。国によって言い方に違いはあれど、一国の頂点に位置する者の暴走を止める役割があるのには変わらない。
どう言い繕ったとしても、アルベルトという皇室の一人の暴走を今尚止める事が出来ないフィリアが、どうしてかつての被害者に会えるだろうか。
「会う資格も無いし、遠い空から姉様の幸せを願うくらいしかないと思ってた……けれど」
「けれど……?」
その前提は、アルベルトがシャーリィの娘二人を狙い始めたことで意味を失いつつあった。
事前に調べて兄が魔術師を雇ってまで誘拐紛いの事を企てるも、悉く阻止されていることは知っている。
ならあの短絡的な兄は次に何をするのか? 仮にも生まれてからずっと妹をしてきたソフィアには大体の見当がついていた。
「ルミリアナ……これは公的なものではないからお願いになるのだけれど」
かつて姉になるはずだった人が、再び兄の手によって大切なものが奪われようとしている。たとえ皇女の身であっても動く理由はそれで十分すぎる。
世界一フットワークの軽い姫君は、ある種の決意を固めて親友兼従者の瞳を真っ直ぐ見据えるのだった。