魔女の暗躍
今回の元むす(略称はもうこれで定着させたいと思う)は久々にシャーリィが登場せず、カナリアが悪巧みをする話です。お気に召しましたら評価してくださると幸いです。
今は遥か遠い空と地に蠢く知恵ある魔物の大群と、それらを統べる将竜や戦竜、群れの頂点に位置する竜王が辺境の街に向かっている最中、ソフィーとティオは借家の窓から西の方角を眺めながら迎撃に赴いた母を想う。
「ママ……大丈夫かな?」
「ん……きっと大丈夫」
授業参観まで三日を迫った今日、シャーリィは申し訳なさそうな顔で二人の頭を撫でて告げた。
『大きな魔物の群れがこの街に迫ってきています。私が今から迎撃に向かわなくては街に被害が出かねないので、申し訳ありませんが授業参観に出られないかもしれません』
何と戦うのか、それを告げずに母は家を空けた。
学校に来ることをやたらと楽しみにしていたシャーリィが当日居ないかもしれないことを、ソフィーもティオも残念には思わなかった。思わないようにしていた。
母は冒険者。自由であれど、救いの声に応える者。街と、そこに住まう人々を救うために戦いに赴いた母を、娘がどうして責められようか。
(でも、ママはなんだかんだ言っても行事とかに間に合うように帰ってきてたのに)
人は誰しも今までに無い事が起こると不安になる。それがたった一人で自分たちを育ててくれた母の事だとすれば尚更。
「大丈夫」
「ティオ?」
不安を断つように静かに呟いたのは、双子の妹だった。
「お母さんは大丈夫。案外、早くに終わらせてひょっこり帰ってきたりすると思う」
窓の柵を握りしめる妹の手が震えているのを見て、ソフィーはハッとする。
姉の不安を察してあえて強気になっているが、ティオも少なからず不安なのだ。
「……うん、そうだよねっ。いつもより時間が掛かっても、そこはママだし!」
ソフィーも不安を吹き飛ばすように努めて明るく答える。今抱いている不安もただの杞憂だし、何よりシャーリィは強い。
実際に戦っているところを見たことが無い二人でも、冒険者たちの噂で母の雄姿をよく耳にする。
所作は華。戦場に立てば右に出るもの無しと謳われる武技で数多の魔物を駆逐する《白の剣鬼》がそう簡単に負けるはずがない。
「さ、早く寝よう? あんまり夜更かしてて後でママにバレたら怒られちゃうし」
「果たして……その時は訪れるかのぅ」
「っ!?」
その声は気配もなく、双子の背後から発せられる。慌てて振り向いてみると、そこには自分たちと同じくらいの年頃に見える金髪の美少女が妖艶な笑みを浮かべて佇んでいた。
「夜分遅くに邪魔するぞ、シャーリィの娘御たちよ。お主らに少し伝えるべきことと、問うべきことがあってのぅ」
「えっと……?」
「ギルドマスター……名前は確か……カナリアだったっけ?」
「如何にも。自己紹介は必要ないじゃろう」
目の前に居る見た目だけは幼い老獪な魔女を二人は知っていた。幾度かマーサやシャーリィの話に聞いていたし、実際宿で会話している姿も見たことがある。
「あの……さっきの言葉どういうことなの? その時が訪れるかどうかって」
「その様子じゃと、何も聞いておらぬようじゃのぅ」
カナリアは双子に気付かれない程度にわざとらしく憂いを帯びた表情を浮かべる。
「あやつが何と戦うのか、それも聞いておらぬのか?」
「……それが何?」
ティオは無意識に握り込んだ拳にじっとりと汗が滲むのを自覚した。目の前の魔女が、まるで災厄を告げる預言者か何かのように見えてならない。
「今この街に向かっている魔物は竜の王と、それが率いる巨竜が十頭、更にその配下に数百もの魔物。シャーリィはのぅ、万夫不当の怪物どもが率いる軍勢と刺し違える覚悟で立ち向かいに行ったのじゃ」
ソフィーとティオは言葉を失った。
母が死ぬことなど想像もつかなかったと言えば、それは嘘になる。しかしそれをよりにもよってギルドマスターによって改めて言葉にされると、その事実が幼い背中に重く圧し掛かった。
「竜の王って……それに数百の魔物の大群を一人で戦うなんて、そんなの!?」
「…………」
竜王もまた伝説に語り継がれる存在。それが率いる魔物の群れとの戦いなど、いったいどれほど絶望的なものなのかは想像に難くはない。
二人の脳裏に屍の山の上で息絶える母の姿が浮かんでは消えるのを繰り返される。これが現実のものとなると思うと、視界が揺れて目の前が真っ暗になった。
「ママ……どうしてそんな戦いに……?」
「どうして? 決まっておるじゃろう」
カナリアは双子の目を覗き込むように告げる。
「お主らを守るため。それ以外に何がある?」
「わたしたちを……?」
「人に限らず全ての生物は住む場所無くして生きてはいけぬ。ならばお主らの手を引いて逃げるか? それも出来ぬ。如何に超人とはいえ、子供二人を連れて竜の翼からは逃れられぬからのぅ」
心配するなと、そう言って戦いに赴いた申し訳なさそうな表情を不意に思い出す。あれは授業参観に行けなかったことに対するものではなく、永遠の別離を込めたそういう顔だったのではないのか?
「子の為ならば命など惜しくはない。古来より母とはそういうもの。あ奴はの、お主らの生きる場所と未来を守るために死地へと赴いたのじゃ。……まったく、もしやと思って来てみれば娘に一言も告げずに逝くとは」
馬鹿者め……と、心底忌々しそうに、それでいて悲しそうに聞こえる様にカナリアは吐き捨てる。
その様子が事の深刻さを表しているかのように見えて、ソフィーとティオはあまりに無力な自分たちを呪った。
いつか冒険者となって母と共に旅をする力を手に入れると誓った二人。この際、年齢などという理屈は関係が無い。
どうしてもっと早く力を手にする事が出来なかったのか、幼さなど言い訳にもならない〝悔い〟が心に罅を入れていく。
「妾も手助けしたいところじゃが……生憎と手が離せぬ状況での。こうして短い時間を作る程度のことしかが出来ないのじゃ。そこでお主らに選択肢を与えようと思ってのぅ」
「せ、選択肢?」
カナリアは清々しいまでの笑みを浮かべて、幼い少女たちに提案を持ち掛ける。
「どうじゃ? お主ら、街の冒険者ギルド全体に母を助ける様に依頼してみぬか? シャーリィほどの実力者なれば、人手さえあれば大多数を生き残らせたうえで街に帰って来れよう」
「で、でもわたしたちお金ないし」
「それに他の人まで危険に晒すなんて……」
母を救ってほしい。それは紛れもない本心だが、それを理由に他者の命を天秤にかけられるほど二人は成熟してはいない。
その心を見透かすように、カナリアは優しく幼子たちを説く。
「何、気にすることは無い。どのような危険な依頼で実力が伴っておらずとも、受ける受けないかは冒険者次第。妾に出来るのは莫大な報酬を用意することじゃが……竜の群れを退治するなどという伝説に名を刻みたくないという冒険者など、そうそう居る者ではないのじゃ」
カナリアは確信と共に答える。分を弁えずに命を賭すのは確かに愚かな事だが、馬鹿と罵られようとも伝説に挑まずにして何が冒険者か。
その栄誉をいけ好かない女が独り占めしようとしているのなら尚の事。この街の冒険者ならまず間違いなく話に乗ってくる者が多いだろうと、カナリアは知っている。
「無論、タダとは言えぬ。冒険者は決して慈善事業ではないからのぅ。妾が冒険者に支払う対価を、お主らには別の形で妾に返してもらうことになるが……どうする? 母を助けたくはないのか? 妾としてもシャーリィほどの冒険者を失うのは痛手なのじゃ」
スッと差し伸べられる白く小さな手。死地へ赴いた母。どのような対価を求められるかすら分からない条件だが、彼女たちの答えは決まっている。
「お願い……!」
「ママを助けてください……!」
カナリアの手を取り、深く頭を下げるソフィーとティオ。その姿を見て、《黄金の魔女》の口角は三日月の様につり上がった。
タオレ荘から誰も居ないギルドの一室……辺境の支部にある自分用の部屋へと転移したカナリア。
しばらく机の前に座り、思案気な顔でジッと目を瞑っていたが、突然思い出したかのような高笑いをあげる。
「ククククク……ぬははははははははははははっ! 容易い! 実に容易く事が上手く運んだ! 否、流石は妾と言うべきかのうぅ!?」
悪の総大将がいるのなら、まさに今の彼女のような者を指すだろう。それほどまでに幼い相貌と声による笑いは邪悪さを醸し出している。
「互いに想い合うがゆえに妾に踊らされるとは……実に愛い。実に愛いではないか!」
方や娘の授業参観に参加したいがために半信半疑ながら助力を求めたことで言質を取られた、竜王すら圧倒する最強の母。
方や伝説の魔物が率いる軍勢を前に、娘を守らんと母が立ち向かったと信じて魔女に助けを請うた《白の剣鬼》の愛娘二人。
見る者が見れば愚かともいえる選択。にも拘らず、カナリアの邪悪な笑いには嘲りといった感情は一切感じ取れない。彼女は本気で踊らされる哀れな母娘を愛でているのだ。
「よかろう。よかろうではないか! いじらしい母娘の願い、この妾が代償付きで叶えて見せよう!」
そうなると忙しくなる。防衛準備もさることながら、明日までに動ける辺境の街の冒険者を説得できるだけの金貨を用意し、演説を考えなければならない。
金だけで命を懸ける者はそういない。冒険者を動かすのに必要なのは、何時だって浪漫と栄誉であると昔からの相場で決まっている。
そしてそれら全てを容易く用意できてこその《黄金の魔女》。そしてその代価は、白髪の母娘から必ずや搾り取ってみせる。
「さぁさぁ、まずは報酬を考えるとしよう。とりあえず参加報酬は一人頭金貨百枚で良いかのぅ? 後は貢献度に応じて報酬が増額していくとして……雑魚の魔物一匹に金貨二枚。ドラゴンを退治すれば金貨更に百枚。竜王を退治すれば金貨五百枚くらいでいいじゃろ」
適当にとんでもない金額を独り言で提示するカナリア。その片手間に演説の台詞をメモ用紙に殴り書きにしていく。
「うむ。我ながら中々の出来栄えじゃが……いかんせん、ここの支部長は小物じゃからのぅ。あ奴に言わせても迫力が足りぬじゃろうな。ハゲをヅラで隠しておるし」
まったく関係の無い所で支部長の秘密が暴かれるが、幸運にもそれを聞いている者はいない。
ちなみに件の支部長、ストレスの発散気味に受付嬢や部下に強くあたったり、Bランクから上に昇格しようとしない冒険者を無理に昇格させて自分の負担を減らそうとしている反面、カナリアの無茶振りに度々振り回される割と可哀想な中年だったりするのは、完全な余談だ。
「さぁ、もうじき妾の新企画を見定める時が来る。ついでにシャーリィのすまし顔を屈辱で歪める、その瞬間もな。クククククク! あーはっはっはっはっはっはっ!!」
バンッ! と、机に叩きつけるように置かれたのはクリップで束ねられた企画書。
その表紙には黒い字でデカデカと『メイド喫茶』と表記されていた。
如何でしたでしょうか? 感想頂けると幸いです。




