夜が明けて
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夜が明け、朝日がジュエルザード鉱山を明るく照らし始めた頃。
教会で加護を与えられた聖釘を騎乗竜の周辺を取り囲むように地面に突き刺し、アステリオスは首に下げた鐘を鳴らす。
カランと、涼やかな音色。これこそが彼にとっての自身への暗示であり、世界の法則に干渉する魔術の詠唱だ。
合計にして十五本の聖釘が光の線で結び合い、面を成す。一行の移動の要を取り囲むように光の障壁が形成された。
「とりあえず、これで鉱山に行っている間に騎乗竜が逃げることや襲われることはほぼ無くなったでしょう」
魔術という現象を維持するのに、基本的に魔力を流し込み続けなければならない。
術者が遠く離れ、魔力の供給が断たれれば、発生した現象はたちまちカタチを失い、大気に混じって霧散する。
それを防ぐために開発されたのが聖釘を始めとする、あらかじめ魔力が込められた魔道具の数々だ。
「ではこれより、ジュエルザード鉱山攻略を開始します。各自、装備と道具の点検を開始。全員の準備が整い次第突入しますぞ」
頭目の言葉に全員が頷き、アステリオスとカイルやレイア達Eランク冒険者はポーチの中身を確認して武器と防具の最終点検を行っているが、シャーリィはポーチの確認だけ終わらせてその様子を見守っていた。
「シャーリィさん、あんた武器の手入れをしなくても良いのかよ?」
「ていうか、丸腰じゃない?」
訝しげな眼を向けるクードとレイアを納得させるため、シャーリィは浅い息を溢して宙空へと右手を伸ばした瞬間、何も持っていなかった筈の手に何時の間にか一振りの湾曲剣が握られていた。
「問題ありませんので、ご心配なく」
「ほう、珍しい。これはもしや空間魔術の一種ですかな?」
瞠目する二人の隣で、アステリオスは物珍しいものを見たと言わんばかりの眼を向ける。
「使い手がかなり少数の魔術と聞き及んでおりましたが、シャーリィ殿もその使い手で?」
「いいえ。これは魔女から譲ってもらった魔道具を応用しているだけです。剣は血脂で濡れればすぐに切れ味が落ちますから」
「応用……ふむ、詳しく聞きたいところですが、これ以上は教えてくれぬそうですな」
「ええ。〝自慢気に手札を明かすものはバカを見る〟、です」
その言葉は、冒険者の間で不吉を表す格言の一つ。アステリオスはそれ以上は追及せず、あえて話の腰を折る。
「しかしそうですか。魔女殿の力を借りたのなら、その異様も納得がいくと言うものです」
「ねぇ、さっきから思ってたんだけど、魔女ってもしかしてギルドマスターの事?」
疑問……というよりも、確認を取るように問いかけるレイア。
「まさしくその通り。女性の魔術師は数知れずといえ、我々冒険者の間で魔女といえば彼女の事を指しますからな」
「へぇ~、武器一つ取り出すのにそんな事するなんて変わってるね」
「それは貴女にも言える事でしょう」
短剣を手入れするクードや、幾つもの金属釘を突き刺した棍棒の手入れをするカイルよりも手間暇かけてレイアが点検しているのは、ドワーフが開発した遠距離武器であるクロスボウだった。
「ハーフとはいえ、エルフは弓を愛用するものと思っていましたし、何より種族的に対立することの多いドワーフの武器を使うというのは少々意外です」
「まぁ、アタシは生まれも育ちも王都だから、別にドワーフがどうこうって思ったことは無いかなぁ。ディムロスのおっちゃんも何だかんだで優しいし」
「……レイアさんも、ディムロスさんの店を?」
「うん。街に来た時から親切にしてもらってて……って、シャーリィさんもおっちゃんの店に行ってるんだ!?」
思わぬ所で共通点を見つけ出した女二人。
「街に鍛冶屋は幾つかありますが、中でも一番腕が良いので」
「確かにね。あそこは良い弓も置いてるんだけど、個人的にはクロスボウの方が得意なんだよね」
「腕が短くて弦をまともに引けないもんな」
無言でクードの向う脛を連続で蹴り始めるレイア。弓矢というのは弦を強く引けば引くほど威力を増すものだが、子供並の体躯しか持たない彼女の腕の長さや筋力では扱い難いのも無理は無いだろう。
「それはそうとシャーリィ殿、この子らが鉱山に入る前に、バッドボノボの死体を一つ持ってきて欲しいのですが」
「構いませんが、何に使うのです?」
「なに、彼奴らをおびき出す為に、《ヘイトエリア》を使おうと思いましてな」
戦略用の儀式魔術には、軍や群に対して敵対心を煽るものが存在する。《ヘイトエリア》もその内の一つで、規模や効果に僅かな違いあれど、これらの魔術の共通点は敵の死体を媒介にすると言うことだ。
しかしこういった道徳心に反する魔術を好んで使うのは信仰を持たぬ族か、必要事項と冷徹に割り切る軍師と相場が決まっており、逆に僧侶のような神に仕える職には嫌厭される手法なのだが。
「……貴方、偶に破戒僧と呼ばれることがありませんか?」
「何を仰られるか。確かに残酷な手法ではありますが、使える技を使わずに味方を殺してしまうことほど業の深いものはありませぬよ」
「それもそうですね」
信念に殉じて自分が死ぬのは勝手だが、それに他人を巻き込むのは確かに女神の信仰に反する行いだろう。
戦いは綺麗ごとでは勝てない。例え教会に引き籠っている神官に罵声を浴びせられても、泥を被って仲間が生き残る道に殉じるのが僧兵の戦いだ。
「それでしたら、斥候の彼を連れて行きたいのですが。新人育成という目的もありますし」
「え? 俺?」
レイアと喧嘩をしていたクードが突然の指名にキョトンとした表情を浮かべる。
「その前に一つ質問があります。貴方は、《サイレンス》の魔術が使えますか? 斥候なら大抵使えると記憶しているのですが」
「あぁ、使えるけど」
「それなら問題ありません。私と二人で先行するので付いて来てください」
背を向けて鉱山に向かうシャーリィ。思わずアステリオスの方を見ると、人間からは表情が分かりにくい牛頭で小さくうなずかれたクードは、慌てて白い髪を追う。
徒歩ですぐに辿り着いた緑少ない岩山は、山風の音に混じって無数の鳴き声のようなものが微かに響いていた。
この鳴き声の正体こそが群れで蠢く悪しき猿共の声であり、その奥には竜が待ち構えているのだと思うと無意識に足が竦む。
「私たちはこれから鉱山攻略に必要なバッドボノボの死体を一つ入手しなければなりません。ですが、作戦開始前に騒ぎを起こして警戒されるのは愚策です。咆哮で遠くの仲間とも連携を取るバッドボノボに連絡を取らせず仕留めて死体を持ち帰らなければなりませんが、どうすればいいか分かりますか?」
「え?」
それを教えてくれるんじゃないのか? そう言いたげな戸惑った表情を浮かべるクードに、シャーリィはぴしゃりと言い切る。
「想像力は冒険者の武器です。相手が何をしてくるのか、手持ちの手段で何が出来るのか、そういった思考を止めた者から死んでいくことになります」
「た、確かにそうだけどよ」
「私は貴方の指示に従いますので、貴方はこの場に居る人手や使える魔術道具を駆使して実行してみてください」
どうやら彼女は教える相手には考えさせるタイプらしい。一見突き放しているようにも見えるが、そう言われると反論のしようがない。
(とは言ってもなぁ……この手の魔物って基本的に三体以上で行動してるから)
こちらの手札は分かっているが、相手側の情報が少ない。故に彼はまず斥候らしい選択肢を選んだ。
「《沈黙・展開》」
小さく呟かれた二節の詠唱と共に半円状に広がる不可視の力場。この中に捉えた全ての〝音〟を封殺する斥候の要の魔術、《サイレントフィールド》だ。
今のクードの力量では前後上空に二十五メートルが限界だが、それでもパーティの足音や物音を封じるには十分な範囲。
しかし流石に今はそこまでの大きさは必要ない。クードとシャーリィの二人を覆えるほどの範囲に展開し、索敵を開始する。
(居たっ!)
目標の魔物は少し探索するとすぐに見つける事が出来た。全身を黒い体毛に覆われた一見普通の猿にも見えるが、目の前で五メートルほど間隔を開けて行動する四体の魔物共は頭から三本の角を生やし、鋭い牙を剥き出しにしながら辺りを見渡している。
(流石頭の回る魔物……警戒されてるな。それにしてもあの杖を持ってる奴……何だっけ?)
投擲紐を持つ三体とは別に、残りの一体は杖を持ち歩いている。聞き覚えがある生態なのだが、それが何かが思い出せない。
思わず顔を顰めるクード。するとシャーリィは手元に短剣を出現させ、おもむろに近くの岩を切り刻んでいく。
無音空間に覆われたまま、まるでチーズを裂くかのように削られる岩には文字が刻まれていた。
『投石紐、三。魔術師、一』
どうやら自分が何に悩んでいるのか、表情で見抜かれたらしい。しかしそうか、杖を持っているのは魔術が使える猿だったと書かれて思い出したクード。
(問題は、どうやって叫び声を上げさせずに仕留めるか、か)
近づいて《サイレントフィールド》の有効範囲に収めてしまうという手を真っ先に思い付いた。
しかしそれは逆に言えば、有効範囲から出られたら助けを呼ばれて騒ぎになってしまうという事。
すばしっこいバッドボノボ四体を捉えながら全滅させられると断言できないクードはシャーリィを見て、懐からメモとペンを取り出して伝えたい言葉を素早く書き込む。
『魔術師を《サイレントフィールド》に捉えるから、その隙に残りの三体を瞬殺することってできる?』
元々気付かれずにバッドボノボ四体を、クードを中心に展開される《サイレントフィールド》の有効範囲に入れるのは極めて困難だ。
近づけばどうしても気付かれるため、遠くから有効範囲に収められるのは精々一体。一番厄介そうな魔術師だ。
なのでここは他人任せ。力量不足をまざまざと見せつけられて悔しくはあるが、目的を達するために潔くベテランの手を借りる事を選択肢に置いた。
しかし、だからと言って自分の要求もまた無茶であるという事は自覚している。分散した三体の魔物に叫び声を上げさせる間も無く倒すなど流石に高望みが過ぎると思っていたのだが――――
『問題ありません。ソレでいきましょう』
岩に新しく刻まれた文字を見て思わず面を食らう。まさか本当に出来ると返答が来ると思わなかったクードだが、シャーリィに催促されて無言のまま三十秒ほど時間を要して自身に暗示をかけ、《サイレントフィールド》範囲を拡大化させる。
「っ」
魔術師の猿を無音空間に捉えた瞬間、彼女は湾曲剣を手に動き出した。
回り込んで魔術師の猿の死角からの奇襲。何らかの身体強化魔術を使っているのか、クードにはその速度を捉える事が出来ず、白い閃光、もしくは旋風を幻視した。
うねる白い髪が通り過ぎた瞬間に、首から血を噴出させるバッドボノボ。魔術師を除く他の二体が目を見開いて咆哮をあげようとするが時すでに遅く、仲間を呼ぼうとするその喉が震えるより先に刃が閃き、瞬時に二体の猿の首から血飛沫が飛ぶ。
(コレ俺要らなかったんじゃねぇの!?)
無音の魔術を使わずに殆ど無音で仲間三体を斬殺したシャーリィに魔術猿はまだ気づいていない。
むしろ魔術猿の死角から首でクードに残り一体を倒せと、当初の作戦通りに進める様に催促している位には余裕がある。
まさか自分がたてた無茶苦茶な作戦を本当に実行されたことに呆れつつ、クードは岩陰から飛び出して魔術猿に向かって一直線に突貫する。
「――――!! ――――――!? ―――――――!!」
短剣を手にして自分に向かってくるクードを見るや、仲間を呼ぼうと叫び声をあげるが、その声は《サイレントフィールド》の影響で響かない。
咄嗟に魔術で迎撃しようと詠唱を唱えるが、その声が耳に入ることは無く、自身に暗示をかけるという工程を失敗して不発に終わる。
これがルーティーンで魔術を発動できる者ならこうはならなかっただろうが、〝音〟で自身に暗示をかけ、世界の法則に働きかける魔術師にとって、《サイレントフィールド》は鬼門中の鬼門だ。
バッドボノボからすれば何がどうなっているのかは分からないが、魔術を使えないと理解した時点で逃げを選択するも、既にクードは短剣の間合いに猿を捉え、抵抗できない様に頭を押さえつけながらその喉笛を切り裂いた。
「基礎能力に行動の遅さもあって及第点……とは言えませんが、その慎重さは見所があります。これから経験を積めば良い斥候になれるでしょう」
息を吐いて《サイレントフィールド》を解除すると、そんな言葉がシャーリィの口から聞かされる。
認めたくはないが自分がたてた作戦にアラがあったことを自覚していたクードは、まさか褒められるとは思っておらず、思わず瞠目する。
「ですが、見過ごせない点が一つ。《サイレントフィールド》の発動と操作をするのに音を頼るのは止めた方が良いです。ルーティーン、出来れば無詠唱で二秒以内を目標とすると良いでしょう。後、精密な操作も課題ですね」
しかし飴を与えられたかと思いきや、しっかりと鞭も与えられた。確かに詠唱を頼らずに効果範囲を操作するのに時間を掛け過ぎたので項垂れるしかないのだが。
「さぁ、何時までも死体を放置しておくわけにはいきません。他のバッドボノボに見つかって騒がれる前に埋めてしまいましょう」
「あ、それなら俺、地属性魔術が使えるぜ」
剣同様、何時の間にか手元に握られていたシャベルと地属性魔術で三体のバッドボノボを地面に埋め、残り一体の死体を引きずりながら、二人はアステリオスたちの元へ戻るのであった。
いかがでしたでしょうか? 幼女が出て来なくて皆様の不況を買いそうで怖いのですが、それでも評価してくださると幸いです。
 




