復縁要請と書いて……
手紙の束を渡して退室する職員を尻目に、シャーリィは思わず眉根を寄せた。
帝国から王国への人の出入りこそ制限されているが、物品に関してはそうではない。この大陸ではカナリアの子孫の一人が代表を務める郵便局が、国や人種を問わずに手紙や物を運ぶ仕事をしており、郵送物を一時預かる保管庫で呪物や爆発物といった危険な物でないかどうかを徹底的に調査される。
かつては危険物を送り付けて敵対者を殺すことが横行していたという混乱期を生きてきたという郵便局の代表。そういう経緯もあって、外包から危険物を探知する技術には特に力を入れているらしく、郵便局創立以来、危険物が送り先に届けられたことは一度もないらしい。
その信頼があるからこそ、郵便局を通じた場合にのみ、仮想敵国である帝国から王国へ公に物を送ることが許される。そもそも幾ら敵国だからといっても、書簡のやり取りを一切しない訳にはいかないので、当然と言えば当然のことだ。
なので皇帝アルベルトが王国に手紙を送ること自体は不思議ではない。……のだが、どうしてその宛先が国王や貴族ではなく、シャーリィなのか。
「理由は何となく察していますが」
大方、ソフィーやティオの身柄を渡せとか言ってくるのだろう。父親として法的に認知することを認めてはいないし、ありがたいことに国王や王妃も庇ってくれている。最早別に気にすることでは無いのだが、こうして自分の元に手紙を送られてきたのは初めての事だ。
「ふむ……一体どんな面白いことが書いてあるのか、ちと気になるのぅ」
「ひゃ!? ギ、ギルドマスター!?」
突然虚空から現れ、数ある封筒から一枚手に持って照明に翳すカナリアにユミナが跳ねるように驚く。
「シャーリィさん! あのバカ皇帝から手紙届いたって本当!?」
「レイアさんまで……一体何なのですか?」
破壊しそうな勢いで扉をあけ放ち、応接室に飛び込んでくるレイア。同じ部屋に女が四人集まり、次第に姦しくなってきた現状にシャーリィは溜息を吐いた。
「いや、ごめん。なんかバカ皇帝から手紙が……って聞こえたもんだから、つい心配になっちゃって」
「貴女は……はぁ。まぁ……良いです。心配してくれたのは、決して煩わしく思いませんから」
何度か世話を焼いた、いわば職場の後輩だ。素直に心配して駆け込まれては、シャーリィとしても邪険にし難い。
「妾はただ面白そうじゃから来た」
「カナリアは今すぐ帰りなさい」
「妾の扱いが際限なく軽くなってきておるのぅ」
しかし特に気にすることもなく、堂々とソファを占有して居座るカナリア。追い出そうとしても聞かないだろうし、早々に追い出すことを諦めたシャーリィは、カナリアが手にしていた封筒を奪い返す。
「封蝋は……確かに皇室のものですね」
ということは、間違いなく本物のアルベルトの手紙ということだ。シャーリィは《勇者の道具箱》から短剣を取り出し、目に留まらぬ速さで全ての封筒の封を切り、手紙を取り出す。
「……何か、一つの封筒から手紙が何枚も出てくるんですけど」
「何と書いてあるんじゃ? 妾にも見せぃ」
「急かさないでください、ほら」
これが他の人物からの手紙なら、プライバシー的な理由で見せようとは思わないが、相手はアルベルト。なら別に良いかと思ったシャーリィは、他の三人にも見えるように手紙を机の上に広げた。
『いつか……幼い日に出会った私の片翼へ。
私たちが離れ離れになってしまってから……もう、十年以上の月日が流れてしまったね。
その時からかな……私はシャーリィという名の……君は私という名の片翼を失い、地に堕ちてしまった。
まるで永遠の愛という名の太陽に向かって飛び立ち、身を焦がす灼熱に翼を失ってしまったかのようだ……。
翼を失い、氷の大地で藻掻く一羽の鳥……それが私たちだったんだ。
悪い魔女に騙され、共にナイトメアの深淵に墜ちてしまった私たち……夢も希望も全て無くし、愛という道標を見失った哀れな鳥。
失ってしまった愛の軌跡、それを取り戻すために今、君という翼を取り戻しに行くよ。
初めて出会った日……日陰に咲く小さく美しい花だった君を見た時から、私は運命を感じていた。君も……そうだったんだろう?
だからほら……意地を張らずに私の元に戻っておいで……?
邪悪な《黄金の魔女》や、その下僕の事なんて気にしなくたっていい。どんな障害が私たちを阻もうとも、君の可憐な唇から紡がれる愛の言葉の数だけ、私は何度だって立ち上がれるんだ。
シャーリィ……私が座るべき、君という栄光の玉座……君の愛。君の心と体を再び手にするために今、愛の翼……広げる。
だから君も応えて……愛の翼を広げてごらん。その美しい羽根を目印に、星々の彼方からでも飛んでいって抱きしめてあげるから……。
私たちを繋ぐ運命の赤い糸が、私の片翼同士を繋ぎ合わせてくれるはずさ……。誇り高い君なら、地べたを這いずり回ることなく、私という愛の星を目指して天高く舞い上がると信じているよ……。
だから……娘たちを連れて、私の元へと戻っておいで……? フィリアを止めて、帝国を私たちの愛で満たそうよ……?
……これは運命だ。私の愛からは……逃れられないよ……?』
「「「「…………」」」」
変な沈黙が応接室に流れる。やがてレイアが深く息を吐きながら部屋の隅に置いてあるゴミ箱まで歩みを進め――――
「うぇえええええええ………!」
今にも油ぎった砂糖を吐きそうなしそうな勢いで嘔吐いた。
「こ、これはこれは……!」
ユミナは口元を手で覆って、肩を震わせながら忍び笑いを溢し――――
「あぁーひゃはははははははははぁー!! ひひぃー! ひぃー! あぁはははははははははははは!! ごふっ!? ぐぶっ! げふっ!! ……はぁはぁ……ぶふっ! ぶひゃははははははははははははははは!! ひゃーはははははははははぁー!!」
カナリアは大爆笑し――――
「…………」
シャーリィは余りの気持ち悪さに、全身に静電気でも纏ったかのように毛という毛が逆立った。一体何を想ってこんな手紙を綴ったのか……気持ち悪いを通り越して、ただただ呆れるしかない。
「何これすっごいキモいよ!! 思わず本気で吐くかと思った!! ホントにキモい! 超キモい!! マジでキモい!! 何の変哲もない紙をこんなにキモい物体に変えるなんてある意味天才の所業だよ!!」
「何故レイアさんが私より怒り狂っているのですか」
「いやいや、何でシャーリィさんの方が冷静なのか不思議なんだけど! 自分が何したのか忘れてんの、このお花畑帝国の皇帝は!! こういうのホントに許せない!! 訳の分かんない復縁要請送るよりもまず、土下座で謝るのが筋ってもんでしょうがぁああ!!」
「まぁ……正直に言って、私はもう過去の事と割り切っているので」
娘たちに要らぬ干渉をしてくるなら始末すればいいだけであって、アルベルトの事など今更心底どうでもいい。こんな手紙を貰っても呆れ果てるだけだ。
「うわ……他の封筒に入ってる手紙も、こんな調子のポエムばっかりですよ」
「…………昔は、ここまで愚かな人ではなかったように思うのですが」
他の手紙も似たような内容だ。どれもこれも寒々しいポエムのような文章が綴られている。人は浮気をすると馬鹿になると聞いたことがあるが、アルベルトはまさにその典型だろう。皇帝故に周囲に持ち上げられてきたことも影響しているに違いない。
「まぁ……皇帝アルベルト陛下がソフィーちゃんとティオちゃんの身柄を求めてるのは前から分かってたことですし、この手紙も要約すればその旨を伝えてるだけですしね。……内容はアレですけど。……ふふっ」
「ユミナさん、随分楽しそうに見えますが」
「ご、ごめんなさいっ。悪いとは思ってるんですけど、なんか気持ち悪さとか呆れとかが一周回って逆に面白くって」
言わんとしてることは理解できなくもない。シャーリィ自身、アルベルトが一体どんな間抜け面で、こんな青臭い台詞に満ちたポエム調の手紙を書いているのかと想像してみると、滑稽過ぎて逆に面白くなってくる。
「ひはははははははははははははは!! あははははははははははははは!! ひぃー!! ひぃー!! あ、愛の翼(笑)……広げる……!! ふひひひひひひひひひひひひひ!! 栄光の玉座って……栄光の玉座ってなんじゃぁあははははははははははは!! しかも妾何かメッチャ目の敵にされとるし……ぶふふっ! あははははははははははははは!!」
「貴女は笑い過ぎですよ、カナリア」
「いたっ! いたっ! あははははははははははははは!! じゃって……じゃってこんなん笑う他ないじゃろあははははははははははははは!!」
短剣の柄尻で頭を殴っても笑いが止まらない。余程カナリアの笑いの琴線に触れる内容だったのだろう。ひとしきり腹を抱えて転がりまわると、カナリアはひーひーと変な呼吸を漏らしながらシャーリィの肩を叩く。
「のぅシャーリィ、提案なんじゃが……この手紙を金貨一億枚……いや、二億枚で妾に売らぬか? いずれフィリア姫によって帝国が滅亡した暁には、妾は亡国の存在を後世に残す博物館を帝都に建てようと思っておるんじゃ。この復縁要請は後世に残すべき最笑傑作じゃ」
「こんなもの捨てるに決まっているでしょう。大体、そんなことをすれば私の事まで後世に語り継がれるではないですか。後の世に生まれる見ず知らずの他人に、好き勝手に自分の事を考察されるのは不愉快です」
「何を言っておる? もう手遅れじゃろう」
シャーリィは瞠目しながらカナリアを凝視する。
「言っておくが、今回妾は何もしておらぬぞ。新人時代に黒竜殺し。聖国から王国へと現れた吸血姫封じ。そして今年の竜王戦役に神前試合、《怪盗》の逮捕。その他数え切れぬ武勲。それだけしておいて歴史家連中の目に留まらぬはずがあるまい。妾の情報網によると……近々歴史家連中がお主の元を訪ね、お主の事が載った近代歴史の教科書を作るらしいぞ」
「おー!! 超凄いじゃん!! 未来じゃ伝説の剣豪として歴史に名を残すってことだよね!?」
「それはそうですよ! やっぱりシャーリィさんの今までの功績を考えれば、歴史に名を残すくらいの名誉が与えられますって」
実を言えば、シャーリィはこれまで強大な魔物による都市部襲撃という、国難になり得た事態を未然に阻止してきた経歴がある。そうした功績が世間で認められているからこそ、これを後世に伝えるべきだと歴史家たちが動いているのだが、当の本人は傍から見ても不機嫌と分かる表情だ。
「……冗談ではありません。死後にならいざ知らず、まだ存命しているのに歴史の教科書に載るだなんて、ただの晒し者ではないですか。歴史家たちが来ても決して会いませんよ、私は」
「別にそれでも構わぬが、その場合本人たちの話を聞けなかった連中は、好き勝手に考察した内容を書物に載せて後世に残すぞ。実際、妾も昔、歴史家どもの対応を怠ったら好き放題書かれ、それが真実であると世界中に発信されたしのぅ。そうなったらもう誤解の払拭は不可能に近いのじゃが……それでも良いのか?」
実際に歴史の教科書に名前が載っている魔女の言葉、その説得力にシャーリィは思わず押し黙った。
遥か古に滅んだ王国の伝承も、きちんとした記録が無いゆえに、後代に生きる者たちの推察のみでその実態が語り継がれ、真実として扱われている。理屈としてはそれと同じようなものだ。
歴史を後世に残そうという学者たちの執念は、時として強大な魔物よりも厄介である。彼らに悪意は一切なく、使命感によって突き動かされている分、どれだけ言い聞かせても止まらない。
「厄介な話じゃが、人が歴史を語り継ぐというのはそういう事じゃ。お主の場合、今までの功績を闇に葬ることもせずにしてきておったし、人の口に戸は立てられぬ。数多くの吟遊詩人たちが詩い巡ったお主の事は、たとえ妾が止めても歴史に残るじゃろう。…………これは珍しく善意で言うんじゃが、好き放題触れ回られるよりも、ちゃんとした歴史家たちに真実を伝えておいた方が、後々ダメージが少なくて済むぞ」
「…………」
今度、客人用のお茶菓子でも買っておこう。
母が教科書であることないこと書かれ、ソフィーとティオが恥を掻く未来が見えたシャーリィは、今日の買い物リストにクッキーを加えるのだった。