幕間の迎撃・後編
『『『ぐああああああああああっ!?』』』
「くははははははは!! 貧弱貧弱ぅ!!」
父兄競技、綱引き……もとい、頑強かつ大きな鎖を綱の代用とした鎖引きでは、カナリアが発生させた強大な引力と、相手の足元から吹き荒れる竜巻の合わせ技によって紅組参加者全員が巻き上げられ、勝敗は一瞬で決した。
「あいたたたた……! む、無茶苦茶だよ……」
「妨害ありきの競技だからって、ここまでやることないじゃん」
「……おい、いい加減退けよチビ。重てぇ」
ドサドサと地面に墜落する紅組冒険者たちの中、個人的な地雷と乙女の地雷を両方踏み抜いたクードを両の手で拳槌打ちをしまくるレイアを宥めながら、カイルは観覧席を見る。そこには先ほどまでいたはずのシャーリィは姿形も見当たらない。
「何じゃ小僧。シャーリィに己が活躍を披露できなくて残念じゃったのか? おっと、披露したのは活躍ではなく醜態じゃったな。プークスクス」
「ギ、ギルドマスター」
相変わらず人の神経を逆撫でするような言葉で敗者たちに追い打ちをかけるカナリアに、カイル自身もこめかみを動かすが、何とか怒りを堪えながら気になることを聞いてみた。
「あの……さっきの鎖引き、ギルドマスターは一瞬で勝負を付けられたのに、随分時間かけてましたよね?」
先ほどの競技、開始からしばらくの間は両組から魔術が飛び交い、接戦といった感じだったのだ。先頭で鎖を引いていたカナリアが何もしようとしないのが異常なくらい不気味に感じながら。
それがプログラムの終了予定時間になった直後、突然カナリアが一気に勝負を決めにきた。まるでわざと時間を引き延ばしたかのように。現に進行予定に少し遅れが出たくらいだ。
「もしかしてなんですけど……さっきから頻繁に居なくなるシャーリィさんと、何か関係があったりします……?」
「……はっ。なーにを言い出すかと思えば。妾はただ、無意味で健気な抵抗を続ける貴様らを見て愉しんでおっただけじゃよ?」
「むしろそれ以外にあるか? ギルドマスターの事だからそんな事だろ。何か気になることでもあるのか?」
「う、ううん。何もないならそれでいいんだけど」
首を傾げながら戻っていくカイルの後姿をしばし眺め、カナリアは軽く鼻を鳴らす。
「とっとと終わらせて来い。この喧騒が愉快なものである内にな」
時は少し遡り、鎖引きが始まった直後。
まるで一陣の風か、もしくは鏡と鏡を反射して進む閃光のように、シャーリィは建物の壁や屋上を足場にしながら、人には知覚できないほどの速さで辺境の街を駆け抜ける。
この冒険者の街で一般人に紛れた襲撃者たちを見分けるのは、シャーリィの異能を以てしても至難の業。暗器の類を携帯している者が常日頃行き交う街なのだ。ただ透かして見るだけでは襲撃者の特定はできない。
(そこの細い裏道から学校に向かってる襲撃犯たちがいるっすよ)
(承知)
そこでカギを握るのがラクーンだ。元々危機感知に特化した体の小さな種族だからか、彼が用いる探知魔術は生物が放つ殺意や捕食願望、他に害を加える悪意全般を位置情報ごと精密に捉え、逐一にシャーリィたちに伝達魔術で伝えていく。
「っ! 迎撃た――――」
裏道に音もなく入り込み、まるで滑るような動きで暗殺者を背後から襲撃。相手が気が付いた瞬間には既に意識を刈り終え、指定された次の場所へと向かう。
暗殺者よりも暗殺者をする剣士。神出鬼没に出現し、さながら死神のように仲間たちを討っていくその姿は恐怖以外の何物でもないのだろう……シャーリィと対面した瞬間、能面のような襲撃者たちの表情は一様に恐怖に強張る。
「これで三十六……次っ」
(装飾店脇の小道!)
影も残さぬ高速移動。途中幾人もの通行人とすれ違えど、彼らがシャーリィの存在に気付くことすらなかった。ただ突然の突風で舞う砂塵に目を覆うだけ。通り過ぎる全ての者の意識の外を正確に見極め、屋根伝いに小道に入り込んだシャーリィは上空から襲撃犯たちを襲撃。
「三十九」
(大通りっ! 町人を装った男三人組が学校に向かってるっす。人が多いんで注意っすよ!)
気絶した襲撃犯の回収はカナリアに任せ、シャーリィは壁を蹴って再び障害物のない屋根へと登ると同時に大通りに移動。発見と同時に即座に魔術を行使する。
「《意界・断絶》」
魔術の対象は大通りを進む襲撃犯……その周囲にいる通行人たちだ。
相手の意識情報に干渉し、視界の一部に気が取られないようにすることで強引に死角を作り出す魔術、《インヴェルノ》。術式内容が繊細過ぎて戦闘には向かないが、ただ歩いているだけの一般人には十分すぎる。
そうして通行人たちの意識を襲撃者三人から人為的に外させた隙にシャーリィは斜め上空から襲撃。気絶させると同時に強化された脚力を用いて人気のない路地裏へと三人を蹴り飛ばすと、次へ。
(姉御が競技終了を先伸ばしてるっす! 今の内に残りを仕留めるっすよ!)
(言われなくとも……っ!)
鎖引きの後はティオとの親子競技が待ち受けている。シャーリィは紅組……というか、娘の為に出られる最後の競技だ。ただの一秒たりとも遅れることは許されない。白い髪を靡かせる死神は、まるで風のように街を駆け抜けた。
「応答せよ。聞こえるか? 状況を報告せよ」
通信に用いる水晶型の魔道具に話しかける、タオレ荘付近に待機する襲撃者三名。しかし普段なら即座に返事が返ってくる魔道具は沈黙を続けるばかり。こうして通信が途絶えるのはもう何度目になるのか、三人は数えるのをとうに止めていた。
「また連絡が途絶えた」
十中八九、シャーリィの妨害であるということが理解できる。通信は途絶えたということは、つまりやられたという事だろう。幼少の頃から訓練に明け暮れた自分たちを短時間で、それも半分以上仕留めたことには脅威しか感じられない。
この街に忍び込んだ襲撃者の総数は四十五人。その内の何人がやられたのか、もう分からない。
次々と通信が途絶えていく中、タオレ荘に張り込んでいた三人が、自分でも気が付かない内に冷や汗を流しながら策を実行しようとしていた。
「このままでは目的を達することはできないと判断」
「保険策を実行する」
有体に言えば、ターゲットやその母親との親交が深い宿の女将を人質にとるという、単純明快かつ非常に有効な手段だ。
自分たちの死を勘定に入れて行動する者ほど厄介な存在はない。強引にでも女将を人質にし、標的の母親の前で首筋に刃を突きつけながら「動けば殺す」と脅しをかけることで身動きを封じている間に、残りがターゲットを殺害する。
……彼ら自身には理解しがたいことだが、大抵の者はそれだけでまともに身動きを取れなくなることを、彼らは知識と経験で知っていた。
「作戦開始」
厨房に繋がるであろう裏口、そのドアノブに手を掛ける、襲撃犯たちは、まず真っ先に邪魔をしてくるであろう女将の夫を投げナイフで殺害し、そののちに女将を人質に取りながらシャーリィの前に移動する姿を脳裏に浮かべながらドアを開け放った瞬間――――
「がっ!?」
まるで待ち構えていたかのように、それぞれフライパンと麺棒を握りしめていたマーサと宿の亭主が襲撃者の頭を強かに殴打。三人の内の二人が、脳が何度も頭蓋骨の中で打ち付けられるような衝撃に気を失った。
「ふぅ……さっき突然やって来たカナリアさんから話は聞いてたけど、まさか本当に来るとは。どうもあたしか旦那かを人質にしようってみたいだけど、あんまり舐めてもらっちゃ困るねぇ。こちとら二十年近く酔って暴れる冒険者の相手をしてんだ」
「っ」
予想外の迎撃に一瞬呆気を取られるが、即座に反撃に転じる襲撃者。二人やられたのは痛手だが所詮は一般人、この間合いで逃がすことなどあり得ない……そう思ってナイフを片手にマーサに手を伸ばした。
「くたばれオラァッ!!」
しかし、その手がマーサに触れるよりも先に、襲撃者の横っ面を一人の男が蹴り飛ばした。タオレ荘で暮らす冒険者である。勢いのある跳び蹴りに地面を転がる襲撃者の体を、別の冒険者が先回りしたかのように踏みつける。
痛みを無視して周囲を確認しつつ体勢を立て直そうとするも、地属性と水属性の混合魔術によって沼のように液状化した地面に体の半分が沈み、身動きが取れなくなった襲撃者の周りを十人近くの冒険者たちが不敵で剣呑な笑みを浮かべ、手の骨を鳴らしながら取り囲む。
「シャーリィの奴が出張るまでもねぇ。俺らのタオレ荘の大将と女将さんに手ぇ出そうとしたんだ。覚悟は出来てるんだよなぁ?」
まるで滑りこむかのように、砂煙を巻き上げながら民間学校の運動場に戻ってきたシャーリィを、たまたま見ていた紅組の冒険者が大声で呼びかける。
「おおい! どこ行ってたんだよ! もう始まっちまうぞ! 娘さん待ってるし!」
「……申し訳ありません。少し所用があって」
軽く息を整えながらそう答え、入場門の脇にたたずむティオの元に駆け寄る。
「申し訳ありません。待たせてしまいましたね」
「ううん、別に待ったっていうほどでもないからいいけど、何かあった?」
こちらを見上げてくる吸い込まれそうな紅色の瞳は何かを察しているかのようだった。しかし、シャーリィは小さな微笑みを浮かべながら否定する。
「いいえ。本当に大した用でもなく、もう終わらせてきたことですから」
「……ふぅん」
どこか素っ気なく、一応の納得を見せるティオ。そんな娘はそっと体を寄せてきて、シャーリィにしか聞こえないほど小さな声で告げる。
「あんまり言いたくないなら言わなくていいし、終わったことならもういいけど、わたしやソフィーに隠れて無茶しないでね」
「…………」
「わたしたち家族なんだから……何もかも秘密にされたら、心配するし」
シャーリィは思わず自分の頬に手を当てる。悟られるほど表情を変化させたつもりもないのだが、このマイペースで聡い娘は、詳細が分からずとも母が厄介事を解決しようと奔走していたことに気が付いていたらしい。
「ごめんなさい。良かれと思って黙っていたのですが」
「ううん。いい。お母さんは、無意味にそんなことしないって分かってるから」
体をスッと離し、ティオは小走りで入場門の前へ向かう。
「ほら、行こ。ここで勝って、巻き返さなきゃ。わたしとお母さんなら、負ける気がしないしね」
「……そう、ですね」
ティオはいつの間にか、的確に親の心配まで出来る娘に育ってくれていた。そんな成長がどこまでも眩しく感じ、確かな信頼を寄せてくれる事実に内心少し泣きそうになりながら、今年の運動会、自分が出る最後の競技に臨むのだった。