幕間の迎撃 前編
「では……そのような手筈で行動に移すとしましょうか」
「うむ。これで抜かりはあるまい。念のため、アステリオスを含めた口の堅い一部の者にのみ侵入者の一件を伝え、結界を大幅強化するようにしておいた。生徒に被害が出ぬよう、その付近は念入りにな」
「あとは見つけ出して炙り出すだけっすね。あと、チョーカーの封印もうちょっと緩めてくれたら、索敵だけじゃなくて迎撃も出来るんすけど」
「黙ってください。そのような事、信用がある者だけが言って良い言葉です」
誰も居ない雑木林の中でそのような会話が繰り広げられる。知らず近寄る者もいたが、話が聞こえる範囲に入るよりも先にただならぬ危険が潜んでいると本能が訴えかけてきて、意味も分からずその場を離れるばかり。
「では、早速行動を開始しましょう。次の二人三脚にはソフィーが出るので、始まる前に敷地内の不審者は始末しておきたいので」
午後の競技はまだ序盤。陰謀と熱狂と殺意が渦巻く運動会は、佳境を迎えようとしていた。
民間学校の運動会、来賓に紛れ込んだ、一見すると普通の一般人を装った三人の男たちは、周囲の状況を把握しながら目標である少女たちを探し、そして見つける。
(標的を確認)
(これより任務を遂行する)
懐に忍ばせられる手には、短剣の柄や飛針といった暗器の感触が広がる。明確な殺意を悟られぬように無感情な瞳と表情の奥へと沈め、三人は白い髪を持つ二人の少女を奇襲の範囲内に収めようとゆっくりと近づいていく。
不安材料を上げるのなら周囲にごった返す冒険者たちだろう。一体なぜ彼らがこんなにも集まっているのか……とある魔女が広げた甘言を知らない彼らが知る由もない。毎年のように行われる行事の情報はあっても、突発的に起こった変化を悟るには、彼らは置かれた環境が悪かったと言わざるを得ない。
(一切問題なし)
しかし、現状では彼らが自分たちの存在を気に掛ける様子もない。そうであるという自信もあった。
元々、魔物の討伐が仕事の大部分を占める冒険者たちに、人間を相手とする暗殺任務を主とする自分たちとでは畑が違う。直線の殺意しか知らない冒険者も多い中、この人混みの中で潜められた殺気を隠し持つ個人に気付く者などいないだろう。
(我らの任務は、命に代えて標的を殺害すること)
ここで標的二人を殺害すれば、流石の冒険者たちも気付くし黙ってもいない。しかしそれでも問題はない。元よりそのつもりで送り出されたし、彼らにとってもそれが当たり前であるという認識だ。
実際、彼らの奥歯にはある毒が仕込まれている。凄まじい融解力を誇る九頭の大蛇の牙から抽出された毒であり、ごく少量でも人間一人の体を容易く泥のように溶かし、魔術を用いても個人を一切特定させない。
荷物の中から残留思念を割り出して情報を引き出す魔術も存在するが、その類の魔術はある程度長く所持していないと残留思念は定着しない。故に魔術発動が成立しない。荷物にも情報を与えないように全て王国に来る直前に調達した新品ばかりなのだ。
これによって任務が失敗しようが成功しようが、自分たちの主には一切不利な状況は作らない。殺害犯が居たという情報を周囲に与えないようにすることこそが暗殺者としては最善だが、それが出来ない状況となったら迷わず自害する。……彼らは、そういう風に生まれ、生きてきた。
(標的を射程範囲に捉えた。任務実行)
一人は椅子に座って暢気に欠伸を、一人は生徒の入場門に集まってクラスメイトと談笑をしている。後はその細い首に向かって、光の屈折率を操り姿を消す魔術、《インビジル》が付与された暗器を投げ血の花を咲かせようとした瞬間、三人の姿がその場から……民間学校の敷地内から……その世界から消えた。
「何だここは?」
「原因不明。理解不能」
三人は気が付けば、石壁に囲まれた、迷宮のように複雑に入り組んだ監獄に居た。そこかしこに血の跡のようなものがこびり付き、未だ夏の残滓が残る季節にありながら真冬のように寒々しい風が吹く……そんな一種の地獄のようなその場所に。
これが何らかの魔術によるものであり、すなわち自分たちという存在を気取られたという事に気が付くのに時間は掛からなかった。茫然とした時間はおよそ一秒ほどだろう……すぐさま警戒態勢に移行しようとしたその瞬間――――。
「かっ――――?」
白く長い髪を躍らせながら疾風のように駆け抜ける死神が持つ剣に、反応する間もなく全身を細切れにされた。
全身に走る激痛。飛び散る胴体だった肉片と、そこから離れて転がる自身の頭。その光景を見た男は、自分自身が首から下を細切れにされたということを理解したが、同時に不可解にも思う。
死刑囚は断頭台で首を刎ねられたとしても数秒の間意識を保っているというが、それにしては意識が鮮明過ぎるのだ。死を受け入れるように教育された無感情の精神がそう思わせるのかもしれないが、それ以前に首を刎ねられてから数秒経った今、すでに絶命しているのが普通のはず。
「くっ……!」
周りには胴体はおろか、頭も細切れにされた仲間二人の肉片が転がっている。対人戦闘訓練も施された自分たちが何も出来ずに切り伏せられたことに驚きを隠せずにいたが、それでもこの男は首だけになりながらも奥歯に仕込んだ毒袋を噛み潰そうとした……が、奥歯にあるべき毒袋の感触が無い。
「……奥歯に仕込んでいたのは毒のようですね。視えていましたよ」
「やはり本業の暗殺者のようじゃな。失敗時は証拠残さずとは、よく訓練しておる。もっとも、それも全てが徒労じゃがなぁ」
冴え冴えとしている蒼の瞳と煌々と怒りで燃える紅の瞳、そして手には武骨な剣……《冥府の神経》を握るシャーリィは、転移魔術で毒を手元に転移させたカナリアに問いかけながら、男の頭を踏む。
情報に合った要注意人物の存在に目を瞠る男。自分たちならば二人を掻い潜って目標を遂行できるという自信があったのに、まさかこうも簡単に返り討ちに遭うとは思っていなかった。
「それでは私は早々にソフィーの競技を見届けます。《七天の檻》を解除した瞬間に――――」
「誰にも悟られぬよう、こやつらを運び出せばよいのじゃろ? 分かっておる分かっておる」
自分たちは失敗したと悟る。しかし、任務までは失敗していない。なぜならこの作戦は波状攻撃……自分たちが撃退されても、人数差にものを言わせて何度も何度も襲撃出来るという選択肢も備えている。
大抵、暗殺者を迎撃する側は暗殺者を一度撃退してしまえばもう安全だと油断するもの。自分たちが人数を明かさず、主の事を明かさなければいい。全身バラバラに切り裂かれる激痛に耐えうる自分たちならば、どのような拷問を受けたとしても――――。
「あぁ、黙秘し続ければどうとでもなるなど、甘い幻想は見ない事です」
そんな男の思考に割り込むように、シャーリィは忠告する。
「彼女は、私よりも遥かに残忍で残酷ですから」
カナリアが満面の笑みを浮かべる。理由は分からないが、その顔を見上げた時、今まで感情など感じた記憶のない男の心は確かに揺れ動いた。
「大丈夫じゃよ。そう怯えるでない。たとえ虚無の心を持っていようとも、今すぐ泣いて許しを請いながら何でも話したくなる正直者にしてあげるのじゃ」
「あれ? シャーリィさん、結構遅かったね?」
「もうすぐソフィーちゃんの出番ですよ」
「えぇ、少し所用がありまして。この後も度々抜けるかもしれませんが、娘の出番にだけは必ず戻ります」
「何かあったのかよ?」
「警備関連で少し。でも安心してください。運動会の進行には、些かの問題もありませんから」
先ほどの出来事など無かったかのように再び映写機を構えるシャーリィ。カイルたちも、そこまで断言するなら問題はないかと思うようになり、大人しく観戦することにしたのだが、予定時間になっても始まる気配がない。どうしたのかと思っていると、どうも入場門辺りに居るソフィーたちの様子がおかしい。
『はぁああ!? 何で俺が白髪ババアと!?』
『だから白髪だって言ってるでしょー!?』
マルコとソフィーを中心に何やら揉めている。一体どうしたのかと思っていると、長い耳をピコピコと揺らしながらレイアが補足した。
「この学校の二人三脚って、一クラスから三つのペア出してリレー式でやるでしょ? でもソフィーちゃんのクラスから出場する子が二人ほど体調不良と怪我で出れなくなったんだって。その出れなくなった子が、丁度ソフィーちゃんとあの騒いでる男の子の相方だから……」
「二人を組ませて出そうって話になってるみたいですね」
「何……ですって……!?」
二人三脚はその特性上、走力よりも歩調を合わせることが重要だ。それなのに、なぜあの仲の悪い二人を組ませるのか。耳を澄ませてよく聞いてみると、どうやら第一走者のペアがもう一周走ることで人数の違いを解決するつもりのようだ。
しかしそのペアにばかり負担を掛けることが出来るわけもなく……結果として、相性が悪いとしてもソフィーとマルコが組むということに。
(なんてこと……! あの意地の悪いマルコ少年とソフィーが組むだなんて、どんな酷い目に遭うか……それ以前に、まだ成人もしていない男女がそんな体を密着させるだなんてはしたない真似を……!?)
頭の中がぐちゃぐちゃになりながらもなんとかその事態は避けて良い落としどころに持っていってくれというシャーリィの願いも空しく、マルコとソフィーは組んで出ることに。
『言っとくけど、自分勝手に走ったらダメなんだからね? ちゃんと声出しながら右足と左足を合わせて……』
『けっ! 何で俺がお前なんかに合わせなきゃなんねーんだよ! お前が俺に合わせれば良いだけ――――!?』
『? どうしたの?』
『い、いや……何か、凄い寒気が……あと、お前の言う通りにしなきゃならないような……? あれ?』
決定したことは最早シャーリィの権限では覆せない。ならばせめて、ソフィーが気持ちよく競技に集中できるよう、母としてできる限りの協力……すなわち、魔術を一切用いず、横暴な振る舞いでソフィーを蔑ろにするマルコを殺気一つでコントロールするしかない。
――――転んで娘に怪我をさせたらどうなるか……分かっていますね?
マルコに対してのみ集中して放たれる殺意が彼の行動を縛り、操る。少しでもソフィーに対して暴言を吐こうとしたり、ソフィーに合わせずに走ろうとする度に、その行動をシャーリィによって先読みされ、背中に冷たい剣でも差し込まれるような感覚を味わい、マルコは終始青い顔をしながら走っていた。
「ソフィーの出番も一旦終わりましたし、私は少し席を外します」
「あれ? また?」
そして(謎の精神疲弊を起こしたマルコ以外は)無事競技は終了。マルコは正直に言って邪魔だったが、今回も娘を中心に据えた素晴らしい写真を指が折れるほどに激写したシャーリィは、金色の魔力光の粒子、その残滓を残しながらその場から消えた。