暴かれたカナリアの企み
かくして始まった、多くの冒険者を巻き込んだ民間学校の運動会、その最初のプログラムは例年通り生徒の入場行進からの開会宣言だった。
元々、軍の行進からの開戦宣言という行事をモチーフにしたというこのプログラムは、ハッキリ言って見応えなど無い。
煌びやかでありながら重厚な鎧を身に纏った兵士たちによる数百、数千もの軍勢が都の大通りを横断するのなら、それはさながらパレードのような煌びやかさもあっただろうが、流石に子供がただ歩くだけでは注目度が薄いと言えるだろう。
映写機を持っている数少ない保護者達も自分の子供の姿を捉えて一枚ほど撮るだけで終わる……はずなのだが。
「なんて事でしょう……フィルムを一つ使い切ってしまいました」
「早いよ! まだ開会式が終わったばかりだよ!?」
紅組保護者側の観覧席、その結界が張られた一等地に招かれたカイルとクード、レイアの三人は一つで百枚の写真が撮れるというフィルムを早々に交換するシャーリィに激しいツッコミを入れた。
「開会式だけでもう百枚も撮ったのか? フィルム足りなくなるだろ」
「……何を勘違いしているのです? 私はただ、このカメラだけでフィルムを一つ使い切ったと言ったつもりなのですが」
「え?」
「各地に設置しておいた映写機を含めれば、合計三百五十三枚激写しました」
「自慢気に言う事じゃないよね!?」
「ていうか、観覧席から離れた場所に映写機を隠してたんですよね? 何時の間に撮りに行ったんだろ……」
これも親バカの成せる人間離れした技かと、この場に居る全員に観覧席を離れたことすら気付かせずに運動場を囲むように設置して居る映写機の所まで行って写真まで撮ったという、知らない者が聞けば嘘八百にしか聞こえないであろう事実にカイルは戦慄した。
「……はっ。あれは……!」
その時、シャーリィが何かに気が付いたかのように、行進が終わって整列する生徒たちの方を凝視する。
前ではラクーンが朝礼台の上に立ち、当たり障りのない挨拶を口にしていた。何かやらかすのではないかと気が気ではなかったが、カナリアが怖いのか、意外にも穏便に済ませようとしていた事に安堵したが、そこは本題ではない。
『……あ。あそこにいるの、お母さんだ』
『ホントだ。ママー』
その視線の先には、シャーリィの位置に気が付いたソフィーとティオが控えめに手を振っていた。シャーリィも軽く手を振り返しながら映写機にフィルムを装填する。
「まったく、今は開会式の最中ですよ? 相手が相手とは言え、こういう時くらいには話に集中しなくては」
「言ってることとやってることが全然違いますよね?」
シャッターを押す人差し指が消えて見えるほどの高速連写。注意しているのは口だけで、実際にはこちらに手を振る愛娘二人に目が行ってそれどころではないらしい。
もう好きにしてくれと言わんばかりに呆れる三人の視線に気付かず、写真を撮りまくるシャーリィだったが……不意に、彼女の手元からバキャリと、骨が砕けるような音が聞こえてきた。
「……あ、いけない。またフィルムを使い切ってしまいました。本当ならもう少し計画的に使うはずだったのですが……」
「いやシャーリィさん!? それよりも指! なんかあり得ない方向に折れ曲がってるから!!」
「あぁ、これはお見苦しいところを」
どうやら新しいフィルムで百枚目の写真を撮ると同時に、シャッターを押し続けるあまりの速さに指の骨が耐えきれず、砕け折れ曲がったようだ。
何食わぬ顔で指を曲げ治していそいそと新しいフィルムを装填し直すシャーリィに周囲が引いている時、意外な人物が姿を現した。
「あ、居た居た。シャーリィさん」
「ユミナさん? 貴女今日は仕事だったのでは……?」
ギルドの受付嬢、ユミナだ。制服に身を包んだ彼女は急いできたのか、軽く息を荒くしながら人ごみを掻い潜り、シャーリィたちが占拠するシートの前まで走り寄る。
「いえ、実は朝早くに、ギルドの女性更衣室にシャーリィさんの物と思われる衣服が大量に送り込まれてきて……もしかしてと思ってきたのですけど……お婆ちゃ……もとい、ギルドマスターがまた何かやらかしました?」
「…………正直、お察しの通りとしか」
フッ……と、力なく笑うシャーリィに、ユミナは深々と頭を下げた。
「本っ当に……本っ当に申し訳ありません! うちのお婆ちゃんがとんだご迷惑を! あの人はこっちでしっかりとシメておきますから、シャーリィさんも存分に殺っちゃってください! 大丈夫、殺しても死ぬような人じゃないので!」
「言われなくてもそのつもりです」
(((そこは普通、しっかり言い聞かせておくから許してやってほしいとか言うところなんだけどなぁ)))
どうやらこの後、カナリアが二度に渡って殺されかけるのは確実らしい。カイルたちは普段からカナリアに苦労ばかり掛けられている二人に同情的な視線を送る。
「本当ならすぐにでも服をお返ししたいところなんですけど……やたら強力な封印まで施されていて私たちでは手出しできない状態で……」
「いえ、気にしなくてもいいです。どうせそうなっているだろうとは思っていたので」
「重ね重ね、本当にすみません。……でも結局、どうしてこんなことになったのですか?」
「あぁ、それが……」
シャーリィとレイアが事の経緯を説明すると、ユミナは納得したような表情を浮かべる。
「なるほど……それでシャーリィさんがそんな可愛らしい恰好を……」
「あ、改めて言うのは止めてもらえませんか……? 自分でも年甲斐もなく似合ってもいないのは分かっていますから……!」
シャーリィを怒らせるのが怖いので周りの男冒険者たちは余計な野次こそ飛ばさないものの、その視線は全身を舐めまわすようにシャーリィの細い手足や腰、豊かな胸を凝視している。
さっきまではソフィーとティオを撮影するのに忙しかったので気にならなかったが、いざそれも終わってみると、とんでもなく居心地が悪い。
「多分シャーリィさんが考えているような視線とは違うと思いますけど……まぁ、何はともあれ運動会、楽しんでくださいね」
そう言って立ち去ろうとしたユミナだったが、ふと何かを思い出したかのように告げる。
「それはそうと……後でお婆ちゃんをシメるなら、ほんのちょっとだけ、気持ち分だけで良いので手加減してあげられませんか?」
「ん? 珍しいこと言うな、受付さん。何時もならギルドマスターを鬼のようにボコるのに」
「それもそうなんですけど、今回お婆ちゃんが冒険者の皆様まで巻き込んで無茶苦茶やってるのにも訳が……」
そう言いかけた、次の瞬間。ユミナの制服姿がシャーリィと同じチアガール姿になっていた。
『ひょぉおおおーっ!! 受付嬢さんの艶姿だぜぇええっ!!』
「…………は? え、ちょ?」
一体何が起きているのか、思わず目が点になる当事者とシャーリィたちだが、周囲の男冒険者たちが女性陣から白い眼で見られながら歓声を上げるのを聞いて我に返り、一斉にカナリアがいる方に顔を向ける。
『そんなところでなーにをしておるんじゃユミナ!! 今日は童どもを肴に開かれる祭りじゃぞ! お主もさっさと我が白組の戦舞に加わるのじゃ!! うぃっくっ』
朝から飲んで酔っているらしいカナリアは酒瓶を片手に、先ほどまでユミナが着ていたと思われる制服を掲げてブンブン振り回している。どうやら空間魔術でユミナが着ていた服を入れ替えたようだ。
「……ごめんなさい、シャーリィさん。さっきの話は忘れてください。私は少し、理事長でありながら朝から学校敷地内でお酒なんて飲んでるあの人に用があるので」
まったく笑ってない冷たい眼で輝くような営業スマイルを浮かべたユミナは、手の骨を鳴らしながらカナリアの元へと歩み寄っていく。
……その少し後、服を取り返して制服に着替えたユミナが、顔に返り血を付着させたまま、見覚えのある黒い角を持ってギルドに戻っていったのは、言うまでもない話だ。
外野が混沌極まる開会式が終わり、運動会の第二プログラムが始まったわけだが……シャーリィは運動場から離れて映写機の確認や手洗いを済ませていた。
運動会を楽しみにしていた……と言っても、それはソフィーかティオが出場する競技だけだ。今は一年生だけが出場する、シャーリィからすれば見る意味のない競技なので、雑用を済ませて万全に娘たちを激写する準備時間になるわけだ。
(それにしても、カナリアは一体どういうつもりなのでしょうか?)
理事長のカナリアは本来運営テントの下に居るべきなのだが、何故か白組の来賓スペースに居座っている。これはソフィーとティオに優勝を捧げようとしているシャーリィからすれば非常に不都合なのだ。
流石に公平性を欠くような真似をして競技内容に手は加えないだろうが、ハッキリ言ってカナリアはシャーリィでも手に負えないくらいに厄介で、今回の戦いにおいて最大の敵になるということが容易に想像できる。
「あれ? ママ?」
「どうしたの? こんなところで」
手洗いからの帰り際、校舎内を歩きながらカナリアへの対応策を頭の中で練っていると、水筒を持ったソフィーとティオにバッタリ会った。
「それはこちらのセリフです……と、言いたいところですが、水筒を教室にでも忘れていたのですか?」
「あはは……まぁ、二人揃ってね」
「それよりお母さん、父兄競技って何やるか聞いてるの?」
「それが皆目。どうもカナリアはその時になったら発表するとしか言っていませんね」
直前になってから発表したほうが情報が新鮮で盛り上がる、というのがカナリアの言だ。
「二人も無事に出れるようになったみたいですね」
「うん! ママが冒険者だって教えたらすぐに決まったんだ」
「なら、私も勝てるように……っと」
「? どうしたの、お母さん」
談笑しながら運動場へ戻る最中、急にシャーリィが立ち止まると共にソフィーとティオを押し留め、下駄箱の陰に隠れる。疑問に思いながらも二人が下駄箱の陰から顔を覗かせる母の視線を追ってみると、そこにはカナリアと、一人の女子生徒の姿があった。
「あ……あの子って確か」
「ん。隣のクラスの子」
「一体何をしているのでしょうか……?」
もしや恐喝か何かだろうか。カナリアに対して割と悪いイメージを持っているシャーリィは咄嗟にそんな予想を立てたが、それとは裏腹に二人の雰囲気はどことなく穏やかなものだった。
『お婆ちゃん、今日は来てくれてありがとね。お父さんもお母さんも忙しくて来れなかったけど、お婆ちゃんが応援に来てくれて良かった』
『はっ。今更何を言うかと思えば……そのくらいで一々礼などいらぬのじゃ。妾からすれば大抵のことは些末事よな。お主はこの街の孫娘の一人じゃ、存分にこの婆を頼るがよいぞ』
そう言って女子生徒よりもほんの僅かに高いくらいの身長から頭を乱暴に撫でるカナリア。浮かべる表情は何時も見せる嘲笑うかのようなものではなく、まるで少年のように快活な笑みだった。
「言動から察するにカナリアの子孫の一人のようですが……これは……」
「そう言えば、あの子の両親って忙しいから運動会に来れないって友達から聞いたことがあるような……」
ユミナがなぜ今日に限ってカナリアに加減するように言ってきたのか、その疑問が不意にシャーリィの脳裏によぎる。
『でも運動会をこんなに賑やかにするなんてビックリしちゃった。ユミナお姉ちゃんから怒られたみたいだけど、大丈夫だった?』
『それこそ愚問というものじゃ! それに言うたであろう、今年はお主の父母が訪れぬ分、生涯忘れられぬ運動会にしてやろうとな。まずは手始めに街の綺麗どころを集めた戦舞で士気を上げてじゃな――――』
幼子のまま肉体の変化が止まったカナリアはどこか自慢気に語りながら薄い胸を張る。どうやら本当に、世界に悪名を轟かせる《黄金の魔女》は、大衆から見ればどうということのない、至って普通の少女の為に運動会を盛り上げようとしていたらしい。
冒険者を巻き込んだことは勿論、シャーリィを無理矢理戦舞に巻き込んだのもその一環なのだろう。本当に珍しく、裏が無いとしか思えない様子のカナリアにシャーリィは勿論、ソフィーやティオも戸惑う。十年来の付き合いになるが、あのような様子のカナリアは見たことが無い。
『あ、そろそろ行かなきゃ。それじゃあお婆ちゃん、また後でね』
『うむ。まぁ父兄競技はこの妾に任せるがよい。見事、白組を勝利に導いて見せようぞ』
そう言って運動場へ駆けていく少女を見送り、踵を返したカナリアは……下駄箱の陰から様子を窺うシャーリィたち母娘を見て、固まった。
妙な沈黙が流れ、誰一人として声を発せられない。シャーリィすら何を言っていいのか分からず、カナリアに至っては全身から変な汗を滲ませている。そんな状況を一変させたのは、ソフィーとティオだった。
「……理事長先生、意外と良いところがあるんだね」
「うんうん! 色々強引な所はどうかと思うけど、正直見直しちゃった!」
今回の件に関して色々と褒められないことをしたのは確かだが、それも全て孫同然である子孫を想うが為だったと思えば、ある程度は許せる気になる。それを言外に指摘してやると、カナリアは図星を付かれたように真っ赤になった顔で叫んだ。
「はああああああああああああっ!? な、何を言っておるんじゃこの愚か者どもは!? 今回の件については、妾が妾の妾による、妾の為に色々と面白おかしく運動会にちょっかいかけてやろうと思っただけじゃし!! わざわざ妾自ら参加しようとしたのもじゃな、暇潰しに欲に目が眩んだ冒険者どもを弄んで楽しんでやろうと思っただけ……おい、何故そんな生暖かい視線を向ける……? み、見るな……そんな目で妾を見るな……!」
「大丈夫。全部分かってるから」
「理事長先生にも優しいところがあったんだって、私たち分かってるから」
「だからそんな目で見るなと言っておろうが小娘どもがぁああああああああ!!」
まるで全てを理解したかのような、慈愛すら滲ませる視線を一身に受けて悶えるカナリア。普段の言動が言動だけに、この手の対応には耐性が無いらしい。
そこでシャーリィが音もなくカナリアの前まで歩み寄る。そして一言……普段から振り回されたり、親馬鹿だのなんだと色々言われ続けた仕返しも兼ねてこう言ってやった。
「貴女も人の事を言えないではないですか…………孫馬鹿」
「う……うわぁあああああああっ!! シャーリィ如きと同列に扱われたのじゃああああああっ!!」
羞恥に耐え切れなくなったのか、泣きながら走り去っていくカナリア。
「お、覚えておれよシャーリィ!! お主は父兄競技でうんっと酷い目に遭わせてやるからなぁー!!」
そんな捨て台詞を吐くカナリアであったが、不思議と怖くはないと思うシャーリィであった。