運動会前の災難
ニコニコ静画にて、漫画版第二話の前編が先日投稿されました。よろしければそちらもどうぞ。
待ちに待った運動会当日、まるで旅行を楽しみにする子供のように予定時刻より一刻ほど早く起きたシャーリィは、ぼんやりとした朝日が差し込む部屋で手早く着替えを済ませようとして……思わず、固まった。
「え? な、なぜ……? どうしてっ!?」
彼女にしては珍しい、非常に狼狽えた声。それもそのはず、驚くべきことに……運動会に着ていけるような服が、全て無くなっているのだから。
「昨日の夜までは何事もなかったというのに、一体どうして……!」
《勇者の道具箱》の中に収めていた予備の服も無くなっている。残っている服と言えば以前無理矢理押し付けられた露出過多のウェイトレス服と、下着と見紛う水着ぐらいなものだ。勿論、そんな姿で運動会になど赴けるわけがない。
「い、急いで服飾店に……だ、駄目です。運動会開催時刻になっても、開店していません……っ」
このままでは、最悪寝間着姿のままで運動会に行く羽目になってしまう。そんなみっともない真似、出来るはずもない。
しかし、運動会にソフィーとティオの応援に行くことは絶対だ。たとえ這ってでも行かなければならない。
(ほ、他の人から服を借りる……? いえ、サイズが合っていませんし……!)
小さかったり、ダボダボだったり、そんな服を着ていくのは寝間着姿のままと大差ないような気がする。そもそも娘の母親として公に出る時の身嗜みはキッチリとしたものでなくてはならないのだ。
最悪、ラフな格好でもいいから運動会に行ってもおかしくない格好をしなければならない。他の冒険者をやっている保護者たちはカナリアの景品に釣られて、鎧や武器を身に纏って訪れるというし、今からでも鍛冶屋のドワーフであるディムロスを叩き起こして鎧一式でも買い揃えてやろうかと本気で画策するが、あの偏屈で頑固なドワーフが営業時間外に突撃してきた輩の言う事を聞く可能性は低いだろう。
「あぁあぁぁぁぁ……! わ、私はどうすれば……っ」
運動会には何としても応援に行きたい。特に今年は、ソフィーやティオと共に参加してより強く記憶に残る父兄参加型の催しになるのだ。見送るという選択肢だけはあり得ない。
しかしこの姿のまま出れば、ソフィーとティオの母親は寝間着のまま外を出歩く変人だと、恥をかかせてしまう。それだけは、それだけは何としても避けなくてはならないのだ。
「シャーリィ、起きてるかい? お客さんだよ」
頭を抱えて悶えるシャーリィ。そんな時、マーサが来客を知らせてきた。
こんな早朝から一体誰かと思って出てみれば、来客の正体はレイアだった。
「おっはよー、シャーリィさん! ……って、どうしたの? やたら挙動不審っていうか、とにかく変な顔してるけど」
「……気にしないでください。それよりも、何か御用ですか? 私は今、とても忙しいのですが」
一体どんな顔をしているのか少し気になったが、今はそれどころではないシャーリィは手短に用件を済ませようとする。
「そうそう、実は運動会で着る衣装を渡すように頼まれてて、シャーリィさんが出掛ける前に来たんだ」
「……何故レイアさんが……? もしや、貴方も運動会に参加を?」
そういえば、レイアの幼馴染であるクードの妹が民間学校の生徒であると聞いていた。その誼なのだろう。
「うん、まあね。はい、これ」
レイアは肯定しながら持っていた紙袋をシャーリィに手渡す。訝しみながら中身を検めてみると、彼女の表情は見る見るうちに険しくなっていった。
「…………どういう事です?」
「え? どういう事も何も、シャーリィさんも着るんでしょ? アタシはそう聞いてたよ?」
レイアは全く身に覚えのないことをキョトンとした表情で告げる。その態度は嘘ではないのだろうが、シャーリィの思考は困惑を極めることとなった。
紙袋の中身は求めてやまない衣服ではあった。しかし今日という日に着ていくには趣旨が違う。というか、こんな恥ずかしい衣服を着て外を出歩けるわけがないのだ。
「いやー、でも驚いたね。まさかシャーリィさんが飛び入り参入してくるなんて。でもこれで、アタシたち紅組の野郎どもの士気も一気に上がるっしょ!」
シャーリィには、目の前のハーフエルフの少女が何を言っているのか、皆目見当つかなかった。身に覚えのないことが与り知らぬところで進んでいることだけは何とか理解できたが、突然衣服がすべて消えたことと、レイアが持ってきた衣服の関連性に気が付いた時、確信に似た直感が脳裏に走る。
そもそもおかしな話なのだ。眠っていたとはいえ、気配探知に優れたシャーリィがいる部屋のクローゼットの中からだけではなく、シャーリィにしか開けられない術式が施されている道具箱内部の一室からも衣服を奪い去る……そんなことが出来て、実際にやりそうなのは、空間魔術に精通し、《勇者の道具箱》の製作者くらいなものだ。
「カ……カナリアァアアアアアアッ!!」
この朝、珍しいことに普段物静かなシャーリィの怒声がタオレ荘を揺らした。
広い運動場に賑わう子供たちと冒険者たちの声。開拓の最前線としてこの地に街が出来上がり、それに伴って学校が建てられて久しいが、このような光景は設立して初めてだろう。
「冒険者の人たち、思った以上に集まったね」
「だな。やっぱり、ギルドマスターの一声が効いたんだろ」
カナリアが提示した紅組か白組を勝利に導いた冒険者たちへの褒賞は、瞬く間に辺境の街中へと広まった。その結果、冒険者をやっている生徒の保護者から他の冒険者へと伝わり、単なる学校行事とは思えない大人数での催しとなったのだ。
その盛り上がりを証明するかのように、この場に居る殆どの冒険者たちの士気は、主役である子供たちよりも高いくらいである。
『テメェ……たかが運動会くらいで鎧を新調してくるなんて、どんだけ大人げねぇ野郎なんだよ』
『そういうお前こそ、今日の為に新しい魔術を幾つも習得してきてるってのは調べがついてんだ。他の魔術師連中もだ。その対策をしてきて何が悪い』
『そこの来賓の方!? 爆発物の持ち込みは禁止となっております!』
『え? そんな……これで紅組の連中をぶっ飛ばしてやろうと思ってたのに……』
尤も、祭りと呼ぶにはいささか剣呑すぎる雰囲気だが。
これより始まる運動会、その父兄競技は欲に駆られた冒険者同士による戦争となることが容易に予想できてしまう。
「皆これに参加したくて、Aランクの冒険者も緊急依頼が入らないように魔物狩りに専念してたくらいだし」
「気持ちは分かるけどな……俺らだって今日は本気で勝ちに来てるんだからよ」
斯く言うカイルとクードも褒賞目当てに装備を新調してきたくらいだ。カイルの盾は魔力を込めるだけで即座に結界を発生させる魔術が付加されたものに、クードのブーツは突風を噴射して推進力を得る魔術が付加されたものといった具合に。
クードとの繋がりで紅組側に所属することとなったレイアは、衝撃波を発生させる指輪型魔道具を購入したくらいだ。
「本当は武器の方に金を使いたかったんだが、それは流石にダメみたいだしな」
今回、父兄競技に参加する冒険者たちにはカナリアから〝どんなに他者に振るっても怪我一つさせることが出来ない〟という、ある意味呪われた武器が支給されることとなっている。
流石に幼い子供たちの前で流血沙汰や骨折沙汰を見せるわけにはいかないのだろう、運動場と観客席を阻む結界は極めて強固である上に、〝運動場内に限り如何なる魔術を受けても怪我はせず痛いだけで済む〟という、カイルやクードでは理解不能な複雑怪奇な魔術が場に施されているらしい。
実際試しにマッチくらいの火を熾して手のひらに押し付けてみたが、熱いだけで火傷はしなかった。こういう妙に凄い魔術を祭り事の為だけに用いる辺りが実にカナリアらしい。
「やっほー、兄ちゃん」
「お兄ちゃん、来てくれたんだ」
そんな時、手を振りながら体操服に身を包んだ糸目の少女がカイルたちの元に歩み寄り、その少し後ろを同じ服を着た黒髪の少女が追従する。カイルと同じ孤児院に住む妹分、チェルシーと、クードの実妹であるミラだ。
「あ、カイルさんとクードさんだ」
その更に後ろから二人を追って現れたのが、ソフィーとティオである。二人は近く、気安い距離間でチェルシーとミラに近寄ると、クードとカイルに軽く会釈をする。
「ミラとチェルシー、今年は両親とか神父様が忙しいから見に来れるか分からないって言ってたけど……お兄さんは来れたんだね」
「まーね。アタシは正直そこまで期待してなかったけど。なんだかんだで兄ちゃんたちは忙しいみたいだし」
「いやいや、妹分の応援にくらい駆け付けるから」
ソフィーとティオ、そしてチェルシーとミラが友人同士であると知った時、カイルとクードは揃って『世間は意外と狭い』と思ったことを思い出した。
同じ街に住み、同じ年の妹や娘がいるとはいえ、まさか同じパーティメンバーや身近な冒険者の家族が親しい間柄など、滅多にあることでは無いだろう。
「あの……二人とも、ママがどこにいるか知りませんか?」
「朝起きたら先に行ってるって伝言と朝ご飯だけ残して今日はまだ顔を見てないんだけど」
「え? シャーリィさん、居ないの?」
カイルとクードは、シャーリィが撮影用の映写機を学校敷地内に前もって数台設置する為に朝早くから学校を訪れるということを聞いていた。保護者観客席で最も全体を見渡せる場所を、結界を発生させる魔武器、《守護宝剣》を用いて陣取っているので間違いなく来ているのだろうが、娘たちの前に何時までも姿を現さないのは不自然だ。
「そう言えばお兄ちゃん、レイアお姉ちゃんは? まだ来てないの?」
「いや……あいつは何か早い時間から向かうって言ってたけどな」
シャーリィに続いてレイアも姿を見せない。単なる偶然の可能性もあるが、二人続けてとなると何かあったのではと思ってしまう。
しかし、少し探してみようかとカイルが提案しようとした、その時だった。聞き覚えのある女二人の声が校舎の壁の陰から聞こえてきたのは。
『無理……! 絶対に無理です……! こんな格好で人前に出るなんて……!』
『大丈夫だって! 似合ってるからさ!』
『似合っているとかそういう問題ではなくて……! や、やはり今からでもカーテンか何かで体を隠した方が……!』
『それだと余計に怪しまれるよ。堂々としてればいいのっ! ほらほら! ソフィーちゃんとティオちゃんが捜してるよ!』
『待って、待ってください! こんな恥ずかしい恰好を二人の前で晒すわけには……!!』
ドンッ! と、何かに押されるように物陰から飛び出してきたのと、その後に続いて出てきた二つの人影。その正体がシャーリィとレイアであると気が付いたソフィーたちは一斉に目を瞠った。
「あ! ママ、やっと見つけた……って」
「どうしたの? その恰好」
そこに居たのは普段清楚な格好を良しとした母ではなく、臍や白く細い腰、細い肩を存分に曝け出す薄い生地の上衣に、スラリと伸びた脚を露出した、今にも下着が見えそうなくらい短いミニスカートを穿いた、よく言えば前衛的、悪く言えば軽い服装をした母の姿。その両手には、鮮やかな紅色で染められた玉状の房が握られている。
「も、もう……いっそのこと殺してください……!」
観衆の視線に晒されたシャーリィは、顔を耳まで真っ赤に染めながら自身の体を隠すように両腕で抱きしめていた。