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帝国閑話②


「――――説明は以上だ。直ちに遂行せよ」

「承知いたしました」


 ジェナンは家令にそう伝えると、彼はすぐさま執務室を後にし、それを見届けてから公爵家当主は高級な椅子に腰かけ、メイドが持ってきた紅茶を口にして、疲労で荒んだ気持ちを落ち着かせる。


(誰も彼も手間を掛けさせてくれる)


 そう思いながらも、ジェナンの表情はどこか晴れやかでもあった。

 ここ数ヵ月の間で、アルグレイ家に対して一気に押し寄せた災難とも言うべき案件に一段落が付いたのだ。その最たるものが、息子二人……アリスとシャーリィの兄弟に関することである。

 ジェナンには今年で三十三歳になる長男と、末息子である二十八の次男が居る。……いや、正確には、居たというのが正しいだろう。

 跡取りとして仕事を少しずつ任せて、爵位を継ぐ直前だった長男と、既に領内に別の屋敷を構え、兄の補佐役として公爵家に勤めていた次男を、ジェナンはアリスほどではないがそれなりに可愛がっていたつもりだ。

 自分やエレナの言う事には従順で反論することなど殆ど無いし、何より自分たちと同様、長男はアリスを心底可愛がり、次男は慕っているあたり、実に血の繋がりを感じられた。


(あの忌々しい娘さえいなければ、理想的な家族だったのだがな)


 ジェナンは少し、過去の出来事を思い返した。

 帝国貴族にとって不吉の象徴である白髪とオッドアイを持つシャーリィを虐げ、助けを求められても決して応じないように教育を幼い頃からアリス共々二人に施したのも、ジェナンとエレナだ。

 良くも悪くも素直な子供だったアリスは、恵まれない環境の中にあっても、容姿だけは異様なまでに優れた姉を妬み、率先して虐げていたし、長男と次男も父母に逆らうのが怖かったのだろうし、同じ血を持ち、同じ家の中に暮らしていても奴隷同然という弱者の立場にあったシャーリィに対する加虐心が膨れ上がっていき、憚ることなく暴行と虐待の限りを働いていた。


『アレを殴ったり蹴ったりするのって楽しいですね! うぐぅとか、あぐぅとか、痛めつける度に変な声を出すんです!』

『あの女の顔を見てると、なんだかイライラして仕方がないの! お父様、アレを手軽に痛めつけられる道具か何かないですか?』


 子供たちもシャーリィを妹、もしくは姉と認識していないのだろう。ただ血の繋がっただけの、何をしても許される人形のようなものだ。庇護欲に目覚めることなどあり得ない。あらゆる意味で力のない子供だったシャーリィは、そんな環境下で耐え忍びながら生きていくしか道はなかった。


『父上、どうせアレの嫁ぎ先など無いのでしょう? なら私に譲ってくれませんか? 悪いようにはしません』


 年頃になり、性知識を体で認識するようになった長男にいたっては、仮にも実の妹であるシャーリィを、女体を知るための体の良い娼婦か何かのように見ていたことも、何となく察しがついていた。悪趣味だとは思ったが、外見は非常に整っており、尚且つ身近にいる虐げられてしかるべき相手なら当然の反応かもしれない。

 待遇の悪化を恐れて諫める使用人はおらず、家族総出でシャーリィを痛めつけること自体が目的となって久しいある日、公爵邸を前皇帝夫妻と共に訪れたアルベルトがシャーリィを見初めた時、誰よりも衝撃を受けたのはアリスだった。


『どうしてあの女がアルベルト様の婚約者なの!? あのカッコいい皇子様と結婚して、未来の皇妃になるのはアリスなのに!』


 婚約者候補になり得る令嬢を集めた皇子の披露宴で、アリスがアルベルトを一目見て恋に落ちたのだと聞き、アリスを皇太子妃にしようと画策した矢先の出来事である。

 気に入らないことがあれば声を大にして主張するところが昔からある愛娘だが、あの時以上に激しく怒りを露にしたところを見た記憶はない。


『陛下。皇妃にするのでしたら、シャーリィではなくアリスはどうでしょうか? 未来の皇妃として相応しい素質は備えていますよ』

『そ、そうですわ。我が娘ながら、何処に出しても恥ずかしくない淑女として順調に成長しておりますし、今から皇妃として教育を受ければ、アルベルト殿下と並ぶに相応しい妃になることでしょう』


 そんなアリスが可哀想で、ジェナンもエレナも何とかしてシャーリィとの婚約を白紙に戻させ、代わりにアリスとの婚約を再度推し進めようとした。政略的な話を考えれば、婚約するのなら妹でも姉でもどちらでも構わないのだから、出来の良い方をとルグランドを説得しようとしたのだが、公爵家の令嬢とは思えない当時のシャーリィの貧相な姿を見た皇帝は、首を縦には振らなかった。


『皇妃とは心身教養揃えてこそ就ける座。自らの姉が虐げられて見て見ぬ振りをする娘が座れるほど、軽い地位ではない』    


 ジェナンは……いや、エレナも、アリスも、長男次男もアルベルトの陰に隠れていたシャーリィを、憎悪を剥き出しにして睨んだ。反抗しない事だけが取り柄の忌々しい娘が、公爵家総出の虐待を受けていると皇帝に告げたのだ。知ってか知らずか、それが名門アルグレイ家の心証と信頼を著しく貶めることになるというのに。公爵家にとって誰よりも愛すべきアリスが、この国で最も高貴な淑女になる未来から遠ざかるというのにだ。


『……どうやら私は、アルグレイ家の事を買い被っていたらしい』


 しかし真実は違う。公爵家の娘でありながら襤褸を着せられ痣が目立つ少女……それも白髪にオッドアイともなれば、シャーリィの身に何が起きているかなど、簡単に理解が出来る。能天気に甘やかされていると分かる身なりと面構えのアリスの前に座れば、尚更顕著だ。

 だが自分たちに一切の非はなく、悍ましい姿で生まれてきたシャーリィにこそ全ての非があると信じ切っているジェナンたちは、皇帝がどう思うのかすら分からない。

 結局、シャーリィは暫定の婚約者候補として、アルグレイ家でも手出しができない城で暮らすようになった。教養を受けさせ、本当に皇妃に相応しい淑女になれるのかを試すのだという。

 業腹極まりないことだが、この時点ではジェナンたちはまだ楽観視していた。何せ生まれたその時から教育など一切受けさせていないのだ。すぐに婚約者候補から外れ、アリスを皇妃の座に収める機会はやってくると。

 しかしその目論見は完全に的外れ。シャーリィは一度は損なわれたアルグレイ家の信頼を回復させるほどの淑女へと成長し、先帝夫妻や皇女フィリアから全幅の信頼を寄せられるようにまでなっていた。

 度々ルグランドもエリザベートもジェナンたちの前でシャーリィを褒めちぎっていたが、今思えば、あれは皮肉も混じっていたのだろう。

 お前たちが散々虐げ、見下していたシャーリィが、今やお前たちよりも立派な貴族となり、皇妃になることを約束された娘になったのだと。

 

『悔しいわ……! どうして私たちの可愛いアリスじゃなくて、シャーリィなんかが……!』

『父上……どうにかならないのですか!? このまま殿下との婚姻を許せば、名実共にシャーリィなどが我々よりも身分が上になってしまいます!』

 

 公の場とは言え、シャーリィに頭を下げなくてはならない。(うやうや)しい態度を示さなければならない。

 ……それだけは何とか回避しなければならない。ジェナンもエレナもその想いは一緒だった。たとえどれほどの利益と権益が転がり込もうとも、そこだけは譲れない。

 結果的に運命はジェナンたちやアリスに味方し、シャーリィは国外に追いやられ、アリスは見事皇妃の地位に就くことが出来、長男と次男は領地経営を覚えると共に、火遊びのように軽犯罪を繰り返しては、揉み消していた。

 しかし十年が経ち、成長した長男と次男がより大きな犯罪行為に耽るようになって久しい月日が流れた頃、再び目の前に現れた忌々しいシャーリィの登場と警察の立ち上げによって、アルグレイ家の情勢は一気に傾き始めたのだ。


『こ、これは合法だ! 今まで皆やってきた事じゃないか!?』

『父上、助けてください! 母上! 母上ぇえええええ!!』 


 帝国貴族の間で長らく、ひっそりと開催されていた、国際法で禁止されていた奴隷や危険薬物のオークション。その会場に雪崩れ込んできた警察が、オークションに危険薬物を出品していた長男と次男を逮捕したのだ。

 このままではアルグレイ家にも被害が及ぶ。ジェナンは事が公になる前に急いで長男と次男を正式に勘当し、経緯を明かさず結果だけを発表することで最低限の被害に抑えることが出来たが、被った被害は甚大だ。

 察しの良い貴族には何が起こったのかが分かっただろうし、噂は平民の間にも流れる。そして何より致命的なのは、公爵家の跡取りを全て失ってしまったということだ。

 アリスは皇妃だ。今更公爵家の跡取りにすることは出来ないし、子も望めない。派手な女遊びを繰り返していた長男と次男も避妊は徹底していたようで庶子すらいない。二人とも妻を娶っていたが子はおらず、その者たちも夫の逮捕と共に離婚して実家に戻った。

 なら分家から養子をと他の貴族なら考えるだろうが、それも出来ない。なぜならジェナンが公爵家の後継争いで、厄介な相手全員を暗殺したからだ。その結果、跡を継ぐ資格を持つアルグレイ家の血を引くのはエレナが生んだ四人と、ソフィーとティオのみ。

 

「やらせない……やらせるものか……!」


 血の繋がらない者を養子にしても、後継者にはできない。貴族の血統とはそういうもので、血縁上赤の他人を後継に添えれば、それは最早アルグレイ家ではなく、まったく別の家が公爵の座を継ぐに等しい。それが帝国貴族の習わしなのだ。

 あくまで仮定の話だが、シャーリィがアルベルトの側室になったとしよう。そうなればアルグレイ家と皇帝家の間に生まれたという正当な血筋を持つソフィーとティオのどちらかが次の女帝になる可能性があるのだが、もう片方は降嫁されるか、他国へ嫁ぐかになるのが普通だ。

 しかし帝国の大貴族であり、皇帝の最も大きな後ろ盾であるアルグレイ家は跡取りが居なくなっている。このようなケースの場合、女帝になれなかったどちらかが、公爵家の跡取りとなることだろう。少なくとも、ジェナンはそう思っている。

 血筋的にも一切問題ないし、アルグレイ家を存続させるにはこれしか手が無い。普通に考えて、ジェナンたちはシャーリィが帝国に戻ってくるように行動するべきなのだ。


「シャーリィの娘などに……! ………………た、出来損ないの娘などに、当主の座を渡して堪るか……!」


 だがそれだけは認めることが出来ない。完全な袋小路に追いやられても、ジェナンは致し方ないと割り切ることが出来ない。

 妻のエレナもそうだ。アリスの子なら幾らでも歓迎できたが、あんな忌々しい娘が生んだ孫などに、公爵家当主の座を渡さないでほしいと泣いて縋った。

 

「僅かな可能性すら見逃さんぞ。シャーリィにも、その娘にも、好き勝手にはさせん」


 王国は紛れもない強国だ。シャーリィの後ろ盾である冒険者ギルド……もっと言えばカナリアの力も絶大だ。恐らく、アルベルトの望む展開になる可能性は低いだろう。

 それでも、ジェナンは数字的確率を無視して多大なリスクを払わなければ、未来に対する不安に夜も眠れない。最早彼にもエレナにも、正気の二文字は残されていないのだ。

 損得勘定すらも無視させるほどの狂気が渦を巻く。一体何がこの夫婦を駆り立てるのか、それは最早誰にも分からない事。そしてそれを諫める者も現れることなく――――


「調べた話では、運動会などという戯けた行事が行われるようだが……実に丁度いい。人ごみに紛れ、始末するには丁度良い催しだ」


 ソフィーとティオの暗殺計画が、実行された。

 

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