リンゴと腸詰の飾り切りといえばと問われれば
リンゴのウサギ切り、腸詰のタコ切り。食材を加工して動物を模す調理技術はよく聞くが、ギルドが誇る最強の剣士、《白の剣鬼》シャーリィのそれは、他とは一味違う。
「…………」
伝説曰く、ありとあらゆる毒や邪気、瘴気といったありとあらゆる不浄を祓い清める聖人が振るったという、伝説の双短剣。その刃は数多の凶悪な魔物を切り裂いて、猛毒の血潮に塗れてもなお、一切錆び汚れることなく美しい青白い刃を保ち続け、何時しか聖人の特性である浄化の力を宿した。
その聖人の伝説がどこまで本当であるか……少なくとも数百年は経った今では分からないことだが、少なくとも伝説通りの双短剣は存在し、樹海の中に安置された悪魔像に突き立てられていたそれは、今ではシャーリィの手元にある。
そんな伝説の短剣を両手に、瞳を閉じて結果を想定し、過程を想定し、全身の脱力と共に神経を研ぎ澄ませていく。その際に全身から吹き出る魔力によって、彼女の雪のように白い髪は風の中を舞うように靡いていた。
そんな担い手の魔力に反応した双短剣は、その刃からあらゆる不浄を払う浄化の光を放出し始める。これより剣の鬼が打倒するのは猛毒を宿し、山に巻き付くほど巨大な蛇王か、はたまた瘴気に包まれた三面六臂の大悪魔か。
少なくとも、伝説の聖人が振るった浄化の短剣を構えるところだけを第三者が見れば、そう見えるのだろう。
「それじゃあ、行くよ」
しかし、そんな彼女の前にあるのはまな板一つ。その隣には両手にそれぞれリンゴ丸ごと一個と、豚の腸詰一つを持ったマーサ。身に纏う防具は毒や瘴気から装備した者を守る教会製の聖鎧とかでもなく、愛用のエプロンだ。ついでに言えば、愛用の頭巾も被って髪も後ろで纏めていたりする。
「お願いします、マーサさん」
「1、2の……それっ」
マーサはリンゴと腸詰を同時に投げる。二つの食材が放物線を描いてシャーリィの眼前に飛来すると、シャーリィは一瞬だけ両手を動かした。
それは両手の短剣をそれぞれ一閃ずつ振るったかのように素人には見えるだろう。しかしその実、無数の斬撃がリンゴと腸詰を切り裂いたのだ。それでいて、形に一切の変化はない。
実は切れていないのでは? そう思った矢先、まな板の上にリンゴと腸詰が軽やかに着地すると同時に、その表面と肉の部分がボロボロと零れ落ちた。
そして出来上がったのは、動物を模した飾り切り。手持ち用の小さな串を刺して弁当を彩るに相応しい一品――――
「……あたしが知ってる飾り切りとはかなり違うんだけどねぇ」
「……違うのですか?」
ではなかった。マーサは伝説の短剣まで用いての超絶技巧で生み出された飾り切りの出来栄えに、思わず半目になる。
まずリンゴの飾り切り。こちらは赤い皮の部分を耳に見立てた一般的な物ではなく、本物の野兎の全身を忠実に再現した、まるで彫刻品めいたリンゴだ。それを一つのリンゴから二つ作りだしている。
続いて腸詰の飾り切り。こちらも前者と似たようなもので、腸詰の先端に切り込みを入れてから加熱して作るようなものではなく、本物のタコを忠実に再現した小さな模型のような飾り切りである。足の形や本数から頭の形、目元まで異様なまでに凝っている。
「ところで、あたしがリンゴと腸詰を投げた理由あったのかい?」
「裏側まで忠実に再現しようと思いまして」
「あ……そう」
マーサは呆れすぎてそれ以外の言葉が出てこなかった。よく見てみれば、ウサギの足裏にはちゃんと肉球まで再現されている。方向性を間違えた、実に無駄な努力だ。
「色々と言いたいことはあるけど……何なんだい、その光るナイフは?」
「以前タオレ荘に訪れたグラニアさんは覚えていますか?」
帝国から呪術を送られてきた際に世話になった、《幻想蝶》の異名を持つSランクの冒険者だ。考古学者も兼任している、カナリアの子孫でもある。
「先月偶然お会いしてこの短剣の事を聞いたのですが、中々に素晴らしい一品ですよ、これは。短剣自体が自動的に清潔な状態を保ち、不衛生な食材や毒抜きを仕損じた食材を購入してしまった際も、切るだけで浄化して娘たちに安全な食事を作ることが出来ます。……二本あるので、何でしたら一本お譲りしますが?」
「要らないよ」
まさか伝説の短剣も悪魔祓いではなく、便利な包丁としてのみ使われるとは思わなかっただろう。かの聖人も草葉の陰で泣いているに違いない。
「しっかし、普通リンゴや腸詰の飾り切りって言うのはこんなにリアルなのじゃなくて、それっぽく見える物の事を言うんだけどねぇ」
ある意味食べるのも勿体ない出来栄えだが、明らかに弁当という趣旨から外れている。シャーリィは一体どこを目指しているのか、マーサは甚だ疑問になった。
「…………ソフィーもティオも、民間学校に通うようになってからお年頃です」
「? そう、だね。でもそれが一体何だって言うんだい?」
「友人の前では大人びた自分を見せたいと思うようになってきたということです」
何を言っているのか分からず、頭に疑問符を浮かべるマーサにシャーリィは厳然と告げる。
ソフィーもティオも、所謂〝お母さんっ子〟だ。しかし、それを露骨に言動で表すのは友人の眼が届かないタオレ荘の時だけ。
宿の外でも母を慕っていることは言動の端々に表れているが、それでも露骨というほどではない。ソフィーなどは特に顕著だろう。その証が、彼女のトレードマークになりつつある三つ編みなのだ。
これは親離れというよりも一種の見栄の問題だ。少女たちは少女たちなりに大人になろうとしているのである。そしてそれを分かっていて邪魔をしようなどと、シャーリィの選択肢にはない。
…………五年ほど前までは、何処の誰に対しても母の事ばかり話していただけあって、とても寂しくは思うのだが。
「つまり、運動会に持って行き、友人の眼にも留まる娘たちのお弁当は、歳を重ねると同時に、去年よりも洗練されたものでなくてはならないのです。どこの誰に見せても恥ずかしくならない、味も見た目も今の娘たちに最も相応しいものでなければ」
「まぁ、言わんとしてることは理解できたよ。方向性は思いっきり間違っているけどね」
そういう訳で、今シャーリィはマーサの監修の下、運動会に持って行く弁当作りの練習に励んでいる訳である。ちなみに、後でタオレ荘の食事を担当しているマーサの夫にも見てもらう予定だ。
「今年に入ってからソフィーなどは特に背伸びが目立ちますからね。去年はマーサさんに教わった飾り切りをお弁当に入れていましたが、今の二人からすれば少々可愛らしすぎるような気がして……今年はもう少し大人し目の見栄えにしようと思ったのです」
「だからってこれは無いだろうに……」
食べるのが勿体ないくらいに見栄えの良い料理というのはよく聞くが、この二つの飾り切りもそれらと同じようなものなのに、どうしてこうも悪い意味合いが強いのか。
……十中八九、リアリティがあり過ぎるせいだ。
「……そんなに酷いですか?」
「酷いというか、無駄に似すぎてるせいで食べ難い気がするね。というか、このリンゴに至っては皮も残ってないからフォークや串で突き刺して食べるんだろ? 流石にそれはちょっと……」
料理にこの手の精巧さは要らないのである。気にしない者は気にしないだろうが、ウサギ型のリンゴにフォークを突き刺して食べるのは、連想されるイメージが悪すぎる。
「大体大きすぎて弁当箱に入らないだろ、このリンゴ」
「小さくも出来ますが?」
一瞬でウサギ型リンゴが切り刻まれ、より小さなウサギ型リンゴが出来上がる。本当に無駄な技術である。
「それにこの腸詰。女の子の弁当にこんなリアルなタコの飾り切りを入れる奴があるかい」
「……これは密かな自信作で、娘たちも驚きと共に喜んでくれると思ったのですが」
見ててください……と言って、シャーリィは精巧すぎるタコ形の腸詰をフライパンで加熱する。熱によって肉と脂身は縮れ、タコの足がウネウネと動くのを見て、マーサは何とも言えない気持ちになった。
「このように、加熱することで足の造形に躍動感を持たせ、更には吸盤が浮かび上がるのです」
「だからあんたは頑張る方向性を間違えてるって」
本当の本当に、無駄な技術だ。こんなものが弁当箱に入っていたら、大抵の者は引くだろう。
「というか、あんた内陸部で暮らしてるのに、よくタコの姿をここまで忠実に再現できたね。しかも腸詰一つで」
マーサは料理人の夫を持つだけあって海産物も幾度か目にしてきたが、腐敗などの理由もあって、辺境の街を始めとする内陸部では海産物はまだ馴染みが薄い食材なのだ。
こうしてタコの飾り切りが伝わってこそいるが、実物を見たことが無いという者も、内陸部では少なくない。現在はカナリアが冷凍保存しながら長距離を持ち運べる魔道具の開発を進めているらしいが、出回るのはまだ先の話だろう。
「討伐依頼に騎乗竜に乗って赴く際、帰りがけに港町まで寄って参考資料として大まかな外見を覚えただけですよ。……まぁ、これほどの低評価だと無駄足になったようですが」
そう何てこと無さそうに言ってのけるシャーリィだが、それが常人では成し遂げられない快挙の数々をこなした帰り道、普通なら疲労のあまり倒れてもおかしくはない激闘の後で、まるで買い物のついでのように遠く離れた港町に赴いたことを、マーサは知っていた。
数千体という数を誇りながら、一体一体が大熊の如き体躯を誇る大王蟻の軍勢を。
水も、大気も、大地をも腐らせる猛毒の王である九つの首を持つ龍を。
海辺の町を騒がせた、幽霊船に巣食う古の大怨霊をも、その華奢な体で振るう剣で切り伏せて、それを誇ることもしないということを。
……いや、正確には、得た功績や武勲などどうでも良いのだろう。シャーリィにとって、ソフィーとティオに関する事が最も優先されるべき事なのだ。
他の冒険者とも交流を重ねるようになって久しいが、彼らのように武勲を誇るには、まだ感覚として共感できないのだろう。シャーリィにとって、魔物の討伐は手段でしかないのだ。
「やはりここは飾り立てるのではなく、無難に味と色合いで勝負するべきでしょうか?」
「そうだね。そっちの方が断然良いと思うよ」
切ること以外は決して達者とは言えない腕を振るい、時に自分や夫の意見を聞いては細かくメモに記し、ただただ娘たちの為に料理の腕を熱心に磨くシャーリィを眺めながら、マーサは鼻でそっと嘆息する。
外見からはそうは見られないが、シャーリィとマーサの歳の差は十と少し。長年この街で冒険者たちを見守り続けた宿の女将は、これまで見たこともない冒険者に、まるで年の離れた妹のような……あるいは、目が離せない娘を見るような視線を向けていた。
「……? どうかしましたか、マーサさん?」
「何でもないよ。それより、その一品はパンの横にそのまま置いちゃダメだよ。普段の食事と同じじゃなくて、弁当には弁当の盛り付けってもんが――――」
街の外は地獄。されど、街の内は存外平和なもので、今日も今日とて人の営みは続いていく。
そんな日々がしばらく通り過ぎ……運動会の日がやってきた。