最近折れ曲がりやすくなった鋼の意思
コミカライズ情報公開しました! 8月29日、明日から連載開始のようです! 詳しくは活動報告をどうぞ!
経験者故か、対局序盤は余裕の表情を浮かべていたマルコだったが、互いの駒が勝利を目指して動いていくにつれて、嫌な汗が滲み出てくるのを自覚した。
「くっ……! ならグリフォンの駒をここに……!」
「えへへ、じゃあこっちのトレント貰いっ!」
「あっ!?」
気が付いた時には既に遅し。自陣の駒の一つを奪い取られ、マルコ側に立っていた男子たちは野次を飛ばす。
「おーい!? さっきから負けてないか!?」
「う、うるせー! こっからだ、こっから!」
とはいっても、素人とは思えないソフィーの采配に、マルコはまるで攻められていない。
経験者と言っても、マルコは子供な上に学校の放課後活動で嗜む程度の実力だ。無論、それでも同年代の素人に負けるほど弱くはないのだが、ソフィーは経験を補って余りある戦略をプロの指し手から学び、漏れなくものにしている。
冒険盤はルールの仕様上、相手の駒を奪おうと思えば、自分の駒を前に進める必要があるのだ。その上、この手の遊戯は性格が出るのか、マルコは攻めを重点的に置いた戦略を好むらしいということを、駒の動かし方から察せられる。
「やった! またマルコの駒を取っちゃった!」
「うげっ!? またかよ!?」
しかし、それに対してソフィーは勇者の駒は盤の一番隅まで移動させた上で、他の駒で自身を囲み、慎重に守りを固めながら近づいてくるマルコの駒を得意げな表情を浮かべながら狩り取っていく。
今や大陸でも数多く存在する冒険盤の指し手、その中でも上位の実力を持つ者がよく使う、常道だが極めて厄介な陣形だ。少なくとも、本格的に学んでいない子供が使うような指し方ではない。
そんなプロが使うような指し方を完全に理解し、対局でも使えるようになるレベルまで会得したソフィーに、シャーリィは内心諸手を上げて大喜びしていたのは余談である。
「勇者の駒が引き籠ってんじゃねー!」
「これはそういう遊びなの! そっちだってドラゴンの駒なのに一番奥で全然動いてないでしょー!」
盤上の戦いに歓声と落胆の声が同時に上がる。今回の子供同士の喧嘩に決着がつくのは、後もうすぐだ。
民間学校の一室、会議室にカナリアに招かれたシャーリィたちは、既に大勢の大人が着席しているのを見て、自分たちが保護者たちの中でも最後の方に訪れた事を知った。
「これで全員揃ったようじゃな。それでは、今年度の運動会についての報告を始めるぞ」
シャーリィたちが空いた席 or 空席に座ると、再び人間に化けたラクーンを後ろに控えさせ、招かれた保護者たちを見渡すように最前の机に着席したカナリアの言葉と共に、報告会が始まる。
しかし、大半の保護者達はどうにも訝し気な表情を浮かべている。そもそも、運動会のことで保護者までも招いて何を説明するというのか分からないのだ。
「お主らの記憶にも新しいと思うが、今年は様々な事件があった。竜王戦役に帝国からの誘拐犯×2。……付け加えて言うなら、王城で大騒ぎしたバ怪盗。法が整備され、民間人の味方である冒険者が増えても尚、世は荒れておる。その世情の波は、この辺境にも及んでいるほどじゃ」
そして信じられないし、信じたくもないのだが、それら全ての事件は初春から初秋の間……半年も経たない内にこの街や、ソフィーとティオを巡って起こった出来事なのだ。
そう思うと、シャーリィは少しやるせない気持ちになった。早め早めに元を断って、何一つ気兼ねない日々を取り戻したいところなのだが、相手が一国家ともなると様々な障害があるのだ。
「そういう訳での、最近何かと物騒じゃから、運動会の子供の応援に来る保護者……その中の冒険者ギルドに属する者は、武装し警備も兼ねて来てもらうこととなった」
会議室がザワリと騒がしくなる。何か事件が起こるという訳ではない……しかし、今年立て続けに起こる物騒ごとを鑑みれば警備が必要になるのは当然の話だ。特に子供の誘拐騒ぎなど、保護者としては他人事ではいられない。
「特に見回りや見張りをする必要もないし、普通に運動会を楽しめばそれで良いのじゃが、念の為じゃ。何事もなければそれでも良い。しかし、何かが起これば冒険者たちには生徒や一般の来賓たちの避難誘導をしてもらいながら、事の収拾に――――」
「あのー……質問なんですけど」
「む? 何じゃ? 発言を許すぞ」
その時、一人の保護者が挙手しながら立ち上がる。見るからに冒険者とは言えないような若い優男だ。隣には恐らく妻なのだろう、偶にギルドで見かける、最近この街に来たという女冒険者が座っている。
「応援に来る保護者でギルドに属している人が警備も兼ねて来られると言いましたが、生徒たちに保護者を含めるとかなりの人数ですよ? 応援に来るギルド登録者だけで足りるんですか?」
民間学校は三学年二クラス。生徒人数だけでも約百八十人だ。保護者や教員を含めれば更に増えるだろう。ギルドから派遣するならともかく、カナリアが提示した人員だけでそれら全てを避難誘導するに必要な人数が揃うのか、不安を覚えるのは無理はない。
(尤も、依頼を出してでも冒険者を雇おうとしても、内容が運動会の間の学校の警備という簡単なものとなると、必然的に報酬も安くなるため、誰も受けたがらないのですが。そもそも受理されるかどうかも疑問ですし)
大なり小なり、一般人では危険な仕事だから冒険者は頼られる。ギルドは何でも屋ではないのだ。来ると分かり切っている盗賊ならいざ知らず、あるかどうかも分からない騒ぎに対処する警備仕事など、ギルドの管理外……どちらかというと、守備隊の仕事だ。
そしてその守備隊も先の騒動の事があり、総員見回りで忙しく、民間学校を集中的に警備することができない。
「足りるとも」
しかし、カナリアは即答した。
「調べてみれば、三学年の保護者の中でも応援に来るという冒険者は、毎年二十から三十人はおってな。今年はなんと三十四人もおった」
「え……? そんなにいるんですか?」
シャーリィの隣に座るカイルは小声で語りかけながら辺りを見渡す。すると、確かに見覚えのある顔ぶれがところどころに居ることが分かった。
「この街は冒険者の開拓地ですからね。冒険者の親というのは、実はそこまで珍しくはないようです」
魔物や盗賊、外道魔術が多く蔓延るこの世の中、命の危険が伴うものの、王国では冒険者は一般的な職種と言える。そんな王国の中でも開拓地であるこの街ならば、シャーリィの様に民間学校に通う子を持つ冒険者がこのくらいいても不思議ではないのだ。
「運動会には保護者の同伴であれば親類縁者も訪れることが出来る。そうなればもっと来賓は増えるが冒険者も更に増えることじゃろう。人員には問題ない。という訳で、当日民間学校で騒ぎが起これば、事態の収拾を付ける冒険者たちを纏める役目はアステリオス、お主に任せるぞ。その為に呼んだんじゃからな。報酬に関しては応相談じゃ。他の者たちもな」
「……なるほど。そういう事でしたか。承知した、魔女殿」
本来なら民間学校に一切の関わりもないアステリオスだが、救いの手を差し伸べることを良しとした僧侶でもある彼は特に迷うこともなく頷き返す。この場に来ていた他の冒険者たちも、最近の物騒さに加え、報酬と言われれば一先ず納得したようだ。それを見てカナリアは満足そうに頷いている。
(……カナリアの目的は全く別のようですが)
しかしシャーリィは、警備の為に応援に来る冒険者を武装させようとしているという訳ではないということをすぐさま理解した。それはアステリオスも同じだろう。
そもそも警備など、毎年理事長として観に来るカナリア一人居れば事足りるし、校長と兼任して警備員として民間学校の敷地に封じられたラクーンも居るのだ。わざわざ応援に来る冒険者たちに武装させる必要はない。……ラクーンが、課せられた制約を破って女子生徒に襲い掛かりでもしない限りは。
「しかし、せっかくの運動会じゃというのに、武装した物々しい連中が居ては子供たちも怖かろう。それはいかぬ。実にいかぬ。そこで妾は考えたのじゃ」
やっぱりか……と、シャーリィは自分の推測が的中していることを確信した。一体何を言い出すのかと身構えていると、カナリアは嗤いながら告げた。
「お主らも、思い切って運動会に参加してみぬか?」
『『『……はぁ?』』』
保護者達は全く同じリアクションを示した。当たり前の反応だろう。運動会は子供が主役の催しなのに、何故大人の自分たちまでもが参加しなければならないのか。
「生徒たちは体育の授業になれば体操服に着替える。それこそが、この学校における運動時の正装であるが故に。そしてお主らの正装とは武器と防具に他ならぬ。ただ居るだけなら物々しい姿も、参加する側となれば立派な衣装となる。これで生徒たちの心証問題も解決という訳じゃな」
「いやいやいや、流石にそんな理屈が通る訳――――」
滅茶苦茶な理屈で押し通そうとするカナリアに一同唖然とする。そんなギルドマスターに待ったを掛けようと一人の冒険者が立ち上がろうとした瞬間、カナリアはあからさまな態度と共に嗤いながら告げた。
「そうそう、これはあくまでついでなのじゃが……大切な事なので二度言うが、あくまでもついでなのじゃが……この学校の運動会は紅白戦でな、優勝したチームには毎年妾の裁量で出来る範囲の願いを何でも叶えてやっているというのが伝統なのじゃ」
それは真実だ。去年もそうだったし、シャーリィがカイルやクードを横目で見ると、彼らが頷き返してきた。以前からそうだったのだろう。だからこそ、この学校の生徒たちも運動会への士気が高いのだ。
「保護者の冒険者たちにはそれぞれ自分の子供と同じチームに属してもらうことになるのじゃが……もし、自らのチームを勝利に導くことが出来れば、お主らが望む景品を、妾の裁量で可能な限り用意しようではないか」
ビシリと……そんな音を立てて、冒険者たちの反論が停止したような気がした。
「そ、そりゃあ……大袋一杯の金貨でもか?」
「無論じゃ」
「ギルドマスターがオーダーメイドで作った魔道具でも?」
「当然じゃ」
「高すぎて手に入らない高価な魔武器や防具でも?」
「妾に不可能はない」
魅力的な報酬があれば冒険者は大抵動く。金貨だけならまだしも、自らの命を繋ぎ、成り上がる直接的な手段である貴重な魔武器やカナリア手製の魔道具は、冒険者たちにとって喉から手が出るほど欲しいものだろう。それを知っているカナリアの言葉に、場の雰囲気が明らかに変わった。
面倒くさそうにしていた冒険者たちが一様にやる気を出してくる。物欲に釣られるところが実に冒険者らしいとも言えるが、付き合いの長いシャーリィからすれば、カナリアはまだ何かを隠しているような気がしてならない。今回の話は、悪辣なカナリアにしては気前が良すぎる。
「どうじゃ? 学校行事とは言え祭りは祭り。大人として親として、子供らが楽しめるよう、共に盛り上げようではないか」
「む……むぅ。確かにそれも良いかもしれないな」
勝てるかどうかはさておき、参加してみる価値は十分にある。そんな思想漂う雰囲気を、カナリアの手のひらの上で転がされているような気がしてならないシャーリィが彼女の真意を問い質そうとした瞬間、カナリアがシャーリィに視線を向けて勝利を確信したような厭らしい笑みを浮かべた。
「ちなみにお主らに参加してもらおうと思っておる父兄種目は、主に冒険者同士の対決と、自らの子供と組んで参加する競技を考えておる。生徒たちは皆、優勝に対して並々ならぬ執念を燃やしておるゆえな。これで我が子のチームに目に見える貢献をし、見事勝利に導ければ、親としての株価は最高潮に達し――――」
「素晴らしい発案です。是非とも実現するよう、私も最大限の協力を辞しません」
「シャーリィさんっ!?」
今回ばかりは決して引かない。夏休みの時のようにはならない。そんなシャーリィの確固たる意思は、手首がねじ切れんばかりの手のひら返しと共に、百八十度折れ曲がった。
「では今年度は父兄参加型のド派手な運動会にするか否か、最後に保護者の多数決を取ろうと思う。賛成の者は挙手を――――」
こうして、子供の安全対策の説明も行われ、特に反対意見も出ることなく今年の運動会は父兄参加競技が多く盛り込まれる、過去最大規模の催しとなったのだが、全てが決した直後になって、シャーリィはハッと何かに気が付き、苦渋に美貌を歪ませた。
「しまった……私としたことが、ついつい浮かれて……!」
「あぁ、やっと正気に戻ったんですね、シャーリィさん。ギルドマスターに完全に流されちゃったからどうしようかと――――」
「私がソフィーやティオと共に競技に出た時、あの子たちの姿を激写する暇が無くなってしまいます……!!」
「ダメだ。まだ正気の沙汰じゃないらしい」
そんな感じで、報告が終わっても、『応援だけではなく大なり小なり参加する側として娘たちと共に運動会を楽しむ』というシチュエーションに浮かれっぱなしで冷静さを失ったシャーリィを見て、カナリアは人知れずほくそ笑み、事態は加速の一途を辿るのであった。