魔女の招き
「ところで、結局何をもって最終競技の出場者を決めることになったのです?」
手を洗って戻ってきたソフィーとティオが満足気に焼き菓子を平らげた後、シャーリィは思い出したかのように問いかけた。
「あぁ、確か何だっけ? 明日マルコが持ってくるとか言ってた……」
「冒険盤? やけに自信満々で提案してきたけど」
「そう、それ」
「……あれですか」
冒険盤。アドベンチャーボード。様々な呼び方があるそれは数多くの種類の駒を用いて行われる、冒険者ギルドでも正式採用される仮想戦術盤であり、これから立ち向かう敵の戦力を想定し、冒険者側の戦力で如何に打ち破るか、その戦術を組み立てる為の物だ。
「……だったのは、もうずっと昔の話ですね」
「そうなの? 今でもそういうのがあると思ってた」
「他国とも共通する常道戦術がある人間相手とは違い、魔物を相手にする時はどのような個体なのか、どのようなイレギュラーがあるかも分からない以上、どれだけ想定しても意味はありませんし、実際に現場に行って確かめてみる方が早いですからね。まさに机上の空論というものです」
「あ、それもそっか」
これが人間同士で戦う戦争を想定した、チェスのような戦術盤なら話は違ったのだろうが、個体によって強さが激しく変動したり、突然現れる予期せぬ遭遇など、魔物を相手にするには不確定要素が多すぎる。
冒険盤も正式採用されていたのは最初の方だけ。割とすぐに使えないという烙印を押され、今では冒険者たち市井の間で趣味や暇潰しに行われる娯楽と化した。
「失敗作として烙印を押されはしましたが、娯楽としてはかなり広まっていますね。今そこのテーブルでもやっていますし、年に数回大きな大会なども行われていますし」
「みたいだね。今まではあまり興味なかったけど、よく見たら駒とか造りがかなり凝ってるし」
娯楽と化してから、冒険盤にはルールが規定され、駒や盤にもかなりの遊び心が加えられるようになった。今の冒険盤は冒険者と魔物をそれぞれ駒に例え、その駒を縦横九マスの盤上で取り合うチェスのようなものだ。
隣のテーブルに置かれ、二人の冒険者がそれぞれ魔物側と冒険者側で分かれて対戦する盤上では、実に精巧な造りをしている戦士の駒が、同じく精巧なドラゴンの駒を取っている。
「私が生まれる前から既に大勢の間で嗜まれていたようですが……只では転ばないのがカナリアらしいというか」
「……え? もしかして、冒険盤も理事長先生が作ったの!?」
「本人はチェスを完全に模倣して改良したと胸を張っていましたがね」
一度は失敗しても、それを糧に金目に変えてしまえるが故に《黄金の魔女》と呼ばれるのだろう。シャーリィはカナリアの性格の悪さには辟易としているが、こういう抜け目の無さは認めていたりする。
「それで、話を戻しますが、マルコ少年は冒険盤は強いのですか?」
「そうみたい。放課後活動でも冒険盤クラブに入ってるし」
余談だが、民間学校では放課後に学校内で集団活動するクラブというものが導入されている。人が集めやすく、学校予算で購入した備品といった、自宅には無い要素が学校にはあるということもあり、割と盛んに行われているようだ。ちなみにソフィーとティオはクラブに入っていない。
「……運動会の競技を決めるのですから、いっそのこと足の速い者から決めればいいと思うのですが」
「それはそうなんだけど……運動会前だし、授業としての練習中ならともかく、それ以外の事で怪我はしない方が良いだろって、先生が」
「競走しても二人はあまり変わらないし、だったら室内でもできる、白黒はっきり付きやすいもので勝負した方が、二人も納得するみたい」
「なるほど……そういう事ですか」
シャーリィは内心で、ソフィーの怪我を予期して提案した担任教師に称賛を送る。マルコは割と本気でどうでも良い。
運動能力はマルコもソフィーも似たり寄ったり。怪我をさせないという前提があるのなら、運動会に関係が無くても分かりやすく勝敗を決められるもので雌雄を決する方が良い。
「しかし、その手の話し合いは一日の内に終わらせるものと思っていましたが」
「なんかね、今日明日中に全部決めなくても大丈夫なんだって、先生が言ってたよ」
民間学校にもいろいろある……そういう事だろうと、シャーリィは自分なりに納得しておいた。
(しかし……冒険盤ですか。これはソフィーには不利かもしれませんね)
あれは見た限りでは学力など関係なく、勝負勘と駒を用いた盤上戦術の組み立てが物を言う遊びだ。つまるところ、他の大戦遊戯と比べても経験者の方が圧倒的有利。
クラブ活動として日頃から冒険盤を嗜んでいるであろうマルコは、素人のソフィーが明日挑むには過ぎた相手だろう。
「他に良い案が思いつかなかったけど、向こうのゴリ押しが凄くて結局受けちゃったしね」
「うん……。頭良いから冒険盤も強いだろって言われて……私、冒険盤やったことないのに……」
そして話の内容から察するに、どうやらマルコは自分の得意分野を無理矢理押し付けたらしい。
そこまでソフィーの希望に反する行動をとるとは……やはりマルコは討ち取るべきか。シャーリィは半分以上本気でそう考えた。
「とりあえず、学校から特別に盤と駒を借りてきたから、今日一日だけでも沢山練習しなくちゃ」
「……ソフィー。少しだけ待っていてもらえませんか?」
しかし遊戯とは言え、仮にも頭脳戦でマルコに負けるのは癪なのだろう。気炎を燃やしながら部屋に戻ろうとするソフィーを呼び止める。
「どうしたの? ママ」
「初心者が今日明日に経験者に挑めば、極めて苦しい戦いになります。ならせめて、その道に詳しい講師役を呼んで来ようと思いまして」
「講師役? お母さん、冒険盤が得意な知り合いがいるの?」
「えぇ。私もついこの間までは知らなかったのですが、今年の大会で優勝したようなのです」
優勝経験者! それを聞いて、ソフィーは思わず浮足立つ。
シャーリィとしては、本当なら自分が教えてやりたかったのだが、生憎と彼女はこの手の遊びをしたことがない。ならばいっそのこと、母娘で習い事感覚でやってみるのも悪くないかもしれない。
内心でそんな光景を思い浮かべながら、シャーリィは一つ頷いてから食堂の扉から廊下に出る。
「それではすぐに戻ってきます。今日はギルドに居ると聞いていますし、恐らく時間も貰えるでしょうから」
そう言い残すや否や、シャーリィはタオレ荘から出ると同時に隣の建物の屋根へと跳躍。そのまま屋根伝いに最短コースで冒険者ギルドまで駆けていき、ギルドの扉を開けると、やたらと目立つ牛頭の巨漢が見えた。
「すみません、アステリオスさん。少しよろしいですか?」
現在は最前線から一歩退いた、新人冒険者の育成をギルドから任されているAランク冒険者のアステリオスは、タオレ荘の食堂で事情を聞いて抑揚に頷く。
「なるほど、なるほど。そういうことであれば、吾輩でよろしければ力になりますぞ」
「本当!? ありがとうございます!」
「私からもお礼を言わせていただきます。娘の為に時間を割いてくれて……」
「お二人とも、頭を上げなされ。吾輩たちも無縁の間柄ではない。なれば、これもまた巡り合わせでありましょうぞ」
それにしても……と、アステリオスは母娘三人を軽く眺める。
「貴女の御子も少し見ぬ間に大きくなられましたな。カイル殿たちとは今でも顔を合わせることがあるのですが、気が付けば一回りも二回りも成長している。若者の変化とは実に早いものですな」
「ええ、まったく」
同感だと言わんばかりに頷くシャーリィだが、アステリオスにはシャーリィも若者たちと同じように見えた。
(精神が成長し難い半不死者であり、数ヵ月前までは刃の如き鋭さを持つ雰囲気を発していた彼女が、随分と穏やかな気配を纏うようになった)
それもこれも、ソフィーやティオを始めとする多くの者が、シャーリィに良い影響を与えているおかげだろう。アステリオスは人知れず口角を上げた。
「でも意外なような、そうでもないような……牛のおじさんに冒険盤なんて特技があるなんて知らなかった」
「ティ、ティオっ」
「ははははは。構いませぬぞ。事実、吾輩もいい歳でありますからなぁ」
牛のおじさん。そう言ったティオにソフィーは思わず咎めるように名を呼ぶが、アステリオスは実に的確過ぎる表現だと笑って許容する。
「新人の頃、吾輩を指導してくださった冒険者から教わりましてなぁ。当時では既に冒険盤も流行っていたこともあり、相手には事欠かず、気が付けば今日まで嗜んでおりました」
「ふーん……そんなに面白いの? これ」
「私も見たことだけはあるのですが、やってみたこと自体は無いですね」
「さてさて……それは人に依りましょうぞ」
そう言いながらテーブルの上に置かれた盤上に駒を並べるアステリオス。
「さて。それでは早速始めると致しましょう。聞くところによると、駒の動き方も知らぬとのことですが……」
「う、うん。教えて貰ってもいいですか……?」
「わたしもちょっと興味出てきた。見てても良い?」
「……私も(娘の様子が)気になりますね」
「勿論ですとも。ではまず駒の動かし方についてですが……」
アステリオスはソフィー側に置かれた勇者、戦士、斥候、魔術師、弓兵、魔法剣士、僧侶、重装兵、槍兵の駒と、自分側に置かれたドラゴン、ゴブリン、ウルフ、オーガ、グリフォン、外法魔術師、トレント、ゴーレム、悪魔の駒の役割を説明する。
冒険者側と魔物側とで、駒の役割が微妙に違うのが冒険盤の醍醐味だ。ちなみにざっくりとした勝敗条件は、冒険者側はドラゴンの駒を、魔物側は勇者の駒を取れば勝ちである。
「ではまず、確認がてらに一局指してみましょうぞ」
「よ、よろしくお願いしますっ」
それから数局指したものの、予想通りソフィーがアステリオスの連勝を止めることはなかった。初心者と達人の対局なのだから当たり前の話である。
「しかし驚きましたぞ。一局指すごとに実力を身につけているのが分かるほどの成長ぶりとは……。教えた戦術は確実にものにしておりましたし、貴女の御子は実に優秀ですな」
しかし、ソフィーの成長速度は大会優勝者のお墨付きだ。マルコがどれほど出来るかは分からないが、たとえ経験者でも大抵の子供が相手なら勝てる見込みは十分にあるとか。
それを聞いて内心胸を張りながら「ふふん」と鼻を鳴らすシャーリィの視線の先では、ソフィーとティオが向かい合って一局指している。その周りでは、タオレ荘に住む馴染みの冒険者数人が物珍しそうに観戦していた。
「槍兵をこっちにっと……よしっ! これでオーガも貰いっと!」
「むぅ……さっき始めたばかりの素人相手に大人げない」
「ふふんっ。私だって今日始めたばっかりだもん。お姉ちゃんとして、妹には簡単に負けられないもんね」
とは言え、勝ちが見える優位は優位で嬉しいのだろう。ソフィーはシャーリィの内心を真似したかのように胸を張っている。
是非ともどっちにも勝ってほしい。しかし勝負とは必ず勝者と敗者に分かれるもの。遊びとは言え、勝敗を奪い合う娘たちに悶々とした気持ちを抱えていると、食堂の扉が大きな音を立てて開かれた。
「新しいアベプレ誕生の予感に妾参上!!」
「今すぐ帰ってください」
「のっけから冷たすぎるんじゃが!?」
現れたのは金の髪と漆黒の双角。光輝くような黄金の盤と金剛石の駒を持参したカナリアであった。ちなみにアベプレとは、カナリアが今考えたアドベンチャーボードプレイヤーの略称である。
「お久しぶりにございますな、魔女殿。もしや貴女も冒険盤を嗜んでおられるので?」
「当然じゃろ。妾を誰と心得る。冒険盤の考案者様じゃぞ? ……まぁ、チェスをパクっただけなんじゃけど」
「……それで、本当に何をしに来たのですか。私は新しい体験を楽しんでいるあの子たちを見守るのに忙しいのですが?」
「無論、ただ遊びに来ただけ……おおいっ!? 何故妾を追い出そうとするのじゃ!? えぇい、背中を押すでない!!」
背中を押して食堂から……ひいては、タオレ荘から叩き出そうとするシャーリィの腕から体を回して脱し、カナリアはシャーリィに纏わり付きながら駄々を捏ねる。
「なぁーあー、良いじゃろー? 遊びたい気分なんじゃよー。もののついでに連絡事項もあるんじゃよー」
「ならその連絡事項だけ伝えて帰ってください。貴女が居ると何時も何時も余計なトラブルが起こるんです」
「……お主にとっても重要な連絡事項なのじゃが、教えるも教えないも妾の自由。妾と冒険盤で遊んでくれるのなら、教えてやっても良いがな」
「この魔女め……!」
そこまで遊びたいのかと、シャーリィは真面目な口調で煌びやかな冒険盤を目線の高さに持ち上げるカナリアに呆れ果てる。
「ほう、それでしたら、不肖この吾輩がお相手いたしますが」
「え? あー、いや、お主は強すぎ…………もとい、妾はシャーリィめを一丁揉んでやろうと思っておってな、うん」
そして何となく理解した。どうやらカナリアは素人を甚振って悦に浸りたい気分のようだ。考案者のくせに実に性格が悪く、大人げが無さ過ぎる。……ついでに言えば、考案者なのにアステリオスに勝てる自信がまるでないようだ。
「はぁ……分かりました。私でよければ相手になりましょう。駒の動かし方も先ほどまで分からなかった素人でよろしければ」
「うむ! 初めからそう言っておけばよかったのじゃ! さぁ、席につけぃ! 思う存分胸を貸してくれるわ!」
諦観の域に達してカナリアに付き合うことにしたシャーリィは、上機嫌で駒を並べるカナリアに問いかける。
「それで、重要な連絡事項とは何なのですか? どうでも良いことなら今すぐ叩き出しますからね」
「おう、そうじゃったそうじゃった。シャーリィ、それにアステリオスよ。明日指定した時間に民間学校に来い。詳しいことは明日話すが、今年の運動会について連絡事項がある」
そしてこれは完全な余談だが。
「あ……もしやこれでグリフォンをここに動かせば、もうカナリアの勇者は逃げ場が無くなって勝敗が決するのでは――――」
「カナリアルール発動!!」
「……カナリア、いくら何でもそれは無しでしょうっ。自分が負けそうになったからって、冒険盤をひっくり返して有耶無耶にするなど……!」
「負けそうになってなんかいーまーせーんー! 考案者たる妾にのみ許されたカナリアルールを発動させただーけーでーすー!!」
カナリアは考案者のくせに、最初の対局で素人のシャーリィと接戦した上に事実上敗北するくらい弱かった。