祖母とは
鎧袖一触。見敵必殺。シャーリィが運動会の邪魔をしに来る魔物……実際はただの生態活動の一環であるが……を片っ端から根絶やしにし、ギルドの金庫を広くしてからタオレ荘に戻ってすぐの事、ソフィーとティオが学校から戻ってきた。
「…………」
ただし、ソフィーは見るからに不機嫌と分かる、ムスッとした膨れっ面だが。
思わず突きたくなるような白く柔らかい頬を膨らます娘に、シャーリィは困惑する。
「……ソ、ソフィーは一体どうしたのです? 朝登校する時はいつも通りだったのに……」
「ん。実は……」
ティオは学校で起こったこと……またしてもマルコに突っかかられたことや、いきなり勝負を申し込まれたことをシャーリィに話す。
「なるほど……そういう事があったのですか。それで結局、売り言葉に買い言葉でその勝負とやらを受けたという訳ですね?」
「いつもならマルコに何か言われても、もうちょっと適当に受け流すのにね」
「う~……だってぇ……」
とりあえず不機嫌なソフィーを宥める為に、何時も使用している半ば特等席と化した食堂の片隅のテーブルに座らせようとしたが、よほど言いたい放題言われたのが悔しかったのか、ソフィーはシャーリィの膝の上に座り、鬱憤をぶつけるように母の豊かな胸に頭を擦り付けながら服を握りしめる。
「やれやれ……仕方のない子ですね」
嘆息混じりにソフィーを抱きしめながら頭を優しく撫でるシャーリィ。傍から見れば余裕も包容力もある母親だが、実は内心ではかなり緩んだ笑みを浮かべていることに気付いている者は、幸か不幸かこの場には誰も居ない。
「とりあえず分かりました。ようするに、ソフィーが出たい競技があるのに、マルコ少年はそれを邪魔しに来ると。そういうことですね?」
「うん! マルコったらいつもそうなの! 私のすることに何時も文句ばっかり言ってきて! 止めてって言ってるのに、会う度会う度に白髪っていうし、きっと私の事嫌いなんだ」
「…………それはどうなんだろう」
ティオは姉の見解に首を傾げる。
マルコがソフィーの事が気に入らないと感じているのは確かだろう。性格も幼さ故に横暴であるし、特に理由も無く揶揄って居るという可能性も否定できない。
しかしどうもそれだけではないのではと、客観的に見れる立場にあったティオはそう感じた。しかし、すっかり不貞腐れた姉や、子を慰めるのに夢中な母はティオの疑問に気が付かない。
「……以前の授業参観の時にも思っていましたが、やはりあのマルコ少年は要注意でしたか」
「お母さん?」
何やら母の様子がおかしい。その事に気が付いたティオが一旦席を外すと同時に、思案するように瞳を閉じていたシャーリィがゆっくりと瞼を開く。
「なるほど……万死に値しますね」
相手が子供故に大目に見れる部分もあるが、本来ならば娘たちに対して年老いた女への蔑称として白髪呼ばわりするだけでもシャーリィとして処刑ものなのだ。
それに加えて常日頃からソフィーに辛く当たっているなど、到底見過ごせるものではない。娘を罵倒する者は漏れなく死刑一万回だ。
「大丈夫ですよ、ソフィー。貴女が気にすることはありません」
まるで聖母のような微笑を浮かべるシャーリィ。しかし心の中では腸が煮えくり返っている。
「とりあえずマルコ少年は私がどうにかします。翼竜に逆さ吊りにして怪鳥の群れの中をゆっくりと飛行すれば、横暴な彼もきっと改心することでしょう」
「子供の喧嘩に踏み込み過ぎだよ」
なんとも物騒なことを呟くシャーリィの頭を、ティオが連れてきたマーサが平手で軽く叩く。
「まったく、冗談でもそんなことを口にするもんじゃないよ」
「? 冗談ではありませんが?」
「そんな純粋な目で言い切られてもねぇ……。とにかく、子供同士の喧嘩に下手に割り込むんじゃないよ。やるんなら、向こうの保護者相手に訴えな」
途方もなくピュアな瞳で疑問符を浮かべるシャーリィに、マーサは嘆息しながら助言し、隣にいるティオに視線を向ける。
「よくこの子がアホな事言い始めたのに気が付いたね、ティオ。放っておいたら本当にやりかねなかったね。偉いよ」
「ん。お母さんはたまに可笑しなこと言うから、止めるならマーサが一番だと思って」
「ティ、ティオ!? もしかして私の事を変人か何かだと思ってはいませんか……っ?」
「あー……何となく心当たりあるかも。ママって突拍子もないことを突然やり始めるよね」
「ソ、ソフィーまで……!?」
「あっはっはっ! 言われ放題じゃないかい! これに懲りたら少しは自制することだね」
机に突っ伏して「まさか娘にそんな風に思われていたなんて……もう生きていけません」などとブツブツ言いながら項垂れるシャーリィを何時もの事だと言わんばかりに笑い飛ばし、マーサは十歳にしては気配りができるティオの頭をワシワシと荒く撫でる。
「マーサ、頭が揺れる」
「おっと、ゴメンよ。嫌だったかい?」
少しボサボサになった柔らかな癖毛を手で軽く直しながら、ティオはマーサをじっと見上げながら告げた。
「……ううん。別に嫌とかじゃないから」
細くしなやかな手で髪を絡めるように優しく撫でてくれるシャーリィの手も好きだが、マーサのように仕事で荒れて大きくなった、温かい手で強めに撫でられるのも嫌いじゃない。
他の人ならそうは思わないのだが、マーサや彼女の亭主なら話は別。それは、それだけティオが二人に懐いている証拠でもあった。
「さぁ、帰ってきたなら手を洗ってきな。今日はちょいと試しにカナリアさんから教えて貰ったマドレーヌっていう焼き菓子を焼いてみたからね、手を洗って鞄置いてきたら戻ってきな」
「ホント!? 早く行こう、ティオ!」
「ん」
いつもは大人ぶっていたり、聞き分けが良すぎたりしても、気持ち的に弱っていたり、おやつの事になれば子供らしくなる。そんな二人の背中をどこかおかしそうに眺めていると、シャーリィがどこか恨めしそうな瞳で見てきた。
「何やら母親らしい言動の数々……。さてはマーサさん、私から二人の母という座を奪う気なのでは……!?」
「何馬鹿なことを言ってるんだい。ソフィーとティオの母親の役目なんて、あんた以外の誰に務まると思ってんだい?」
今日のシャーリィは久々に精神的に不安定だ。マーサは肉体の歳が止まってしまった、半不死者という特異的な精神異常者の母親を見ながら断言する。
カナリア曰く、シャーリィは半不死者の中でも更に特別な存在だ。
元々復讐心を糧として変性したにも関わらず、母性一つで精神をまたしても塗り替えられ、半不死者となる切っ掛けであった復讐すらも止めてしまっている。
「そもそも、娘たちが学校から帰ってきたり、友人と遊んでいる時にすかさずお菓子を用意するのは母親の特権のようなものだと思うのです。…………なのでその、二人に好評でしたら、今度私にも作り方教えてくれませんか? ……新しい焼き菓子」
その結果がこの色々と残念で微笑ましい母親である。それが良い事なのか悪いことなのかと問われれば……やはり良いことなのだろう。
「……あんたたちがこの宿に住み始めてから、もう十年以上経つんだねぇ」
「何です、藪から棒に」
「いやさ、急に懐かしくなっちゃってね。あれからあんたもあの子たちも変わったなってさ」
マーサはかつての母娘三人を思い出す。
当時まだ乳児であったソフィーとティオはともかく、シャーリィの顔つきといったら、常に眉間に皺が寄るような、それはもう酷いものだった。
今の姿からは中々想像できないだろうが、当時のシャーリィは美しい顔を強い不信感と警戒心で歪ませ、近づく者全てを威圧しながら、それでも両手で抱いた二人の赤子は何があっても手放さず、傍を離れようともしなかったのだ。
まるで産まれたばかりの肉食獣の子供、その手負いの母親のような姿。それがマーサが当時抱いたシャーリィの印象である。
このタオレ荘に連れてきたカナリアに聞いたところ、相手の男に手酷く裏切られたがゆえに、ようやく手にした幸せの象徴を害されることを何よりも恐れている。それを聞いて、マーサは成程と、シャーリィの様子に納得がいったものだ。
最初の頃も、マーサが何度も善意で子育てに苦労しているシャーリィを手伝おうとしたものだが、近づけば威嚇されて、ソフィーとティオに触れようものなら剣を抜き始める。まさに精神的な怪物に相応しい言動の数々を見せていた。
「まぁもっとも、その時は子育ての子の字も知らなかったどこぞの小娘は、そこの壁から顔を覗かせて、妙にビクビクしながらあたしに助けを求め始めたんだけどね!」
「そ、それは言わないで貰えませんか……っ」
その時は、マーサの手をどれだけ強く払い除けても懲りずに手を伸ばしてきたものだから、ついに絆されてしまっただけなのだ。シャーリィは当時を思い出しながら顔を赤く染めた。
「おかげで血の繋がりもないのに、すっかり孫や娘を相手にするような間柄になっちまったよ。あたしは初孫はまだの筈なんだけどねぇ」
「……それはきっと……」
言いかけて、シャーリィは言葉を詰める。
「ん? なんか言ったかい?」
「あ……。いえ、何でもありません」
「何だい、歯切れが悪いねぇ」
不思議そうなマーサから顔を背け、シャーリィは心の中でだけ呟いた。
(それはきっと……私も貴女の姿に母を幻視し、娘たちもまた祖母の姿を貴女の中に見ているからだと、私はそう思います)
もちろん、マーサとは何の血の繋がりもない。母娘三人はそこを踏まえて接しているつもりだ。
しかし、身内から縁を切られて事実上の天涯孤独であったシャーリィと、その娘であるソフィーとティオは、暖かな性格のマーサに母親、祖母という役割を心のどこかで求めているのかもしれない。
(思えば、父親が居なくとも祖父母の代わりとしてあの夫妻には助けてもらったのですね)
何事もなければ、アルベルトが父として、フィリアが叔母として、前皇帝夫妻が祖父母としてティオやソフィーを可愛がってくれていたのだろうか?
今となっては詮無い仮定を頭を振って振り払う。
(だからこそ、私たち母娘にとって貴女たちは……)
その続きは口にはとても出せないが、それでもシャーリィは幼少の頃に一番欲しかった、理想の実母の姿をマーサを通して見ているのだ。