王女様の今と過去
午後のまだ陽の高い時間だった。
王宮に続く小道を行く馬車がある。二つアヤメをモチーフにした刻印から、それがトラヴァイエ伯所有のものだと知れる。
中を確認されることもなく、門番の敬礼を受けて馬車はすんなり城門を通った。
「…さすがにもう少し警備はきちんとされるべきじゃないかな」
久しぶりの道のりが懐かしいと外の景色を眺めつつアッシェは思った。パレード用でも無いこの馬車は、外から中を確認することは出来ない。
王側近の紋章が入った乗り物、かつ窓に黒ビロードのドレープがかかっている状態ならば門番が中を改めない事が不文律である。
まあ、そのお陰で怪しまれること無くすんなりと城に入ることが出来たのだが…。
馬車が止まる。すぐにドアが開けられ、御者のエスコートでアッシェは馬車を降りた。
「ありがと」
猫の皮通常比三倍増し程度の微笑みで礼を言うと、御者からはポーカーフェイスの一礼が返ってきた。さすが良い家の使用人。余計な詮索が危険って良く分かってる、などと考えている間に、馬車はそそくさと行ってしまう。
「…さて」
アッシェは両手を腰に当てて、目の前にそびえ立つ大扉を見上げた。
久しぶりの訪問だが、感慨にふける間は無い。
「きっちり話、つけさせてもらわないと」
☆
時間をしばらく遡って。
「アッシェ・ド・デセール、嫁に行け。用件は以上」
「はい?!」
話は突然降って湧いた。
最後に遭ったのは四、五年ぶりという、よく言えば幼なじみ、もう少し現実に即して言うなら喧嘩相手であったお貴族様から、非公式の「命令」を受けてアッシェは自分のアホ毛が逆立つような気分を味わった。
自分の年齢的には全く問題は無いし、過去数回、縁談話が持ち込まれたこともある。が、この仇敵がわざわざ命令持ってきたって事はまず、間違いなく王宮サイドの思惑が絡んでいるはずで。
「どうせ政略結婚系なんでしょ?」
詳しく話を聞かせろと、トラヴァイエ伯を強引にソファに座らせて向かいに陣取る。
「だったらどうなんだ?」
「相手は」
「とりあえずスパシュじゃないことは確かだな」
のらりくらりとトラヴァイエ泊は視線をそらせた。本当にコイツの性格変ってないとアッシェがにらみつける。
「って事は国内ではない、と」
「正式な話は明日にでも王宮でされる。詳しい話はそこで聞いてくれ」
「アンタは知らないの?」
畳みかけるように問い詰める。返されたのは「自分は単なる先触れだ」という素っ気ない答えだった。
「せいぜい恥を掻かないよう準備される事をお勧めする。…目の下のクマは何とかした方がいいぞ」
トラヴァイエ伯が自身の顔を差しつつ、横目で嫌みを言う。
あ、駄目だ。やっぱ駄目だコイツ、とアッシェの感情スイッチが入った。勿論怒りの方に振り切れる方にだ。
王の側近であるこの男が話の詳細をまだ知らないなんて事は無い。ここで勿体ぶるのは保身か、それとも単なる意地悪さが発揮されただけか。
どちらにしても、やられっぱなしは尺に触るし、この男がすっとぼける以上、無理に口を割らせるのは時間の無駄。
アッシェはすっと眼を細めると、ははん、と余裕を装って意地悪く微笑んだ。
「レディの容姿にケチをつけるなんて、ブリザードビューティのなさりようとは思えませんわ」
「ご自身にレディの自覚があるとは素晴らしい。安心いたしました。今回ばかりは大人しく明日の迎えをお待ち下さい」
慇懃無礼な一礼が返ってくる。この野郎、とアッシェはこめかみを引きつらせた。この分だと少なくとも明日の正式な使者が来るまで、いやきっと「断れそうもない」婚儀に送り出されるまで、宝石館の周囲には(警備)がつくことになるのだろう。
「さすがに真面目な話なんだ」
「ふざけたことなど一度もございません」
「そりゃあんたはそうでしょうよ」
それでもこの男の主人はどうしようもなく些細な事で娘を何回も呼びだした事がある。なので最近は用件が判然としない場合とどうでも良い場合、アッシェは迎えの使者をすっぽかすことにしていた。なのでここ二、三年は王宮には行っていない。
「用件は分かっただろうし、それなりに重要案件だろう?…逃げ出すなよ」
再びトラヴァイエ伯は声のトーンを落とした。
「まあ、確かに」
アッシェは頬をかきながら明後日の方角を見た。煩わしいのには違いないが、状況は気になる。だが目の前の男からこれ以上の情報は引き出せそうに無い。となると…。
「では、私はこれにて」
「お待ち下さい、トラヴァイエ伯」
そそくさと立ち去ろうとする客を制し、アッシェは二回、高く手を打ち鳴らした。
「ご用でしょうか。お嬢様」
即座に部屋に入ってきたのは館の屈強なボディガード二人だ。
「大切なお客様です。お疲れの様なので特別なコースでおもてなしを」
にこやかにそう告げると、逆らう間も与えずボディガード達はがっちりとトラヴァイエ伯の両腕をガードした。
「な゛っ離せ!無礼者らが…」
「このサロンに来てご命令だけ持ってくるというのは無粋ってものですわ。トラヴァイエ伯」
フフン、とアッシェが勝ち誇る。
「宝石館に来たお客様として、誠心誠意おもてなしさせていただきます。スペシャル・リラックス骨抜きコースにご案内を」
「「はっ」」
「な、まて!俺は客ではなく王宮からのつか…!」
流石に狼狽した様子の声を部屋に残しつつ、トラヴァイエ伯はガチムチメンズによって連れ去られた。
引き摺られていくその姿に「その間馬車借りるわねー♪」とアッシェは形ばかりの声をかける。
開けられっぱなしのドア遠く、幼なじみの怒号やら叫び声足すことの館のご婦人方の嬌声を聞きながら、さて、とアッシェは支度を始めた。
こうなったら明日まで待つのもアホらしい。直接確認しに行けばすむ話なのだ。
いざ、王宮へ。
☆
昔々、遡ること十年前くらいの話になります。
今の王様は、前王妃と愛人に一度に捨てられてからずっと独り身でした。
王様はあの手この手を尽くして、愛人との間に出来た娘を手元に置き、可愛がっていました。
その子がオトナの事情をそれなりに察するようになった頃、王様にどうしても断れない縁談が舞い込みました。
「新しいお母様が来るんだよ」
「そのお母様はきっとお前の事も可愛がってくれる」
王様はそう言って安心させようとしましたが、女の子にはそうは思えませんでした。
図書室で読んだおとぎ話に出てくる「新しい母親」は、ほとんどの場合、継子に意地悪でした。
そしてその話を裏付けるかのように、王宮に居たのも家族のように接してくれたり、仲良くしてくれたり、王女様として扱ってくれる人ばかりでは無かったからです。
「アレハ卑シイ生マレ」
「所詮、愛人ノ子」
「ヤハリ跡継ギハ、高貴ナ家柄カラ」
ごく稀にだったのですが、王様や親しい人が居ないところでそんな言葉を聞いた女の子は、最初は気後れしたり、見返してやろうと頑張ってみたりしたのですが、だんだんどうでも良いと開き直るようになってきました。
カンペキに物事をこなせる人間などどこにも居ないし、何をどうやっても文句を言う人は言うのです。
冷静になった女の子は、周囲を観察するようになっていきました。
全部ではないかもしれないけれど、自分の置かれている状況もある程度は理解できました。
新しく来るお后様は「由緒正しい王家の姫君」だそうです。結婚したなら、いずれ王様との間に赤ちゃんも出来るでしょう。
そうしたら。
そうしたら、この立場、もっと不利になるに違いない。
当時、そこまで難しく考えたかは今となっては分かりませんが、とにかく女の子は悟ったのです。
自分はもう、王宮に居る必要はないのだ、と。
こんな窮屈なところ出られる機会、逃す手はないとばかりに、その子はいそいそと脱出の準備を始めたのでした。
☆
まあ、ここを出て行ってからもしょっちゅう呼び出されたりしていた訳ですが、などとアッシェが感慨に耽る時間は極短かった。
馬車の紋章のお陰だろう。それほど待たずにドアが開けられたのだ。
城とは言ってもここは敷地内にある館の一つで、王の家族が私的な時間を過ごす場所である。今の主は十年前に隣国のスパシュからアントルメ王国に嫁してきた王妃ヴァニレと、その娘ローゼだった。政務や来賓をもてなすための宮殿に比べれば警備は薄い。
さて、と足を踏み入れたアッシェを出迎えたのは幸いな事に顔なじみだった。
「これは…ようこそいらっしゃいました。アッシェ様」
「ま、まあ、まあまあアッシェ様…!!」
さすがの老執事ですら、面食らった顔を一瞬見せる。言葉をためらったのは「お帰りなさいませ」と言って良いものかどうか迷ったのだろう。それでも冷静に対応する彼に対し、年配のメイドは驚きの表情を隠さなかった。
「お久しぶりです、ガルニール。フリカッセも元気そうね?」
「元気も何も!どうされたのですか。お知らせ頂ければお好きなパイを焼かせておいたものを…!」
「いやいや、遊びに来た訳じゃ無いから」
アッシェは食ってかかる年配のメイド…フリカッセを宥めるようにそう言うと、執事のガルニールがわずかに眉を曇らせる。
それが目に止まったので、とりあえずアッシェは尋ねてみた。
「ガルニール、何か知ってる?私の縁談のこと」
「申し訳ございません。私どもにも詳しい話はなにも」
「でしょうね」
え、縁談?とひっくり返った声を出したメイドに「とにかく久しぶりねフリカッセ♪」と大げさにハグを決め、アッシェは執事のガルニールに問いかけた。
「王妃様はいらっしゃって?」
「…お約束無しの面会はお請け致しかねます」
「ではアッシェ・デセールが至急お会いしたがっていると伝えて頂ける?」
「ひひひひめさまくるし…!」
若干ふくよかなメイドをハグ…というかホールドを決めつつ、スマイルを崩さない元王女に執事が呆れたため息を漏らした。
「アッシェ様、そうやって力技で何とかしようとするのはよろしくない癖ですぞ…」
「やーだ、力技なんて人聞きの悪い。せっかくの再会を楽しんでるだけじゃない」
口を尖らせてそう言うと、これ見よがしに頬をくっつけてキスをし、ハグをとく。
「はあ、やれやれ…アッシェ様はお変わりなく…」
締め付け技から解放されたメイドが、それでもどこか嬉しそうな表情で呆れた声を上げた。その様子にアッシェは少しホッとする。この館の管理を任されている彼らは間違いなく「味方」だった。
「…で、ダメもとで聞いて貰うわけには行かないかしら?こちらにいらっしゃるんでしょ?ヴァニレ王妃」
御者には「首尾をトラヴァイエ伯の代理としてご報告に上がる」と言いくるめて馬車を走らせた。それがここに着いたということは、彼に命令した主が居るはずで。
「おねーさま!」
再び「館の主に会わせるか否か」の交渉に入った元王女と執事の緊迫感を砕いたのは、まだ幼い少女の高い声だった。
ひらりひらりとドレスを翻しながら走ってきてアッシェの裾にまとわりついたのは、今年七歳になったばかりの王妃の娘…アッシェにとっては母親違いの妹だ。
「ローゼ様、お久しぶりです」
にこやかに膝をかがめて挨拶すると、ローゼはふっくらとした頬を膨らませた。
「おねーさまがいもうとに(さま)をつけるのはおかしいです!」
「わ、わたくしは今は王家の人間ではないので、王女様を呼び捨てにするわけにはまいりませんから」
「おねーさまはローゼのおねーさまもやめてしまわれたのですか?」
「えーと、ローゼ様がお生まれになる前の話なので、やめたとかやめないとか以前の」
「ローゼはおねーさまでいて欲しいです!」
びしっと指を差され、アッシェは困惑の笑みを浮かべる。一体誰の差し金だ教育だと口からだだ漏れかけたその時だった。
「そうねえ。兄弟姉妹は仲良いのが一番だもの」
来たな、垂れ目巨乳。
玄関ホールに繋がる階段の上から、鈴を転がすような声が聞こえてくる。即座に執事とメイドが礼を取る。
向こうから出てきてくれたか、とアッシェが見上げたその先。王妃ヴァニレが存在感溢れる胸を揺らして立っていた。