元王女に降って湧いた縁談
アッシェ・デセールは港傍の高級娼館「宝石館」で生まれ育ったアントルメ王国の「廃嫡王女」。人は良いが口は悪い。母親の経営するサロンで耳を澄ましてゴシップやら重大機密やらを盗聴し、それをネタに記事を仕上げている。ある日突然王宮からの使者が来て…。
「うー…目に染みるぅ…」
目の前には朝日が昇りつつある水平線。町を一望できる小さな窓辺でアッシェは立ち上がり大きく伸びをした。
低めの位置にあるデスクには、光が漏れないように半分覆ったろうそく立て。明るくなってきたのでさっとつまんで火を消す。
ここはアントルメ王国の一番大きな港町マルセー。海沿いに瀟洒な白壁の建物が並んでいて、その一角に一際ゴージャスな高層階の建物がある。港町の中で一番大きな「サロン」…と言えば聞こえは良いが、ぶっちゃけた話「高級娼館」…それがこの「宝石館」だ。
その最上階の一番良い部屋…を上手く仕切った一間の自室で、アッシェはすっかり凝った肩をぐるぐると回していた。
昨日来た客は中々の上客だった。他国…ドルチェやスパシュだけじゃなくてグランドまで足を伸ばしている商人との事で、相手の娘に上手くのせられ、そりゃもう色々喋っていった。
「あっちこっちの豊作不作大漁不漁から王室スキャンダルまでって、真偽はともかくネタの宝庫っしょ」
ごちごち、とアッシェは両手を仕切り向こうに合わせた。
そう、真偽はどうでもいいのだ。読者はそれっぽく深刻な顔が出来るニュースや、意地悪くにやにやできるようなスキャンダルを求めている。一種の娯楽提供としての話題集めである。
おしゃべりタイムはひたすら耳を澄ませて聞き取り、夜のご接待タイムにそれを編集。お陰でお堅いニュース記事三本とゴシップ記事一本が仕上がった。中々の収穫である。後はこれをスポンサーに見せて、校正すれば久々のお仕事は終わり!
ふと、申し訳程度に置かれてる姿見に映る自分の顔を見る。
癖の目立つ燃え立つような赤毛は若干ぼさぼさ、鮮やかなグリーンの瞳。お世辞三分の二にしても、あと髪の毛がちゃんと整っていれば、大抵の人は褒めてくれる容姿だ。だが今は充血した目の下にはバッチリとクマが自己主張。まあ徹夜明けなんてこんなものよねとアッシェはさっさと次の作業…記事の清書に取りかかった。
花も恥じらうオトメにしては、いささか…いやかなりスレた稼業に本腰を入れてるこの娘はアッシェ・デセール十七歳。宝石館の女主人の一人娘である。
☆
アントルメ王国。
大きな港と肥沃な平野を国土に有する。別名「大陸の食料庫」とも呼ばれ、気候は温暖で穀物野菜果実とよく実り、戦などが無ければ豊かな国である。大きな港が複数有り、特に首都シュクレに隣接している港町マルセーには、近隣のドルチェ、スパシュの他、さらに遠方の大陸からも船が来るため、大陸有数の交易地となっている。
金が集まるところには必ず争いがあるもので、この国もご多分に漏れず何度か王統は変ってきた。現在のアントルメ王朝は十一代目、ブール三世が統治している。前の王朝に比べて長続きしたのは他でもない。初代が早々に各領地から代表者を募り、議会を開いて実務を委ねたからだ。それから十名、王座を継いだ者からは「隣の国のような専制君主!」と野望に目を光らせる者は出なかった。どちらかと言えば歴代の側近が苦労したのは(王様)に「ちょっと他人事じゃないよ貴方の判断と判子は一応必要なんだからね」と発破をかける事だったらしい。個人的な日誌などの記録にそんな愚痴が散見される。なにはともあれ、アントルメが国としての体をなしていられるのは「民衆からそこそこ好かれている王様お后様」と「バリバリ有能かつ職務忠実な家臣団」によるところが大きい。現国王、ブール三世の評価も「温厚で柔軟なお人柄」に集約される。そして大抵小声で「…若干、優柔不断の向きが」と付け足されるのである。それでも国民からさほど嫌われていないのは、比較的気安く町に出て来て皆と庶民的な楽しみを共にする姿からだろう。もっとも、庶民の楽しみはそれだけではない。この王様が提供してくれる最高の娯楽があった。
女性スキャンダルである。
御年四十二になるブール・ド・ブロワイエことブール三世には現在二番目の王妃と、その王妃との間に生まれた娘が一人いる。だがその子は第一子ではない。現王妃を迎える以前、一人の女性との間に子を為していた。王は未だにその女性に執心しており、周囲の目を盗んでは通っているというのが専らの噂だった。
「それがきっかけで前の王妃様には逃げられたってのにねえ…」
「しかも綺麗に遊べないなんて男の風上にも置けないってその愛人からもフラれたって話でしょ」
「俺、王様がその愛人に縋り付いた時殴り倒されたって話聞いたんだけど」
「マジでか。愛人最強」
愛人の名はシュミゼ・デセール。港町マルセーにある国内最高級の「サロン」宝石館の女経営者。そしてアッシェ・デセールの母親その人であった。
「国王陛下がいらっしゃるかどうかですって?」
もし誰かがスキャンダルの真偽を尋ねたなら、平然とマダム・デセールはそう答える事だろう。長煙管を軽く一服させてから、きっとそんな愚問を発した相手をじろりと睨めつけるに違いない。
「ここはサロン、相応しいお客様に寛いでいただく特別な館です。どなたがいらっしゃるかなんてそんなプライベート、余所様にお話しすることは何一つございません」
話はきっとそれで終わりになる。それ以上しつこく聞きだそうとするなら、指を鳴らされた瞬間入ってくる屈強な部下に連れ出される羽目になるだろう。運が悪ければ機嫌の悪いマダムの煙管の一撃を食らう事になるかもしれない。
それでも。
何故か、宝石館でしか聞けない話…国際情勢からどこかの王家のスキャンダルなど…があるという噂は絶えず、そのために、各国の商人や王侯貴族が何とか客名簿に載せて貰おうと日々推参していた。
☆
「南は豊作、北は不作…なるほどねぇ」
中庭に面した大きな窓の部屋で、マダム・デセールは片眉を上げた。その細い指先にあるのはやや小さめの紙切れだ。
もう片方の指で自身の艶やかな黒髪を弄っている。マダムが考え事をしている時の癖だった。文字以上の何かを読み取ろうとするかのようにエメラルドの眼を凝らしている。
「…あとスパシュがちょっと騒々しくなるかも」
口にしていたサンドイッチを飲み込むと、アッシェはそう付け加えた。
やや遅めの朝食だった。パンに薄切りの冷製肉とキュウリ…アッシェにとっては最高の組み合わせだ。それに熱めの紅茶があれば言う事はない。とはいえ、このアントルメの、それも上流階級においては異色の食卓であることは確かだった。
三切れ目のサンドイッチにぱくついた娘に、マダムはやや呆れた視線を向けた。
「相変わらずエレガンスに欠けるメニューだこと」
「うるさいなー。良いじゃない、気合い入れた晩餐会でも無ければ手っ取り早いのが何よりだって」
「普段からある程度は気取って置かないと、肝心な時にボロが出るわよ」
それはさておき、とマダムは手にしている紙切れを軽く振る。
「なかなか昨晩は有意義だったようね。麦を押さえておけば少しは稼げるってゾロットに教えておくわ」
「まあほどほどに」
やり過ぎると反乱とか起きるからねえ、とアッシェは肩をすくめた。
客の話からネタになりそうなのを拾って短く記事にまとめる。この作業のスポンサーこそ、宝石館の主で母親でもあるマダム・デセールだった。
情報は金にも身の守りにもなる。それがマダムのモットーだ。
「…アンタも世故長けたこと言うようになってきたわね」
ふふん、とマダムが満足げに笑って書き付けをテーブルに置く。最後のサンドイッチを食べ終え、紅茶を飲み干してからアッシェは思い出したように母親に尋ねた。
「トラ達にも一応伝えといた方が良いかな。割と重要なネタだと思うんだけど」
娘の質問に、しばし思案して母親が口を開こうとした時だった。
扉が控えめにノックされ、やや落とし気味の男の声が聞こえてきた。
「マダム。王宮からトラヴァイエ伯がお見えになられましたが」
親娘は顔を見合わせる。
「…私は必要ないと思うけどね」
先に返されたのは、アッシェへの答えだった。
やや意地悪げに唇をつり上げながら、母親は言う。
「でも話しておやり。万が一向こうが知らなかったら、せいぜい恩着せがましくすることね」
そういうとマダム・デセールは立ち上がってドアに向かった。応接間の方では無く、自室に戻ろうとする母親の姿にアッシェは口を尖らせる。
「母様のところに来た客でしょ。何で人任せにするかな」
「面倒くさいのよ」
声のボリュームも落とさず、マダムは言い放った。
「貴方なら向こうの用件三行でまとめてくれるでしょ」
「そもそも用件を私に話すかが問題なんだけどね」
代理ごときに話すことなど無い、とか怒って帰っちゃうかもしれないよ、と口真似込みの娘の軽口に返されたのは、何とも不適な微笑みだった。
「大丈夫よ。私の可愛いアッシェちゃんなら出来ないことはないわ♪」
はい、後はよろしくね。と言わんばかりにウインクされ、アッシェは口角を引きつらせる。娘の返事も待たずにさっさとマダムは自室に入って扉を閉めてしまった。
「…出たよ丸投げ…」
またか、とアッシェは半目になった。
トラヴァイエ伯とは子供の頃からの知り合いだが、今やあちらは若輩ながら王の顧問を務める堅物だ。こんな(サロン)に直接出向いて来る事は滅多に…いや殆ど無い。それが来たって事はきっと。
「………どう考えても面倒くさい話だよね」
アッシェはそう呟いて応接間の方のドアを見た。
もう少しドレスアップしてくるか、等と三秒ほど思案したが首を振り、そのまま歩いて行ってノック無しにドアを開ける。
「ご機嫌ようトラヴァイエ伯。話、聞いてたんでしょ?」
勢いよく開けられたドアの音にも、マナーとやらを明後日の方向にぶん投げたアッシェの挨拶にも動じる様子も無く、既に室内にいたクリームブロンドの男は優雅に一礼した。
トランシュ・トラヴァイエ伯。確か23か24歳とりあえず年上。王宮に出入りしてた頃は一緒に遊んだ…もとい叱られた記憶しか無い生真面目男だ。成績優秀文武両道、王室からの信頼も厚く、非の打ち所の無い貴公子と評判だ。柔らかい色彩の金髪に冬の空に似た淡いブルーの目の美形という外見もあって、ブリザードビューティなどと侍女の間ではアイドル扱いされている。が。
「姫様におかれましてはご機嫌うるわしゅう」
「テンプレ挨拶長いからいいわ。ご用件を」
礼儀に則って述べられた挨拶の口上を容赦無くぶった切る。下げられた相手の頭が一瞬ぴきぃっと痙攣した。
「ここは宮殿でも城でもないでしょー?そんなに堅い挨拶時間の無駄無駄」
「…普段からテンプレこなしてないといざって時ドジを踏むんだがな」
追い打ちをかけたアッシェの言葉に返されたのは、腹の底から出てきたような説教ボイスだった。
あれ、さっきも何か似たような事を言われたような、と思いつつ、だんだん興が乗ってきてしまう。ついさっきまで「母さんまた私に面倒ごとをっ」と迷惑してたはずなのに、相手の嫌そうな顔を見ていたら少しばかり悪戯したくなってきた。
「伯の実直さには本当に感心しますわーあきれかえるくらいに。っとに変ってないわねトラちゃん」
「……その呼び方、止めていただけますか…」
「はいはい。いいから顔上げて用件話してさっさと帰れ」
心底嫌そうな声を上げた相手に対し、手のひらをヒラヒラとさせてアッシェがそう言うと、トラヴァイエ伯はぎりっと身を起こして苛立ちの表情を見せた。
「…私が面会を求めたのはマダムなのだが」
「マダムは私の報告次第でお会いになるそうです」
ふふん、とアッシェが胸を張って威張ってみせる。
「で、何?うちは基本、あちらのイベントには全く関わる必要ないはずなんだけど」
「……自国の王室指して(あちら)と切り捨てられるのはいかがなものかと」
トラヴァイエ伯は眉間を人差し指で押さえつつ、大仰なため息をついた。
「いやいや、王様と母様の関係はもう済んだ話でしょ?無事に跡継ぎお生まれになったことで私も晴れて一庶民な訳だし」
学校のテスト終わったんだーくらいの軽い調子で両手を掲げそう言い放つと、相手の表情が何とも言えない渋面になった。
一瞬で何かのスイッチが切り替わったように、儀礼的だった様子がふっと抜ける。
「悪いがそれは無しになった」
「は?」
「確かにお前に話すのが確かに一番手っ取り早い」
「へ?」
いきなりぶっきらぼうな言葉遣いにシフトチェンジした幼なじみにアッシェはびっくりした。
「俺も時間の無駄は好かん。話はごくシンプルだ」
おお、ブリザードビューティ無駄に相変わらず偉そう…などと暢気な事を考えていた脳みそが次の言葉で瞬間冷凍される。
「アッシェ・ド・デセール、嫁に行け。用件は以上」
「はい?!」
「用件は済んだ。よかったな」
じゃ、と片手を挙げ、颯爽と帰ろうとする相手に思わずアッシェが声を張り上げた。
「ちょっと待ったぁ!」
「何だ。別に珍しい話じゃないだろう」
行き遅れになる前に縁談まとまれば良いなおめでとう、などと鼻で笑い飛ばそうとするトラヴァイエ伯の行く手をふさぎ、アッシェはまくし立てた。
「いやいやいや、話端折りすぎでしょうが」
嫁に行けってどこに行けって話よと突っ込む。
「てか、廃嫡娘まで引っ張りださなきゃ行けない縁談ってどこの?スパシュの腹黒とかマジ勘弁して欲しいんですけど?」
「何でそこでスパシュが出てくるんだ。まあ、そこが絡んでないとは言い切れないが」
「…とりあえず詳細吐いて貰いましょうか」
がしっと相手の腕を掴んでアッシェは凄んだ。
<続く>
生まれも育ちもスキャンダルのネタになってる女の子が逞しく強かに活躍する物語(の予定)です。
とりあえず縁談話のオチまで目指して頑張ります。