領主とメイドのせいくらべ
※前半・ニクラス視点
※後半・レナータ視点
「ほんっと、わかってませんねエド様は!」
「わかってないのはどっちだ、小娘のくせに!」
年若いメイドと雇い主である領主の言い争う声が、執務室に大きく響く。二人の表情は限りなく真剣で、どちらも一歩たりとも譲る気配はない。
「ダメ男の方がひどいんですよ! か弱い女を力でなんとかするってのがタチ悪い!」
「か弱い女って誰だ!? ああ、お前以外だな!? ダメ女だって笑顔で簡単に嘘つくじゃないか!」
我が領主エドアルド様とレナータことメイドちゃんの口げんかを、俺、ニクラスは笑いをこらえて見守っている。
何故笑えるかってーと、その発端は休憩中に「ダメ男とダメ女、どっちがよりダメか」という些細な話題だったからだ。
かれこれ女に6人騙されてきたエド様と、男に騙され奴隷としてここに売られてきたメイドちゃん。お互いダメ男・ダメ女には一家言あるらしい。メイドちゃん幾つよ。
つかさー、どっちもどっちじゃね?
いやホント比べてどーすんの! 勝者にはむなしさしか残らないと思うんだけど!
幸運なことに二人で言い合うのに夢中で、こっちに話が波及しないのだけはありがたい。コメント求められても困りますし、マジ。
とりあえず、もうすぐ昼飯だから食いにいっていい?
メイドちゃんが来てからはや3ヶ月。あっというまに時間が流れた気がするね。
今ではこうして遠慮無く言い合ってるけど、最初はメイドちゃんが一方的に言い連ねる方が多かったかな。
んだが毎日仕事で顔合わせてるだけあって、今ではこんな打ち解け……打ち解け? まあ、打ち解けた、みたいな?
正直ね、エド様も女性不信になってたわけよ。あんだけ騙されて弄ばれたから、本館には出来るだけ女を入れないようにしたし。そやって最低限関わらないようにしてたのに、最初にこっちに彼女をつれてきた時おっどろいたわー。
エド様の悪い女に引っかかる才能はハンパないから、俺もどんな輩か警戒はしてましたよ? エド様を騙す気がちょっとでもありそうなら、強硬手段に走る気まんまんでしたよ?
したらば腑抜けてたエド様に、はっきり言う言う。「なんで出来ることしないんですか」って何この子、恐いものなし?
それはエド様を守ることばかり考えて、何も進もうとしなかった俺たちにも突き刺さったんだけどな。
もうね、笑うしかなかったやね。
言いたかったことも、言われたくなかったことも、彼女が全部言った。
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このところ天気は雨が続いてる。今までならこういう時は館内も雨音が響くくらい静かなんだが、今は廊下をバタバタと人が行き交って賑やかだった。
この前、メイドちゃんから「頭脳労働できる人間を増やしましょう!」とのお達しがあった。んじゃ新しく街から募集するのかと思ったら、まずは即戦力が欲しいので人づてに紹介してもらうんだと。試用期間3ヶ月、とか一体どっから発想が出てくんのかね?
使えるものは使えの精神っつーのか、『庭』の女達にも仕事まわすとか言い出した時はびびったわー。
んで俺にも「書類整理するべし」と言われた時は転職考えたわー。
部屋の外の賑々しさとうって変わり、執務室はペンが羊皮紙を滑る音、ぺらぺらと書類を数える音だけが聞こえる。エド様もメイドちゃんも黙々と仕事しているからだ。
俺もチェックした書類の端に延々とサインを入れている。今度『サンモンバン』ってやつを作るそうだ。サンモンバンって何?
「つか俺、護衛なんですけどー。今、この瞬間に領主を狙った悪漢が飛び込んできたら何? この羽ペンで応戦しろってのー?」
最近なんだか目がしばしばしてきてるし、軽く悪態くらいついてもいいよね? お腰の剣は外して足下に置いてありますがね。
「その時は悪漢にも仕事を割り振ります。あ、それ終わったら次はこれを地域別に分けてくださいな」
……メイドちゃんならやりかねないね! 流れるように新しい仕事を手渡され、俺は剣の扱い方を忘れそうですよ?
なんつーかこの子、妙に人に差配するのに慣れてんだよね。エド様に対してもそうなんだけど、上から目線て訳じゃないのに、勢いで指示に従っちまうってーか。
でも前領主様の補佐だったジェムじいさんが来週から館に来れるそうだし、そしたら俺が羊皮紙と戯れる日々ともお別れ……だよな? そうだと言ってちょーだい、メイドちゃん。
しかし俺の脳内からの問いかけじゃ、答えるものは誰もいない。むしろ以降、誰もしゃべらない。
普段ならエド様とメイドちゃんはそこそこ会話しながら仕事してるんだけど、このあいだの口喧嘩をまだ引きずってるのか二人とも無言だ。いや、ダメ男とダメ女のランク付けってそんなに大事? 俺にはわからない世界なの?
エド様もメイドちゃんも、時々お互いをちらちら見てるあたり、相手が気になるのか、会話がないのが寂しいのか。素直になれない二人なら仕方がない。
「そんじゃ俺、ちょい一服してきますよー……っと」
書類へのサインも一区切りついたので、俺はよっこらと席を立つ。仕分けを頼まれた書類もさりげなくメイドちゃんの机に突っ返す。
「おい、交代のヤツがまだ……」
「少しくらいなら大丈夫じゃね。つか、悪漢が来たら仕事を手伝って貰えばいいし?」
エド様へとぴらぴら手を振ったあと、執務室の扉をさっさとくぐる。
お互い仲直りの機会を狙ってるみたいだし、俺がいちゃあ言えることも言えないっしょ?
気遣いの出来る護衛はドアを閉じると、しばし待つ。
『……』
『……』
『…………お茶。……俺たちも休憩してもいいだろ』
『……かしこまりました』
『お茶はお前の分もな』
『……はい』
ああ、まったくじれったいことで!
もどかしい二人の様子に笑えてくるが、口を押さえて耐えておく。
メイドちゃんは俺のこと笑い上戸って言うけどさ、あんたが来る前は笑えるようなこと何も無かったんだよ。
前領主様が突然亡くなって、エド様が濁った沼みたいな目をして引きこもってた時は、ここも終わりだと半分諦めてたね。
今は俺がヘラヘラしてるだけだが、そのうち館の皆だって、いつでも笑ってられるようになる──なんだろね、そう思えてしまうくらい、ちょいと俺も浮かれてる。
少しずつ、いい風が吹いてきた気がするからだ。
やがて街や領内も……ってえと、それは流石に夢見がち過ぎて恥ずかしいやね? いやいや、領主様とメイド様にはそうなるように頑張ってもらいましょーか。
さってと。これ以上聞いてるのも悪いし、ちょいと一服に行くとしますか。
扉の向こうでぽつぽつと増えた会話を尻目に、俺は顔のにやにやをおさえず廊下を歩き出した。
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こんにちは世界、今日も私は元気です。
美味しいご飯に住むところ、なにより必要なのは、適度な仕事という人生におけるやり甲斐だったということに改めて気付きました。
お母さんと一緒に住んでたころは、貧乏暇なしで一日中動きまわってたから、やっぱり労働量が少ないとおちつかない。社畜の魂100まで、どころか来世まで!
と言っても全然過労死するレベルじゃないし、まだまだいける、仕事たくさん詰め込めるよ!
いやいやいや、過労死目指してどーすんの。
だいたい私ばっかり身を削って、なんて殊勝なタイプじゃありませんから。
会社・社員全員一丸となって盛り立てていきましょう……って会社とちがうけどね! とにかく、柱の釘一本まで有効活用していかないと!
館内の護衛もちょっと多いので、配置転換や削減(ちゃんと別の職を斡旋しますよ?)も考えないとかな。ただ此処も一時荒れてたらしくて、その時見張りとか護衛が増えたんだってニクラスが言ってた。彼はああみえて古参らしい。
一緒に仕事してて思ったけど、エド様もぼんぼんだけど頭は馬鹿じゃあない、ううん、むしろやれば出来るひとだ。真面目でコツコツ系とでもいうのかな。前領主であるお父さんの仕事を思い出しながら、少しずつ領主としての責務に慣れていってる。
大丈夫、仕事に打ち込んでいればその他のことなんて結構簡単に忘れられるから。もちろん実体験に基づいた発言ですよ!
それに話してみると、偉いひとなのに結構気易くて。ズケズケ言ってしまっても平気なもんだから、ついつい遠慮がなくなってね?
ちょっと言い過ぎたかなーって時もあったりして、けどエド様も最近は言い返してくるし。売り言葉に買い言葉っていうか、反省。
前世を終えて今世、そこそこ長く生きてると素直になれない……いやいや、花も恥じらう16歳、難しいオトシゴロなのです、私。
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沸かした湯を運んでくると、私は最高の一杯を用意する。
私も美味しいお茶は好きなんだけど、やっぱり美味しく飲んでくれるひとがいるのが一番いい。
カップに口をつける前、お茶の香りを楽しむエド様は多分心からリラックスしてるのだろう。目の前にいる私のことも、外の雨音も忘れたような表情に、私はひそかに満足してる。
仕事の効率を上げるためにはオンオフの切り替えも大事だよね!……というのもあるけど、それとは別に、なんだかちょっと心が暖かくなる。
お互い紅茶を飲みながら、再び沈黙が訪れた。
さっき、ニクラスが出ていったあとはちょっとだけ会話したんだけど。でも今度の沈黙はあんまり気まずくない。
「……なにか足りないものはあるか。これからもっと人も増えるしな」
「そうですね、書類の分類用のファイルがもっと欲しいですね。それと備品で……」
問われたので私は遠慮無く必要なものを並べてゆく。無駄な経費は削りたいけど、刷新を進める際にはある程度出費は仕方ない。新入社員が座る椅子がボロボロの会社は客も逃げるからね。
というか、仕事の話はやっぱりスムーズに進むなあ。
「そういえば、お前の母親のことだが。連絡もついたし、別にこの街に住まわせるのには構わないぞ」
「あっ……そうですか! それはすごく助かります!」
ちょっと前から準備してたんだけど、お母さんをこの街に呼ぼうと思ってる。やっぱり私のことをすごく心配してて、無事なことを手紙ですごくよろこんでくれてた。
私も安定した職業に就けそうだし、やっぱり近くに住んでいてほしい。エド様にお願いしてみたら、拍子抜けなくらい簡単に協力してくれた。
「じゃあ準備が出来しだい人をやろう。連れてくるのは母親だけでいいのか?」
「はい、そうです。父親はいますが母にお金を集るしかしてないので、全く用はないです」
さらりと言ったつもりだったけど、エド様はかなり申し訳なさそうな顔をした。
いやほんと、気にすることないのに。過ぎたことを気にしてたらダメ男にひっかかってなんてられないからね! ってもう引っかかるつもりはないですよ?
「ホントは私が直接迎えに行きたいんですけどね」
「……やめろ、お前がいないと此処が立ちゆかなくなる!」
ふふふ、すでに私無しでは生きていけない身体ですね。
というのは冗談だけど、確かに今は大事な時だから、私が仕事から離れると大変なことになるのは自惚れでもなく事実だ。
「ええ、寝る暇がなくなるのは確実ですけど」
「こ、この数ヶ月で睡眠の素晴らしさを再確認したというのに……」
どちらかというと不眠症気味だったエド様も、今では夜は死んだように眠れるそうです! やっぱり適度な仕事は快眠のために大事なのだ。ただし『適度』の量に関しては個人差がございます。
「まあ、行きませんよ。エド様だって最近『庭』に行く暇もないですし、ストレスたまっちゃいますよね」
私も鬼ではない。キリキリ働かせるけど、生かさず殺さず……いやいや、ホワイトな職場でありたいと思ってますよ?
だから、まあ、理解のあるメイドとして『庭』に遊びに行く暇もつくってあげようかな、とも思うんだけど。
「別にそれはいい」
「ほ?」
なんと。エド様はとうとう仕事をすることでストレスを解消する境地にたどり着いたのか。正しい社畜としての一歩を踏み出したのね、とちょっと感動のまなざしを向けたら。
なんだかエド様はこちらをじっと、見てる。
そうやって普段からキリッとしてたらいいのに、それなら私だって無罪もやぶさかでない、というか、えっと。
「俺には7人目がいる、」
「……!!」
「だろ?」
言うと最後、エド様はいじわるそうに笑った。
……む、む、むかつくなあ、もう! この領主はいじわるですね!
もしかして悪い男に転職するつもりですかね、そういうの弱いんでやめてくれませんかね!
私が口をとがらせて黙っていると、エド様は「からかいすぎたか?」と、こちらの顔をのぞき込んでくる。
「レナータ?」
……普段「おい」とか「お前」とかばっかで呼ぶくせに。たまに名前で呼ばれると照れるからやめてほしいね!
こっちの気恥ずかしさがエド様にも伝染したのか。
沈黙。揺らいでいたお互いの視線が、ふと重なった。
「……──」
どちらともなく、何か、言おうと、
「たっだいまー! 悪漢きた? あ、来なかったみたい?」
いきなり開いた扉に、テンションたっかいニクラスが姿をあらわした。そうですね、護衛があまり長く席を外したらいけませんね! わかってますっつーの!
「…………」
「…………」
ぎぎぎぎ、と私たちは扉の方へ首を向ける。二人分の視線が突き刺さったニクラスは、多分、あえて空気を読まずに聞いてきた。
「ん? 何? なんの話をしてたんすか?」
「それはな、お前を!」
「解雇したいってー話ですよ!」
私とエド様の息はそれはもう、美しいほどにぴったりだった。