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海嘯の灯  作者: 石井鶫子
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 タリアの少年王リァン・ロゥの死は重く見えない鉄鎚となって年若い者の上へ打ち下ろされた。突然の事に殆どの者が例外なく右往左往し、それに続く三分裂はその迷いにさらに拍車をかけた。

 苛立ちと不安が土砂降りとなって叩きつける中、意味のない血が流され、小さな群れ同士に分かれて無駄に死人だけが増えた。やがてその混乱が納まったとき、元は二千人からいたはずの少年たちは約半分の千人を少し越えるくらいの人数へと減っていた。ドォリィとヴァシェル、そしてライアンの下にそれぞれが結局は集うまでに一月を要したのだった。

 ヴァシェルはリァンの住みかの一つだった「城」と通称される屋敷へ移った。連れていったのは四百人程度、これが一番大きな勢力だった。

 ドォリィはリァンの復讐を広言して集まった二百五十人ほどを連れ、リァンの残した隠れ家である「煉瓦屋敷」へ入った。

 ライアンの元には結局四百に足らないほどの人数が残った。ライアンはトリュウムヘ移動した。うんざりするほどある罠や隠しの仕掛けはある程度取り除いて行かなければならなかったが、これは仕方のないことであった。

「人望、あるじゃない、ライアン」

 チアロの脳天気な言葉にライアンは苦笑を禁じえない。これだけの人数がいることにやや安堵することは否定できないが、自分のところになぜ人が集まってきたのかは少し考えれば分かる。弟分のように楽天的に喜んでなどいられないのだ。

 これは消去法の結果なのだとライアンは思っている。ドォリィの武に偏りすぎた方向について行けず、かといってヴァシェルの方針には胡散臭さを拭い切れない連中が、どこかへつかねばならないとしたら、と彼の元へ集まってくるのだ。

 人数は多いのだが、とライアンは苦悩に満たされている。腕に自信のあるものは大抵ドォリィのところへ流れ、目端の利くものは殆どがヴァシェルの下へついた。

 突然とり残されて戸惑いさまようばかりのか弱き者の吹き溜まりなのだ、トリュウムヘ集った連中も、そして、自分も。だが、何とかしなければならない。このまま朽ちて行くのを待つ気はない。ないが、正直なところ何をしていいのか見当もつかなかった。

 とりあえずリァンが得意とし、ライアンが継承した細刃刀の刃を首に掛けさせて仲間内の目印にするように達したが、嫌がるものも少なくない。ドォリィやヴァシェルのところの連中に絡まれるよりは無派閥なのだと思われたい、といったところか。

 それを強制してもいい。だが、ライアンには出来ない。出来ないのは自信がないせいだ。何に対しても絶対だと確信できない。及び腰だと分かっている。

 リァンと彼を比べて密かに落胆させているのも、軽い失望を覚えさせているのも知っている。それでもライアンを見限らない少年たちはきっとライアンよりも更に自信がないのだろう。

 ライアンは自らの首にかかった朱紐の細刃を何げにもて遊ぶ。とりとめもないことを考える時はこれに触れていることが多くなった。細刃は、リァンが最後に来ていた服の内側に仕込んであったものだ。

 形見などというものに以前ライアンは興味などなかったが、最近存在する理由を分かるようになった。

 霊魂があるなどとは思っていない。リァンの気配がするわけでもない。ただ、追憶と止まぬ慕情の拠り所が欲しい。形のあるものに触れていたいのだ。上に立つライアンがこんな調子だったから、下の子供達の様子など、推して知るべしであろう。

 ライアンはこの日何度目かの深い溜息をつく。それを聞きとがめたダルフォがライアン、と囁いた。分かっている、とライアンはうなずき返す。ダルフォはライアンの腹心とも言うべき部下だが、彼と同じくあまり口数は多くない。二人でいると沈みがちだが、お互いに陽性の性格ではないから仕方がない。信用できる腕と堅実な性格はライアンの、殆ど唯一の片腕と言うべきだろう。

 後手後手に廻るのは、つまるところ参謀がいないせいだ。ドォリィのところには参謀役がおり、ヴァシェルは自身が知能派だ。

 ダルフォは頭は悪くないが、小知恵を巡らすのに向いていない。そうして結局はライアンが一人で黙々と考え込む、という事になるのだが、自覚しているように、ライアンもまたそうしたことは苦手だった。配下の命の算段だから出来ないでは済まされない。

 再び溜息を落としかけて、ライアンは気付いて止めた。ダルフォがナイフを握りしめた。扉の向こうの気配の種類にライアンは眉をあげる。

 いずれにしろ、このトリュウムの奥まで難なく入ってこられる人間は限られている。扉を開けてやれ、とライアンは目で指示した。ダルフォが扉を蹴り飛ばすと、大柄な体がまず視界に飛び込んできた。

 久しぶりだ、といった低い声にライアンは頷いた。リァンが生きていた時も月に一度も会えば多いほうだったにも関わらず、それは確かに久しぶりなのだと思った。この一月は異様に重苦しく、時間の遅さを身に染みて感じていたからかもしれない。

 何しに来た、と呟くように言うと、ドォリィは肩をすくめた。

「……お前の顔を見るのも許可が要るのか」

 嫌味たらしく言うのに、ライアンは仏頂面で頷いた。煩わしいことから逃げているという自覚はあるが、あまり人と関わりたくない。リァンが生きていた頃も好きではなかったが、一人になってからというもの、億劫でならなかった。

 何しに来た、とライアンはくり返した。

「ラルズが死んだ」

 わずかな動揺がささやかな波をライアンの胸によせたが、ライアンはすぐに分かった、と言った。この一月、結局ラルズは意識を取り戻さなかったとドォリィから聞いている。リァンを殺した本人を知ることは彼方へと去っていってしまったといってよい。

 あらためろ、とドォリィが言うのとほぼ同時に外にいたらしいもう一人がむくろを床へ下ろした。ライアンは傍らへ膝をつき、首筋に手をあてた。春先の水のような冷たい肌はごわごわしていて恐ろしく固かった。

「死体はこっちで始末する」

 ライアンは言った。今までの仲間をそうしてきたように、この骸も布にくるんで地下の川へ流してしまおう。帝都ザクリアは長い歴史を証明するかのように各時代の遺物などが幾重にも埋もれているが、地下を流れる川はその代表とも言うべきだ。古い煉瓦で組まれた川底は、これか元々運河だった揺るぎない証だろう。

 リァンの遺体もそうして流した。この暗い川の行く手を見極めたものはいない。が、どこまでもさあさあと流れて行く水面はひどく深い地下へ、遠い世界へとそそぎ込んでいるような果てのない感触があった。ああして流れていった命はいつかよみがえり、闇から生まれて闇へと帰るのだろう。おそらくは。

 まかせた、とドォリィは言って帰りかけ、去りぎわ心残りにライアンを振り返った。

「どうしても俺とは組まないか」

 冗談のような軽い口調にそぐわないほどの強い光がドォリィの瞳に宿っているのに、ライアンは気付いた。

「くどい……今更、だ」

 それが消去法の結果に過ぎなくとも、ライアンのところへ吹き寄せられてきた自分の部下達を裏切ることは出来ない。結局は分裂したときに、そう決まってしまったようなものだ。ドォリィも分かってはいるのだろう。それ以上は何も言わずにライアンに背を向けた。

「……結局、裏切者は分からずじまい、という事ですか」

 ダルフォの呟きがした。ライアンは曖昧に頷いたが、名を知ることが出来ないわけではない。

「直接カレルに聞くこともできる」

 ライアンの言葉にダルフォは訝しげに眉を寄せた。顕著に戸惑いが揺れているのにライアンは薄く笑った。

「だが、それは取引の結果として得る答えだ。そして取引するにはどうしてもドォリィとヴァシェルの二人を下す必要がある」

 呆気にとられたような表情でダルフォはたたずんでいる。ライアンはわずかに吐息を、聞こえぬように胸の内で落とした。この程度のことを分からないこの男でさえ、今の自分には僅かな武器の一つなのだ。それを思うと歯がゆくてならないが、ダルフォの才能はこういうことには向いていないのだ、と思うことで耐えるしかない。

「今この時点で後ろ楯になってもらう訳には行かないでしょうか」

「……それはとても俺たちに都合のいい考えだが、カレルの思惑にはまってやることもないだろうよ」

 ダルフォが首をかしげる。それからややあって

「……確かに足元を見られるのは必至でしょうが、膠着する前に何とかしたほうがいいのでは」

と言った。ライアンは首を振る。考えを巡らせられるならどうしてその先に思いを凝らせないのだろう。

「カレルにとって一番良い展開は、おそらく俺たちがお互いに殺し合った頃を見てひねり潰してしまうことだ。そのために、俺たちに後ろ楯するという約束ならすぐに取りつけることができるだろう。だが、俺たちに約束するのと同じ気軽さで残りの二人にも言質を与えるな。そうすれば勝手にやりあってくれる」

 ダルフォがああ、と大きく頷いた。

「揺るぎないこちらの地盤がないと、ということですか」

 逆に言えば、こちらが間違いなく少年王の後継なのだと実力で示せば、カレルは迷いなく勝ち船に乗る。その時初めて対等に近い取引の中で、リァンを殺した者の名を囁いてもらうこともできるだろう。

 そうだとライアンは頷く。ダルフォは愚かではない。こちらが糸口を与えてやれば結論を導くだけの理性は持っている。だが、今ライアンが切実に欲しいのは、この糸口を自分で捜し、なおかつ別の糸をも編み出せる者なのだ。

 ダルフォに死体の処理を任せ、ライアンは長椅子に身体を沈めた。底を知らない倦怠が這い上がってきて、まどろみの中へとやがて彼を引きずり込んでいった。

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