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海嘯の灯  作者: 石井鶫子
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 ──ライアンが駆けつけたとき、路地は少年達で埋まっていた。ライアンの姿を認めて人波が割れ、一筋の路ができる。そこをゆっくり進みながら、ライアンは焦げるような視線を感じていた。自分がやったと思われているのだ。

 ヴァシェルの身体は鉄塔から吊り下げられていた。足首の肉がこそげかかっているのが見える。風にゆっくりと揺れて、振り子のようだった。

 鉄塔はこの貧民窟の上を経由する電力の伝導だが、電力はそこから流用させてもらっていた。魔導は高くて贅沢すぎる。

 ライアンは懐から細刃を取り出して構えた。目を細めて焦点を定め、腕を振り出す。細刃はあやまたずヴァシェルを吊した縄を引き裂き、呆気ないほど簡単に身体が落ちた。どよめきが静かに少年達の間を伝播した。声を上げてヴァシェルの所にいた連中が駆け寄っていく。

 ライアンも後を追うようにヴァシェルの身体の脇に膝をついた。ヴァシェルの死体はひどい有様だった。おそらく一晩吊られていたのだろう。鳥が眼球を食らった後の眼嵩がぽかりと空き、視神経なのか筋肉の糸のようなものがはみ出している。昨晩会ったノイエが顔に布をかぶせた。あまり見ていて気持ちの良いものではなかった。

 ヴァシェルの身体には、争った後がはっきりと残っていた。かすった傷、剣で刺された痕跡と致命傷と思われるうなじの裂傷は、誰かと激しく戦った証拠であった。

「昨晩からこの鉄塔に何かぶら下がってる、というのは聞いていました。ライアンと会う前の時間です」

 ノイエが少年たちに聞こえるように言った。僅かに張りつめていた空気がそれでぬるく拡散した。ライアンは自分の疑いが消えたことを知ったが、それは少しも晴れ晴れとした気分にはしてくれなかった。

 ドォリィか、とライアンは注意深く死体を検分する。ドォリィの得意としている武器は大段平と呼ばれている幅の広い大振りの剣で、これは「斬る」というよりも「叩き潰す」方が得意な武器だ。無論大段平しか扱わないわけではないから、斬った跡があるからといって、ドォリィでないとは断言できない。

 だが、ライアンはドォリィだろうとも思っている。やはり見かけたというのは偶然ではなかったのだろう。ライアンとヴァシェルが手を組めば、窮地に立つのはドォリィだ。

 彼か、彼の手の内の者か。ヴァシェルは強かったが、ドォリィやライアンのように飛び抜けての強靭さを誇っていたわけではない。おそらくはダルフォのほうが強いだろう、一対一で戦うならば。そこに至る過程の罠で戦力をそぐ事がヴァシェルの特性とも言えたのだから。

 ノイエを見ると、震えているのが分かった。彼もまた、脅えているのだとライアンは思った。ライアンがリァンを失ったときの自失を味わっているのだろう。

「お前たちはどうするんだ」

 聞くとノイエは首を振って答えなかった。考えが錯綜していて今は何も分からないのだとライアンは推察し、そうか、と低くそれだけ言った。

「俺はヴァシェルと手を組むつもりでいた。継承するつもりなら近いうちに統一して俺の所へ来い。どうしたっていい。俺の下に入りたい奴は来ればいい。ドォリィのところへ行きたい奴もそうすればいいんだ」

 そこへ集まってぴくりとも動けないでいる群衆に聞こえるようにライアンは声をあげた。静けさの中をその声はよく通り、一層静まり返った後に密やかなさざめきが伝播してしていった。

 ノイエは青ざめながら立ちつくしている。その肩を軽く叩き、ライアンはダルフォに行くぞと声をかけて立ち去ろうとした。

 その背を呼び止めた声にライアンは首を巡らして後ろを見た。やはり群衆と同じく血の気の引いた十四、五の少年であった。

「ライアンはカレルに服従するつもりだと聞きました。俺たちだけでも十分やっていけるのではないですか」

 それが不服か、とライアンは顔を上げ少年の方へ向き直った。自分は今薄く笑っているだろうと思った。

「リァンがいればそれでも良かった。だが。いなくなった途端に俺たちは分裂して争って人数を減らしただろう。もう対等に取引する力は残っていない……が、何年か後になれば少しまた事情も違うだろうよ」

「それまででも、俺たちだけでなんとか出来るのではないですか」

「今だって、俺たちは見逃されているんだ」

 何故それが分からないのだろう。

 カレルの力はこのタリアという赤い格子の町に満ち溢れている。自分たちなど、とるに足らない。カレルがライアン達の抗争に介入しないのは高みの見物を決め込んでいるか、興味がないかのどちらかだからだ。いずれにしろ彼を脅かす要素など一つもない。

 リァンの存在が唯一の要素だったはずだがそれは失われてしまった。ライアンの前から消えてしまった。もう戻ってこない。

 ──永遠に。

「俺はいつまでもカレルに尻尾を振るつもりはない。だが、無駄に争う気もない」

 それだけ言ってライアンは今度こそその場を立ち去った。

 帰る道を、ダルフォが黙ってついてくる。トリュウムの前まで来ると、丁度道の向こうに見慣れてしまった制服姿の子供が歩いてきていた。

 ライアンの姿を認めると気軽に声をあげて駆け寄ってくる。今日は相手をする気になれなかった。ライアンは無視してそのまま中へ戻ろうとして、ふと足を止めた。

 ヴァシェルは死んだ。何故、死んだのだろう。……それはライアンと手を組もうとしたからで、ヴァシェルのほうが死んだのはライアンよりも組みし易い相手だったからだ。ヴァシェルはドォリィよりも確実に腕が落ちる。それは、分かる。

 ヴァシェルは一人で来ていた。ライアンと話し合うために、裏切らないと誓う姿勢をライアンと同じように一人で約束の場所へ向かっていた。

 ……では、何故ドォリィはその約束の日と時間を知っていたのだろう。偶然か──まさか。ドォリィはそんな半端な偶然に頼るほど易しい相手ではない。知っていた、となると。

 ヴァシェルの部下の中に裏切り者がいる。誰かがドォリィに一人で出歩くのだと耳打ちしたものがいる。

 そしてライアンは足下の深淵に気付いて慄然とする。ヴァシェルの所の裏切り者だとどうして断定できるのだろう。誰かも分からない、だが確実に内通者をドォリィは送り込んできている。ヴァシェルとライアンの約束を知っているなら。根城からの道程を想定して待ち伏せるのは簡単なように思われた。

 だとするなら、とライアンは唇を噛む。それは、ライアンの所にいるかもしれないのだ。

 約束の内容を知ることができたのはライアンの所では幹部として扱っている五人、それと身近にうろうろしているチアロだ。チアロは根っからのライアンの子飼いだからそれはない。嘘を隠し通せる性格でもない。ヴァシェルの所か自分の所か。どちらだろうかとライアンは立ちつくす。

「ライアン……? どっか悪いの? 頭?」

 不思議そうな声でライアンは現実に戻り、声の主を見た。クインが小首を傾けてライアンを見上げていた。いや、と言ったライアンの脳裏に微かな声が囁いた。

 この子供かもしれない。チアロから聞き出せば情報も入手出来る。急に浮かんできた考えにライアンは真剣に向き合い、次いで勘ぐり深いと自らを苦く笑った。

 クインがトリュウムに出入りするようになった事件はただの偶然だ。ライアンの気紛れといい、そこまで偶発的な出来事が重ならなければクインは今頃カレルの玩具となっていたはずだった。

 この線はないとライアンは切り捨てるが、誰と特定するのは難しそうだった。それに本当はヴァシェルの所かもしれないし、両方なのかもしれないのだ。

「あまり頻繁に来るな」

 不機嫌なままライアンは吐き捨て、屋敷へ入った。クインはライアンを迫ってきた。

「なぁ、今日はあんたと話したいことがあってきたんだ」

 うるさいと手で払いのけてライアンは螺旋階段を上る。クインはそれでもライアンの後をついてきたが、二階に上がった辺りでダルフォが柔らかく押し返した。

「今日はライアンは疲れている。下でチアロとでも遊んでいろ」

 自分ばっかり深刻な顔しやがって、とクインの声が騒ぎ立てた。ライアンは視線を下へやった。ぐるりと半周ばかり回った階段のせいで、クインを正面から見ることになった。

 相変わらず薄化粧を施した顔立ちは絶世の美少女のものだ。だが、表情が違う。誰にも頼らない孤高の誇り高さが、彼が唯一守るべき母親譲りの顔にきつい輝きを加えていた。

「話というのは何だ」

 階段に足をかけたままライアンは言った。クインが僅かにほっとしたような笑みを浮かべた。

「あんた達の組織の今後の方針と展開について、俺の鋭い一考察」

 溜息をついたのはダルフォの方だった。ライアンも似たような思いだった。何度言ってもこの少年はこちらの事情に首を突っ込むのを止めようとしない。

「それよりも聞きたいことがある」

 ライアンはクインと真向かいに視線を合わせた。

「例えば、組織の中に内通者がいるのが分かっていて誰だか分からないときは、どうやっていぶりだすのがいいだろうな」

 言ってライアンは注意深くクインの様子を見守る。これで何か過剰に反応すれば彼の素姓についてもう一度疑ってみてもいいと思った。クインは何だそんなこと、と勝ち誇ったように笑った。

「ライアンが何処かヘ一人で出かけるだとか、何か油断してるみたいな嘘を流せ。何度でも、何度でもだ。それは結果嘘だけど、嘘に翻弄されて雇い主のほうで始末してくれるだろうよ。死んだ奴が裏切った奴だ」

 なるほど、とライアンは頷いた。道理がある。内通者とダルフォが呟いて息を呑んだ気配がした。この反応を見る限り、それはダルフォではないだろう。残る幹部に口止めをしたわけではなかったから彼らが配下に日時を喋っていれば、幹部だと特定することもできない。

 だがこの方法ならそのうちドォリィの方で始末をつけてくれるに違いなかった。彼は気の長いほうではない。

 ライアンは改めてクインを見下ろした。

 この知性の正確さと回転の速さはずっと欲しかったものだ。一人ではまかないきれない知恵を補完してくれる存在なのかもしれない。元来関係ない相手だが、本人が気軽に口を入れたがる。そして何よりも重要なのは彼の意見が使えるということだった。

 覚悟が決まった。巻き込んで欲しいのなら、そうしてやろう。

 クインと呼ぶとライアンは顎をしゃくった。

「──来い。お前のその鋭い一考察とかいうのを聞いてやる」

 年は幼い。事情も説明してやることが多い。まず間違いなく、自分で自分の身を守れない。大事にしてやるつもりなら、ライアン自身が他人の目につく形でクインを庇い守ってやらなくてはならないだろう。

 公平感を末端のほうの少年達に呼ぶのも承知の上だ。そこまでの負荷を背負っても、どうしても、参謀が欲しかった。

 ダルフォが咎めるような目付きでライアンを見た。ライアンは首を振って見せた。

 しかしと口を開きかけるダルフォに微かに笑い、ライアンは階段を上る。クインが戸惑ったような顔でその場に佇んでいた。

「どうした、来ないのか」

 声をかけると今度は明るい嬉しそうな笑顔でうなずき、急いで駆け上がってきた。

 これがクインとの長く続く共棲の始めだと、このときのライアンは気付いていない。だが、確かにこれがその開初であった。

 ──やがて二人は一人の女を挟んで互いの罪で強く縛り合い、もたれあって絆を深くからめることになるが、それはまだ先の話である。

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