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海嘯の灯  作者: 石井鶫子
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 日が落ちてからライアンは起き出して髪をまとめる。指定された時間はまだ先だが、ゆっくりと時間をかけて精神を煮詰めていく。トリュウムの出ロヘまわると見知った少年が黙って頭を下げた。彼はダルフォの下にいる剣の名手だった。ダルフォがいいつけたのか、ライアンについて出ようとするのをいい、ととどめた。

 ヴァシェルも一人で来るはずだ。自分が先に裏切る訳にはいかない。それにヴァシェルよりは強いという自負もある。

 困惑気味の少年を帰し、ライアンはタリアの大通りへ出た。夕方近く、日々の仕事を終えた者達でここが賑わい始める最初の時間だ。ゆっくりと境界門へ歩き出す。

 人込みの中で細い女の悲鳴がした。そちらへ流れた視線に、白い衣装が飛び込んできてライアンは足を止める。あの背格好には、覚えがある。

 人波を泳いで近づいていくとやはり例の少女だった。どこかへ使いに出たのだろう。包みを抱えている。絡んでいるのはやはりライアンと同じくらいの少年達だった。白い衣は妓楼抱えの小間使いだと知っているだろうに、からかっている。

「何をしている」

 後ろから声をかけると、少年達は振り返り、ライアンだと知ると急におとなしくなった。何か言えよ、とお互いをつつき回している。細刃を腰にぶら下げているから、ライアンの所の者なのだろう。ライアンはこの少年達を知らないが、向こうはライアンを知っている。リァンの背後に必ずと言っていいほどひっそりとつき従っていたあの死の暗い影を。

「知り合いですか」

 聞かれてまあな、と答える。少女はちらりとライアンを見上げ、口を挟むでもなく俯いた。少年達を追い払うと、少女は白いスカートの埃を叩いた。それからライアンの顔をじっくりと眺めて、あんたこの前の奴ね、と言った。

「じっとこっち見てたわね。そんなに女が好きなの」

 あけすけな言いぐさにライアンはつい頬をゆるめた。

「嫌いじゃないがお前のような子供には興味がない」

 少女は機嫌を損ねたように唇をとがらせた。ちらりとまた、誰かの面影がライアンの脳裏をかすめていく感覚がした。このふくれっ面が、いったいなんだというのだ。

「あの妓楼の抱えだろう。新顔だな」

 少なくとも、二月前までは見ない顔だった。少女は傲然とうなずき、包みを抱え直した。

「まだ源氏名は貰ってないの。名前はシャラよ。気が向いたら食事にでもきて。あたし、水揚げはまだ少し先だけど今から通ってくれたら少しは安くなるかもよ」

 うふふ、と含み笑う目許に艶がある。幼くとも女なのだ。本当の意味で女ではないにしても、既に男の事を分かったとでも言いたげな生意気さは、きっと驕慢のあでやかな花になるだろう。

「……俺は別にお前を抱きたいわけじゃない」

 苦笑しながら言うと、シャラはきょとんとした顔つきで首をかしげた。妓楼にいると男というものの一面だけを厭になるほど見るのだろう。それは仕方のないことではあるのだが。

「じゃ、なんで横から入ってきたの」

 納得いかないという口ぶりに、ライアンはなんでだろうな、と応じた。正直なところ、よく分からない。変な人、とシャラは呟いてから笑った。今度の笑顔は年に似合った、明るいものだった。

「店に来てね。あんた、名前は」

 ライアン、と言うと、シャラは懐かしいものを見るように瞳を細めた。

「あたしの兄さんと同じ名前ね」

「兄がいるのか」

 そうね、とシャラは曖昧に笑った。

「……もういかなきゃ。かあさんに怒られちゃう」

 妓楼では女将のことをかあさん、目上の遊女をねえさんと呼んで疑似家族を作る。店に来てね、とシャラはライアンに念を押して背を返した。白いリボンが風をはらんでひるがえり、それが瞬く間に人の群れに埋没して消えた。

 ライアンは再び境界門のほうへ歩き出す。この諸々の出来事が通りすぎた後でまだ自分が生きていたなら必ず行こうと思った。

 ヴァシェルはまだ来ていなかった。まだ少し早い。ライアンは境界を示す木の柱にもたれて流れる人の波を見ていた。

 どれだけぼんやりとしていたのだろう。夜の鐘は既に鳴っていたが、ヴァシェルの姿は見えなかった。おかしいと感じ始めた頃、人込みの向こうから見知った顔が近づいてきたが、それもヴァシェルではなかった。

 歩いてくるのは二人、共にヴァシェルの部下の中では強いほうだ。リァンが生きていた頃にはリァンの所へ出入りしていたから、ライアンも覚えている。

 咄嗟に思ったのはやられた、ということだった。懐に手を入れる。細刃を抜き出すと、相手が身構えた。

 ここではまずい、とライアンは路地へ入る。賑やかなところで血が流れればカレルが出てくるが、それは得策ではなかった。適度に奥へ入った辺りで追ってくる相手を待った。わずかに時をおいて追いついてきた二人に向き直る。

「ヴァシェルはどうした」

 嫌味のつもりで言ってやると、二人の様子がわずかに変化した。戸惑っているように見えた。

「俺はずっと待っててやったんだ」

 反故にされたのなら、自分はきっと阿呆に見えるに違いなかった。二人は何か密やかに会話していたが、唐突に抜き身だった剣を収めた。

「ヴァシェルがいなくて、俺たちも捜してたんです。もしかして、ライアンが何かしたのかと思って」

「何故、俺が奴と会うつもりだったかは知っているな」

 聞くと、二人はほぼ同時に頷く。

「手を組む相手をその前にどうこうしたら元も子もないだろうよ」

 その通りですが、と言ったのは背の高い方だ。ノイエと言う。

「大通りでドォリィを見かけて。それで、ライアンとドォリィが手を組んでいたのかと……」

 早合点も過ぎるとライアンは大きく息をついた。ドォリィがいたのが偶然なのか必然なのかも分からないくせに。そもそも自分たちがタリアの奥へ徒党を組んでいるのだから、タリアの中であるなら何処で見かけても不自然と断言はしがたい。

「俺は奴が来ないならもう帰る。まだ話をする気があるのならトリュウムヘ来いと伝えろ」

 二人ははい、と返事をした。リァンの生前はライアンは破格の幹部だったから、分裂してしまった後でも敬意が習慣のように染みついていた。ライアンに対等な口を聞くのはヴァシェル、ドォリィの二人と恐れを知らないチアロくらいのものだ。

 もういい、と手を振ると、二人は軽く一礼して夜の雑踏へ消えていった。

 ライアンはトリュウムヘ戻った。ダルフォがどうでしたと緊張した顔で聞いたが、答える気にもならなかった。だが、その答えは翌朝出た。眠っていたライアンをダルフォがたたき起して耳元で言った。

「ヴァシェルが死にました」

と。

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