『アヌビス神』 4
「預ける……?」
彼はニコニコと笑いながら、
「ええ、そうです」
話し続ける。
「ハウンドソーサリーに乗っていては危険な事があるのも私達は知っています。もう、戦うのは疲れたのではないですか?」
「それは……」
僕はすぐ否定できなかった。
「それならば、私に預けて下さればといいじゃないですか。あなたは怖い目に遭う事もなくなります」
でも、それじゃ……
「今後の生活は気にしなくてもいいです。我が一族が徹底的にお世話させていただきますので」
ハウンドと別れるのは……イヤだ!
「すみません、ハウンドは渡せません」
気がつくと、僕の握られた手のひらに力がこもっていた。
「どうしてですか!? このまま、ハウンドソーサリーと一緒に行動するって事は、誰かに殺されるかもしれないんですよ!?」
分かっている。もう三度も戦闘を経験して、嫌というほどに思い知らされてもいる。
だけど、それでも僕は!
「ハウンドと、一緒に居たいんです」
そうだ、僕はもうハウンドと離れる事は出来ない。それが何故なのかは、今の僕には理解も納得も出来ない。
でも、僕はハウンドソーサリーと生きたいんだ。
ただ、ハウンドの願いを叶えたいんだ!
「けど!」
ネスルは、僕の手を掴む。
「すみません!」
けど僕は、その手を払いのけた。
「僕は、これで帰ります。色々とありがとうございました」
ネスルに一礼をして、入り口の方に足を向けた。ネスルの狂気を垣間見たせいもあるが、なによりもハウンドとの旅を早く続けたかった。
「ま、待って下さい!」
ネスルの手が僕の肩を掴む。
「あのハウンドソーサリーがもしもアヌビス神なら、あれは魂を計る死神です!」
ネスルの制止を無視して進む。
「それは……ハウンドソーサリーは、あなた自身の事も計っているのかもしれないんですよ!」
僕は、彼の言葉に耳をかす事はもう無かった。
※
「行こう、ハウンドソーサリー」
ハウンドの操縦球を前に倒して、ハウンドを移動させた。出来るだけはやく、僕はその場所を去ってしまいたかった。
ステルスを起動したままで、ハウンドは砂漠を北西方向にひたすら進む。
だけど、
「海か」
マディフォナ・トラースを出て数日、目的地の方角を目指していたらここにたどり着いた。
僕はPDAを取り出し、すぐさまにシグナルに連絡をするが繋がらず、ソーマに連絡する。数度の呼び出し音の後に、
「ショウゴ君?」
僕は「お久しぶりです」と返し、
「どうしたんだい? なにか問題でも起きた?」
僕は目的地の方角と現状を説明した。
「分かったよ。出来るだけ早くそちらに向かうよ」
メセクテトは一時間も経たないうちにやって来た。
「待たせたね? それで? 今度はどっちの方にいけばいいのかな?」
周辺に人が住んでいそうな街が無いからか、メセクテトは姿を現した。
「南西、いえ西南西の方角です」
「分かったよ。さあ、乗って」
そう言われ一歩踏み出したのだが、二の足が不意に止まった。
「どうしたんだい?」
その挙動に違和感でも感じたのか、ソーマはそう尋ねた。
「いえ、なんでもないです」
そう、なんでもない。
ガイアルが一体僕に何を隠しているのか? それは凄く気になる事ではあるし、激しい後悔を伴うかもしれない。けど、今の僕とハウンドソーサリーは彼らに頼る以外の選択肢はない。
ハウンドソーサリーの足を進める。
そう、僕はハウンドの進みたい所に、行きつく先に、一緒にただ歩んで行きたいんだ。
(ハウンドソーサリーは、『死神』か……)
今のハウンドからは、そんな雰囲気を感じないんだけど。
「よし、格納するよ」
ラックが船内へと格納された。
「発進するから、そのままでね」
「はい」
初めて乗った時と同じように、船内の物が振動していた。
※
「たぶん、この進路だとココじゃないかと思うんだよ」
ハウンドから降りた僕をソーマがこの艦、『メセクテト』のコクピットまで案内し、ハウンドの次の目的地の候補を模索していた。
「イースト・アイソッドか。それなら、『エアーズ』以外はないな」
艦長、たしか「セキ」という名前の男性が正面モニターを見ながら話す。
「ええ」
イースト・アイソッドは、僕の住んでいた国のほぼ南にある島だ。その土地の大半は『エアーズ』という街で形成されていると教わった。
けど、あの街は……
「それならば、ほぼ無人だから大きな問題は起きなさそうだ」
現在、あの街に住む人は十人ほど。しかも大半が老人で、あと十年以内に消えると言われている国だ。
「よし! 進路をエアーズに向けろ!」
艦長の檄が飛び、コクピット内がピリピリとする。
「各員、なすべき事を成せ!」
はい! と、コクピット内にいた人達が返事をした。
「ハウンドソーサリーのパイロット、君は部屋で待機だ」
※
「た、助けて!」
僕は、ナニカに追われていた。ただ、その姿は黒い靄の中で姿形もはっきりとしない。
「はぁはぁ……」
黒い靄はその姿を次第に大きくして僕の背後に迫る、僕はただ細く頼りない路地を右往左往する以外に術を持っていない。
「助けて……誰か!!」
僕が無意識に助けを願った、それが誰であるかも僕には分からない。
「助けて!!」
ただ僕の声は、虚しく路地をこだまするだけで誰の耳にも届かないで消えてしまう。
そして路地の角を曲がった僕の目前に、ただ冷たそうなコンクリートのビル壁があるだけだった。
行き止まりだ。
「なんで……!」
行き止まり、もう逃げる事すらできない。
「なんで……」
僕の頬に冷たい感触が流れた、背中に視線を感じ振り返った。
黒い靄は僕のすぐ背後に立って見下ろしている、靄の一部が真っ直ぐにこちらに向かって伸びてきた。それは腕だった、人間のように五本の指を持つ黒い腕。しかし、その大きさは人間の何倍もある。
その腕が僕を掴み持ち上げた、その顔は僕の見知った顔でハウンドソーサリーそのものだった。
「じゃあね、ショウゴ君」
「え?」
その声はどこかで聞いた事のある声だったが、僕の意識はその瞬間に霧散してしまった。
※
「はぁはぁ……」
夢だよ、夢。
ハウンドが僕を襲うだなんて、そんな事があるはずがないと目覚めた僕の意識がはっきりと告げる。
けど、
「あの声は、確かにどこかで……」
誰の声だろうか? 何故だかただの夢だというのに、その事が頭の中から消えてくれない。
『ショウゴ君、起きてる?』
部屋の外から声がした、ソーマだ。
「はい」
かぶりを振り、記憶に残ったモノを掻き消した。
『そろそろ着くから、準備をしておいて』
「分かりました」
僕は立ち上がり、顔を洗おうと洗面台に立つ。
「なんだか、顔が……」
赤みが薄く白い、それにやつれているかのように少し痩せていた。
「……変な夢を見たからかな?」
一瞬、立ちくらみが起こる。
「アッ……!」
壁に手をついて、倒れそうになる体を支えた。
「疲れているのかな?」
最近はきちんと睡眠もとれていないし、食事も手軽に取れるものばかりになっていた。
「全部終わったら、きちんと休まないとだな」
独り言をいうと、手で水を掬った。
※
『近くに待機しているから、終わったら迎えに来るよ』
画面の中のソーマが話す。
「分かりました」
モグモグと用意してもらったご飯を食べながら返事をした。
『行ってらっしゃい』
その言葉を最後に通信が切れる、大きく開かれたメセクテトの後部ハッチからステルスを発動したハウンドを外に出した。




