『アヌビス神』 3
「なんで、ハウンドが!?」
その壁画に描かれているのは、黒い犬の頭を持つ二足歩行のなにか。その姿は、間違いなくハウンドソーサリー、そのものだった。
ネスルは首を横に振る。
「いえ、これはハウンドソーサリーではありません」
「けど!?」
「これは、はるか昔の神。その名を『アヌビス』といいます」
「アヌビス……?」
けど、これはどう見たってハウンドソーサリーだ。この姿を間違える事は絶対にない。出会ってからの期間は短いけど、僕とハウンドは生死を共にした相棒で、家族よりも友達よりも大切な存在だ。
「ええ、アヌビス神です」
けど、何度見てもハウンドにしか……。
そんな僕の内情が表情に出ていたのか、ネスルは一度目を閉じて話し始めた。
「このアヌビス神は遥か昔から伝わる神のひとりで、死を司る神のひとつとして描かれています」
彼はポケットからある紙切れを取り出し、僕の方に見せた。
「その役割として伝わっているのは、ミイラと呼ばれる遺体を包帯で巻いたものの作成、死者を冥界と呼ばれる場所に連れていく事。それと、死者の心臓と羽を天秤にかけてその魂の重さを測り、その結果を報告をする役目をしていたと言われています」
けど、神だなんてそんな物を信じるには現代は浅はか過ぎる。あくまで昔の人が考えた空想の話で、今現在の僕達には一切の関係がない事だ。もし、救いの神がいるのなら僕にも……。
いや、ハウンドがそうか。あの場所から僕を救ってくれたハウンドなら。そうならば、本当にハウンドソーサリーは神様だとでもいうのか?
「ただ、あのハウンドソーサリーがアヌビス神そのままだとは、私は考えておりません」
当然、そうだろう。
「ただ……」
ネスルの眼光が鋭くなる。
「ただ、無関係だとも思えないのは、あなたも思っているのではないですか?」
「……ええ」
そうだ。
いくらなんでもこんなに瓜二つなのは、偶然にしてはありえない。なにかしらの関係があるのは間違いなさそうだけど……。
「ただ、この壁画とこれに関する資料は我が一族の者でも本家以外は知らず、外に漏れたという記録もありません。つまり、ハウンドソーサリーとアヌビス神に直接的な関わりはないはず。けど……」
「何かあると感じているんですね? 僕と同じように」
彼は、無言で頷く。
「ハウンドソーサリーがどうして出来たか。あなたは、それを誰かから聞いた事がありますか?」
この人は、僕をバックアップしてくれている人達がいる事を知っていて、誰かからと聞いているのだろう。
僕は、その問いに否定を返した。
「なら、その辺りからお話しします」
ハウンドは初めて乗った僕にその操縦法は教えてくれたが、ハウンドソーサリーとしての辿ってきた物語は一度も見せてくれた事はなかった。
「ハウンドソーサリーは、今から数十年前に初めて発見されました」
「発見、ですか? 誰かが作ったのではなくて?」
「ええ。海外のある山奥に隠れておいてあるかのように、埋もれていたのをその土地の所有者と工事の人が発見したのが全ての始まりだそうです」
真偽の程はあまり定かではない話なのですが、と付けくわえる。
「しばらくの間は土地の所有者の意向で誰にも話さず、そのまま過ごす事にしたそうなのですが、ある日の夜更け、その人の前にある男が現れたそうです。男は短く、こう言ったそうです。『ハウンドソーサリーを、私に譲ってくれないか』、と」
はじめて発見されたハウンドを、いきなり名前でよんだ? どうして、そんな事が?
「夜更けに現れ、突然聞いた事もない物の名を呼ばれた男は、その申し入れを当然の如く拒否しました。そして、悲劇が起こりました。その街は一夜のうちに地図上から消滅してしまいました」
消えた!? いや、ハウンドを得るためだけに街をひとつ消したのか!?
「この話は、その悲劇から辛うじて逃げ切れたハウンドの発見者のひとりから数年前に聞いた話です。そして男は、こう続けました。『街を消したのに、ガイアルが関わっていた』 話した翌日に、彼は誰かに殺されていました」
ガイアル、またガイアルか。
「結局、その消えた街の事も、話を聞かせてくれた男を殺した犯人も一切の手がかりがなく、私達が知りえたのはそこまででした。ただ、その殺された発見者にハウンドソーサリーの写真を見せた時に見た、あの顔は未だに忘れられません」
話すネスルの眉間に、皺が寄る。
「怒りや恐怖を越えた、ナニカ。そんなものが彼からは感じ取れました」
街を消された男、その彼が見たハウンドソーサリーは不幸を招く死神にでも見えていたのだろうか。
「……けど、そんな彼の様子を見て、私は私の感じたものが正しかったと思えました」
ネスルが、話を続ける。
「初めて見たハウンドソーサリーは美しく、気高く、儚い……。その気高さは、私が常に思い描いてきた『神』そのものでした」
ネスルの様子が、先程までのなにか違う。絡みつくような、ねばねばとした感情がネスルから僕に向かって発せられているようだ。
「その『神』が、私の前に現れた。それも二度も! それは、もう運命だ!」
彼の言葉に含まれる熱量がさらに増したように感じた、なんだか怖い。
「私は待っていたんだ、この時を!」
ネスルの両手が僕の肩を乱暴に掴む、爪がくい込んで。
「ッ!?」
僕は無意識に体を揺すって、ネスルから離れた。
「あっ。すっ、済まない。ハウンドソーサリーに会えて、嬉しかったので、つい力が入ってしまったんだ。申し訳ない」
先程までの彼とは違い、穏やかなな表情に戻った。
「いえ……大丈夫です」
内心、大丈夫ではない。さっきの怖さは、いじめられていた時の物とは別種のものだ。異様な表情、まだ痛い爪痕。怖い。
「なら、良かった。本当に、申し訳ありません」
ネスルは頭を下げた。
「それで、ある提案をしたいのですが……」
ゆっくりと上げた顔は、笑っていた
「ハウンドソーサリーを、我が一族に預けて頂けませんでしょうか?」




