『アヌビス神』 2
「本当にいいんですか?」
背を押していたネスルが、僕の横に立ち先導する様に歩き、
「大丈夫です。ここにいる間のお世話は、私がしますので」
優しい言い方だったけど、その言葉には有無を言わせない何かを感じ、それ以上は言えなくなった。
「あ、ネスル!」
店先に出ていた女性が、ネスルの名前を呼びながら手を振っていた。
「いい果物が入ったんだ、買っていくかい?」
「レイラさん。すみません、今日はちょっと……」
女性は僕の顔を見ると、
「誰だい、その子は? あんまり見ない顔だね?」
彼女はこちらを訝しむように見てるけど、ネスルはその人に僕が見えやすいように体を動かして、
「彼は私の友人で、海外から遊びに来ているんです。それで、これから彼にこの街を見せようと」
彼女の顔から僕への不信感は消え去り、代わりに満面の笑みが浮かんでいた。
「あら、そうなの? なら、これを持って来なさい。あと、これとこれも。遠慮しないで」
イチジクやバナナ、他にも見た事のないような果物を抱える程にどんどんと渡される。
「レイラさん!」
「ん?」
「サービスし過ぎですよ」
女性はビックリしていたが、「いいのいいの」とその果物を袋に詰めて、僕に手渡した。
「こんなにもらうのは……」
ありがたいのだけど、流石にこんなに多くは気が引ける。
「いいから、持って行きなさい。私に恥をかかせる気?」
困ってネスルの方を見ると笑っていた。
「彼女はいつもこうなんですよ、受け取るまで帰らせてはくれませんよ」
そうそう、と女性は頷いていた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「うん。それでいいよ! じゃあ、またね。ネスル」
彼は軽くお辞儀をして、
「それでは、また何か困ったことが一声かけて下さい。今日のお礼も兼ねて、対応しますので」
ありがとね、という女性の声を聞きながら店外に出た。
※
「あ、ネスル。今日はどうしたんだ?」
「ネスルさん、寄ってかない?」
「ネスルお兄ちゃん、遊ぼうよ」
道を歩いていく度々(たびたび)に、ネスルは道行く人々から声をかけられる。それも、全ての人が彼に好意を向けている事が分かる話し方だった。
「凄いですね、ネスルさん」
「何の事です?」
彼にとっては、これがいつも通りの風景なのだろう。
「ネスルさんの人望ですよ。みんな、ネスルが好きなんですね」
はにかむようにネスルは笑い、
「そんな事はないですよ。単に、私がこの街の運営に携わっているからですよ」
「運営?」
「簡単に言ってしまうと、みんなの困っている事を解決する何でも屋みたいな事をしているんです。ほら」
彼が指差していたのは、道路の修繕をしている作業服の男性。
「昨日、あそこの石が砕けているのを見つけた方が、私に相談してきてくれまして。昨日のうちに手配していたのですが、無事直りそうで良かったです」
そう言ったネスルの横顔は満足げに見えた。彼は、心の底からこの街のと人々を愛しているのが、その表情だけで理解できた。
「父親から譲り受けた仕事とはいえ、その責任はしっかりと全うしないといけませんからね」
彼は、作業員に二、三言なにか言葉を交わして、
「何度もすみません。じゃあ、そろそろ行きましょう」
彼の顔は真剣さを増した。
※
街の外れまで歩いてきていた。この辺りは建物もなく日を遮る物がないので、街よりも一段と暑く感じる。途中でいただいた帽子と水が無いと、これは大変だったかもしれない。
「大丈夫ですか?」
いつの間にかネスルとの距離が開いている事に気づいたが、早足で追いかける程の気力はない。
「ええ……」
それしか言えなかった、他の言葉を言うと体内の水分が抜けていきそうだ。
「水分補給は忘れないで下さいね。あと、辛かったら言ってください。果物をありますから」
ネスルはこちらを振り向いて話す、いつの間にかフードを被っていた。
「はい……」
と、返事をしたものの、なんだか視界が歪んで見える。これは、僕の目がおかしくなったのか? それとも、蜃気楼かなにかだろうか?
「あと、もう少しですよ! ほら!」
ネスルの指差す先には、男性二人が立っているのが見える。その姿はブレて、四人に見える。水分不足が目に見える形で影響が出だしたのが分かり、僕は半分残っていたペットボトルの水を飲み干した。
ここまで暑いのは初めての体験だけど、それにしても体調が良くない。
街からここまでの距離はさほど離れている訳ではなく、五分程のはずだ。なのに、こんなにも体の調子が悪くなるだろうか?
「待て! 止まるんだ!」
その声で、僕の意識は目の前の現状を把握させた。
「!」
二人の男性はこちらに向けて小銃を向けていた、僕はとっさに両手を上げて無抵抗の意思を示した。
「やめろ! 待つんだ!」
ネスルがフードを外し、彼らに顔を見せた。
「彼は、私の客人だ。頼むから、その銃を下ろしてくれ」
二人は相手がネスルどと分かると、すぐさまに銃を下ろして敬礼した。
「申し訳ありませんでした!」
「そんなにかしこまらなくてもいいですよ、事前に連絡を入れれなかった私も悪いのですから。それよりも、中に入りたいんですが、開けてもらってもいいですか?」
「もちろんです!」
二人は地面に手をつけると、何かを剥がした。
「!?」
二人がとったのは、砂模様の大きなシートだった。その下から現れたのは大きな穴、それも石で作られた物だった。
ネスルがどこからか懐中電灯を取り出し、その穴の中を照らす。中は階段状の通路になっているようで、それはなかなかに距離があるみたいだった。
「さあ、行きましょうか」
ネスルはそのまま中に入っていく、僕もそれに続いた。
※
中は想像していたよりも、ずいぶんとひんやりしていた。そのおかげで、僕の体調も少し良くなっていた。
「足元に注意してくださいね。所々ですが、欠けていたりするので」
ネスルに言われて、足元を見ると確かに端の方が欠けている段が複数見つける事が出来た。そこを踏まないように慎重に進む。もしあやまって踏み外したら、ネスルごと下まで落ちていってしまいそうだ。
「ここからは通路ですので、もう大丈夫ですよ」
階段を下り終えると、今度は横に長い通路があった。
「ここって、一体なんですか?」
砂の中に埋もれている石で出来た建造物、こんなの教科書で聞いた事もないし、テレビでも見た事ない。
「ここは一般には公開されてない遺跡で、僕の一族が代々管理してきました」
前を進むネスルの声が通路に響く。
「この建造物がいつからここにあるのか、誰が作ったのか、なんで作られたのか、その全ては管理している私達の一族の誰も知りません」
「なら、なんで管理を?」
「なぜか。その答えに、僕は明確に答えを返す事は出来ませんが、ここにはそうさせる見えない力のような何かを感じるんです」
ネスルの感じるそれを、僕は感じる事は出来ない。
「ただ、それ以外にもうひとつ理由があるんです」
ネスルの声が今までとは違う、真剣さを増したように感じた。
「そうだ。ひとつ質問しても?」
ネスルの問いに僕は、はいと答える。
「あなたは数年前、ここに来た事はありますか?」
数年前どころか、僕はこの旅に出るまでの間、あの国から出た事はなかった。
その事を彼に伝えると、
「そうなんですか。なら、あの時は別の方なのですね」
「あの時?」
「ええ。実は、私がハウンドソーサリーを見たのは今日が初めてではありません」
ネスルは止まり、こちらに振り向いた。
「初めて見たあの時から、私は運命というものを信じるようになりました」
ネスルの持った懐中電灯のあかりが、壁を照らす。そのには色々な模様や絵が描かれていた。
「これを、知っていたからです」
そこには、ハウンドソーサリーが書かれていた。




